花房 愛/書評 (1) (2):阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』

花房 愛/書評(1):
阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』のひとつの功績
―主体的・自律的な市民が織りなす「まちづくり」の未来-

著者の阪野貢氏は、地域住民が自らの問題として地域の課題を捉え、他者と「共働」しながら解決を目指す「まちづくり」と「市民福祉教育」の融合を主張します。『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』(⇨本編)は、従来の学校教育を中心とした「福祉教育」を、地域社会全体で展開される「市民福祉教育」へと拡張し、その理論的・実践的基盤を体系化した画期的な研究書です。

1. 「市民福祉教育」という独自概念の確立と体系化

従来の福祉教育は、学校教育における「心の教育」やボランティア学習、あるいは社会福祉協議会(社協)が主導する住民啓発といった、限定的な枠組みで語られることが多くありました。しかし著者は、これらを「市民福祉教育」という一段高いメタ概念へと再規定しました。

「市民福祉教育」としての再定位
単に「福祉(弱者支援や制度)について教える教育」ではなく、個人が「ただ人間であること」が持つ道徳的価値をお互いに認め合い、民主主義的な地域・社会を構成する一員(市民)として自律するための教育――「市民福祉教育」として位置づけました。福祉教育を、教育学や社会学、政治哲学が交差する「主体的市民形成の営み」へと拡張したことが第1の功績です。

理論と実践の往還・融合
福祉教育の現場では「方法論(どうやって体験させるか)」ばかりが先行し、その本質に迫る哲学的・歴史的な理論研究が不足していました。本書は、緻密な思想モデルを構築しつつも、実際の制度や地域計画との架け橋となる実証的分析を展開し、「理論と実践の往還」を見事に具現化しています。

2. 福祉教育の「思想的系譜」の歴史的解明

本書の卓越した功績の1つは、福祉教育の歴史の起源を単に戦後のボランティア運動(例:1970年代の「学童・生徒のボランティア活動普及事業」など)に求めるのではなく、明治期まで遡及してその思想的系譜を明らかにした点にあります。

明治後期の「地方改良運動」への着目
著者は、明治40年代以降の「地方改良運動」にみられる内務官僚・井上友一の「自治民育」活動や、教育現場における村田宇一郎の論考を精緻に分析しました。この時代に行われた敬老会活動や地区衛生組織化のプロセスには、住民同士の「体験、交流、共生」が含まれており、これらこそが日本における福祉教育の「遡及的原型」であることを突き止めました。

歴史の連続性の発見
国家主導の地域管理政策(地方改良運動)の側面を持ちながらも、その中から芽生えた「地域振興」や「自治の精神」が、現代のコミュニティに生きる市民の主体形成といかに通底しているかを解き明かしました。この歴史的・マクロ的な視座は、福祉教育研究にこれまでにない学問的厚みをもたらしました。

3. 変革の実践原理としての「循環モデル」の提示

本書が実務家(自治体職員、社協職員、NPO、地域活動家)や後進の研究者に支持されるであろう理由は、単なる抽象論にとどまらず、「まちづくりと自律的市民形成の循環モデル」を具体的な図表を用いて理論化した点にあります。

福祉による「まちづくり」の構造化
著者は、「市民福祉教育」がいかに計画化され、持続可能なコミュニティの基盤(まちづくり)として機能するかを実証的に解明しました。

【自律的市民形成とまちづくりの循環構造】

このモデルは、地域福祉計画やコミュニティ・ソーシャルワーク(CSW)の実践において、住民の「学び」がいかにして実際の「制度改革や地域変革」へ結びつくのかというメカニズムを可視化しました。

4. 哲学的・倫理的思考の導入

教育学や福祉学の議論で往々にして見落とされがちな「ケアの倫理」や「道徳哲学」を、まちづくりの中心へ据えたことも特筆すべき功績です。

「ただ人間であること」が持つ価値
能力主義や生産性至上主義が蔓延する現代社会に対し、著者は「人間がただ存在しているだけで尊い」という根源的な道徳的価値を提示します。市民福祉教育とは、他者の脆弱性(弱さや老い、障害)を認め合い、お互いを「自由で平等な個人」として尊重する民主主義の精神を、地域社会の中で日常的にトレーニングする場であると説きました。

文化的・芸術的視点からのアプローチ
単なるお堅い政策論や法制度論にとどまらず、地域の「福祉文化の創造」や芸術的感性が市民形成にもたらす影響についても言及しています。これにより、まちづくりが「義務」や「負担」から、住民自身の「生の豊かさ(QOL)」を高めるクリエイティブな活動へとアップデートされる理論的根拠が与えられました。

5. 現代社会への警鐘と「希望の書」としての二面性

本書の後半(特に最終章の第9章)では、少子高齢化、限界集落の増加、地域コミュニティの希薄化、そして自己責任論の台頭といった現代日本が直面する過酷な現実が容赦なく描かれています。

限界を引き受ける覚悟
一見すると「絶望の書」とも読めるほど、厳しい現状分析がなされていますが、著者はその限界を直視した上で、「なお、そこからいかに反転して希望を見出すか」を問いかけます。

絶望から希望への反転
地域のつながりが崩壊しつつあるからこそ、逆説的に「市民福祉教育」を通じた自律的市民のネットワーク形成が、ポスト資本主義・ポスト近代における新しい「共生と自治」のセーフティネットを創り出すのだという強いメッセージが込められています。この「限界を引き受けて、なお立ち向かう」姿勢は、混迷を極める現代の福祉関係者・地域住民にとって、精神的な灯台となる大きな功績です。

まとめ

阪野貢氏による『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』は、「福祉教育を学校から地域・社会へ連れ出し、まちづくりの駆動エンジンとして再定義した」という点において、不朽の業績を遺したと言えます。歴史的分析から紡ぎ出された説得力、哲学的思考に裏打ちされた倫理観、そして実践現場で即使える循環モデルの提示は、理論と実践が乖離しがちであった従来の学問の垣根を取り払いました。誰もが排除されることなく、住み慣れた地域で豊かに暮らし続けられる社会(共生社会・福祉コミュニティ)をどう構築するかという問いに対し、本書はこれまでにない網羅的かつ精緻な「実践原理の航海図」を示したと言えます。

 

花房 愛/書評(2):
阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』の評価と課題
―歴史研究・実践分析・理論構築をめぐって-

本書は、1980年前後から半世紀近くにわたり福祉教育研究に携わってこられた著者・阪野貢氏による、まさに研究人生の集大成というべき浩瀚な労作です。全9章・3部構成、500ページを超えるかと思われるその分量もさることながら、明治後期の地方改良運動から令和のAI・デジタル社会論までを射程に収める歴史的スパンの広さ、そして歴史研究と実践分析と理論構築を三位一体のものとして統合しようとする方法論的野心において、類書を見ない一冊です。(⇨本編

 1. 歴史研究としての価値――埋もれた実践史の発掘

第1部・第2部にあたる第1章から第5章は、これまで断片的にしか語られてこなかった福祉教育の「戦前史・戦後初期史」を丹念に掘り起こす、実証研究として高い価値を持つ部分です。

第1章では、内務省主導の地方改良運動における「自治民育」の実践に福祉教育の遡及的原点を見出すという大胆な仮説が提示されます。害虫駆除や老人慰藉会といった一次史料の丹念な紹介・解題を通じて、明治期の官製教化運動のなかに今日の福祉教育に通じる「側面や要素」を析出する手つきは説得的です。第2章の郷土教育運動論、第3章の生活綴方教育運動における国分一太郎「1936年論文」の翻刻・解題も同様に、埋もれた史料に光を当てる労を惜しみません。特に国分の「社会事業的教師」概念を、単なる技術論ではなく「教育の公共性の再定義」として位置づけ、無着成恭『山びこ学校』へと至る戦前・戦後の「思想的伏流」を仮説的に提示する筆致には、歴史研究者としての著者の面目躍如たるものがあります。

第4章の徳島県・平岡国市による「子供民生委員」制度、第5章の神奈川県社会福祉研究普及校制度の検討も圧巻です。とりわけ後者において、神奈川県の行政主導型モデルと鳥取県八頭郡社協の民間主導型モデルとを対比させ、福祉教育に内在する「統治と変革」の二重構造を浮かび上がらせる分析視角は鋭いものがあります。福祉教育が「民主的な社会の形成者」の育成をめざしながら、同時に国家的秩序の再編に資する規律化の装置としても機能しうるという指摘は、本書全体を貫く批判的視座の要となっています。

2. 理論的架橋の試み――思想家たちの横断的接続

本書の真骨頂は、第3部(第6章以降)における理論的跳躍にあります。第6章では、玉野井芳郎の「地域主義」、田村明の「まちづくり」実践論、山崎亮の「コミュニティデザイン」技法、山下祐介の「地域学」という、時代も専門領域も異なる4人の言説を「思想・実践・技法・認識」という枠組みで横断的に接続し、「まちづくりと自律的市民形成の循環モデル」として構造化する試みがなされています。個別に論じられがちなこれら4つの潮流を、「コモンズ」という共通項でつなぎ、市民性教育の4つのプロセス(歴史の学び直し・自治の制度化・関係性の編み直し・批判的思考力の獲得)として統合する手際は鮮やかであり、まちづくり論の見取り図として貴重な貢献となっています。

第7章では、日本の福祉教育研究の泰斗・大橋謙策の理論を「福祉教育原理論」として再考し、その「社会福祉問題」「地域福祉の主体形成」「ケアリングコミュニティ」「博愛の精神」という鍵概念を丹念に読み解いています。そのうえで、原田正樹の「協同実践」「相互依存的自己実現」、そして著者自身の「まちづくりと市民福祉教育」概念、「協働」と「共働」の峻別といった独自の理論的発展を跡づけます。松岡広路による大橋批判(「未分化な学習者像」「批判的創造性の欠如」)を丁寧に紹介しつつ、大橋・原田・著者三者の理論的系譜を「歴史・哲学・原理」の階層構造として整理する第7章末尾の議論は、本書の理論的到達点のひとつといえるでしょう。

第8章では、狛江市社協の“あいとぴあカレッジ”という具体的事例に基づき、福祉教育の「計画化」プロセスを詳細に再構成しています。ボランティア活動推進委員会・企画小委員会・作業委員会という重層的な検討構造のなかで学習プログラムが練り上げられていく過程の記述は、単なる回顧録に留まらず、「See→Plan→Do→See」サイクルと「ヒト・モノ・カネ・シゴト」の4要素という汎用的な計画理論へと昇華されています。さらに終盤では、この1990年代のモデルをAI時代にどうアップデートするかという現代的課題にまで踏み込んでおり、著者の理論的射程の広さを窺わせます。

3. 現代的転回――「思いやり教育」批判の刃

最終第9章は、本書のなかでもっとも思想的に尖った部分です。従来の福祉教育が陥りがちであった、疑似体験・技術習得・訪問交流という3類型の「思いやり教育」を、支援する側の優越感を温存し、依存や弱さを否定する自立観を強化するものとして根本から問い直します。そのうえで、地域活動家・小松理虔の「共事者」概念(当事者でも部外者でもない「中途半端さ」を肯定する立場)と、牧師・奥田知志の「不可解性の受容」(理解しきれない他者と共に生きる思想)という同時代の実践思想を、いわば「教材」として理論に組み込んでいく手法は独創的です。

とりわけ「依存の権利化」という概念――熊谷晋一郎の「自立は依存先を増やすこと」という命題を、憲法13条・25条、障害者差別解消法の合理的配慮規定にまで接続し、依存を「市民の権利」として再定義する議論――は、本書全体を貫く問題提起の核心といってよいでしょう。「存在肯定→共働参加→相互依存→共生共創」という4段階モデルも、抽象論に終わらせず高齢者介護や地域福祉計画という具体的な政策文脈に落とし込んでおり、理論と実践の往還を志向する著者の姿勢が最後まで貫かれています。

4. 評価と課題

以上のように本書は、歴史実証研究としての厚み、理論構築の包括性、そして現代的課題への応答という三拍子が揃った、稀有な達成であると言えます。特に、断片化しがちな福祉教育研究の諸潮流を「歴史・哲学・原理」という循環構造のもとに統合しようとする一貫した方法論的信念は、随所に説得力をもって示されています。

とはいえ、いくつかの課題も指摘しておきたいと思います。第一に、前半の実証的な史料分析と、後半の理論的・思弁的な議論との間には、方法論上のトーンの落差があります。後半になるにつれて著者自身の思想的立場が色濃く前面に出て、やや宣言的・啓蒙的な性格を帯びていく点は、読者によって評価が分かれるところでしょう。第二に、“あいとぴあカレッジ”という1990年代初頭の一事例をもとにした計画化モデルの一般化可能性については、著者自身も「今後の課題」として認めている通り、他地域における比較検証がなお必要です。第三に、AIやデジタル技術への言及は意欲的ですが、やや図式的・楽観的に処理されている印象も否めず、より批判的な検討の余地が残されています。

しかしこれらは、本書の価値を大きく損なうものではなく、むしろ「なお開かれている」研究領域の広がりを示すものと捉えるべきでしょう。福祉教育・地域福祉・生涯学習・まちづくり論・地域共生社会論に関心を持つ研究者、実践者、行政関係者、社会福祉士やソーシャルワーカーを志す学生にとって、本書は避けて通れない参照点となるはずです。「哲学なき実践は凶器であり、実践なき哲学は遊戯である」という言葉に象徴されるように、理念と現場を往還し続けようとするその姿勢にこそ、本書がもたらす最大の知的刺激があると言えるでしょう。