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大橋謙策/CSW研修のプログラム・方法の構造化と体系化

日本でのCSW(コミュニティソーシャルワーク)機能の必要性と重要性は、1990年の「生活支援地域福祉事業(仮称)の基本的考え方について(中間報告)」(座長大橋謙策)において指摘された。
それは、従来のCW(コミュニティワーク)、CO(コミュニティオーガニゼーシン)をより地域福祉の理念、考え方に引き付けて発展させたものであった。これ以降、CSWは用語としても、考え方としても、かつ社会実験的にも実証され、定着してきた。
日本社会事業大学の教員による共同研究を基にまとめた『コミュニティソーシャルワークと自己実現サービス』が2000年8月に上梓されたが、その本でほぼコミュニティソーシャルワークの考え方、機能は整理されたといえる。
しかも、コミュニティソーシャルワークを展開できるシステムとしては、東京都目黒区、東京都の子ども家庭支援センター等の先駆的試みを経て、2000年4月から開始された長野県茅野市の保健福祉サービスセンターのシステム(『福祉21ビーナスプランの挑戦』参照)において、その必要性と可能性も確認された。
これらの機能、考え方、システムの在り方は、現在厚生労働省により「地域共生社会政策」として推進されている。
しかしながら、これらコミュニティソーシャルワークのシステムや機能を具現化させる職員の養成、研修の在り方は必ずしも体系化、構造化されていなかった。
筆者は、ここ数年、大学業務に束縛されることが無くなり、時間的余裕もできたので、コミュニティソーシャルワークの研修を依頼された機会を活用して、コミュニティソーシャルワーク研修のプログラム・方法の構造化と体系化に心がけてきた。それは、まさに、現場の研修を担当している職員との「バッテリー型研修」であり、「コンサルタント的研修」を行うなかで、ほぼ“完成”に近い、納得できるCSW研修のプログラム・方法の構造化と体系化ができたと思っている。
この“社会的実装”に参加してくれた社会福祉協議会は、富山県社協、香川県社協、佐賀県社協、大阪府社協、千葉県社協、岩手県社協、東京都世田谷区社協(人口92万人)等である。この紙面を借りて、改めて関係者にお礼と敬意を表したい。
このコミュニティソーシャルワーク研修を全国に広め、定着させると同時に、社会福祉系大学の教育、演習の在り方を変えてもらうためにも、全国の関係者と共有し、次年度からの研修に活かしてほしいとの思いで「老爺心お節介情報」第18号を送信する。関係者は
相互に連絡を取り合って、情報交換をし、各自が関わるところで研修を見直して頂きたい。
なお、研修プログラムの作成に当たっては、以下の点を考慮、配慮してほしい。
(1) 研修には、予算、期間の制約があり、この通りにはならないが、研修に盛り込むべき内容は同じである。
今回添付ファイルしたものは、富山県社協の地域福祉部(部長古野智也)と富山県福祉カレッジ(学長大橋謙策)とが共催で取り組んだ取組で、プログラムや参加者に課した課題の整理、あるいは演習で使用するシートを作成してくれたのは富山県社協の魚住浩二さんである。富山県社協の研修時間は残念ながら、現時点では約3時間足らない。期間としてはAM、9時30分~PM5時までの全日4日間はほしい。
なお、従来、「多問題家族のアセスメントシート」を使ってきたが、より「社会生活」をきちんとアセスメントするのがソーシャルワークであると考え、タイトルを「社会生活モデルに基づくアセスメントの視点と枠組シート」にタイトルを変えた。このシートのレイアウト作成には、世田谷区社協の山本学さんに協力を頂いた。
(2) 研修参加者の主体性を高めるために、アクテブラーニングの考え方を取り入れ、小グループ編成によるワークショップだけでなく、演習の課題に即し、参加者各個人にレポートを課し、県社会福祉協議会職員と研修講師である筆者とがコメントし、さらに加筆修正をしてもらって提出するというサイクルを試みた。
最も、典型的に取り組んでくれた県社協は佐賀県社協の小松美佳さんである。その1例が多久市の北島暁さんの「問題解決プログラム企画立案書」である。これは、1月に行われる佐賀県市町村社協役職員研修で発表されるものなので、1月末までは取り扱いに注意してほしい。
(3) 岩手県のCSW研修では、アウトリーチ型のロールプレイをビデオに収録し、その後それを再現して、検証した。これからは、ビデオ活用も考える必要がある。
(4) 富山県では、小グループごとにパソコンとプロジェクターを用意し、グループ討議の内容をあらかじめ入力してあったシートに打ち込み、映し出して論議するという方法を取った。これからは、ICTを活用した研修を考える必要がある。
(5) 今までの研修では、県内や市町村の社会福祉に関わるデータを無視して、一般的に論議し、研修をしていたが、研修を通じて県内、市町村ごとのデータを踏まえた論議と問題解決のプログラムを創る必要があるとの認識から、富山県、千葉県では県内の社会福祉に関するデータ、政策に関わる資料を収集し、ファイル化して使えるようにした。今では、上記に挙げた県社協はすべて資料集を作っている。
ただし、この資料集を十分に使った研修ができてない。時間の制約がどうしてもある。市町村社協職員は、行政に説明する場合なども考えて、この資料集を活用して“数字にも強い職員”にならないといけない。
(6) 各県のCSW研修は、初学者、初任者でなく、国家資格や一定の経験を有している人を対象にしているので、座学はあまり時間はいらないと思っていたが、それなりに時間が必要である。
各県の研修では『コミュニティソーシャルワークの理論と方法』、『コミュニティソーシャルワークの新たな展開』を使っていただいているが、CSW研修用に、この2冊から必要な部分を選択し、アレンジして新たな教材を作る必要がある。それを座学で行うか、e―ラーニングで行うかは今後考える必要がある。
(7) 事例検討の仕方は、最初に事例全体の報告をしてから行うのではなく、最初は事例の概要を報告してもらい、その報告された概要に基づき、どのようなアセスメント、聞き取りをしないと援助方針が立てられないかということを認識させる必要性から、報告された概要に基づき、確かめるべきアセスメント項目、聞き出すべきアセスメント項目を、まず参加者個人がポストイットに書いて書き出す。それを基にグループごとに類型化する。この作業を通じて、個々人のアセスメントの視点と枠組が偏っていることを認識させる。その際に、「社会生活モデルに基づくアセスメントの視点と枠組みシート」を使う。
その後、事例は具体的にどう展開したのかを報告してもらい、それでよかったのか、望ましい支援方針はどういうことが考えられるのか“夢のある支援方針”を立案してもらう。岩手県では、この部分に時間を割いたが、あまりにも参加者が制度の枠組みや固定観念に囚われて支援方針を考えていたので、“夢”を語ってほしいと述べた。
事例は、参加者が抱えている困難事例か、県内にある実際の困難事例を使う。できれば、事例報告者には事例に基づく演習が終わるまで参加してもらう。
具体的事例を扱うので、改めてプライバシー保護を徹底化させる。必要なら、事例は回収する。
(8) ソーシャルサポートネットワークづくりに関する演習の成果物で、これはというものは今のところ把握できていない。大阪府の社会福祉法人の地域貢献とコミュニティソーシャルワークの研修の中から、素晴らしいものがでてくる予感がしている。
今後深めないと意見兄分野で、住民の差別、偏見をなくす福祉教育なども視野に入れて取り組みたい。この部分こそが、「地域共生社会政策」の具現化の“象徴”である。
(9) 本来、ここに情報提供しているプログラムや演習シートなどは、商標登録や著作権の対象となるものであるが、我々社会福祉関係者はお互いの資質、能力、力量が向上し、福祉サービスを必要としている人々の生活が改善されることを願って仕事をしているのであるから、そのような制約はかけない。その分、多くの関係者が努力していることに“思い”を馳せてほしい。
(10) 演習の進め方については、演習の課題に即して、まず個人作業をすることが大切。個人作業を通じて、その課題に関する自らの認識、力量を自己覚知することが重要で、最初からグループ討議をしてしまうとその自己覚知の部分が確認できない。
その後、小グループごとに討議をするが、その過程で自分の作業と他の人の作業とを比較する中で、自分を見つめ直す機会とする。
小グループで演習課題に関する課題を完成させ、全体会で発表し、研修講師が座学で学んだことを事例、達成課題に引き付けてコメントする。
(「老爺心お節介情報」第18号、2020年12月24日)

我是他非

いつも 正しいとは限らない
人は ときどき過ちを冒す
でも 私が正しいから あなたが間違っている
そう思う心に さもしい傲慢さを感じる
正しいのかどうか 心に手をあてる勇気はあるか

一つのことを為したときに
その考え方ややり方が 正しいのかどうかは
その結果として 明らかにされるだろう
考え方が正しくとも 方法に間違えがあれば
結果が良くても 決して正しいとはいえない
そもそも考え方が間違っていれば
方法も結果も 論外となる
それを承知でやろうとする悪意に 平伏してはならない

正しさとは何か
道理にかなわぬことを 正しいと主張する
卑しいことを 正しいと嘯(うそぶ)く
貶(おとし)めることを 正しいと偉ぶる
贔屓(ひいき)にすることを 正しいと味方する
差別することを 正しいと見下す
優遇することを 正しいとゴマをする
批判されることを 正しいとごり押しする

彼らのおもいは ただ一つ
私は正しく 他人は間違っている
数の力を頼りに 
そう信じ込ませることこそ
民主主義を冒涜し 民意と離叛する
亡国の政治なり
 
虚言に惑わされず 妄信を排除する
道理の是非を判断し 間違えを正すことこそ 
正義なり

〔2021年1月2日書き下ろし。民の賢さが試される年の始まりである〕

大橋謙策/地域共生社会をめざす社会福祉―ケアリングコミュニティの形成(「老爺心お節介情報」第17号、2020年12月19日)

日本医事新報社が電子コンテンツで、日本社会事業大学専門職大学院の鶴岡浩樹教授の編集により、2018年度から「福祉発。拝啓、お医者さま。」を連載してきました。
私も執筆を求められ、最終回に「地域共生社会をめざす社会福祉―ケアリングコミュニティの形成」と題する拙稿をアップしました。その原稿です。
この連載には、日本社会事業大学の菱沼幹夫先生や日本社会事業大学専門職大学院の木戸宣子先生も執筆しています。
日本医事新報社が電子コンテンツは、下記のURLから会員登録をしますと、無料で閲覧できます。連載されたものも見れます。https://www.jmedj.co.jp/premium/welfdoc/
是非、社会福祉関係者が医療関係者に何を発信したのか読んで下さい。

おわりに:地域共生社会をめざす社会福祉―ケアリングコミュニティの形成
登録日:2020-12-11最終更新日:2020-12-11
(公財)テクノエイド協会理事長
NPO法人日本地域福祉研究所 理事長
日本社会事業大学名誉教授
大橋謙策

厚生労働省は,2015年9月に「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現―新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン―」を公表し,2016年7月に厚生労働大臣を本部長とする「地域共生社会実現本部」を立ち上げ,「地域共生社会政策」を推進している。厚生労働省によれば,この「地域共生社会政策」は1961年の「国民皆年金皆保険」,2000年の「介護保険制度」に匹敵する「戦後第3の節目」と位置付けられている。
その「地域共生社会政策」は,子ども,障害,高齢という従来の属性分野ごとの縦割り社会福祉行政を是正し,全世代交流・支援型のサービス提供システムによる地域での自立生活支援の促進である。ややもすると潜在化しがちな福祉サービスを必要としている人々をアウトリーチし,ニーズキャッチを行い,必要なら新たなサービスの開発や個別支援のソーシャルサポートネットワークをつくり,それらの人々の地域自立生活を支援する「重層的支援体制」を構築することをめざしている。と同時に,地域から孤立しがちな,時には蔑視,差別されがちな福祉サービスを必要としている人,家族の社会参加を促進し,地域で包摂できるように,コミュニティソーシャルワークの展開によるケアリングコミュニティの形成を目的としている。
戦後の社会福祉行政は,社会的生存権と位置付けられる憲法第25条に基づく「健康で文化的な最低限度の生活の保障」を標榜してきた。その規定の歴史的意味,位置付けは大変重要であるが,それは1995年の社会保障制度審議会勧告でも述べているように,戦後の社会福祉行政をややもすると救貧的な“最低生活の保障”にしがちであった。
筆者は,1960年代末から,社会福祉は国民のセーフィティネットとしての機能を明確化した憲法第25条とともに,憲法第13条に基づき,福祉サービスを必要としている人も含めた“生きとし生ける者”の自己実現を図る幸福追求権をも法源として位置付け,社会福祉のあり方を考えるべきであると指摘してきた。1995年の社会保障制度審議会の勧告「社会保障の再構築」は,まさにその点を謳ったものであった。
また,1970年頃から従来の労働経済学を軸とした古典的,経済的貧困への金銭的給付による支援のみでは解決できない「新しい貧困」問題が登場してくる。「新しい貧困」と呼ばれる生活問題を抱えている人,つまり何らかの事由により地域での自立生活が脅かされ,地域で孤立し,多様な生活のしづらさを抱えている人々を支援する方法は,国の生活保護制度等に代表されるような所得保障だけでは生活問題を解決できず,地方自治体レベルでの対人援助としての社会福祉(ソーシャルワーク機能)を展開できる地域福祉の具現化が必要であると考えられるようになってきた。1970年頃に,“地域福祉は社会福祉の新しい考え方”といわれたが,今,まさにその新しい考え方が「地域共生社会政策」として政策化され,具現化されようとしている。
イギリスが1970年に「地方自治体社会サービス法」を制定し,パーソナルサービス(対人援助)を地方自治体において全世代対応的に,属性分野を超えて総合的に展開したように,日本でも1960年代末から「新しい貧困」に対応する地方自治体レベルでの在宅福祉サービスの整備や地域福祉の展開が求められるようになった。
生活のしづらさを抱えている人々の地域での自立生活支援をしていく場合,それらの人々は単身者ばかりでなく,複合的な多問題を抱えている世帯も多い。とすれば,その支援のあり方は,病院や入所型施設での単身者への,いわば「医学モデル」と言われるアセスメントとは異なり,地域における社会生活を支援するという「社会生活モデル」に基づくアセスメントが必要になる。
しかも,従来の社会福祉は,これら生活のしづらさ等を抱えている人を“社会病理的”にとらえ,「医学モデル」により“治療”しようとする考え方が強くあった。そこには社会福祉の分野において労働経済学に影響を受けた“経済的自立と働くための身体的自立論”が底流にあった。それらに加えて,1981年に提唱されたICIDH(International Classification of Impairments, Disabilities and Handicaps;国際障害分類)に大きな影響を受けて心身機能の障害を診断し,それを起点に支援を考えるというとらえ方が強く,本人の自己実現,幸福追求を図る地域での自立生活支援という「社会生活モデル」に基づく支援の視点,方法は十分でなかった。
憲法第13条に基づく支援のあり方を考えれば,地域生活支援には生活技術的・家政管理的自立支援や精神的・文化的自立支援としての学習,文化,レクリエーションの重要性などに当然気が付かなければならない。また,社会関係的・人間関係的自立がうまくできていない生活のしづらさ,障害のある人を地域がどれだけ“許容”し,排除することなく,それらの人々を日常的に地域で支えてくれる家族や親類以外のソーシャルサポートネットワークがなければ地域で生きていくことが困難である。
ようやく,世界保健機関(World Health Organization;WHO)により2001年にICF(International Classification of Functioning, Disability and Health;国際生活機能分類)の考え方が提唱されたことにより,環境因子の重要性は指摘された。しかしながら,いまだ社会福祉実践においては福祉サービスを必要としている人本人の意思を尊重し,意思を確認しつつ,時にはそれらの人びとの意思形成支援も含めてその人の生活環境を改善し,福祉機器の利活用を進め,社会参加,自己実現を図るという実践は必ずしも十分展開されているとは言い難い。
ところで,様々な生活のしづらさを抱えている人,家族を地域で支えていくためには,①従来の縦割り社会福祉行政では対応しにくい。子ども・障害・高齢者問題という全世代に対応できるワンストップの総合相談窓口が,身近なところに設置されているというシステムの問題(「福祉アクセシビリティ」),②あるいは福祉サービスを必要としている人,家族の“求め”と,専門職の視点から,専門職が地域自立生活に“必要である”と判断し,活用できる制度的サービスを組み合わせてつくられたケアプラン,その両者を突き合わせて福祉サービスを必要としている人と専門職との合意に基づき,総合的,統合的にサービスを提供するケアマネジメント機能(専門多職種連携によるチームアプローチ),③さらには,福祉サービスを必要としている人の生きる意欲,生きる希望,生きる力を支え,励まし,その人の生活者としての主体性を確立するための“伴走的”支援の展開,④それらの人々を地域から排除することなく,かつ孤立させず,それらの人々を支えるソーシャルサポートネットワークを,福祉サービスを必要としている人ごとに構築することが求められている。⑤地域自立生活支援においては,“点と点”をつなげるサービス提供だけでは,社会的孤立を産み出しかねず,孤立させないためには,地域住民によるインフォーマルなソーシャルサポートネットワークづくりとフォーマルな制度的サービスと有機的に結び付けて,統合的に提供できるコミュニティソーシャルワークを展開できるシステムを日常生活圏域ごとにつくることが重要になる。
ところで,日本は,現在人口減少社会に入ってきており,かつ全国に約1750ある市町村は“限界集落”,“消滅市町村”の危機に陥っている。
このような中,地域の医療,介護,福祉は従来の重厚長大的産業構造の時代には考えられないほどその位置の比重が増している。産業別従事者数においても,厚生年金や障害者基礎年金等の受給額,あるいは医療保険による給付額においても,医療,介護,福祉の分野は市町村において,大きな比重を占めている。
全国にある約10万カ所の社会福祉施設(介護保険施設も含む)で使用する食材を,学校給食における“地産地消”率と同じように考え,地元の農業,漁業,林業関係者を組織し,契約栽培し,その食材を活用すれば,地域経済は活性化する。
また,高齢化した農業従事者と就労の機会を得たい障害者との“ニーズ・シーズのマッチング”をすれば,新たな労働力の確保になり,「農福連携」が街づくりにつながる。
筆者は1990年から「福祉のまちづくり」ではなく,これらの比重を増した医療,介護,福祉を活かした「福祉でまちづくり」を標榜してきたが,まさに今それが求められている。医療,介護,福祉を基軸としたソーシャルイノベーション,ソーシャルビジネスこそが持続可能な社会目標(Sustainable Development Goals;SDGs)を達成できる。
このような地域自立生活支援のシステムづくりや「福祉でまちづくり」に取り組むことによって,従来「福祉国家」体制以降つくられてきた地域住民の社会福祉観を変え,社会福祉関係者や住民の行政依存的社会福祉体質を改め,住民と行政の協働による地域共生社会づくりが実現する。それこそが,市町村を基盤とした住民参加による,自律と博愛と連帯による社会システムとしての「ケアリングコミュニティ」の実現である。
そのためには,福祉サービスの適切な利用ができる主体形成,地域福祉を支えるボランティア活動を行う主体形成,市町村の地域福祉計画策定と進行管理に参画できる主体形成,そして対人援助としての社会福祉を介護保険や医療保険等の社会保険制度の面から支える社会保険契約主体の形成といった4つの地域福祉の主体形成を図ることが重要になる。そのためにも,自分の住む地域を愛し,地域を良くするために能動的に活動できる“選択的土着民”を増やすことが今喫緊の課題である。

大橋謙策/3度の“断捨離”に残った本(「老爺心お節介情報」第9号、2020年8月19日)

私は、今まで自分の蔵書、資料の“断捨離”を3回行った。
第1回目は、日本社会事業大学を退職する2014年3月で、日本社会事業大学の研究室の蔵書、資料を4月からの赴任先である東北福祉大学に送った。通称「大橋文庫」という形で、東北福祉大学大学院のキャンパスであるウエルコム21の1部屋に収蔵頂いた。
第2回目は、2014年~6年に掛けて、私の旧宅の2階の書庫(鉄筋コンクリートで耐震性を担保した、図書館にあるような移動書架が4連ある)の“断捨離”である。この書庫には、大学院時代古書店を訪ねて購入した図書、教育学関係の図書等自分の研究履歴が分かる図書と同時に、実践に関わる資料が大量にあった。戦前、戦後初期の図書は、大学院生当時で金がない中購入したにも拘わらず、当時の紙質が悪く、残念ながら古紙として処分することにした。また、資料も見れば自分の実践、研究の礎になった貴重なものだと思いつつ、それを整理する余裕がないだろうと判断し、これも古紙で処分することにした。引っ越し用のダンボールで約50箱になった。処分した本、資料以外の残りの蔵書、資料は、これも東北福祉大学大学院の「大橋文庫」に収蔵して頂いた。
第3回目は、今年の新型コロナウイルスに伴う“自粛生活”のなかで、新宅に作った書庫及び書斎の整理をした際である。自分が執筆した論文、エッセイ等を1960年代以降、年代別に整理し、ファイルボックスに収納した。この機会にも、副本として残していたものや抜き刷りの類のものは最低限日本地域福祉研究所の関係者に配れればと思い、研究所に送ったが、多くは古紙として処分した。
この3回に亘る“断捨離”は自分の身が切られるような思いと自分がもう研究者としては“用済み”になるんだという思いが錯綜し、何とも複雑な気持ちとその本の価値、資料の価値を考えるとまだ持っていた方がいいのではないか、誰かこれを必要としている人がいるのではないかという思いの中での断腸の思いでの“断捨離”であった。
私の蔵書購入は、目の前の研究、原稿書きに必要で購入したもの、自分の研究の幅を拡げ、知見を深めるために購入したもの、人間としての人格形成、教養を高めるために購入したもの等様々な要因で購入したものの、全てを読破はできておらず、“積む読”の類のものも多々ある。
そのような中で、3度に亘る“断捨離”でも捨てきれずに、後で詠もうとして手元に残した本が3種ある。その一つが表記の『日本人とは何かーー神話の世界から近代までその行動原理を探る』(上下、山本七平著、PHP研究所、1989年9月刊)である。
他は、草野心平著『わが賢治』(1970年刊、二玄社)、『わが光太郎』(1969年刊、同)と『現代語訳 特命全権大使米欧回覧実記』全5巻(久米邦彦編集、慶應義塾大学出版会、2005年)である。
草野心平氏の本は、当時、草野心平氏が新宿大木戸で、バー「学校」を経営しており、そこに連れていかれては、“おまえは教養がない。文学が分かってない。せめて、草野心平氏の本でも読め”と言われて購入していたものの精神的、かつ時間的余裕がなくて、“積む読”になっていた本である。『特命全権大使米欧回覧実記』の方は、幕末から明治に掛けて重要な役割を担った人々が、当時の日本と当時の米欧をどう比較してみていたのかを知りたいという思いから購入したが、これも“積む読”であった。
山本七平氏の本を読まなければと思った背景、動機は、大学院時代(1960年代末から70年半ば)に、戦前の『日本の社会事業の本旨、社会事業の鑑』と位置付けられた井上友一の「風化行政」の研究の中で、“風気善導”に二宮尊徳の報徳思想が使われ、一方でイギリス等での救貧制度の歴史における“惰民養成”、“スティグマ”論等を学ぶ中で、社会福祉の目的、社会福祉の哲学、社会福祉の原理とはなにかを考えざるを得なかった。そこには、日本的文化、歴史が関わっているはずで、それを抜きにしたイギリス救貧制度史、アメリカ社会福祉方法論(ケースワーク等3類型)では説明できないのではないかという問題意識があった。
同じように、日本人はマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を良く活用するが、日本の資本主義の発展と社会福祉との関係をどう考えたらいいのだろうか。山本七平氏は『日本資本主義の精神――なぜ、一生懸命働くのか』(光文社、1979年)も刊行しており、日本人の勤労観、生活観と社会福祉との関係も研究しなければならないと考えていたからである。
そのような日本の社会福祉の思想、社会福祉の哲学、社会福祉の文化をどう考え、位置付けるかに悩んでいた当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用され(『現代社会福祉論』時潮社、1971年)、「社会事業諸技術の文化的基盤」という論文で、“生活の主体性を考えると、その主体性を生み出す文化的基盤”の問題があると指摘されているのを読み、日本の文化と社会福祉、日本人の行動原理と社会福祉などに関心を持った。その分野の研究をする必要を感じ、“頭を突っ込んだ”が、それは文化人類学、社会人類学等の膨大な文献を読まなければならないと分かり、挫折した(一番ケ瀬先生もその研究を深め切れていない。一番ケ瀬先生が再度、福祉文化に関心をよせ、「日本福祉文化学会」を1989年に創立されているが、その“福祉文化”の考え方は1971年当時の“文化”の位置づけとは異なる)。
他方、地域福祉と社会教育との学際研究における地域づくりを考える上で、社会教育行政は重要であり、その社会教育活動を規定する社会教育法第3条、“国及び地方公共団体は、・・・全ての国民が・・・自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない”と規定しているが、この“実際生活に即する文化的教養”とはなにかと、これも考えさせられた。当時、戸坂潤の教養論とかに関心を持ち、読んではみたものの今一つ分からない。上記の草野心平氏の『わが賢治』等読まないと分からないのかと思いつつも、目の前の研究に追われ、読めないままに、書庫に眠っていた本である。
更に、地域福祉を推進するということは、地域社会の構造、地域住民の行動様式、生活文化、社会意識が分からなければ地域福祉推進の方法論など提起できるわけがない。“論語読みの論語知らず”の諺ではないが、地域福祉研究者としては、それらのことを深めなければならないと思ってきた。残念ながら、未だにこれだという結論に達していない。
この問題に関しては、日本地域福祉学会が財団法人安田火災記念財団から研究助成を頂きまとめた『地域福祉史序説』の継続研究として、学会として各県の地域福祉史をまとめようということで取り組んだ報告書で、研究ノートとして浄土真宗第8代門主の蓮如の普及方法と地域福祉の推進方法に関しての小論文を書いた記憶があるのだけれど、その小論文が手元にはない(持っている方がいたら是非コピーしてください)。
今回、3度の断捨離で残った山本七平著『日本人とは何かーー神話の世界から近代まで、その行動原理を探る』(上下)を読んで、今更ながら30年前に詠んでおけばよかったと後悔している。ただ、救いは、山本七平氏は、蓮如の普及方法と農村の惣村成立とのことを指摘されており、それは私も上記した小論文の中で指摘していたので、大変意を強くした。地域福祉推進においては、地域社会の構造、地域住民の行動様式、生活文化、社会意識が分からなければ進められないと常々言ってきたものとしては、同じことを山本七平氏も指摘し、多様な角度から“日本人の行動様式、行動原理”を明らかにしようとしていることが大変参考になった。
私は、1990年以降阿部欣也氏の世間体文化論、中根千枝氏のタテ社会論等を援用してソーシャルワークの考え方を整理してきたが、山本七平氏のようにもっと多角的に、深めないといけないと改めて反省をした。私を含めて“論語読みの論語知らず”の地域福祉研究者が多すぎるのではないだろうか。
いま、地域共生社会の構築が必要とされ、かつ新型コロナウイルスに伴っての新しい生活スタイル、行動様式が叫ばれているが、住民一人一人がどのような行動原理、行動様式を作り上げるのか、ボランティア論としても、福祉教育論としても深めないといけない課題である。地域福祉研究者はこの課題にどう取り組むのか、社会福祉協議会関係者はどう取り組むのか、“蔵書を断捨離し、研究者魂を失おうとしている”老爺の繰り言を聞いてもらいたいと思った。

撫でる力と愛でる力

嗚咽を堪える背中が 震えていた
そっと背中に手をあて 静かに撫でる
激しくあげた泣き声で 背中が揺れた
無言でゆっくり 背中を撫でた
呼吸はやがて 平時に戻ってゆく

弾(はじ)けたような笑顔が 全身を躍動させた
胸に飛び込んできた背中を 静かに撫でる
喜びの声を耳元で聞きながら 手に力がこもってくる
無言で力強く 背中を撫でた
頬はやがて 一筋の涙を感じる

癒やしの年
2021年(令和3年)が明けた
悲しみにくれた子らに
背中を撫でる人が そばにいてほしい
喜びに落涙する子らに
心を愛でる人が そばにいてほしい

まだまだ続くコロナ禍に暮らす子らに
「心配しないで」
言葉不要の 撫でる力を
不安や恐れに震えている子らに
「大丈夫だよ」
言葉以上の 撫でる力を
めげずくじけず夢織る子らに
「きみに会えてよかった」
言葉と共に 愛でる力を

〔2021年1月元旦書き下ろし。言葉以上の撫でる力と愛でる力をつけなければならない〕

市民福祉教育研究所/2020年のブログ/年間レポート

市民福祉教育研究所/2020年のブログ/年間レポート 

統計情報
2020年には、このブログは49,338回表示され、訪問者は23,587人を数えました。

2020年には、423件の新しい記事が投稿され、「提言・アピール」5件、「まちづくりと市民福祉教育」9件、「ディスカッションルーム」9件、「雑感」27件、「鳥居一頼の世語り」371件、「ブックレット」2件、合計で809件になりました。

検索キーワードと表示回数は、「不明な検索キーワード」6,838回のほか、「ボランティア拒否宣言」38回、「市民福祉教育研究所」32回、「鳥居一頼」22回、「社会的ジレンマ」19回、「はいまわる経験主義」19回、「村を育てる学力」16回、「大橋謙策」16回、「二項対立」16回、「阪野貢のホームページ」15回、「福祉の心とは」15回、等を数えました。

2012年6月25日にこのブログを開設して以来、2020年12月31日現在で212,632回表示されました。

注目記事
以下は、2020年に最もよく読まれた記事です。末尾の数字は表示数です。
(1)二項対立の思考:「分かりやすさ」の罠―仲正昌樹を再読する―/2017年12月25日/2,090回
(2)大橋謙策「地域福祉実践の神髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―」/2018年4月4日/1,399回
(3)「ボランティア拒否宣言」(1986年)再考:ボランティア活動は主体的・自律的で相互実現を図る活動である―資料紹介―/2018年10月6日/1,172回
(4)問題解決学習と“はいまわる経験主義”―資料紹介―/2014年4月11日/961回
(5)中庸 第23章/2020年4月9日/877回
(6)「共生」と「共に生きる」:寺田貴美代「社会福祉と共生」再考―資料紹介―/2016年3月22日/815回
(7)「滅私奉公」と「活私開公」―資料紹介―/2014年12月12日/786回
(8)地域福祉推進の基本的視点―福祉教育実践の内容と方法を考えるために―/2013年6月22日/778回
(9)大橋謙策「地域共生社会づくりとコミュニティソーシャルワーク」/2018年9月25日/758回
(10)追記/宇沢弘文と竹中平蔵という二人の経済学者:「定常状態」に関するワンポイントメモ―佐々木実を読む―/2020年3月11日/661回

以下は、「鳥居一頼の世語り」のなかで、2020年に最もよく読まれた記事(詩作)です。末尾の数字は表示数です。
(1)中庸 第23章/2020年4月9日/877回
(2)鳥居一頼のサロン(1):ボランティアという世界を生きて―いま、災害ボランティアについて思う―/2018年10月8日/522回
(3)鳥居一頼のサロン(5):「義理を果たす」「原則論の正体」/2019年6月19日/187回
(4)鳥居一頼の世語り:アーカイブ(2)/181回
(5)鳥居一頼の世語り:アーカイブ(1)/162回
(6)鳥居一頼「ステレオタイプ化された貧しい福祉意識からの脱却~授業『めだかのめぐ』で覚醒した藤女子大の学生たち~」/2019年8月9日/120回
(7)無報酬です(自治会役員と民生委員 その1)/2020年3月10日/91回
(8)美帆という名/2020年1月10日/61回
(9)コロナ禍で頑張る民生委員児童委員/2020年6月12日/43回
(10)学童保育は対象外/2020年2月28日/40回

読者の所在地
読者の所在地は、合計33ヶ国、( )内は表示数です。
人気の国は、日本(44,525回)のほか、アメリカ合衆国(4203回)、大韓民国(448回)、ベトナム(19回)、ドイツ(18回)、台湾(18回)、香港(15回)、マレーシア(15回)、ミャンマー(13回)、中国(9回)、オーストラリア(8回)、等です。

備考
このウェブサイトは、2021年1月1日より、市民福祉教育研究所の顧問・阪野貢(まちづくり、市民福祉教育)、主宰者・田村禎章(福祉教育、地域福祉)、鳥居一頼(地域福祉、学校教育)、共宰者・三ツ石行宏(福祉教育史、地域福祉)、宮脇文恵(福祉教育、教育福祉)、坂本大輔(地域福祉、福祉教育)、管理者・村上進(翻訳・教育支援)によって運営・管理されています。

大晦日の晩餐

コロナ禍で 多くの人が 苦しみと悲しみ
そして憤りを抱きながら 生きてきたことだろう
大晦日もなく正月もなく 日々コロナと闘う
エッセンシャルワーカーの方々へ 感謝と敬意を払いたい
闘病生活を強いられている方々へ 一日も早い回復を祈りたい
不幸にも亡くなった方々には 心より冥福を祈りたい
経済的不安を抱えながら年を越す方々へ もう少しの辛抱だと
伝えることが出来るなら どんなにかいいだろう
不安が明ける夜を じっと待つしかいまはない
厳しい年越しの日に 希望の光を感じたい

スーパーには正月の食材が 大量に並べられていた
北海道は 正月のおせち料理よりも
大晦日の晩に 一番のご馳走をいただく
慣習は いまも食卓を賑わす

母は忙しく立ち振る舞った
父は子どもらを銭湯に連れて行く
戻ってくると丸いちゃぶ台一杯に
料理上手の母の手料理が並べられていた

満面の笑みを浮かべながら
四人の子らは ご馳走をよそいでもらう
年に一度の贅沢な食事に 舌鼓を打つ
必ず子ども一人ひとりにつけるのは 鯛のお頭つきの焼き魚
大阪生まれの母の こだわりの一品だった
絶品は銀杏を入れた茶碗蒸し
弟は鶏肉のアレルギーで 母と同様肉なし
仕合わせな時間は あっという間に過ぎてゆく
8畳間に二つの布団を敷いて 子どもらが寝る支度
母は台所で片付けに忙しい
その音を聞きながら 眠りにつく
傍らで 父は独酌で飲み続ける
枕元には 正月の晴れ着もどきが置かれていた

貧しかった
余計に大晦日のご馳走は いまも鮮明に残る
新年を迎える旧年のケジメの大晦日
家族の1年間の無病息災を感謝した 神仏への祝いの膳
そこに仕合わせな時間が
確かにあったことだけは 揺るぎない事実だった

ものが豊かになり 季節感も消滅し
いつでも美味しいものを たらふく食べられる飽食の時代
大晦日の晩餐に満たされる 豊穣な〈時の喜び〉は知るよしもない
不幸な時代に生まれたことを知らず 心貧しく正月を迎える

大晦日 冬型の気圧配置が強まり 強烈な寒波が列島を襲う
コロナとと共に自然の脅威が 傲(おご)った人間たちを叩き続ける

〔2020年12月30日書き下ろし。大晦日の一家団欒の記憶の中に、心が満ち足りてくる時間があった〕

日開野 博「ボランティア/温故知新 木谷宜弘先生の軌跡からボランティア活動のこれからを見据えて」

【備考】
木谷宜弘氏の「生涯と思想と実践」については、徳島県社会福祉協議会のホームページに表示されている「木谷宜弘資料館」(Yoshihiro Kitani Archives)をご参照下さい。

間違えがわかるということ

自分で考えて
自分で動いて 感じてみて
ほんとにそれでいいのか 立ち止まってみて
考えたとおりになったら 一番だね
でももしかして 間違えていたらどうする?

そこが肝心なことなのさ
人から指図されて 動くときは
上手くいったとしても 感動も達成感もきっと宙ぶらりん
間違えにも きっと気がつかないでスルーする
もし間違えても 自分のせいじゃないって言い訳できる
そのときに 間違えを正さず
自分に嘘をつくようなことを 平気ですることを覚えると
自分も人も騙し続けて 生きることになるんだよ

でも自分で考えて決めて動いたときには
これでいいのかなって 少し心配しながら
自分で決めたんだから やるしかないと頑張れるんだ
上手くいったら 感動も達成感も半端ない
でも 間違えてしまったらどうしよう!

間違えるのは誰でもあるけど そこなんだ
立ち止まって考える 
考えていたことと違う こんなはずじゃなかった
このまま続けられない 続けてはいけない 
誰かに迷惑をかけてしまう
大事なのは 
自分で決めたことだから 間違えに気づくんだ

間違えは いつでも誰にでも起こる
自信を持ってすることって 滅多にないよね
ときには誰かの助言も 必要かも知れない
結局は 自分で決めてすることだから
諦めたくなければ 間違えを正して やり直すしかない

自分で考えて動くということは
正しいと思うことに 心が動かされていくこと
でも間違えが分かるというのは 
正しいかどうかを判断する力が 
自分のなかに育っているということなんだ
心の物差しで測る力が 備わってきている証拠だよ

大人になるまでに
たくさん失敗しながら
正しいかどうかの心の物差しを身につけること
正しいと思うところを判断して 行動すること
いま君が自分で考えることを 人に委ねていたならば
君は君自身ではなく その人に操られる人形だね
そもそも そこから間違えに気づかなきゃいけないんだ

大人になるって
自分で決めることや
責任を持って行動することを
少しずつ増やしていくことなんだ
でも残念な大人は 子どもに失敗させまいと 
先回りして いい思いだけをさせようとするんだ
なんでも出来るって 変な自信を持ってる子っていないかい
だから 間違えが何かも知らず
失敗すると立ち上がれない やわな子がたくさん育ってしまうんだね

でも君は違う
間違えを間違えとわかるだけでも 凄いことなんだ
失敗にめげずに 自分で決めたことにトライする
そうして大人になったときに
自分が何をすべきか きっと分かって生きていくことだろう

いますぐ大人にならないわけは
子どものうちから
間違えを正して 自分を正しく導き
君らしく生きる 基本のきの字の力を 
君を愛する人たちの力をもらって
自分で育てなければならないからさ
そうして 
自分を信じる強い力が 生まれてくるんだよ

〔2020年12月28日書き下ろし。間違えを正すことなく平然と嘘偽りに身を預ける輩への警告と、善なる行為も時に間違えを冒すこともあるが間違えに気づく力こそ自己成長のキーとなるのでは〕