阪野 貢 のすべての投稿

子らが導く世界へ

子らは いまの時代に生まれて仕合わせなのか
どうしても避けられない 困難を抱えたコロナ禍社会
もがきあえぐ子らに さらなる試練と苦痛を容赦なく与える
耐えて忍ぶ子らに 母のぬくもりだけが救いとなる

乳飲み子を抱えた母に 産後鬱の病魔が襲う
呑み込まれぬよう 自死への誘惑を拒否する
まるで天使のようなまなざしに ときに己を取り戻す
泣き声に疲れた母は 一時の安らぎを求める 
されど 人とのつながりを断絶され孤立する

しばれが融けぬこころの澱に 惑わされ
苦々しくおもいも立つが 堪(こら)えて生きる
辛抱強さが この子に鍛えられる
つかの間だけど この子の満面な笑顔に救われる
かわいさが愛しさに深まる この子を授かった喜び
凜として生きることの不思議な力を 与えてくれる

遠くない明日に きっと仕合わせになれると信じて
夢中になれる子育てを 与えてくれた喜びに感謝する
今日も幼児(おさなご)が導く世界に 心遊ばそう
明日の元気をもらおうと ハグする両手に力が入る
親になった喜びと子育ての苦楽を たくさん味わいながら
運命と諦めず コロナ禍の不安を逞しく乗り越えたい

まだまだ収束しないまま コロナに翻弄されて年を越す
健気(けなげ)な幼児を護る母たちの奮闘は これからも続く
涙と笑いをかもす幼児たちは 慈愛の世界を繰り広げるだろう
いつしか 母と子の織りなす心が 仕合わせづくりの道へと導く

〔2020年12月28日書き下ろし。子どもの数が減少することを嘆くよりも、子育てをしっかりと社会が担わなければならないことを知らしめよう〕

付記
今年の出生数、85万人割れ見通し コロナで少子化加速
日本の少子化に歯止めがかからない。今年の出生数は昨年を約1万7千人下回り、85万人を割り込む見通しだ。統計を始めた1899年以降で最少となる。新型コロナウイルスへの感染が拡大する中、妊娠の届け出件数は前年を下回って推移しており、来年の出生数は80万人を割り込むとの見方も出ている。
今年1~10月の出生数(速報値)は、前年同時期を約1万7千人(2・3%)下回って推移している。厚生労働省は10月までの出生数のほか、死亡、婚姻、離婚の届け出数などをもとに、年末にその年の人口や出生数などの推計を公表している。今年は「新型コロナの影響で不確定要素が多い」として公表を見送ったが、出生数について例年の計算式に基づいて推計すると、今年は前年比2%減の84万8千人程度になる。初めて90万人を下回って「ショック」と言われた昨年の86万5239人からもう一段、落ち込む公算が大きい。
国内の出生数は、第2次ベビーブームの70年代前半以降は減少傾向が続き、16年に戦後初めて100万人を割り込んだ。国立社会保障・人口問題研究所が17年に出した人口予測では、出生数の90万人割れは20年、84万人台になるのは23年と見込んでおり、想定を超える速度で少子化が進む。(朝日新聞社 2020年12月28日)

大橋謙策「コアプアのとらえ方とソーシャルワーク」(「老爺心お節介情報」第18号、2020年12月27日)

1982年、筆者は三浦文夫先生とスウエーデン、ドイツ、フランス、イギリス等のヨーロッパ諸国における“行政とボランティア活動に関する調査研究”に出掛けてた。この調査研究は財団法人(当時)行政管理研究センターに委託を受けて行われた研究活動の一環であった。この調査研究は、1983年3月に『行政とボランティア活動に関する調査研究結果報告書』として刊行されている。
この調査研究で尋ねたフランスの「カトル・モンド」(Quatre Monde)という団体は、フランスの日本大使館から紹介されて尋ねた団体であったが、都市の下層社会に滞留する“コアプア”と呼ばれる人々への生活支援をしている団体であった。「カトル・モンド」とは、日本語に訳せば“第4世界”という意味である。当時、三浦先生と”第4世界“という用語は初めて聞く用語で、戸惑ったことを覚えてtいる。その際、団体の担当者から言われたことは、”あなたたちは、社会保障・社会福祉が整備されれば、貧困問題等は解決できると思っているだろう。我々が支援している人々は、制度では解決できない問題を抱えている人達で、今ヨーロッパ諸国はこれらの人々が都市に滞留し、大きな問題になっており、それを解決・支援するためにボランティア活動を行っている。そのボランティア活動は、生活技術を教えるとか、社会生活のマナーを教えるとか、子育ての仕方を教えるとか、社会関係の持ち方を教えるとかの活動をしている。したがって、ボランティアの中には教師や弁護士等も多くいるということであった。この話を聞いたとき、筆者は1970年頃の日本での「新しい貧困」の問題を思い浮かべた。
日本に帰国後、日本社会事業大学の吉田久一先生等にこれらの話をした際に、吉田久一先生から歴史的には“コアプア”と呼ばれる問題が昔からあったよと言われて、改めて社会福祉制度だけでは解決できない問題の重要性を認識させられた。
話は変わるが、筆者は下の図のように「社会福祉学の性格と構造」を考え、それを2000年当時図式化した。
この図で、社会福祉学の研究や社会福祉実践を“社会福祉の制度”から始めるのではなく、かつ“制度に依拠するだけでなく”、そもそも社会福祉学や社会福祉実践は何を目的にするのか、どこに価値を置くのか、社会福祉の哲学は何なのかをきちんと踏まえたうえで考えないといけいないと常々考えてきて、この図になった。それは、自分自身、社会福祉の目的、理念を体系だって教えられてなく、いつも社会福祉制度から始める、考える研究や実践方法になじめなかったからである。
全国各地の研修の度に、社会福祉関係者の「人間観の貧困」、「貧困観の貧困」、「生活観の貧困」の希薄さに接してきただけに、社会福祉関係者に常に自らの「人間観の貧困」、「貧困観の貧困」、「生活観の貧困」の問い直しを促してきた。今月行われた岩手県のCSW研修でも、“事実は小説よりも奇なり”という複雑な、困難事例に対し、あるべき支援方針を立案する際に、参加者の「人間観の貧困」、「貧困観の貧困」、「生活観の貧困」に驚き、ワークショップ中に、もっと“夢を語ろうよ”と言葉を投げかける場面があった。介護支援専門員や障害者相談支援員、社会福祉協議会職員の社会福祉実践の目的、哲学、価値はどういうように形成されてきているのであろうか。
そんな折、國友公司著『ルポ西成――78日間のドヤ街生活―』(彩図社)を読んだ。この本を読んで、私の社会福祉学や社会福祉実践の目的、価値、哲学は性善説に裏打ちされた“甘っちょろい”ものなのかと突き付けられた。学部学生時代、釜ヶ崎、山谷、寿町を訪ね、それなりに分かっていたつもりであったのはなんだったのだろうかと考えざるを得なかった。
それと対比する意味で、『獄窓紀』(ポプラ社)を書いた山本譲治著の『累犯障害者』を読み直してみた。
地域生活定着支援センター等の制度を法務省や厚生労働省に働きかけて創設してきた山本譲治さんの人間観、障害者観と国友公司さんとの取り上げ方は違うにしても、その底流にあるのは、“人間が人間になる可能性をもって産まれてきた以降の幼少期にどのような生育過程を経ている”かが問題であり、それを十分理解し、その問題に対応するソーシャルワーク実践を考えないと“本来の救済にはならない”ということであろうか。
かつて、山口利勝著『中途失聴者と難聴者の世界』(一橋出版)を読んで、心身機能の障害から障害者のことを理解することの誤りに気付かされたが、今回の2冊の本でも同じことが言える。山本譲治さんが『累犯障害者』の中(P228)で“ほとんどのろうあ者は、手話で考え、手話で夢を見るそうだ”と書いているが、このことの意味は大きい。
『ヴァルネラビリティへの支援――ソーシャルワークを問い直す』を書いた沖縄大学の玉木千賀子さんの博士論文指導の中で、“ヴァルネラヴルな人々の生育過程における言語環境の重要性”に着目するようにと言い、ピアジェやヴィゴツキーの“言語と思考”の関係の本を読んで、深めるようにと指導したが、國友公司さんも山本譲治さんもまさにその重要性を指摘している。
筆者も含めて、社会福祉関係者は「ナラティブ」の重要性をここ30年ほど強調してきたが、自分自身どれだけ「ナラティブ」の問題を深め切れていたのかとこの2冊の本を読んで自戒させられた。
ここに挙げた本を機会を見て読んで、自らの「人間観の貧困」、「貧困観の貧困」、「生活観の貧困」を問い直してほしい。

私は何もの?

1977年 小学校で青少年赤十字(JRC)の担当者になった
校内で 福祉教育やボランティア学習を論ずる
研究者ではないから 理論は軽薄かつ軟弱
理論研究するには 専門的知見に欠けた
理論武装は非力で 共感的理解を得ることは難しかった
暗中模索の中 文献を書き写し資料づくりに精を出した
全校の年間活動計画は その裏付けになる理論と実践の展望を提起した
反論もなく受け入れられ させられているという事態が続いた
学担の意識格差で 子どもの動きは全く違った
孤立無援 地団駄を踏みながら あがき続けた
ただ書くことだけは 怠らなかった
実践の拙い記録が 唯一の自己存在の証だった

転機が訪れた
1985年 札幌で開催された「ボランティア愛ランドフェスティバル」で出会った
世界のボランティアの父 アレクディクソンに教えを乞う
エピソードから 伝えるべきメッセージを導き出せと
実践の現場を持ちながら 学ばなければならないことを
学び得ていない事実を 突きつけられたのだった
才学に貧しい者が 人前で話す機会が多くなった
難しい言葉を並べて 知ったかぶりして語ることをやめた
書き物にも エピソードから学んだ福祉やボランティアのエキスを盛った
子どもとの学びの世界に 福祉教育の大きな可能性を見出していった

小さな世界に籠もっていることが 苦痛になった
1986年 道社協福祉教育専門委員会の委員を委嘱された
普及啓発に道内を 時には道外に飛んだ
話のネタはカードに記録し いまも4千枚万ほど手元に残る
依頼された原稿の資料にも 活用した
講演のテープ起こしで 不足部分を追記して原稿を書き上げた
多くは冊子や記事となり 福祉や教育の関係者の目に触れていった
北海道新聞で「ボランティアいろは塾」というコラムも連載した
たった三人で「北海道ワークキャンプ研究会」を立ち上げた
ワークキャンプの普及啓発と指導者のネットワークづくりを目指して
情報誌二千部の発行と 全道ワークキャンプ指導者セミナーを運営した
時には道日赤に依頼され 日本で初めてボランティアを全面に出した
「全道日赤ボランティアセミナー」の企画と運営を担った
92年 釧路根室管内の子どもたちを主人公に 彼らが企画運営する
「道東圏ヤングボランティアフォーラム」(通称ヤンボラ)を開催した
2003年 12年続けた事業にピリオドを打った
実行委員長だった子は 福祉を研究する大学人となった
その流れは 99年秋田県北の大館・比内・小坂・鹿角のヤンボラ開催につながり
全国でも稀な広域事業として 17年間続いた
95年1月阪神淡路大震災が起こり「ボランティア元年」と言われた
8月「ボランティア愛ランド北海道in札幌」が開催された 
七百名のキャパを埋め尽くした大ホールで 参加型のワークショップを展開した
全道各地から集まったボランティアを 歓喜の渦に巻き込んだ
98年「第30回全国ボランティア研究集会」 札幌を中心に全道各地で開催した
「わたし発ボランティア文化の創造」をテーマに 三千人近い参加を得た
その運営を担ったのは 96年札幌市民を中心に草の根運動を立ち上げた
「ボランティアネットワーク自遊人」の面々と
全道各地の社協マン そしてボランティアだった 
99年1月「自遊人」を発展的に解消した
それらの運動の集大成として 全道のボランティア振興の核になる
ボランティアコーディネーターの資質の向上とネットワークを目指し
全国に先駆けて「北海道ボランティアコーディネーター協会」を設立した
2013年 ボランティアで運営してきたNPO法人を取得していた協会を解散
ボランティア振興の一時代にピリオドを打ち 一市民に戻った

理論研究者にはなれなかった
実践者ではあった
ただ覚醒したのは 市民運動へのモチベーションだった
関係団体や機関に助言し事業を企画する
市民として福祉やボランティアを学び まちづくりへの主人公となる
市民を巻き込み 市民が動き 市民に育てる
市民運動として 40年携わってきたこと
それが 自分の本分だった
社会福祉や教育に 弱い風を送り 小さな波を起こす
一人では出来ないから 一人でも始める
共感する仲間が集まり 共に動き出す
輪は大きくなり 意識変革運動となる
喜んで参画し そこで自らを輝かせ自己実現をはかる
その成長する姿を見ることこそ 男冥利に尽きるのかも知れない
まだ余力の残っているうちに 為さねばならない事がある
余人を以(もつ)て代えがたい事のケジメを つけなければならない 

〔2020年12月27日書き下ろし。理論、実践、運動の三つを兼ね備えることは難しい。ただその流れの中から確固たる運動は生まれてくる。まだ続けるエネルギーを多くの仲間からいただいていることにただただ感謝するのみである〕

物見遊山の烏合の衆

ハレの日だった
着飾った者たちが 桜の木の下に集まった
全国津々浦々から 招待をされてやってきた
雲上の憧れの人に出会う 一生の思い出の日だった

招待客の年々増加は 私物化と批判された
早々にリストはシュレッダーにかけられ廃棄された
処理に問題なしと 菅首相は平然と嘯(うそぶ)く

前夜祭の費用の支出が取り沙汰された 
23日 安倍元首相にはお咎めなし 
秘書に過失ありと 検察は不起訴決定
記者会見 謝罪を口にしながら 時に強気のごまかし答弁
記者もツッコミ弱く だれた質問続くだけ

25日 議員運営委員会の強弁は 狂言に似て非なりか
検察の不起訴を味方に 質問のかわし方は見事なり
気勢を削がれ ポイント外され イラつく野党は非力なり
さすが手練れの国会答弁 独壇場と化し愉快なり
シナリオ通りの展開に してやったりのどや顔は眩(まぶ)しけり

知らなかった
みんな任せていた
見たことない
確認すれば済むことを することなしに
事実に反する発言
事実と異なる発言
言葉を操り 繰り返しごまかし続ける
言い方をどんなに変えようと
すべては虚言 嘘でしかない
金の出所も 秘書との関係も 釈然としない
くすぶり続ける疑念を 果たして追及できるのか

明らかになったこと
政治家の矜持(きょうじ)を捨てたこと
バッジに固執する小賢しい行いであること
嘘を言いくるめる正しい道徳を子どもらに教えたこと

謝罪の場は弁解の場となり居直り こう締めくくった
「9回選挙を戦ったが、常に圧倒的な勝利を与えられている」
ハレの日は 汚濁にまみれていった 

〔2020年12月26日書き下ろし。気勢を削がれたいつもの面々。相手は一枚も二枚も上であることの証明の場となっただけのことか〕

金澤昌子「めんけべしゃ」

ぐずって 泣ぐどご
泣き顔っこはじけで 泣き声出でくるこの一瞬
顔っこ崩れで こぼれだ涙っこ
めんけべしゃ

大きなま(・)な(・)ぐ(・)ど にらめっこ
ジッと顔見で 泣くべがと思ったこの一瞬
ニコッと まさがのほほえみ返し
めんけべしゃ

おいでってへば どだべがど
ゆっくり手っこ伸ばして 抱がさってきた この一瞬
ぽわぽわど あまいかまりの顔っこ
めんけべしゃ

匙(しゃんじ)たなぐどって 強順(ごんじょ)ぱって
顔っこ カマネゴになるこの一瞬
得意満足で にったり笑う
めんけべしゃ

ことばにならねばって 声だして
あっち見れって 手っこのべて
これがっておもちゃを とってやれば
いやいや ほれでねって頭っこふって ふくれがお
めんけべしゃ

裸っこになって 湯さ入れで
ちゃぽちゃぽ イタズラこの一瞬
にっこにこの 赤(あげ)え顔っこ
めんけべしゃ

めごくて めごくて
ただただ めごくて
包み込まれる いのちのぬくもり
めごくて めごくて
ただただ ありがとう
包み込む 二人の慈しみ

命の限り 共に行くべし

※カマネゴ:顔に食べ物をいっぱい付けた状態。地域でもほとんど使われていない様子。
※「めんこいしょ」を「めんけべしゃ」「めごいごどだなぁ」「めんこいすべ」と地域でのバリエーションも多彩。替えるとニュアンスも変わるかと(金澤)

〔2020年12月26日。翻訳「めんこいしょ」第二弾。秋田県大館市在住の金澤昌子(かねざわしょうこ)さん(一般財団法人大館市文教振興事業団大館市立栗盛記念図書館館司書)の作品です。声に出しながらご鑑賞ください〕

保坂美保子「めんけなぁ」

ぐずめで べっちょかいで
なぎべっちょかいで はちけるときのこの一瞬
つらっこくずして こぼれてくる涙のつらっこ
めんけなぁ

まんまるっこい目ど にらめっこ
ジッとつらっこ見てて あや なぐべがと思ったこの一瞬
ニコッと まさがのほほえみ返し
めんこいすべ

「こ」ってへば どしたもんだべがって
ゆ~っくり両方の手っこ伸ばして 抱がさってきたこの一瞬
やわらけえ かまりっこのするつらっこ
めんけなぁ

匙(しゃじ)自分でたなぐどって じょっぱって
口のまわりさ いっぺちらがすこの一瞬
おらもでぎるんでと にったり
めんこいすべ

ことばではねんども 声っこだして
指さすほうを みれってしゃべる
これだが?って おもちゃっこやるこの一瞬
んでねんでねって 首っこふってふぐれっつら
めんけなぁ

はだがっこで 湯船さはいって
湯のながで遊んで いたずらっこするこの一瞬
ほれがおもしぇどってわらって 赤(あげ)ぇつらっこして
めんこいすべ

めんけくて めんけくて
たんだたんだ めんけくて
包み込まれる いのちのぬぐもり
めんこいすべ めんこいすべ
ただたんだ ありがでぇ
包み込む 二人の深い慈しみ

いのちのあるかぎり 共に歩いていぐべし

〔2020年12月26日。秋田県大館市比内町在住の保坂美保子さん(一般財団法人大館市文教振興事業団大館市立栗盛記念図書館館長)が「めんこいしょ」(2019年9月14日に掲載)を地元の言葉で訳してくれた第一弾。郷土の言葉が紡がれ人は優しくなれる。これから「鳥居一頼の世語り」をプラットホームにして続々と各地の言葉で綴っていただきます〕 

いまを一緒に考えたい

著名な詩人たちの現代詩を 鑑賞することは苦手だった
難解な詩文を 読解するには素養があまりにも乏しかった
芸術まで高まった詩文は すでに崇高なものでしかなかった

書き続ける散文詩は 身の程をわきまえた作風
いまの暮らしの ひとつの私的な記録
時代の狭間で のたうち回る悲哀や
平凡な暮らしに訪れる 一時(いっとき)の平安の代弁
心疼(うず)く社会問題や凄惨な事件と人への 強い憤り
不条理で不正義がまかり通る 諦めへのいたたまれない警鐘
次世代に詫びを入れながら 託す小さな希望

いまの暮らしを綴る 一つの試行
詩作は 言葉の力を信じて描く
表現が平易なのは 〈わかる〉への第一条件
共感や反発で 心を動かす
上手下手の 優劣評価の枠外
ただ下心が働けば 修辞に走り無味となる

時代に翻弄されながらも 
必死に生きようとする人間群像を 一人でも多く描きたい
理不尽な生き方を強要される子どもたちを 一人でも多く救いたい
民主主義を形骸化する政治や政治家に 一人でも強く反発したい
人として当たり前に生きる福祉を担う人たちを 一人でも熱く支えたい  

タイムアウトまでの 限られた人生時間
散文詩の短いフレーズの中に 心をこめたい
言葉の力を借りて ことの本質を突きたい
散文詩を介して あなたといまを一緒に考えたい

※修辞(しゅうじ):言葉を効果的に使って、適切に表現すること。また,美しく巧みな言葉で飾って表現すること。また,その技術。

〔2020年12月25日書き下ろし。イブの夜、娘を送る車中で、父親として何を残してゆくのか、その一つに「世語り」の詩を書き続ける意味を語った〕

噛みしめる

この1年の時の流れの中で
生きた実感を 静かに噛みしめたい

新型コロナウイルス(COVID-19)が世界を席巻した
感染者は8000万人に迫り 死者は170万人を超えた
日本でも いまだ収まる気配もなく
感染者20万人を超え 死者は3000人に迫る
北海道は 10月以降急激に感染拡大し
感染者1万2500人 死者は400人を超えた
札幌や旭川だけではなく 道内各地で
多くの病院・福祉施設・学校で クラスターが発生した
懸命な治療も及ばず 多くの人が家族にすら看取られず旅立った

コロナの重篤患者だけではなく 救急医療態勢も逼迫している
国はベッドを用意したと安心を煽るが 肝心の支える人手が足りない
医師や看護師に ボーナスを手当てする財源も心許なく 
病院経営そのものが 限界域に達する事態も起こっている
リスクが高い勤務から リタイヤする医療者も出ている
使命感を煽り 献身を称えるだけでは すでに限界にきている
疲労困憊の現場は 医師も看護師も日々命がけでコロナと闘う
日本医師会は 医療の緊急事態を宣言する

福祉施設職員も 3密など回避できぬ環境の中 
日々心のこもったケアに専念する
罹患者が出れば 一気に感染拡大し緊急事態に陥る
家族への感染を恐れ 帰宅できない事態も生じる
命がけで 献身的に介護する人たちの姿が 目に焼き付く
ワクチン接種の日まで 歯を食いしばり
利用者の命と暮らしを 必死に守る

夏にGOTOトラベルを 全国に展開した
コロナへの警戒心を緩め 往来がウイルスを拡散させた
優柔不断な指導者たちは 大きな判断ミスを冒す
科学的根拠の乏しいコロナ対策と経済政策の失敗
そのツケを 多くの者たちが払わされた
稼ぎ時を失った飲食店の閉店が 年の瀬の繁華街を象徴する
観光振興政策に振り回されて 税金のばら撒きも中断し 経済は一気に冷えこむ
関連産業の倒産や経営不振から 多くの失業者が放り出され途方に暮れる
苦しみと貧しさの連鎖は 悔しさを噛みしめながら年を越す 

自民党は 前首相の桜問題や前農林大臣収賄事件で 火消しに忙しい
「法律を守って行動するという思いを、党のメンバー全員でかみしめることが重要だ」(世耕弘成参院幹事長会見談話)
彼らの噛みしめるのは そこか
どんなものを どれだけ噛んで 蜜の味を味わってきたものか
いまさら 何をどう噛みしめるというのだろうか
おもいだけでいいのなら 噛みしめるポーズだけのことだろう
噛みしめるその意味すら 薄っぺらな言葉の綾(あや)
往生際の悪い者たちが その椅子の座り心地を噛みしめる

コロナ禍に生きる 貧しく弱き者たち
歯ぎしりの音が 聞こえてくる 
悔しくて 悔しくて
辛くて 辛くて
どうしょうもなく やりきれなさに心潰れ
目をかたくつぶり 強く歯を食いしばる
噛みしめるのは 不運か 失政か

この1年の時の流れの中で
噛みしめなければならないのは
無策な指導者集団しかいない 日本の政治と政治家への不信
自己保身を心配する者たちの 市井の噛みしめる思いとの落差
強く噛みしめなければならないのは
真の民主主義社会の形成と正義の実現
そして 仁政の追求ではないか

地団駄を踏む足音が どこともなく聞こえてきた

〔2020年12月23日書き下ろし。噛みしめる意味も支配層には言葉の綾でしかない。なんの期待も信望も起こらない〕

付記
全国で3248人感染、最多を更新 東京は過去2番目
新型コロナウイルスの国内の感染者数は23日午後6時半時点で、3248人となり、過去最多を更新した。これまでの最多は12月17日の3209人(修正値)だった。
東京都では新たに748人確認した。17日の821人(修正値)に次ぐ過去2番目の多さで、水曜日としては過去最多。大阪府では23日、新たに313人の感染が確認された。1日あたりの感染者が300人を上回るのは4日ぶり。(朝日新聞社2020年12月23日)

“学校を核としたまちづくり”を進める「スクール・コミュニティ」―「秋津コミュニティ」に関するワンポイントメモ―

「スクール・コミュニティ」とは、「学校」を核とした、あるいは「学校」という場や関係を介在させた、人々の結びつきや関わりの状態を指し、学校やそこにおける子どもを「縁」として、地域の大人と教師の関わり、学校と地域社会の協働関係のあり方を、より良好なものにしていこうとする考え方や実践のことである。その意味では、あの種の「学びの共同体」ということにもなる。「スクール・コミュニティ」を実現させようとしている事例のひとつとして、千葉県習志野市の「秋津コミュニティ」(小学校区)がある(『生涯学習研究e事典』日本生涯教育学会、2008年9月)。

〇文部科学省によって、保護者や地域住民等が一定の権限と責任をもって学校運営に参画し、“地域とともにある学校づくり”を進める「コミュニティ・スクール」の導入・推進が図られてきた。そしていま、地域と学校が連携・協働して地域全体で子どもの成長発達を支援するために、“学校を核とした地域づくり”を進める「スクール・コミュニティ」への進展がめざされている。
〇コミュニティ・スクールは、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(「地方教育行政法」)の一部改正(2004年6月公布、同年9月施行)によって制度化された「学校運営協議会」を設置する学校をいう。学校運営協議会には、主な役割(機能)として、①校長が作成する学校運営の基本方針を承認する(必須)、②学校運営に関する意見を教育委員会又は校長に述べることができる(任意)、③教職員の任用に関して、教育委員会規則に定める事項について、教育委員会に意見を述べることができる(任意)、の3つがある。そして、先の地方教育行政法の一部改正(2017年3月公布、同年4月施行)によって、学校運営協議会の設置が努力義務化された。
〇その結果、学校運営協議会を設置する学校(コミュニティ・スクール)は、2020年7月現在、全国の公立学校3万6,015校のうち9,788校、27.2%に増加している。
〇スクール・コミュニティの創出については例えば、「放課後子供教室」(2007年4月。小学校を核にして、放課後等に子どもが安心して活動できる居場所を確保し、子どもに学習や体験・交流活動等の機会を提供する)や「学校支援地域本部事業」(2008年4月。原則として中学校区を基本的な単位として、地域全体で学校教育を支援する活動体・体制づくりを推進する)、「土曜日の教育活動」(2014年4月。学校における教育課程内・外の教育活動や地域における学習や体験活動等によって土曜日の教育活動の充実を図る)、「学習未来塾」(2015年4月。学習が遅れがちな中・高校生等を対象に、退職教員や地域住民等による学習支援を実施する)などが展開されてきた。
〇そして、「社会教育法」の一部改正(2017年3月公布、同年4月施行)によって、「地域学校協働活動」や「地域学校協働活動推進員」などが明文化された。地域学校協働活動とは、幅広い地域住民等の参画を得て地域全体で子どもの学びや成長を支援するとともに、“学校を核とした地域づくり”をめざして地域と学校が連携・協働して行う活動をいう。地域学校協働活動推進員は、その地域学校協働活動に関して地域住民と学校との情報共有や助言等を行い、地域と学校をつなぐコーディネーターとしての役割を果たす者である。教育委員会によって委嘱される。加えて、法律上の規定はないが、「地域学校協働本部」の設置・整備が重要・有効とされる。地域学校協働本部は、多くの幅広い層の地域住民、団体等が参画し、緩やかなネットワークを形成することによって地域学校協働活動の推進を図る体制をいう。その整備にあたっては、①コーディネート機能を強化し、②より多くの地域住民等の参画による多様な地域学校協働活動を実施し、③地域学校協働活動の継続的・安定的実施を図ることを必須とする。
〇2020年7月現在、全国の地域学校協働活動推進員等は2万8,822人(教育委員会によって委嘱されている者7,339人、教育委員会によって委嘱されていないが同等の役割を果している地域コーディネーター2万1,483人)、地域学校協働本部が整備されている全国の公立学校数は1万8,130校、50.3%を数えている。
〇文部科学省にあっては、コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)と地域学校協働活動(スクール・コミュニティ)が相互に補完し合い、両輪となって相乗効果を発揮していくことが期待される。下の図は、「学校と地域の効果的な連携・協働と推進体制」のイメージ図である。

〇コミュニティ・スクールを導入し、スクール・コミュニティの実現を図っている先駆的な事例のひとつに、千葉県習志野市の秋津小学校の取り組みがある。コミュニティ・スクールの展開を主導したのは1996年度から1998年度にかけて校長を務めた宮崎稔(みやざき・みのる)である。スクール・コミュニティ(「秋津コミュニティ」と称する生涯学習を推進する任意団体)の創出に当初から関わった一人が岸裕司(きし・ゆうじ)である。筆者(阪野)の手もとにいま、宮崎稔著『学校も地域もひらく コミュニティ・スクール―無理せず、楽しく、かろやかに―』(農村漁村文化協会、2020年9月。以下[1])と岸裕司著『学校開放でまち育て―サスティナブルタウンをめざして―』(学芸出版社、2008年1月。以下[2])の2冊の本がある。
〇[1]は、秋津小学校での取り組みを中心に、単なる事例紹介ではなく、「学校と地域の融合(協働)」活動の実態と背景、今後の方向性などについて説述する。その際、「子どもの教育を地域の人とともに実践する」というコミュニティ・スクールと、「学校」(スクール)があるおかげで地域(コミュニティ)での生活が充実している」というスクール・コミュニティのあり方について言及する。そして宮崎は、学校と地域の協働活動を継続的に進めるためには、「できるときに」「無理なく」「たのしく」行うシステムを構築することが重要である、という(205ページ)。
〇[1]から、宮崎がいう「コミュニティ・スクール」や「学校と地域の協働活動」に関する基本理念等について、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換)。

● 子どもの「学ぶ権利」は教師だけでなく、保護者や地域の人が協働することによってよりよく実現するものである。(23ページ)
● 学校で子どもと直接的にかかわらなくても、学校に関心を寄せて地域の子どものためにと緩(ゆる)やかに活動するという人がたくさんいることが、真の意味で地域の学校(コミュニティのスクール)というにふさわしい。(68ページ)
● 協働して教育活動をするための「ひらかれた学校」というのは、「学校対地域」というような2者の関係だけではなく、人と人の心がひらかれていること、教師と保護者や地域の人、地域の人同士が「タブーなく何でも話せる」という信頼関係、まさに「win・win」の関係がもっとも重要である。(119、122、158ページ)
● 学校が地域の人と協働して教育活動をすることは、子どもが多様な人と触れ合いながら社会性を身につけていくという子どもにとっての教育的な意義だけではない。まちづくりにもつながる大きな意義がある。学校を地域にひらいて子どもを核にした教育活動をすることは、大人にとっての生きがいやコミュニティづくりのきっかけになるという点でも大いに意義がある。(141、158、159ページ)
● 地域づくりにはネットワークよりもパッチワークが大事である。ネット(網)でつないでいく地域では、網の目から漏れてしまう人も出てくる。パッチワークは布で作成するから、網目からこぼれることはなく、地域を構成するどんな人も漏らさず仲間に入れていくことができる。また地域づくりには、点描画(てんびょうが)が重要である。点描画では、色の一点一点が存在感をもって絵を構成するための大事な要素である。地域づくりも筆で一色に塗りつぶすような画一的な手法ではなく、それぞれの色(個性)を生かしていくことによってよりよい地域になっていく。(153、154ページ)
● 学校のある日の授業でのかかわりだけがコミュニティ・スクールなのではなく、大人のいろいろな生活に対応したかかわり方があることが、コミュニティで子どもを育てることにつながるのである。また、学校という場でおこなうことだけが地域との協働というのではなく、地域のできるだけ多くの人が自分の都合に合わせてアイディアを出しながら、できるだけ多くの場で子どもにかかわるということが、本当の意味での協働である。(165ページ)
● 子どもはいずれは卒業する。教師も転勤する。しかし、地域の人はほとんどその地域に残る。地域の人がそこで知り合った人との活動で地域生活が充実してくるということは、個人としての生涯学習を越えて、地域づくりにもつながる。そして、地域が学校の「まるごと応援団」のようになってくると、学校のためだけというよりも地域のためになるといえる。子どもを核にして地域づくりがおこなわれているという関係を「スクールコミュニティ」という。(166、167ページ)
● コミュニティ・スクール事業の目的は何か。形式的に大人と子どもが同じ時間を共有しているというだけではコミュニティ・スクールの目的からは外れる。コミュニティ・スクールは住民自治のチャンスである。自分たちのまちを自分たちで創るという、そのような自治のチャンスがある場がコミュニティ・スクールである。自分の地域や地域の子どもをそして自分自身を、学校という場で自分らしさを発揮して生きているということにつながるようにすることが本来のコミュニティ・スクールの目的である。(185、186ページ)

〇[2]は、「小学校と地域が持つ3つの機能(「学ぶ」機能、「学校施設」機能、「子縁」機能)を活かしながら地域の諸課題の解決に挑みつつ、住民自治を進化・深化させている秋津の「まち育て」を紹介する。また、そんな「まちの価値」を慕ってUターン・Iターンする次世代を意図的に育てることによりニュータウンのゴースト化を防ぎ、サスティナブルタウン(持続可能なまち)をめざす『スクール・コミュニティ』づくりを展望する」(5ページ)。そして岸は、サスティナブルなまち育ての1単位コミュニティは「1住区の小学校区」が最適であるとし、「秋津コミュニティ」の理念・モットー・キーワードは「できるひとが、できるときに、無理なく、楽しく!」である、という(44、53ページ)。
〇[2]から、岸がいう「スクール・コミュニティ」や「学校と地域の協働活動」に関する基本理念等について、筆者が(改めて)留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。一部見出しは筆者)。

小学校と地域が持つ「3つの機能」
小学校を活動拠点とした生涯学習コミュニティの創生を通してまち育てを実践するためには、小学校とその住区が本来持っている「3つの機能」を活かすことが重要である。
①「学ぶ」機能の協働:小学校の「学ぶ」機能を住区民と協働して生かす手法である。教育界でいう「学社融合」(「学」は学校や学習、「社」は社会教育や地域社会)である。
②「学校施設」機能の共用・共有:「学校施設」機能を住区民との共用・共有により生かす手法である。「いつでもだれでもが利用できる、生涯学習や集い憩(いこ)う住区民の活動拠点」が必要かつ重要である。
③「子縁」の普及と共有化:「子縁」の普及と共有化によるその活かし方である。「子縁」を通してふれあう活動を小学校や住区内に意図的につくり出し、より多くの住区民が仲良くなるように普及しながら共有化する考え方と手法である。(59~62ページ)

大人も子どもを生涯学習の主体者とする「学社融合」
秋津では、子どもたちを取り巻くどんな大人でも、子どもと一緒に学ぶ主体者=ともに生涯学習の主体者ととらえ、その考え方を実践する教授法を「学社融合」と呼んでいる。この考え方は、「秋津モデル」に至った秋津の大発見であり、ほかで導入する際にはもっとも留意してほしいポイントである。(102ページ)

スクール・コミュニティがめざす「2つの目的」
「スクール・コミュニティ」(市民が自主運営する生涯学習学校)がめざす目的は次の2つである。①だれでもが、いつでもどこでも学べる、生涯学習のまち育てに寄与する学校と地域をつくること。②だれでもが、安心で安全に学び働き暮らせる、ノーマライゼーションのまち育てに寄与する学校と地域をつくること。(106、107ページ)

学校づくり・まち育て・子育ちの「三位一体」
スクール・コミュニティを推進する最大の視点は、「学校づくり・まち育て・子育ちは三位一体のこと」として取り組むことである。一般にこの三位は縦割り行政の言葉に象徴されるように、別々に推進されている。しかし、この三位は丸ごと地域に渾然一体(こんぜんいったい)となってからみあいながら存在し続け、しかも縦にも横にも切れないヒト・コト・モノである。課題は、スクール・コミュニティへの道を歩もうとする教育委員会を含む行政・学校・住区民の当事者3者が、互いにメリットが生まれるように「つなぐ」「コーディネーター」としてのものの見方をいかに身につけ、未来を明るく展望できるように実践するのかにかかっている。(109、110ページ)

〇ここで、秋津小学校と秋津コミュニティによる「まち育ち」(まちづくり)の実践を理解するために、その具体的な取り組みについて紹介しておくことにする。少し古い資料になるが、総務省が2013年2月に報告した「地域活性化の拠点として学校を活用した地域づくり事例調査」に基づくものである。なお、2020年11月現在の習志野市の人口は17万5,292人、世帯数は8万1,985世帯、2020年3月末現在の高齢化率は23.3%(2020年9月15日現在、全国28.7%)、2020年4月現在の秋津小学校の学級数は12学級、児童数は237人である。

〇以上から、次の5点について述べておくことにする。
(1)超少子高齢人口減少社会が進展するなかで、地域社会は深刻かつ複雑な教育問題を抱えている。例えば、しばしば指摘される少子化の影響による公立学校の統廃合問題をはじめ、教員の多忙化と同僚性の形骸化、学校と保護者・地域住民との関係や地域住民同士の人間関係の希薄化、そして家族問題を含めた貧困・格差問題や相変わらずのいじめ・不登校問題などはその一例にすぎない。そんななかで、学校と地域・住民が連携・協働することによって、住民の個人的な達成感や自己有用感、生きがいなどを生み出すとともに、学校を中心とした地域・住民のネットワーク化が図られることになる。「秋津小学校と秋津コミュニティ」(「秋津モデル」)はその事例のひとつである。しかしいま、「秋津コミュニティ」においては(おいても)、役員の固定化やボス化、高齢化などが指摘され、秋津モデルを支える当事者意識をもった保護者・地域住民の確保・育成が喫緊の課題になっている。秋津モデルの「持続可能性」が問われるところである。
(2)コミュニティ・スクールはその展開によって、地域の活性化をめざす。それは別言すれば、「ソーシャル・キャピタルの醸成」である。ソーシャル・キャピタルは、いろいろな人々同士が社会的に、豊かにつながり(「ネットワーク」)、それに基づいて互いに信頼しあい(「信頼」)、“お互いさま”という想いから互いに支え合うこと(「互酬性の規範」)によって地域社会の諸問題が解決され、よりよい住民自治が進み、豊かな地域社会が創り出される、という論理である(本ブログ〈まちづくりと市民福祉教育〉(10)2012年9月10日投稿、参照)。秋津モデルでは、「ネットワーク」「信頼」「互酬性の規範」を構成要素とするソーシャル・キャピタルの形成・醸成を通して、「地域とともにある学校づくり」と「学校を核とした地域づくり」が子ども・教員・保護者・地域住民らの“共働”によって進められた、といえよう。全国のコミュニティ・スクールを牽引(けんいん)した、先駆的な取り組みのひとつである。
(3)ソーシャル・キャピタルの活用は、学校と子どもが抱える多様化・複雑化した課題の解決につながるか。コミュニティ・スクールが政策的に推進され、その成果が過剰に期待・注目されている。その要因には、文部科学省や教育委員会による厳しい管理体制や、そのもとでの形式主義や前例踏襲主義、事なかれ主義などによる学校経営・学校教育の問題や弊害があった(ある)。またその背景には、教育財政の拡大を難しくしている政治的・社会的な時代状況がある。コミュニティ・スクールが制度化され、保護者や地域住民の学校経営への参加が認められたとはいえ、それは限定的なものにとどまっている。「内」に開かれていない学校(学校経営、教育活動)が、先駆的と評される一部の例外を除いて、「外」に開かれるとは考えにくい。また、ソーシャル・キャピタルの高い地域と低い地域によって、そのあり様は大きく変わる。コミュニティ・スクールの推進を図るに際して、教育行政や管理職と現場教員や保護者などの考え方の相違が顕在化し、余計な対立や混乱を招く恐れなしとしない。さらに、教員の意識の変革や専門性の向上、創造性の発揮などを期待するとしても、そのための条件整備が十全になされているとはいえない。要するに、ソーシャル・キャピタル(論)がコミュニティ・スクールやスクール・コミュニティの推進を担保するとは言い切れない。
(4)コミュニティ・スクールやスクール・コミュニティはこれまで、子どもや地域の貧困や社会的排除の問題についていかに対応してきたか。子どもの学力格差は格差社会に起因するものであるとして、(外国籍の子どもを含めた)子どもの学習権保障や、家庭や地域の教育力の向上をいかに図ってきたか。いま、その取り組みと成果が問われる。学校は相変わらず、子どもを選別し、階層を再生産し、特定の階層の代弁者としての学校であり続けている。「ものを言わない」あるいは「ものを言えない」保護者や地域住民を教育や社会の片隅に追いやっている。そこにはまた、自己責任論が見え隠れする。それらに立ち向かう“学び”を深め、“つながり”を構築することがコミュニティ・スクールやスクール・コミュニティに強く求められる。しかしそれは、対症療法なものにとどまりがちである。そこで求められるのが、地元自治体や政府に対するボトムアップ型の教育・社会運動である。しかも、それによって制度化された(画一化・平準化された)施策・事業については、個々の学校や地域がそれぞれの立場や視点で再検証することが必要かつ重要となる。ここではじめて、二つとして同じものはない、唯一無二のコミュニティ・スクールやスクール・コミュニテが成立することになる。
(5)「秋津コミュニティ」では、「自助・共助、最後に公助のまち育て」という理念に基づいてさまざまな事業・活動を推進してきた。特に「最後に公助のまち育て」「行政頼みは最後の最後」は、「秋津のまちへの税金誘導は、下品な市民がする地域エゴである」という考え方による([2]192~193ページ)。しかし、学校や地域社会の限界を超えた「自助」は、学校や地域社会を破壊する。「共助」は、ヒト・モノ・カネ・情報(+岸がいうトキ)などを持たない者同士の支えあいを強制することにもなり、「共助」の基盤そのものを破壊する。「最後に公助」は、国や自治体の役割を後退させ、学校や地域社会、保護者や地域住民の自己責任を強調することになる。十分に留意すべきところである。
〇加えて、「秋津コミュニティ」による地域づくりの可能性と課題について、ひとつの言説を紹介しておく。川崎未美(東洋英和女学院大学、2007年3月)によるものである([2]174~175、176ページ)。

補遺
文部科学省は、2013年度より、コミュニティ・スクールの導入および拡充を推進する教育委員会や学校関係者等に対して、「コミュニティ・スクール推進員(CSマイスター)」を派遣し、推進体制の構築や取り組みの充実の促進を図っている。2020年度においては、33名のCSマイスターが文部科学省によって委嘱されている。CSマイスターについて、宮崎稔は次のように述べている。「コミュニティ・スクール事業では、マイスターと呼ばれる人が文部科学省から委嘱を受けて各地に出向いて広めてくださっています。でも私は、マイスターではありません。だから、文部科学省の考え方を広めることにとらわれず、コミュニティと学校との関係づくりの意味について自由に述べることができます」([1]205~206ページ)。付記しておきたい。

付記
筆者の手もとにはいま、[2]以外に、岸裕司の本は3冊ある。
①『学校を基地に〈お父さんの〉まちづくり―元気コミュニティ! 秋津』太郎次郎社、1999年3月。
佐藤学/21世紀の学校の先どりが、ここで起こっている。寺脇研/私など、こんなに楽しい街なら秋津に引越してみたい、とついつい思ってしまいます。斎藤茂男/これからの教育を指し示している原動力である。(「帯」より)
②『「地域暮らし」宣言―学校はコミュニティ・アート!―』太郎次郎社エディタス、2003年12月。
大人がいちばん楽しんでるまち。/会社人から地域人になったお父さんたち、「病院通いより学校通い」のお年より、多様な大人のなかでゆっくり育つ「子育ち」支援。学校からはじまるまちづくり。/地域のみなさん、学校で会いましょう。(「帯」より)
③『中高年パワーが学校とまちをつくる』岩波書店、2005年10月。
子どもがのびのび、おとながいきいき、楽しくてやさしい町。そんな町を、ほとんどただでつくった男が、秘訣を明かした。あなたも、やってみませんか!/堀田力(「帯」より)

裏切られた男

騙されたんです
私には何の罪もありません
一国の首相は たかが秘書に騙される程度の国だった

騙された方が悪いんですか
私には何の罪もありません
国会で確かめもせず 秘書の口車に乗っただけです

騙す方が悪いですよね
私が指示なんか するわけありません 
国会で嘘の答弁なんか するわけありません

「事務所は関与していない」
「明細書は無い」
「差額は補塡していない」
118回も繰り返し答弁していたなんて嘘でしょ!

国民を欺くなど どうしてできましょう
地元を大事にしたことは みんながしてることです
私が関わっていたなら 国会議員辞めます

日本の総理大臣だった男に 泥を塗りやがって
なんでこんな失態を しでかしたんだ
ホテルの明細書も ANA(3月)のとき潰したんだろう
隠し通せるから大丈夫と 太鼓判を押しただろう
検察には知らぬ存ぜぬで通すから 口裏合わせておけ
責任は取ってもらうぞ いいな
覚悟して始末せよ
こんな舞台裏 あったかなかったか 想像に任せよう

長州人として生き恥をさらし 実績を台無しにしたお方
信用していた者に裏切られた どうしょうもないお方
信頼という名に 決して値しないお方
忖度する者たちに責任転嫁は 得意のお方
嘘を嘘で固めて 真に見せる話術に長けたお方
逃げ恥は恥とも思わぬ 厚顔無恥なお方
不起訴処分を御旗に 国を牛耳ようとするお方

あなたの不誠実さを 反面教師として子どもに伝えます
あなたに3度目の道は 口害により行き止まりになりました 
あなたを教訓にして 騙されぬよう賢く振る舞います

そもそも 偽り続けたお人が
よもや認めるなんてこと するはずないでしょ!

〔2020年12月22日書き下ろし。地元の後援会が一番恥ずかしく思っていることだろう。吉田松陰や高杉晋作の歯ぎしりが聞こえてくるようだ〕

付記
安倍氏聴取「長州人として恥ずかしい」 地元も厳しい目
「桜を見る会」前日の夕食会の費用負担をめぐり、安倍晋三前首相が東京地検特捜部から聴取を受けた。首相経験者が捜査機関から事情聴取される異例の事態。「真実を語るべきだ」。地元・山口の長年の支持者らも、安倍氏を厳しい目で見つめる。(中略)
2017、18年に「桜を見る会」と夕食会に出た80代の男性支持者は、「秘書に任せていて知らなかったでは通らない」と安倍氏の責任を指摘する。国会での答弁が事実に反していたことには「トップとして事務所やホテル側にきちんと確認すれば分かること。そうせずに虚偽答弁を続けたのはおかしい」と疑問をぶつけた。
夕食会は会費5千円にしては十分な料理でもなく、安倍氏側からの補塡(ほてん)は予想しなかったという。「補塡したお金の原資が知りたい。後ろめたいことがあるから隠そうとしたのではと思ってしまう」。そしてこう付け加えた。「官房長官として安倍さんを支えた菅首相にも責任はある」(中略)
幕末の志士、高杉晋作の墓所として知られる市郊外の「東行庵(とうぎょうあん)」。境内には首相時代に安倍氏が銘板を揮毫(きごう)した高杉の銅像がある。近くの70代男性は捜査対象となった安倍氏について「長州人として極めて恥ずかしい」と嘆いた。(中略)
安倍氏自身は不起訴処分となる公算が大きい。「政治家に責任が及ばないのは許されない。秘書への監督責任もあるはずだ」と指摘し、国会の証人喚問に応じるよう求めた。(朝日新聞2020年12月22日)