阪野 貢 のすべての投稿

核の下のしるし

核の傘下で ぬけぬけと平和を唱う
核の傘下で 核廃絶の声を弄(もてあそ)ぶ
核の傘下で 改憲の気勢を上げて武装を強化する

核兵器を数えて 威嚇し合う
核兵器の開発を 競い合う
核兵器の威力を 誇り合う

原発の危険を承知で 再稼働する
原発のゴミの処理に 金をばらまく
原発の無駄を隠して 騙(だま)し続ける

放射能が 世界を覆(おお)う日は 遠くはない
放射能が 世界を席巻するのは 核戦争だけではない
放射能が 人類を滅亡させるのは 自明の理である

核の世界に生きるということ
人類規模で 生存のしるしが消去する
地球規模で 自然のしるしが壊滅する
宇宙規模で 惑星のしるしが消滅する

〔2020年11月25日書き下ろし。しるしという言葉が瞬間核と結びついた。核に絡む国策は全て失敗している。核の傘下の改憲と軍事化はなぜかを問い続けたい〕

社会的処方とリンクワーカー:お医者さんが取り組む“オモロイ”はじめの一歩―西智弘編著『社会的処方』読後メモ―

〇筆者(阪野)の手もとにいま、「オモロイ」(面白い)本がある。西智弘編著『社会的処方―孤立という病を地域のつながりで治す方法―』(学芸出版社、2020年2月。以下[本書])がそれである。西知宏(にし・ともひろ)は緩和ケア内科医である、そのことが先ず驚きである。
〇本書でいう「社会的処方」(social prescribing)とは、社会的孤立という現代病を、薬と同じように、「地域とのつながり」を処方することによって治すひとつの方法である。具体的には、「地域における多様な活動や文化サークルなどとマッチングさせることにより、患者が自律的に生きていけるように支援するとともに、ケアの持続性を高める仕組み」(25ページ)をいう。それは、「医療者だけの仕組みではない。市民一人一人が、お互いに支え合い、地域で元気に暮らしていくための仕組み」(11ページ)である。すなわち、「市民活動が誰かの薬になるらしい。それなら100歳まで生きてみたい」(山崎亮:本書「帯」)と思わせる活動であり、仕組みである。本書では、社会的処方の基本的な考え方について説述し、社会的処方が制度化されているイギリスや各地に広がりつつある日本の実践事例を紹介している。本書は一言でいえば、社会的処方に向けた啓発書である。
〇社会的処方に欠かせない存在に、「リンクワーカー」(Link Worker)と呼ばれるヒトがいる。そのヒト(職種)が社会的処方の要(かなめ)となる。リンクワーカーは、「社会的処方をしたい医療者からの依頼を受けて、患者や家族に面会し、社会的処方を受ける(処方先の)地域活動とマッチングさせる(つなげる)」(51ページ)のが仕事である。イギリスでは、1980年頃から各地で取り組みが始まり、主に非医療者がその仕事を担ってきている。そして、リンクワーカーは、研修を受けてある程度の支援スキルを認定され、フォローアップを受けながらそのスキルを維持している。
〇日本ではまだ、「リンクワーカー」は馴染みのない言葉である。リンクワーカー的な存在として、地域包括支援センターや社会福祉協議会、ボランティアセンター、保健所などのソーシャルワーカーやケアマネジャー、コーディネーター、民生委員・児童委員などを想定しておきたい。なお、京都府では2015年度に「認知症リンクワーカー」制度を設け、その養成・研修に取り組んでいる。
〇本書から、社会的処方の基本理念について、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは一部筆者)。

「マイナスをプラスにするのではなく、プラスをダブルプラスへ」というアプローチ
社会的処方は人を「健康な状態にすること」を目的にするのではない。/「健康」というものはそもそも、人が幸せに生きていくための手段であって、それが目的となるべきものではない。WHO(世界保健機関)が定義する「健康」すなわち「身体的(肉体的)、精神的及び社会的に完全に良好な状態」ではなくても、その人が幸せに生きる方法はある。社会的処方は、それぞれの身体的・精神的・社会的に不完全な部分を埋めて、完全な状態にするためのアプローチではない。むしろ、人がもつデコボコをありのままに生かし、生きがいに注目し、幸せを追求していくためのアプローチだ。マイナスをプラスにするのではなく、プラスをダブルプラスにしていく(アプローチである)。(40、41ページ)

「どんな人でも地域をよくする能力・知識・技術を持っている」という信念
(イギリスにおける社会的処方のパイオニアのひとつは、1984年に設立されたコミュニティセンターの「ブロムリ―・バイ・ボウセンター(Bromley by Bow Centre:BBBC)」である。)BBBCの基本思想としてまず押さえておきたいのは、「Asset Based Community Development:ABCD」という考え方だ。地域を「解決すべき課題の塊(かたまり)」ではなく「解決手段のための資源に溢(あふ)れたエリア」と捉え、住民が主体となって課題に取り組む参加型プログラムのこと。基盤にあるのは「どんな人でも地域をよくする能力・知識・技術を持っている」という信念。たとえば「貧しい人がいる」場合、問題なのは人ではなく「貧困があること(状況)」。それに対応し解決に向く力をつけるものはなにか? という考え方になる。/そして、地元住民とのパートナーシップを築きつつ、“right for me or other people”(私にとって正しいことなのか、他の誰かにとって正しいことなのか)を考えることが大切。どうやって住民とつながりを持つか? を考えたときに、こういった考えに基づいて多様な人が「いつでも来られる場」があることは大きい。(57、58ページ)

「自分にはできないけど、できる人は知っている」という価値
これまでも、日本では「近所のおせっかいおばさん」や「町内会長的な地域の顔役おじさん」などが、その地区の地域資源を把握し、困っている人を見つければ世話をやいたりということが普通に行われてきた。「自分にはできないけれど、できる人は知っている」というのは大きな価値だ。/日本においてリンクワーカーを養成するときに、「制度にするのか、文化にするのか」というのは悩ましい問題だ。「制度にする」というのは、イギリスのように研修システムと資格の認定を行って、その資格をもった人を中心に社会的処方を進めていくという考え。一方で、「文化にする」というのは、リンクワーカーのコンセプト(基本的な考え方)、心構えやスキルを広く共有し、できる人ができる範囲でやっていこうという考え。/「リンクワーカーらしさ」は、「人と地域に好奇心を持ち続ける」ことにある。/日本に広めていきたいのは、「文化」としてのリンクワーカーである。まちにいる誰しもが、つなげるときにつなげる範囲でつないでみる。まちのみんなが「リンクワーカー的」にはたらく社会だ。(63~64、66、70ページ)

〇岡らにあっては、社会的処方を有効なものにするためには、リンクワーカーに4つの「スキル」が求められる。①聴く(「おばちゃん力」で入り込む)、②経験を宝にする(どんな経験もだれかの「オモロ」になる)、③笑わせる(嬉しい・楽しい・ふるえる)、④つなげる(おせっかいは大切に)、である(71ページ)。それを別言すれば、温かい雰囲気のなかで相手の話に耳を傾け、いろいろな経験に何らかの面白さを見出し、それをお互いが柔軟に受け止めて楽しみ、豊かなおせっかいをしてつなげる(仲介・調整)、というスキルである。
〇そして、その社会的処方の基盤を成す「哲学」として、岡らは次の3点を指摘する。

● まちのなかで暮らしている一人一人の存在そのものが価値であり、宝であり、それは「オモロ」につながっているということ。
● 障害や病気があってもなくても、一人一人がやりたい小さなことを気軽に口に出すことができ、それを「いいね!」と応援してくれる人たちがいる環境が大切だということ。
● まちのなかで皆が、自分なりの表現に没頭、熱中して取り組んでいく中で、結果的に多世代が交流し、つながっていくのだということ。(211ページ)

〇ここで、社会的処方についての理解を進めるために、7つの事例についてその概要を紹介しておくことにする。

● 横浜市の「Co-Minkan」(こうみんかん)/Co-Minkanは私設公民館であり、地域の人たちが「つどう」「まなぶ」「むすぶ」「まちの茶の間」である。そこでは、専門家主導型ではなく、生活者主導型の「教育ならぬ共育」が行われている。
● 兵庫県・豊岡市の「モバイル屋台de健康カフェ」/医者が屋台を引いて街に繰り出し、コーヒーを配る。そこでは、世間話の延長戦上で健康相談にのることができ、屋台という装置が地域のつながりの場(「小規模多機能な場」)にもなっている。
● 福井県・高浜町の「愛煙家座談会」/座談会のスタンスは、「禁煙を促す」というものではなく、「禁煙を否定せず、喫煙を通じて健康を考え直すきっかけを提供する」というものである。「愛煙家登山」で、山頂で吸う一服は「この上なくおいしい」という。
● 京都市の「京都ソリデール」/高齢者と学生がひとつ屋根の下で暮らす次世代下宿・異世代ホームシェアである。そこでは、「若者が高齢者を支え」「高齢者も若者を支えている」という関係性がつくられている。「ソリデール」とはフランス語で「連帯の」を意味する。
● 川崎市・武蔵小杉の「こすぎナイトキャンパス」/「本を読んでこなくてもいい」という読書会である。「本をネタにして、自分が話したいことを話す」、「本」を媒介にして本と人、人と人、新しい出会いをつくっていくことをめざしている。
● 横浜市の地域活動支援センター「ひふみ」の「アーティストとともに過ごす時間」/センターの利用者が主体になって、地域に暮らす精神障害のある人たちとともに、ミュージカルなディスコを企画・実施する。福祉イベントだから、「このくらいでいいか」という妥協はそこにはない。
● 岐阜県・可児市の「文化創造センターala」/市民が抱える生活課題や社会的課題を解決するために、「アートを通じた体験の機会」を多様に提供している。「問題校」と呼ばれた高校で演劇表現ワークショップに取り組み、それによって生徒の自己肯定感が育ち、高校での問題行動も減少している。

〇周知のように、貧困や生活環境が健康や疾病に作用する。社会・経済格差が健康格差をもたらす。これを別の観点から言えば、以上の言説は、WHOが主導する「健康の社会的決定要因」(Social Determinants of Health:SDH)に関するそれに通じる。すなわち、SDHに対していかなる社会的処方で対応するか、が問われることになる。
〇ここで、WHOが2003年に出版した『健康の社会的決定要因 確かな事実(第2版)』(Social Determinants of Health:THE SOLID FACTS,2nd edition)が想起される。そこでは、健康の社会的決定要因として次の10項目について説明している。社会的処方についての重要な視点や枠組みを見出すとともに、その内容や方法について探究することができよう(リチャード・ウィルキンソン、マイケル・マーモット編/WHO健康都市研究協力センター・日本健康都市学会訳『健康の社会的決定要因(第2版)』特定非営利活動法人健康都市推進会議、2004年)。

1. 社会格差(the social gradient)
どの社会でもその最下層部に近いほど平均余命は短く、多くの疾病が見受けられる。健康政策は健康の社会的・経済的決定要因について取り組まなければならない。
2. ストレス(stress)
ストレスの多い環境は人々を不安に陥らせ、立向かう気力をそぎ、健康を損ない、ひいては死を早めることもある。
3. 幼少期(early life)
人生の良いスタートを切ることは、母子を支援することである。幼少期の発達や教育の健康に及ぼす影響は生涯続く。
4. 社会的排除(social exclusion)
貧困の中での人生は短いものとなる。貧困、社会的排除や差別は困窮、憤(いきどお)りなどを引き起こし、命を縮めてしまう。
5. 労働(work)
職場でのストレスは疾病のリスクを高める。仕事に対してコントロールができる人ほど、健康状態が良好である。
6. 失業(unemployment)
雇用の安定は健康、福祉、仕事の満足度を高める。失業率が高まるほど病気にかかりやすくなり、早死をもたらす。
7. 社会的支援(social support)
友情、良好な人間の社会的関係、確立された支援ネットワークにより、家庭・職場・地域社会における健康が推進される。
8. 薬物依存(addiction)
アルコール・薬物・たばこを習慣とし、健康を害してしまうのは個人の責任ではあるものの、常用に至るにはさまざまな社会的環境も影響している。
9. 食品(food)
世界の市場は食糧の供給に大きく関わっているため、健康的な食品の確保は政治的問題である。
10. 交通(transport)
健康を重視した交通システムとは、公共輸送機関の整備により自動車の利用を減らし、徒歩や自転車の利用を奨励することを指している。

〇唐突ではあるが、今次の菅政権がめざす社会像は、「自助・共助・公助、そして絆」であるという。そこでは、自助が最優先され(「自助ファースト」)、深刻な生活課題や劣悪な生活環境などを個人が引く受けることをよしとする。すなわち、格差社会や分断社会が進み、コロナ禍の真っただなかにあって、人びとにさらなる自助や共助を促している。それは、公的責任を放棄し、人びとの善意や絆にすりかえようとするものである。
〇しかも、その善意はときに、思考停止を生み、屈辱を与える。絆は包摂と排除の二面性を持ち、解放を妨げ自由を奪う。
〇社会的処方は、人びとが抱える日常生活上の現状から問題点を抉(えぐ)り出し、その原因を明らかにし、それを解決するための対策を講じる。とともに、文化や芸術などのアートと同様に、多様で柔軟な価値観や考え方を育み、人びとの生きる力を高め、地域共生や社会的包摂を創出する。それゆえに、社会的処方は、現代の政治・経済・社会が歴史的・構造的に抱える矛盾や問題点に無関心ではいられない。
〇自助や共助についての抽象的・観念的な考えをベースに、単に生活に楽しみや生きがい、潤(うるお)いをもたらすツールとして社会的処方を捉えるとすれば、そこには必然的に“限界”や“危うさ”が生じる。限界を恐れる必要はないが、事態はそれほど甘くはない。この点に留意しながら、「お医者さんが取り組む“オモロイ”はじめの一歩」の成り行きを注視したい。これが筆者(阪野)の本書についての正直な感想である。

補遺-京都のリンクワーカー制度の概要-


(1)以上は、「認知症リンクワーカー制度について」京都府健康福祉部高齢者支援課、2019年9月 より抜粋。
(2)2015年度~2018年度のリンクワーカー養成研修修了者は26市町村・府で171名、現在の配置市町村は6市町村で15名を数えている。

憎しみの果てに

際限なく向けられる 卑劣なことば
容赦なく叩きつける 非情なことば
感情的に吐き出される 下劣なことば

攻撃的なことばが 心を嘖(さいな)む
常道を失ったことばが 心を裂く
品格の欠片すらないことばが 心を殺す

人はなぜ醜い言動に 身を任すのか
人はなぜ残酷な仕打ちが できるのか
人はなぜ憎悪を抱いて 生きていけるのか

憎しみが湧き上がる情動
恨みか 怒りか それとも支配か
逆らう者への 許しがたき逸脱行動
不寛容さが 己の人格となる  

憎しみの果てに見る風景
快感か 歓喜か それとも支配か
自己制御の効かない 過激な妄想
ブーメランの如く 己を刺す

人間失格!

〔2020年11月25日書き下ろし。なぜ憎まなければならないのか。その果てにあるのは何か。憎しみの言動を制御できずに暴走する。対象が子どもなら傍観できるか〕

つまずきの詩

浅はかさだった
そう気づくには 遅すぎた
もっとこうすればよかったと
分かるには 若すぎた

無頓着だった
そう気づいたのは 後の祭りだった
こんなに迷惑をかけるなんて
分かって 唇をかんだ

無能だった
そう気づいたのは 慢心だった
それほど自信たっぷりだったなんて
分かって 鼻を折られた

失敗だった
そう気づいて 後戻りは無理だった
それだけ甘くみていたなんて
分かるまで 時間がかかった

つまずくのは 誰でもある
だから 後悔先に立たずと 慰める
つまずいたのは 自分のせいだ
でも 納得できないもう一人の自分がいる
つまずいたのは 仕方ない
なぜか 諦めきれないもう一人の自分がいる

いい子ぶらずに 悔しいと素直に吐けばいい
体裁なんか気にせずに 畜生って叫べばいい
体面なんてくそ食らえ ダメなやつだって泣けばいい

つまずきはきっと
自分を見つめ直す チャンスかも
つまずきはもしかして
自分を変える チャレンジかも
ただ 人とのつまずきは
自分の人生の ダメージかも

自分のせいなら乗り越えられる
人のせいなら…後に引く

〔2020年11月23日書き下ろし。つまずくにはわけがある。自分のせいなのか誰かのせいなのか。ただつまずいたことには変わりない。問題は、人生をやり直すには、時間の猶予がなくなったことかも〕

大人の都合

校則ってなぜあるの?

それはね
先生が子どもを指導しやすくするためにあるの
そしてね
ひとりでも余計なことをしないようにするためにあるの
だってね
ひとりでもおかしいっていったらやりにくいしょ
だから
先生もおかしいと思うだけで変えようとはしないんだよ

もっと言おうか
先生ってほんとは弱虫なんだ
教育者って偉そうにしているけれど
子どもがおかしいと思った校則でも
決して子どもの側に立って闘わない
無駄なエネルギーは使わないってとこかな
難しい言葉で言うと 日和見的な先生が多いってこと

そうなんだ
やっぱり人の子 反対して一人ぼっちにはなりたくない
いままでのルールでやってきたものを変えようなんて
周りの恨み辛みを浴びるのは 目に見えているからね
そこまで分かっていて 子どものためにやるって先生いる?

わかってあげてよ
先生もしたいけれど 大人の都合で動けないことを
先生もほんとはしたくはないけど 大人の都合が優先します
先生もただのひと 面倒は避けたい大人の都合です

あっ忘れてた
校則ってさあ ほんとは先生を守るためにあるんだ
子どもたちを 事細かく縛る学校の憲法
これをかざせば 子どもは逆らえないって信じている
もともと指導力がないから こんなものに頼るんだよ
そのくせ個性を伸ばす教育なんて よく言うよね
いつでも 建前と本音の使い分けをするのが先生
まさに 大人のご都合主義そのもの

だから
壊すのは 無駄なことって諦めよう
先生には 没個性の子どもを育てることこそ
公教育だと思い込んでいる人が多いんだよ きっと
「子どもの権利条約」すら わかってないだろうな
学校にいる間は 我慢を学ぶ人生の試練だと思うしかないね
反面教師に出会って 人間を学ぶチャンスだと思うしかないね

結局
みんなおかしいと気づいていても 決して顔には出さない
ひとりでも 突然反抗しだしたら収拾がつかなくなる 
困るのは 学校の面子
その前に その声を潰すのが校則の役目
下手に反抗すると 指導という名の罰がある
逆らわず従順に 先生の言うことさえ聞けば
平穏な学校生活が 3年間保障されるんだ

だから
先生に聞こえないように 
小さな声で叫ぼう
校則なんてくそ食らえ!

〔2020年11月23日書き下ろし。中学校の校則は統制管理下にある。疑問を感じても変えようとしないのは、なぜか? 教師もまた統制管理下にあるのか〕

心守詩(こころまもるうた)

いまにも折れそうな
心を守りたい

傷つけられた心は
誰も知らない
涙流すしか
心は守れない

いまにも倒れそうな
心を守りたい

壊れそうな心は
誰も知らない
寄り添うしか
心は守れない

いまにもくじけそうな
心を守りたい

意気地のない心は
誰も知らない
頭を上げるしか
心は守れない

いまにも乾きそうな
心を守りたい

愛をなくした心は
誰も知らない
ぬくもりしか
心は守れない

心に響く詩があれは
たとえ 志がくじかれようと
立ち上がる力を 感じるだろう

心を開く詩があれば
たとえ 夢を見失いそうになっても
歩き続ける力を 取り戻すだろう 

心を守る詩があれば
たとえ 愛を失いそうになっても
人を信じる力が 生きる道を示すだろう 

〔2020年11月24日書き下ろし。辛い人へ、その心を守る詩を書きたい。それが私の願望であり役目だと悟った夜である。連載500回目の節目に謳う〕

生きたいという心

心平らなれば 寛容なり
心安らかなれば 諍(いさか)うことなし
心満ちていれば 幸せなり

心なければ 無なり

心失えば 闇なり
心渇けば 孤独なり
心折れれば 苦悩なり
心醜ければ 生き恥を晒す
心枯れれば 感動なし

心あれば 有なり

心弾ければ 動なり
心躍れば 自由なり
心挑めば 精気なり
心通わせば 信なり
心感じれば 生なり

人生を決して諦めない
そのおもいの強さと熱さが
生きたいという心を衝き動かす

〔2020年11月21日書き下ろし。こころの有り様が人生の豊かさを左右する。不遇であっても諦めない心こそ失ってはならない。自死を思いとどまって欲しいと〕

あだ花を咲かす

せっかくのGOTOトラベルも
コロナの波に押されて
あだ花となるのか

肝いりのGOTOイートも
マスクしながらの会食は
あだ花と散る定めか

羽田空港は 混雑していた
高速道路や新幹線のホームも
朝から混雑した
3密を避けて 旅を楽しむと
東京から行楽地へ向かっていく

不要不急の外出を控える
札幌市民は 自粛を余儀なくされる
後手に回った その場しのぎの対策
しわ寄せは 暮らしを直撃し脅かす

旅人は 
心苦しく思いながら
自衛しながら
自由往来する

あだ花は 
一時の喜びを与えただけで
感染都市に 花びらを散らす

あだ花を
愛でる余裕もなく
感染都市で はかなく散る

あだ花にならぬよう
GOTOキャンペーンを進めた者たちは
責任をとらず その判断を丸投げする
いつの世も 往生際の悪さが 
政治のあだ花となる

※あだ花(あだばな):咲いても実を結ばない花。外見ははなやかでも実質を伴わないもののたとえにもいう。咲いてすぐ散る。はかない花。

〔2020年11月21日書き下ろし。3連休が始まった。東京は感染者が過去最高の539人。キャンセルできずに旅に出る。どうぞお互いが無事でありますように、そう願うだけ〕

ただいまとおかえり

玄関の鍵を開ける
ただいま
おかえりの声はない
誰も居ない家
外気と同じ寒さを感じる 

ただいま
習慣づけられた挨拶
待つ人がいなくても 
声に押されて 玄関に入る 
靴箱に置かれた消毒液が 日常になる

ストーブをつける
冷えた身体と部屋を暖める
母と妹が戻るまでの留守番
宿題をして ゲームで遊ぶ

ただいま
母の背中で妹の元気な声
おかえり と大きな声で返事する
ただいま きょうもいい子にしてた
母のその一言が 一番嬉しい

お腹減ったっしょ
いますぐ用意するね
お願いね
妹を下ろして コートを脱ぐ

今日も遅かったことを詫びながら
母は3人の無事な1日を喜ぶ
夕餉は出来合いのものだけど 美味しい
「感染リスクを回避できない場合」の仕事しかない
明日もまた リスクに厳しく晒される
決して子どもたちに移してはならない
子どもが健康でいることが いまは一番

明日も無事に帰宅したい
「ただいま」「おかえり」
無事の挨拶が続きますように
子どもの寝顔に 願掛けをする

〔2020年11月20日書き下ろし。道内は今日300人を超えた。コロナ第3波の真っ只中で、リスクを回避できない仕事で頑張る母と留守番の子らとのコロナの闘いは続く〕

眼光紙背に徹す

専門の書物は もう読めない
学生相手の教材研究
一つの字句 一つの事柄
分かりやすく 講義をするのに苦労した
消化不良で授業に臨み 恥をかく

専門の書物は 飾り物
課題研究 気取ってみても
一つの字句 一つの事柄
つまずき転んで 中途で挫折
難解な解釈避けて 放棄する

専門の書物は 代打役 
求めるよりも 求められるがままに
一つの字句 一つの事柄
テーマに合わせて 用語を重ねる 
かくて専門は もどきに変わる

専門の書物は お蔵入り
ストックされた見識も 怪しくなり
一つの字句 一つの事柄
テーマに合わず 自動消去
かっての専門は 専門外に鞍替えする

眼光紙背に徹す
そうありたいと 願いし日も確かにあった
そうしたいと 向き合う喜びの日もあった
歳を重ねて その力の貧弱さを知る

不意を突くように
書き出した文章が 
深意を語れと命じる
眼光紙背に徹せよと
書き手に求める
またまた こうして難渋する

その思考回路から逃れられず
いつまでも あがき続ける

※眼光紙背に徹す(がんこうしはいにてっす):書物を読んでただ字句の解釈にとどまらず、その深意を読み取る。

〔2020年11月17日書き下ろし。読み書きするということ。表現することの難儀をいつも抱えながら、恥ずかしながら言葉と遊ぶ。蔵書は目の肥やしか、見栄か〕