阪野 貢 のすべての投稿

いまを一緒に考えたい

著名な詩人たちの現代詩を 鑑賞することは苦手だった
難解な詩文を 読解するには素養があまりにも乏しかった
芸術まで高まった詩文は すでに崇高なものでしかなかった

書き続ける散文詩は 身の程をわきまえた作風
いまの暮らしの ひとつの私的な記録
時代の狭間で のたうち回る悲哀や
平凡な暮らしに訪れる 一時(いっとき)の平安の代弁
心疼(うず)く社会問題や凄惨な事件と人への 強い憤り
不条理で不正義がまかり通る 諦めへのいたたまれない警鐘
次世代に詫びを入れながら 託す小さな希望

いまの暮らしを綴る 一つの試行
詩作は 言葉の力を信じて描く
表現が平易なのは 〈わかる〉への第一条件
共感や反発で 心を動かす
上手下手の 優劣評価の枠外
ただ下心が働けば 修辞に走り無味となる

時代に翻弄されながらも 
必死に生きようとする人間群像を 一人でも多く描きたい
理不尽な生き方を強要される子どもたちを 一人でも多く救いたい
民主主義を形骸化する政治や政治家に 一人でも強く反発したい
人として当たり前に生きる福祉を担う人たちを 一人でも熱く支えたい  

タイムアウトまでの 限られた人生時間
散文詩の短いフレーズの中に 心をこめたい
言葉の力を借りて ことの本質を突きたい
散文詩を介して あなたといまを一緒に考えたい

※修辞(しゅうじ):言葉を効果的に使って、適切に表現すること。また,美しく巧みな言葉で飾って表現すること。また,その技術。

〔2020年12月25日書き下ろし。イブの夜、娘を送る車中で、父親として何を残してゆくのか、その一つに「世語り」の詩を書き続ける意味を語った〕

噛みしめる

この1年の時の流れの中で
生きた実感を 静かに噛みしめたい

新型コロナウイルス(COVID-19)が世界を席巻した
感染者は8000万人に迫り 死者は170万人を超えた
日本でも いまだ収まる気配もなく
感染者20万人を超え 死者は3000人に迫る
北海道は 10月以降急激に感染拡大し
感染者1万2500人 死者は400人を超えた
札幌や旭川だけではなく 道内各地で
多くの病院・福祉施設・学校で クラスターが発生した
懸命な治療も及ばず 多くの人が家族にすら看取られず旅立った

コロナの重篤患者だけではなく 救急医療態勢も逼迫している
国はベッドを用意したと安心を煽るが 肝心の支える人手が足りない
医師や看護師に ボーナスを手当てする財源も心許なく 
病院経営そのものが 限界域に達する事態も起こっている
リスクが高い勤務から リタイヤする医療者も出ている
使命感を煽り 献身を称えるだけでは すでに限界にきている
疲労困憊の現場は 医師も看護師も日々命がけでコロナと闘う
日本医師会は 医療の緊急事態を宣言する

福祉施設職員も 3密など回避できぬ環境の中 
日々心のこもったケアに専念する
罹患者が出れば 一気に感染拡大し緊急事態に陥る
家族への感染を恐れ 帰宅できない事態も生じる
命がけで 献身的に介護する人たちの姿が 目に焼き付く
ワクチン接種の日まで 歯を食いしばり
利用者の命と暮らしを 必死に守る

夏にGOTOトラベルを 全国に展開した
コロナへの警戒心を緩め 往来がウイルスを拡散させた
優柔不断な指導者たちは 大きな判断ミスを冒す
科学的根拠の乏しいコロナ対策と経済政策の失敗
そのツケを 多くの者たちが払わされた
稼ぎ時を失った飲食店の閉店が 年の瀬の繁華街を象徴する
観光振興政策に振り回されて 税金のばら撒きも中断し 経済は一気に冷えこむ
関連産業の倒産や経営不振から 多くの失業者が放り出され途方に暮れる
苦しみと貧しさの連鎖は 悔しさを噛みしめながら年を越す 

自民党は 前首相の桜問題や前農林大臣収賄事件で 火消しに忙しい
「法律を守って行動するという思いを、党のメンバー全員でかみしめることが重要だ」(世耕弘成参院幹事長会見談話)
彼らの噛みしめるのは そこか
どんなものを どれだけ噛んで 蜜の味を味わってきたものか
いまさら 何をどう噛みしめるというのだろうか
おもいだけでいいのなら 噛みしめるポーズだけのことだろう
噛みしめるその意味すら 薄っぺらな言葉の綾(あや)
往生際の悪い者たちが その椅子の座り心地を噛みしめる

コロナ禍に生きる 貧しく弱き者たち
歯ぎしりの音が 聞こえてくる 
悔しくて 悔しくて
辛くて 辛くて
どうしょうもなく やりきれなさに心潰れ
目をかたくつぶり 強く歯を食いしばる
噛みしめるのは 不運か 失政か

この1年の時の流れの中で
噛みしめなければならないのは
無策な指導者集団しかいない 日本の政治と政治家への不信
自己保身を心配する者たちの 市井の噛みしめる思いとの落差
強く噛みしめなければならないのは
真の民主主義社会の形成と正義の実現
そして 仁政の追求ではないか

地団駄を踏む足音が どこともなく聞こえてきた

〔2020年12月23日書き下ろし。噛みしめる意味も支配層には言葉の綾でしかない。なんの期待も信望も起こらない〕

付記
全国で3248人感染、最多を更新 東京は過去2番目
新型コロナウイルスの国内の感染者数は23日午後6時半時点で、3248人となり、過去最多を更新した。これまでの最多は12月17日の3209人(修正値)だった。
東京都では新たに748人確認した。17日の821人(修正値)に次ぐ過去2番目の多さで、水曜日としては過去最多。大阪府では23日、新たに313人の感染が確認された。1日あたりの感染者が300人を上回るのは4日ぶり。(朝日新聞社2020年12月23日)

“学校を核としたまちづくり”を進める「スクール・コミュニティ」―「秋津コミュニティ」に関するワンポイントメモ―

「スクール・コミュニティ」とは、「学校」を核とした、あるいは「学校」という場や関係を介在させた、人々の結びつきや関わりの状態を指し、学校やそこにおける子どもを「縁」として、地域の大人と教師の関わり、学校と地域社会の協働関係のあり方を、より良好なものにしていこうとする考え方や実践のことである。その意味では、あの種の「学びの共同体」ということにもなる。「スクール・コミュニティ」を実現させようとしている事例のひとつとして、千葉県習志野市の「秋津コミュニティ」(小学校区)がある(『生涯学習研究e事典』日本生涯教育学会、2008年9月)。

〇文部科学省によって、保護者や地域住民等が一定の権限と責任をもって学校運営に参画し、“地域とともにある学校づくり”を進める「コミュニティ・スクール」の導入・推進が図られてきた。そしていま、地域と学校が連携・協働して地域全体で子どもの成長発達を支援するために、“学校を核とした地域づくり”を進める「スクール・コミュニティ」への進展がめざされている。
〇コミュニティ・スクールは、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(「地方教育行政法」)の一部改正(2004年6月公布、同年9月施行)によって制度化された「学校運営協議会」を設置する学校をいう。学校運営協議会には、主な役割(機能)として、①校長が作成する学校運営の基本方針を承認する(必須)、②学校運営に関する意見を教育委員会又は校長に述べることができる(任意)、③教職員の任用に関して、教育委員会規則に定める事項について、教育委員会に意見を述べることができる(任意)、の3つがある。そして、先の地方教育行政法の一部改正(2017年3月公布、同年4月施行)によって、学校運営協議会の設置が努力義務化された。
〇その結果、学校運営協議会を設置する学校(コミュニティ・スクール)は、2020年7月現在、全国の公立学校3万6,015校のうち9,788校、27.2%に増加している。
〇スクール・コミュニティの創出については例えば、「放課後子供教室」(2007年4月。小学校を核にして、放課後等に子どもが安心して活動できる居場所を確保し、子どもに学習や体験・交流活動等の機会を提供する)や「学校支援地域本部事業」(2008年4月。原則として中学校区を基本的な単位として、地域全体で学校教育を支援する活動体・体制づくりを推進する)、「土曜日の教育活動」(2014年4月。学校における教育課程内・外の教育活動や地域における学習や体験活動等によって土曜日の教育活動の充実を図る)、「学習未来塾」(2015年4月。学習が遅れがちな中・高校生等を対象に、退職教員や地域住民等による学習支援を実施する)などが展開されてきた。
〇そして、「社会教育法」の一部改正(2017年3月公布、同年4月施行)によって、「地域学校協働活動」や「地域学校協働活動推進員」などが明文化された。地域学校協働活動とは、幅広い地域住民等の参画を得て地域全体で子どもの学びや成長を支援するとともに、“学校を核とした地域づくり”をめざして地域と学校が連携・協働して行う活動をいう。地域学校協働活動推進員は、その地域学校協働活動に関して地域住民と学校との情報共有や助言等を行い、地域と学校をつなぐコーディネーターとしての役割を果たす者である。教育委員会によって委嘱される。加えて、法律上の規定はないが、「地域学校協働本部」の設置・整備が重要・有効とされる。地域学校協働本部は、多くの幅広い層の地域住民、団体等が参画し、緩やかなネットワークを形成することによって地域学校協働活動の推進を図る体制をいう。その整備にあたっては、①コーディネート機能を強化し、②より多くの地域住民等の参画による多様な地域学校協働活動を実施し、③地域学校協働活動の継続的・安定的実施を図ることを必須とする。
〇2020年7月現在、全国の地域学校協働活動推進員等は2万8,822人(教育委員会によって委嘱されている者7,339人、教育委員会によって委嘱されていないが同等の役割を果している地域コーディネーター2万1,483人)、地域学校協働本部が整備されている全国の公立学校数は1万8,130校、50.3%を数えている。
〇文部科学省にあっては、コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)と地域学校協働活動(スクール・コミュニティ)が相互に補完し合い、両輪となって相乗効果を発揮していくことが期待される。下の図は、「学校と地域の効果的な連携・協働と推進体制」のイメージ図である。

〇コミュニティ・スクールを導入し、スクール・コミュニティの実現を図っている先駆的な事例のひとつに、千葉県習志野市の秋津小学校の取り組みがある。コミュニティ・スクールの展開を主導したのは1996年度から1998年度にかけて校長を務めた宮崎稔(みやざき・みのる)である。スクール・コミュニティ(「秋津コミュニティ」と称する生涯学習を推進する任意団体)の創出に当初から関わった一人が岸裕司(きし・ゆうじ)である。筆者(阪野)の手もとにいま、宮崎稔著『学校も地域もひらく コミュニティ・スクール―無理せず、楽しく、かろやかに―』(農村漁村文化協会、2020年9月。以下[1])と岸裕司著『学校開放でまち育て―サスティナブルタウンをめざして―』(学芸出版社、2008年1月。以下[2])の2冊の本がある。
〇[1]は、秋津小学校での取り組みを中心に、単なる事例紹介ではなく、「学校と地域の融合(協働)」活動の実態と背景、今後の方向性などについて説述する。その際、「子どもの教育を地域の人とともに実践する」というコミュニティ・スクールと、「学校」(スクール)があるおかげで地域(コミュニティ)での生活が充実している」というスクール・コミュニティのあり方について言及する。そして宮崎は、学校と地域の協働活動を継続的に進めるためには、「できるときに」「無理なく」「たのしく」行うシステムを構築することが重要である、という(205ページ)。
〇[1]から、宮崎がいう「コミュニティ・スクール」や「学校と地域の協働活動」に関する基本理念等について、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換)。

● 子どもの「学ぶ権利」は教師だけでなく、保護者や地域の人が協働することによってよりよく実現するものである。(23ページ)
● 学校で子どもと直接的にかかわらなくても、学校に関心を寄せて地域の子どものためにと緩(ゆる)やかに活動するという人がたくさんいることが、真の意味で地域の学校(コミュニティのスクール)というにふさわしい。(68ページ)
● 協働して教育活動をするための「ひらかれた学校」というのは、「学校対地域」というような2者の関係だけではなく、人と人の心がひらかれていること、教師と保護者や地域の人、地域の人同士が「タブーなく何でも話せる」という信頼関係、まさに「win・win」の関係がもっとも重要である。(119、122、158ページ)
● 学校が地域の人と協働して教育活動をすることは、子どもが多様な人と触れ合いながら社会性を身につけていくという子どもにとっての教育的な意義だけではない。まちづくりにもつながる大きな意義がある。学校を地域にひらいて子どもを核にした教育活動をすることは、大人にとっての生きがいやコミュニティづくりのきっかけになるという点でも大いに意義がある。(141、158、159ページ)
● 地域づくりにはネットワークよりもパッチワークが大事である。ネット(網)でつないでいく地域では、網の目から漏れてしまう人も出てくる。パッチワークは布で作成するから、網目からこぼれることはなく、地域を構成するどんな人も漏らさず仲間に入れていくことができる。また地域づくりには、点描画(てんびょうが)が重要である。点描画では、色の一点一点が存在感をもって絵を構成するための大事な要素である。地域づくりも筆で一色に塗りつぶすような画一的な手法ではなく、それぞれの色(個性)を生かしていくことによってよりよい地域になっていく。(153、154ページ)
● 学校のある日の授業でのかかわりだけがコミュニティ・スクールなのではなく、大人のいろいろな生活に対応したかかわり方があることが、コミュニティで子どもを育てることにつながるのである。また、学校という場でおこなうことだけが地域との協働というのではなく、地域のできるだけ多くの人が自分の都合に合わせてアイディアを出しながら、できるだけ多くの場で子どもにかかわるということが、本当の意味での協働である。(165ページ)
● 子どもはいずれは卒業する。教師も転勤する。しかし、地域の人はほとんどその地域に残る。地域の人がそこで知り合った人との活動で地域生活が充実してくるということは、個人としての生涯学習を越えて、地域づくりにもつながる。そして、地域が学校の「まるごと応援団」のようになってくると、学校のためだけというよりも地域のためになるといえる。子どもを核にして地域づくりがおこなわれているという関係を「スクールコミュニティ」という。(166、167ページ)
● コミュニティ・スクール事業の目的は何か。形式的に大人と子どもが同じ時間を共有しているというだけではコミュニティ・スクールの目的からは外れる。コミュニティ・スクールは住民自治のチャンスである。自分たちのまちを自分たちで創るという、そのような自治のチャンスがある場がコミュニティ・スクールである。自分の地域や地域の子どもをそして自分自身を、学校という場で自分らしさを発揮して生きているということにつながるようにすることが本来のコミュニティ・スクールの目的である。(185、186ページ)

〇[2]は、「小学校と地域が持つ3つの機能(「学ぶ」機能、「学校施設」機能、「子縁」機能)を活かしながら地域の諸課題の解決に挑みつつ、住民自治を進化・深化させている秋津の「まち育て」を紹介する。また、そんな「まちの価値」を慕ってUターン・Iターンする次世代を意図的に育てることによりニュータウンのゴースト化を防ぎ、サスティナブルタウン(持続可能なまち)をめざす『スクール・コミュニティ』づくりを展望する」(5ページ)。そして岸は、サスティナブルなまち育ての1単位コミュニティは「1住区の小学校区」が最適であるとし、「秋津コミュニティ」の理念・モットー・キーワードは「できるひとが、できるときに、無理なく、楽しく!」である、という(44、53ページ)。
〇[2]から、岸がいう「スクール・コミュニティ」や「学校と地域の協働活動」に関する基本理念等について、筆者が(改めて)留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。一部見出しは筆者)。

小学校と地域が持つ「3つの機能」
小学校を活動拠点とした生涯学習コミュニティの創生を通してまち育てを実践するためには、小学校とその住区が本来持っている「3つの機能」を活かすことが重要である。
①「学ぶ」機能の協働:小学校の「学ぶ」機能を住区民と協働して生かす手法である。教育界でいう「学社融合」(「学」は学校や学習、「社」は社会教育や地域社会)である。
②「学校施設」機能の共用・共有:「学校施設」機能を住区民との共用・共有により生かす手法である。「いつでもだれでもが利用できる、生涯学習や集い憩(いこ)う住区民の活動拠点」が必要かつ重要である。
③「子縁」の普及と共有化:「子縁」の普及と共有化によるその活かし方である。「子縁」を通してふれあう活動を小学校や住区内に意図的につくり出し、より多くの住区民が仲良くなるように普及しながら共有化する考え方と手法である。(59~62ページ)

大人も子どもを生涯学習の主体者とする「学社融合」
秋津では、子どもたちを取り巻くどんな大人でも、子どもと一緒に学ぶ主体者=ともに生涯学習の主体者ととらえ、その考え方を実践する教授法を「学社融合」と呼んでいる。この考え方は、「秋津モデル」に至った秋津の大発見であり、ほかで導入する際にはもっとも留意してほしいポイントである。(102ページ)

スクール・コミュニティがめざす「2つの目的」
「スクール・コミュニティ」(市民が自主運営する生涯学習学校)がめざす目的は次の2つである。①だれでもが、いつでもどこでも学べる、生涯学習のまち育てに寄与する学校と地域をつくること。②だれでもが、安心で安全に学び働き暮らせる、ノーマライゼーションのまち育てに寄与する学校と地域をつくること。(106、107ページ)

学校づくり・まち育て・子育ちの「三位一体」
スクール・コミュニティを推進する最大の視点は、「学校づくり・まち育て・子育ちは三位一体のこと」として取り組むことである。一般にこの三位は縦割り行政の言葉に象徴されるように、別々に推進されている。しかし、この三位は丸ごと地域に渾然一体(こんぜんいったい)となってからみあいながら存在し続け、しかも縦にも横にも切れないヒト・コト・モノである。課題は、スクール・コミュニティへの道を歩もうとする教育委員会を含む行政・学校・住区民の当事者3者が、互いにメリットが生まれるように「つなぐ」「コーディネーター」としてのものの見方をいかに身につけ、未来を明るく展望できるように実践するのかにかかっている。(109、110ページ)

〇ここで、秋津小学校と秋津コミュニティによる「まち育ち」(まちづくり)の実践を理解するために、その具体的な取り組みについて紹介しておくことにする。少し古い資料になるが、総務省が2013年2月に報告した「地域活性化の拠点として学校を活用した地域づくり事例調査」に基づくものである。なお、2020年11月現在の習志野市の人口は17万5,292人、世帯数は8万1,985世帯、2020年3月末現在の高齢化率は23.3%(2020年9月15日現在、全国28.7%)、2020年4月現在の秋津小学校の学級数は12学級、児童数は237人である。

〇以上から、次の5点について述べておくことにする。
(1)超少子高齢人口減少社会が進展するなかで、地域社会は深刻かつ複雑な教育問題を抱えている。例えば、しばしば指摘される少子化の影響による公立学校の統廃合問題をはじめ、教員の多忙化と同僚性の形骸化、学校と保護者・地域住民との関係や地域住民同士の人間関係の希薄化、そして家族問題を含めた貧困・格差問題や相変わらずのいじめ・不登校問題などはその一例にすぎない。そんななかで、学校と地域・住民が連携・協働することによって、住民の個人的な達成感や自己有用感、生きがいなどを生み出すとともに、学校を中心とした地域・住民のネットワーク化が図られることになる。「秋津小学校と秋津コミュニティ」(「秋津モデル」)はその事例のひとつである。しかしいま、「秋津コミュニティ」においては(おいても)、役員の固定化やボス化、高齢化などが指摘され、秋津モデルを支える当事者意識をもった保護者・地域住民の確保・育成が喫緊の課題になっている。秋津モデルの「持続可能性」が問われるところである。
(2)コミュニティ・スクールはその展開によって、地域の活性化をめざす。それは別言すれば、「ソーシャル・キャピタルの醸成」である。ソーシャル・キャピタルは、いろいろな人々同士が社会的に、豊かにつながり(「ネットワーク」)、それに基づいて互いに信頼しあい(「信頼」)、“お互いさま”という想いから互いに支え合うこと(「互酬性の規範」)によって地域社会の諸問題が解決され、よりよい住民自治が進み、豊かな地域社会が創り出される、という論理である(本ブログ〈まちづくりと市民福祉教育〉(10)2012年9月10日投稿、参照)。秋津モデルでは、「ネットワーク」「信頼」「互酬性の規範」を構成要素とするソーシャル・キャピタルの形成・醸成を通して、「地域とともにある学校づくり」と「学校を核とした地域づくり」が子ども・教員・保護者・地域住民らの“共働”によって進められた、といえよう。全国のコミュニティ・スクールを牽引(けんいん)した、先駆的な取り組みのひとつである。
(3)ソーシャル・キャピタルの活用は、学校と子どもが抱える多様化・複雑化した課題の解決につながるか。コミュニティ・スクールが政策的に推進され、その成果が過剰に期待・注目されている。その要因には、文部科学省や教育委員会による厳しい管理体制や、そのもとでの形式主義や前例踏襲主義、事なかれ主義などによる学校経営・学校教育の問題や弊害があった(ある)。またその背景には、教育財政の拡大を難しくしている政治的・社会的な時代状況がある。コミュニティ・スクールが制度化され、保護者や地域住民の学校経営への参加が認められたとはいえ、それは限定的なものにとどまっている。「内」に開かれていない学校(学校経営、教育活動)が、先駆的と評される一部の例外を除いて、「外」に開かれるとは考えにくい。また、ソーシャル・キャピタルの高い地域と低い地域によって、そのあり様は大きく変わる。コミュニティ・スクールの推進を図るに際して、教育行政や管理職と現場教員や保護者などの考え方の相違が顕在化し、余計な対立や混乱を招く恐れなしとしない。さらに、教員の意識の変革や専門性の向上、創造性の発揮などを期待するとしても、そのための条件整備が十全になされているとはいえない。要するに、ソーシャル・キャピタル(論)がコミュニティ・スクールやスクール・コミュニティの推進を担保するとは言い切れない。
(4)コミュニティ・スクールやスクール・コミュニティはこれまで、子どもや地域の貧困や社会的排除の問題についていかに対応してきたか。子どもの学力格差は格差社会に起因するものであるとして、(外国籍の子どもを含めた)子どもの学習権保障や、家庭や地域の教育力の向上をいかに図ってきたか。いま、その取り組みと成果が問われる。学校は相変わらず、子どもを選別し、階層を再生産し、特定の階層の代弁者としての学校であり続けている。「ものを言わない」あるいは「ものを言えない」保護者や地域住民を教育や社会の片隅に追いやっている。そこにはまた、自己責任論が見え隠れする。それらに立ち向かう“学び”を深め、“つながり”を構築することがコミュニティ・スクールやスクール・コミュニティに強く求められる。しかしそれは、対症療法なものにとどまりがちである。そこで求められるのが、地元自治体や政府に対するボトムアップ型の教育・社会運動である。しかも、それによって制度化された(画一化・平準化された)施策・事業については、個々の学校や地域がそれぞれの立場や視点で再検証することが必要かつ重要となる。ここではじめて、二つとして同じものはない、唯一無二のコミュニティ・スクールやスクール・コミュニテが成立することになる。
(5)「秋津コミュニティ」では、「自助・共助、最後に公助のまち育て」という理念に基づいてさまざまな事業・活動を推進してきた。特に「最後に公助のまち育て」「行政頼みは最後の最後」は、「秋津のまちへの税金誘導は、下品な市民がする地域エゴである」という考え方による([2]192~193ページ)。しかし、学校や地域社会の限界を超えた「自助」は、学校や地域社会を破壊する。「共助」は、ヒト・モノ・カネ・情報(+岸がいうトキ)などを持たない者同士の支えあいを強制することにもなり、「共助」の基盤そのものを破壊する。「最後に公助」は、国や自治体の役割を後退させ、学校や地域社会、保護者や地域住民の自己責任を強調することになる。十分に留意すべきところである。
〇加えて、「秋津コミュニティ」による地域づくりの可能性と課題について、ひとつの言説を紹介しておく。川崎未美(東洋英和女学院大学、2007年3月)によるものである([2]174~175、176ページ)。

補遺
文部科学省は、2013年度より、コミュニティ・スクールの導入および拡充を推進する教育委員会や学校関係者等に対して、「コミュニティ・スクール推進員(CSマイスター)」を派遣し、推進体制の構築や取り組みの充実の促進を図っている。2020年度においては、33名のCSマイスターが文部科学省によって委嘱されている。CSマイスターについて、宮崎稔は次のように述べている。「コミュニティ・スクール事業では、マイスターと呼ばれる人が文部科学省から委嘱を受けて各地に出向いて広めてくださっています。でも私は、マイスターではありません。だから、文部科学省の考え方を広めることにとらわれず、コミュニティと学校との関係づくりの意味について自由に述べることができます」([1]205~206ページ)。付記しておきたい。

付記
筆者の手もとにはいま、[2]以外に、岸裕司の本は3冊ある。
①『学校を基地に〈お父さんの〉まちづくり―元気コミュニティ! 秋津』太郎次郎社、1999年3月。
佐藤学/21世紀の学校の先どりが、ここで起こっている。寺脇研/私など、こんなに楽しい街なら秋津に引越してみたい、とついつい思ってしまいます。斎藤茂男/これからの教育を指し示している原動力である。(「帯」より)
②『「地域暮らし」宣言―学校はコミュニティ・アート!―』太郎次郎社エディタス、2003年12月。
大人がいちばん楽しんでるまち。/会社人から地域人になったお父さんたち、「病院通いより学校通い」のお年より、多様な大人のなかでゆっくり育つ「子育ち」支援。学校からはじまるまちづくり。/地域のみなさん、学校で会いましょう。(「帯」より)
③『中高年パワーが学校とまちをつくる』岩波書店、2005年10月。
子どもがのびのび、おとながいきいき、楽しくてやさしい町。そんな町を、ほとんどただでつくった男が、秘訣を明かした。あなたも、やってみませんか!/堀田力(「帯」より)

裏切られた男

騙されたんです
私には何の罪もありません
一国の首相は たかが秘書に騙される程度の国だった

騙された方が悪いんですか
私には何の罪もありません
国会で確かめもせず 秘書の口車に乗っただけです

騙す方が悪いですよね
私が指示なんか するわけありません 
国会で嘘の答弁なんか するわけありません

「事務所は関与していない」
「明細書は無い」
「差額は補塡していない」
118回も繰り返し答弁していたなんて嘘でしょ!

国民を欺くなど どうしてできましょう
地元を大事にしたことは みんながしてることです
私が関わっていたなら 国会議員辞めます

日本の総理大臣だった男に 泥を塗りやがって
なんでこんな失態を しでかしたんだ
ホテルの明細書も ANA(3月)のとき潰したんだろう
隠し通せるから大丈夫と 太鼓判を押しただろう
検察には知らぬ存ぜぬで通すから 口裏合わせておけ
責任は取ってもらうぞ いいな
覚悟して始末せよ
こんな舞台裏 あったかなかったか 想像に任せよう

長州人として生き恥をさらし 実績を台無しにしたお方
信用していた者に裏切られた どうしょうもないお方
信頼という名に 決して値しないお方
忖度する者たちに責任転嫁は 得意のお方
嘘を嘘で固めて 真に見せる話術に長けたお方
逃げ恥は恥とも思わぬ 厚顔無恥なお方
不起訴処分を御旗に 国を牛耳ようとするお方

あなたの不誠実さを 反面教師として子どもに伝えます
あなたに3度目の道は 口害により行き止まりになりました 
あなたを教訓にして 騙されぬよう賢く振る舞います

そもそも 偽り続けたお人が
よもや認めるなんてこと するはずないでしょ!

〔2020年12月22日書き下ろし。地元の後援会が一番恥ずかしく思っていることだろう。吉田松陰や高杉晋作の歯ぎしりが聞こえてくるようだ〕

付記
安倍氏聴取「長州人として恥ずかしい」 地元も厳しい目
「桜を見る会」前日の夕食会の費用負担をめぐり、安倍晋三前首相が東京地検特捜部から聴取を受けた。首相経験者が捜査機関から事情聴取される異例の事態。「真実を語るべきだ」。地元・山口の長年の支持者らも、安倍氏を厳しい目で見つめる。(中略)
2017、18年に「桜を見る会」と夕食会に出た80代の男性支持者は、「秘書に任せていて知らなかったでは通らない」と安倍氏の責任を指摘する。国会での答弁が事実に反していたことには「トップとして事務所やホテル側にきちんと確認すれば分かること。そうせずに虚偽答弁を続けたのはおかしい」と疑問をぶつけた。
夕食会は会費5千円にしては十分な料理でもなく、安倍氏側からの補塡(ほてん)は予想しなかったという。「補塡したお金の原資が知りたい。後ろめたいことがあるから隠そうとしたのではと思ってしまう」。そしてこう付け加えた。「官房長官として安倍さんを支えた菅首相にも責任はある」(中略)
幕末の志士、高杉晋作の墓所として知られる市郊外の「東行庵(とうぎょうあん)」。境内には首相時代に安倍氏が銘板を揮毫(きごう)した高杉の銅像がある。近くの70代男性は捜査対象となった安倍氏について「長州人として極めて恥ずかしい」と嘆いた。(中略)
安倍氏自身は不起訴処分となる公算が大きい。「政治家に責任が及ばないのは許されない。秘書への監督責任もあるはずだ」と指摘し、国会の証人喚問に応じるよう求めた。(朝日新聞2020年12月22日)

不変可変

変わらぬもの
政治家の性根
変わるもの
政治家の信念

変わらぬもの
政治家の変節
変わるもの
政治家の支持率

変わらぬもの
政治家の跡継ぎ
変わるもの
政治家の品質

変わらぬもの
政治家の言葉の軽さ
変わるもの
政治家の言葉の信用

変わらぬもの
政治家の保身
変わるもの
政治家の落選

※政治家は「せいじや」とお読みください。

〔2020年12月21日書き下ろし。札幌市東区選挙区の吉川さんは、早々に息子を後継者にして選挙に打って出るだろう。辞めても影響力を残すのが政治家。安倍さんも知らぬ存ぜぬで秘書が罪を被り、お咎めなしの無罪放免。快気祝いの一席を夜な夜な設けることだろう。桜を見納め3選目指して奮起する予想が怖い〕

付記
「桜」不記載額5千万円超疑い 弁護士ら新たな告発状提出
安倍晋三前首相の後援会が「桜を見る会」前日に主催した夕食会の費用補填問題を告発した弁護士らが21日、東京都内で記者会見し、安倍氏側が政治資金収支報告書に記載しなかった額は計約5600万円に上る疑いがあるとする新たな告発状を東京地検に提出したと明らかにした。
会見したのは、2018年分の夕食会の補填分を巡り5月に告発状を出した泉沢章弁護士ら。今回は15~19年分を対象とし、泉沢弁護士は「補填は一切ないという安倍氏の国会答弁は虚偽だったことが明確になった。幕引きを許すべきではない」と話した。(共同通信社2020年12月21日)

吉川貴盛元農水相が議員辞職を表明 鶏卵業者から現金提供疑惑で
自民党の吉川貴盛元農水相=衆院道2区=は、鶏卵生産大手「アキタフーズ」グループ元代表による自身への現金提供疑惑の責任を取り、議員辞職することを決めた。吉川氏が21日、自らの事務所を通じ発表した。(北海道新聞2020年12月21日)

貧すれば鈍する

こころ貧しければ 貪欲となる
貧しいがゆえに 品性も劣る
貧しければ 妬み嫉みが強くなる
貧しいがゆえに 純粋を憎む

こころ卑しければ カネに汚くなる
卑しいがゆえに 下品この上ない
卑しければ 邪悪に惹かれる
卑しいがゆえに 不正を好む

こころ冷たければ カネで始末をつける
冷たいがゆえに 道理を学ばず   
冷たければ 残酷になれる
冷たいがゆえに 情愛に飢える

こころ虚しければ 世に居場所なし
虚しいがゆえに 弱き者に怒りをぶつける
虚しければ 信じるはカネのみ
虚しいがゆえに 孤独を友とする

こころなければ 人にあらず
なきゆえに 無慈悲にふるまう
なければ 暴力も厭(いと)わず
なきゆえに 空っぽの闇に漂う

※貧すれば鈍する(ひんすればどんする):貧乏すると世俗的な苦労が多いので、才知がにぶったり、品性が下落したりすること。

〔2020年12月21日書き下ろし。エリートたちが証拠にもなく、世に憚ることを恥じることなくおやりになる。貧乏人を貶めるそのこころは?〕

我感知せず

雑用にかまけて 忙しいから
子どものことは おかまいなく

学習指導こそ 本分なれば
生徒指導は おかまいなく

家庭にこそ 問題あるゆえ
学校のことは おかまいなく

子どもに 少々てこずるけれど 
指導のことは おかまいなく

不登校の子の行けない理由
教師とうまくいかない頼れない 38%
学校の不登校の要因の回答
教職員との関係をめぐる問題 2・5%

学校があげる不登校の要因
家庭の状況30・9%
いじめ以外の友人関係 30・1%
学業の不振 24%

かまいたくなるこのデータ
信頼関係が築けないと子どもは悩み
教師は問題ないと突き放す

子どもは思い悩んでいる
なぜ学校に行かねばならないのか
家庭にも友人関係にも そして教師との不和も

教師は真剣に取り組んでいる 
自分が原因とは思いもつかない 鈍感力を磨く
我関知せずの距離を取りつつ とりなす態度を養う 

子どもと教師の断絶
教師の感知できぬ資質に因あらば
このギャップは 決して埋まることはない
雑用という名の下に 疎(いと)まれる子ども
指導という名の下に 怯(ふる)える子ども
学校という名の下に 守られる教師たち

〔2020年12月20日書き下ろし。「平成30年文部科学省調査・学校家庭調査関連」から浮かび上がった不登校に関わる要因は、子どもと教師の鮮やかな断絶である〕

去る人たち

それぞれが 不満を口にした
申し出をしても 応じられなかった
日々モチベーションは 下がっていった

サボタージュもどきで 抵抗を試みた
対応は 何も変わらなかった
日々笑いが消え いかつい表情に変わっていった

思いのあるひとにも 伝染し始めた
煽っていると 露骨に中傷もされた
日々空気が冷たくなり 堪(たま)らなくていった

そう仕向けられたと 分かってはいた
悪意のある仕打ちに 心折れそうだった
日々耐えながら 意地になって仕事を続けた

心がどんどん離れて 辞めざるをえなくなった
10年勤めた5人の仲間は 潮時を計った
日々その場しのぎとなり 潮時を知った

優秀な人材を腐らせ 辞めさせた
去った者たちに 全ての原因を負わせた
不満分子の追い出しに 成功した

能力が高いことが うとましかった
発言力を増すことが 許せなかった
逆らう者への 見せしめだった

見下したやり口に 身を縮めた
口をふさぎ 嵐の収まるのを待つしかなかった
切磋琢磨する過去の風土は 崩れてしまった

春が来て 風向きが変わってきた
上司の理不尽な言動が 露わにされた
首を切られた

次にその席に座った者は
マイナスから 経営の再建に挑む
取り戻さねばならぬのは 人心しかない

〔2020年12月16日書き下ろし。どこの職場でも政界でも起こっている問題を提起した。責任者や指導者の力量が常に試されている〕

誤解活用法の誤解

誤解を招く
誰も誤解することなく 真摯に事実を受けとめているだけのこと
悪さしたときの常套句で 相手に責任を負わすこと
卑劣な態度を隠すのに 適切で使い勝手がよいということ
日本語の誤活用で 自己正当化を促す詭弁でしかないこと

誤解を生じる
相互の会話の中で 言葉による受け止め方の違いのこと
理解の行き違いが生まれたことによる 真意の不一致のこと
不誠実な言動で生まれてきた 偉い人には不都合なこと
言葉足らずと釈明し正当化する 偉い人の暴言がまかり通ること

誤解が誤解を生む
誤解と認識しないで さらなるミスを重ねること
誤解を放置した コミュニケーションの不具合のこと
誤解を棚に上げて 言い分をごり押しすること
誤解と理解した上で 相手が不信を深めること

誤解で墓穴を掘る
多くの失敗例から学ぶことが出来ない 無能さをさらすこと
誤解と弁解した瞬間 嘘つきだってバレバレになってしまうこと
やったことを素直に認めて ごめんで済む話を複雑にすること
被害者然として語る態度に 不信と不快しか湧かないこと 

そもそも 誤解させぬよう
正しく日本語を使おう!

※誤解というのはある事実について、間違った理解や解釈をすること。相手の言葉などの意味を取り違えること。

〔2020年12月19日書き下ろし。ネットは、匿名だけに誹謗中傷の怖さはもとより、事実をねじ曲げようとすれば、過敏に反応し突っ込む〕

付記
菅首相「国民の誤解を招く」発言にネット総ツッコミ
菅義偉首相が大人数で会食していた問題について「国民の誤解を招くという意味においては、真摯(しんし)に反省している」と述べ、ネット上では各方面からツッコミが相次いだ。
菅首相は「Go Toトラベル」の全国一斉停止を発表した後の14日夜、自民党の二階俊博幹事長や芸能人らとステーキ会食したことに批判が出ている問題について、16日に官邸で取材に応じ「国民の誤解を招くという意味においては、真摯に反省している」と述べた。
この“誤解”発言に、立憲民主党の蓮舫代表代行はツイッターで「いやいや。国民は『誤解』していません。『国のトップとしておかしい』と率直に思っているだけです」と指摘。作家の平野啓一郎氏は「何か『誤解』したっけ?」と疑問を呈し、タレントの松尾貴史は「誤解を招いた! ハッ! 誤解を招いた! ハッ! 国民が何を誤解したのか。誤ったのは自分で、国民は、が『正解』していたのでしょう?」とツッコミを入れた。(日刊スポーツ2020年12月17日)