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阪野 貢/戦間期における生活綴方教育運動にみる「社会事業的」教育実践 ―国分一太郎「1936年論文」の翻刻・解題と今後の研究に向けて―

福祉教育の歴史は終戦直後から始まると捉えるのが通説である。しかし、それは戦前の福祉教育に関する歴史をふまえたものではない。戦前に関しては、更なる検討が必要とされる2つの説があるにすぎない。それは福祉教育の遡及的原点を大正デモクラシー期の新教育運動に見出す説と、地方改良運動に見出す説である。前者に関しては村上(1994)が、大正デモクラシー期の新教育運動の中でも、とりわけ「池袋児童の村小学校」の野村芳兵衛による生活教育や修身教育の実践を、福祉教育の遡及的原点として紹介している。後者に関しては、大橋(1997)が地方改良運動の諸実践の中には今日の福祉教育と同じような実践がみられると述べている。(三ツ石行宏「<解題>福祉教育史研究の課題と展望―阪野論文に導かれて―」日本福祉教育・ボランティア学習学会20周年記念リーディングス編集委員会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸~学際性と変革性~』大学図書出版、2014年10月、52頁)

はじめに

〇筆者は、福祉教育の歴史研究において、1930年代の生活綴方教育の実践や運動のなかに、今日の福祉教育実践に通底する側面や要素が含まれていたのではないか、との仮説を立てている。その実証的検討の端緒として、本稿では太郎良信「国分一太郎による生活綴方教育批判の検討―1936年から1939年における―」(『文教大学教育学部紀要』第45集、文教大学、2011年12月)を取り上げる。
〇太郎良はその論考において、国分一太郎(1911年3月~1985年2月)の軌跡を次のように指摘している。すなわち、1930年から1935年にかけては綴方を通して生活の現実に学ぶ教育実践(「生活勉強」)を説いていた国分が、1936年から1939年にかけては生活綴方教育批判へと転じ、綴方教師たちに対して地域における啓蒙活動への参画を呼びかけるようになった、という点である。太郎良は、生活綴方教育批判を主題とする国分の論考を時系列に沿って精緻に分析・検討することで、この変遷を明らかにしている。

Ⅰ 1936年における国分一太郎と生活綴方教育運動の時代背景

〇1936年は、二・二六事件が発生した年である。また、思想犯の意見・表現の自由を制限した「思想犯保護観察法」の制定など、教員への圧迫が構造化された年でもある。それは、1929年10月に始まる世界恐慌をひとつの契機に経済的・政治的・社会的矛盾と混乱が深刻化するなかで、日本が軍国主義化・ファシズム化を進め、日中戦争(1937年7月勃発)と太平洋戦争(1941年12月勃発)への道を辿るターニングポイントとなった。1936年はまた、国分にとっても特筆されるべき年である。国分がその重要な担い手であった北方性教育運動(生活綴方教育運動)が衰退傾向を示し、その運動の拠点であった北方教育社(1929年6月、秋田市に創立)が同年8月に閉鎖に追い込まれている。それは、「視学などの圧力と、内部的な脆弱性」(津田道夫『国分一太郎―抵抗としての生活綴方運動―』社会評論社、2010年1月、150頁)によるものであった。なお、1936年の前年1月に、国分がその中心的役割を果たした北日本国語教育連盟(秋田市)が正式発足し、8月には国分がその組織強化活動に関わった北海道綴方教育連盟(釧路市)が設立されている。
〇ここで注目すべきは、1930年代半ばにおける「社会事業」概念の変容である。当時の日本社会は、国家総動員体制に向けた「厚生事業」へと舵を切る過渡期にあった。国分が「社会事業」という用語を用いた背景には、単なる慈善救済への関心を超え、疲弊する農村共同体を教育の力でいかに再編し、国家の矛盾に抗し得る「生活主体」を形成するかという、教育と社会事業の境界領域における模索があったと解釈できる。
〇本稿では、太郎良が紹介・検討した論文群のなかから、国分が「社会事業」に関心を持ち、生活綴方教育と社会事業の関係や、社会事業がもつ教育的効果に言及した次の2本の論文(以下、「1936年論文」と総称)を対象とし、その翻刻と解題(史料紹介)を行う。

(1)国分一太郎「社会事業的文化事業的教師として」『日本文化と国民教育』第2巻第5号、東宛書房、1936年8月、74~79頁。
(2)国分一太郎「文壇的批評と教壇的批評」『教育・国語教育』第6巻第10号、厚生閣書店、1936年10月、152~157頁。

〇この作業は、単に福祉教育の遡及的原点を追究するに留まらず、冒頭に記した三ツ石が指摘する課題、すなわち「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続を検討する必要性」(三ツ石「前掲論文」54頁)に応えるための端緒を開くことを企図している。また、未開拓の史資料を収集・分析・評価することを通じて、既存の福祉教育像をより豊かに再構成することをめざすものである。なお、対象とする論文は福祉教育史研究においても貴重な史料であるため、その文脈と詳細を忠実に再現すべく、引用が長大にわたることをあらかじめ付言しておきたい。翻刻にあたっては、原文の表記を尊重し、旧漢字・旧かな遣いは原則としてそのまま用いた。

Ⅱ 史料翻刻と解題
―「社会事業的教師」の提唱―

(1)国分一太郎「社会事業的文化事業的教師として」
かうした困難なる生活を生きる子供をかゝへて青年教師は何とするか。或る人は歴史の秩序を信ずる事によつて、この現実の中に真実を、砂の中の砂金のかけら程でもいいからみつけさせて行かうと精神的になる。ある人はこの困惑は薬だといふ。この困難にまけぬやうな意志だけが大切だと説教する。乞食根性をもつなといふ。困難はやがて幸福のもとと出世美談みたいな真理を活用する。
ある青年教師は、子供とはそんな現実主義者ではない。夢の人だといつて、のびのびと、ゆるやかに魂と身を伸さうと賢明なことを言ふ。だがその子は家に帰ると、あまりにも多産な我が母のために、その弟妹をおばねばならぬ。そして背柱湾曲と統計表に計算される。
ありのまゝの現実を認識させる事だけが一番だ。あとは何も出来ないと言ふ。真実をかけ真実をみよといふ。見てどうするかと言へば答はない。あるとしても「真実のみが、未来をはらんでゐる」と深遠だ。あとはどうにもならぬとアナーキーになり、更に虚無におちいる。そこである若者どもは生活意欲をもたせようといふ。それには自分がもつ事だといふ。所が、その生活意欲とは何ぞやと質問をする先生が出る。生活意欲とは貧乏でなくなりたいといふだけものではないと答へられると、そんなら凶作の時に何故そんな事を叫び出したと叱る。もう一人はこんご、多分に空想的だと度々いふ。(76~77頁)

そこで小学教師よ。青年教師よ。如何に生きんとするや――とせつぱつまつて来た。
曰く社会事業的教師とならん。曰く文化事業的教師とならん――とこの際答へたい。だが僕たち一人でそんな事をされるとは限らない自分の生活は困らぬから社会事業にしたがふといふわけにはいかないのが薄給中の薄給の青年教師だ。壮丁の検査成績がわるいとすぐ、保健省設置を提議できる陸軍とは何といふ羨しい熱心な存在だらう。我々教員は一番村に近くゐて、村の人々とも一番近い所にゐて、その子等の上にその人々の生活を知りつくしながら、医療国営一つ、生活安定一つの徹底をも、建議できない人間共である。漢字の存在や歴史的仮名遣ひが、如何に国民生活を不便にし子供を苦しめつゝありと知りながら、それが廃止の建議案をすら、直ちには出す事が出来ない。それをなし得る団結がほしい。
社会事業にしても、今の担当者は村の有力者や教育者の古手であつて、青年教師の手中にはない。だが、社会事業的出発のし方は大小とりまぜて色々ある。その小さい所からはじめて、日本の青年教師が手をつないで大きな社会事業をなし得る機会をまつことが大切ではないだらうか。託児所が論ぜられ、実践され、校外教育が再吟味され、地域中心の学校施設が問題とされ、生産学校が行はれはじめたのもみな、教育が社会事業の側にうごいて来た証明できる。紙芝居の教育的実践さへもがそれである。
社会事業には、解釈の浅さはあつても、行動の重要さをとらねばならぬ。よい社会事業は、よい社会改造を目標としてゐる筈だ、歴史がゆがめる社会事業があるにはあるにしても、それを駄目だと解釈して、貧しきものは貧しきまゝにして置いていい筈はない。文化の大衆への浸透、それもまたその不可能や困難をかこつより、よい文化合理化されたそれを、小刻みに与へて行く必要は十分にあるのだ。老年教師を啓蒙することもひとつだ。
じつとしてゐるよりは行動をした方がいい。行動は社会事業的な面が一番今のところ進歩的だとしたら、青年教師はそこへ行くだらう。それをきらつて、「生活を描け描け(くの字点―引用者」とばかりいつてるのは、「貧しい事がなくなると、よい綴方が出なくなる」と心配する事の愚に等しい。
といつて、教室からとび出し、学校をはなれて、防貧や救貧事業にのり出せとか、保健衛生事業にでかろといふのではない。「純粋の情熱」や「きれいな知性」をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬのだ。
かういふ物の考へ方を先生がもつことがそもそも大事な生き方の精神となるのだ。僕らが育てた国民が大きくなつたら、すべての代議士が退職積立金法案には賛成を無条件にするように、農業保健法は立派に制定してくれるやうにとか、小作法はにぎりつぶさぬやうにとねがひたいならば、まことに気永な話ではあるが、社会政策的見地にたつ考へ方を国民に充満させねばならぬ。それの尖兵隊は社会事業家であらう。その尖兵の行動を見習ふこともなくして、意欲がどうの態度がどうの、リアリズムがどうのといつた所で、それが単なる精神的な「覚悟」に終らなかつたら御目出度うだ。
僕達青年教師は、小さい頃、人道主義的見知で育てられたらしい。その頃の青年教師に。だが真にヒユーマニストとして生きてゐる人間は何人ゐよう。前述の如く孤立して僅かに情熱をセンチと化するが落ちではないか。逆に封建的な精神で人間、子供を律しようとしてゐないとは言へぬ。
青年教師が、意欲をいひ、モーラルをいふ若さは悪いといはぬ。それはよい。だが現実とそれでは、まだまだ(くの字点―引用者)距離があるやうに出来てゐるといふ方が正直だ。その距離をうづめる手段も持たないでは困るのだ。
社会を愛し、文化を愛する青年教師の全日本的聯結が、それぞれの報告にもとづいて社会事業的、文化啓蒙的教育の行動形態を建設するの急務が叫ばれて欲しい。(77~79頁)

〇本論文は、当時25歳の国分が「青年訓導の立場から」書いたものである。
〇国分は、絶対的貧困にあえぎ、「社会の矛盾」にさらされている東北農村の子どもたちの「現実生活」と、それに向き合う青年教師の状況を述べる。その際、「情熱と知性」を本質とする青年教師の教育実践(生活綴方教育)を、「自嘲的」「揶揄的」に描いている(太郎良「前掲論文」28頁)。そのうえで、国分は、自分たちが育てられた「人道主義的見地」ではなく、「社会政策的見地」に立って、青年教師に「社会事業的教師」になるよう呼びかける。「『純粋の情熱』や『きれいな知性』をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬ」。「よい社会改造を目標」とする「よい社会事業」の行動は、「一番今のところ進歩的」である、と国分はいう。しかし、その言説は、青年教師に対して「社会事業家の生き方のその態度」の必要性を説くに留まっている。国分自身の社会事業的教師として、具体的な教育実践に裏づけられたものにはなっていない、といえよう。
〇しかし、国分が「情熱」を単なる感傷や主観的な同情論に矮小化させず、「社会政策的見地」を求めた点は、教育の「内面化」に対する痛烈な自己批判であった。これは、子どもを「救済の対象」としてのみ見る従来の人道主義的教員像を否定し、社会構造を共に変革する「連帯の主体」として捉え直そうとする、福祉教育における「主体形成論」の先駆的形態として位置づけられる。
〇なお、「教育が社会事業の側にうごいて来た証明」についての指摘は、「教育福祉」の視点を示すものとして留意しておきたい。

(2)国分一太郎「文壇的批評と教壇的批評」
主観的なものを客観的なものへ、個人的なものを社会的なものへ生活の眼をひらかせるの道は、つねに「現実生活」の把握によつて「現実生活」で証明し、現実生活にとかしこんで導かねばならぬ。自然発生的な社会認識をもつた子供を科学的な社会認識に導くことも、生物的人間を社会的人間にひきあげることも、すべて「生活」によつて証明しつゝ、あるひは他教科の各面に於て心づかひつゝあるひは子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ。(156頁)

人間教育とか、純粋感情の教育とか(情操陶冶)といふレツテルを張つてやつて来た綴方教育が、産業の発達による社会的情勢の変化によつて、漸次、より広範囲な生活教育として、その直接的な武器として、生活態度の陶冶と、生活技術の鍛錬とにまで進展したことによるともいへるであらう。そして社会事業の方が、概念的な小学教育よりは、より教育的感化をもたらすといはれる如く、概念的な知的学科や、観念的な情操教科に比して、より現実的な綴方の方が有意義なものとされ、それには昔さながらの文壇的ひとりよがりの指導よりは、より教壇的な協働生活関係としての、生活組織器関(ママ)として役立つやうに吟味されるに至つたのである。(157頁)

僕達の綴方も、あらゆる教科が、生活を証明材料として引つさげて来り、綴方の道をゆたかにしてくれる限りは喜んでむかへるであらう。それらによつて生活の知性がたかまり、生活が充実し、生活行動が真摯になるならば、綴方にとつて其れはこのましき限りである。
それよりも却つて、綴方が綴方の垣の中にとぢこもる如きは、その機能を衰微させる自己矛盾として、むしろ警戒するに価することなのである。貧しさを深刻にかいた綴方があつてくれるやうに、貧しさよ永遠に亡ぶ勿れ――等といふのは綴方の望む処ではない。貧しさのなくなるやうに、防貧事業や救貧事業が、あるひはもつと根本的な社会事業が、学校の周囲でどしどし(くの字点―引用者)と行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である。即ち、綴方の局外よ。他教科にとどまらず、学校全般、社会全般の批判も、どしどし(くの字点―引用者)と綴方の垣を越えて来てほしいのである。かくしてこそ、綴方はますます(くの字点―引用者)生活組織としての機能を発揮するに便利であらう。(157頁)

〇本論文は、国分によると、「世代の綴方論」としては「消極的駄文」であり、「児童作品批評に於ける若干の解剖」を行う「警告的駄文」(153頁)である。
〇国分は、子どもの綴方に対する教師の批評は、「文芸評論」の影響を受けて、優秀な、見本となる作品などをよしとする「文壇的批評」の傾向にある。そうではなく、個々の子どもの「現実生活」や生活認識などに留意した「教壇的批評」が重要である、と説く。加えて国分は、現実生活を客観的・社会的・科学的に把握させることが肝要であり、「子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ」という。
〇そして、国分は、生活綴方と社会事業の関係について言及する。国分にあっては、社会事業によって感化されたことを綴方(作文)に書くことは、現実生活から学び、生活行動に生かすことであり、概念的・観念的な教育に比して教育的であり有意義である。すなわち、生活を綴ることで生き方を変えていくのである。また、生活綴方は国語教育にとどまらず、学校教育や校外教育への広がりをもつことによって、子どもたちの社会事業への関心を促すことになる。すなわち、「社会事業が、学校の周囲でどしどしと行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である」。

〇以上の「1936年論文」において、国分は、当時の文壇的批評に流れる綴方教育の現状に対し、批判的あるいは警告的な立場から論じている。その際、その論拠は必ずしも明確であるとはいえない。また、社会事業による教育・啓蒙とその教育的効果への関心と期待を示している。その際の社会事業の言辞については、観念的・抽象的なものに留まっている。とはいえ、当時、国分は、生活綴方教育の実践や運動において指導的役割を担っていた。そういうなかで、国分の社会事業に関する関心や発言は、青年教師(綴方教師)たちにどのような影響を与え、どのような取り組みを生み出したのか。その前提として、国分がよしとする綴方教師としての「教師像」はどのようなもので、どのような特質をもつものであったか。今後の研究課題とすべきところである。
〇太郎良は、前掲の論考で、「視学等から監視や干渉を受けて、つねに弾圧をおそれていた」国分にあっては、生活綴方教育批判は「視学等の心証を良くするためのものであった可能性がある」(36頁)という。そうだとすれば、国分の社会事業への関心は単に、そのためのものであったのか。そうではなく、ファシズムの常態である公権力による教育の支配・統制が強化されるなかで、それに対抗する教育実践として、「社会改造」を目標とする社会事業に期待したのか。興味のあるところである。
〇なお、国分は、1938年3月に教職を免ぜられた。1941年10月には、左翼的傾向をもつ北方性教育運動(「抵抗としての生活綴方運動」)の関係で警察に逮捕されている。そもそも、軍国主義ファシズム最頂期の1940(昭和15)年には、「治安維持法」(1925年4月公布、5月施行)によって全国で300人を超える生活綴方教育運動の指導的立場にあった教師たちが検挙・投獄されるという大規模な弾圧が起きていた(乙訓稔「国分一太郎の生活綴方教育の理念」『実践女子大学生活科学部紀要』第50号、実践女子大学、2013年3月、52頁)。また、1938年1月に健民健兵政策を推進するために厚生省が創設され、同年4月には人的・物的資源を統制運用するために「国家総動員法」が公布、5月に施行された。それを契機に、社会事業は戦時厚生事業へと変質し、戦時体制の枠組みに組み込まれていく。
〇いずれにしろ、国分が社会事業の教育的効果に関心を示したことについては、個人的にも時代的にも厳しい状況に追い込まれていったこととの歴史的文脈・関係性のなかで考究する必要があろう。国分は、1943年7月に判決が下される過程で「転向」を余儀なくされている。国分の社会事業への関心とその呼びかけは、生活綴方教育批判を行うなかでの、「抵抗」「転向」あるいは「偽装転向」としてのそれであったのか。綴方教師たちはその点をどのように受け止め、どのような社会事業的な教育実践に取り組んだのか。それとも、綴方教師に対する弾圧が強まるなかで、取り組むことができなかったのか。あるいは、教育現場の綴方教師たちは、国分の呼びかけに対して端(はな)から一顧だにしなかったのか。それらを歴史的・実証的に明らかにすることが求められよう。

〇周知のように、敗戦後の生活綴方教育は、1950年7月の「日本綴方の会」(1951年9月「日本作文の会」と改称)の発足や、国分の『新しい綴方教室』(日本評論社、1951年2月)、無着成恭の『山びこ学校』(青銅社、1951年3月)等の刊行などを契機に復活・興隆する。そして、1950年代前半にひとつの頂点を迎える。それは、戦後の新しい教育(教育の民主化)のなかで、戦前の生活綴方教育を継承・発展させようとするものであったと評される。そこでは、貧困からの脱出が最重要課題とされたが、具体的に「現実生活」がどのように把握され、「生活教育」がどのように規定されていったのか。綴方教師によって「社会事業的」な教育実践は展開されたのか。「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続」に関する研究課題のひとつである。

〇以上の考察を踏まえ、本史料の今日的な位置づけを総括すれば、こうである。すなわち、本稿で翻刻・解題した国分の「1936年論文」は、生活綴方教育運動がファシズムという外部圧力と内部的な閉塞感に直面する時期の苦悶を象徴する史料である。国分が提唱した「社会事業的教師」への転換は、単なる綴方指導の技術論ではなく、冷厳な社会矛盾に直面する子どもたちの「現実」を前に、教育がいかにして実効性を持ち得るかという、教育の存立根拠(教育の社会的責任)を問う切実な叫びであったといえる。
〇特筆すべきは、国分が「情熱」や「知性」といった内面的な人道主義を「自嘲的」に退け、社会政策的見地に基づく「行動」と「社会改造」を強調した点である。これは、教育を閉鎖的な教室空間から解き放ち、地域社会の構造的課題へと接続させようとする「教育福祉」的な視座の萌芽を明確に示している。通説では戦後を起点とする福祉教育の歴史に対し、本史料は、戦前の北方性教育運動のなかに今日の福祉教育に通底する「実践の深層」(思想的伏流)が存在したことを実証的に基礎づけるものであろう。
〇今後の課題は、この国分の呼びかけが、当時の草の根の綴方教師たちによっていかに受容され、あるいは変質し、戦時厚生事業へと回収されていったのか、その「変容のプロセス」を実証的に追うことにある。さらに、戦後の生活綴方教育の興隆期において、これらの「社会事業的」視点がどのように継承・再編されたのかを明らかにすることで、戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続性を体系化しなければならない。
〇政治と教育の距離が再び緊密化し、社会の分断が深化する現代において、80余年前の国分の問いかけは看過できない重みを持っている。教育が「社会の矛盾がなせる業」を直視し、単なる精神論に陥ることなく、いかにして具体的な「社会の改善」に寄与し得るか。この歴史的教訓を掘り起こし、現代の「まちづくりと市民福祉教育」のあり方へと還元していく作業こそが、本研究が真にめざすべき地平である。

Ⅲ 生活教育論争の止揚

〇周知のように、1937年5月に「教育科学研究会」を結成した城戸幡太郎と留岡清男は、雑誌『教育』(第5巻第10号、岩波書店、1937年10月)において生活綴方教育批判を行った(1938年「生活教育論争」の発端)。「綴方教育は児童の生活を理解し、生活態度を自覚せしむることはできるが、彼等の生活力を涵養することはできぬ。彼等の生活力を涵養するには彼等の生活問題を解決することのできる生活方法を教へねばならぬ」(城戸幡太郎「生活学校巡礼」48頁)。「生活主義の綴方教育は、畢竟、綴方教師の鑑賞に始まつて感傷に終るに過ぎない」(留岡清男「酪聯と酪農義塾」60頁)、がそれである。こうした手厳しい批判に対して、「社会事業的教師」(綴方教師)たちはどのように反応し、どのような新しい教育課題を見出し、またどのような教育実践を展開したであろうか。
〇1930年代後半に展開された「生活教育論争」をめぐって、一言するとこうである。まず、城戸や留岡が提唱した「生活方法の教育」は、科学的・合理的な知性によって生活上の困難を克服する「技術」や「組織化」を重視するものであった。留岡の酪農教育実践に象徴されるように、それは貧困という客観的課題に対し、いかに生産性を高め、合理的な生活習慣を確立するかという「生活力の涵養」に力点が置かれている。福祉的観点からいえば、これは「自立助長」のための機能的アプローチであり、現代の社会福祉における「エンパワメント」や「社会資源の活用術」の先駆形態と評価できる。
〇それに対して、国分が提唱した「社会事業的教師」は、そのベクトルが異なる。国分は、生活綴方教育が陥っていた「鑑賞」や「感傷」を自嘲的に退けつつも、城戸らが批判した「現実の凝視」をあえて社会事業の「態度」へと接続させた。ここでの「福祉的」独自性は、以下の2点に集約される。
(1)社会矛盾の構造的覚知としての綴方
〇城戸らが生活の「改善(技術)」を求めたのに対し、国分は綴方を通じて「社会の矛盾がなせる業」を直視し、それを「社会政策的見地」へと昇華させることを求めた。これは、単なる生活技術の習得を超え、自己の苦難を社会構造の問題として捉え直す「意識化」のプロセスである。
(2)伴走者としての教師像
〇 「生活方法の教育」における教師が指導者・技術伝達者であるのに対し、国分の説く「社会事業的教師」は、村の貧困と矛盾のなかに身を置き、子どもとともに苦悩を共有しながら、社会制度の不備を告発しようとする「アドボカシー(権利擁護)」の萌芽を含んでいる。
〇すなわち、城戸らが「生活の科学的解決」をめざす合理的・システム的な生活改善(自立助長)に近い立場であったとすれば、国分は綴方というメディアを介して、生活者の沈黙を社会的な声へと変えていく草の根のエンパワメント・モデル(主体形成)を模索していたといえる。この相違こそが、社会の矛盾を直視し、子どもの生活実態を記述することで自己や社会を変革しようとした国分らの独自性であり、現代の「まちづくりと市民福祉教育」へと通底する重要な源泉となっている。

Ⅳ おわりに
―戦前と戦後を貫く伏流―

〇本稿では、国分が1936年に示した「社会事業的教師」という概念に焦点を当て、その思想的背景と福祉教育史における意義を検討してきた。ここで改めて強調すべきは、国分が求めた「社会事業家としての態度」が、単なる教育技術の拡張ではなく、ファシズム前夜という極限状況下における「教育の公共性」(教育の社会的責任)の再定義であったという点である。
〇国分は、教室という閉鎖的な空間で「内面的な真実」を綴らせることに安住する教師のあり方を、あえて「自嘲」という形で否定した。彼が「社会政策的見地」を呼びかけた背景には、子どもたちの背柱湾曲や多産・貧困といった「身体的・経済的剥き出しの現実」に対し、既存の教育学が十分な回答を持ち得なかったことへの危機感があった。この「教育の無力」を直視したところから、地域の社会構造へと介入しようとする「社会事業的」な志向が芽生えた事実は、後の福祉教育にも通底する「学習の外化(社会化)」への鋭い感受性が、すでにこの時期の国分のなかに備わっていたことを示唆している。これは、当時の社会事業側からの教育への接近ではなく、教育側からの社会事業への主体的越境である。
〇また、本稿で触れた城戸・留岡らとの「生活教育論争」の視点から言えば、国分の独自性は「生活方法(技術)」の提供に留まらず、綴ることを通じて自己の生活を「社会的な文脈」で読み解き、社会構造の変革を図る変革主体へと脱皮していくプロセスの萌芽を宿していた点に求められよう。これは現代の福祉教育が掲げるべき「まちづくりと市民福祉教育」のテーマに近接している。今後の課題は、この国分の「叫び」が、当時の現場教師たちにいかなる「沈黙の抵抗」あるいは「実践の変容」をもたらしたかを、より具体的に実証することである。戦時下の「厚生事業」への回収という歴史的断絶がある一方で、戦後の『山びこ学校』等に見られる「村を綴る」営みのなかに、いかなる形でこの「社会事業的視座」が潜流として継承されていたのか。
〇戦後80年を過ぎ、今また「教育の政治的中立」や「自己責任論」が強調されるなかで、教育が社会の矛盾を「自分事」として引き受ける態度は、一層の重要性を増している。国分が1936年に示した、弱者の傍らに立つ「伴走者」としての教師像を掘り起こす作業は、単なる懐古的な歴史研究ではない。それは、現代における「市民福祉教育」が、単なるボランティア体験の推奨を超え、いかにして「社会を変革する主体」を育み得るかという地平を切り拓くための、不可欠な知的営為なのである。
〇以上を総じて言えば、本稿の検討から明らかになった点は次の通りである。 第1に、「社会事業的教師」とは、単なる教育技術の行使者に留まらず、社会の矛盾に対する構造的な認識に基づき行動する主体として構想されていた点である。 第2に、そこには戦後の福祉教育に通底する「変革主体」としての主体形成論の萌芽が見て取れる。 したがって、国分の「1936年論文」は、断絶として語られがちな戦前と戦後を、福祉教育思想の地平において架橋するものである。それは同時に、現代における「まちづくりと市民福祉教育」のあり方を探究するための、不可欠な歴史的準拠枠を提供するものであると言えよう。

補 遺
―歴史的具体的生活課題と向き合う「主体」の原像―

〇戦後の生活綴方教育の金字塔と評されるものに、前述した無着成恭のいわゆる「山びこ」実践がある。「『山びこ』実践では、教師も子どもたちも、自分の生き方・道徳を前面に出して行動し、討論し、教育し、学習し、生活することを課題としていた。(中略)『山びこ』実践によって形成されつつあったのは、山村社会の改革を担おうとする教師と子どもたちの共同主体だった。そして生活綴方と文集は、生活現実の認識・分析と村や学級の交流と共同を支え、促進する強力な手段だった」(奥平康照『「山びこ学校」のゆくえ―戦後日本の教育思想を見直す―』学術出版会、2016年2月、70頁)。
〇本稿の補遺としてあえて、無着成恭編『山びこ学校』に収められている江口俊一の生活綴方「父の思い出」の一節を引いておきたい。

みんな父のかえりを待っているところへ舞いこんだものは、昭和二十二年の秋、「戦死をした」という一片の電報だけだった。私はもちろんお母さんも、弟も、としとったばんちゃんも、若いずんつぁ(若いほうのおじいさん)も、家内中みんなが「ちきしょう」と思った。しかし、誰に「ちきしょう」といえばよいのかわからなかった。(28頁)

〇ここで綴られた「誰に『ちきしょう』といえばよいのかわからなかった」という困惑は、個人の内面に閉ざされた悲しみではない。それは、自身の生活を破壊した不条理な力(戦争・国家・政治)の正体を突き止めようとする、切実な「認識の萌芽」である。

引用・参考文献
(1)奥平康照(2016)『「山びこ学校」のゆくえ―戦後日本の教育思想を見直す―』学術出版会。
(2)国分一太郎(1951)『新しい綴方教室』日本評論社。
(3)佐野眞一(1992)『遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年―』文藝春秋。
(4)津田道夫(2010)『国分一太郎―抵抗としての生活綴方運動―』社会評論社。
(5)中内敏夫(1970)『生活綴方成立史研究』明治図書。
(6)無着成恭編(1951)『山びこ学校―山形県山元村中学校生徒の生活記録―』青銅社。

【初出】
阪野貢「『生活綴方教育と福祉教育』に関する研究への端緒:国分一太郎の1936年論文―資料紹介―」(ブログ『市民福祉教育研究所』2015年5月12日公開)
本稿は、このブログに掲載された論考を改題し、加筆・修正を行ったものである。

阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」の計画化と実践的展開 ―“あいとぴあカレッジ”における立案プロセスとプログラム編成の視座―

はじめに

〇「市民福祉教育」の理論を空理空論に終わらせず、実効性のある「まちづくり」へと結び付け、実践知へと昇華させるためには、科学的・体系的な「計画化」のプロセスが不可欠である。
〇筆者が本格的に「福祉教育」実践と研究に足を踏み入れた嚆矢は、東京都狛江市の社会福祉協議会(以下、「社協」と略す)における取り組みであった。それは、地域福祉活動計画(「あいとぴあ推進計画」)の策定(1990年3月)であり、その中核事業である “あいとぴあカレッジ”の実践は、1990年代という早い段階で福祉教育を「まちづくり」の不可欠な基盤として位置づけたものであった。この計画策定と「成人を対象にした体系的福祉教育実践」を主導したのは、大橋謙策である。大橋は、その取り組みについて次のように評価する。

狛江市の実践は、東京という大都市のベットタウンである狛江市の地域属性、市民属性を考えて、機能的な生涯学習の視点から福祉教育実践を進めようとして試みである。この実践は東京都三多摩地区で1960年代から70年代において豊かな実践を展開した「市民大学構想」に学んだもので、それを単なる言語能力を媒介とした知的認識を高めための内容にせず、できれば問題発見・問題解決型の学習方法を取り入れることにより、新しい福祉教育実践の展望を切り開こうと考えて、基礎課程、実技課程、専門課程といった体系化が考えられた。その方法も、社会教育実践で展開されてきたシステムを活用した。成人に対する福祉教育といえば、単発の福祉講演会が中心の中で、このような体系的、組織的実践が展開されていることは高く評価されてよい(『福祉教育モデル事例集 地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、1996年3月、85頁)。

〇本稿では、狛江市社協における“あいとぴあカレッジ”の実践を事例として、「市民福祉教育」がいかに計画化され、「福祉のまちづくり」の基盤として構造化されていったのかを実証的に解明することを目的とする。研究手法は、ケーススタディ(事例研究)に依拠し、分析対象である“あいとぴあカレッジ”を地域福祉計画に基づく体系的な福祉教育実践として位置づけ、その立案過程および実施過程に関する一次資料(会議記録、事業計画書、学習プログラム等)に基づき分析を行った。また、本研究は単なる記述的分析に留まらず、実践の過程に内在する計画原理や構造を抽出し、理論化を試みる実践研究としての性格を併せもつものである。
〇本研究の位置づけをより明確にするために、いま少し、先行研究との関係を整理しておきたい。従来の福祉教育研究は、大きく①実践事例の記述的蓄積、②教育内容・方法に関する実践論的検討、③地域福祉との関連を論じる理論的研究、の3つの系譜に整理することができる。しかしながら、これらの研究の多くは、福祉教育を「事業」あるいは「活動」として把握するに留まり、それがいかに計画化され、地域福祉計画のなかで構造化されるのかという「計画過程」そのものの分析は必ずしも十分ではなかった。とりわけ、住民の生活課題や学習要求が、いかなるプロセスを経て学習プログラムへと編成され、さらにそれが「まちづくり」実践へと接続されるのかという動態的連関については、理論的にも実証的にも未解明な部分が多い。このような問題関心に基づき、本研究では、“あいとぴあカレッジ”の実践を対象として、①福祉教育がいかに計画化されたのか、②その計画化プロセスはいかなる構造をもったのか、③それがいかに地域における「まちづくり」へと展開されたのか、という3点を中心的な分析課題として設定する。これにより、市民福祉教育を単なる教育実践ではなく、地域変革を志向する計画的・構造的プロセスとして理論化することを試みる。
〇なお、「あいとぴあ推進計画」の策定は、1988年7月4日開催の第1回運営委員会、同年7月19日開催の第1回作業委員会からスタートした。また、 “あいとぴあカレッジ”の「基礎課程」第Ⅰ期の第1回の学習(「オリエンテーション」)が行われたのは、1991年5月9日であった。翌1992年度から、「実務課程」がカウンセリング(相談活動者)コース、ホームヘルプ(家事・介護援助者)コース、コミュニケーション(初級・中級手話)コースの3コース制で開講された。基礎課程は、2000年度第11期で終了し、修了者は累計209名を数えた。実務課程は1999年度をもって終了した。その後、狛江市社協は、2002年度に小地域福祉活動の推進を企図した“あいとぴあカレッジ”の地域版を実施し、また2004年度から2009年度にかけてマネジメントコース(課題解決実践講座)を展開した。2018年度からは、市委託事業として「福祉カレッジ」を運営している。
〇ちなみに、“あいとぴあ”とは、7万市民の“であい” “ふれあい” “ささえあい”を示す三つの“あい”とユートピア(理想郷)の合成語で、狛江市民が主体となって進める「福祉のまちづくり」の基本精神の意味が込められている。

Ⅰ 福祉教育計画の意義と役割

〇福祉教育は、すべての地域住民の生命と生活を守り、人間的な発達と自立を保障する地域・社会を創造するために、住民がその主体となって家庭・学校・企業・地域などの場で展開する教育・学習活動の総体をいう。したがって、福祉教育活動は、単なる社会福祉に関する知識や技術の伝達活動ではない。啓蒙や宣伝活動でもない。また、教化活動でもないし、そうであってはならない。それは、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざした、住民の内発的な意欲に基づいた、住民による自己教育・相互教育活動として展開される。その際、住民は、学習主体であるとともに教育主体でもあり、学ぶことを通して教え、教えることを通して学ぶ。換言すれば、住民は、相互に学びかつ教え、教えかつ学ぶという関係を通じて福祉文化の創造や福祉のまちづくりを進めるのである。福祉教育計画とは、地域住民がこのような福祉教育活動を自発的・主体的に創造し、展開していくための計画をいう。そして、計画そのものを練りあげていく主体は、あくまでも地域住民である。また、その取り組みは、そのまま同時に福祉教育の実践であり、運動でもある。
〇ところで、例えば、社協による福祉教育事業・活動は、従来、無計画に、あるいは単なる思いつきや経験などによって、しかもせいぜい単年度計画によって実施・展開されてきたといってもよい。そういった事業・活動に科学性・客観性・体系性を与え、また事業・活動を継続的に安定化させるものが福祉教育計画である。また、福祉教育計画は、一定地域内での福祉教育事業・活動を計画化の対象とする地域計画であり、かつ総合的な計画である。その際、福祉教育計画は、あくまでも地域計画としての福祉教育計画であり、地域の総合計画ではない。また、「総合的」とは、①計画内容として、事業計画、施設整備計画、マンパワー計画、財政計画を含む。②教育の3領域と呼ばれる家庭教育、学校教育、社会教育を生涯学習の視点から有機化・再編成する。③行政をはじめ、地域内の公的機関や民間機関、それに住民団体などとの連携・協働を図る。④福祉・教育・保健・医療などの関係行政、施設、機関の連携・統合化を図る。⑤長期・中期・短期あるいは単年度計画など、一定の見通しを立てる、といった意味である。
〇以上を要するに、福祉教育計画の策定の意義は、福祉教育事業・活動の総合化、科学化、体系化、継続化、それに合意形成などにある。また、その主な役割は、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざした住民の自発的・主体的な福祉教育活動を担保することにあるといえよう。

Ⅱ 福祉教育計画の内容と策定方法

1 福祉教育計画の内容
〇福祉教育計画は、一般的・基本的には、①事業計画、②施設整備計画、③マンパワー計画、それに④財政計画の4つの計画から内容構成される。①事業計画は、福祉講座・講演会・行事などの諸事業の開催や福祉広報・啓発事業の実施に関する計画、②施設整備計画は、施設、設備、教材・教具などの開発、整備、活用に関する計画、③マンパワー計画は、福祉・教育・保健・医療などの関係職員、社会福祉サービス利用者、一般市民、ボランティアなどの開発、育成、活用に関する計画、④財政計画は、財源の確保や運用に関する計画、をそれぞれいう。これらのうち、基本をなすのは事業計画である。そして、福祉教育計画は、まず事業計画が策定され、次いでその事業展開に必要な施設整備計画とマンパワー計画が策定され、その3つの計画を裏うちするための財政計画が策定されて計画が構造化される。
〇①事業計画(シゴト)の策定は、単なる思いつきや経験、勘(かん)、あるいはこれまでの慣習などによって立案した福祉教育事業を羅列することではない。また、事業数の多さや事業の種類の多様さを誇るものでもない。福祉教育の目標に照らした有意義な事業を精選し、それら各事業の相互の関連づけを行うとともに、重点的な事業を中核に事業の構造化を図ることが肝要となる。
〇②施設整備計画(モノ)は、住民の生活実態や学習要求、地域の教育や社会福祉に関する将来構想に裏づけられたものでなければならない。しかも、福祉教育振興についての長期的なビジョンのもとに策定されなければならない。その際、学校、公民館、社協、社会福祉施設などで現に行われている福祉教育の諸事業・活動や諸形態を生涯学習の視点で捉え、見直し、再編成し、その有機化・統合化を図ることが必要かつ重要となる。
〇③マンパワー計画(ヒト)については、まず、自分のもっている知識や技術、能力や経験を地域住民のために提供しようという住民――“まちのために自分の知恵や腕を貸そう”という住民を発掘、確保し、またそういった住民を助言者や援助者として養成・研修するための計画が必要かつ重要となる。また、社協職員は、側面から住民の福祉教育活動を助長・奨励し、方法論的・技術論的に助言・援助することを本務とするが、その際、側面的援助活動の中枢をなすものは学習情報の提供と学習相談である。社協職員には、学習情報の収集・処理・提供に関する知識と技術を有し、学習の内容や方法について専門的に助言・援助しうる能力が求められる。そして、こういった知識や能力をもつ社協職員の養成・研修計画や配置計画が必要となる。
〇④財政計画(カネ)は、福祉教育計画に現実性・実質性を与えるものとして、計画を空文化させないためにも必要不可欠である。その際、継続的・安定的な財源確保を図るために、科学的な現状分析と長期的な見通しをもった財政計画を立てることが求められる。すなわち、財政計画は、長期的に健全な財政構造が維持されながら、事業・活動が円滑に、効率的・目的的・生産的に経営され、その目標が達成されていくものでなければならない。
〇なお、こういった内容をもつ福祉教育計画は、単年度で完結されるものではない。一般的には中・長期にわたるものが策定され、その複数年度計画のなかから各年度の単年度計画が策定されることになる。中・長期の見通しを欠いた単年度の福祉教育計画は、体系性や計画性、必然性や説得性の弱いものになる。

2 福祉教育計画の策定主体
〇以上のような福祉教育計画の策定主体は、種々の学習要求や学習必要をもつ地域住民である。住民主体による計画策定がなされない限り、いかに建設的で理想的な計画が策定されたとしても、それは決して本来の意味での福祉教育計画であるとはいえない。しかし、福祉教育計画の主体は地域住民であるとはいえ、一部に傑出した住民が存在するものの、計画策定のための力量を備えた住民は極めて少ないといわざるをえない。そこで、現実的、実質的には、計画策定に際して社協が中核的・先導的役割を担うことになる。また、行政には、住民が主体的・能動的・自律的に福祉教育計画を策定することができるよう環境醸成や条件整備を図り、側面的援助を行うことが求められる。とりわけ社協職員には、計画策定に当たって、住民の主体性・自律性を損なわないように専門的・技術的に助言・援助するとともに、個々の住民の声が実質的に計画に反映されるよう配慮する特別重大な役割を果たすことが期待される。しかし、社協職員は、必ずしも計画策定についての科学的・専門的な知識や技術を有しているとはいえない。そこで、計画策定能力をもつ社協職員の養成・研修や適正配置が焦眉の課題となる。

 福祉教育計画の策定過程と方法
〇計画は、通常、Plan→Do→See という手順で進められる。教育計画とりわけ福祉教育計画に関する限りは、そうした考え方ではその計画は空論化し、画餅に帰しやすい。福祉教育計画は、See(現状分析・評価)→Plan(立案)→Do(実施)→See(再評価)というサイクルで進められなければ実効性のあるものとはならない。
〇すなわち、福祉教育計画を策定する場合、まず現行の福祉教育事業・活動を洗い出して現状と課題を明らかにするとともに、住民の福祉意識や社会福祉に関する学習要求や学習必要について調査検討することからはじまる。そのうえで、次に、目標の設定を行う。目標は、単に夢や理想を語ったものではない。また、スローガンを掲げたものでもない。目標を設定する際には、そのシゴト(事業)の実現可能性をはじめ重要性、緊急性、効率性などを考慮して設定されなければならない。目標が設定されれば、その目標を達成するために必要なモノ、ヒト、そしてカネなどの手段が選択され、その組み合わせについて検討されることになる。以上をより具体的・実際的にいえば、福祉教育計画は、①目的の設定、②目標の明確化、③現状に関するデータの収集、④目標達成のための合理的な手段の選定、⑤事業・活動の展開、そして⑥計画の評価、というプロセスをたどるのである。
〇①福祉教育における目的は、最終の到達点をいうが、一般的には曖昧で抽象的・理念的なものにならざるをえない。しかし、目的を具体的に表現した②目標は、抽象度を下げ、明確化を図ることが必要かつ重要となる。さもないと具体的な計画策定が不可能となり、また目標を達成するための手段の選定が困難になる。また、計画目標は、実現可能なものであり、焦点化され、しかも構造化されていなければならない。すなわち、抽象的・総花的で焦点の定まらない、しかも実現性の乏しい目標の設定は問題があり、無意味でもある。③現状に関するデータの収集については、意図的・計画的・系統的に計画策定のための基礎的データを収集することが肝要となる。しかも、数量的調査のみならず、多様な形態と方法を駆使して地域住民の生活課題や学習要求などを捉えることが必要である。単発的なアンケート調査だけによる資料収集では、内実をともなった福祉教育計画の策定は困難である。④目標達成のための手段は、目的合理的に選定・決定されなければならない。単なる思いつきや先進地域での実践例の模倣では意味がない。福祉教育計画は、本来、地域の歴史や特性を基盤に、地域住民自らの創意と工夫、そして努力によって策定される個性的なものである。⑤各種の事業・活動には、個々ばらばらにではなく、常に相互の関連性のもとで展開されることによって有意義な成果を期待することができる。そして⑥計画の評価は、目的や目標と裏はらの関係にあり、計画策定過程上、極めて重要である。そして、まずは設定した目標がどの程度達成され、どのような結果・成果があったかを見極めることがポイントになる。また、評価は、より整備された次の段階の計画策定を動機づけ、方向づけるために行われるものである。
〇以上の①から⑥のうち、福祉教育計画の策定過程上その心臓部分にあたるのは、②目標の明確化である。計画目標の設定に際しては、①地域住民の生活実態と生活課題や地域課題、②住民の学習要求と学習必要、それに③地域のさまざまな学習機会の供給実態などについて的確に把握することが必要かつ重要となる。
〇まず、①住民の生活実態については、地域の歴史や特性に留意し、地域を展望し、将来予測を含めた生活実態を把握する必要がある。生活課題や地域課題については、それを生み出す生活構造や社会構造とのかかわりで把握すべきである。②住民の学習要求は、現実的には住民の学習関心や学習の傾向について把握するなかで捉えることができる。その際、住民の生活実態や生活課題・地域課題とのかかわりで把握することが肝要となる。また、学習要求は、今日、高学歴化や情報化の進展によってますます多様化し、高度化しているが、住民自身によってまだ意識化、課題化されていないものもあることに留意する必要がある。そして、その学習要求の内容をいかに実証的に明らかにするかが問われることになる。一方、学習必要は、住民にとって社会的・発達的・教育的に学習が必要とされるものをいう。何を学ぶべきかについては、福祉のまちづくりや福祉教育、その計画策定などについての基本的な考えが問われることになる。この学習要求や学習必要は、そのすべてがそのまま現実の事業計画の内容とはならない。両者は福祉教育というフィルターを通して整理され、重要性・緊急性・日常性・共通性・適時性などの視点からプライオリティ(優先度)をつけて選択・精選され、課題化され、そして事業化されることになる。また、仮に学習必要だけで事業計画が立案された場合は、住民に強制感や疎外感を与え、住民に支持されるものとはならないことに留意する必要がある。③地域の学習機会の供給実態については、社協や社会福祉施設などによる福祉講座や講演会などの開催状況、公民館や図書館などにおける社会教育活動の現状、それにカルチャー・センターをはじめとする教育・文化産業の動向などについて総合的に明らかにする必要がある。そして、それらの相互の連絡・調整を含めた計画策定が求められる。

Ⅲ 福祉教育事業計画の立案の手順と視点

〇福祉教育事業計画とは、福祉教育の全体計画(総合計画)の基本を構成するものであり、例えば福祉学級・講座や福祉講演会、福祉映画会、福祉祭りなどの実施計画をいう。それは、事業の名称をはじめ実施目的、実施主体、実施期間や時間、実施場所、学習者や参加者、講師や指導・助言者、学習目標、学習内容や方法、それに経費などを構成要素とする。それぞれの福祉教育事業計画のなかで学習課題(主題)や学習内容・方法、学習の展開過程などについて詳細に計画・立案したものを、福祉教育における学習プログラムという。それは、学校教育に即していえば、カリキュラムや学習指導案に相当する。そして、福祉教育計画と事業計画、それに学習プログラムの3者は、密接不可分の関係にあり、また福祉教育計画→事業計画→学習プログラムという順に具体化、実体化される。
〇ところで、狛江市社協が策定した“あいとぴあ推進計画”では、重点事業のひとつとして“あいとぴあカレッジ”の開講が構想された。それは、住民が“あいとぴあ”のまちづくりを主体的・創造的に展開するための、その善意の気持ちを有効に活かすための学習(福祉教育)の場として位置づけられた。ここでは、“あいとぴあ推進計画”策定後、“あいとぴあカレッジ”開講に至るまでの狛江市社協や住民の取り組みについて、とりわけ事業計画や学習プログラム立案の手順と視点に焦点をあてて概観し、若干の考察を加えることにする。

1 ボランティア活動推進委員会の設置
〇1990年3月、狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会によって策定された“あいとぴあ推進計画”が、社協の理事会・評議員会において報告され、狛江市社協が今後取り組んでいく基本計画として承認された。そして、1990年度は、“あいとぴあ”元年として、推進計画そのものの住民への周知・浸透と計画の実施・推進体制づくりが基本方針として定められた。
〇1990年8月、狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会の発展的解散の後をうけて、在宅福祉推進委員会の組織化について検討する在宅福祉サービス関連事業連絡会とともに、ボランティア活動推進委員会(以下、「推進委員会」と略す)が設置された。推進委員会は、ボランティア活動・福祉教育推進事業の企画・立案を主な任務とし、学識経験者をはじめボランティア、地域住民団体、福祉施設・団体、地域産業、教育機関、行政機関、それに社協などの各関係者27名によって構成された。
〇推進委員会の委員に幅広く関連分野からの参加を求めたのは、各委員のそれぞれの分野での働きかけを通して、“あいとぴあ”市民運動の拡大と深化を期待してのことであった。例えば、ボランティアの生(なま)の声を伝えるために、狛江ボランティア連絡会(1984年4月結成)から3名のボランティアが委員として参加した。その3名は、推進委員会と狛江ボランティア連絡会とのパイプ役を果たした。また、教育の分野では、小・中・高等学校の校長や教頭、それに教育委員会の参加を得て、それが学校における福祉教育推進へのひとつの重要な契機にもなった。推進委員会は、1990年度においては通算3回開催されたが、委員が多人数ということもあってか、積極的に協議するというよりは一面では承認機関的なものにとどまった。協議が積極的に行われたのは、推進委員会のもとに設けられたボランティア活動推進委員会企画小委員会(以下、「企画小委員会」と略す)の場であった。

2 “あいとぴあカレッジ”開講のための準備活動
〇第1回推進委員会において、“あいとぴあカレッジ”に関する諸事項の素案づくりを主な任務とする企画小委員会が設置された。企画小委員会は、推進委員会委員長(1名)、同副委員長(2名)、ボランティア(1名)、福祉団体関係者(1名)、中学校長(1名)、教育委員会関係者(2名)、福祉事務所長(1名)、それに社協理事(1名)の計10名の委員によって構成された。そこで検討された事項は推進委員会にもちあげられ、そこでの協議を通して合意形成が図られた。
〇1990年9月には、企画小委員会のなかに作業委員会が設けられた。それは、学識経験者(推進委員会副委員長)と社協事務局職員の4名の委員によって構成され、通算4回開催された。そこでは、“あいとぴあカレッジ”に関する事業計画や学習プログラム立案の基礎的・具体的な作業が、主としてブレイン・ストーミングの討議法で行われた。
〇以下では、各回の企画小委員会において検討・協議されたことを、社協事務局の記録から概観することにする。

1)第1回企画小委員会(1990年9月)
〇“あいとぴあカレッジ”は、狛江という地域で、住民が寄り合って創るカレッジであるという点が再確認され、その考え方をベースにいろいろな意見が出された。例えば、福祉のまちづくりは住民の生活(暮らし)から出発しなければならない。したがって、その担い手の育成・確保を図ろうとする“あいとぴあカレッジ”は、住民の暮らしに密着したものであることが求められる。そこで、講師(指導者)は狛江市内の人材に求め、住民の生きざまに学ぶ。学習資料は、地域の実態や住民の生活現実に根ざした生(なま)の資料に基づく、手づくりのものとする。学習場所(会場)は、市内の小学校の空き教室を有効利用する方向で考えることにし、住民が下駄履きで気軽に参加できるよう配慮する、などが決定された。

2)第2回企画小委員会(1990年12月)
〇“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムを中心に協議された。また、住民の・住民による・住民のためのカレッジであるという視点を生かすために、学習者もカレッジの運営に積極的にかかわれるような「運営委員会」の設置について検討された。その他、学習者が主体的・創造的にかかわれる体制づくりという視点から、開講式以前に第1回の学習日を設け、オリエンテーションを行う。聴講生制度の導入については、聞きたい講座だけ参加する「つまみ食い学習」では福祉のまちづくりは担えないという考えのもとに、見送る。カレッジの学長については、遊び心をもって市内の最高齢者などが候補にあげられたが、“あいとぴあ推進計画”の産婆役を務めた狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会委員長(学識経験者)に依頼する、ことなどが協議、決定された。

3)第3回企画小委員会(1991年1月)
〇“あいとぴあカレッジ”での学習内容や学習方法についての協議、講師団の絞り込み、それにカレッジ案内・募集要項(「あいとぴあカレッジ――入学のご案内」)についての検討などが行われた。席上、市内の人材による講師の講話内容や方法に関し、とりわけ講師が人前で話をすることや現実生活についての自分の思いや願い、悩みや苦しみなどの内面をさらけ出すことの戸惑いなど、いくつかの疑義が提示された。しかし、“あいとぴあカレッジ”は住民が相互に学び合う場であり、講師は、自分の生きざまを話すことによって学習者に住民としての生き方の素材を提供するとともに、自分自身も一人の住民として地域社会に貢献し、また自己実現・自己向上を図る、という基本的理念が再確認された。また、今回の企画小委員会では、学習評価の視点と方法についての検討もなされた。

4)第4回企画小委員会(1991年2月)
〇“あいとぴあカレッジ”の協賛団体の募集や学習者の修了レポートのあり方などについて検討された。また、学習プログラムの具体的な詰めの作業が行われた。そして、企画小委員会としての成案を得た。

〇1991年2月、第3回推進委員会が開催された。そこでは4回にわたる企画小委員会での検討結果が報告され、協議を経てほぼ原案通り“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムが決定された。
〇“あいとぴあカレッジ”の事業計画案や学習プログラム案は、以上のように、作業委員会、企画小委員会、推進委員会のあいだを何度となく往復し、そのなかで練りあげられ、内容の深化が図られていった。また、4つの委員会は、住民参加の場として、あるいは関係機関・団体との連携・協働や合意形成の場としても有効に機能したといえる。さらにまた、各委員にとっては、委員会は学習の場であり、自己実現や自己変革の場であったともいえよう。“あいとぴあカレッジ”の開講にかかわった委員の変革や変容が、“あいとぴあ”のまちづくりの「はじめの一歩」となったのである。

Ⅳ 福祉教育の学習プログラム立案の方法と留意点

〇地域住民による福祉教育において、その学習プログラムの立案は難しい。その主な理由のひとつは、学習者の属性や生活の実状、それに基づく発達課題や生活課題、学習要求や学習必要などがそれぞれ異なるところにある。その点では福祉教育の学習プログラムには定型はなく、学習者の数と同じだけの学習プログラムが準備されなければならないことになる。しかし、現実的には、地域社会の実態や動向などが反映される個々の学習者の多様な生活実態やニーズから、共通する、統合されるプログラムを立案・編成することになる。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムの立案に際しては、“あいとぴあ”のまちづくりのための学習の方向づけや内容づけがなされたことはいうまでもない。しかし、その際、住民に対する学習要求調査に基づいて住民が必要とする学習項目や学習課題を探り出すという手法は採られなかった。また、主な、中心的な学習者(参加者)を想定・決定し、そのうえで学習者の生活実態や学習要求を把握するということもなされなかった。その点においては、限界のあるプログラムであったといわざるをえない。とはいうものの、立案・編成に際して、基本的なところではとりわけ次の4点について認識され、留意されたことについては注目しておきたい。

〇(1)学習プログラムの立案に際しては、「はじめに学習者ありき」という認識が重要である。しかも、その学習者を地域生活主体として捉え、その立場に即したプログラムの立案・編成が求められる。すなわち、個々の住民が現実的に抱える生活課題や学習要求、それに狛江市の歴史的社会性や地域性に基づく生活課題や地域課題などに焦点をあてた、実際的で実践的な学習活動の展開が必要かつ重要となる。
〇(2)学習プログラムは学習活動の単なる日程表や予定表ではない。それは、学習者のモラールを引き起こし、高めることができるものでなければならない。学習プログラムづくりとは、地域住民の生活や学習に関する考えや思い、願いなどをプログラムという形に具体的に表現することに他ならない。その際、手づくりの、手のこんだ学習活動が自主的、主体的、そして自律的に展開されるよう工夫し、配慮することが求められる。
〇(3)地域住民による学習は、地域生活に発し、地域生活に帰す。“あいとぴあカレッジ”における学習は、個々の住民に始まって個々の住民に帰るだけでなく、その成果が地域に還元されることが期待される。その際、地域への還元は、学習者自身の高まりや深まりなくしてはありえない。知識の単なる蓄積は態度の変容を促さないともいわれる。その意味からも、関心と感動を引き起こすプログラムの編成が求められる。
〇(4)“あいとぴあカレッジ”は、狛江市に暮らす住民を対象とするカレッジ(講座)ではなく、住民を主体とするものである。また、その学習プログラムは、住民の・住民による・住民のための、手づくりのものである。したがって、学習プログラムを立案・編成する過程そのものが重要となる。それ自体がすでに学習すなわち福祉教育の過程であり、“あいとぴあ”のまちづくりの過程でもある。

〇ところで、福祉教育の学習プログラムには、社会教育におけるそれと同様に、一般的には、「事業名」「主催者」「学習対象」「学習期間」「学習時間」「学習回数」「学習場所」「学習目標」「学習テーマ」「学習内容」「学習方法」「学習資料・用具」「指導・援助者」、それに「予算」などの諸事項が内容として含まれる。ここでは、“あいとぴあカレッジ”に関するそのうちのいくつかについて、その立案の方法や留意点などをめぐって論じることにする。

1 学習目標の設定
〇学習目標――学習プログラム全体のねらいは、到達可能なものを具体的に、焦点化して設定し、かつ魅力的なものであることが求められる。抽象的で総花的な学習目標は、学習目標を曖昧なものにし、学習プログラムの編成そのものを困難にする。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習目標は表1のように設定された。そこには、学習活動そのものが福祉のまちづくりの実践や運動の一環であり、またそれへの具体的な参加が自らの生活をより豊かなものにすることに繋がることが示されていた。学習者が学習目標を身近に感じ、学習意欲を高めるためのひとつの工夫であった。

表1“あいとぴあカレッジ”の学習目標

2 学習テーマの設定
〇学習テーマは、学習プログラムの「顔」にあたるものであり、学習日ごとの学習内容を包括的に表現したものである。それは、学習者に対しては学習する概要を示すものであり、指導・援助者に対しては指導・援助すべき概要を提示するものである。そこで、学習テーマは、学習内容を的確に要約しているとともに、学習者が親近感や学習意欲をもちうるような、また学習の内容や方向を容易に想起し理解しうるようなものでなければならない。そして、また、学習者の属性や生活の実状などに適合し、指導・援助者には具体的な指導・援助活動の助けになるようなものであることが望まれる。すなわち、学習テーマは、課題性、親密性、それに具体性の高いものが望ましいといえる。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習テーマは表2のように設定された。それは、“あいとぴあ推進計画”策定過程で、1989年9月に開催された第1回市民懇談会における分科会テーマをベースにしていた。その設定に際しては慎重を期し、とりわけその表現には工夫を凝らした。すなわち、学習者を引きつけ、学習者に受け入れられるよう、日常的、具体的、魅力的で平易な表現に心をくだいたのである。

表2“あいとぴあカレッジ”の学習テーマおよび学習内容

3 学習内容の選定
〇学習内容は学習目標を具現化したものである。プログラムに盛り込む学習内容の選定に際しては、いわれるように学習内容の種類の単純化と分量の少量化を図ることが肝要となる。多様な種類の学習内容が多量に盛り込まれると、学習者は消化不良をおこし、学習の疎外感や挫折感を味わうことにもなる。学習内容の種類と分量の単純化、少量化によって、学習者は成就感や達成感、充実感などを味わい、学習活動への取り組みを積極的なものにする。さらにまた、次の学習活動への参加を促すことにもなるのである。
〇学習内容がもたらす教育的効果は、その配列の仕方によって左右される。学習内容の配列は学習活動を持続、発展させるうえで重要である。そこで、まず、学習活動への導入をスムーズに行うために、学習者に身近な、日常的・経験的・実際的な学習内容をもつものが配置される。そのうえで、内容配列には連続性と発展性、系統性、それに常に流動的に対処しうる弾力性、柔軟性などをもたせることが肝要となる。また、適切なところに「遊び」や「ヤマ場」の部分をバランスよく配列することが求められる。それによって、プログラムはより豊かなものになり、立体化・構造化する。そして、また、学習者にはゆとりや充実感、向上心などを与え、積極性を生むことにもなる。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習内容は資料2のように選定、配列された。その学習プログラムは、単なる「福祉のまちづくり概論」や「社会福祉概論」を講じるための、いわゆる一般教養的学習を行うためのものではなかった。福祉のまちづくりの主体形成をいかにして図るかという観点に立ち、大きな学習課題のもとに立案・編成された。そして、その内容は、福祉のまちづくりについて歴史的・社会的に学習する「総論」、現実の個々の生活場面に即して学習する「各論」、それにまちづくりのための具体的な方法や技術について考え、その習得を図る「方法論」の3つの部分から成っていた。その結果、それは、学習内容が広範囲にわたり、一面では総花的なものになった。また、必ずしも十分には学習成果を日常生活につなげ、現実の生活課題の解決にせまりうるものにはならなかった。すなわち、学習成果の実践化や生活化への配慮が不十分であったともいえる。“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムは、学習の深まりに応じて基礎課程→実務課程→専攻課程と進む段階別編成がなされ、累進的体系化・構造化が図られていたが、上述の点は基礎課程における学習プログラムのひとつの限界であった、といえようか。

4 学習方法の選択
〇学習方法は、現実的には、学習の目標や内容をはじめ、学習者の属性や意識・意欲、指導・援助者の関心や能力、学習資料や用具、学習の時間や場所など種々の条件によって選定、決定される。学習の効果を高めるためには、単一の学習方法にこだわらず、多様な学習方法を有機的・立体的に活用・多用し、場合によっては視聴覚的手法などを併用することも求められる。学習方法には「講義」「討議」「話し合い」「発表」「実技」「実習」「調査」などがあるが、適切な学習方法を選択することは学習者の学習内容の理解を助け、認識を深め、学習効果を高めるだけでなく、学習者の学習への興味や関心、意欲などを持続させたり学習集団を維持させるためにも必要かつ重要となる。
〇“あいとぴあカレッジ”では、「講義」「討議」それに「実習」を中心にしながらも、「見学」や「話し合い」「発表」など学習者の主体的・能動的な活動を促す方法が採用された。また、学習を補強し、学習内容の高度化を図るために、ビデオでの視聴も組み込まれた。それらのうち、例えば「見学」は、現実生活に直面しながら学習課題にせまることができるという点においてメリットがあった。「話し合い」では、学習者の体験や主観・実感のレベルにとどまらないよう留意された。また、「発表」は、学習者が「胸におちてわかる」「身体でわかる」ためにも必要かつ重要であった。
〇また、“あいとぴあカレッジ”では、集会学習として公開の講演会を2回開催した。それは、学習に対する学習者の家族の理解と住民へのPRを意図したものであった。

5 学習資料・用具の選定
〇学習資料(教材)や学習用具(教具)は、学習効果を高めるための重要な要件のひとつである。学習資料や用具の選定に際しては、学習の目標や内容、方法に対する適切度、学習者の属性や日常的な地域生活との緊密度、それに指導・援助者の学習資料や用具に対する熟知度などとの関連が重視される。そして、種々の学習資料や用具を整備し、有効に活用することが求められる。
〇“あいとぴあカレッジ”では、学習資料に関しては、まず指導者(講師)に、指導者相互の事前打ち合わせを通してレジュメと資料の提示を求めた。そして、それを、「受講生便覧」「学習ノート」「学習資料」から成る冊子(『AITOPIA COLLEGE』B5判、52ページ)にまとめ、学習者に第1回開講日の「オリエンテーション」時に配布した。また、学習者に対しても、新聞・雑誌・広報紙などの関連記事や身近な住民の「生きざま」など、地域のさまざまな、生(なま)の資料を入手し、それを学習資料化することが求められた。その作業は、学習者にとってはそれ自体がすでに学習活動であり、また学習に迫力をもたせることを意図してなされた。

6 指導・援助者の活用
〇学習活動の展開とその深化・高度化には指導・援助者は欠かせない。学習目標を達成するためには、そのための意欲と能力をもつ指導・援助者が必要不可欠となる。
〇“あいとぴあカレッジ”では、講師(指導者)については、原則的には著名度や専門度で選定することは避けた。また、できる限り狛江市内から人材を発掘することにし、とりわけ福祉のまちづくりのための実践や運動に参加している一般住民の活用を図った。その理由のひとつは、学習内容の生活性や地域性を期待するとともに、学習者の学習活動やその成果の体験化、生活化、地域化を容易にすることにあった。講師の講話(レクチュア)については、学習活動の方向を定めるものではなく、あくまでも学習者の自主的・主体的な学習活動を誘発させ、持続、発展させるための補助的な役割を果たすものとして位置づけられた。すなわち、講師にはいわば話題提供者としての役割が期待され、学習を結実させ、具体化するのはあくまでも学習者自身であるとされた。また、講師は、一人の住民として、その活動を通して社会的貢献と自己実現・自己向上を図ることが期待された。
〇また、“あいとぴあカレッジ”では、学習者の学習活動が自主的・自発的に展開され、講師への依存度を少なくするよう、学習活動全般にわたって集団的あるいは個別的な助言・援助を行うチューター(学習援助者)を配置した。チューターには社会福祉系大学院の学生3名に依頼し、学習者と講師のあいだにあって、個々の学習者に対して、あるいは学習者内のリーダーを有効に活用して、たえずその援助性を発揮することが求められた。
〇なお、講師とチューターには、学習者が自主的・創造的な学習活動を展開しうるよう、学習内容や方法などについて協議を重ねることが求められた。また、彼・彼女らには、それぞれの学習指導・援助過程でいかにして「人間」や「生活」、「地域」や「まちづくり」にせまり、切り込んでいくかが問われた。

7 学習時間・場所等の決定
〇学習プログラムを企画・立案する際、時間的要素として、学習の時期、期間、時刻(時間帯)、回数(時間数)などについて検討することが求められる。それらは、地域の特性をはじめ、学習の目標や内容・方法、学習者の属性や生活実態、学習場所の学習条件や地理的条件などとのかかわりにおいて検討され、設定される。また、学習日と学習日の間隔(学習のインターバル)は、学習の習熟度や達成度との関連を考慮して設定される。
〇“あいとぴあカレッジ”では、学習時期を5月から8月までの第Ⅰ期と10月から2月までの第Ⅱ期に分け、それぞれ15回の学習日を設定した。学習日は、原則として毎週木曜日の午後6時30分から8時30分の2時間とし、公開講演や体験学習、施設見学などは土曜日の午後に組み込まれた。それらは、学習者の時間的制約をできる限り緩和・解消するための配慮であった。また、週1回の学習は、学習日と学習日とのあいだに、学習者によって個人学習や自主的な活動が展開されることを期待してのことでもあった。表3は、1日の学習日の学習の流れ(「展開プログラム」)を示したものである。「学習活動」に連続性をもたせていた。「講話」と「討議」にそれぞれ50分の時間が配分されていた。また、「学習のねらい」に受講生とともに講師のそれが明示されていた、ことなどが注目されよう。

表3“あいとぴあカレッジ”における学習の流れ

〇学習場所(会場)の決定にあたっては、学習の目標や内容・方法に十分に対応できる施設・設備を有する場所が考慮されなければならない。また、地理的条件については、原則的には、学習場所への所要時間が徒歩で15分から20分程度以内が望ましいとされている。
〇“あいとぴあカレッジ”では、狛江市と狛江市教育委員会の理解と協力をえて、市のほぼ中央に位置する小学校(図書室)を学習会場とした。学校を学習会場としたねらいのひとつは、学校(教育)と社協(福祉)との連携強化を図り、地域の福祉教育関連諸資源のネットワーク化を促進することにあった。また、小学校(教員)をはじめとする学校における福祉教育の推進が期待された。

〇“あいとぴあカレッジ”開講のねらいは、福祉のまちづくりの担い手を育成し、その量的拡大と質的向上を図ることにあった。しかも、その基礎課程は、住民に対して、福祉のまちづくりのための実践や運動を動機づける学習課程であった。そこでの学習をひとつの契機に、多くの住民がさらに学習活動を続けるとともに、地域福祉活動やボランティア活動へ参加・協力することが期待された。そういった“あいとぴあカレッジ”の基礎課程の学習プログラムは、その立案に際して、以上のほかに次の諸点が留意された。

〇(1)一定以上の学習成果を得るためには、学習集団の規模の適正化を図る必要がある。そこで、定員制を採用し、第Ⅰ期、第Ⅱ期ともに募集人員を30名とし、さらにそれを15名ずつの2グループと、7~8名ずつの4つの班に分けた。それによって、学習者の人間関係の緊密化とコミュニケーションの効率化を図った。
〇(2)学習者の自発的な学習活動を触発するとともに、学習者がそれぞれの能力を発揮し、役割と責任を分担するよう班活動や係活動の展開を学習者に求めた。すなわち、各班より1名、計4名の班長が選出され、班長には各班の取りまとめと、“あいとぴあカレッジ”の運営に関する諸事項について協議・決議し、執行する「運営委員会」活動への参加が求められた。また、「学級通信」の編集と発行を行う「広報委員会」に8名の学習者が選ばれた。なお、「運営委員会」は、学長(1名)、常任講師(2名)、チューター(3名)、学習者代表(4名)、それに“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムなどの企画・立案に当たったボランティア活動推進委員会委員(2名)の計12名によって構成された。
〇(3)学習活動の修正や向上・発展、よりすぐれた学習活動の創造を図るために、学習評価を重視した。すなわち、学習者の評価活動を学習活動の一環として位置づけ、学習者に慣習化、定着化させることに努めた。また、学習修了者には、学習活動の総括と自己評価のために、簡単な、1人1編のレポートの作成と提出を求めた。
〇(4)学習者から、特別の学習資料や学習者の自主的活動のための費用として、受講料3,000円を徴収した。それによって、学習者の中途脱落を防ぎ、自主的・主体的な活動の積極的展開を期待するとともに、参加責任をもたせた。
〇(5)賞賛と激励、学習の継続と福祉のまちづくりへの参加・協力への期待を込めて、学習日10回以上の正規の修了者には修了証を授与した。学習日が10回未満の学習者については、不足分を第Ⅱ期で補うことによって正規の修了とした。

〇いずれにしろ、学習プログラムは、計画された活動が予定通り、「静かに」展開されることをよしとするものではない。学習者に能動的・創造的な活動を促す動的なものでなければならない。それによって、学習の深化や高度化を期待することができるのである。
〇1991年5月9日、“あいとぴあカレッジ”「基礎課程」第Ⅰ期の第1回の学習(「オリエンテーション」)が行われた。学習者は募集定員の30名を数えた。その内訳をみると、性別では男性6名(20%)、女性24(80%)、年齢別では10歳代1名、70歳代1名、40歳代と50歳代がそれぞれ9名ずつで最も多く、全体の6割を占めた。また、職業別では、主婦を中心にしながらも、教員、学生(高校生、大学院生)、施設職員など多種多様であった。居住区別では全市的であり、狛江市に移住して4~5年になる者が多かった。地域に関心をもちはじめる居住年数なのであろうか。
〇講師は24名、チューターは3名、その他に社協事務局職員3名もカレッジの運営などにかかわった。計30名、学習者と同数であった。1991年8月29日、第Ⅰ期生の学習発表会と閉講式が開催された。修了者は28名を数えた。修了者の学習活動への出席率は、土曜日の体験活動や公開講演以外は、常に90%前後の高率を示した。続いて、9月19日には、修了者主催の「卒業記念パーティー」が開催され、また交流活動をはじめ学習活動やボランティア活動などを行うための自主的なグループ――「一期生の会」が発足した。

〇以上の検討から明らかなように、“あいとぴあカレッジ”の事業計画および学習プログラムの立案過程は、単なる企画作業ではなく、多様な主体間の相互作用を通じた合意形成と意味生成のプロセスであった。とりわけ、作業委員会―企画小委員会―推進委員会という多層的な検討構造は、計画の精緻化と同時に、住民参加の実質化を担保する装置として機能していたと評価できる。また、ブレイン・ストーミングなどの手法を用いた討議過程は、単なるアイデア創出に留まらず、参加者の問題認識を深化させ、個別の経験や価値観を共有知へと転換する契機となっていた。すなわち、計画策定過程そのものが、すでに福祉教育の実践であり、「まちづくり」の萌芽的段階であったといえる。

Ⅴ 「まちづくりと市民福祉教育」の構造化と現代的転換

〇本稿が、30年以上も前の“あいとぴあカレッジ”の実践をいま、あえて再評価するのは、単なるノスタルジーによる記録の整理ではない。SNSやAI が普及し、その一方で格差の固定化や社会的分断が進み、孤独や孤立が深刻化する現代においてこそ、当時の実践が示した「人間を真ん中に据えた計画の立案」「生活者としての市民・住民を主役にしたまちづくり」が、不可欠な処方箋になると確信するからである。
〇現代社会では、デジタル・プラットフォームによって利便性を手に入れた反面、地域・住民が抱える個別具体的な生活課題を地域・社会課題として編み直すことが難しくなり、住民同士の「共感」の回路も寸断されつつある。そんななかで、いま求められているのは、過去の成功モデルをそのまま繰り返すことではなく、当時の「熱量」と「仕組み」の本質を現代のデジタル社会に合わせて再起動(アップデート)することにある。

1 「まちづくりと市民福祉教育」の「統合モデル」とその核心
〇上述のⅠからⅣまでの各章は、狛江市社協の“あいとぴあカレッジ”における立案プロセスと学習プログラムの編成原理について叙述し、概観したものである。図1は、市民福祉教育を実効性のある「まちづくり」へと昇華させるための、プロセスとリソースの相補的連関(統合モデル)を示したものである。その核心は、地域・住民の生活課題や学習要求・学習必要を「見る」ことから始まる「See→Plan→Do→See」の循環サイクルにある。この動態的なプロセスを支える基盤として、「ヒト」「モノ」「カネ」「シゴト」の4要素がある。そして、これを有機的に構造化することによって、市民福祉教育は一過性のイベントではなく、地域変革(「まちづくり」)に向けた持続的な計画化・構造化のエンジンとして機能することになる。

図1 「まちづくりと市民福祉教育」の計画化と実践的展開のプロセス

注:1990年代の計画策定モデル。現代においては「モノ」の概念にオンラインプラットフォームが含まれる(Ⅴ章参照)。

〇1990年代初頭に展開された“あいとぴあカレッジ”の実践の軌跡は、今日の「まちづくりと市民福祉教育」においても色あせない、重要な理論的示唆を内包している。本稿での分析を通じて明らかになったことは、市民福祉教育は単なる知識や技術・技能の「伝達」活動ではなく、地域・住民の生活課題を学習課題へと再編成し、それを「まちづくり」運動へと繋げる動態的なプロセスである、という点である。具体的には、次の諸点について留意したい。

〇(1)本実践では、従来の計画策定手順である「Plan→Do→See」を逆転させ、「See(現状分析・評価)→Plan(立案)→Do(実施)→See(再評価)」へと再構成した。住民のニーズや地域課題を徹底的に「見る(See)」ことから始めるこのサイクルは、計画の空論化を防ぐための必須条件である。統計調査という数字の裏側に隠れた、住民の「生活の実感」を汲み取ることを起点とした。
〇(2)「あいとぴあカレッジ」では、住民の「学習要求(学びたい)」と「学習必要(学ぶべき)」を地域福祉のフィルターを通して精選し、具体的な事業・活動へと昇華させた。これは、確かなまちづくりを推進するための基盤であり、同時に住民間の合意形成を構築するプロセスとして位置づけた。
〇(3)「あいとぴあカレッジ」では、その運営にあたり、住民や大学院生を講師やチューター(学習援助者)として確保・養成する「ヒト」、小学校の図書室を拠点とする「モノ」、受益者負担による参加責任を明確にした「カネ」、そして手づくりのプログラムを企画・実施する「シゴト」の4要素を体系化した。これにより、福祉教育を一過性のイベントに留めず、地域に根ざした共働的・持続的な「まちづくり」の実践として構造化した。
〇(4)「あいとぴあカレッジ」では、「福祉の知識を教える」「ボランティア精神を養う」といった教育者から学習者への一方的な知識伝達(パウロ・フレイレが批判した「銀行型教育」)ではなく、福祉教育を「住民による自己教育・相互教育活動」として捉え直した。 ここでは、住民を単に「学ぶ者」ではなく、学ぶことを通じて自らの生活を見つめ直し、地域の課題を自らの課題として再構成する「教育主体」(フレイレの提唱する「問題提起型教育」)として再定義した。
〇(5)「あいとぴあカレッジ」では、学習テーマを「児童福祉」「高齢者福祉」といった制度的な枠組みではなく、「あなたは一人で子どもを育てられますか」「あなたの老後の暮らしは誰がみますか」といった、個人の内面に深く問いかけるものとした。これによって、福祉(ふくし)を「他人事」から、切実な「自分事」へと引き戻すことを意図した。
〇(6)「あいとぴあカレッジ」では、講師選定において著名度や専門度をあえて優先せず、地域の人材や「自身の生きざま」を語れる住民を登用した。住民が自らの苦労や願いを語り、それを他の住民が聴く。この「語りと傾聴の連鎖」こそが「共感」のネットワークを紡ぎ出し、講師自身もまた一人の住民として自己実現を図るという、双方向の関係性を重視した。
〇(7)「あいとぴあカレッジ」では、学習プログラムに「遊び」や「ヤマ場」を配列し、学習者のモチベーションの維持を図った。「車椅子で歩く狛江の街」「楽しい仲間とティータイム」といった実習や交流活動などは、教室内の座学を「身体的な体験」へと変換する装置である。感動や驚きを伴う体験(ヤマ場)が、知識を「知恵」へと昇華させ、地域を変える力へと変容させると考えた。
〇(8)「あいとぴあカレッジ」では、学習者自身が班活動や広報活動を担う仕組みを設け、カレッジ自体を「小さな地域コミュニティ」として機能させた。運営委員会や広報委員会の場での議論や葛藤、合意形成のプロセスそのものが、民主的なまちづくりのトレーニング(福祉教育)となることを期待した。
〇(9)「あいとぴあカレッジ」では、社協職員の役割を、主導権を握る立場ではなく、住民の主体性を引き出すための「触媒」(カタリスト)と規定した。情報提供や相談、コーディネートといった「側面的援助」は、高度な専門技術を要する。住民を信じて待つという忍耐強い伴走こそが、住民の内発的なパワーを引き出し、同時に職員自身の専門性を高めると考えた。
〇(10)「あいとぴあカレッジ」では、最終的な評価指標を受講生の数や満足度ではなく、修了後にどれだけの住民が「ふだんの、くらし」のなかで新たな行動を起こしたかに設定した。 「一期生の会」の発足に象徴されるように、学習が集団的なアクションへと発展し、地域のインフォーマルな支え合い組織へと脱皮していく過程こそが、本実践の最大の成果である。

2 社会変容に伴う計画モデルの構造的転換
〇“あいとぴあカレッジ”の実践は、1990年代のそれである。「格差社会」や「分断社会」「監視社会」、あるいは「新・階級社会」などといわれる現代社会において、地縁の希薄化や価値観の多様化、さらには生活困窮の重層化といった変数がある。かつて地域コミュニティの核であった「学校」もまた、閉鎖性の打破や地域開放が叫ばれるなど、大きな変容の渦中にある。そして、“あいとぴあカレッジ”の学習テーマに据えられた高齢者や障がい者などの問題に加えて、精神疾患を抱える当事者やその家族、社会的孤立者、外国籍住民、性的マイノリティ、あるいはデジタル弱者などの問題が重要な課題として突きつけられている。さらには、“あいとぴあカレッジ”の会場とされた小学校の図書室が果たした役割を、現代ではLINEやFacebookに代表されるSNSや、インターネット上の情報や交流の基盤・広場(オンラインプラットホーム)がその一部を代替・補完しつつある。
〇こうした社会変容のなかで、図1に示した計画化モデルは、サイクルの起点となる「See(現状分析・評価)」や「ヒト(マンパワー)」などのあり方に構造的な転換を迫られている。 ひとつは、「See」の多層化である。従来、現状分析や評価の多くは、地域・住民に対するアンケート調査や懇談会といった物理的な空間(アナログ空間)を基盤として行われてきた。しかし、地縁の希薄化やSNSの普及に伴って、地域・住民の生活課題や学習要求は、ネット上の不可視なコミュニティへと潜在化・断片化する傾向にある。現代の「See」においては、従来の地域診断を継承しつつも、デジタル空間に表出される切実な生活実態や潜在的な要求をいかに捕捉するかが問われている。すなわち、計画化プロセスを起動させるためには、アナログとデジタルのハイブリッドな多層的視点が不可欠である。このプロセスを実効的なものとするためには、膨大なデータの整理・分析におけるAIの利活用と、それを受け止めて価値判断を行う「ヒト」との機能的な役割分担を構造化することが求められる。AI が「客観的なデータ」「冷たい知性」によって地域を可視化し、「ヒト」が「主観的な価値」「温かい感性」によって地域を編み直す。この相補的な関係を計画化のプロセスに組み込むことで、市民福祉教育はより緻密で、かつ人間味のある「まちづくり」のエンジンへと進化を遂げるのである。
〇ただし、SNS やAI の利活用にあたっては、それらの情報技術を無批判に受け入れるのではなく、その限界やリスクを構造的に問い直していく必要がある。デジタル空間を、単なる利便性の追求ではなく、客観的状況を批判的・創造的に検討する「省察の場」、かつ誰もが疎外されない「対話の場」として再構築していくことが肝要となる。
〇計画化プロセスにおけるAIの機能的役割は、例えばこうである。See:ビッグデータから潜在的なニーズや社会的傾向を可視化する。→ Plan:多様なシミュレーションに基づき、客観的な選択肢(オプション)を提示する。→ Do:推奨された学習情報やリソースを最適に配信し、実行プロセスを支援する。→ See:実行結果を定量的データとして評価し、普遍的な課題を抽出する。こうしたAIの役割をより効果的に活用するために、「ヒト」に求められる具体的な役割は、例えばこうである。See:生活上の生きづらさや切実な願い(要求、必要)を言語化する。→ Plan:AIの提示した選択肢に自らの価値観や地域・生活実態を重ね合わせ、ビジョン(将来像)を描く。→ Do:静的な計画を、他者との対話や相互作用を通じて固有の意味をもつ実践へと変換し、新たな価値を共創する。→ See:データ化されない情動や生活の変化を感知し、次のビジョンを構想する。図2は、「ヒト・モノ・カネ・シゴト」という地域資源が、「AIとヒト」の手によって「See→Plan→Do→See」という活動に変換し、そのすべてのエネルギーが「ふくし」へと注ぎ込まれていくことを表示したものである。別言すれば、AIの本質は、膨大なデータを基にした「分析」と「効率化」にある。ヒトの本質は、数値化できない「共感」と「価値判断」にある。この両者の相互補完によって、計画化の循環サイクルが駆動するのである。

図2 AIとヒトの相補的役割分担による計画化の構造図

〇転換を迫られるいまひとつは、「ヒト」の再定義である。格差社会や分断社会の進展は、地域・住民の学習要求や学習必要を個別化・細分化し、地域における共通のゴール設定や価値形成を困難にしている。こうしたなかで、本稿が提示した学習指導者や援助者、あるいは社協職員などには、単なる「調整役」ではなく、従来の画一的な学習指導や援助の枠組みを超えて、分断された住民をいかにして個別具体的に繋ぎ直し、指導・援助するかという「媒介者」としての機能が強く求められている。とりわけ、地域で孤立状態にある住民を、いかにして「学び」の場に緩やかに誘い出し、包摂していくかが問われている。
〇さらにもうひとつは、「モノ」と「カネ」の再配分である。「モノ」(施設、空間)については、“あいとぴあカレッジ”では、地元小学校の図書室が「学習会場」として活用された。これは、学校の地域開放、あるいは「まちづくり」における共働のプラットフォーム(場)として評価できよう。現代社会においては、こうした場を家庭(第1の場所)や職場・学校(第2の場所)とは異なる、心理的安全性の担保された第3の「居場所」(「サードプレイス」)として位置づけることが肝要である。そこは、誰もが自発的に立ち寄り、リラックスした交流のなかで相互研鑽を図る「学びの場」であると同時に、コミュニティにおける役割期待の受容と遂行を通じ、他者からの承認を得て自己の存在意義を再確認できる「要場所」(いばしょ)へと昇華されることが期待される。
〇「カネ」については、“あいとぴあカレッジ”では受益者負担による参加責任の明確化が図られた。今日では、クラウドファンディングや社会的投資といった住民自身が「まちづくり」の資金循環に直接的に関与する仕組みが検討される余地がある。これによって、「まちづくりと市民福祉教育」の継続性は、行政や社協の補助金への依存から脱却し、住民の思いや願いを可視化する社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の蓄積へと転換される。
〇そして最後には、「シゴト」における「学習課題」の再構成である。“あいとぴあカレッジ”では、学習プログラムのテーマ設定に際しては、福祉(「ふくし」)を「他人事」から「自分事」へと引き戻すことに留意した。この視点は、現代においても依然として重要である。しかし、生産性の原理や自己責任の論理が追求される現代社会にあって、今後の学習プログラムの編成においては、パウロ・フレイレが提唱した「問題提起型教育」を重視し、地域・社会の社会構造を批判的に分析・検討する視点を組み込むことが肝要となる。
〇先述の図1のモデルは、現代においても有効なものである。加えて、「まちづくりと市民福祉教育」の計画化と実践的展開において避けて通れない変数が、孤立・孤独の深刻化や、SNSやAIに代表される情報技術の加速度的な進展である。これらの新たな社会変数を図1のモデルに不断に取り込み、問い直すプロセスを通じて、地域・住民の自己変革と社会変革のエネルギーが生成されることになる。換言すれば、「市民福祉教育はまちづくりのエンジンであり、まちづくりは市民福祉教育の教材である」。この双方向的な関係性を改めて教育実践の核に据え、地域社会の動態そのものを「学びの資源」へと転換していくことこそが、今、強く求められているのである。

おわりに
―住民主体の計画原理とデジタル時代の展開可能性―

〇最後に、いま一度、本研究で得られた知見と理論的・実践的含意、ならびに今後の課題について再確認しておきたい。
〇第1に、本研究の知見として、市民福祉教育の計画化は、「See(現状分析・評価)→Plan(立案)→Do(実施)→See(再評価)」という循環的プロセスを基軸として成立することが明らかとなった。とりわけ重要なのは、①このプロセスが住民の生活実態や生活課題、学習要求・学習必要を出発点とする点にあり、計画が行政や社協・専門家主導のものではなく、地域・住民の生活に根ざした課題の再編成として構築される点である。また、②市民福祉教育の実践は、「ヒト」「モノ」「カネ」「シゴト」という諸要素の有機的統合によって支えられ、これらの構造化を通じて一過性の事業ではなく持続的な地域実践へと転化することが確認された。そして、③“あいとぴあカレッジ”における学習過程は、知識伝達型ではなく、住民を学習主体かつ教育主体として位置づける自己教育・相互教育の過程として展開され、そのことが主体形成と「まちづくり」への行動変容を媒介する契機となった点が注目される。
〇第2に、本研究の理論的貢献は、市民福祉教育を単なる教育活動としてではなく、地域課題の認識・再編成・実践を包含する「動態的プロセス」として再定義した点にある。従来の福祉教育研究が、事業内容や実践事例の記述にとどまりがちであったのに対し、本研究は計画過程そのものに内在する構造と原理を抽出し、「まちづくりと市民福祉教育」の統合モデルとして提示した。また、住民の「学習要求」と「学習必要」を媒介する計画論的視座や、「ヒト・モノ・カネ・シゴト」の資源構造の体系化は、地域福祉計画および社会教育計画の接合領域に新たな分析枠組みを提示するものである。さらに、現代的文脈においてAIやデジタル技術との相補的関係を視野に入れた点も、計画論の拡張として位置づけられる。
〇第3に、本研究の実践的含意として、地域における市民福祉教育の展開にあたっては、①住民の生活実態に根ざした課題設定、②多様な主体の参加と共働による計画形成、③学習過程そのものを主体形成の契機とするプログラム設計、④学習成果を地域活動へと接続する仕組みづくり、が不可欠であることが示唆される。とりわけ、社協職員や専門職は、計画の担い手ではなく住民主体の活動を支える「触媒」としての役割を担う必要があり、そのための専門性の再構築が求められる。また、現代社会においては、オンライン空間やデジタル資源を含めた多層的な学習基盤の整備が重要となる。
第4に、本研究の限界と課題であるが、まず、本研究は1990年代の単一事例に依拠した分析であり、その知見の一般化には慎重である必要がある。今後は、現代の他地域における実践との比較研究を通じて、計画原理の普遍性と固有性を検証することが求められる。次に、“あいとぴあカレッジ”における学習成果とその後の行動変容については、長期的・追跡的なデータに基づく検証が不十分であり、今後の重要な研究課題として残されている。さらに、現代におけるデジタル技術やAIの導入が、住民主体の学習といかに接合しうるのかについては、具体的な実践研究の蓄積が求められる。
〇以上のように、本研究は、市民福祉教育を「まちづくり」の基盤として再定位し、その計画化と実践的展開の構造を明らかにした。今後は、本稿で提示した理論枠組みを基盤として、現代社会における新たな「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に期待したい。

引用・参考文献
(1)大槻宏樹編(1986)『コミュニティづくりと社会教育』全日本社会教育連合会。
(2)大橋謙策(1986)『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会。
(3)大橋謙策(2022)『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』中央法規出版。
(4)小川利夫・大橋謙策編著(1987)『社会教育の福祉教育実践』(「シリーズ福祉教育」第5巻)光生館。
(5)岡本包治・山本恒夫編著(1975)『社会教育計画』第一法規出版。
(6)岡本包治編著(1980)『学習プログラム』(講座「現代の社会教育」第3巻)ぎょうせい。
(7)岡本包治(1984)『社会教育における学習プログラムの研究』全日本社会教育連合会。
(8)岡本包治・山本恒夫編(1985)『生涯教育のアイディアと実際』(「生涯教育対策実践シリーズ」第4巻)ぎょうせい。
(9)岡本包治・小山忠弘・福留強編著(1987)『社会教育の計画とプログラム』全日本社会教育連合会。
(10)木全力夫編著(1988)『社会教育計画論』東洋館出版。
(11)原田正樹(2014)『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』中央法規出版。
(12)日高幸男・岡本包治編著(1984)『社会教育のプログラム』全日本社会教育連合会。
(13)藤岡貞彦編(1980)『社会教育の計画と施設』(「日本の社会教育」第24集)東洋館出版社。
(14)松下拡(1990)『健康学習とその展開』勁草書房。
(15)矢野真和・荒井克弘編(1990)『生涯学習化社会の教育計画』(「日本の教育」第1巻)教育開発研究所。

【初出】
「地域における福祉教育の計画と学習プログラム」『日本の地域福祉』第5巻、日本地域福祉学会、1992年3月、84~106頁。
本稿のⅠ〜Ⅳ章は、一部を除き原則として発表当時のままとし、それ以外は新たに加筆したものである。

【謝辞】
本稿を加筆修正するに際して、狛江市社会福祉協議会事務局長の竹中石根さまには格別のご高配を賜りました。記して、感謝とお礼を申し上げます。

阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究への学び(その3)―地方改良運動にみる福祉教育実践:福祉教育の遡及的原点を求めて―

 僭越至極であるが、筆者は昨今の「福祉教育」における実践や研究の動向に対し、危機感を抱いている。その根幹にあるのは、福祉教育の「歴史と哲学と原理」に対する深い洞察や言及が、等閑視されているのではないかという懸念である。

具体的には、例えば、福祉教育は「いかなる歴史的・社会的背景によって生み出されたのか」「いかなる変遷を経て今日に至ったのか」など、その歩みについて検証してきたか(歴史)。「福祉教育とはいかなる教育的営為か」「共生の本質とは何か」など、根源的な問いを設定しそれに応答してきたか(哲学)。「人と人の繋がりはいかにして形成されるのか」「地域社会のエンパワメントはどのようなプロセスで生じるのか」など、そのメカニズムの理論化を図ってきたか(原理)、等々についてである。

 本来、これら3要素は独立して存在するものではない。「歴史」のなかに「哲学」が紡ぎ出され、その「哲学」が実践を導く「原理」を体系化し、さらにその「原理」に基づいた実践がまた新たな「歴史」を形成していく。この循環構造こそが福祉教育を学問たらしめる条件・要諦であり、「歴史と哲学と原理」を三位一体として捉える視座が不可欠である。

以上の問題意識に基づき、痛切な自戒の念を込めて、下記の拙稿を再掲することにする。

*   *   *

地方改良運動にみる福祉教育実践
―福祉教育の遡及的原点を求めて―

Ⅰ はじめに

実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される。実践のない理論は空虚であり、理論のない実践は盲目である、といわれる。

福祉教育の歴史と理論と実践は、相互の関係にあり、歴史研究と理論研究と実践研究は互いを無視しては成り立たない。とりわけ歴史研究は、福祉教育研究の基本に据えられるべきものである。しかし、福祉教育研究は、これまで、福祉教育の歴史に無関心であったといわざるを得ない。

例えば、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第2回大会(1996〈平成8〉年10月)から第13回大会(2007〈平成19〉年11月)までにおける「自由研究発表」(実践報告を除く)は393本を数えるが、そのうち歴史に関する発表はわずか10本(2.5%)に過ぎない。また、学会の機関誌である『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』の創刊号(1996〈平成8〉年7月発行)から第12号(2007〈平成19〉年11月発行)までに掲載されている論文(基調論文、解説論文、特集論文、研究論文、研究ノート)は95本を数えるが、歴史に関するものは皆無である。ここに、福祉教育の理論研究や実践研究の進展があまりみられないひとつの要因があるといえる。

いうまでもなく、福祉教育研究における歴史研究は、福祉教育の歴史的事実を実証的に解明することからはじまる。すなわち、それは、たんに福祉教育の変遷を押さえるだけでなく、その変遷の意味を明らかにすることである。その際、その史実を社会的・経済的・政治的・文化的諸条件との相互関連のなかで捉えることが肝要となる。それを通じて科学的・客観的に今日の福祉教育の到達点を押さえ、それが抱える問題点や課題を発見し、その本質を把握する。そして、それを解決し克服するための適切な方向を見定め、具体的な解決策を見出す。

ここに、福祉教育史研究の意義と課題があり、研究の重要性を指摘することができる。要するに、現在を読み解き、未来を拓くための有効な方法のひとつに歴史があり、歴史研究があるのである。

福祉教育の変遷を分析、把握するためには、先ずその原点や源流を探求することが求められる。それをどこに見出すかは、福祉教育研究の視点や枠組みの設定をはじめ、そこから得られる福祉教育の対象、主体、方法などについての知見、そしてそれらを総合化・体系化してその意味内容を確定しようとする福祉教育の概念規定などによって異なる。

これまで、第二次世界大戦後における福祉教育の源流は、例えば、1946〈昭和21〉年に平岡国市によって創案された徳島県の子供民生委員制度や、1950〈昭和25〉年度から実施された神奈川県の社会事業教育実施校(社会福祉研究普及校)制度などに求められてきた(1)。また、村上尚三郎は、福祉教育の「遡及的原点」として、「大正デモクラシーが教育界に及ぼした所産とも目される1920年代の、いわゆる新教育運動の勃興に焦点をあて」、「池袋児童の村小学校」の訓導・野村芳兵衛の生活教育や修身教育の実践に着目している(2)

本稿では、福祉教育を「地方自治」や「地域振興」の視点から捉え、その「遡及的原点」は明治40年代以降に内務省主導で展開された「地方改良運動」の取り組みのなかに見出すことができる、という仮説を設定する。そして、それを諸史料から検証することにする。

周知の通り、地方改良運動では、地方(地域)すなわち町村の振興を図るために「人心の開発」が重視され、町村民に対する教育と教化が推進された。そこには、今日でいう福祉教育実践のひとつの側面や要素が含まれていたと考えられる。

そこで、以下では、具体的にはその教育・教化活動に関する史料について紹介し、検討を加える。それを通してその福祉教育実践としての側面や要素を明らかにする。そして、それを今日の福祉教育実践やその課題につなげて考え、そこから課題解決のための手がかりや示唆を得ることにしたい。

Ⅱ 地方改良運動とその推進方策

地方改良運動は、日露戦争(1904〈明治37〉年~1905〈明治38〉年)後のいわゆる「戦後経営」の一環として、内務省地方局の主導のもとに推進された。すなわち、それは、戦争による国家財政の危機的状況を打開するとともに、帝国主義列強諸国に伍する地位を獲得するために、国力の充実・発展と国家的統合を図る官製運動であった。この最重要の国策のもとで、地方改良運動では、具体的には「生産事業の振励」をはじめ「地方自治の振興」「公共心の育成」などの諸施策が展開され、地方(町村)の自発的・自立的振興が促された(3)。こうした運動が強力に推進されたのは、第2次桂太郎内閣が成立し内務大臣に平田東助が就任した1908〈明治41〉年から、1914〈大正3〉年頃にかけてであった。それ以後、地方振興は、それまでの総合的な施策から農事の改良・発達を中心にした個別的な施策として展開されることになる(4)

こうした地方改良運動の推進を図るに当たって、内務省地方局は次のような政策手法を採った。(1)啓蒙書や実践事例集の刊行・配布、(2)「地方改良事業講習会」の開催、(3)中央報徳会の機関誌『斯民』の発刊、(4)「模範村」の表彰、などがそれである(5)

(1)については、啓蒙書として『地方自治ノ指針』(1904〈明治37〉年)、『地方自治要鑑』(1907〈明治40〉年)、『地方改良の要項』(1912〈明治45〉年)、実践事例集として『地方資料(第1編~第15編)』(1907〈明治40〉年)、『地方改良実例』(1912〈明治45〉年)などがある。

(2)は、1909〈明治42〉年に、地方改良運動の監督・指導に当たる全国の地方吏員を主な対象として、第1回講習会が東京市の国学院大学で開催された。この講習会は1923〈大正12〉年頃まで継続開催されたが、ほぼ同時期の1908〈明治41〉年から1922〈大正11〉年にかけて、内務省地方局によって「感化救済事業講習会」が雁行して開催されている(6)。注目されるところである。

(3)に関しては、1906〈明治39〉年に内務官僚の床次竹二郎(地方局長)や井上友一(府県課長)らによって、半官半民の「報徳会」(1912〈大正元〉年に「中央報徳会」と改称)が結成され、報徳運動が展開された。この運動では、二宮尊徳の報徳思想(至誠・勤労・分度・推譲)に基づいた、主として地主層に対する教化善導が行われた。しかも、それは、内務省の地方行政事務に組み入れられていった。1906〈明治39〉年には機関誌『斯民』が発刊され、報徳思想についての再評価や研究が行われた。とともに、報徳思想は、地方改良運動の中心的なイデオロギーとして全国の各町村レベルにまで波及した(7)。要するに、地方改良運動はこの報徳会を推進母体として全国展開されたのである。

(4)については、1905〈明治38〉年に表彰された「明治の三大模範村」(静岡県賀茂郡稲取村、千葉県山武郡源村、宮城県名取郡生出村)が注目される。この表彰施策は、1910〈明治43〉年以降、中央(内務省)だけでなく地方でも本格的に展開された。そのねらいは、顕著な業績をあげた団体や個人に対して表彰を行うとともに、地方(町村)振興に取り組む団体や個人の自発的意識を喚起し、地方改良の機運を促進することにあった。

Ⅲ 町村振興のための教育・教化と福祉教育実践

地方改良運動の実質的な発案者であり、主導者であった井上友一は、町村振興には「経済の開発」と「人心の開発」が重要であり、また国力の充実・発展を図るための地方自治の振興には、町村民の「自治心」の喚起が必要不可欠である、と説いた(8)。そこで、地方改良運動は、「自治民育」(「自治民」の育成)というひとつのスローガンのもとで、教育・教化運動的な色彩の濃いものとして展開された。例えば、小学校では、町村振興の地域的課題が教育活動に採り入れられ、町村の実情や、児童や町村民の実際の日常生活に即した「教授の実際化と郷土化(9)」が志向された。また、小学校を卒業した在村青年や町村民に対しては、町村振興に向けていわゆる「補習教育」が推進された。そこでは、小学校教育の補習と農業教育などの実業教育、それに勤倹貯蓄などを軸とした生活様式(生活規範と生活態度)の改良・改善を図るための教化活動(生活教育)などが行われた(10)

教育・教化活動の展開に際しては、教育勅語(1890〈明治23〉年)と戊辰詔書(1908〈明治41〉年)の趣旨の徹底や浸透が図られ、報徳思想(主義)が基調とされたことはいうまでもない。周知の通り、教育勅語では、儒教的道徳思想を基礎に、忠君愛国が教育の基本であることが強調された。戊辰詔書は、国民の個人主義・享楽的傾向の是正を諭し、国民に勤労と節約を求めた。

こうした町村振興の教育・教化活動や運動に動員されたのは、地域の中核機関である小学校と、地方の有力者である小学校教員であった。

1 小学校における「自治民育」の実践
ここで、内務省が刊行した前述の『地方資料』『地方改良の要項』『地方改良実例』に収録されている地方改良実践事例から、小学校における「自治民育」の教育活動の一端を紹介する。

害虫駆除と学童貯金(史料①)
小学校生徒の実業思想を養成するの一事は、愛知県に於て著く其功を収めり。就中、渥美郡の施設は最も見るへきものあり。即ち教授の際を以て、或は箒掃衛生の業を行はしめ、或は害虫の駆除に従はしめ、或は花卉の栽培を為さしむる等、実用に習はしめんとして、最も其意を用る。更に家庭との連絡を通し、種々の業務を撰ひて、労働に習はしめ、又廃物利用の念を養ふことに勉めたり。かくて勤労と節約とに依りて得たる金員は、其出所を明にして之を学童貯金と為すことを奨励せるに、其効を奏せること殆と意表に出てたり。例へは、福岡小学校の如きは生徒間に於ける勤勉の風よりして、延きて其父兄を化し、一村漸く勤勉力行の俗に嚮ひ、日を逐うて旧時貧困の状より脱せんとするに至れり(11)

出征軍人家族の慰安と小学校生徒の裁縫(史料②)
愛知県額田郡なる北部高等小学校(当時岩津村細川村学校組合立)及岩津村(当時大樹寺村)立大樹寺尋常高等小学に於ては曩に戦役に際し出征軍人家族に労力を供し、且慰安の一方法として無料裁縫の依頼に応したり。最初両校職員に於て、軍人家族の衣服は一切無料を以て裁縫の依頼に応し、慰安の実を挙けんことを志し、其旨を女生徒に告くるや何れも喜んて之を迎へ、誓て夜を以て日に継くも此作業を遂行すへき旨を答へたり。依て村役場より各区区長総代等に其旨を伝へ、又は年長生徒をして軍人各戸に就き材料を取集めて之を裁縫したり。されは軍人家族中此の好意に感泣せしものありと云ふ。而して其裁縫等は新古を問はす又種類を択はさりしを以て、中には洗濯洗張の上裁縫したるものも亦少なからさりしと云ふ(12)

害虫駆除(史料③)
児童の勤倹の美風を喚起せしめ、併せて愛郷の心を養はしめるが為め、滋賀県甲賀郡にては、学童をして害虫駆除の事に当らしむ。且作業の当日は、教員をして兼て編纂したる郷土誌を携帯せしめ、郷土に於ける地理、歴史、博物等に就きて、一々実地の教授をなさしむ(13)

小学校施設の老人慰藉会(史料④)
宮崎県西諸県郡紙屋尋常高等小学校に於ては其附帯事業として毎年一回年齢六十歳以上の老人を集めて児童の成績品書画の類を陳列縦覧に供し或は児童をして読方、話方、唱歌、遊戯等を試みしめ或は音楽隊を編制して演奏せしめ以て老人に慰藉を与ふることゝせり又平素に於ても屢々児童の成績品又は珍らしき物を老人に回送して之を慰さめつゝあり而して其の接待及回送の労は何れも児童をして之に当らしめ以て自ら老人を尊敬するの念を深からしむといふ(14)

小学校生徒の教科以外の作業(史料⑤)
宮城県に於ては県下の小学児童に対し勤労を重んするの観念を養成する方法として地方適切の作業を選ひ教科以外之に従事せしむることを奨励したるに今や県下各小学校に於て実行するに至れり其の概要左の如し

学校に理髪機械を備付け児童相互に理髪を為さしむるもの頗る多し其の方法は学校に依りて多少異なれりと雖も多くは最初教師の指導に依りて年長の児童に練習せしめ休憩時間を利用し或は放課後に於て相互に又は幼年児童の為めに理髪し其の賃金を一回二銭内外と定め之を共同貯金として蓄積し或は学校に寄附し或は学用品共同購買の資金に利用せるものあり今や僻陬の地にして理髪店なき所に於ては父兄の請に応して理髪を為すものあるに至れりといふ(中略)

毎朝出校前の作業として牛乳配達、新聞配達、納豆売、豆腐売、飴売等の行商に従事せる児童市街地に最も多数なり又午後の放課後及休日には菓子売、薪炭売等に従事せるものあり其の他学校に於ては学用品の共同販売を実施し其の購入、販売、記帳等の取扱を練習せしめ収益は共同貯金と為し以て商業の実習と勤倹自治の精神とを養成するに努め居れり(中略)

小学校に於て養鶏、養豚、養兎の業を課し以て其の飼育方法を教ふると同時に之か趣味の養成に努めたる結果家庭に於ても養蓄又は養禽を楽むもの追々其の数を増せり(15)

教師生徒及有志者より成れる長寿者慰藉会(史料⑥)
静岡県周智郡飯田村睦実区には睦実尋常高等小学校職員生徒及区内有志者を以て組織せる長寿者慰藉会なるものあり長上を敬ふの主旨に依り長寿者に接するに常に赤誠懇篤を以てし又年二回区内七十歳以上の老人を招待して之を慰藉す而して之に要する費用は会員の寄附金を以て支弁せり四十二年十一月三日天長の佳節に際し本会総会を同小学校内に開催したる時の如き区内七十歳以上の老人十八名は一名の漏なく或は杖に縋り或は孫児に擁せられて来会し先つ遥拝式を挙行して聖寿の万歳を祝し引続き唱歌、余興等あり又児童の手工品を縦覧せしめ記念撮影を為し特志者の寄贈に係る扇子(祝寿の文字模様あり)を配与する等会員総出にて歓待の労を採れり斯くて来会の翁媼は何れも喜色面に溢れ和気靄々の内に散会したりといふ(16)

史料①は、清掃、害虫駆除、花卉栽培などの勤労と、廃物利用などの節約を通して学童貯金を行うことを奨励した実践である。史料②は、出征軍人家族を慰安するために、小学校生徒が無料で裁縫の依頼に応じた実践である。史料③は、害虫駆除の保健衛生活動を通して勤倹と愛郷の意識・態度を養うとともに、郷土理解の促進を図った実践である。史料④は、敬老の精神を養うために、小学校で、生徒が中心になって行った老人慰藉会の実践である。史料⑤は、相互理髪をはじめ、牛乳・新聞配達や納豆売りなどの行商、養鶏や養豚の業などの教科外の作業を通して、勤倹自治の精神の育成を図った実践である。史料⑥は、小学校の生徒のみならず、教員や地元の有志者などによって組織された長寿者慰藉会の敬老活動の実践である。

要するに、これらの教育実践は、「勤勉力行」「勤倹自立」「慰安」「慰藉」「愛郷」などの規範意識や生活態度を育成し、それを通して町村振興を図るという意図のもとに実施・展開された。そして、そのための手段や方法のひとつとして取り組まれたのが、害虫駆除の保健衛生活動や高齢者を慰藉するための敬老(会)活動などであったのである。

前者の保健衛生活動については、1897〈明治30〉年に制定された伝染病予防法に基づいて、その後、明治・大正・昭和と時代の変遷に伴って地区衛生組織活動の推進が図られることになる。そのなかの住民各層に対する広報・教育活動の実践に、福祉教育のひとつの原型を見出すことができる。また、後者の敬老(会)活動については、時代性は異なるものの、現象的には今日の福祉教育の主要な体験活動(体験学習)のひとつである高齢者理解や高齢者との交流・共生活動に通じるものである、といえよう。

2 大阪府生野村における「自治民育」の実践
ここに、村田宇一郎が1910〈明治43〉年に著した『学校中心自治民育要義』(宝文館発行)と題する本がある。村田は、大阪府天王寺師範学校長として、1907〈明治40〉年から大阪府東成郡生野村において「自治民育」に関する実践・研究を行った。村田のこの著書は、自治民育の「意見」と生野村での「実験」成績をまとめたものであった。その内容は、内務省の教育・教化要求に応えるものであり、内務省によって推奨されるところとなった。生野村での実践が自治民育の「モデル(17)」や「公民教育」の「原型(18)」などと評される所以であり、各地に大きな影響を与えたことは推察に難くない。

以下では、生野村における村田の自治民育の実践(内容と方法)とその特徴を把握するために、上述の彼の著書のなかから注目すべき叙述部分を摘記する。

忠君愛国と富国の手段(所論①)
我国方今の趨勢は(中略)、一等国の地位に上つたと云つても、他の七ヶ国に比すれば金力の程度に於ては顔色がないのである。(中略)こんな貧乏世帯で世界列強の間に介在して、能く国の面目を保ち得るであらうか憂慮に堪へないのである。そこで吾々国民はどこ迄も奮発して富を作らねばならぬ、併し国を富ましても忠君愛国の思想を失ふてはならぬ、忠君愛国の思想を益々強盛ならしめると共に国を富ましむるやうな働きある国民を造成することは、我国方今の急務にして吾々国民教育者の任務も亦茲に存するのである(19)

忠君愛国の思想を強盛ならしむると同時に国を富ましめんとするには、如何なる手段が必要であるかと云へば(中略)、立憲思想を普及せしむることが何よりも急務である(20)

此立憲思想の普及を謀らんとするには、之が根底をなす地方自治の思想から普及してかゝらねばならぬ(21)

公共心共同心の養成(所論②)
国民教育者はこの町村自治の何たることを了解して教育に従事せねばならぬ。而して更に我国自治体の現状を省みて、其病根のあるところを察すれば、自治の発展に最も肝要であると云はれて居る公共心共同心が、他の徳義心に比して割合に発達が後れて、或は英国に於ける百年以前のことを実現しつゝあるのではなからうかと思はれるのは甚だ遺憾の次第である。それで吾々教育者は小学校時代から、この公共心共同心の養成には一層の努力を要することを自覚せねばならぬ(22)

小学校本来の立場(所論③)
小学校に従事せる教員達は(中略)各自の奉職して居る市町村の歴史的構造や、法律的構造や、社会的構造などを了解して、将来その市町村公民となつて各自の市町村を手塩にかけて育てるやうな人間を造るべく、その預かれる子弟に対して基礎的教育を施(す必要がある――筆者注)(23)

元来小学校は、どこ迄も町村自治体に於ける文化の中心となり、その町村の程度、民風事業方針等を参照して将来并に現在の自治民を造成するの道を講ずるところとならねばならぬ(24)

庶民教育系統の建設(所論④)
小学校教育に次ぐに青年団体教育を以てし、青年団体教育に次ぐに自治体教育を以てして、小供も青年も戸主も主婦も老爺老媼も永年の間にそれぞれに訓練して、一家の一員たり、市町村の自治民たるに適当する資格を養ひ、市町村そのものを秩序的に系統的に整理せねばならぬ(25)

自己の町村の了解(所論⑤)
町村の事情を町村民一般が知らないやうなことでは、町村に対する愛の心即ち愛町村心と云ふものが起らぬ。町村の面目の為めに町村に対する義務の為めに、自己の行動を慎まねばならぬと云ふ心持が出来ないから、是非共これ等のことを了得せしめねばならぬ(26)

一般村民をして「我が村」を了解して之を愛し之を保護するの道を悟らしめたこと(27)

自村の情態が分れば分る程、村民一般の公共心共同心が発揮されて、自治体の面目を思ふ観念が出来なければならぬのである(28)

公民的知識の教授(所論⑥)
(小学校教育の――筆者注)高等科に入りては、市町村政の大要から郡制府県制の大要に及ぼし、名誉職の何たることより自治団体の理事機関や執行機関のことを概説し、自治体に対し各自が負ふ所、并にそのために尽すべき義務を挙げ、社会の秩序を重ずべきこと、社会の進歩に貢献すべきこと(中略)なども教へられて居るのである(29)

(青年団体教育の実業補習学校の修身科にありては――筆者注)町村自治のこと(代議機関、行政機関、土木衛生教育産業の状態、財政の状態、産業組合、報徳結社、商工組合、農会、在郷軍人会、神社、寺院、町村是のこと、民風興起のこと)を、各自の町村の材料について説示し、我家を理解し我村を理解せしめて、孝道の貴きこと、友愛の重ずべきことから、正直になけらねばならぬ、勤勉でなけらねばならぬ、秩序を守らねばならぬ、公共心共同心がなけらねばならぬことを知らしめ、進んでは(中略)我国の国勢の大要を知らしめて国家に対する奉公心を喚起せしめ、土地の状況によりては、対外観念を与へて海外に移住発展するやうな考を与へることも必要である(30)

事業上における指導(所論⑦)
青年を指導するには、只彼等の頭を肥やしたばかりではいかない。事業をやらせて、筋骨を労せしめる其間に、実地上から指導を加へて行かねばならぬ(31)

村民の自発性の尊重(所論⑧)
余りに故意的に急速に改善策を立てんよりも、自然に緩々と、彼等(村民――筆者注)の仲間から適切な改善策の出でんことを望む(32)

所論①では、日露戦争後のわが国の重要課題は国家富強(経済力の強化)と忠君愛国(愛国心の涵養)である。そのためには立憲思想の普及が急務であり、さらにその根底をなすのは地方自治の思想の普及である、と説いている。地方自治の思想の普及が愛郷心と愛国心を喚起し、町村振興と国力充実をもたらす、というのである。所論②では、町村自治の発展には公共心共同心を育成するための教育の推進が重要である、と説いている。その担い手は国民教育者である。所論③では、小学校と小学校教員は、市町村の歴史的・法律的・社会的構造などの了解に基づいて、自治民育の基礎的教育を施す必要がある、と説いている。当時、自治民育の担い手は、小学校と小学校教員以外にはなかったし、いなかったのである。所論④では、秩序ある市町村を建設するためには、小学校教育―青年団体教育(青年教育)―自治体教育(成人教育)という庶民教育系統を建設しなければならない、と説いている。子どもから大人までの総ての市町村民を対象にした庶民教育によって、自治民育が考えられたのである(33)。この系統的・継続的な庶民教育は、今日でいう生涯教育(生涯学習)に通じるものでもある。所論⑤では、公共心共同心や自治心の育成を図るためには、先ず自己の町村の状態について了解することが必要かつ重要となる、と説いている。自治民育の教育内容の基軸に自己の町村を了解することが据えられていたのである(34)。所論⑥では、小学校教育や青年団体教育では公民的知識の教授が重要である、と説いている。自治民育の教育内容のひとつとして地方自治に関する知識が重視されたのである。所論⑦では、青年を指導するには知識の教授のみならず、事業上での実地指導が必要であり、所論⑧では、村民や生徒の自発性を引き出すことが重要である、と説いている。いわば現場主義・臨地主義の教育方法と、従来の命令―服従の教育方法ではない、協議や討論などの自発性を尊重した教育方法が活用されたのである(35)

以上の、村田が説く町村振興と国力充実のための自治民育の構想と実践(内容と方法)を大胆に要約するとすれば、およそ次のようになろう。すなわち、(1)小学校と小学校教員による自治民育に基づく町村社会の形成、(2)小学校教育―青年教育―成人教育という継続的・一貫的教育の促進と町村民の教化、(3)町村の歴史的・法律的・社会的構造理解(町村理解)に基づく教育内容の構成、(4)町村自治に関する法制的・公民的知識の教授、(5)実際的・実地的指導や自発性を引き出すための多様な教育方法の活用、などがそれである。

そして、これらは、その歴史的背景や意義、質的内容は異なるものの、今日の福祉教育が抱えるいくつかの課題に思い至らせる。住民主体・住民参加による福祉のまちづくり、ローカル・ガバナンスの地域福祉、地域再生の生涯学習、などと地域特性を生かした多様な福祉教育実践のあり方についてのそれである。

Ⅳ 自治民育と福祉教育実践の課題

イギリスの歴史家であるE.H.カーは、その著『歴史とは何か』(1961年)で、歴史とは「現在と過去との対話(36)」であるとした。これを引くまでもなく、歴史研究は、現在に残る史料をもとに過去の事 実について多角的・総合的な視点から検証・考察し、それを通して現在を読み解くとともに新しい歴史を築いていく指針を見出す試みである。福祉教育の歴史研究についていえば、いわゆる「歴史主義の貧困」に陥らないためにも、歴史的事実としてのその実践活動から何を学び、今後の福祉教育実践のあり方の追究に「使える」どのような、新たな着想や有益な示唆を得るかが問われることになる。

本稿では、福祉教育の遡及的原点を地方改良運動期における自治民育の教育・教化活動に求め、その史料の紹介と若干の考察を行った。それによって、自治民育の実践に、今日の福祉教育実践のひとつの側面や要素が含まれていたことを明らかにすることができた。ただ、その論述は、史料と紙幅の制約から限定的なものにならざるを得ず、残された課題は多い。改めて全国各自治体における地域(町村)振興策と自治民育活動に関する史料を掘り起こし、それを丹念に検証し、福祉教育の視点・視座から分析・検討することが必要となる。

最後に、今後に向けて、自治民育と福祉教育実践の課題をめぐって次の2点について再確認し、若干の考察を加える。それをもって本稿のむすびにかえることにする。

(1)地方改良運動は、行政町村の自主的・自立的振興を促し、町村を「国家のための共同体(37)」に転化させるための運動であった。したがって、それは、国家による「上から」の社会的・政策的運動として、しかも国民の指導教化に力点を置いた自治民育運動として展開された。

自治民育という言葉は村田が用いたターム(用語)である。前述の著書を題して「学校中心自治民育要義と云つたのは、教育者の立場から学校を中心として自治民を造成せんことを論述したからである(38)」と述べている。村田はまた、自治民育を、町村自治の担い手である公民を造ることであるとした。しかも、それは、町村振興と国力の前提的基礎となるものであり、町村や国家のために貢献する能動的な主体(公民)形成を図るものであった。いいかえれば、町村や国家が求めたのは「義務としての自治」「義務としての公共心共同心」であり、村田の自治民育論はそれに応えるものであったのである(39)

福祉教育は、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な住民(市民)の育成を図るための教育活動である。また、それは、平和・民主主義・人権とともに、自立・共生・自治が基本的価値としてその根底に据えられるべき活動である。しかも、その際の市民とは、人間の尊厳と自由・平等・友愛に絶対的な価値をおく、権利・義務を有する民主主義の担い手をいう。そこから、福祉教育は、自治民育の教育・教化活動が「上から」の、あくまでも国家的・社会的責任=義務としてのそれであったのとは異なり、自立・共生・自治の意識に基づいた「下から」の、権利としての教育活動でなければならない、といってよい。とすれば、その権利をどのようなものとして、どのように獲得するか。また、その権利が保障されるためには、どのような社会的義務を、どのように引き受けなければならないか。地方分権が進み、市民社会の再構築が叫ばれるなかで問われるところである。

(2)地方改良運動の第一の課題は、地方自治体の再編策であった。この官製の国民運動は、第一次世界大戦後の社会不安に対処するための民力涵養運動(1918<大正7>年~1922<大正11>年)に継承され、昭和恐慌期における農山魚村の経済的困窮・社会的混乱を収拾するための農山魚村経済更生運動(1932<昭和7>年~1934<昭和9>年)へと、それぞれが異質な側面をもつ運動として連続する(40)。1937<昭和12>年には戦時体制化のもとで国民精神総動員運動がはじまり、ファシズム体制の確立をめざすことになる。

今日、国民保護法(2004〈平成16〉年)などの有事法制のもとで有事への準備が進み、国民の統制や動員が予定されている。社会福祉界では高齢者や障害者の自己責任が問われ、自立が強制されるなかで、社会福祉の後退と切り捨てが進んでいる。その一方で、地域における住民相互の「つながり」や「新たな支え合い(41)」に過度の期待がかけられている。教育界では2006〈平成18〉年の教育基本法改正の強行などにみられるように、子ども・青年の生きる力や学力が強調され、愛国心が強要されるなかで、教育の能力主義化の推進と国家統制の強化が図られている。福祉教育に関していえば、官製(的)奉仕活動の展開が推進されている。

このように市民生活や住民生活が脅かされ、国家による強要や統制が進むなかで、戦前の轍を踏まないためにも、「地方改良運動にみる福祉教育実践」の構造や特質を解明し、歴史的問題点や課題を明らかにすることを通して、地域・住民主権の福祉教育の可能性や方向性について追究する意義は大きいといえよう。なお、地域・住民主権の福祉教育とは、住民の生活課題や福祉課題を素材に、地域特性を踏まえた内発型の地域振興や自立的で能動的な住民自治を志向する教育活動である。そこでは「地域理解」「生活理解」を不可欠とする。

【注】

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【初出】
「地方改良運動にみる福祉教育実践―福祉教育の遡及的原点を求めて―」『年報』Vol.13、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2008年11月、120~129ページ。
【参考】
阪野貢『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』みらい、2009年10月、1~19ページ。

阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究への学び(その2) ―平岡国市「子供民生委員制度」の実践をめぐって―

〇筆者は、2004〈平成16〉年8月、子供民生委員制度に関する資料収集を行うために徳島県を訪ねた。その節、平岡国市の後を受けて1957〈昭和32〉年9月から6年間徳島県社会福祉協議会の職員として子供民生活動の推進に尽力された木谷宜弘先生(当時・ボランティア研究所)をはじめ、子供民生委員制度についての研究を地元で行っていた森依顕先生(元・徳島文理大学)や日開野博先生(元・四国大学短期大学部)などから貴重な資料の提示や助言をいただいた。また、子供民生活動の発祥(1946〈昭和21〉年7月)の地である三好郡西祖谷山村(みよしぐんにしいややまそん)西岡小学校と、1948〈昭和23〉年から継続的に子供民生活動を実施・展開した名西郡石井町(みょうざいぐんいしいちょう)藍畑小学校を訪ねることができた。なかでも西岡小学校を訪れた折には、夏休み期間中にもかかわらず、貴重な資料を拝見することができた。また、校舎正面の垣根のなかに、子供民生委員活動の発祥の地を示す石碑を見つけることができた。懐かしい思い出である。
〇下記の拙稿は、「子供民生委員制度」に関する原資料の紹介と子供民生活動の分析・検討を行ったものである。

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平岡国市と子供民生委員制度
―地域・地元に根ざした福祉教育実践のあり方を考えるために―
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【初出】
阪野貢『子供民生委員と市民福祉教育』中部学院大学、2005年4月、7~60ページ。
【参考】
阪野貢『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、13~65ページ。
【備考】
私事にわたり恐縮ながら、木谷宜弘先生からの書簡を添えさせていただきます。

阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究への学び(その1) ―狛江市社協「あいとぴあカレッジ」の実践をめぐって―

〇筆者はいま、あるきっかけを得て、「まちづくりと市民福祉教育」に関していろいろと思いを巡らしている。その際の問題意識は次のようなものである。

 【問題意識 ①】
〇「福祉教育」実践と研究はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常者と障がい者、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生、などの二項対立的な分かりやすさのなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがちであった。しかも、包摂や共生の概念的・抽象的な思考や理解に留まり、日常の地域生活場面においてその感覚化や生活化、行動化を促すことに必ずしも主体的・積極的であったとはいえない。
〇そして、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が叫ばれるようになって久しいが、包摂や共生が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を思考停止に陥らせたり、ある種の刷り込みを可能にする恐れなしとしない。その要因や背景については、(1)福祉教育がその存立基盤となる原理論や思想・哲学への探究を等閑視してきたこと。(2)福祉教育の実践科学としての側面、すなわちハウツーや手法の提供に偏重してきたこと。(3)福祉教育がその固有性や自律性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと。(4)福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙せず、「政治リテラシー」(政治的判断力や批判力)についてほとんど言及してこなかったこと、などを挙げることができる。
〇その結果、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して統制的で定型化された実践活動となりつつある。その弊害は、筆者が耳にする次のような声にも顕著に表れている。すなわち、「他地域の実践事例を見聞しても、以前のように『ワクワク感』が沸かなくなってきた」、「福祉教育が学校現場のニーズに即した形で十分な進展を見せているとはいい難い」、「現場実践と研究活動は不可分であり、両者の往還関係を構築することが肝要であるが、両者の間に乖離が生じている」などの指摘がそれである。
〇そういうなかで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育の原理論を探求し、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」、「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。

【問題意識 ②】
〇「福祉教育」実践と研究はいま、大きな転換期を迎えている。従来の福祉教育は、ともすれば高齢者や障がい者に対する福祉の心の育成を図ろうと、子どもたちの個人の内面や道徳心に訴えかける「思いやり教育」に重きが置かれてきた。また、福祉教育活動が、(1)高齢や障害による不自由や困難についての疑似体験や、(2)車椅子利用者や視覚障がい者などの生活を支援するためのガイドヘルプ技術の習得、(3)福祉施設などに暮らす高齢者や障がい者との訪問・交流活動、という3つの形態に限定されがちであった。そこには、少なくとも3つの深刻な課題が見出される。
〇第1の理論的課題は、「依存を否定する自立観の超克」である。福祉教育は「支援する側の優越感」(思いやりが思いあがり)を育むことになり、高齢者や障がい者の「依存する権利」や「自立は依存先を増やすこと」(熊谷晋一郎)という考え方を不可視化させていないか、という点である。 第2の実践的課題は、「まちづくりとの乖離の解消」である。福祉教育は教室内での知識学習や一過性の体験学習に留まり、日常生活が営まれる地域・社会そのものを変革しようとする志向性が脆弱である、という点である。そして第3の哲学的課題は、「主体変革としての教育観の確立」である。福祉教育を単なる知識や技術・技能の習得や情動的な共感教育に終わらせるのではなく、学習者が社会の課題を自らの問題として捉え直し、社会を創り変える主体(変革主体)へと成長していくプロセスを、いかなる人間観や教育観(理念的・哲学的な根拠)に基づいて構築していくべきか、という点である。
〇これら3つの課題は、個別に存在するものではない。新しい自立観という「理論」を携え、地域・社会の変革という「実践」を積み重ねるプロセスを経て、子どもから大人までを含む地域住民は、真の変革主体という「哲学」を体現する主体へと成長を遂げる。すなわち、「まちづくりと市民福祉教育」を一体的に捉えるための分析枠組み(視座)こそが、地域共生社会を共創する鍵となる。ここでいう「まちづくり」とは、単なるインフラの整備やハード面の構築を指すのではない。その「まち」に住む人々が互いの権利をどのように認め合い、どのようなルールで共に暮らすかいう地域共生社会の設計そのものである。一方、「市民福祉教育」とは、単なる知識や技術・技能の習得ではなく、その設計に主体的・自律的に参加(参集・参与・参画)するための自治力と共生力の育成である。つまり、教育によって市民のパラダイムの転換を図ることは、暮らしの社会的基盤や共生の作法を書き換えることを意味し、それが結果として地域・社会の仕組み(構造)の変革を促すのである。
〇そこでまず、1980年前後から「福祉で町づくり」を説き、福祉教育とボランティア活動のあり方を追究してきた大橋謙策の言説の原点に立ち返り、いまは「福祉はまちづくり」の時代にあることを認識することが肝要となる。そして、そこでは、「市民福祉教育はまちづくりの基盤であり、まちづくりは市民福祉教育の実践の場である」という考え方が重要になる。すなわち、「まちづくり」と「市民福祉教育」は、車の両輪の関係にある。前者は、誰もが排除されない仕組み(ハード・ソフト)を構築する営みである。後者は、その仕組みを動かし、更新する主体(市民)を育む営みである。そして、両者を媒介するのは、学習を個人の内面に留めず、地域の変革へと開いていく「学習の外化(社会化)」の概念である。

〇筆者が本格的に「福祉教育」実践と研究に足を踏み入れた嚆矢は、東京都狛江市社会福祉協議会における取り組みであった。それは、地域福祉活動計画(「あいとぴあ推進計画」)の策定(1990〈平成2〉年3月)であり、その中核事業である “あいとぴあカレッジ” の実践は、1990年代という早い段階で福祉教育を「まちづくり」の不可欠な基盤として位置づけたものであった。下記の拙稿はその一端をまとめたものである。
〇なお、「あいとぴあ推進計画」の策定は、1988〈昭和63〉年7月4日開催の第1回運営委員会、同年7月19日開催の第1回作業委員会からスタートした。
〇また、 “あいとぴあカレッジ” 「基礎課程」第Ⅰ期の第1回の学習(「オリエンテーション」)が行われたのは、1991〈平成3〉年5月9日であった。

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福祉教育計画と学習プログラム
――狛江市社協 “ あいとぴあカレッジ ” の取り組みをめぐって――

はじめに

〇今日、地域福祉(活動)計画の策定が要請されるなかで、その一環として地域住民による福祉教育活動を動機づけ、促進し、援助するための方策の計画づくり――福祉教育の計画化が求められている。その福祉教育計画は、自治体によって策定される計画と地域住民が主体的に創りあげるものとに大別される。前者の自治体による福祉教育計画は、例えば、さらに市町村、広域行政圈、都道府県の3層に細分できる。また、その構造化の流れは、市町村→広域行政圏→都道府県の方向で考えるべきである。しかも、3層のうち、福祉教育の本質からいって、市町村レベルの計画が最も重要視される。後者の住民が主体になって策定する福祉教育計画は、東京都における地域福祉計画のいわゆる「三相」計画のうちの「地域福祉活動計画」の一環としてのそれであるといえる。
〇東京都狛江市の社会福祉協議会(以下、「社協」と略す)は、1990〈平成2〉年3月、地域福祉活動計画としての“あいとぴあ推進計画”を策定した。その計画は、ボランティア活動・福祉教育計画と在宅福祉計画の2つから内容構成された。本稿では、そのうちの福祉教育計画について、その策定過程と学習プログラムを中心に、その策定作業にかかわった者としての立場から考察することにする。

Ⅰ 福祉教育計画の意義と役割

〇福祉教育は、すべての地域住民の生命と生活を守り、人間的な発達と自立を保障する地域・社会を創造するために、住民がその主体となって家庭・学校・企業・地域などの場で展開する教育・学習活動の総体をいう。したがって、福祉教育活動は、単なる社会福祉に関する知識や技術の伝達活動ではない。啓蒙や宣伝活動でもない。また、教化活動でもないし、そうであってはならない。それは、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざした、住民の内発的な意欲に基づいた、住民による自己教育・相互教育活動として展開される。その際、住民は、学習主体であるとともに教育主体でもあり、学ぶことを通して教え、教えることを通して学ぶ。換言すれば、住民は、相互に学びかつ教え、教えかつ学ぶという関係を通じて福祉文化の創造や福祉のまちづくりを進めるのである。福祉教育計画とは、地域住民がこのような福祉教育活動を自発的・主体的に創造し、展開していくための計画をいう。そして、計画そのものを練りあげていく主体は、あくまでも地域住民である。また、その取り組みは、そのまま同時に福祉教育の実践であり、運動でもある。
〇ところで、例えば、社協による福祉教育事業・活動は、従来、無計画に、あるいは単なる思いつきや経験などによって、しかもせいぜい単年度計画によって実施・展開されてきたといってもよい。そういった事業・活動に科学性・客観性・体系性を与え、また事業・活動を継続的に安定化させるものが福祉教育計画である。また、福祉教育計画は、一定地域内での福祉教育事業・活動を計画化の対象とする地域計画であり、かつ総合的な計画である。その際、福祉教育計画は、あくまでも地域計画としての福祉教育計画であり、地域の総合計画ではない。また、「総合的」とは、①計画内容として、事業計画、施設整備計画、マンパワー計画、財政計画を含む。②教育の3領域と呼ばれる家庭教育、学校教育、社会教育を生涯学習の視点から有機化・再編成する。③行政をはじめ、地域内の公的機関や民間機関、それに住民団体などとの連携・協働を図る。④福祉・教育・保健・医療などの関係行政、施設、機関の連携・統合化を図る。⑤長期・中期・短期あるいは単年度計画など、一定の見通しを立てる、といった意味である。
〇以上を要するに、福祉教育計画の策定の意義は、福祉教育事業・活動の総合化、科学化、体系化、継続化、それに合意形成などにある。また、その主な役割は、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざした住民の自発的・主体的な福祉教育活動を担保することにあるといえよう。

Ⅱ 福祉教育計画の内容と策定方法

1 福祉教育計画の内容
〇福祉教育計画は、一般的・基本的には、①事業計画、②施設整備計画、③マンパワー計画、それに④財政計画の4つの計画から内容構成される。①事業計画は、福祉講座・講演会・行事などの諸事業の開催や福祉広報・啓発事業の実施に関する計画、②施設整備計画は、施設、設備、教材・教具などの開発、整備、活用に関する計画、③マンパワー計画は、福祉・教育・保健・医療などの関係職員、社会福祉サービス利用者、一般市民、ボランティアなどの開発、育成、活用に関する計画、④財政計画は、財源の確保や運用に関する計画、をそれぞれいう。これらのうち、基本をなすのは事業計画である。そして、福祉教育計画は、まず事業計画が策定され、次いでその事業展開に必要な施設整備計画とマンパワー計画が策定され、その3つの計画を裏うちするための財政計画が策定されて計画が構造化される。
〇➀事業計画(シゴト)の策定は、単なる思いつきや経験、勘(かん)、あるいはこれでの慣習などによって立案した福祉教育事業を羅列することではない。また、事業数の多さや事業の種類の多様さを誇るものでもない。福祉教育の目標に照らした有意義な事業を精選し、それら各事業の相互の関連づけを行うとともに、重点的な事業を中核に事業の構造化を図ることが肝要となる。
〇➁施設整備計画(モノ)は、住民の生活実態や学習要求、地域の教育や社会福祉に関する将来構想に裏づけられたものでなければならない。しかも、福祉教育振興についての長期的なビジョンのもとに策定されなければならない。その際、学校、公民館、社協、社会福祉施設などで現に行われている福祉教育の諸事業・活動や諸形態を生涯学習の視点で捉え、見直し、再編成し、その有機化・統合化を図ることが必要かつ重要となる。
〇➂マンパワー計画(ヒト)については、まず、自分のもっている知識や技術、能力や経験を地域住民のために提供しようという住民――“まちのために自分の知恵や腕を貸そう”という住民を発掘、確保し、またそういった住民を助言者や援助者として養成・研修するための計画が必要かつ重要となる。また、社協職員は、側面から住民の福祉教育活動を助長・奨励し、方法論的・技術論的に助言・援助することを本務とするが、その際、側面的援助活動の中枢をなすものは学習情報の提供と学習相談である。社協職員には、学習情報の収集・処理・提供に関する知識と技術を有し、学習の内容や方法について専門的に助言・援助しうる能力が求められる。そして、こういった知識や能力をもつ社協職員の養成・研修計画や配置計画が必要となる。
〇➃財政計画(カネ)は、福祉教育計画に現実性・実質性を与えるものとして、計画を空文化させないためにも必要不可欠である。その際、継続的・安定的な財源確保を図るために、科学的な現状分析と長期的な見通しをもった財政計画を立てることが求められる。すなわち、財政計画は、長期的に健全な財政構造が維持されながら、事業が円滑に、効率的・目的的・生産的に経営され、事業目標が達成されていくものでなければならない。
〇なお、こういった内容をもつ福祉教育計画は、単年度で完結されるものではない。一般的には中・長期にわたるものが策定され、その複数年度計画のなかから各年度の単年度計画が策定されることになる。中・長期の見通しを欠いた単年度の福祉教育計画は、体系性や計画性、必然性や説得性の弱いものになる。

2 福祉教育計画の策定主体
〇以上のような福祉教育計画の策定主体は、種々の学習要求や学習必要をもつ地域住民である。住民主体による計画策定がなされない限り、いかに建設的で理想的な計画が策定されたとしても、それは決して本来の意味での福祉教育計画であるとはいえない。しかし、福祉教育計画の主体は地域住民であるとはいえ、一部に傑出した住民が存在するものの、計画策定のための力量を備えた住民は極めて少ないといわざるをえない。そこで、現実的、実質的には、計画策定に際して社協が中核的・先導的役割を担うことになる。また、行政には、住民が主体的・能動的・自律的に福祉教育計画を策定することができるよう環境醸成や条件整備を図り、側面的援助を行うことが求められる。とりわけ社協職員には、計画策定に当たって、住民の主体性・自律性を損なわないように専門的・技術的に助言・援助するとともに、個々の住民の声が実質的に計画に反映されるよう配慮する特別重大な役割を果たすことが期待される。しかし、社協職員は、必ずしも計画策定についての科学的・専門的な知識や技術を有しているとはいえない。そこで、計画策定能力をもつ社協職員の養成・研修や適正配置が焦眉の課題となる。

3 福祉教育計画の策定過程と方法
〇計画は、通常、Plan→Do→See という手順で進められる。教育計画とりわけ福祉教育計画に関する限りは、そうした考え方ではその計画は空論化し、画餅に帰しやすい。福祉教育計画は、See(評価、調査)→Plan(計画)→Do(実施)→See(評価)というサイクルで進められなければ実効性のあるものとはならない。
〇すなわち、福祉教育計画を策定する場合、まず現行の福祉教育事業・活動を洗い出して現状と課題を明らかにするとともに、住民の福祉意識や社会福祉に関する学習要求や学習必要について調査検討することからはじまる。そのうえで、次に、目標の設定を行う。目標は、単に夢や理想を語ったものではない。また、スローガンを掲げたものでもない。目標を設定する際には、そのシゴト(事業)の実現可能性をはじめ重要性、緊急性、効率性などを考慮して設定されなければならない。目標が設定されれば、その目標を達成するために必要なモノ、ヒト、そしてカネなどの手段が選択され、その組み合わせについて検討されることになる。以上をより具体的・実際的にいえば、福祉教育計画は、➀目的の設定、➁目標の明確化、➂現状に関するデータの収集、➃目標達成のための合理的な手段の選定、➄事業・活動の展開、そして➅計画の評価、というプロセスをたどるのである。
〇➀福祉教育における目的は、最終の到達点をいうが、一般的には曖昧で抽象的・理念的なものにならざるをえない。しかし、目的を具体的に表現した➁目標は、抽象度を下げ、明確化を図ることが必要かつ重要となる。さもないと具体的な計画策定が不可能となり、また目標を達成するための手段の選定が困難になる。また、計画目標は、実現可能なものであり、焦点化され、しかも構造化されていなければならない。すなわち、抽象的・総花的で焦点の定まらない、しかも実現性の乏しい目標の設定は問題があり、無意味でもある。➂現状に関するデータの収集については、意図的・計画的・系統的に計画策定のための基礎的データを収集することが肝要となる。しかも、数量的調査のみならず、多様な形態と方法を駆使して地域住民の生活課題や学習要求などを捉えることが必要である。単発的なアンケート調査だけによる資料収集では、内実をともなった福祉教育計画の策定は困難である。➃目標達成のための手段は、目的合理的に選定・決定されなければならない。単なる思いつきや先進地域での実践例の模倣では意味がない。福祉教育計画は、本来、地域の歴史や特性を基盤に、地域住民自らの創意と工夫、そして努力によって策定される個性的なものである。➄各種の事業・活動には、個々ばらばらにではなく、常に相互の関連性のもとで展開されることによって有意義な成果を期待することができる。そして➅計画の評価は、目的や目標と裏はらの関係にあり、計画策定過程上、極めて重要である。そして、まずは設定した目標がどの程度達成され、どのような結果・成果があったかを見極めることがポイントになる。また、評価は、より整備された次の段階の計画策定を動機づけ、方向づけるために行われるものである。
〇以上の➀から➅のうち、福祉教育計画の策定過程上その心臓部分にあたるのは、➁目標の明確化である。計画目標の設定に際しては、➀地域住民の生活実態と生活課題や地域課題、➁住民の学習要求と学習必要、それに➂地域のさまざまな学習機会の供給実態などについて的確に把握することが必要かつ重要となる。
〇まず、➀住民の生活実態については、地域の歴史や特性に留意し、地域を展望し、将来予測を含めた生活実態を把握する必要がある。生活課題や地域課題については、それを生み出す生活構造や社会構造とのかかわりで把握すべきである。➁住民の学習要求は、現実的には住民の学習関心や学習の傾向について把握するなかで捉えることができる。その際、住民の生活実態や生活課題・地域課題とのかかわりで把握することが肝要となる。また、学習要求は、今日、高学歴化や情報化の進展によってますます多様化し、高度化しているが、住民自身によってまだ意識化、課題化されていないものもあることに留意する必要がある。そして、その学習要求の内容をいかに実証的に明らかにするかが問われることになる。一方、学習必要は、住民にとって社会的・発達的・教育的に学習が必要とされるものをいう。何を学ぶべきかについては、福祉のまちづくりや福祉教育、その計画策定などについての基本的な考えが問われることになる。この学習要求や学習必要は、そのすべてがそのまま現実の事業計画の内容とはならない。両者は福祉教育というフィルターを通して整理され、重要性・緊急性・日常性・共通性・適時性などの視点からプライオリティ(優先度)をつけて選択・精選され、課題化され、そして事業化されることになる。また、仮に学習必要だけで事業計画が立案された場合は、住民に強制感や疎外感を与え、住民に支持されるものとはならないことに留意する必要がある。➂地域の学習機会の供給実態については、社協や社会福祉施設などによる福祉講座や講演会などの開催状況、公民館や図書館などにおける社会教育活動の現状、それにカルチャー・センターをはじめとする教育・文化産業の動向などについて総合的に明らかにする必要がある。そして、それらの相互の連絡・調整を含めた計画策定が求められる。

Ⅲ 福祉教育事業計画の立案の手順と視点

〇福祉教育事業計画とは、福祉教育の全体計画(総合計画)の基本を構成するものであり、例えば福祉学級・講座や福祉講演会、福祉映画会、福祉祭りなどの実施計画をいう。それは、事業の名称をはじめ実施目的、実施主体、実施期間や時間、実施場所、学習者や参加者、講師や指導・助言者、学習目標、学習内容や方法、それに経費などを構成要素とする。それぞれの福祉教育事業計画のなかで学習課題(主題)や学習内容・方法、学習の展開過程などについて詳細に計画・立案したものを、福祉教育における学習プログラムという。それは、学校教育に即していえば、カリキュラムや学習指導案に相当する。そして、福祉教育計画と事業計画、それに学習プログラムの3者は、密接不可分の関係にあり、また福祉教育計画→事業計画→学習プログラムという順に具体化、実体化される。
〇ところで、狛江市社協が策定した“あいとぴあ推進計画”では、重点事業のひとつとして“あいとぴあカレッジ”の開講が構想された。それは、住民が“あいとぴあ”のまちづくりを主体的・創造的に展開するための、その善意の気持ちを有効に活かすための学習(福祉教育)の場として位置づけられた。ここでは、“あいとぴあ推進計画”策定後、“あいとぴあカレッジ”開講に至るまでの狛江市社協や住民の取り組みについて、とりわけ事業計画や学習プログラム立案の手順と視点に焦点をあてて概観し、若干の考察を加えることにする。

1 ボランティア活動推進委員会の設置
〇1990〈平成2〉年3月、狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会によって策定された“あいとぴあ推進計画”が、社協の理事会・評議員会において報告され、狛江市社協が今後取り組んでいく基本計画として承認された。そして、1990〈平成2〉年度は、“あいとぴあ”元年として、推進計画そのものの住民への周知・浸透と計画の実施・推進体制づくりが基本方針として定められた。
〇1990〈平成2〉年8月、狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会の発展的解散の後をうけて、在宅福祉推進委員会の組織化について検討する在宅福祉サービス関連事業連絡会とともに、ボランティア活動推進委員会(以下、「推進委員会」と略す)が設置された。推進委員会は、ボランティア活動・福祉教育推進事業の企画・立案を主な任務とし、学識経験者をはじめボランティア、地域住民団体、福祉施設・団体、地域産業、教育機関、行政機関、それに社協などの各関係者27名によって構成された。
〇推進委員会の委員に幅広く関連分野からの参加を求めたのは、各委員のそれぞれの分野での働きかけを通して、“あいとぴあ”市民運動の拡大と深化を期待してのことであった。例えば、ボランティアの生(なま)の声を伝えるために、狛江ボランティア連絡会(1984〈昭和59〉年4月結成)から3名のボランティアが委員として参加した。その3名は、推進委員会と狛江ボランティア連絡会とのパイプ役を果たした。また、教育の分野では、小・中・高等学校の校長や教頭、それに教育委員会の参加をえ、それが学校における福祉教育推進へのひとつの重要な契機にもなった。推進委員会は、1990〈平成2〉年度においては通算3回開催されたが、委員が多人数ということもあってか、積極的に協議するというよりは一面では承認機関的なものにとどまった。協議が積極的に行われたのは、推進委員会のもとに設けられたボランティア活動推進委員会企画小委員会(以下、「企画小委員会」と略す)の場であった。

2 “あいとぴあカレッジ”開講のための準備活動
〇第1回推進委員会において、“あいとぴあカレッジ”に関する諸事項の素案づくりを主な任務とする企画小委員会が設置された。企画小委員会は、推進委員会委員長(1名)、同副委員長(2名)、ボランティア(1名)、福祉団体関係者(1名)、中学校長(1名)、教育委員会関係者(2名)、福祉事務所長(1名)、それに社協理事(1名)の計10名の委員によって構成された。そこで検討された事項は推進委員会にもちあげられ、そこでの協議を通して合意形成が図られた。
〇1990〈平成2〉年9月には、企画小委員会のなかに作業委員会が設けられた。それは、学識経験者(推進委員会副委員長)と社協事務局職員の4名の委員によって構成され、通算4回開催された。そこでは、“あいとぴあカレッジ”に関する事業計画や学習プログラム立案の基礎的・具体的な作業が、主としてブレイン・ストーミングの討議法で行われた。
〇以下では、各回の企画小委員会において検討・協議されたことを、社協事務局の記録から概観することにする。

(1)第1回企画小委員会(1990〈平成2〉年9月)
〇“あいとぴあカレッジ”は、狛江という地域で、住民が寄り合って創るカレッジであるという点が再確認され、その考え方をベースにいろいろな意見が出された。例えば、福祉のまちづくりは住民の生活(暮らし)から出発しなければならない。したがって、その担い手の育成・確保を図ろうとする“あいとぴあカレッジ”は、住民の暮らしに密着したものであることが求められる。そこで、講師(指導者)は狛江市内の人材に求め、住民の生きざまに学ぶ。学習資料は、地域の実態や住民の生活現実に根ざした生(なま)の資料に基づく、手づくりのものとする。学習場所(会場)は、市内の小学校の空き教室を有効利用する方向で考えることにし、住民が下駄履きで気軽に参加できるよう配慮する、などが決定された。

(2)第2回企画小委員会(1990〈平成2〉年12月)
〇“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムを中心に協議された。また、住民の・住民による・住民のためのカレッジであるという視点を生かすために、学習者もカレッジの運営に積極的にかかわれるような「運営委員会」の設置について検討された。その他、学習者が主体的・創造的にかかわれる体制づくりという視点から、開講式以前に第1回の学習日を設け、オリエンテーションを行う。聴講生制度の導入については、聞きたい講座だけ参加する「つまみ食い学習」では福祉のまちづくりは担えないという考えのもとに、見送る。カレッジの学長については、遊び心をもって市内の最高齢者などが候補にあげられたが、“あいとぴあ推進計画”の産婆役を務めた狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会委員長(学識経験者)に依頼する、ことなどが協議、決定された。

(3)第3回企画小委員会(1991〈平成3〉年1月)
〇“あいとぴあカレッジ”での学習内容や学習方法についての協議、講師団の絞り込み、それにカレッジ案内・募集要項(「あいとぴあカレッジ――入学のご案内」)についての検討などが行われた。席上、市内の人材による講師の講話内容や方法に関し、とりわけ講師が人前で話をすることや現実生活についての自分の思いや願い、悩みや苦しみなどの内面をさらけ出すことの戸惑いなど、いくつかの疑義が提示された。しかし、“あいとぴあカレッジ”は住民が相互に学び合う場であり、講師は、自分の生きざまを話すことによって学習者に住民としての生き方の素材を提供するとともに、自分自身も一人の住民として地域社会に貢献し、また自己実現・自己向上を図る、という基本的理念が再確認された。また、今回の企画小委員会では、学習評価の視点と方法についての検討もなされた。

(4)第4回企画小委員会(1991〈平成3〉年2月)
〇“あいとぴあカレッジ”の協賛団体の募集や学習者の修了レポートのあり方などについて検討された。また、学習プログラムの具体的な詰めの作業が行われた。そして、企画小委員会としての成案を得た。

〇1991〈平成3〉年2月、第3回推進委員会が開催された。そこでは4回にわたる企画小委員会での検討結果が報告され、協議を経てほぼ原案通り“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムが決定された。
〇“あいとぴあカレッジ”の事業計画案や学習プログラム案は、以上のように、作業委員会、企画小委員会、推進委員会のあいだを何度となく往復し、そのなかで練りあげられ、内容の深化が図られていった。また、4つの委員会は、住民参加の場として、あるいは関係機関・団体との連携・協働や合意形成の場としても有効に機能したといえる。さらにまた、各委員にとっては、委員会は学習の場であり、自己実現や自己変革の場であったともいえよう。“あいとぴあカレッジ”の開講にかかわった委員の変革や変容が、“あいとぴあ”のまちづくりの「はじめの一歩」となったのである。

Ⅳ 福祉教育の学習プログラム立案の方法と留意点

〇地域住民による福祉教育において、その学習プログラムの立案は難しい。その主な理由のひとつは、学習者の属性や生活の実状、それに基づく発達課題や生活課題、学習要求や学習必要などがそれぞれ異なるところにある。その点では福祉教育の学習プログラムには定型はなく、学習者の数と同じだけの学習プログラムが準備されなければならないことになる。しかし、現実的には、地域社会の実態や動向などが反映される個々の学習者の多様な生活実態やニーズから、共通する、統合されるプログラムを立案・編成することになる。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムの立案に際しては、“あいとぴあ”のまちづくりのための学習の方向づけや内容づけがなされたことはいうまでもない。しかし、その際、住民に対する学習要求調査に基づいて住民が必要とする学習項目や学習課題を探り出すという手法は採られなかった。また、主な、中心的な学習者(参加者)を想定・決定し、そのうえで学習者の生活実態や学習要求を把握するということもなされなかった。その点においては、限界のあるプログラムであったといわざるをえない。とはいうものの、立案・編成に際して、基本的なところではとりわけ次の4点について認識され、留意されたことについては注目しておきたい。

(1) 学習プログラムの立案に際しては、「はじめに学習者ありき」という認識が重要である。しかも、その学習者を地域生活主体として捉え、その立場に即したプログラムの立案・編成が求められる。すなわち、個々の住民が現実的に抱える生活課題や学習要求、それに狛江市の歴史的社会性や地域性に基づく生活課題や地域課題などに焦点をあてた、実際的で実践的な学習活動の展開が必要かつ重要となる。
(2) 学習プログラムは学習活動の単なる日程表や予定表ではない。それは、学習者のモラールを引き起こし、高めることができるものでなければならない。学習プログラムづくりとは、地域住民の生活や学習に関する考えや思い、願いなどをプログラムという形に具体的に表現することに他ならない。その際、手づくりの、手のこんだ学習活動が自主的、主体的、そして自律的に展開されるよう工夫し、配慮することが求められる。
(3) 地域住民による学習は、地域生活に発し、地域生活に帰す。“あいとぴあカレッジ”における学習は、個々の住民に始まって個々の住民に帰るだけでなく、その成果が地域に還元されることが期待される。その際、地域への還元は、学習者自身の高まりや深まりなくしてはありえない。知識の単なる蓄積は態度の変容を促さないともいわれる。その意味からも、関心と感動を引き起こすプログラムの編成が求められる。
(4) “あいとぴあカレッジ”は、狛江市に暮らす住民を対象とするカレッジ(講座)ではなく、住民を主体とするものである。また、その学習プログラムは、住民の・住民による・住民のための、手づくりのものである。したがって、学習プログラムを立案・編成する過程そのものが重要となる。それ自体がすでに学習すなわち福祉教育の過程であり、“あいとぴあ”のまちづくりの過程でもある。

〇ところで、福祉教育の学習プログラムには、社会教育におけるそれと同様に、一般的には、「事業名」「主催者」「学習対象」「学習期間」「学習時間」「学習回数」「学習場所」「学習目標」「学習テーマ」「学習内容」「学習方法」「学習資料・用具」「指導・援助者」、それに「予算」などの諸事項が内容として含まれる。ここでは、“あいとぴあカレッジ”に関するそのうちのいくつかについて、その立案の方法や留意点などをめぐって論じることにする。

1 学習目標の設定
〇学習目標――学習プログラム全体のねらいは、到達可能なものを具体的に、焦点化して設定し、かつ魅力的なものであることが求められる。抽象的で総花的な学習目標は、学習目標を曖昧なものにし、学習プログラムの編成そのものを困難にする。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習目標は資料1のように設定された。そこには、学習活動そのものが福祉のまちづくりの実践や運動の一環であり、またそれへの具体的な参加が自らの生活をより豊かなものにすることに繋がることが示されていた。学習者が学習目標を身近に感じ、学習意欲を高めるためのひとつの工夫であった。

資料1 “あいとぴあカレッジ”の学習目標

2 学習テーマの設定
〇学習テーマは、学習プログラムの「顔」にあたるものであり、学習日ごとの学習内容を包括的に表現したものである。それは、学習者に対しては学習する概要を示すものであり、指導・援助者に対しては指導・援助すべき概要を提示するものである。そこで、学習テーマは、学習内容を的確に要約しているとともに、学習者が親近感や学習意欲をもちうるような、また学習の内容や方向を容易に想起し理解しうるようなものでなければならない。そして、また、学習者の属性や生活の実状などに適合し、指導・援助者には具体的な指導・援助活動の助けになるようなものであることが望まれる。すなわち、学習テーマは、課題性、親密性、それに具体性の高いものが望ましいといえる。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習テーマは資料2のように設定された。それは、“あいとぴあ推進計画”策定過程で、1989〈平成元〉年9月に開催された第1回市民懇談会における分科会テーマをベースにしていた。その設定に際しては慎重を期し、とりわけその表現には工夫を凝らした。すなわち、学習者を引きつけ、学習者に受け入れられるよう、日常的、具体的、魅力的で平易な表現に心をくだいたのである。

資料2 “あいとぴあカレッジ”の学習テーマおよび学習内容

3 学習内容の選定
〇学習内容は学習目標を具現化したものである。プログラムに盛り込む学習内容の選定に際しては、いわれるように学習内容の種類の単純化と分量の少量化を図ることが肝要となる。多様な種類の学習内容が多量に盛り込まれると、学習者は消化不良をおこし、学習の疎外感や挫折感を味わうことにもなる。学習内容の種類と分量の単純化、少量化によって、学習者は成就感や達成感、充実感などを味わい、学習活動への取り組みを積極的なものにする。さらにまた、次の学習活動への参加を促すことにもなるのである。
〇学習内容がもたらす教育的効果は、その配列の仕方によって左右される。学習内容の配列は学習活動を持続、発展させるうえで重要である。そこで、まず、学習活動への導入をスムーズに行うために、学習者に身近な、日常的・経験的・実際的な学習内容をもつものが配置される。そのうえで、内容配列には連続性と発展性、系統性、それに常に流動的に対処しうる弾力性、柔軟性などをもたせることが肝要となる。また、適切なところに「遊び」や「ヤマ場」の部分をバランスよく配列することが求められる。それによって、プログラムはより豊かなものになり、立体化・構造化する。そして、また、学習者にはゆとりや充実感、向上心などを与え、積極性を生むことにもなる。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習内容は資料2のように選定、配列された。その学習プログラムは、単なる「福祉のまちづくり概論」や「社会福祉概論」を講じるための、いわゆる一般教養的学習を行うためのものではなかった。福祉のまちづくりの主体形成をいかにして図るかという観点に立ち、大きな学習課題のもとに立案・編成された。そして、その内容は、福祉のまちづくりについて歴史的・社会的に学習する「総論」、現実の個々の生活場面に即して学習する「各論」、それにまちづくりのための具体的な方法や技術について考え、その習得を図る「方法論」の3つの部分から成っていた。その結果、それは、学習内容が広範囲にわたり、一面では総花的なものになった。また、必ずしも十分には学習成果を日常生活につなげ、現実の生活課題の解決にせまりうるものにはならなかった。すなわち、学習成果の実践化や生活化への配慮が不十分であったともいえる。“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムは、学習の深まりに応じて基礎課程→実務課程→専攻課程と進む段階別編成がなされ、累進的体系化・構造化が図られていたが、上述の点は基礎課程における学習プログラムのひとつの限界であった、といえようか。

4 学習方法の選択
〇学習方法は、現実的には、学習の目標や内容をはじめ、学習者の属性や意識・意欲、指導・援助者の関心や能力、学習資料や用具、学習の時間や場所など種々の条件によって選定、決定される。学習の効果を高めるためには、単一の学習方法にこだわらず、多様な学習方法を有機的・立体的に活用・多用し、場合によっては視聴覚的手法などを併用することも求められる。学習方法には「講義」「討議」「話し合い」「発表」「実技」「実習」「調査」などがあるが、適切な学習方法を選択することは学習者の学習内容の理解を助け、認識を深め、学習効果を高めるだけでなく、学習者の学習への興味や関心、意欲などを持続させたり学習集団を維持させるためにも必要かつ重要となる。
〇“あいとぴあカレッジ”では、「講義」「討議」それに「実習」を中心にしながらも、「見学」や「話し合い」「発表」など学習者の主体的・能動的な活動を促す方法が採用された。また、学習を補強し、学習内容の高度化を図るために、ビデオでの視聴も組み込まれた。それらのうち、例えば「見学」は、現実生活に直面しながら学習課題にせまることができるという点においてメリットがあった。「話し合い」では、学習者の体験や主観・実感のレベルにとどまらないよう留意された。また、「発表」は、学習者が「胸におちてわかる」「身体でわかる」ためにも必要かつ重要であった。
〇また、“あいとぴあカレッジ”では、集会学習として公開の講演会を2回開催した。それは、学習に対する学習者の家族の理解と住民へのPRを意図したものであった。

5 学習資料・用具の選定
〇学習資料(教材)や学習用具(教具)は、学習効果を高めるための重要な要件のひとつである。学習資料や用具の選定に際しては、学習の目標や内容、方法に対する適切度、学習者の属性や日常的な地域生活との緊密度、それに指導・援助者の学習資料や用具に対する熟知度などとの関連が重視される。そして、種々の学習資料や用具を整備し、有効に活用することが求められる。
〇“あいとぴあカレッジ”では、学習資料に関しては、まず指導者(講師)に、指導者相互の事前打ち合わせを通してレジュメと資料の提示を求めた。そして、それを、「受講生便覧」「学習ノート」「学習資料」から成る冊子(『AITOPIA COLLEGE』B5判、52ページ)にまとめ、学習者に第1回開講日の「オリエンテーション」時に配布した。また、学習者に対しても、新聞・雑誌・広報紙などの関連記事や身近な住民の「生きざま」など、地域のさまざまな、生(なま)の資料を入手し、それを学習資料化することが求められた。その作業は、学習者にとってはそれ自体がすでに学習活動であり、また学習に迫力をもたせることを意図してなされた。

6 指導・援助者の活用
〇学習活動の展開とその深化・高度化には指導・援助者は欠かせない。学習目標を達成するためには、そのための意欲と能力をもつ指導・援助者が必要不可欠となる。
〇“あいとぴあカレッジ”では、講師(指導者)については、原則的には著名度や専門度で選定することは避けた。また、できる限り狛江市内から人材を発掘することにし、とりわけ福祉のまちづくりのための実践や運動に参加している一般住民の活用を図った。その理由のひとつは、学習内容の生活性や地域性を期待するとともに、学習者の学習活動やその成果の体験化、生活化、地域化を容易にすることにあった。講師の講話(レクチュア)については、学習活動の方向を定めるものではなく、あくまでも学習者の自主的・主体的な学習活動を誘発させ、持続、発展させるための補助的な役割を果たすものとして位置づけられた。すなわち、講師にはいわば話題提供者としての役割が期待され、学習を結実させ、具体化するのはあくまでも学習者自身であるとされた。また、講師は、ひとりの住民として、その活動を通して社会的貢献と自己実現・自己向上を図ることが期待された。
〇また、“あいとぴあカレッジ”では、学習者の学習活動が自主的・自発的に展開され、講師への依存度を少なくするよう、学習活動全般にわたって集団的あるいは個別的な助言・援助を行うチューター(学習援助者)を配置した。チューターには社会福祉系大学院の学生3名に依頼し、学習者と講師のあいだにあって、個々の学習者に対して、あるいは学習者内のリーダーを有効に活用して、たえずその援助性を発揮することが求められた。
〇なお、講師とチューターには、学習者が自主的・創造的な学習活動を展開しうるよう、学習内容や方法などについて協議を重ねることが求められた。また、彼・彼女らには、それぞれの学習指導・援助過程でいかにして「人間」や「生活」、「地域」や「まちづくり」にせまり、切り込んでいくかが問われた。

7 学習時間・場所等の決定
〇学習プログラムを企画・立案する際、時間的要素として、学習の時期、期間、時刻(時間帯)、回数(時間数)などについて検討することが求められる。それらは、地域の特性をはじめ、学習の目標や内容・方法、学習者の属性や生活実態、学習場所の学習条件や地理的条件などとのかかわりにおいて検討され、設定される。また、学習日と学習日の間隔(学習のインターバル)は、学習の習熟度や達成度との関連を考慮して設定される。
〇“あいとぴあカレッジ”では、学習時期を5月から8月までの第Ⅰ期と10月から2月までの第Ⅱ期に分け、それぞれ15回の学習日を設定した。学習日は、原則として毎週木曜日の午後6時30分から8時30分の2時間とし、公開講演や体験学習、施設見学などは土曜日の午後に組み込まれた。それらは、学習者の時間的制約をできる限り緩和・解消するための配慮であった。また、週1回の学習は、学習日と学習日とのあいだに、学習者によって個人学習や自主的な活動が展開されることを期待してのことでもあった。資料3は、1日の学習日の学習の流れ(「展開プログラム」)を示したものである。「学習活動」に連続性をもたせていた。「講話」と「討議」にそれぞれ50分の時間が配分されていた。また、「学習のねらい」に受講生とともに講師のそれが明示されていた、ことなどが注目されよう。

資料3 “あいとぴあカレッジ”における学習の流れ

〇学習場所(会場)の決定にあたっては、学習の目標や内容・方法に十分に対応できる施設・設備を有する場所が考慮されなければならない。また、地理的条件については、原則的には、学習場所への所要時間が徒歩で15分から20分程度以内が望ましいとされている。
〇“あいとぴあカレッジ”では、狛江市と狛江市教育委員会の理解と協力をえて、市のほぼ中央に位置する小学校(図書室)を学習会場とした。学校を学習会場としたねらいのひとつは、学校(教育)と社協(福祉)との連携強化を図り、地域の福祉教育関連諸資源のネットワーク化を促進することにあった。また、小学校(教員)をはじめとする学校における福祉教育の推進が期待された。

〇“あいとぴあカレッジ”開講のねらいは、福祉のまちづくりの担い手を育成し、その量的拡大と質的向上を図ることにあった。しかも、その基礎課程は、住民に対して、福祉のまちづくりのための実践や運動を動機づける学習課程であった。そこでの学習をひとつの契機に、多くの住民がさらに学習活動を続けるとともに、地域福祉活動やボランティア活動へ参加・協力することが期待された。そういった“あいとぴあカレッジ”の基礎課程の学習プログラムは、その立案に際して、以上のほかに次の諸点が留意された。

(1) 一定以上の学習成果を得るためには、学習集団の規模の適正化を図る必要がある。そこで、定員制を採用し、第Ⅰ期、第Ⅱ期ともに募集人員を30名とし、さらにそれを15名ずつの2グループと、7~8名ずつの4つの班に分けた。それによって、学習者の人間関係の緊密化とコミュニケーションの効率化を図った。
(2) 学習者の自発的な学習活動を触発するとともに、学習者がそれぞれの能力を発揮し、役割と責任を分担するよう班活動や係活動の展開を学習者に求めた。すなわち、各班より1名、計4名の班長が選出され、班長には各班の取りまとめと、“あいとぴあカレッジ”の運営に関する諸事項について協議・決議し、執行する「運営委員会」活動への参加が求められた。また、「学級通信」の編集と発行を行う「広報委員会」に8名の学習者が選ばれた。なお、「運営委員会」は、学長(1名)、常任講師(2名)、チューター(3名)、学習者代表(4名)、それに“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムなどの企画・立案に当たったボランティア活動推進委員会委員(2名)の計12名によって構成された。
(3) 学習活動の修正や向上・発展、よりすぐれた学習活動の創造を図るために、学習評価を重視した。すなわち、学習者の評価活動を学習活動の一環として位置づけ、学習者に慣習化、定着化させることに努めた。また、学習修了者には、学習活動の総括と自己評価のために、簡単な、1人1編のレポートの作成と提出を求めた。
(4) 学習者から、特別の学習資料や学習者の自主的活動のための費用として、受講料3,000円を徴収した。それによって、学習者の中途脱落を防ぎ、自主的・主体的な活動の積極的展開を期待するとともに、参加責任をもたせた。
(5) 賞賛と激励、学習の継続と福祉のまちづくりへの参加・協力への期待を込めて、学習日10回以上の正規の修了者には修了証を授与した。学習日が10回未満の学習者については、不足分を第Ⅱ期で補うことによって正規の修了とした。

〇いずれにしろ、学習プログラムは、計画された活動が予定通り、「静かに」展開されることをよしとするものではない。学習者に能動的・創造的な活動を促す動的なものでなければならない。それによって、学習の深化や高度化を期待することができるのである。

むすびにかえて

〇1991〈平成3〉年5月9日、“あいとぴあカレッジ”「基礎課程」第Ⅰ期の第1回の学習(「オリエンテーション」)が行われた。学習者は募集定員の30名を数えた。その内訳をみると、性別では男性6名(20%)、女性24(80%)、年齢別では10歳代1名、70歳代1名、40歳代と50歳代がそれぞれ9名ずつで最も多く、全体の6割を占めた。また、職業別では、主婦を中心にしながらも、教員、学生(高校生、大学院生)、施設職員など多種多様であった。居住区別では全市的であり、狛江市に移住して4~5年になる者が多かった。地域に関心をもちはじめる居住年数なのであろうか。
〇講師は24名、チューターは3名、その他に社協事務局職員3名もカレッジの運営などにかかわった。計30名、学習者と同数であった。1991〈平成3〉年8月29日、第Ⅰ期生の学習発表会と閉講式が開催された。修了者は28名を数えた。修了者の学習活動への出席率は、土曜日の体験活動や公開講演以外は、常に90%前後の高率を示した。続いて、9月19日には、修了者主催の「卒業記念パーティー」が開催され、また交流活動をはじめ学習活動やボランティア活動などを行うための自主的なグループ――「一期生の会」が発足した。

【参考文献】
(1) 岡本包治・山本恒夫編著『社会教育計画』第一法規出版、1975年。
(2) 岡本包治編著『学習プログラム』(講座「現代の社会教育」第3巻)ぎょうせい、1980年。
(3) 藤岡貞彦編『社会教育の計画と施設』(「日本の社会教育」第24集)東洋館出版社、1980年。
(4) 市町村自治研究会編『市町村計画資料集』第一法規出版、1982年。
(5) 日高幸男・岡本包治編著『社会教育のプログラム』全日本社会教育連合会、1984年。
(6) 岡本包治『社会教育における学習プログラムの研究』全日本社会教育連合会、1984年。
(7) 全国社会福祉協議会編『地域福祉計画』全国社会福祉協議会、1984年。
(8) 岡本包治・山本恒夫編『生涯教育のアイディアと実際』(「生涯教育対策実践シリーズ」第4巻)ぎょうせい、1985年。
(9) 大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会、1986年。
(10) 大槻宏樹編『コミュニティづくりと社会教育』全日本社会教育連合会、1986年。
(11) 岡本包治・小山忠弘・福留強編著『社会教育の計画とプログラム』全日本社会教育連合会、1987年。
(12)『地域福祉計画策定の手引』大阪府社会福祉協議会・大阪府衛星市町村社協事務局長会、1987年。
(13) 小川利夫・大橋謙策編著『社会教育の福祉教育実践』(「シリーズ福祉教育」第5巻)光生館、1987年。
(14) 木全力夫編著『社会教育計画論』東洋館出版、1988年。
(15) 岡本包治ほか『学習プログラムの技法』(「生涯学習テキスト」第4巻)実務教育出版、1988年。
(16) 『東京都における地域福祉推進計画の基本的あり方について』東京都地域福祉推進計画等検討委員会、1989年。
(17) 松下拡『健康学習とその展開』勁草書房、1990年。
(18) 矢野真和・荒井克弘編『生涯学習化社会の教育計画』(「日本の教育」第1巻)教育開発研究所、1990年。
(19) 日本地域福祉学会第4回大会地域福祉計画関係資料集編集委員会編『地域福祉計画の視点と課題』日本地域福祉学会第4回大会実行委員会、1990年。

【初出】
阪野貢「地域における福祉教育の計画と学習プログラム」『日本の地域福祉』第5巻、日本地域福祉学会、1992年3月、84~106ページ。
【参考】
阪野貢『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』みらい、2009年10月、205~231ページ。

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〇以上から、「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に関して、次の諸点について留意しておきたい。

(1)本実践では、計画策定の手順を Plan→Do→See  ではなく、See(評価、調査)→Plan(計画)→Do(実施)→See(評価)とした。 住民のニーズや地域課題を徹底的に「見る(See)」ことから始めるこのサイクルは、計画の空論化を防ぐための必須条件である。アンケート調査という数字の裏側に隠れた、住民の「生活の実感」を汲み取ろうとしたのである。

(2)「あいとぴあカレッジ」では、住民の学習要求(学びたい)と学習必要(学ぶべき)を地域福祉のフィルターを通して精選し、具体的な事業・活動化を図った。これは、確かなまちづくりを推進するための基盤であり、同時に住民間の合意形成を構築するプロセスとして位置づけられたものである。

(3)“あいとぴあカレッジ”では、住民や大学院生を講師やチューター(学習援助者)として確保・養成する「ヒト」、小学校の図書室を拠点とする「モノ」、受益者負担による参加責任を明確にした「カネ」、そして手づくりのプログラムを企画・実施する「シゴト」の4要素を体系化した。これにより、福祉教育を一過性の単なるイベントに留めず、地域に根ざした、共働の、持続的な「まちづくり」のための事業・活動としてその構造化・計画化を図ったのである。

(4)“あいとぴあカレッジ”では、「福祉の知識を教える」「ボランティア精神を養う」といった教育者から学習者への一方的な知識伝達(パウロ・フレイレ「銀行型教育」)ではなく、福祉教育を「住民による自己教育・相互教育活動」と捉え直した。 ここでは、住民は単に「学ぶ者」ではなく、学ぶことを通じて自らの生活を見つめ直し、地域の課題を自らの課題として再構成する「教育主体」として位置づけたのである。

(5)“あいとぴあカレッジ”では、学習プログラムのテーマを「児童家庭福祉」「高齢者福祉」といった制度的・形式的なものではなく、「あなたは一人で子どもを育てられますか」「あなたの老後の暮らしは誰がみますか」といった、個人の内面に問いかけるものとした。これによって、福祉(「ふくし」)を「他人事」から「自分事」へと引き戻そうとしたのである。

(6)“あいとぴあカレッジ”では、講師選定において著名度や専門度をあえて避け、地域の人材や「生きざま」を語れる住民を優先した。これは、住民が自らの苦労や願いを語り、それを他の住民が聴く。この「語り」と「傾聴」の連鎖こそが地域における共感のネットワークを紡ぎ出せると考えた。講師もまた一人の住民として自己実現を図るという、学ぶ者との双方向の関係性を重視したのである。

(7)“あいとぴあカレッジ”では、学習プログラムのなかに「遊び」や「ヤマ場」を配列し、学習者のモチベーションを維持するように工夫した。「車椅子で歩く狛江の街」「楽しい仲間とティータイム」といった実習や交流活動などは、教室内の座学を「身体的な体験」へと変換する装置である。感動や驚きを伴う体験(ヤマ場)が、知識を「知恵」へと昇華させ、地域を変える力へと変容させるのである。

(8)“あいとぴあカレッジ”では、その運営体制にも腐心し、学習者自身が班活動や広報活動を担う仕組みを設けた。それは、カレッジ自体が「小さな地域コミュニティ」であることを意味する。委員会の場での議論、対立、そして合意形成のプロセスそのものが、民主的なまちづくりのトレーニング(福祉教育)となることを期待したのである。

(9)“あいとぴあカレッジ”では、社協職員の役割を、主導権を握ることではなく、住民の主体性を引き出すための「触媒(カタリスト)」であることを重視した。 学習情報の提供、学習相談への対応、そして住民同士をつなぐコーディネート。これらは、社協職員に求められる、高度な専門技術を要する「側面的援助」である。住民を信じ、待つ、というこの忍耐強い伴走こそが、住民の内発的なパワーを引き出すとともに、それを支える職員自身の専門性をより高度な次元へと引き上げるのである。

(10)“あいとぴあカレッジ”では、最終的な評価指標を受講生の数や満足度ではなく、学習後に、どれだけの住民が「ふだんの、くらし」のなかで新たな行動を起こしたかに設定した。 「一期生の会」の発足に象徴されるように、学習が集団的なアクションへと発展し、地域のインフォーマルな支え合い組織へと脱皮していく過程こそが、本実践の最大の成果である。

〇“あいとぴあカレッジ”の実践は、1990年代のそれである。「格差社会」や「分断社会」「監視社会」、あるいは「新・階級社会」などといわれる現代社会において、地縁の希薄化や価値観の多様化、さらには生活困窮の重層化といった変数がある。かつて地域コミュニティの核であった「学校」もまた、閉鎖性の打破や地域開放が叫ばれるなど、大きな変容の渦中にある。そして、“あいとぴあカレッジ”の学習テーマに据えられた高齢者や障がい者などの問題に加えて、精神疾患を抱える当事者やその家族、社会的孤立者、外国籍住民、性的マイノリティ、あるいはデジタル弱者などの問題が重要な課題として突きつけられている。さらには、“あいとぴあカレッジ”の会場とされた小学校の図書室が果たした役割を、現代ではSNSやオンラインプラットフォームが一部代替しつつある。
〇こうした社会変容のなかで、福祉教育の場をどこに見出すべきか。どのような媒体を通じて、住民の・住民による・住民のための福祉教育を再構築すべきかが問われている。その際、手前味噌ながら、当時この取り組みに深く関わった者の一人として確信しているのは、「福祉教育はまちづくりのエンジンであり、まちづくりは福祉教育の教材である」ということである。この視点を今こそ、強く意識すべきであろう。

全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター/全国社会福祉協議会における福祉教育の推進

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


出所:2025年11月29日~30日に愛媛県松山市の聖カタリナ大学北条キャンパスで開催された日本福祉教育・ボランティア学習学会第31回えひめ大会において、29日に課題別研究➂として「社協職員の福祉教育実践における価値の言語化~多様な実践の蓄積から紡ぎだす基盤としての価値~」の報告がなされた。本資料は、その際、話題提供された河邉裕子氏(全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター)の報告「全国社会福祉協議会における福祉教育の推進」のレジュメである。

⇨全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター「『福祉教育』の推進に向けた検討委員会報告書」2025年11月10日/本編

謝辞:転載許可を賜りました日本福祉教育・ボランティア学習学会と全社協・全国ボランティア・市民活動振興センターに衷心より厚くお礼申し上げます。全社協の河邉裕子さまには格別のご支援をいただきました。記して感謝申し上げます。
市民福祉教育研究所/主宰・田村禎章