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原 良子/「つながり」に生きる―地域と福祉と教育と―

私は、「地域・福祉・教育」と「つながり」という言葉を大切にしてきました。

大学卒業時、学校ではなく、地域での仕事を選びました。当時は、就学猶予・免除という名のもとに、教育を受けられない障害児たちが地域にたくさんいたからです。けれど、東京都の職員としてはすぐに障害のある子どもたちに関わることができず、とりあえず児童館職員となりました。初めは異動希望を出していましたが、そのうち児童館での課題、やりがいも見えてきて続けるうちに、いつの間にか児童館から離れられなくなっていました。

結果的には、定年まで、児童館職員として勤務しました。子どもたち、保護者、地域の皆さんとの毎日はとても充実していました。退職後は、北区の区民相談室での勤務後、放課後子ども教室の放課後コーデイネーターの仕事をしながら、地域で絵本の読み聞かせや工作指導などのボランティアをしてきました。

コロナ禍では、高齢者はステイホームといわれ、ボランティアもできなくなりました。やがて、ステイホームも長くなり改めて何かしたいと思うようになりました。 75歳のとき、「日本語教師養成講座420時間」を受講し、無事修了しました。

現在、公立小学校で日本語を母語としない児童への日本語指導をしています。日本語教師になりたかったのは、児童館勤務だったとき、外国籍の子どもが来館してもなかなか力になってあげられなくて、彼らに日本語を教えてあげられたら、と思っていたからです。やり残したこと?をやりたいと思ったのです。

児童館時代に出会った子どもたちとの思い出はたくさんあります。でもそれらは、もう、20年以上も前のことになります。

児童館には様々な子どもたちが自分の意志でやってきます。障害のある子ども、虐待を受けている子ども、発達障害に苦しむ子ども、貧困家庭で育つ子ども、親の期待から塾や習い事に追われ「時間が怖いよ」という子ども、などなど。

保護者が子育ての様々な悩みを抱えていることも見えてきました。児童館で何ができるか。しなければならないのか。地域での子育てをどうすればいいのか。学校、保健センター、児童相談所、地域の方々などとの連携をどのように取ればよいのか。先輩たちからは、理論と実践は車の両輪だといわれましたが、両輪を支える車軸は何か、など、理論不足の私にはわからないことだらけでした。

特別支援学級が特殊学級といわれていた頃から、なぜかどの児童館へ異動しても、私の周りにはその学級に在籍する子どもたちがいました。なんとなくお互いに引き合っていたのかもしれません。児童館がそんな彼らの居場所になって欲しいと思っていました。絵本を持って彼らの学級におじゃまして、読み聞かせをしたり、一緒に給食を食べたこともありました。下校後、彼らの地域での居場所として児童館を知って欲しかったのです。

ネグレクト、虐待されている子どものことも忘れられません。夏休みなどは、子どもたちは昼食のために、12時から1時までは自宅へ帰ります。その間は私たち職員の昼食、休憩時間でした。ところが、家に帰ったはずの子どもが、30分もしないうちに児童館の玄関前にやって来るのです。暑いなか、外で待たせるのはしのびないので、冷房の効いた玄関に座って待たせることになるのですが、お昼ごはんを食べてきたわけではないのです。

それが、続くと、見かねてコンビニでおにぎりを買ってきて食べさせたこともありました。彼は1年生でした。そんな彼をいつも気にかけてはいたのですが、ある日、ランドセルを背負って来館し、「きょうはよろしくおねがいします」とお母さんが書いたメモを私に渡すのです。児童館へは学校から家に帰ってから遊びに来ることになっていたので、学童クラブの子ども以外はランドセルを背負ったまま児童館に来ることはないのです。

たまたま、子どもを送って児童館に来た保護者の方が、彼のお母さんの事情を知っていて、とりあえず彼をそのまま受け入れました。お母さんは、いろいろな事情があり、精神的に治療が必要であることを知りました。当時私は館長職であり、地域の学校、保健センター、保育園などとの「つながり」を大切にしていましたので、学校と保健センター、彼の在籍していた保育園に連絡して相談しました。彼のこれからのことを考えると、一度関係者が集まって話し合うことが必要だと思いました。

小学校の校長に相談すると快く、学校でその会議を開くことを了承してくださいました。保健センターとは、乳幼児活動を児童館でもしていたので、日常的に保健師さんと顔の見える関係を築いていました。

学校(校長、担任)、保健センター(保健師)、保育園(園長)、北区立ほっと館(母親への支援、児童相談所との連携をしている児童館。館長)、地域の児童委員(子育て相談員として児童館に来ていただいていた)、そして私(児童館長)が集まり、それぞれが情報提供し今後のことを話し合いました。

その結果、彼が学校にいるときは、学校が見守り、スクールカウンセラーも彼への面接などで状況を把握する。放課後は児童館が彼を見守り、何かあれば他機関と連携を取る。保健センターは、母親のケアをする。ほっと館、児童相談所はネグレクトなどが心配されるときは対策を進める。地域の児童委員は、家庭訪問のときに見ていた彼女の生活態度などを非難するのではなく、保健師さんと一緒になって見守っていこうということを言ってくれました。

私は、彼が3年生になるとき、この児童館で定年退職となりました。その後気にかけてはいましたが、連絡を取り合うことはありませんでした。けれど、その後、生活保護を受けていた家庭の彼が国立大学に進学した、ということを聞きました。おそらく、世帯分離をして、経済的にも学業的にも大変ななかでがんばったのだと思います。

すごくうれしかったです。皆さんに見守られ、彼もがんばって大学に進学できたのですから。現在はきっと、社会人として自立して頑張っていると思います。

いま、私は、日本語適応指導員として、中国、ネパール、バングラデシュの子どもを担当しています。子どもたちの抱える課題は様々ですが、自ら望んできたわけではない異文化の日本で、日本語学習を頑張っています。日本語教室が、彼らにとって楽しい場であるように、彼らに明るい未来が開けるように、子どもたちに寄り添って少しでも力になれればうれしいです。これからも、子どもたちと、彼らの未来と「つながり」続けられることを願っています。

 

【講評】/市民福祉教育研究所

原 良子/「つながり」に生きる―地域と福祉と教育と―
筆者の原良子氏は、大学卒業後、「地域・福祉・教育」というテーマと「つながり」という言葉を大切にしながら、児童館職員として定年まで勤務した経験を語っています。
児童館では、障害のある子ども、虐待を受けている子ども、発達障害の子ども、貧困家庭の子どもなど、さまざまな背景を持つ子どもたちと接し、その居場所となるよう尽力しました。特に、ネグレクトを受けていたある小学1年生の男の子を救うため、校長、保健師、保育園長、児童委員などの関係機関と連携し、チームで彼を見守る体制を築きました。その結果、その男の子が後に国立大学に進学したという知らせを聞き、大きな喜びを感じたと述べています。
定年退職後も、ボランティアや日本語教師養成講座の受講を経て、現在は日本語指導員として公立小学校で外国籍の子どもたちを支援しています。自身の経験から、日本語学習を通して子どもたちの未来を拓く手助けをしたいという強い思いを語り、今後も子どもたちとその未来との「つながり」を大切にしていきたいと締めくくっています。

〔A〕
筆者の文章は、長年にわたる「子どもの福祉」への情熱と、「つながり」を重視する一貫した姿勢が感じられる、心温まる内容です。

 経験に基づいた説得力
抽象的な理想論ではなく、具体的なエピソード(ネグレクトの子どもを救った事例など)を通して、福祉と教育の現場のリアルな課題と、それを乗り越えるための「つながり」の重要性を説得力を持って伝えています。
 一貫したテーマ
大学卒業時から現在に至るまで、「地域・福祉・教育」と「つながり」というテーマがブレることなく、それぞれのキャリア選択に結びついています。特に、日本語教師としての現在の活動が、児童館時代に助けられなかった外国籍の子どもへの思いから来ているという点は、筆者の誠実さと人間性を感じさせます。
 希望に満ちた結び
困難な状況を乗り越えて国立大学に進学した男の子の事例は、筆者の活動の成果を具体的に示し、読者に希望を与えます。最後の日本語指導員の活動への言及も、過去の経験を活かし、未来へとつながる活動を続けている筆者の前向きな姿勢を印象づけています。

総じて、この文章は、個人の半生を振り返りながら、地域における福祉と教育の「つながり」の重要性を訴えるエッセイとして高く評価できます。

〔B〕
筆者の文章は、児童福祉、地域連携、そして生涯学習という複数の専門分野にまたがる示唆に富んだ内容です。以下に、各分野の視点から専門的な評価について述べます。

児童福祉・ソーシャルワークの視点
 多機関連携の成功事例
ネグレクトを受けていた子どもへの対応は、まさにソーシャルワークにおける多機関・多職種連携(multidisciplinary collaboration)の模範的な実践例です。学校、保健センター、保育園、児童相談所、児童委員、児童館が、それぞれの専門性を持ち寄り、情報共有と役割分担を明確にすることで、子どもとその家族に対する包括的な支援体制を構築しました。これは、個別ケースへの対応として、専門機関や専門職の連携・協力が子どもの長期的なウェルビーイングに不可欠であることを示しています。
 アウトリーチと居場所の提供
児童館職員として、特別支援学級に訪問して読み聞かせを行うなど、自ら積極的に子どもたちと関わろうとする姿勢は、施設の枠を超えたアウトリーチ(outreach)活動として評価できます。これにより、学校という場とは異なる「居場所」を子どもたちに提供し、彼らの自己肯定感や社会性の発達を支援したと考えられます。
 ライフヒストリー・アプローチ
筆者の人生を通して「つながり」というテーマが一貫していることは、専門的な視点から見ても重要です。児童館での経験が、退職後の日本語教師としての活動につながっていることは、個人のライフヒストリー・アプローチ(life history approach)として、過去の経験が現在の活動を形作るうえでいかに重要であるかを示しています。

教育学・特別支援教育の視点
 インクルーシブ教育の実践
特別支援学級の子どもたちを児童館という地域の居場所につなげようとした取り組みは、まさにインクルーシブ教育(inclusive education)の理念を体現しています。障害の有無にかかわらず、すべての子どもが地域社会の一員として「共生」できる環境づくり(まちづくり)をめざした実践として評価できます。
 教員の多職種連携への貢献
筆者は教員ではありませんが、学校と連携し、教員が気づきにくい子どもの家庭環境や行動背景を共有することで、教育現場における課題解決に貢献しています。これは、学校と地域が協働(共働)するコミュニティ・スクールの考え方にも通じるものであり、また教育と福祉の専門家が連携・協力することの重要性を示唆しています。

生涯学習・地域活動の視点
 生涯にわたる専門性の深化
75歳で日本語教師養成講座を受講し、新たな専門性を獲得したことは、生涯学習(lifelong learning)の実践例です。これは、自身の過去の経験(児童館での外国籍の子どもとの出会い)と現在の社会のニーズ(日本語指導)を結びつけることで、高齢期においても社会貢献が可能であることを示しています。
 地域におけるソーシャルキャピタルの構築
児童館職員として、保護者や地域住民、他機関との顔の見える関係を築いたことは、ソーシャル・キャピタル(social capital)の構築に貢献したと言えます。これにより、地域全体で子育てを支えるというセーフティネットが機能し、緊急時に迅速な連携が可能になったと考えられます。

総じて、この文章は単なる個人の回想ではなく、児童福祉、教育、地域活動といった専門分野における重要な実践知と理念を凝縮した貴重な記録と言えます。筆者の人生そのものが、「つながり」を基盤とした専門職のキャリアパスを力強く示唆していると評価できます。そしてまた、その「つながり」こそが、筆者が求め続けた理論と実践の両輪を支える「車軸」であると言えます。さらにこの文章は、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究にも、多くの気づきをもたらしてくれます。

〔C〕
筆者の児童館職員としての活動は、単なる子どもの遊び相手や施設の管理者にとどまらず、児童福祉と地域連携の専門家としても評価されます。

 子ども理解と個別支援
筆者は、児童館に来る子どもの多様な背景(障害、虐待、貧困、発達障害など)を理解し、一人ひとりに寄り添う姿勢を貫いています。特に、ネグレクトを受けていた子どもに対し、単なる食事提供ではなく、学校や保健センターなどと連携して組織的な支援体制を構築したことは、個別ケースの課題解決能力が高いことを示しています。これは、児童館が単なる遊び場ではなく、子どもの権利を守るためのセーフティネットとして機能できることを実証した事例であると言えます。
 多機関連携の推進
児童館の機能は、その地域内の他機関(学校、保健センター、保育園、児童相談所など)との「つながり」によって最大化されます。筆者は、館長という立場で、これらの機関との顔の見える関係を積極的に築き、情報共有と協働(共働)を可能にしました。これは、地域全体で子どもを育む「コミュニティ・ケア」の理念を体現するものであり、児童館の可能性を広げる実践です。
 専門職としての成長と自己学習
筆者は「理論と実践は車の両輪」という言葉を自戒とし、常に自己の専門性について問い直し続けていました。定年退職後も、過去の経験から得た課題意識(外国籍の子どもの支援)を原動力として、日本語教師という新たな専門性を習得したことは、生涯にわたる専門職としての倫理観と学習意欲の高さを示しています。

総じて、筆者は、児童館職員の枠を超えたソーシャルワーカー、コーディネーター、そして生涯学習者としての役割を担い、子どものウェルビーイングの向上に貢献したと言えます。その実践は、児童福祉に関わるすべての専門家にとって、模範となるべきものです。

 

「講評への応答」/原 良子

この度はいろいろとありがとうございました。

「児童館職員としての活動は、単なる子どもの遊び相手や施設の管理者にとどまらず、児童福祉と地域連携の専門家」として評価してもらえたこと、すごくうれしいです。児童館は子どものあそび場、と言われることが多く、(もちろん子どもにとって遊びは主食のようなものでなくてはならないものだけど)児童福祉の現場であることはあまり意識していない人が多かったからです。

社大(日本社会事業大学)を卒業して、皆さん厳しい福祉の現場で頑張っておられるのに、子どもと遊んで楽しんでいる私は何なの? 社大で学んだことを活かしているの? といつも後ろめたさを感じていました。特別支援教育、児童福祉、ソーシャルワークの視点でも評価して頂き、私も社大の卒業生です! と初めて自信を持って言えるような気がしました。

そうなんです。いろいろ頑張ってはいたけど、私のやっていることを子どもたち、保護者、地域の人々にとってはたいしたことではないかもしれない、と思うこともよくあったのです。

でも、ちょっと自慢させてもらえるなら、
退職の時、たくさんの地域の方々がお花を持って児童館に来て下さったのです。ほんとにびっくりしました。保護者の方、地域の児童委員さん、保護司さん、高校生になった子どもたち、たくさんの花束を頂きました。あそびに来ていた子どもたちは、お祝い会を開いてくれました。もちろん、職員が企画してくれたのですが。私が気がかりだった、彼も、花束を渡す係をしてくれました。もう、涙、涙、の私でした。

学校の先生方のメッセージを、学童クラブの職員(学童クラブも児童館管轄でした)が集めて持ってきてくれました。もう、これで私は児童館でできるだけのことをやれたんだと思えました。これで、充分に評価して頂けた、と思いました。

でも、これはあくまでも当事者間のもので、客観的な評価ではありません。今回は客観的に評価して頂いて? 嬉しかったのです。

このような機会を作って頂き、本当にありがとうございました。心より、感謝申し上げます。今日はとてもうれしい温かな気持ちを抱えて過ごしています。

2025年8月8日

阪野 貢/人に「生きる力」を与える「建築」:「まちづくり」に通底する視点 ―伊東豊雄著『誰のために 何のために 建築をつくるのか』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、伊東豊雄(いとう・とよお)著『誰のために 何のために 建築をつくるのか』平凡社、2025年4月。以下[1])がある。伊東は、人間の感覚を重視し、現実社会と向き合い、建築が人間や自然といかに共存していくべきかを探求し続ける日本を代表する建築家である、と評される。
〇本稿では、伊東の多岐にわたる奥深い建築思想の内から、例によって恣意的であるが、次の3点についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「流れ」と「淀み」:動と静と調和の有機的共存
伊東にあっては、建築は、単なる機能的な構造物や壁で切り分けられた閉鎖的・固定的な「容器」(「部屋」)ではなく、多様な人々が自由に集い、活動し、関係性を築く開放的・流動的な「場所」である(「流れ」)。とともに、人々が立ち寄り、安らぎ、思索する空間でもある(「淀み」)。この「流れ」と「淀み」は、対立するものではなく、相互に補完し合い、調和することによってより豊かな建築空間となる。すなわち、理想的な空間とは、「流れ」(動)と「淀み」(静)がバランスよく共存する有機的な状態をいう。(25~27、38~41ページ)

「人に生きる力を与える建築」:知性と身体感覚と自然の統合
伊東は、「人に生きる力を与える建築」を追求する。それは、知的にデザインされた機能的かつ効率的な快適さだけでなく、人に感動を与え、生命力を感じさせる、すなわち身体感覚や五感を大切にする「いのち輝く」建築である。それは、その場所(地域)の風土や自然と調和し、歴史や文化と共鳴する、それゆえに人々の活気や創造性を引き出し、社会との繋がりを生み出す建築である。従ってそれは、「空間としての力強さではなく、時間として持続しうる力強さを持つ建築、すなわち生き続け、呼吸をする建築」(138ページ)でなくてはならない。そしてまた、「作家の姿が消えて自然の力が浮かび上がってくるような建築」(164ページ)でもなければならないのである。(122~125、126~134ページ)

「みんなの家」プロジェクト:公共性と社会性と共創性の融合
伊東らは、東日本大震災を契機に、被災地でみんなが集い、交流し、互いに支え合う小さな居場所として、「みんなの家」プロジェクトに精力的に取り組んでいる。それは、行政が住民に提供する空間ではなく、また建築家が設計して住民に与えるものでもない。住民が主体的に参加し、自分たちの手で創り上げていく小さなコミュニティの場である。すなわち、建築は、社会的な課題に応えるものであり、開かれた公共性とその地域・社会の文脈に根ざした社会性を持つものでもある。それゆえに建築家には、「社会の内側」に身を置き、地域・社会の課題に向き合い、人々とともに未来を創造する社会的な存在としての役割を果たすことが求められることになる。(135~141、142~150ページ)

〇伊藤の言説(建築観)は、建築を介して人々が集い、繋がり、多様性を尊重し合って豊かに「生き抜く」「生き合う」共生社会の実現を図るという、「まちづくり」の目標に通底するものである。そのまちづくりの基盤に位置づけられ、まちづくりの起爆剤や羅針盤の役割を果たすべき営みが、「市民福祉教育」であろう。[1]から読み取ったことのひとつである。

阪野 貢/追補/「障害とともにいかに自由に生きるか」という視点 ―田島明子著『障害受容再考』のワンポイントメモ―

障害の受容とはあきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり、障害を持つことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずること(上田敏「障害の受容―その本質と諸段階について」『総合リハビリテーション』第8巻第7号、医学書院、1980年7月、515~521ページ。下記[1]39ページ)。

〇本稿は、<雑感>(238)「障害理解」を通して人間存在の多様性と包摂、そして共生を考える ―丸岡稔典著『「障害理解」再考』のワンポイントメモ―/2025年7月14日投稿、の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、田島明子(たじま・あきこ)著『障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ―』(三輪書店、2009年6月。以下[1])がある。久しぶりの再読である。
〇「障害を受容していない」「障害を受け入れなければ、何も始まらない」「障害を乗り越えるためには、まずそれを受け入れることだ」などと言われる。田島は[1]で、リハビリテーションの臨床現場や学問の世界で、また障害学の分野で使用されるこの「障害受容」という言葉・概念を深く掘り下げ、新たな視点を提示する。そこでの主張・言説のひとつは、こうである。

能力主義的障害観(感)
リハビリテーション臨床では、障がい者に対して「できる」ことを増やすことに注力するあまり、障害受容が押し付けられ、無意識のうちに「できる」「できない」という「能力主義的障害観(感)」(108ページ)が助長され、結果的に「できない」こと、すなわち障害の存在そのものを否定することになってはいないか。

動的プロセスとしての障害受容
障害受容は、一度到達すれば不変で固定化されるもの(状態)ではなく、新たな否定的・差別的経験(「スティグマ経験」50ページ)や障がい者を取り巻く環境変容などに起因する障害に対する自己認識や感情の変化によって、障害に対する否定的な感覚や羞恥感情が再熱しうる流動的で継続的なプロセスである。

障害受容の心理的・行動的・社会的側面
障害受容は、障がい者が自身の障害を認識し、それによって生じる個人的で内面的な感情や心理の変化(心理的側面)だけでなく、日常生活や社会参加における具体的な課題解決を図るための態度や行動の変容(行動的側面)を促し、他者や社会との積極的な関わり(社会的側面)を構築する能動的で主体的なプロセスである。

内在的・外在的な障害観(感)と「障害との自由」
田島は、「障害受容」の代替概念として「障害との自由」(障害とともに、楽にいられる・生きられること)(125ページ)の概念を提示する。それは、「『障害』を否定する一切の外在的な障害観(感)を捨てて、その人の内在的な障害観(感)の萌芽を探し、それを外在的な障害観(感)へまで流通させる過程」(180ページ)をいう。すなわちそれは、能力主義的な障害観(感)である「外在的な障害観(感)」や障害へのとらわれ(障害に意識を向けること)から自由になり、障がい者自身がその体験や身体性を通して感じている「障害」の意味や捉え方、あるいはそこから生まれる新たな障害観(感)(「内在的な障害観(感)」)の育成を図り、それを社会全体に還元し共有化を図るプロセスをいう。

〇要するに田島は、障害受容を単に個人の心理的な側面だけでなく、社会との相互関連のなかで捉え直し、個人の内面的な受容と社会的な環境の改善・変革を図るプロセスとして考える。そこに提示されるのが、「障害受容」の代替概念としての「障害との自由」である。そしてその概念は、例によって唐突であるが、障がい者を「まちづくりと市民福祉教育」の客体ではなく、その重要な担い手として捉え、そのための知識や技術・技能の習得・共有をいかにして図るかを問うことになるのである。さらに言えば、個人の内面的な受容と社会的な改善・変革の内在-外在の関連性のなかから、また知識や技術・技能の習得・共有のプロセスを通して、田島がいう「再生のためのエネルギー」(182ページ)、すなわち障がい者の自己変革と社会貢献を可能にする障がい者の内的な意欲や能力を引き出すこと(エンパワーメント)ができるのである。

阪野 貢/「障害理解」を通して人間存在の多様性と包摂、そして共生を考える ―丸岡稔典著『「障害理解」再考』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、丸岡稔典(まるおか・としのり)著『「障害理解」再考―他者との協働に向けて―』晃洋書房、2025年3月。以下[1])がある。現在の「障害理解」の主流は、「障害の個人モデル(医学モデル)」に相対する「障害の社会モデル」の考え方である。「障害の個人モデル」は、障害を個人の心身機能の問題として捉え、その解決を個人の努力や治療に求める考え方である。一方、「障害の社会モデル」は、障害を社会の構造や環境によって生じるものとして捉え、社会の側に改善や配慮を求めるそれである。丸岡によると、その「障害の社会モデル」には、①物理的・制度的バリアなどに関心が集まり個人の心身機能の障害が軽視されやすい、②健常者を中心とした社会の価値観や文化に対する批判的視点や反省が十分ではない、などの課題がある(2ページ)。
〇この点を念頭に置きながら、丸岡は[1]で、障がい者運動をはじめ、障がい者のライフストーリー、障がい者と介助者の介護関係、障がい者と健常者による芝居作り、福祉のまちづくり、などの具体的な事例分析を行う。それを通して、①アイデンティティの視点から、「障害のある身体についての経験」(障害に基づく経験、障がい者としての経験)を検討する。そして②障がい者と健常者の相互作用の視点から、障害理解や障害と健常の違いを超えた相互理解の可能性を検討する。さらに③地域における健常者と障がい者の協働の視点から、協働や相互理解の過程、ならびに現実のまちづくりへの影響などについて検討する(12~14ページ)。[1]のテーマは、この3つの視点からの「障害理解」再考である。
〇ここでは、例によって我田引水的であるが、丸岡の言説のうちから、①障害学における「平等派」と「差異派」の議論、②「身体的存在としてのアイデンティティ」と障害理解、③まちづくりの「協働」と「異化としてのノーマライゼーション」に関するそのいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

➀障害学における「平等派」と「差異派」の議論
障がい者と健常者の格差の是正をめざす「障害の社会モデル」はしばしば、「平等派」とされる。これとは別に、平等派を健常者社会への同化志向であると捉え、障害のある身体を肯定することや障害を個性や文化であると考えることを重視する「差異派」と呼ばれる視点が存在する。(20ページ)

「差異派」の主張を支えているものに「障害にこだわる」障がい者運動がある。それは、障がい者が健常者と「同じ人間」「同じ市民」であることをめざすなかで、健常な身体に価値を置く健常者を中心とした社会の支配的な価値観に同化を強いられ、障害のある自己の身体を否定する結果をもたらしてしまうことを警戒する。また、それは、「健常者と障がい者」というマジョリティ・マイノリティ関係のなかで「排除―序列化」される差異としての障害と、自らの身体における他者である領域としての障害という、アイデンティティと他者との相克の二側面に同時に向き合いながら、障害のある身体を否定しないアイデンティティ像を提起し、共有することをめざす。(20~21ページ)

➁「身体的存在としてのアイデンティティ」と障害理解
障害があるというだけで社会は、障がい者に対してネガティブなレッテルを貼り、その人の本来の姿とは違う否定的な見方をしてしまう。(阪野)/こうした否定的な社会的アイデンティティ(個人的属性や職業、所属などに対するアイデンティティ:阪野)は、障がい者がそれを内面化することによって、自分自身に欲求の自己規制や自己否定感を生じさせ、行動を制限させる。/また、障がい者は、「普通の人と同じである自己」と「普通の人と異なる自己」の2つの自己了解、すなわち異なった自我アイデンティティ(個人的アイデンティティ)を形成する。これがまた障がい者に健常者と異なる自己を意識させ、自己否定感を生じさせる。(175ページ)

障がい者がもつ障害の種類や程度、障害の発生時期や要因などは様々であり、日常生活への影響も多様である。したがってまた、障がい者の自己の障害に対する認識や他者の障害に対する認識も様々であり、アイデンティティの確立と変容のプロセスも様々である。(67ページ。阪野)/そこで、集合的な障害カテゴリーから離れて一人ひとりの障がい者の経験を取り上げ、それに向き合うことは、健常者が障がい者の固有の経験について理解を深め、自らの健常者としての立場を振り返ることにもなる。障がい者の経験や出来事が、「対話」を通して一人ひとりの固有の経験として語られたり、聞かれたりすることが、障害理解を図るうえで重要である。(180ページ)/その際の「対話」は、障がい者に対するスティグマ(負のレッテル貼り)を障がい者と健常者の間で可視化、共有化し、その解消を促すひとつの技法といえる。(121ページ)

人は、障害の有無にかかわらず、身体的に、自分の意志でコントロールできる部分(能動性)と自分の意志ではコントロールできない部分(他者性)の2つの側面を持っている。(37~38ページ。阪野)/この「身体の能動性」と「身体の他者性」を併せた「身体的存在としてのアイデンティティ」(38ページ)の獲得は、障がい者に障害は「身体の他者性」としての自己の一部であることを了解させる。とともにそれは、障がい者に、自分の存在に価値があるという認識をもたらし、自己規制や自己否定を解消することにつながる。こうした意識変革や、それに基づく健常者との相互理解や関係変容は、障がい者に対する新しい社会的アイデンティティの形成を可能にする。(176ページ)

➂まちづくりの「協働」と「異化としてのノーマライゼーション」
福祉の専門職や専門的職業人ではない一般の健常者と障がい者が、「理解する・支援する―理解される・支援される」という主体―客体の関係とは異なる関係のもとで、共通の目標に向かってお互いに協力し合うことを「協働」という。(12ページ)

健常者と障がい者が同じ地域の市民としてまちづくりの活動に参加する関係がつくられ、活動を通して両者の対等な協力関係が形成されるとき、両者の相互理解が促される。/また、障がい者と健常者が相互に影響を与え合う関係のなかで、健常者による自分の立場や価値観の振り返りが生じる。/すなわち、まちづくりにおける健常者と障がい者の協働によって、両者の相互理解の過程で、「異化としてのノーマライゼーション」(健常者を中心とした社会の価値観の反省)が生じることになる。(177ページ)/つまり、社会のなかに存在する「普通」や「当たり前」を批判的に見つめ直し、それを異質なものとして捉えること(「異化」)を通して社会のバリア(障壁)を解消するための具体的な行動が促され、共生社会が構築・創造されるのである。(阪野)

福祉のまちづくりが「福祉に力点を置いたまちづくり」ではなく、「まちづくりの一部としての福祉のまちづくり」であるとき、それは地域住民の生活に関わる問題であり、まちづくりへの住民参加の一部として、障がい者や障がい者団体の参加も可能となる。/別言すれば、福祉のまちづくりに障がい者の参加がなされるとき、福祉のまちづくりの理念や条例が一般市民に普及する可能性や福祉のまちづくりが障がい者や高齢者など一部の人のためだけのものでなく、まちづくり全体として一般の地域住民にもつながるものと認識される可能性が生じる。(172ページ)

〇「まちづくりと市民福祉教育」の体験活動・体験学習のひとつとしてしばしば取り組まれるものに、「疑似体験」がある。丸岡は、健常者の障害理解を目的とした「障害疑似体験」について、批判的に説述し問題提起を行なう。その一文を付記しておく。

障害疑似体験についてはこれまで、(障がい者が)できないことを体験するため否定的な障害観が形成されやすいこと、物理的な障壁に注目が集まりやすく、背景にある社会構造への理解が不十分になりやすいことなどが批判されてきた。(中略)障害疑似体験で「健常者は障がい者のことを理解しようとするが、健常者自身については不問に付し、自分たちの立場、ひいては自分たちの存在そのものまでも不可視化してしまい、自分たちを忘却してしまっている」(横須賀俊司)と指摘される。/こうした問題を解決するためには障がい者だけを客体化するのではなく、健常者が主体の座から降りて、自らを対象化、客体化する作業が不可欠となる。(10~11ページ)

〇以上の言説のうちから、障害学がいう「平等派」と「差異派」の議論に関して一言する。すなわちこうである。「障害にこだわる」障がい者運動は、社会が障害を排除や序列化の対象とみなす考え方に異を唱え、その解消をめざすとともに、障害のある自分自身の身体を否定しない肯定的なアイデンティティ像を障がい者と健常者の間で共有することをめざす運動である。その運動は、社会的・構造的な側面と身体的・アイデンティティの側面を併せ持ち、その両者を統合的に捉えることで、より包摂的で多様な共生社会の実現を志向するものである。それは、住民・市民による社会活動や社会運動としての取り組みが求められる「まちづくりと市民福祉教育」において、健常者の障害や障がい者に対する、また障がい者の自分自身の障害や他の障がい者やその障害に対する認識や態度の変容を促す重要な視点を提示するものである。そしてそれは、人間存在の多様性と包摂、そして共生についての認識と態度につながる。留意したい。

花房 愛/新美一志氏の論考「福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察 」を読んで

〇新美一志氏の論考「福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察 ―大橋謙策と阪野貢、原田正樹の言説をめぐって(素描)―」を読ませていただきました。日本の福祉教育学界における主要な論客である大橋謙策、阪野貢、原田正樹の3氏の言説を、その学術的系譜と相互関連性に着目して分析した、示唆に富む論考だと感じました。とりわけ、「素描」であることの限界はありますが、➀先行研究の引用と解釈、➁学術的系譜の提示、➂いくつかの問題提起、においてです。

感想と評価
〇本論考の強みは、単に個々の研究者の業績を羅列するのではなく、彼らの研究が「学術的な連続性」と「相乗効果」を生み出し、福祉教育学界を活性化させてきた過程を浮き彫りにしている点にあります。特に、阪野氏と原田氏を大橋理論の単なる継承者ではなく、「批判的・発展的継承者」と位置づけている視点は重要です。これは、学問の発展が、先行研究の踏襲だけでなく、時代状況や新たな課題意識に基づいて再構築されることで深化していく様を示しています。
〇また、福祉教育実践における「疑似体験」の危険性について、3氏が共通して警鐘を鳴らしている点をあえて付記しているのも、実践や実践研究に携わる者にとって重要な示唆を与えています。形骸化した活動が逆効果を生む可能性を明確に指摘することで、今後の福祉教育実践の質的向上に向けた問題提起を行っていると評価できます。なお、この点については、新美氏の別の論考「福祉教育における『当事者性』と『相互主体性』に関する一考察 ―松岡広路、阪野貢、鯨岡峻の言説をめぐって―」も参考になりました。
〇さらに、日本福祉教育・ボランティア学習学会の設立における3氏の役割に触れ、学会が果たすべきネットワーク機能やソーシャルアクション機能のさらなる強化を提言している点は、学術団体としての社会貢献のあり方を再考させるものと言えるでしょう。

問題点と課題
〇本論考の問題点(限界)は次のような点でしょうか。それらはひとつは「素描」に起因するとも思われます。

➀論考の副題「素描」の範囲と深度が不明確であり、それゆえに期待される詳細な分析や網羅的な考察が十分に行われないままに留まっていると思います。
➁3氏の言説を丁寧に紹介し、その共通点や学術的系譜を論じていますが、個々の言説に対する批判的な視点や具体的な課題提起がやや弱いと思います。
➂重要な視点や概念がいくつか提示されていますが、それぞれがどのような福祉教育実践や研究に結びつくのかについての踏み込んだ議論が少ないと思います。
➃「バッテリー型研究」や「協働研究」の重要性は理解できますが、それをより効果的に推進するための具体的な提言が不足しているように思います。

〇本論考で示された今後の福祉教育研究の課題は、非常に本質的かつ今日的なものです。

理論と実践の乖離克服と実践研究の深化: 理念が高尚すぎたり、概念が抽象的・情感的すぎたりすることで実践への落とし込みが難しいという課題は、これまで福祉教育分野で指摘されてきました。本論考で言及されている、大橋氏がいう「バッテリー型研究」や「協働研究」の推進は、この課題を克服し、実践の場で生きた理論を構築するための有効なアプローチとなるでしょう。また、実践研究の質的向上と評価方法の確立は、今後の研究の基盤となります。

多様なアクターとの連携とソーシャルアクション機能の強化: 福祉教育が単なる学習活動にとどまらず、社会変革の「思想的武器」となるためには、多様な主体との連携を深め、政策提言や権利擁護といったソーシャルアクション機能を強化していくことが不可欠です。具体的な連携モデルや、効果的なソーシャルアクションの戦略を構築していくことが求められます。

深遠な哲学性の探究: 大橋氏の「博愛」の精神や阪野氏の「まちづくりと市民福祉教育」、原田氏の「相互依存的自己実現」といった概念を通じて、福祉教育が単なる知識や技術の伝達に留まらず、地域変革(まちづくり)や社会全体の価値観の変革、人間のあり方を問い直す哲学的な営みであるという深遠な視点を提供しています。これは、福祉教育の意義を再認識させる上で非常に重要だと思います。

グローバル化とテクノロジーの進展への対応: 気候変動、貧困、紛争といったグローバルな社会課題や、AI、デジタル技術の進展は、従来の福祉のあり方や教育の枠組みを大きく変えつつあります。こうした中で、福祉教育が「学際性」「グローカル性」「変革性」「哲学性」といった視点を再認識し、どのように再構築・再創造されるべきか、具体的なロードマップを示すことが今後の重要な課題となります。特に、AI時代におけるデジタル技術を活用した新たな学習方法や、深刻で多様な課題が浮き彫りになっている新グローバル時代における異文化間理解を促進する福祉教育のあり方など、具体的な研究テーマが考えられます。

〇これらの課題は、日本の福祉教育が直面する本質的な問いであり、新美氏が提示した3氏の言説を手がかりに、今後の研究がさらに発展していくことを期待します。

 

新美一志/福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察 ―大橋謙策と阪野貢、原田正樹の言説をめぐって(素描)―

[Ⅰ]
〇福祉教育の理論(わかる)と実践(できる)と研究(さがす)において多大な貢献をしてきた者に、大橋謙策と阪野貢、原田正樹がいる。なかでも大橋は、周知の通り、日本における地域福祉および福祉教育研究の草分け的存在であり、その貢献度は極めて高い。大橋は、1970年代以降(本格的には1980年前後から)、現場で生じる「問題としての事実」に学び、その実践的な解決をめざす「実践的研究」を志向する。 初期の著作である『地域福祉の展開と福祉教育』(全国社会福祉協議会、1986年9月)は今日においても、「実践的研究書」としての輝きを失っていない。生涯学習の視点に基づく福祉教育の実践・研究の推進と、「日本地域福祉研究所」などによる全国的規模での「福祉でまちづくり」の取り組みは特筆される。
〇阪野は、福祉教育の歴史研究を基盤にしながら、大橋の福祉教育論を継承し発展させつつ、「まちづくりと市民福祉教育」という概念を提示してその理論化・体系化を図る。そのひとつの集大成でもある『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』(みらい、2009年10月)は、従来の学校福祉教育や地域を基盤とした福祉教育の枠を超え、「まちづくり」とそのための「市民」の育成をめざす福祉教育のあり方を探究する。「ふくし」を「ふだんの くらしの しあわせ」というフレーズで捉えて表示するのは、1990年代中頃からである。「市民福祉教育研究所」(オンライン組織)での取り組みも特筆に値する。
〇原田は、地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究法について考察し、その理論化・体系化を図る。その著作『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規出版、2014年10月)は、大橋の上記の著作の「今日的な続編でありたい」とするものでもある。福祉教育については、福祉教育の理論と実践の乖離を指摘し、それを克服するために、学際的・総合的かつ実践的なアプローチによって福祉教育の新たな理念の構築と実践構造の再検討を進める。原田にあっては、「共に生きること 共に学び合うこと」は、福祉教育が大切にしてきた・大切にすべきメッセージである。原田の、全国社会福祉協議会主催の「全国福祉教育推進委員会」などでの取り組みは特筆されるべきものである。

[Ⅱ]
〇ここで、大橋と阪野・原田の福祉教育論の要点のいくつかを素描する。まず大橋のそれである。大橋は「福祉教育」の概念を次のように規定する。すなわち、福祉教育とは「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(第2次福祉教育研究委員会(委員長:大橋謙策)『学校外における福祉教育のあり方と推進』全国社会福祉協議会、1983年9月)。
〇この概念規定は40年以上も前のものであるが、今日においてもしばしば引用される。それは、阪野によると、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因する。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的な定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのである。また阪野は、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて障がい者や高齢者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視点・視座に注目しないとその定義や言説を読み解くことはできないことを指摘する。
〇大橋はまた、学校教育において「自由と平等」は教えられてきたが、「博愛」精神の教育が欠けていたことを指摘する 。そして、障害を持つ人々や社会的な支援を必要とする人々の幸福追求権(憲法第13条)と、社会全体で担う「博愛」の精神を公教育で再構築する必要性を強く訴える 。この「博愛」の再構築という主張は、単なる倫理的な呼びかけに留まらない。大橋は、日本の文化的・歴史的背景、特に閉鎖性や儒教的な排除の論理が福祉の理念形成に与える負の影響を深く見据え、その克服のために「博愛」という普遍的価値観を福祉教育の根幹に据える必要性を論じるのである。これは、福祉教育は単なる知識や技術・技能の伝達や個人の意識変革を図るだけではない。社会全体の文化や規範を「博愛」の精神に基づいて再構築することを通じて、社会の根深い構造的差別や排除の論理に抗する「価値観の変革」をめざすべきだという、極めて本質的で哲学的な課題提起である。深く留意したいところである。
〇こうした点を含めて、大橋の福祉教育論の概要や評価などについてはひとまず、阪野のブログ記事――阪野貢/「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて(Ⅵ)―大橋謙策の「福祉教育原論」に関する研究メモ―/2022年10月25日/本文を参照されたい。
〇次に阪野のそれである。阪野は「市民福祉教育」を次のように規定する。「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」(ウェブサイト「市民福祉教育研究所」フロントページ/本文)。
〇阪野が提唱する市民福祉教育は、「人間の尊厳」「自由・平等・友愛」「平和・民主主義・人権」といった普遍的な人間観と社会観に基づいている。また、現代社会において子どもと大人、障がい者や高齢者などすべての人の「自立・共生・自治」が問われるなかで、「まちづくり」に参加(参集、参与、参画)する主体的・自律的な「市民」の育成を図る市民福祉教育の重要性を認識し指摘するものである。すなわちそれは、「ふくし」は社会的支援を要求する・必要とする人や専門家だけの問題ではなく、市民一人ひとりの日常生活(「ふだんの くらしの しあわせ」)と社会全体の平和・安寧・福祉(「みんなが 満足していて 楽しいこと」)に関わる普遍的な課題であるという視点・視座に基づくものである。それはまた、大橋が指摘する「博愛」の欠如や社会の閉鎖性といった問題意識を、より普遍的な市民社会の形成という視点から継承・発展させるものであるとも言える。
〇また阪野は、「福祉文化」の概念を、一番ヶ瀬康子の言説を引用し「福祉の文化化」と「文化の福祉化」が統合されたものとして捉える。前者は、社会福祉は質・量ともに豊かで快適な人間らしい生活を保障するものであること、後者は、障がい者や高齢者を含むすべての人が文化創造の担い手であることを含意する。そのうえで、「福祉」が単なるサービス提供や社会的支援に留まらず(憲法第25条)、人々の生活そのものを豊かに快適にし(憲法第13条)、社会全体の文化、人間の豊かな創造性や感性を育む福祉文化として根づくかせるべきものである主張する。
〇さらに阪野は、「協働」(collaboration)と「共働」(co-action)の概念を明確に区別し、「対抗」から「共働」へのプロセスを支援学の視点から提示して市民自治とまちづくりの立ち位置とプロセスを考察する 。「協働」は往々にして、行政主導や専門家主導の枠組みのなかで行われる「協力」に近いニュアンスを持つ。それに対して「共働」は、市民が主体的・自律的に、対等な立場で互いに働きかけ、共に新たな価値を創造していく能動的な関係性を意味すると考えられる。この区別は、単に市民を行政の活動に「参加させる」だけでなく、市民自身が「主体」として福祉を「つくりあげる」という、市民参加(参画)の質的向上への強い志向を示すものである。これは、福祉教育が市民のエンパワーメントを通じて、真の市民社会を構築するための重要な手段(「思想的武器」)となる・ならなければならないという阪野の思想を反映していると言えよう。
〇そして原田である。原田らにあっては、地域ぐるみの福祉教育が必要かつ重要となるなかで、「地域福祉を推進するための福祉教育とは、平和と人権を基盤にした市民社会の担い手として、社会福祉について協同で学びあい、地域における共生の文化を創造する総合的な活動」である(福祉教育推進検討委員会(委員長:大橋謙策)『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全国社会福祉協議会、2005年11月)。この規定における鍵概念のひとつ、すなわち原田福祉教育論のそれは「協同実践」である。原田はいう。「福祉教育における『協同実践』においては、専門的な知識や技術の伝達ではなく、福祉の魅力や難しさをみんなで考える。その時には、子ども同士だけではなく、福祉教育実践に関わる大人も含めて相互の学び合いが必要になってくる」(原田正樹『福祉教育の理論と実践方法―共に生きる力を育むために―』全国社会福祉協議会、2022年3月)。さらにそれは、学校や地域だけでなく、また障がい者や高齢者、地域のボランティアだけでなく、さまざまな関係者や関係機関・団体を福祉教育に巻き込み、「サービスラーニング」の視点による福祉教育実践を協同実践として成立させための組織(「福祉教育推進プラットホーム」)やコーディネーター(「福祉教育推進員」)を求める。とともに、その実践を「内省」(かえりみて見直すこと)し「省察」(ふりかえり考えめぐらすこと)する効果的・総合的かつ創造的なふりかえり(「リフレクション」)を不可欠とする。
〇原田福祉教育論の、もうひとつの鍵概念に「相互依存的自己実現」がある。それは、人間の脆弱性を前提としたうえで、個人の自立や自己実現だけでなく、それを乗り越え、関係性のなかで互いに支え合いながらより良く生きること、社会全体の「共に生きる力」の育成を図ることをめざす視点である。すなわちそれは、福祉教育は地域福祉の下位概念・従属概念ではなく、個人の福祉意識を変容させ(「貧困的な福祉観の再生産」の克服)、地域を変革する力の育成を図る営為である、という主張に通底するものである。要するに、「相互依存的自己実現」という概念は、超少子高齢化問題や多様で複雑な福祉課題を抱える現代社会において、従来の自立支援の限界を乗り越え、より包括的で持続可能な地域社会を構築するための新たなパラダイムを提供するものである。
〇この点を別言すれば、原田は、その主著『地域福祉の基盤づくり』で、「地域福祉を福祉教育によって支えあうことができる社会、ケアリングコミュニティをどう構築していくことができるかを問うことが『地域福祉の基盤づくり』である」という。これは、福祉教育と地域福祉が単なる補完関係ではなく、相互に影響し合い、変革を促すダイナミックな関係にあることを示唆するものである。すなわち、福祉教育は地域変革の主体化を図り、個人の意識変革を促す一方で、地域福祉の実践はその意識変革をさらに深化させるのである。そして、ここでいう「ケアリングコミュニティ」とは、原田にあっては、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。それは、地域福祉の基盤づくりである。そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されていかなければならない。こうしたケアリングコミュニティは、①ケアの当事者性(エンパワメント)、②地域自立生活支援(トータルケアシステム)、③参加・協働(ローカルガバナンス)、④共生社会のケア制度・政策(ソーシャルインクルージョン)、⑤地域経営(ローカルマネジメント)といった5つの構成要素により成立している。
〇上述の大橋は、ケアリングコミュニティの実現には「地域福祉の4つの主体形成」が重要であるという。➀地方自治体においてどういう福祉サービスを整備するべきかという地域福祉計画策定主体の形成、➁制度化された福祉サービスをどう有効に、合理的に、過不足なく利用するかという地域福祉サービス利用主体の形成、➂地域から差別・偏見をなくし、福祉サービスを必要としている人を支える福祉コミュニティをどうつくるかという地域福祉実践主体の形成、➃対人サービスとしての社会福祉を支える社会保険制度をどうつくるかという社会保険制度の契約主体の形成、がそれである。この言説と併せて、原田のケアリングコミュニティの5つの構成要素についての議論は、阪野がいう「まちづくりと市民福祉教育」の理念や構造、内容や方法に繋がるものでもある。
〇ここで、大橋と阪野・原田がともに、福祉教育実践(体験学習)における「疑似体験」の危険性について言及していることをあえて付記しておきたい。3氏は特に、目的やねらいが吟味されない形だけの障害・高齢の疑似体験(車椅子体験、アイマスク体験、高齢者疑似体験など)は、障がい者や高齢者への誤解やステレオタイプを強化する可能性があることを厳しく批判する。形骸化した体験活動は「障がい者は不幸である」「施設にいるべきである」といった固定観念を強化し、真の理解や共生を妨げる可能性がある、と警鐘を鳴らすのである。それは、地域・地元の福祉課題を素材化(教材化)しない、地域・住民との連携・協働を欠いた、形だけの「まちづくり」や「ケアリングコミュニティ」づくりに関しても同様である。
〇なお、「疑似体験」については、「疑似体験はあくまでも疑似であり、ほとんど意味のない学習である」とう意見がある。疑似体験のあり方を追求すべきなのか、疑似体験に代わる学習方法を開発すべきなのか、ひとつの問題提起であることに留意したい。

[Ⅲ]
〇大橋と阪野・原田の福祉教育論を分析・検討(素描)すると、3氏はともに「地域福祉と福祉教育の不可分性と有機的連携」「主体形成の重視と市民参加の促進」「まちづくり・社会変革の推進と地域共生社会の実現」「実践と理論の往還的関係の重視と実践研究の推進」などを強調している。そして、3氏のそれは個別の研究ではなく、相互に影響し合い、継続的に取り組まれ、学術的な系譜を形成していることが分かる。この学術的な連続性は、そこに生み出された相乗効果として、単なる知識の継承に留まらず、先行研究の課題意識を共有し、福祉教育を取り巻く時代状況や背景に対応しながら福祉教育の理論と実践を深化させてきた、と言ってよい。阪野が大橋福祉教育論の再考を試み、原田が大橋の著作の「続編」を意図した点から、阪野と原田は大橋理論の単なる継承者ではなく、批判的・発展的継承者として新たな視点や概念を導入し、福祉教育学界の活性化に貢献してきた、とも言えようか。また、大橋を中心に阪野と原田の3氏が日本福祉教育・ボランティア学習学会の設立に大きな役割を果たしたことは、衆目の一致するところである。
〇その学会は、設立されて30年が経っている。言うまでもなく学会は、学術コミュニティの発展と社会貢献の両面で重要な役割を果たすべき組織である。その学会では、福祉教育の実践・研究の使命や目的、価値などを考えると、単なる研究発表や研究者の知の錬成の場としてのそれではなく、とりわけネットワーク機能(実践家と研究者による共同研究、異分野交流・国際的連携など)とソーシャルアクション機能(政策提言、市民社会への普及啓発など)がこれまで以上に重視されるべきである。
〇大橋と阪野・原田の連なり、すなわち「協働研究」は、福祉教育の実践や研究の質を高めるだけでなく、学術コミュニティ内での知識の創造、共有、そして発展を促進するひとつのケースである。それはまた、大橋と阪野とりわけ原田との、大橋がいう「バッテリー型研究」のもうひとつの姿であろう。また、福祉教育の学術的・学際的な深化と、実践者と研究者の協働研究による「実践研究」の今後の方向性を示すものでもあろう。なお、協働研究を平易に別言すれば、単に一緒に行う(共同)、あるいは力を合わせて行う(協同)研究ではなく、それぞれの強み・専門性を活かしながら対等な立場で協力し合って行う研究をいう。
〇また、福祉教育の実践・研究においてときに、➀概念が抽象的で情感的になりがちであり、それゆえに議論が曖昧なものになる。➁高尚な理念や理想主義的な理論が先行しがちであり、それゆえに実践への落とし込みが難しい。そして➂多様なアクター(主体)との連携・協働の深化や、社会変革に向けた「ソーシャルアクション」機能(問題提起や政策提言、権利擁護など)の強化をどう図るか。➃実践研究の質の向上と実践評価の理論と方法論をどのように構築するか、などが問われる。こうした点に留意しつつ、グローバルな社会課題(気候変動、貧困、紛争など)の深刻化、AIやデジタル技術の進展といった文脈のなかで、新たな福祉教育の実践・研究はどのような理念や構造(システムや目的・内容・方法・対象)を持つものとして再構築あるいは再創造されるべきか、さらなる探究が求められよう。とりわけ、福祉教育の理論と実践と研究における「学際性」と「グローカル性」「変革性」、そして「哲学性」についてである。

新美一志/福祉教育における「当事者性」と「相互主体性」に関する一考察 ―松岡広路、阪野貢、鯨岡峻の言説をめぐって―

はじめに

〇超少子高齢・人口減少・多死社会と評される現代社会は、少子高齢化の進展をはじめ、貧困や社会格差の拡大、SNSトラブルの多発、環境破壊や災害の激甚化、グローバル化の進行、ダイバーシティ(多様性)の推進などによる複雑・多様な社会福祉問題に直面している。このような状況において、個々人がそれらの問題に主体的・自律的に関与し、共生社会を築き上げていくための教育、すなわち「福祉教育」の役割は一層その重要性を増している。この文脈において、「当事者性」と「相互主体性」という2つの概念は、福祉教育の理念と実践を深く規定する核心的な要素として位置づけられる。当事者性は、ある問題に直面する個人の経験や視点を尊重し、その問題への意識的な関与を促すものである。相互主体性は、他者との関係性のなかで自己と社会を認識し、共に課題解決を図る姿勢を育む基盤となる。

〇本稿では、福祉教育におけるこれら2つの概念の重要性を踏まえ、「当事者性」を説く松岡広路、「当事者性」や「他者性」に言及する阪野貢、そして「関係発達論」を提唱する鯨岡峻の3氏の言説を検討する。すなわち、それぞれの概念に対する3氏の独自のアプローチを明らかにし、それを通して福祉教育における当事者性と相互主体性の多角的な理解を深め、今後の実践と研究に資する知見を得ることをめざす。

Ⅰ 福祉教育における「当事者性」の概念と意義

1) 当事者性の概念規定と歴史的背景

〇「当事者」という言葉は、一般的には、ある問題に直面している人々を指すものとして理解される。「当事者性」という言葉は、単に問題に直面しているという事実だけでなく、その問題への関わり方や意識のあり方を質的に表現する概念である。例えば、障がい者の問題について言えば、障害のある人やその家族は第一義的な当事者として認識される。しかし、障害の社会モデルの視点から見れば、障害は個人の特性に起因するものではなく、社会の構造や環境が作り出す問題であるため、社会全体がその問題の当事者であると捉えることができる 。

〇中西正司・上野千鶴子は、その著書『当事者主権』(岩波新書、2003年10月)において、当事者を「ニーズを自覚している人たち」と規定した。この規定は、本人のニーズを専門家などの他者が本人に代わって規定することを許さないという立場から、重要な意味を持つ。しかし、この規定には、社会的な問題を特定の人に固有の問題として囲い込む「当事者/非当事者」という二項対立を生む危険性や、自覚していない当事者の存在を軽視あるいは無視してしまう可能性が指摘されよう。

〇福祉教育における当事者性は、単に問題に直面している事実だけでなく、その問題に対する当事者意識を持ち、課題解決に向けて自覚的に行動していく過程として捉えられる。この認識は、社会的格差と不平等、社会的分断と排除などが拡大・深刻化する現代社会の危機的状況を背景とする。そのような状況下で、社会の矛盾を的確に把握し、変革への道筋をつけることができるのは、先ずは不利益を意識化している人たち、すなわち自分たちの生命や生活が脅かされている人たちである。そして、彼らの主張に耳を傾け、共感し、連帯・協働(共働)することは社会の正義であり責務であるという認識が、当事者性の重要性を一層高めることになる。

2) 松岡広路の当事者性論:相対的尺度としての理解

〇松岡広路は、当事者性を固定的な実体概念としてではなく、より動的かつ関係的な視点から捉える。松岡によれば、当事者性とは「個人や集団の当事者としての特性を示す実体概念というよりも、『当事者』またはその問題的事象と学習者との距離感を示す相対的な尺度」、「『当事者』またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合い」と規定される(松岡広路「福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性・エンパワメント―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』Vol.11、万葉舎、2006年11月)。

〇松岡の研究テーマは、ジェンダー、子育て支援、インクルージョン、地域福祉、共生など多岐にわたり、松岡の当事者性論はこれらの広範な領域における関係性の深化を志向するものである。また、当事者性を相対的な尺度として捉える松岡の視点は、福祉教育において極めて重要な意味を持つ。この視点は、当事者性を固定的な属性としてではなく、学習者の問題、あるいは当事者との関係性の深まりとして認識することを促す。これは、学習者が非当事者から当事者へと一方向的に変化するのではなく、多様なレベルでの関与や理解の深化を許容する柔軟な枠組みを提供する。この相対的な理解は、学習者が自身の問題への関わり方を内省し、他者の経験を多角的に理解する余地を生み出すのである。

〇また、松岡の言説は、従来の当事者/非当事者という二項対立的な思考が持つ硬直性を緩和し、グラデーションのある関わり方を促進する効果が期待される。これにより、学習者が「自分は当事者ではないから」という理由で社会福祉問題から距離を置くことを防ぎ、誰もが何らかの形で問題に関わる可能性を提示する。こうした当事者性の相対的理解は、学習者の心理的・物理的距離感の意識化を促し、多様な関わり方の模索と受容へと繋がる。そして、結果として社会福祉問題への関与・参加の障壁の低減に貢献する。すなわち、インクルーシブな社会を形成するうえで、個々の住民・市民が自身の立ち位置を自覚しつつ、他者の当事者性を尊重し、共に行動するための基盤となる。そして、福祉教育において、学習者が当事者の経験を追体験するだけでなく、自身の生活のなかでの当事者性を発見するきっかけを提供し、エンパワメントへと繋がる可能性を秘めているのである。

3) 阪野貢の当事者性・他者性論:二項対立を超えて

〇阪野貢は、福祉教育における「共感」と「当事者性」、そして「他者性」という3つの概念に留意し、その相互関係を考察する。そのなかで阪野は、福祉教育における情動的な共感の強要に警鐘を鳴らす。すなわち、アメリカのポール・ブルーム(Paul Bloom)の言説から「共感には善玉と悪玉がある」「共感は道徳的指針としては不適切である」ことを指摘し、情動的共感が時に限定的・排他的なものとなり、他者の固有性を無視した一方的な思いやりにつながる危険性があることを強調する(<雑感>(185)阪野貢/「共感」再考:共感のメリットとデメリット ―山竹伸二著『共感の正体』のワンポイントメモ―/2023年8月23日/本文  )。

〇また、阪野は、当事者/非当事者という二項対立的な思考が議論を硬直化させ、思考停止を生む危険性があると批判する 。そのうえで、当事者が抱える問題は当事者だけで引き受けるべき問題ではなく、現代社会の問題であり、社会全体で引き受けるべきものであるとし、「すべての人が当事者」であるという視点の重要性を強調する。そして、例えば学校福祉教育における障がい者などとの訪問・交流活動の場においては、子どもも障がい者も、教師も施設職員も、それぞれの立場として当事者であり当事者性を持つと同時に、互いに異なる視点・視座を持つ他者であるとする。そして、この訪問・交流の場で問われるのは、子どもと障がい者の「知識と経験」、教師と施設職員の「専門性と経験」の「相互補完性」であると強調する。ここでいう「経験」は、「体験」が行為そのものを指すのに対し、それを通して得られた気づきや学び、知識や技能・技術などの総体を指す(<雑感>(223)阪野貢/再掲/福祉教育における「共感」と「当事者性」 ―ワンポイントメモ―/2025年2月10日/本文)。

〇こうして、阪野の、すべての人が当事者であるという主張は、当事者性の概念を個別の問題から社会全体の問題へと拡張するものである。これは、社会福祉問題が一部の「困っている人」の問題ではなく、社会構造全体の問題であるという社会モデルの視点を強く反映している。とともに、他者性の認識を強調することで、画一的な共感の押し付けを避け、異なる視点を持つ他者との対等な関係性のなかで相互理解を深めることの重要性を示唆している。阪野の議論は、当事者性を問題への関与の度合いとして相対化する松岡の視点をさらに発展させ、社会全体を当事者として捉えることによって、福祉教育の対象と責任範囲を広げるものである(「包括的福祉教育」とでも言えようか)。また、情動的共感の限界を指摘し、他者性を尊重する姿勢は、相互主体性の基盤となる「対等な関係性」の構築に不可欠なものである、と言えよう。

〇別言すれば、阪野の言説では、当事者/非当事者という二項対立の批判から、すべての人が当事者であるという認識の深化、そして他者性の尊重と相互補完性の重視へと繋がることで、より包括的で対等な福祉教育実践の実現が期待される。この思想は、福祉教育が単に弱者支援の知識を教えるだけでなく、社会全体の問題として福祉を捉え、多様な人々がそれぞれの立場から社会変革の主体となることを促す、より主体的・自律的で包括的な福祉教育へと進化すべきであるという強いメッセージを含んでいる。阪野が基本的・継続的に追究する「まちづくりと市民福祉教育」のねらいや意義はここにある。また阪野は、特に「対話」や「共働」、「リフレクション」などを通じて知識や技能・技術を習得・共有することの重要性を強調しており、これは相互主体性の実践的側面を明示するものでもある。

〇以上を要するに、松岡と阪野の当事者性論を対比すると、こうである。松岡は学習者の視点から見た当事者との距離感という相対性に焦点を当てる。阪野は社会全体が当事者であるという視点と他者性の重要性を強調する。両者の言説は一見異なるが、共通して当事者/非当事者という固定的な二項対立を乗り越えようとする志向がみられる。松岡は学習者の内的な関係性の深化を、阪野は社会的な関係性における相互補完性を重視しており、これは当事者性理解の多層性を示唆する。そして、このような異なる視点・視座の提示は、概念の多義性を認識させるとともに、福祉教育実践における多様なアプローチの可能性を示唆するものでもある。この対比は、福祉教育が単に、当事者が抱える日常的な生活問題や苦悩などを理解するに留まらず、学習者自身の立ち位置を問い直し、社会全体で問題解決にコミットする当事者意識を育むための多様な道筋があることを示している。また、情動的共感に依存しない、より客観的で相互関係性に基づいた当事者性へのアプローチの必要性を浮き彫りにしている、といえよう。

Ⅱ 福祉教育における「相互主体性」の概念と意義

1) 相互主体性の概念規定と関係性への視点

相互主体性」は、複数の主体(人間)が互いを単なる対象(客体)としてではなく、主体性を持ったそれぞれの存在として認識し、互いに影響し合うなかで形成される関係性や、その関係性のなかでの自己認識のあり方を指す概念である 。福祉教育において相互主体性の議論が重視されるべき根拠は、次のようなところにある。①福祉教育は、障害の有無や背景に関わらず、すべての人が地域社会の一員として尊重され、多様なつながりを再生・創造する共生社会の実現をめざす。②福祉教育は、地域住民が社会福祉問題を「自分ごと」として捉え、その課題解決に主体的・自律的に取り組むことを促す。③福祉教育では、すべての地域住民がその年齢や立場を超えて相互に学び合う関係性が重視され、多様な主体が関わるなかで新たな価値が創出され、地域社会の変革(「まちづくり」)へとつながる実践が意図される、などがそれである。すなわち、福祉教育における相互主体性の追求は、従来の、主体が客体に一方的に働きかける対立的なモデルから脱却し、主体と主体の関係性が重視される、すなわち誰もが主体性を持ち、互いを尊重し、共に学び、共に生きる社会を築いていくための重要なアプローチである。

2) 鯨岡峻の関係発達論と相互主体性:人間理解の深化

〇鯨岡峻は、従来の発達観である個体能力主義に対し、「育てる者―育てられる者」の相互的なやり取りのなかで両者が生涯に亘り変容していく過程として人の育ちを捉える「関係発達論」を提唱する。そこでの重要な概念のひとつが「相互主体性」(intersubjectivity)である。鯨岡にあっては、相互主体性は、多面多肢的な概念であるが、「間主観性」「共同主観性」「相互主体性」の3つの意味がある。「間主観性」(間主観性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」のそれぞれ独立した主観が、互いに異なることを認めつつ、両者の主観(「私」は「あなた」の主観、「あなた」は「私」の主観)が部分的に共有され理解される状態をいう。すなわち、「私」と「あなた」の「共感」の基盤となるものである。「共同主観性」(共同主観性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」がある目標や体験を共有するなかで、あたかもひとつの主体であるかのように振る舞い協働することをいう。すなわち、「私」と「あなた」の共通の目標設定や価値観の共有、さらには集団としての合意形成に繋がるものである。「相互主体性」(相互主体性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」が主体としての存在そのものを深く認め合い、影響し合い、共に変容していく、より能動的で発展的な関係性をいう。すなわち、その過程を通して、「私」と「あなた」が共に新たな主体性を形成し、「私は私」という閉塞的な主体から「私は私たち」という開放的な関係性へと開かれることになる。要するに、間主観性は最も根源的な心の通い合い(共感)を、共同主観性は共通理解と協働の基盤を、そして相互主体性は自己と他者の境界を超えた関係性のなかでの変容と成長を示唆するのである(鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ―間主観性と相互主体性―』ミネルヴァ書房、2006年7月)。

〇鯨岡が相互主体性に与える3つの意味は、単なる共感や理解を超えた、より動的で生成的・共働的な人間関係のあり方を示している。特に、相互主体性が「私は私」から「私は私たち」への変容を促すという点は、福祉教育がめざす共生の深い意味合いを提示する。これは、個人の自立だけでなく、他者との関係性のなかで自己を再構築し、共に生きる力を育むという福祉教育の目標に直接的に貢献するものである。鯨岡の理論は、発達を固定的な能力獲得ではなく、関係性のなかでの絶え間ない変容と捉える。この視点は、福祉教育において、子どもや障がい者などを「未完成な」あるいは「不完全な」存在と見なすのではなく、共に学び、共に成長する「相互理解」と「相互変容」のプロセスとして捉えることを促す。これは、阪野が説く相互補完性に通底するものである。

Ⅲ 松岡・阪野・鯨岡の言説にみる当事者性と相互主体性の統合的考察

1) 各言説の共通点と相違点:概念の多層的理解

〇松岡・阪野・鯨岡の各言説を統合的に考察すると、福祉教育における当事者性と相互主体性に関する多層的な理解が浮かび上がる。

〇共通点としてまず、3氏ともに、当事者/非当事者といった固定的な二項対立的な思考や、一方的な支援関係からの脱却をめざしている点が挙げられる。松岡は当事者性を相対的尺度として捉え、阪野はすべての人が当事者であるという視点と他者性の尊重を強調し、鯨岡は「私は私」という閉塞的な主体観から「私は私たち」への主体変容を説くことで、いずれも従来の枠組みを超えようとしている。次に、福祉教育に関連づけて言えば、個人の内面だけでなく、他者との関係性のなかで主体性や人間理解が深まることを重視している点も共通する。松岡の「距離感の深まり」、阪野の「相互補完性」、鯨岡の「関係発達論」は、いずれも関係性が教育的営みの核心にあることを示唆する。さらに、3氏の議論は、単なる概念論に留まらず、実際の福祉教育やフィールドワーク実践からの示唆や、実践への応用可能性を意識している点も共通している、といえよう。

〇相違点としては、当事者性の捉え方に違いが見られる。松岡が学習者と当事者との心理的・物理的距離感に焦点を当てるのに対し、阪野は社会全体が当事者であるという視点から、より広範な社会的責任と他者性の認識を強調する。鯨岡は関係発達論という発達心理学的な視点から、人間関係における深い心の交流と相互変容のプロセスを多層的に分析する。一方、阪野は、福祉教育実践論のなかで、対話や共働を通じた相互補完性やエンパワメントの実現を相互主体性の実践的側面として位置づける。松岡の言説は、共生やインクルージョンについての論究から、相互主体的な関係性の構築を前提としていると解釈される。

〇3氏の議論を重ね合わせると、当事者性は個人の内面的な意識や関与の度合いを指し、それが相互主体性という他者との関係性のなかで深化し、変容していく動的なプロセスとして捉えられる。つまり、当事者意識が芽生えることで他者との関わりが始まり、その相互作用を通じてより深い相互主体的な関係が築かれ、それがさらに個人の当事者性を再構築するという循環的な関係が見出される。松岡の相対的な当事者性、阪野のすべての人が当事者であるという視点と他者性、そして鯨岡の「私は私たち」への変容は、それぞれ異なる角度からこの動態的な関係性を捉えるものである。松岡は「入り口」としての当事者性の相対的な深まりを、阪野は「広がり」としての社会全体への当事者性の拡張と他者との対等な関係性を、鯨岡は「深化」としての相互変容のプロセスを描いている、と言えようか。

〇以上のように、松岡の当事者性の意識化から、阪野の他者性(他者との関係性における自己と他者の認識)、そして鯨岡の相互主体性(相互作用を通じた主体変容)へと繋がることで、より包括的な当事者意識の醸成と共生社会の実現が期待される。それはすなわち、「当事者性」と「他者性」と「相互主体性」の各概念は、それぞれが独立して存在するのではなく、互いに影響し合い、補完し合う関係にあるといえる。そして、こうした統合的な理解は、現代の社会福祉問題が複雑化・多様化さらには多層化するなかで、福祉教育は個人の単なる意識変革に留まるものではない。個人の内面的な変容(当事者性の深化)と他者との関係性における質的向上(相互主体性の構築)、そして社会構造への働きかけ(社会変革の促進)を同時にめざすべきである、という複合的な目標を明確にするものである。従ってそれは、単一ではなく、多角的な理論的・実践的アプローチが求められることになる。

2) 福祉教育実践への示唆と今後の研究課題

〇松岡・阪野・鯨岡の各言説を統合的に考察することで、福祉教育の実践と今後の研究における重要な方向性が導き出される。

〇まず、福祉教育実践への示唆として、当事者性の多層的理解の促進が挙げられる。学習者が自身の生活のなかで当事者性を発見し、他者の当事者性を相対的に理解する機会を提供することが重要となる。単なる社会的弱者としての当事者理解に留まらず、すべての人が当事者であるという視点から、社会全体の問題として社会福祉問題を捉える教育が必要とされる。

〇次に、情動的共感から理性的な他者理解への移行が求められる。安易な情動的共感を強要するのではなく、他者の他者性を尊重し、異なる視点や経験を理性的に理解し、相互補完性を図る教育実践が重要となる(ここで、イギリスのアルフレッド・マーシャル(Alfread Marshaii)が提唱した「冷たい頭と熱い心」(cool head and warm heart )という言葉を思い起こしたい)。さらに、鯨岡が提唱する相互主体性の概念に基づき、相互変容を促す関係性の構築を重視した教育プログラムの開発が不可欠となる。子どもや教師、障がい者や高齢者、保護者や地域住民などが「育てる者―育てられる者」として相互に変容し、共に成長する関係性を重視する視点を取り入れることで、より深遠な学びが期待される 。

〇さらに、阪野が強調する対話、共働、リフレクションなどを教育プロセスに積極的に取り入れ、それを通じた主体形成を促進することが重要となる。当事者や多様なステークホルダーが共に知識や技能・技術を獲得・共有し、それを利活用する場を創出することは、地域福祉における住民主体とその育成の推進にも繋がる 。

〇これらの点は、現代の福祉教育が単に知識の伝達や技能・技術の取得に留まらず、学習者の内面的な変容、他者との関係性の質的向上、そして社会全体のシステム変革を同時にめざすという、より包括的な役割を担っていることを示している。松岡・阪野・鯨岡の言説は、この複雑な役割を果たすための多面的な視点を提供している、といえよう。

〇今後の研究課題としてはまず、当事者性と相互主体性の動態的関係性の実証的研究が挙げられる。松岡・阪野・鯨岡の言説が示唆する当事者性と相互主体性の循環的・動態的関係性を、実際の福祉教育実践においてどのように測定し、実証していくかという課題である。特に、例えば外国籍の子どもや地域住民との多文化共生や、多様なニーズを持つ子どもたちとの交流活動における当事者性と相互主体性の関係を深掘りする研究が期待される。

〇次に、阪野が規定する「経験」(体験を通して得られた気づきや学び)の質をどのように評価し、それが当事者性や相互主体性の深化にどのように寄与するのかを、人々が語る物語(ナラティブ)の分析や質的調査などを通じて明らかにする必要がある 。

〇さらに、AIやオンラインコミュニケーションが普及するなかで、当事者性や相互主体性の概念がどのように変化し得るのか、新たなテクノロジーが福祉教育における関係性構築に与える影響等についての考察も必要となる。

〇またさらに、これはすでに自明のことであるが、地域福祉やまちづくりにおける住民主体を掲げながらも、地域住民の多くが無関心であったり、差別や偏見を抱く現実に対して、当事者性と相互主体性の視点からどのようにアプローチし、より多くの人々を福祉教育(阪野が言う「まちづくりと市民福祉教育」)に巻き込むことができるのか、実践的な研究が求められる。

〇以上の諸点は、福祉教育実践・研究を 単なる机上の空論ではなく、複雑化・多様化さらには多層化する現代社会において、福祉課題の解決に貢献し、未来の福祉教育の方向性を指し示すものとなろう。特に、情動的共感に依存しない理性的な他者理解、相互変容を促す関係性の構築、そして対話と共働を通じた主体形成を重視した福祉教育実践を展開していく必要がある。そして、「当事者性」と「相互主体性」という概念は、個人のエンパワメントから社会全体の共生文化の醸成に至るまで、幅広い実践領域において不可欠な要素である。この点を改めて強調しておきたい。

阪野 貢/フレイレの「教育論」再読:社会変革(まちづくり)のための「対話」再考のために ―パウロ・フレイレ著『被抑圧者の教育学』等のワンポイントメモ―

夢がなければ、変化はありえない。希望なしには夢がありえないように。/たたかいは希望を生み出す母体だが、希望が消えるときに闘いは息絶えるのだ。/いまある状態が、すべてではない。ものごとを変える、変えることができる、という意志と希望を失ったそのときに、教育は、被教育者にたいする非人間化の、抑圧と馴化(じゅんか。環境に適応していくこと)の行為の手段になっていく。(下記[2]127~128、253ページ、帯)

〇筆者(阪野)の手もとに、批判的教育学の先駆者として知られるブラジルの教育学者・哲学者パウロ・フレイレ(Paulo Freire、1921年~1997年)の本が2冊ある(それしかない)。『被抑圧者の教育学』(1968年。新訳版、三砂ちづる訳、亜紀書房、2011年1月。以下[1])と、『希望の教育学』(1992年。里見実訳、太郎次郎社エディタス、2001年11月。以下[2])がそれである。もう一冊、フレイレ研究の第一人者と評される里見実の『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』(太郎次郎社エディタス、2010年4月。以下[3])がある。
〇[1]の中心テーマは、ヒューマニゼーション、すなわち「人間化」についてである。フレイレにあっては、人間は「より全き人間であろうとすること」([1]22ページ)をめざす、未完の存在である。その人間は、非人間的な状況(抑圧状況)に置かれ、「自由への恐怖」を覚えている。人間化は、そうした抑圧の現状を直視し、その状況を批判的に再認識して、社会を変革するよう行動する主体になっていくことをいう。自由への恐怖は、抑圧者においては抑圧する自由を失う恐れであり、被抑圧者においては自由を引き受ける=責任を引き受けることへの恐れである。「抑圧者の暴力は、抑圧者自身をも非人間化していく」([1]22ページ)のであり、抑圧者も被抑圧者も非人間的な状況に置かれているのである。そこにおいて、抑圧からの解放を可能にするのは、抑圧者ではなく、非抑圧者である。非抑圧者は、客観的な現実を主観的に認識すること〔A〕によって自分の状況を捉えなおし、批判的思考態度を醸成する。そして、そのプロセス(「意識化」)を通して主体的に社会の変革を図ろうとする行動を取る(「人間化」)、そういう存在である。その際、抑圧からの解放を可能にするためには常に、「自由」を探究・希求する姿勢〔B〕が必要不可欠となる。その際の本当の自由は、自律的に生き、責任を引き受けるところにあり、それは抑圧-被抑圧の関係を乗り越える、双方による「対話」によって可能となる。フレイレはいう。

〔A〕
主観性と客観性が弁証法的に合一し、認識は行為と、逆に行為は認識と連動する。このような弁証法的な合一性が、現状の変革という現実への行為と思考を生み出すのである。([1]13~14ページ)

〔B〕
自由とは、成し遂げて手に入れるものであり、与えられるものではなく、常に探求する姿勢によって得られるものだ。常に探求する姿勢は、責任ある行動を要求する。自由であるための自由、はだれにもない。自由がないから自由のために闘う必要がある。自由はまた、人間にとって届くところにないような理想目標というわけではない。神話をつくり上げるようなものでもない。常に自由を探求していく姿勢というものが、常によりよき存在であろうとする人間にとって欠くべからざることである。([1]29~30ページ)

自由への恐れがあるかぎり、他の人と連帯はできないし、他の人の呼びかけも、自分への呼びかけも聞こえてこないし、本当の意味での共生、共に生きる、ということを目ざすこともできない。ただ群れて集まることを好むだけだ。自由を希求する過程でもたらされる豊かな創造的な人間同士の交わりよりも、自由でない状況に適応することを好むようになる。([1]31ページ)

自由とはだから、出産のようなものだといえよう。痛みをともなう出産である。この出産によって新しい人間が産み出される。抑圧する者とされる者の間の矛盾を乗り越え、そのどちらの側にも自由をもたらして、生き生きと生きるような新しい人間。/矛盾を乗り越えることとは、もはや抑圧する者でも抑圧される者でもない、本来の意味で自由な新しい人間を世界に送り出す、という出産と同じ行為なのだ。([1]32ページ)

〇ところで、“パウロ・フレイレ”の『被抑圧者の教育学』というと先ず、「銀行型教育」と「問題解決型教育」という言葉・概念を思い浮かべる。
〇「銀行型教育」(「預金型教育」[3]108ページ)とは、教師が預金者で生徒が預金箱(銀行口座)であるかのように、教師が生徒に対して一方的に知識や情報を「伝達」し、生徒はそれをただ受動的に受け取るだけという教育形態をいう。フレイレはいう。

「銀行型教育」の発想では、人間は適応しやすく御しやすいものである、と認識されてしまうことはまったく驚くにあたらない。知識を詰め込めば詰め込むだけ、生徒は自分自身が主体となって世界にかかわり、変革していくという批判的な意識をもつことができなくなっていく。/受動的な態度をより従順な形で求められれば求められるほど、世界は変革すべきものではなく、与えられている現実のかけらが世界であり、そこに適応するしかない、と感じるようになる。([1]83ページ)

〇「問題解決型教育」(「問題化型教育」[3]135ページ)とは、教師と生徒が対等な「対話」を通して互いに学び合い、生徒が主体的に現実の状況を問題化し、批判的に思考し、問題の解決策を探求し、社会変革への参加を促すという教育形態をいう。フレイレはいう。

対話なくして問題解決型学習はない。/対話を通して矛盾を超えていくところには、結果として新しい関係性が生まれる。(中略)教育する側とされる側は対等な関係として立ち現れてくる。([1]102ページ)/問題解決型教育を目ざす教師は、生徒の認識活動に応じて、常に自らの認識活動をやり直していく。生徒は単なる従順な知識の容れ物ではなく、教師との対話を通じて、批判的な視座をもつ探求者となる。そしてその教師もまた同様に批判的な視座をもつ探求者となっていく。([1]103~104ページ)/問題解決型教育は固定した反動主義(体制維持:阪野)ではなく、革命的な未来を目ざしている。([1]111ページ)

〇フレイレは、晩年の主著である『希望の教育学』のなかで、下記のようにいう。すなわち、「私が考えるだけでは、考えたことにならない」のであり、同じ土俵に乗って、民主主義的な立場で相手と「対話」することによって、はじめて考えることができるのである([3]30ページ)。

「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えているとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」/これは対話的な性格をふくんだ定言であり、したがって、権威主義者にはなじまない。だからこそ権威主義者たちは対話を、生徒の教師の思想の交流を、頑強に忌避するのである。/教師と生徒の対話は、両者を同等の立場に立たせるものではないが、しかしそれは、両者の立場を民主主義的なものにする。(中略)対話は対話に参加する諸主体の相互の尊敬、権威主義が引き裂き、妨げてきた互いに尊重しあう関係の樹立を意味しているのである。([2]163~164ページ)

〇フレイレは、[1]のなかで、「教育の対話性」について言及する。具体的には、対話に必要な5つの条件を示す。「愛」「謙虚さ」「人間への信頼」「希望」「批判的思考」がそれである。それぞれの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

世界と人間に対して深い愛情のないところに対話はない。世界を引き受けることは創造と再創造の営みであり、愛のないところでそういうことはできない。/愛は対話の基礎であり、同時に対話そのものでもある。お互いの主体的な関係のうちに立ち上がるものであり、支配したりされたりする関係のうちに生まれるものではない。([1]122ページ)

謙虚さのないところにも対話はない。人間というものが続いていくこの世界を“引き受ける”ためには傲慢であってはならない。/対話は人と人がお互いに出会い、お互いの知恵を共有するような行為だから、どちらか一方が謙虚さをもたなければ、対話として成り立たない。([1]124ページ)

人間という存在に深い信頼がなければ、対話は成立しない。人間はなにかをすることができ、また再び何らかの行為に向かうものである、ということへの信頼。創造し、再創造する力への信頼。人間はよりよきもの、全きものを目ざすものである、ということへの信頼であり、また人間のそのような力は一部のエリートだけの特権としてあるのではなく、すべての人の権利としてあるのだ、ということへの信頼、のことである。/人間への信頼は対話の“先駆的”与件とでもいおうか。対話の前にすでにそこにあるべきものだ。([1]125~126ページ)

愛、謙虚さ、人間への信頼、これらがあってはじめて対話は水平的なものとなり、お互いの関係が本来の意味での深い、“信頼”に満ちたものになることは当然である。(中略)だからこそ、「銀行型」の教育に深い信頼関係が生まれることがないのである。([1]127ページ)

希望のないところには対話もない。人間は不完全なものであり、だからこそ希望が人間の本質であり、だからこそ探求を止めない。/対話というものは、“よりよき存在”に近づきたいとする人間同士の出会いなのであるから、絶望のうちに行なわれるものではありえない。話す人が自分のやっていることに何の希望ももっていないのならば、対話することは無理である。出会いは空虚で実りのないものとなってしまう。([1]128~129ページ)

本来の意味での思考がないところには、どこまでいっても本来の対話はない。批判的に思考すること。それは、世界と人間を対立するものとしてとらえる発想を認めず、世界と人間のわかちがたい共生について考えていくことだと思う。/具体的にいうと、それは、現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえるのではなく、プロセスととらえ、常に生成されていくものとしてとらえるということでもある。([1]129ページ)

〇フレイレがいう「問題解決型教育」は、子どもや教師、保護者や地域住民が暮らす地域に顕在化する課題やテーマに向き合うことから始まる。そして、生徒と教師は、対等な立場で相互的に、その課題やテーマについて対話し、理解を深め、批判的思考力を養い、社会変革に参加する。その際の地域の課題やテーマは、国レベルのそれであり、グローバルな世界レベルのそれでもある。そういった「グローカル」な認識(地球規模の視野で考え、草の根の地域視点で行動すること)が重要となる。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

リージョナル(地域的)なものはローカル(地方的)なもののなかから立ち現れ、ナショナル(全国的な)なものはリージョナルなものから、コンティネンタル(大陸的な)なものはナショナルなものから、そして全世界的なものは、それぞれのコンティネンタルなものをとおして立ち現れる。/ローカルなものにへばりついて全体的な展望を見失うことが誤りであるのと同様に、自分の足場を顧みずに、ただ全体ばかりを鳥瞰(ちょうかん)しているのも誤りだ。([2]122ページ)

〇また、「いま」の日本の学校教育は、国家主義、中央集権主義が強化され、教師も生徒も物言わぬ立場に置かれている(フレイレ「沈黙の文化」)。教師は政治的中立性が要求され、主体的・批判的な授業の展開ができないでいる。保護者や地域住民の学校参加(コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)など)も、言われるほどには進んでいない。外国籍住民の子どもたちもその多くは差別・抑圧されている。これらはまさに政治的課題である。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

中立的な教育実践などというものは、かつて存在したことはなかったし、いまも存在しない‥‥‥([2]105ページ)/教育者は政治的であるからこそ、中立たりえないからこそ、倫理性を要求されるのだ。([2]108ページ)/教育はほんらい、指示的で政治的な行為であらざるをえず、ぼくは自分の夢や希望を生徒たちのまえに包み隠さずに示すべきであり、だからこそかえって、生徒たちの考えや立場を尊重することが、ぼくにつよく求められるのだ。ぼくが倫理的たらんとするのは、その認識があるからだ。自分のテーゼ、立場、選好を、真剣に、厳しく、かつ情熱をもって主張すること、しかし同時に、反対意見をいう権利を尊重し、それを支援すること、――それは、発言する権利と、自分の考えや理想のために「争う」義務を教える、またそのなかで相互に尊重しあう精神を教える最良の方法であるはずだ。([2]109ページ)/教育の政治性や指示性を否定することはできない。それがいけないなら、どんな課題の遂行も不可能だ‥‥‥([2]110ページ)

〇筆者(阪野)はかつて下記のように書いた(<雑感>(210)「教育の公共性」を考える:「まちづくりと市民福祉教育」は政治の課題である―宮寺晃夫著『教育の正議論』再読メモ―/2024年7月8日/本文)。改めて思い起こしたい。“まちづくりは人づくり 人づくりは教育づくり 教育づくりは政治づくり”である。

「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、政治的領域に位置づけて論じることに必ずしも積極的であったとはいえない。まちづくりは、公共性をはじめ地域性や多様性、自律性や共働性などが厳しく問われる活動であり運動である。教育や学校は、国家による巨大な政治システムであり、そのもとでの教育行政の重層構造に組み込まれている。そうであるがゆえに、「まちづくりと市民福祉教育」には、多くの市民一人ひとりに、また地域の多様な主体に改善や改革についての確かな決意や覚悟、そして行動が求められる。/そして、「いま」の政治へのアプローチなくして、「いま」の、また「新しい」「まちづくりと市民福祉教育」の推進を図ることは難しい。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」は政治的な課題であり、政治的設定を必要とする。

阪野 貢/デューイの「教育論」再読:「経験」(生きること・学ぶこと・考えること)再考のために ―ジョン・デューイ著『学校と社会』等のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、アメリカを代表する哲学者・教育学者ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~ 1952年)の本が4冊ある(しかない)。

(1)The School and Society,1899. 宮原誠一訳『学校と社会』岩波文庫、第62刷、2004年10月(以下[1])
(2)Democracy and Education,1916. 松野安男訳『民主主義と教育(上)(下)』岩波文庫、(上)1975年6月、(下)同年7月(以下[2])
(3)Experience and Education,1938. 市村尚久訳『経験と教育』講談社学術文庫、2004年10月(以下[3])
(4)The School and Society,1899.The Child and the Curriculum,1902. 市村尚久訳『学校と社会・子どもとカリキュラム』講談社学術文庫、1998年12月(以下[4])

〇デューイは、生活と分断された統制的で受動的な「旧教育(伝統的教育)」を、生活と経験に基づく自由で能動的な「新教育(進歩主義的教育)」に転換・変革することを主張する。その際、「生活」とは、「環境への働きかけを通して、自己を更新して行く過程」([2](上)12ページ)をいい、個体が環境に積極的に働きかけることを「経験」という。「環境」とは、その人の活動を促進したり阻害したりする外界の事物や事情、条件の総和をいい、自然的環境・社会的環境・文化的環境として現象する([2](上)26~27ページ)。そして、デューイにあっては、「教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである」([2](上)127ページ)。そこでは、教育的に価値のある経験は、過去・現在・未来の経験をつなぎ、未来の経験をさらに豊かに拓くものであり(「連続性」)、そのためにも個人と個人を取り巻く環境との「相互作用」が重視されることになる。そして、「学校は子どもが実際に生活をする場所であり、子どもがそれをたのしみとし、またそれ自体のための意義をみいだすような生活体験をあたえる場所であることが最も望ましい」([1]66ページ。[4]120ページ)とされる。その学校では、子どもが中心となって、「為すことによって学ぶ」すなわち体験を反省的に思考することによって学びを深めることが重視され、「生活教育」や「経験学習」を通して子どもたちの成長・発達が促される。すなわち、「子どもにとっては、生活することが第一であって、学習は生活することをとおしてこそ、また、生活することとの関連においてこそおこなわれる」([4]98ページ。[1]47ページ)。また、「生活は発達であり、発達すること、成長することが、生活なのである」([2](上)87ページ)。なお、教育における重要な「自由」は、制限から解放される自由ではなく、知性に基づく自律的・自制的なそれ(「知性の自由」)である([3]97、102、104ページ)。そして、「生徒が知性を実地にはたらかせることができるよう、教師によって与えられる指導は、生徒の自由を制限するものではなく、むしろ自由を助長するものである」([3]113ページ)。これが、デューイが説く教育論の要点のひとつである。
〇周知の通り、デューイの代表的な著作のひとつである『学校と社会』([1][4])は、シカゴ大学付属小学校(「実験学校」)で取り組まれた進歩主義的な教育実践をもとに書かれたものである。その言説のうちから、基本的なもののいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

学校には、子どもが太陽となる「子ども中心主義の教育」へのコペルニクス的転回と言える変革や改革が求められる
私は旧教育の類型的な諸点、すなわち、旧教育は子どもたちの態度を受動的にすること、子どもたちを機械的に集団化すること、カリキュラムと教育方法が画一的であることをあきらかにするために、いくぶん誇張して述べてきたかもしれない。旧教育は、これを要約すれば、重力の中心が子どもたち以外にあるという一言につきる。重力の中心が、教師・教科書、その他どこであろうとよいが、とにかく子ども自身の直接の本能と活動以外のところにある。それでゆくなら、子どもの生活はあまり問題にはならない。子どもの学習については多くのことが語られるかもしれない。しかし、学校はそこで子どもが生活する場所ではない。いまやわれわれの教育に到来しつつある変革は、重力の中心の移動である。それはコペルニクスによって天体の中心が地球から太陽に移されたときと同様の変革であり革命である。このたびは子どもが太陽となり、その周囲を教育の諸々のいとなみが回転する。子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々のいとなみが組織される。([1]44~45ページ。[4]95~96ページ)

学校は、家庭と社会のあいだに位置する「小型の社会」であり、子どもたちはそのコミュニティで生き、学ぶのである
こんにちの学校の悲劇的な弱点は、社会的精神の諸条件がとりわけ欠けている環境のなかで、社会的秩序の未来の成員を準備することにつとめていることである。([1]25ページ。[4]73ページ)/学校はこれまで生活の日常の諸条件および諸動機からはなはだしく切離され、孤立させられていて、子どもたちが訓練を受けるために差し向けられる当(とう)のこの場所が、およそこの世で、経験を――その名に値いするあらゆる訓練の母である経験を得ることが最も困難な場所となっている。([1]28ページ。[4]76ページ)/学校はいまや、たんに将来いとなまれるべき或る種の生活にたいして抽象的な、迂遠な関係をもつ学科を学ぶ場所であるのではなしに、生活とむすびつき、そこで子どもが生活を指導されることによって学ぶところの子どもの住みかとなる機会をもつ。学校は小型の社会、胎芽的な社会となることになる。これが根本的なことであって、このことから継続的で、秩序ある教育の流れが生ずる。([1]29ページ。[4]77ページ)

子どもの生活と教育を有機的に結びつけ、子どもの生活に基づいて分断されている「カリキュラムの統一」を図ることが必要である
たとえば、算術の或る部分は訓練に、他の部分は実用に役立つものであり、文学は教養に、文法は訓練に、また地理は一部分は実用に、他の部分は教養に役立つものと考えられている。ここでは教育の統一などということはかげもなく、諸々の学科は勝手な方向をむいてばらばらである。([1]79ページ。[4]133ページ)/われわれはすべての側面がむすびあわされている世界に生活している。一切の学科はこの共通の一大世帯のなかにおける諸々の関係から生ずるものである。子どもがこの共通の世界にたいする多様な、しかし具体的で能動的な関連のなかで生活するならば、かれの学習する学科は自然に統合されるであろう。そうなれば諸学科の相関というようなことは、もはや問題ではなくなるであろう。教師は、歴史の課業にわずかばかりの算術をおりこむために、あれこれと工夫をめぐらすといったような必要もなくなるであろう。学校を生活と関連せしめよ。しからばすべての学科は必然的に相関的なものとなるであろう。([1]95ページ。[4]152~153ページ)/さらにまた、もし全体としての学校が全体としての生活と関連せしめられるならば、学校の種々の目的や理想――教養・訓練・知識・実用――は、もはやこの一つの目的ないし理想にたいしてはこの一つの学科を選び、他の一つの目的ないし理想にたいしては他の一つの学科を選ばねばならぬというような個々ばらばらなものではなくなるであろう。社会的能力および社会的奉仕という方向における子どもの成長、子どもが生活といよいよ広範囲に、いよいよいきいきとむすびついて行くことが、すべてを結合する統一的な目的となり、訓練や教養や知識は子どものこの成長の種々なる側面としての地位に下るのである。([1]95~96ページ。[4]153ページ)

子どもは「反省的注意」、すなわち判断・推理・熟慮を通して問題を形成し、探求し、解決することができるようになる
中間的な段階においては(八歳から、まず十一歳ないし十二歳にいたる子どもにおいては)、子どもは到達しようと欲する或る目的にもとづいて一連の中間的活動をみちびきはするが、その目的は、おこなわれるか作られるかするところの或るもの、すなわち到達さるべき或る具体的な結果である。つまり問題は知的な疑問というよりはむしろ実際的な困難である。しかし、力の成長につれて、子どもは見出さるべき、発見さるべき或ることがらを目的と考えることができるようになり、探求と解決の助けとなるように自己の行動とイメージを統制することができるようになる。これがほんらいの反省的注意である。([1]154ページ。[4]221~222ページ)/真の、反省的な注意は、つねに判断・推理・熟慮をふくんでいる。([1]156ページ。[4]225ページ)

子どもは自らが問題を形成し、探求し、その問題を解決する「問題解決学習」によって、さまざまな問題を考察する習慣を獲得することができる
(子どもがはらう)注意はつねに「学習」用のもの、いいかえれば、他人が尋ねるであろうところの問題にたいする、すでに出来上っている解答を記憶することのためのものである。いっぽう、真の、反省的な注意は、つねに判断・推理・熟慮をふくんでいる。すなわちそれは子どもが自分自身の問題をもっており、その問題を解決するための関係材料を探求し選択することに能動的に従事し、その材料の意義と関係を――すなわちその問題が要求するような解決の道を考察することを意味する。問題は自分自身のものなのである。であるからして注意への動因・刺激もまた自分自身のものである。それゆえにまた、得られた訓練も自分自身のものである。――それは真の訓練、すなわち統制力の獲得であり、またいいかえれば問題を考察する習慣の獲得である。([1]156~157ページ。[4]224~225ページ)

〇以上に加えて、『経験と教育』([3])から、デューイ教育論の鍵概念である「経験」の「質」と「基準」についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

教育において重要なのは経験の「質」であり、その質には「快適-不快」という側面と「ある経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすのか」という2つの側面がある
(進歩主義教育において)経験の重要性を強調しただけでは十分ではないし、また経験の活動性を強調したとしても、それだけでは十分ではない。何よりも重要なことは、もたれる経験の「質」にかかっているのである。いかなる経験の質も,二つの側面をもっている。 すなわち、それが快適なものか不快なものであるかといった直接的な側面と,経験がその後の経験にどのように影響を及ぼすかという側面である。第一の側面は明白なことであり,そのことは容易に判断されうる。だが,経験の「効果」は,その表面には現われ出ない。このことが教育者に問題を提示することになる。経験が生徒に不快感を与えず,むしろ生徒の活動を鼓舞するものであるとしても,その経験が未来により望ましい経験をもたらすことができるよう促すためには,直接的な快適さをはるかに越えた種類の経験が求められることになる。このような質的経験を整えることこそ,教育者に課せられた仕事なのである。(中略)経験に根ざした教育の中心的課題は、継続して起こる経験のなかで、実り豊かに創造的に生きるような種類の現在の経験を選択することにかかっているのである。([3]33~35ページ)

教育的に価値のある経験は、過去・現在・未来の経験をつなぐ「連続性」と、環境との相互作用によって豊かになる「相互作用」の2つの原理(条件)に基づく
われわれは今や,過去の業績と現在の問題との間にある経験の内部に実際に存在する関連性を発見するという問題にゆきつくのである。われわれは過去を知ることが、どのようにして未来を効果的に取り扱う点で、有力な道具に転換されうるのか、それについて確かめなければならない。([3]27~28ページ)/この観点から,経験の連続性の原理というものは,以前の過ぎ去った経験からなんらかのものを受け取り,その後にやってくる経験の質をなんらかの仕方で修正するという両方の経験すべてを意味するのである。([3]47ページ)/(また)経験は、単に個人の内面だけで進行するものではない。([3]55ページ)/経験を引き起こす源は、個人の外にある。経験はこれらの源泉によって、絶えず養い育てられている。([3]56ページ)/経験は、常に、個人とそのときの個人の環境を構成するものとの間に生じる取引的な業務であるがゆえに存在するのである。しかもその個人の環境は、ある話題や出来事についての話し相手から構成されている。([3]64ページ)/(そしてこの)連続性と相互作用という二つの原理は,相互に分離しているものではない。それらは離れていても,結びつくものである。それらはいわば,経験の縦の側面と横の側面である。([3]64~65ページ)/(そして、ここでの)教育者の基本的な責任は、年少者たちが周囲の条件によって、彼らの現実の経験が形成されるという一般的な原理を知るだけではなく、さらにどのような環境が成長を導くような経験をするうえで役立つかについて、具体的に認識することである。何よりも先ず、教育者は、価値ある経験の形成に寄与するにちがいないすべてのものが引き出せるようにと存在している環境――自然的,社会的な――をどのように利用すべきであるか,そのことを知らなければならない。([3]56~57ページ)

〇いまひとつ、『民主主義と教育』([2])から、いささか恣意的ではあるが、「民主主義と社会と教育」に関する次の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

民主的な社会集団には、①その成員の多様な関心(「多様性」)と②他の集団との「自由な相互作用」が不可欠である。それによって “ 社会的習慣 ” が変化する
集団によって与えられる教育はどれもみなその集団の成員を社会化する傾向をもつが、その社会化の質および価値は、その集団の習慣と目標によって決まるのである。([2](上)135ページ)/それゆえに、ここで再び、任意の既存の社会生活の様式の価値を測る尺度が必要になる。(中略)どんな社会集団にもたとえ泥棒の一味であっても、皆が共通に抱いている何らかの関心が見出されるし、また他の集団との相互作用や協力的交渉もいくらかは見出されるものである。この二つの特徴から、われわれが求めている基準が引き出される。すなわち、意識的に共有している関心が、どれほど多く、また多様であるか、そして、他の種類の集団との相互作用が、どれほど充実し、自由であるか、ということである。([2](上)135~136ページ)/われわれの判断基準の二つの要素はともに民主主義を指向している。第一のものは、共有された共同の関心が、より多くの、より多様な事柄に向かうことを意味しているだけでなく、相互の関心を社会統制の一要因として確認することにより深い信頼をおくことをも意味している。第二のものは、(中略)社会集団が互いにより自由に相互作用することを意味しているだけでなく、社会的習慣に変化が起こること――すなわち、さまざまの相互交渉によって産み出される新たな状況に対処することによって絶えずそれを再適応させること――をも意味しているのである。そして、これら二つの特徴こそ、まさに、民主的に構成された社会を特色づけるものなのである。([2](上)141ページ)

民主主義は、共同的な生き方・共同経験の一様式であり、人々の内面から育まれるものであるがゆえに計画的で組織的な教育を必要とする。それによって人々や集団が変わる
いろいろな関心が相互に浸透しあっており、進歩すなわち再適応が考慮すべき重要問題になるような、そういう種類の社会生活を実現するために、民主的共同社会は、他の共同社会よりも、計画的で組織的な教育にいっそう深い関心を向けるようになる。(中略)民主主義が教育に熱意を示すことはよく知られた事実である。(中略)民主的社会は、外的権威に基づく原理を否認するのだから、それに代るものを自発的な性向や関心の中に見出さなければならない。それは教育によってのみつくり出すことができるのである。しかし、さらに深い説明がある。民主主義は単なる政治形態でなく、それ以上のものである。つまり、それは、まず第一に、共同生活の一様式、連帯的な共同経験の一様式なのである。人々がある一つの関心を共有すれば、各人は自分自身の行動を他の人々の行動に関係づけて考えなければならないし、また自分自身の行動に目標や方向を与えるために他人の行動を熟考しなければならないようになるのだが、そのように一つの関心を共有する人々の数がますます広い範囲に拡大して行くということは、人々が自分たちの活動の完全な意味を認識するのを妨げていた階級的、民族的・ 国土的障壁を打ち壊すことと同じことなのである。このように接触点がますます多くなり、ますます多様になるということは、人が反応しなければならない刺激がますます多様になるということを意味する。その結果、その人の行動の変化が助長されることになるのである。排他性のために多くの関心を締め出している集団では行動への誘因は偏らざるをえないのであるが、そのように行動への誘因が偏っている限り抑圧されたままでいる諸能力が、多数の多様な接触点によって解放されるようになるのである。([2](上)141~142ページ)

〇最後に、教師の責務(役割)について一言する。デューイにあっては、教師の役割は、単に過去からの知識や技能を子どもたちに伝達することではない。教師には、子どもたちの主体的で自由な学習活動(学習経験)をより広く豊かなものにするために、子どもたちの能力や要求、興味・関心や発達段階などを理解し、適切な教材や教育内容を提供するにふさわしい環境・条件を整え、指導することが求められる。また、教師は、社会とのつながりを意識した教育活動を計画し、子どもが社会的な知識や技能を習得できるよう支援する。それを通して教師は、また子どもも、協働的・一体的に社会の変革・改革に参加し、民主主義的な新しい社会の形成を図るのである。デューイは例えば、(上記の下線部とともに)次のようにもいう。

教育者は自分が扱っている個々の生徒たちに共通する独得な能力や要求について調査しなければならない。それと同時に、これら特殊な生徒の能力を発展させ、それらの要求を満足させるような経験から出てくる教材や教育内容を提供するにふさわしい条件を整えなければならない。しかも教育計画は、経験する個人の自由が、個別的に展開されるにふさわしい十分柔軟なものであるのと同時に、他面において、個人の能力が持続的に発展する方向をしっかりと示すにふさわしいものでなければならない。([3]92ページ)

教師は、学校において、子どもに特定の考えを強要したり、特定の習慣を形成したりするのではなく、共同体のメンバーとしての子どもに影響を与えるであろうもろもろの影響を選びだし、そうした影響に子どもが適切に対応することを支援することにある。(ジョン・デューイ、中村清二・松下丈宏訳「私の教育学的信条」『デューイ著作集6 教育1 学校と社会,ほか』東京大学出版会、2019年3月、86ページ)

教師が参画しているのは、たんに個々人の訓練だけではなく、適切な社会生活の形成でもある。/教師は、適切な社会的秩序を維持し、正しい社会的成長を確保するために取りおかれている、社会的奉仕者である。(同上、94ページ)

〇なお、[1]の訳者である宮原は、その「解説」で、デューイの教育論と教師の責務をめぐって次のように説く。付記しておく。

(進歩主義教育において)教師は社会の改造に参加する教育のプログラムをもたなければならぬ。しかし、そのことはなにか特定の社会改造案を子どもたちにふきこむことではない。それは現代の社会生活の現実を代表するような教材を教育のプログラムのなかに導入し、そしてその教材自体のみちびく方向にむかって子どもたちの学習を発展させてゆくことである。それは、おそれるところなく子どもたちに社会生活の現実を踏査せしめ、「いかに物事がおこなわれているか、そして、それらの物事はいかにおこなわれるべきであるか、その新しい可能性を実現するためにわれわれはなにをなすべきか。」を、各自の成長と成熟の水準において討究せしめることである。/このように、教育理論の面でのデューイの活動は、『学校と社会』から『民主主義と教育』にいたる、小社会としての学校の理論の展開の時期にたいして、30年代以降いちじるしく社会にかたむき、社会改造と教育の関連が一貫して追求されている。(宮原誠一「解説」[1]184~185ページ)

〇またまた例によって唐突であるが、これらの点(言説)は、「学校における福祉教育」×「まちづくりと市民福祉教育」について論究する際の重要な視点・視座でもある。留意したい。

阪野 貢/ラッセルの「幸福論」再読:「外へと向かう興味」が幸福を生む―バートランド・ラッセル著『幸福論』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル( Bertrand Arthur William Russell、1872年~1970年)の『幸福論(原題『幸福の獲得』)』(1930年。安藤貞雄訳、岩波文庫、1991年3月。以下[1])がある。[1]は、スイスの哲学者カール・ヒルティ(Carl Hilty、1833年~ 1909年)の『幸福論(第1部)』(1891年。草間平作訳、岩波文庫、1961年10月)と、フランスの哲学者アラン( Alain)、本名エミール=オーギュスト・シャルティエ Émile-Auguste Chartier、1968年~1951年)の『幸福論』(1925年。神谷幹夫訳、岩波文庫、1998年1月)とのいわゆる「三大幸福論」のひとつである。
〇[1]の訳者である安藤は、その「解説」で、「『ラッセル幸福論』の特徴は、アランのそれのように文学的・哲学的でもなく、ヒルティのそれのように宗教的・道徳的でもなく、人はみな周到な努力によって幸福になれる、という信念に基づいて書かれた、合理的・実用主義的(プラグマティック)な幸福論である点にある」(287ページ)という。しかも、ラッセルによると、「不幸の原因は、一部は社会制度の中に、一部は個人の心理の中にある」(13ページ)が、[1]は人間の内面から生じる「普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案すること」(14ページ)を目的とする。
〇先ずラッセルにあっては、不幸の最大の原因は、自分のなかに存在する感情や考え方などの“内なる自分”に囚われて自分のことだけを考え、外界への興味や関心を持つことができない(従って視野が狭い)「自己没頭」にある。その自己没頭には、3つのタイプがある。罪の意識にとり憑(つ)かれた「罪びと」、自分自身を賛美し、人からも賛美されたいと願う習慣を持つ「ナルシシスト」、魅力的であるよりも権力を持つことを望み、愛されるよりも恐れられることを求める「誇大妄想狂」がそれである(17、19、20~21ページ)。
〇そして、不幸のより具体的な原因には、➀「バイロン風の不幸」、➁「競争」、➂「退屈と興奮」、➃「疲れ」、➄「ねたみ」、➅「罪の意識」、➆「被害妄想」、➇「世評に対するおびえ」がある。➀は、悲観主義(ペシミズム)的な考えをいう。ちなみにバイロンとは、悲観的な世界観をしばしば表現した、19世紀のイギリスを代表する詩人ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron)を指す。➁は、競争して勝つことを強調し過ぎることをいう。➂は、静かな生活ではなく、退屈を恐れ興奮を追求することをいう。➃は、神経をすり減らすような生活を送ることによる精神的な疲れをいう。➄は、他人が持っているものを羨(うらや)ましく思うねたみの感情をいう。➅は、道徳的な教えによる罪の意識が劣等感を抱かせることをいう。➆は、自分の美点(すぐれた点)を誇大視し、多くの人が自分を虐待していると感じることをいう。➇は、世評に対する恐れは抑圧的で、成長を妨げるものであることをいう。
〇こうした不幸の原因を取り除くためには、「きちんとした精神を養うこと」が大切である。すなわち、「きちんとした精神は、ある事柄を四六時中、不十分に考えるのでなくて、考えるべきときに十分に考えるのである。困難な、あるいはやっかいな結論を出さなければならないときには、すべてのデータが集まり次第、その問題をよくよく考え抜いた上、決断を下すがよい。決断した以上は、何か新しい事実が出てきた場合を除いて、修正してはならない」(79ページ)。それによってはじめて、幸福を能動的に捉えることができるのである。
〇そして、ラッセルは、幸福を獲得するためには、自己没頭とは逆に外に向けて幅広い興味を持ち、それに熱中することが大切である、とする。「幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ」(172ページ)、という。そして、幸福になる具体的な方法として、➀「熱意」、➁「愛情」、➂「家族」、➃「仕事」、➄「私心のない興味」、➅「努力とあきらめ」を挙げる。
〇➀幸福な人を特徴づけるものは、生活や人生に対する熱意(何かに強い興味を持つこと)である。それは、「よい生活においては、異なる活動の間にバランスがなければならない」(182ページ)。➁愛情は自信と安心感、そこから熱意を生み出し、人を幸福にする。しかも、「相互的な愛情」、「一つの幸福を共有する結合体だと感じる愛情は、真の幸福の最も重要な要素の一つである」(203ページ)。➂家族は今日、混乱し脱線している。両親と子どもとの相互の愛情は、幸福の最大の源のひとつとなりうるのに、そうなっていない。(206ページ)「現代世界において親であることの喜びを満喫することは、(中略)子供に対する尊敬の態度を深く感じられる両親にしてはじめて可能である」(226ページ)。➃仕事を面白くする要素は、身に付けた技術を行使することと建設性である。「偉大な建設的な事業の成功から得られる満足は、人生が与える最大の満足の一つである」(237ページ)。「幸福な人生のほぼ必須の条件は首尾一貫した目的」であるが、それは「主に、仕事において具体化される」(241ページ)。➄私心のない興味とは、「一人の人間の生活の根底をなしている主要な興味ではなくて、その人の余暇を満たし、もっと真剣な関心事のもたらす緊張を解きほぐしてくれるといった、二次的な興味のことである」(242ページ)。その「生活の主要な活動の範囲外にある興味」は、気晴らしになり、バランス感覚を保ち、ときとして大きな慰めともなる(246~247ページ)。➅努力とあきらめのバランスを取ること、すなわち中庸(ちゅうよう)を守ることが必要である(254ページ)。「必要な態度は、人事を尽くして天命を待つ、という態度である」(260ページ)。
〇最後にラッセルはいう。「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人びとの興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である」(268ページ)。すなわち、幸福な人とは、➀内なる自分に囚われない生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人、➁客観的な興味と愛情によって自分と社会とがつながっており、世間と対立していない人である。そのような人は、「自分は宇宙の市民だと感じ、宇宙が差し出すスペクタクル(光景)や、宇宙が与える喜びを存分にエンジョイする」(273ページ)のである。
〇重ねて一言する。「幸福は、一部は外部の環境に、一部は自分自身に依存している。本書で扱ってきたのは、自分自身に依存する部分」(266ページ)である。「外界への興味は、それぞれ何かの活動をうながし、それは、その興味が生き生きとしているかぎり、倦怠を完全予防してくれる」(16ページ)。「人間は、自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである」(267ページ)。「退屈に耐える力をある程度持っていることは、幸福な生活にとって不可欠である」(68ページ)。「人間は、協力に依存している。そして、協力に必要な友情の生まれ出る本能的な器官を、なるほど不十分ながらも、自然から与えられている」(43ページ)。そして、「幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない、なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである」(74ページ)。すなわち、退屈に耐えうるある程度の興奮を求めながらも、静かな生活に身を置いて、外へと向かう興味を高め、他人や社会との(本能的な)協力関係を充実させていくこと、それが幸福を生む。これがラッセルのメッセージである。上下左右の分断が進む現代社会においても、そうであろうか。
〇筆者はこれまで、“ ふくし とは ふだんの くらしの しあわせ について みんなで考え みんなで汗をながすこと ”。“ しあわせ とは みんなが 満足していて 楽しいこと ” と言ってきた。この考え方をめぐって、ラッセルの「幸福論」から再考したい、というのが本稿を草したひとつの思いや願いでもある。

補遺
不幸の具体的な原因の➆「被害妄想」に関するラッセルの言説の一節を付記しておくことにする。

決してまれではない被害妄想の犠牲者は、あるタイブの慈善家で、いつも人びとが望みもしていない親切を行ない、だれも感謝の意を表さないことにかつ驚き、かつあきれる。私たちか善行をする動機は、自分で思っているほど純粋であることはめったにない。権力欲は油断ならぬものだ。いろいろな姿に変装し、しばしば、ほかの人のためになると信じている行ないをすることから得られる喜びの源になっている。往々、もう一つ別の要素が忍びこんでくる。人びとに「親切にする」ことは、通例、彼らから何か喜びを奪うことにほかならない。(128ページ)

(あなたが人びとに「親切にする」にあたって‥‥‥)
第一、あなたの動機は、必ずしもあなた自身で思っていほど利他的ではないことを忘れてはいけない。第二、あなた自身の美点を過大評価してはいけない。第三、あなたが自分自身に寄せているほどの大きな興味をほかの人も寄せてくれるものと期待してはならない。第四、たいていの人は、あなたを迫害してやろうと特に思うほどあなたのことを考えている、などと想像してはいけない。
これらの公理は、その真理が十分に理解されたならば、被害妄想の適切な予防策となるだろう。(130ページ)