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阪野 貢/フレイレの「教育論」再読:社会変革(まちづくり)のための「対話」再考のために ―パウロ・フレイレ著『被抑圧者の教育学』等のワンポイントメモ―

夢がなければ、変化はありえない。希望なしには夢がありえないように。/たたかいは希望を生み出す母体だが、希望が消えるときに闘いは息絶えるのだ。/いまある状態が、すべてではない。ものごとを変える、変えることができる、という意志と希望を失ったそのときに、教育は、被教育者にたいする非人間化の、抑圧と馴化(じゅんか。環境に適応していくこと)の行為の手段になっていく。(下記[2]127~128、253ページ、帯)

〇筆者(阪野)の手もとに、批判的教育学の先駆者として知られるブラジルの教育学者・哲学者パウロ・フレイレ(Paulo Freire、1921年~1997年)の本が2冊ある(それしかない)。『被抑圧者の教育学』(1968年。新訳版、三砂ちづる訳、亜紀書房、2011年1月。以下[1])と、『希望の教育学』(1992年。里見実訳、太郎次郎社エディタス、2001年11月。以下[2])がそれである。もう一冊、フレイレ研究の第一人者と評される里見実の『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』(太郎次郎社エディタス、2010年4月。以下[3])がある。
〇[1]の中心テーマは、ヒューマニゼーション、すなわち「人間化」についてである。フレイレにあっては、人間は「より全き人間であろうとすること」([1]22ページ)をめざす、未完の存在である。その人間は、非人間的な状況(抑圧状況)に置かれ、「自由への恐怖」を覚えている。人間化は、そうした抑圧の現状を直視し、その状況を批判的に再認識して、社会を変革するよう行動する主体になっていくことをいう。自由への恐怖は、抑圧者においては抑圧する自由を失う恐れであり、被抑圧者においては自由を引き受ける=責任を引き受けることへの恐れである。「抑圧者の暴力は、抑圧者自身をも非人間化していく」([1]22ページ)のであり、抑圧者も被抑圧者も非人間的な状況に置かれているのである。そこにおいて、抑圧からの解放を可能にするのは、抑圧者ではなく、非抑圧者である。非抑圧者は、客観的な現実を主観的に認識すること〔A〕によって自分の状況を捉えなおし、批判的思考態度を醸成する。そして、そのプロセス(「意識化」)を通して主体的に社会の変革を図ろうとする行動を取る(「人間化」)、そういう存在である。その際、抑圧からの解放を可能にするためには常に、「自由」を探究・希求する姿勢〔B〕が必要不可欠となる。その際の本当の自由は、自律的に生き、責任を引き受けるところにあり、それは抑圧-被抑圧の関係を乗り越える、双方による「対話」によって可能となる。フレイレはいう。

〔A〕
主観性と客観性が弁証法的に合一し、認識は行為と、逆に行為は認識と連動する。このような弁証法的な合一性が、現状の変革という現実への行為と思考を生み出すのである。([1]13~14ページ)

〔B〕
自由とは、成し遂げて手に入れるものであり、与えられるものではなく、常に探求する姿勢によって得られるものだ。常に探求する姿勢は、責任ある行動を要求する。自由であるための自由、はだれにもない。自由がないから自由のために闘う必要がある。自由はまた、人間にとって届くところにないような理想目標というわけではない。神話をつくり上げるようなものでもない。常に自由を探求していく姿勢というものが、常によりよき存在であろうとする人間にとって欠くべからざることである。([1]29~30ページ)

自由への恐れがあるかぎり、他の人と連帯はできないし、他の人の呼びかけも、自分への呼びかけも聞こえてこないし、本当の意味での共生、共に生きる、ということを目ざすこともできない。ただ群れて集まることを好むだけだ。自由を希求する過程でもたらされる豊かな創造的な人間同士の交わりよりも、自由でない状況に適応することを好むようになる。([1]31ページ)

自由とはだから、出産のようなものだといえよう。痛みをともなう出産である。この出産によって新しい人間が産み出される。抑圧する者とされる者の間の矛盾を乗り越え、そのどちらの側にも自由をもたらして、生き生きと生きるような新しい人間。/矛盾を乗り越えることとは、もはや抑圧する者でも抑圧される者でもない、本来の意味で自由な新しい人間を世界に送り出す、という出産と同じ行為なのだ。([1]32ページ)

〇ところで、“パウロ・フレイレ”の『被抑圧者の教育学』というと先ず、「銀行型教育」と「問題解決型教育」という言葉・概念を思い浮かべる。
〇「銀行型教育」(「預金型教育」[3]108ページ)とは、教師が預金者で生徒が預金箱(銀行口座)であるかのように、教師が生徒に対して一方的に知識や情報を「伝達」し、生徒はそれをただ受動的に受け取るだけという教育形態をいう。フレイレはいう。

「銀行型教育」の発想では、人間は適応しやすく御しやすいものである、と認識されてしまうことはまったく驚くにあたらない。知識を詰め込めば詰め込むだけ、生徒は自分自身が主体となって世界にかかわり、変革していくという批判的な意識をもつことができなくなっていく。/受動的な態度をより従順な形で求められれば求められるほど、世界は変革すべきものではなく、与えられている現実のかけらが世界であり、そこに適応するしかない、と感じるようになる。([1]83ページ)

〇「問題解決型教育」(「問題化型教育」[3]135ページ)とは、教師と生徒が対等な「対話」を通して互いに学び合い、生徒が主体的に現実の状況を問題化し、批判的に思考し、問題の解決策を探求し、社会変革への参加を促すという教育形態をいう。フレイレはいう。

対話なくして問題解決型学習はない。/対話を通して矛盾を超えていくところには、結果として新しい関係性が生まれる。(中略)教育する側とされる側は対等な関係として立ち現れてくる。([1]102ページ)/問題解決型教育を目ざす教師は、生徒の認識活動に応じて、常に自らの認識活動をやり直していく。生徒は単なる従順な知識の容れ物ではなく、教師との対話を通じて、批判的な視座をもつ探求者となる。そしてその教師もまた同様に批判的な視座をもつ探求者となっていく。([1]103~104ページ)/問題解決型教育は固定した反動主義(体制維持:阪野)ではなく、革命的な未来を目ざしている。([1]111ページ)

〇フレイレは、晩年の主著である『希望の教育学』のなかで、下記のようにいう。すなわち、「私が考えるだけでは、考えたことにならない」のであり、同じ土俵に乗って、民主主義的な立場で相手と「対話」することによって、はじめて考えることができるのである([3]30ページ)。

「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えているとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」/これは対話的な性格をふくんだ定言であり、したがって、権威主義者にはなじまない。だからこそ権威主義者たちは対話を、生徒の教師の思想の交流を、頑強に忌避するのである。/教師と生徒の対話は、両者を同等の立場に立たせるものではないが、しかしそれは、両者の立場を民主主義的なものにする。(中略)対話は対話に参加する諸主体の相互の尊敬、権威主義が引き裂き、妨げてきた互いに尊重しあう関係の樹立を意味しているのである。([2]163~164ページ)

〇フレイレは、[1]のなかで、「教育の対話性」について言及する。具体的には、対話に必要な5つの条件を示す。「愛」「謙虚さ」「人間への信頼」「希望」「批判的思考」がそれである。それぞれの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

世界と人間に対して深い愛情のないところに対話はない。世界を引き受けることは創造と再創造の営みであり、愛のないところでそういうことはできない。/愛は対話の基礎であり、同時に対話そのものでもある。お互いの主体的な関係のうちに立ち上がるものであり、支配したりされたりする関係のうちに生まれるものではない。([1]122ページ)

謙虚さのないところにも対話はない。人間というものが続いていくこの世界を“引き受ける”ためには傲慢であってはならない。/対話は人と人がお互いに出会い、お互いの知恵を共有するような行為だから、どちらか一方が謙虚さをもたなければ、対話として成り立たない。([1]124ページ)

人間という存在に深い信頼がなければ、対話は成立しない。人間はなにかをすることができ、また再び何らかの行為に向かうものである、ということへの信頼。創造し、再創造する力への信頼。人間はよりよきもの、全きものを目ざすものである、ということへの信頼であり、また人間のそのような力は一部のエリートだけの特権としてあるのではなく、すべての人の権利としてあるのだ、ということへの信頼、のことである。/人間への信頼は対話の“先駆的”与件とでもいおうか。対話の前にすでにそこにあるべきものだ。([1]125~126ページ)

愛、謙虚さ、人間への信頼、これらがあってはじめて対話は水平的なものとなり、お互いの関係が本来の意味での深い、“信頼”に満ちたものになることは当然である。(中略)だからこそ、「銀行型」の教育に深い信頼関係が生まれることがないのである。([1]127ページ)

希望のないところには対話もない。人間は不完全なものであり、だからこそ希望が人間の本質であり、だからこそ探求を止めない。/対話というものは、“よりよき存在”に近づきたいとする人間同士の出会いなのであるから、絶望のうちに行なわれるものではありえない。話す人が自分のやっていることに何の希望ももっていないのならば、対話することは無理である。出会いは空虚で実りのないものとなってしまう。([1]128~129ページ)

本来の意味での思考がないところには、どこまでいっても本来の対話はない。批判的に思考すること。それは、世界と人間を対立するものとしてとらえる発想を認めず、世界と人間のわかちがたい共生について考えていくことだと思う。/具体的にいうと、それは、現実に起こっていることを、固定されたものとしてとらえるのではなく、プロセスととらえ、常に生成されていくものとしてとらえるということでもある。([1]129ページ)

〇フレイレがいう「問題解決型教育」は、子どもや教師、保護者や地域住民が暮らす地域に顕在化する課題やテーマに向き合うことから始まる。そして、生徒と教師は、対等な立場で相互的に、その課題やテーマについて対話し、理解を深め、批判的思考力を養い、社会変革に参加する。その際の地域の課題やテーマは、国レベルのそれであり、グローバルな世界レベルのそれでもある。そういった「グローカル」な認識(地球規模の視野で考え、草の根の地域視点で行動すること)が重要となる。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

リージョナル(地域的)なものはローカル(地方的)なもののなかから立ち現れ、ナショナル(全国的な)なものはリージョナルなものから、コンティネンタル(大陸的な)なものはナショナルなものから、そして全世界的なものは、それぞれのコンティネンタルなものをとおして立ち現れる。/ローカルなものにへばりついて全体的な展望を見失うことが誤りであるのと同様に、自分の足場を顧みずに、ただ全体ばかりを鳥瞰(ちょうかん)しているのも誤りだ。([2]122ページ)

〇また、「いま」の、日本の学校教育は国家主義、中央集権主義が強化され、教師も生徒も物言わぬ立場に置かれている(フレイレ「沈黙の文化」)。教師は政治的中立性が要求され、主体的・批判的な授業の展開ができないでいる。保護者や地域住民の学校参加(コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)など)も、言われるほどには進んでいない。外国籍住民の子どもたちもその多くは差別・抑圧されている。これらはまさに政治的課題である。その点に関して、フレイレの次の一文を引いておく。

中立的な教育実践などというものは、かつて存在したことはなかったし、いまも存在しない‥‥‥([2]105ページ)/教育者は政治的であるからこそ、中立たりえないからこそ、倫理性を要求されるのだ。([2]108ページ)/教育はほんらい、指示的で政治的な行為であらざるをえず、ぼくは自分の夢や希望を生徒たちのまえに包み隠さずに示すべきであり、だからこそかえって、生徒たちの考えや立場を尊重することが、ぼくにつよく求められるのだ。ぼくが倫理的たらんとするのは、その認識があるからだ。自分のテーゼ、立場、選好を、真剣に、厳しく、かつ情熱をもって主張すること、しかし同時に、反対意見をいう権利を尊重し、それを支援すること、――それは、発言する権利と、自分の考えや理想のために「争う」義務を教える、またそのなかで相互に尊重しあう精神を教える最良の方法であるはずだ。([2]109ページ)/教育の政治性や指示性を否定することはできない。それがいけないなら、どんな課題の遂行も不可能だ‥‥‥([2]110ページ)

〇筆者(阪野)はかつて下記のように書いた(<雑感>(210)「教育の公共性」を考える:「まちづくりと市民福祉教育」は政治の課題である―宮寺晃夫著『教育の正議論』再読メモ―/2024年7月8日/本文)。改めて思い起こしたい。“まちづくりは人づくり 人づくりは教育づくり 教育づくりは政治づくり”である。

「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、政治的領域に位置づけて論じることに必ずしも積極的であったとはいえない。まちづくりは、公共性をはじめ地域性や多様性、自律性や共働性などが厳しく問われる活動であり運動である。教育や学校は、国家による巨大な政治システムであり、そのもとでの教育行政の重層構造に組み込まれている。そうであるがゆえに、「まちづくりと市民福祉教育」には、多くの市民一人ひとりに、また地域の多様な主体に改善や改革についての確かな決意や覚悟、そして行動が求められる。/そして、「いま」の政治へのアプローチなくして、「いま」の、また「新しい」「まちづくりと市民福祉教育」の推進を図ることは難しい。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」は政治的な課題であり、政治的設定を必要とする。

阪野 貢/デューイの「教育論」再読:「経験」(生きること・学ぶこと・考えること)再考のために ―ジョン・デューイ著『学校と社会』等のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、アメリカを代表する哲学者・教育学者ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~ 1952年)の本が4冊ある(しかない)。

(1)The School and Society,1899. 宮原誠一訳『学校と社会』岩波文庫、第62刷、2004年10月(以下[1])
(2)Democracy and Education,1916. 松野安男訳『民主主義と教育(上)(下)』岩波文庫、(上)1975年6月、(下)同年7月(以下[2])
(3)Experience and Education,1938. 市村尚久訳『経験と教育』講談社学術文庫、2004年10月(以下[3])
(4)The School and Society,1899.The Child and the Curriculum,1902. 市村尚久訳『学校と社会・子どもとカリキュラム』講談社学術文庫、1998年12月(以下[4])

〇デューイは、生活と分断された統制的で受動的な「旧教育(伝統的教育)」を、生活と経験に基づく自由で能動的な「新教育(進歩主義的教育)」に転換・変革することを主張する。その際、「生活」とは、「環境への働きかけを通して、自己を更新して行く過程」([2](上)12ページ)をいい、個体が環境に積極的に働きかけることを「経験」という。「環境」とは、その人の活動を促進したり阻害したりする外界の事物や事情、条件の総和をいい、自然的環境・社会的環境・文化的環境として現象する([2](上)26~27ページ)。そして、デューイにあっては、「教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである」([2](上)127ページ)。そこでは、教育的に価値のある経験は、過去・現在・未来の経験をつなぎ、未来の経験をさらに豊かに拓くものであり(「連続性」)、そのためにも個人と個人を取り巻く環境との「相互作用」が重視されることになる。そして、「学校は子どもが実際に生活をする場所であり、子どもがそれをたのしみとし、またそれ自体のための意義をみいだすような生活体験をあたえる場所であることが最も望ましい」([1]66ページ。[4]120ページ)とされる。その学校では、子どもが中心となって、「為すことによって学ぶ」すなわち体験を反省的に思考することによって学びを深めることが重視され、「生活教育」や「経験学習」を通して子どもたちの成長・発達が促される。すなわち、「子どもにとっては、生活することが第一であって、学習は生活することをとおしてこそ、また、生活することとの関連においてこそおこなわれる」([4]98ページ。[1]47ページ)。また、「生活は発達であり、発達すること、成長することが、生活なのである」([2](上)87ページ)。なお、教育における重要な「自由」は、制限から解放される自由ではなく、知性に基づく自律的・自制的なそれ(「知性の自由」)である([3]97、102、104ページ)。そして、「生徒が知性を実地にはたらかせることができるよう、教師によって与えられる指導は、生徒の自由を制限するものではなく、むしろ自由を助長するものである」([3]113ページ)。これが、デューイが説く教育論の要点のひとつである。
〇周知の通り、デューイの代表的な著作のひとつである『学校と社会』([1][4])は、シカゴ大学付属小学校(「実験学校」)で取り組まれた進歩主義的な教育実践をもとに書かれたものである。その言説のうちから、基本的なもののいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

学校には、子どもが太陽となる「子ども中心主義の教育」へのコペルニクス的転回と言える変革や改革が求められる
私は旧教育の類型的な諸点、すなわち、旧教育は子どもたちの態度を受動的にすること、子どもたちを機械的に集団化すること、カリキュラムと教育方法が画一的であることをあきらかにするために、いくぶん誇張して述べてきたかもしれない。旧教育は、これを要約すれば、重力の中心が子どもたち以外にあるという一言につきる。重力の中心が、教師・教科書、その他どこであろうとよいが、とにかく子ども自身の直接の本能と活動以外のところにある。それでゆくなら、子どもの生活はあまり問題にはならない。子どもの学習については多くのことが語られるかもしれない。しかし、学校はそこで子どもが生活する場所ではない。いまやわれわれの教育に到来しつつある変革は、重力の中心の移動である。それはコペルニクスによって天体の中心が地球から太陽に移されたときと同様の変革であり革命である。このたびは子どもが太陽となり、その周囲を教育の諸々のいとなみが回転する。子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々のいとなみが組織される。([1]44~45ページ。[4]95~96ページ)

学校は、家庭と社会のあいだに位置する「小型の社会」であり、子どもたちはそのコミュニティで生き、学ぶのである
こんにちの学校の悲劇的な弱点は、社会的精神の諸条件がとりわけ欠けている環境のなかで、社会的秩序の未来の成員を準備することにつとめていることである。([1]25ページ。[4]73ページ)/学校はこれまで生活の日常の諸条件および諸動機からはなはだしく切離され、孤立させられていて、子どもたちが訓練を受けるために差し向けられる当(とう)のこの場所が、およそこの世で、経験を――その名に値いするあらゆる訓練の母である経験を得ることが最も困難な場所となっている。([1]28ページ。[4]76ページ)/学校はいまや、たんに将来いとなまれるべき或る種の生活にたいして抽象的な、迂遠な関係をもつ学科を学ぶ場所であるのではなしに、生活とむすびつき、そこで子どもが生活を指導されることによって学ぶところの子どもの住みかとなる機会をもつ。学校は小型の社会、胎芽的な社会となることになる。これが根本的なことであって、このことから継続的で、秩序ある教育の流れが生ずる。([1]29ページ。[4]77ページ)

子どもの生活と教育を有機的に結びつけ、子どもの生活に基づいて分断されている「カリキュラムの統一」を図ることが必要である
たとえば、算術の或る部分は訓練に、他の部分は実用に役立つものであり、文学は教養に、文法は訓練に、また地理は一部分は実用に、他の部分は教養に役立つものと考えられている。ここでは教育の統一などということはかげもなく、諸々の学科は勝手な方向をむいてばらばらである。([1]79ページ。[4]133ページ)/われわれはすべての側面がむすびあわされている世界に生活している。一切の学科はこの共通の一大世帯のなかにおける諸々の関係から生ずるものである。子どもがこの共通の世界にたいする多様な、しかし具体的で能動的な関連のなかで生活するならば、かれの学習する学科は自然に統合されるであろう。そうなれば諸学科の相関というようなことは、もはや問題ではなくなるであろう。教師は、歴史の課業にわずかばかりの算術をおりこむために、あれこれと工夫をめぐらすといったような必要もなくなるであろう。学校を生活と関連せしめよ。しからばすべての学科は必然的に相関的なものとなるであろう。([1]95ページ。[4]152~153ページ)/さらにまた、もし全体としての学校が全体としての生活と関連せしめられるならば、学校の種々の目的や理想――教養・訓練・知識・実用――は、もはやこの一つの目的ないし理想にたいしてはこの一つの学科を選び、他の一つの目的ないし理想にたいしては他の一つの学科を選ばねばならぬというような個々ばらばらなものではなくなるであろう。社会的能力および社会的奉仕という方向における子どもの成長、子どもが生活といよいよ広範囲に、いよいよいきいきとむすびついて行くことが、すべてを結合する統一的な目的となり、訓練や教養や知識は子どものこの成長の種々なる側面としての地位に下るのである。([1]95~96ページ。[4]153ページ)

子どもは「反省的注意」、すなわち判断・推理・熟慮を通して問題を形成し、探求し、解決することができるようになる
中間的な段階においては(八歳から、まず十一歳ないし十二歳にいたる子どもにおいては)、子どもは到達しようと欲する或る目的にもとづいて一連の中間的活動をみちびきはするが、その目的は、おこなわれるか作られるかするところの或るもの、すなわち到達さるべき或る具体的な結果である。つまり問題は知的な疑問というよりはむしろ実際的な困難である。しかし、力の成長につれて、子どもは見出さるべき、発見さるべき或ることがらを目的と考えることができるようになり、探求と解決の助けとなるように自己の行動とイメージを統制することができるようになる。これがほんらいの反省的注意である。([1]154ページ。[4]221~222ページ)/真の、反省的な注意は、つねに判断・推理・熟慮をふくんでいる。([1]156ページ。[4]225ページ)

子どもは自らが問題を形成し、探求し、その問題を解決する「問題解決学習」によって、さまざまな問題を考察する習慣を獲得することができる
(子どもがはらう)注意はつねに「学習」用のもの、いいかえれば、他人が尋ねるであろうところの問題にたいする、すでに出来上っている解答を記憶することのためのものである。いっぽう、真の、反省的な注意は、つねに判断・推理・熟慮をふくんでいる。すなわちそれは子どもが自分自身の問題をもっており、その問題を解決するための関係材料を探求し選択することに能動的に従事し、その材料の意義と関係を――すなわちその問題が要求するような解決の道を考察することを意味する。問題は自分自身のものなのである。であるからして注意への動因・刺激もまた自分自身のものである。それゆえにまた、得られた訓練も自分自身のものである。――それは真の訓練、すなわち統制力の獲得であり、またいいかえれば問題を考察する習慣の獲得である。([1]156~157ページ。[4]224~225ページ)

〇以上に加えて、『経験と教育』([3])から、デューイ教育論の鍵概念である「経験」の「質」と「基準」についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

教育において重要なのは経験の「質」であり、その質には「快適-不快」という側面と「ある経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすのか」という2つの側面がある
(進歩主義教育において)経験の重要性を強調しただけでは十分ではないし、また経験の活動性を強調したとしても、それだけでは十分ではない。何よりも重要なことは、もたれる経験の「質」にかかっているのである。いかなる経験の質も,二つの側面をもっている。 すなわち、それが快適なものか不快なものであるかといった直接的な側面と,経験がその後の経験にどのように影響を及ぼすかという側面である。第一の側面は明白なことであり,そのことは容易に判断されうる。だが,経験の「効果」は,その表面には現われ出ない。このことが教育者に問題を提示することになる。経験が生徒に不快感を与えず,むしろ生徒の活動を鼓舞するものであるとしても,その経験が未来により望ましい経験をもたらすことができるよう促すためには,直接的な快適さをはるかに越えた種類の経験が求められることになる。このような質的経験を整えることこそ,教育者に課せられた仕事なのである。(中略)経験に根ざした教育の中心的課題は、継続して起こる経験のなかで、実り豊かに創造的に生きるような種類の現在の経験を選択することにかかっているのである。([3]33~35ページ)

教育的に価値のある経験は、過去・現在・未来の経験をつなぐ「連続性」と、環境との相互作用によって豊かになる「相互作用」の2つの原理(条件)に基づく
われわれは今や,過去の業績と現在の問題との間にある経験の内部に実際に存在する関連性を発見するという問題にゆきつくのである。われわれは過去を知ることが、どのようにして未来を効果的に取り扱う点で、有力な道具に転換されうるのか、それについて確かめなければならない。([3]27~28ページ)/この観点から,経験の連続性の原理というものは,以前の過ぎ去った経験からなんらかのものを受け取り,その後にやってくる経験の質をなんらかの仕方で修正するという両方の経験すべてを意味するのである。([3]47ページ)/(また)経験は、単に個人の内面だけで進行するものではない。([3]55ページ)/経験を引き起こす源は、個人の外にある。経験はこれらの源泉によって、絶えず養い育てられている。([3]56ページ)/経験は、常に、個人とそのときの個人の環境を構成するものとの間に生じる取引的な業務であるがゆえに存在するのである。しかもその個人の環境は、ある話題や出来事についての話し相手から構成されている。([3]64ページ)/(そしてこの)連続性と相互作用という二つの原理は,相互に分離しているものではない。それらは離れていても,結びつくものである。それらはいわば,経験の縦の側面と横の側面である。([3]64~65ページ)/(そして、ここでの)教育者の基本的な責任は、年少者たちが周囲の条件によって、彼らの現実の経験が形成されるという一般的な原理を知るだけではなく、さらにどのような環境が成長を導くような経験をするうえで役立つかについて、具体的に認識することである。何よりも先ず、教育者は、価値ある経験の形成に寄与するにちがいないすべてのものが引き出せるようにと存在している環境――自然的,社会的な――をどのように利用すべきであるか,そのことを知らなければならない。([3]56~57ページ)

〇いまひとつ、『民主主義と教育』([2])から、いささか恣意的ではあるが、「民主主義と社会と教育」に関する次の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

民主的な社会集団には、①その成員の多様な関心(「多様性」)と②他の集団との「自由な相互作用」が不可欠である。それによって “ 社会的習慣 ” が変化する
集団によって与えられる教育はどれもみなその集団の成員を社会化する傾向をもつが、その社会化の質および価値は、その集団の習慣と目標によって決まるのである。([2](上)135ページ)/それゆえに、ここで再び、任意の既存の社会生活の様式の価値を測る尺度が必要になる。(中略)どんな社会集団にもたとえ泥棒の一味であっても、皆が共通に抱いている何らかの関心が見出されるし、また他の集団との相互作用や協力的交渉もいくらかは見出されるものである。この二つの特徴から、われわれが求めている基準が引き出される。すなわち、意識的に共有している関心が、どれほど多く、また多様であるか、そして、他の種類の集団との相互作用が、どれほど充実し、自由であるか、ということである。([2](上)135~136ページ)/われわれの判断基準の二つの要素はともに民主主義を指向している。第一のものは、共有された共同の関心が、より多くの、より多様な事柄に向かうことを意味しているだけでなく、相互の関心を社会統制の一要因として確認することにより深い信頼をおくことをも意味している。第二のものは、(中略)社会集団が互いにより自由に相互作用することを意味しているだけでなく、社会的習慣に変化が起こること――すなわち、さまざまの相互交渉によって産み出される新たな状況に対処することによって絶えずそれを再適応させること――をも意味しているのである。そして、これら二つの特徴こそ、まさに、民主的に構成された社会を特色づけるものなのである。([2](上)141ページ)

民主主義は、共同的な生き方・共同経験の一様式であり、人々の内面から育まれるものであるがゆえに計画的で組織的な教育を必要とする。それによって人々や集団が変わる
いろいろな関心が相互に浸透しあっており、進歩すなわち再適応が考慮すべき重要問題になるような、そういう種類の社会生活を実現するために、民主的共同社会は、他の共同社会よりも、計画的で組織的な教育にいっそう深い関心を向けるようになる。(中略)民主主義が教育に熱意を示すことはよく知られた事実である。(中略)民主的社会は、外的権威に基づく原理を否認するのだから、それに代るものを自発的な性向や関心の中に見出さなければならない。それは教育によってのみつくり出すことができるのである。しかし、さらに深い説明がある。民主主義は単なる政治形態でなく、それ以上のものである。つまり、それは、まず第一に、共同生活の一様式、連帯的な共同経験の一様式なのである。人々がある一つの関心を共有すれば、各人は自分自身の行動を他の人々の行動に関係づけて考えなければならないし、また自分自身の行動に目標や方向を与えるために他人の行動を熟考しなければならないようになるのだが、そのように一つの関心を共有する人々の数がますます広い範囲に拡大して行くということは、人々が自分たちの活動の完全な意味を認識するのを妨げていた階級的、民族的・ 国土的障壁を打ち壊すことと同じことなのである。このように接触点がますます多くなり、ますます多様になるということは、人が反応しなければならない刺激がますます多様になるということを意味する。その結果、その人の行動の変化が助長されることになるのである。排他性のために多くの関心を締め出している集団では行動への誘因は偏らざるをえないのであるが、そのように行動への誘因が偏っている限り抑圧されたままでいる諸能力が、多数の多様な接触点によって解放されるようになるのである。([2](上)141~142ページ)

〇最後に、教師の責務(役割)について一言する。デューイにあっては、教師の役割は、単に過去からの知識や技能を子どもたちに伝達することではない。教師には、子どもたちの主体的で自由な学習活動(学習経験)をより広く豊かなものにするために、子どもたちの能力や要求、興味・関心や発達段階などを理解し、適切な教材や教育内容を提供するにふさわしい環境・条件を整え、指導することが求められる。また、教師は、社会とのつながりを意識した教育活動を計画し、子どもが社会的な知識や技能を習得できるよう支援する。それを通して教師は、また子どもも、協働的・一体的に社会の変革・改革に参加し、民主主義的な新しい社会の形成を図るのである。デューイは例えば、(上記の下線部とともに)次のようにもいう。

教育者は自分が扱っている個々の生徒たちに共通する独得な能力や要求について調査しなければならない。それと同時に、これら特殊な生徒の能力を発展させ、それらの要求を満足させるような経験から出てくる教材や教育内容を提供するにふさわしい条件を整えなければならない。しかも教育計画は、経験する個人の自由が、個別的に展開されるにふさわしい十分柔軟なものであるのと同時に、他面において、個人の能力が持続的に発展する方向をしっかりと示すにふさわしいものでなければならない。([3]92ページ)

教師は、学校において、子どもに特定の考えを強要したり、特定の習慣を形成したりするのではなく、共同体のメンバーとしての子どもに影響を与えるであろうもろもろの影響を選びだし、そうした影響に子どもが適切に対応することを支援することにある。(ジョン・デューイ、中村清二・松下丈宏訳「私の教育学的信条」『デューイ著作集6 教育1 学校と社会,ほか』東京大学出版会、2019年3月、86ページ)

教師が参画しているのは、たんに個々人の訓練だけではなく、適切な社会生活の形成でもある。/教師は、適切な社会的秩序を維持し、正しい社会的成長を確保するために取りおかれている、社会的奉仕者である。(同上、94ページ)

〇なお、[1]の訳者である宮原は、その「解説」で、デューイの教育論と教師の責務をめぐって次のように説く。付記しておく。

(進歩主義教育において)教師は社会の改造に参加する教育のプログラムをもたなければならぬ。しかし、そのことはなにか特定の社会改造案を子どもたちにふきこむことではない。それは現代の社会生活の現実を代表するような教材を教育のプログラムのなかに導入し、そしてその教材自体のみちびく方向にむかって子どもたちの学習を発展させてゆくことである。それは、おそれるところなく子どもたちに社会生活の現実を踏査せしめ、「いかに物事がおこなわれているか、そして、それらの物事はいかにおこなわれるべきであるか、その新しい可能性を実現するためにわれわれはなにをなすべきか。」を、各自の成長と成熟の水準において討究せしめることである。/このように、教育理論の面でのデューイの活動は、『学校と社会』から『民主主義と教育』にいたる、小社会としての学校の理論の展開の時期にたいして、30年代以降いちじるしく社会にかたむき、社会改造と教育の関連が一貫して追求されている。(宮原誠一「解説」[1]184~185ページ)

〇またまた例によって唐突であるが、これらの点(言説)は、「学校における福祉教育」×「まちづくりと市民福祉教育」について論究する際の重要な視点・視座でもある。留意したい。

阪野 貢/ラッセルの「幸福論」再読:「外へと向かう興味」が幸福を生む―バートランド・ラッセル著『幸福論』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル( Bertrand Arthur William Russell、1872年~1970年)の『幸福論(原題『幸福の獲得』)』(1930年。安藤貞雄訳、岩波文庫、1991年3月。以下[1])がある。[1]は、スイスの哲学者カール・ヒルティ(Carl Hilty、1833年~ 1909年)の『幸福論(第1部)』(1891年。草間平作訳、岩波文庫、1961年10月)と、フランスの哲学者アラン( Alain)、本名エミール=オーギュスト・シャルティエ Émile-Auguste Chartier、1968年~1951年)の『幸福論』(1925年。神谷幹夫訳、岩波文庫、1998年1月)とのいわゆる「三大幸福論」のひとつである。
〇[1]の訳者である安藤は、その「解説」で、「『ラッセル幸福論』の特徴は、アランのそれのように文学的・哲学的でもなく、ヒルティのそれのように宗教的・道徳的でもなく、人はみな周到な努力によって幸福になれる、という信念に基づいて書かれた、合理的・実用主義的(プラグマティック)な幸福論である点にある」(287ページ)という。しかも、ラッセルによると、「不幸の原因は、一部は社会制度の中に、一部は個人の心理の中にある」(13ページ)が、[1]は人間の内面から生じる「普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案すること」(14ページ)を目的とする。
〇先ずラッセルにあっては、不幸の最大の原因は、自分のなかに存在する感情や考え方などの“内なる自分”に囚われて自分のことだけを考え、外界への興味や関心を持つことができない(従って視野が狭い)「自己没頭」にある。その自己没頭には、3つのタイプがある。罪の意識にとり憑(つ)かれた「罪びと」、自分自身を賛美し、人からも賛美されたいと願う習慣を持つ「ナルシシスト」、魅力的であるよりも権力を持つことを望み、愛されるよりも恐れられることを求める「誇大妄想狂」がそれである(17、19、20~21ページ)。
〇そして、不幸のより具体的な原因には、➀「バイロン風の不幸」、➁「競争」、➂「退屈と興奮」、➃「疲れ」、➄「ねたみ」、➅「罪の意識」、➆「被害妄想」、➇「世評に対するおびえ」がある。➀は、悲観主義(ペシミズム)的な考えをいう。ちなみにバイロンとは、悲観的な世界観をしばしば表現した、19世紀のイギリスを代表する詩人ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron)を指す。➁は、競争して勝つことを強調し過ぎることをいう。➂は、静かな生活ではなく、退屈を恐れ興奮を追求することをいう。➃は、神経をすり減らすような生活を送ることによる精神的な疲れをいう。➄は、他人が持っているものを羨(うらや)ましく思うねたみの感情をいう。➅は、道徳的な教えによる罪の意識が劣等感を抱かせることをいう。➆は、自分の美点(すぐれた点)を誇大視し、多くの人が自分を虐待していると感じることをいう。➇は、世評に対する恐れは抑圧的で、成長を妨げるものであることをいう。
〇こうした不幸の原因を取り除くためには、「きちんとした精神を養うこと」が大切である。すなわち、「きちんとした精神は、ある事柄を四六時中、不十分に考えるのでなくて、考えるべきときに十分に考えるのである。困難な、あるいはやっかいな結論を出さなければならないときには、すべてのデータが集まり次第、その問題をよくよく考え抜いた上、決断を下すがよい。決断した以上は、何か新しい事実が出てきた場合を除いて、修正してはならない」(79ページ)。それによってはじめて、幸福を能動的に捉えることができるのである。
〇そして、ラッセルは、幸福を獲得するためには、自己没頭とは逆に外に向けて幅広い興味を持ち、それに熱中することが大切である、とする。「幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ」(172ページ)、という。そして、幸福になる具体的な方法として、➀「熱意」、➁「愛情」、➂「家族」、➃「仕事」、➄「私心のない興味」、➅「努力とあきらめ」を挙げる。
〇➀幸福な人を特徴づけるものは、生活や人生に対する熱意(何かに強い興味を持つこと)である。それは、「よい生活においては、異なる活動の間にバランスがなければならない」(182ページ)。➁愛情は自信と安心感、そこから熱意を生み出し、人を幸福にする。しかも、「相互的な愛情」、「一つの幸福を共有する結合体だと感じる愛情は、真の幸福の最も重要な要素の一つである」(203ページ)。➂家族は今日、混乱し脱線している。両親と子どもとの相互の愛情は、幸福の最大の源のひとつとなりうるのに、そうなっていない。(206ページ)「現代世界において親であることの喜びを満喫することは、(中略)子供に対する尊敬の態度を深く感じられる両親にしてはじめて可能である」(226ページ)。➃仕事を面白くする要素は、身に付けた技術を行使することと建設性である。「偉大な建設的な事業の成功から得られる満足は、人生が与える最大の満足の一つである」(237ページ)。「幸福な人生のほぼ必須の条件は首尾一貫した目的」であるが、それは「主に、仕事において具体化される」(241ページ)。➄私心のない興味とは、「一人の人間の生活の根底をなしている主要な興味ではなくて、その人の余暇を満たし、もっと真剣な関心事のもたらす緊張を解きほぐしてくれるといった、二次的な興味のことである」(242ページ)。その「生活の主要な活動の範囲外にある興味」は、気晴らしになり、バランス感覚を保ち、ときとして大きな慰めともなる(246~247ページ)。➅努力とあきらめのバランスを取ること、すなわち中庸(ちゅうよう)を守ることが必要である(254ページ)。「必要な態度は、人事を尽くして天命を待つ、という態度である」(260ページ)。
〇最後にラッセルはいう。「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人びとの興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である」(268ページ)。すなわち、幸福な人とは、➀内なる自分に囚われない生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人、➁客観的な興味と愛情によって自分と社会とがつながっており、世間と対立していない人である。そのような人は、「自分は宇宙の市民だと感じ、宇宙が差し出すスペクタクル(光景)や、宇宙が与える喜びを存分にエンジョイする」(273ページ)のである。
〇重ねて一言する。「幸福は、一部は外部の環境に、一部は自分自身に依存している。本書で扱ってきたのは、自分自身に依存する部分」(266ページ)である。「外界への興味は、それぞれ何かの活動をうながし、それは、その興味が生き生きとしているかぎり、倦怠を完全予防してくれる」(16ページ)。「人間は、自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである」(267ページ)。「退屈に耐える力をある程度持っていることは、幸福な生活にとって不可欠である」(68ページ)。「人間は、協力に依存している。そして、協力に必要な友情の生まれ出る本能的な器官を、なるほど不十分ながらも、自然から与えられている」(43ページ)。そして、「幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない、なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである」(74ページ)。すなわち、退屈に耐えうるある程度の興奮を求めながらも、静かな生活に身を置いて、外へと向かう興味を高め、他人や社会との(本能的な)協力関係を充実させていくこと、それが幸福を生む。これがラッセルのメッセージである。上下左右の分断が進む現代社会においても、そうであろうか。
〇筆者はこれまで、“ ふくし とは ふだんの くらしの しあわせ について みんなで考え みんなで汗をながすこと ”。“ しあわせ とは みんなが 満足していて 楽しいこと ” と言ってきた。この考え方をめぐって、ラッセルの「幸福論」から再考したい、というのが本稿を草したひとつの思いや願いでもある。

補遺
不幸の具体的な原因の➆「被害妄想」に関するラッセルの言説の一節を付記しておくことにする。

決してまれではない被害妄想の犠牲者は、あるタイブの慈善家で、いつも人びとが望みもしていない親切を行ない、だれも感謝の意を表さないことにかつ驚き、かつあきれる。私たちか善行をする動機は、自分で思っているほど純粋であることはめったにない。権力欲は油断ならぬものだ。いろいろな姿に変装し、しばしば、ほかの人のためになると信じている行ないをすることから得られる喜びの源になっている。往々、もう一つ別の要素が忍びこんでくる。人びとに「親切にする」ことは、通例、彼らから何か喜びを奪うことにほかならない。(128ページ)

(あなたが人びとに「親切にする」にあたって‥‥‥)
第一、あなたの動機は、必ずしもあなた自身で思っていほど利他的ではないことを忘れてはいけない。第二、あなた自身の美点を過大評価してはいけない。第三、あなたが自分自身に寄せているほどの大きな興味をほかの人も寄せてくれるものと期待してはならない。第四、たいていの人は、あなたを迫害してやろうと特に思うほどあなたのことを考えている、などと想像してはいけない。
これらの公理は、その真理が十分に理解されたならば、被害妄想の適切な予防策となるだろう。(130ページ)

阪野 貢/「自由」:回顧と再考― エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、エーリッヒ・フロム著、日高六郎(ひだか・ろくろう)訳『自由からの逃走』(Erich Fromm,Escape from Freedom,1941.  132版(新版)、東京創元社、2024年4月。以下[1])がある。訳者である日高は、その「訳者あとがき」で次のようにいう。「フロムによれば、現代における自由の問題は、たんに巨大な機械主義社会や政治的全体主義の圧力などによって、個人の自由がおびやかされているということだけではなくて、いっぽうではひとびとが求めてやまないはずの、価値としての自由が、他方では、ひとびとがそこから逃れでたいとのぞむような呪咀(じゅそ)となりうるところにあるという」(329ページ)。[1]におけるフロムの主要なメッセージである。そして、日高によると、[1]は「専門書であるばかりでなく、むしろそれ以上に、一般の知識人全体にうったえる文明批評の書である」(333ページ)。超ロングセラーの所以でもある。
〇もう一冊、筆者の手もとに、仲正昌樹(なかまさ・まさき)著『人はなぜ「自由」から逃走するのか―エーリヒ・フロムとともに考える―』(KKベストセラーズ、2020年9月。以下[2])がある。[2]は、[1]の「純粋な解説書」ではない。それは、[1]の「議論の流れに即して、全体主義を可能にした歴史的・社会的条件を確認し」、「大衆社会の住人が『自由』から逃走し始め、その一部が全体主義を支持するに至ったプロセスを再構成したうえで、どうして『自由』は重荷になるのか」(17ページ)を、仲正の視点・視座から広く・深く論究する専門書である。仲正は、フロムと[1]について、こう説述する。

エーリヒ・フロム(1900~1980)は、ドイツ系ユダヤ人で、フロイトに始まる精神分析の理論を社会的性格の分析に応用する研究に従事していたが、ナチス政権成立後、アメリカに亡命し、戦後はアメリカやメキシコで研究活動を続けた。「愛」「悪」「神」「自由」「ヒューマニズム」「社会主義」「革命」など、人間の生き方の根本に関わる重要なテーマに関する多くの著作を残し、政治的・宗派的な立場の違いを超えて様々な立場の人に影響を与えてきたが、最も大きなインパクトがあったのは、彼が大戦中に執筆した『自由からの逃走』(1941)である。/この著作は、そのタイトルが示しているとおり、近代世界において「自由」を与えられた諸個人が、自由に生きることに伴う重圧、不安に耐えかねて、自らが自由を放棄するに至った過程を社会心理学・社会史的に描き出している。(15~16ページ)

〇この最後の一節に関して仲正は、フロムがいう「‥‥‥への自由」という「積極的な自由」と、「‥‥‥からの自由」という「消極的な自由」について、次のように要約する。「安定感を与えてくれていた第一次的な絆が断ち切られ、世界と対峙することを強いられ、無力感と孤独感に囚われた個人には、二つの選択肢がある。/一つは「積極的自由」への道、愛情と仕事を通して、自発的に世界と結び付く道である。この道を歩めば、彼は、独立と個人的自己の統合性を失うことなく、人間らしく、自然と調和して生きることができる。/もう一つは退行し、自らの自由と独立、自己の統合性を放棄する道である(「消極的自由」:阪野)。耐えがたく思われる心理状態を取りあえず回避するための『逃走』である」(116ページ)。
〇フロムの言によると、「積極的な自由」は、「自我の実現」すなわち自分の独自性と個性の成長や実現をめざした「全的統一的なパースナリティの自発的な行為のうちに存する」(284ページ)。「消極的な自由」は、母子関係や封建的・伝統的な束縛・強制などの「個人が完全に解放される以前に存在する第一次的絆」(35ページ)からの解放である。そして次のようにいう。ひとは「『‥‥‥からの自由』の重荷にたえていくことはできない。かれらは消極的な自由から積極的な自由へと進むことができないかぎり、けっきょく自由から逃れようとするほかない」(150~151ページ)のである。

近代人にとって自由は二重の意味をもっている。(中略)すなわち、近代人は伝統的権威から解放されて、「個人」となったが、しかし同時に、かれは孤独な無力なものになり、自分自身や他人から引きはなされた、外在的な目的の道具となったということ、さらにこの状態は、かれの自我を根底から危くし、かれを弱め、おびやかし、かれに新しい束縛にすすんで服従するようにするということである。それにたいし積極的な自由は、能動的自発的な生きる能力をふくめて、個人の諸能力の十分な実現と一致する。(296ページ)

〇こうしてフロムは、「人間存在と自由とは、その発端から(切り)離すことはできない」(42ページ)。こんにち人間は「貧困よりも、むしろ大きな機械の歯車、自動人形になってしまった」(302ページ)なかにあって、自由は単に外的な束縛から個人を解放するだけでなく、自己を認識し、自発的・創造的な行為・活動を生み出すとして、「積極的な自由」の重要性を主張するのである。
〇なお、フロムにあっては、「自由からの逃走」は、「権威主義」(服従)、「破壊性」(破壊)「機械的画一性」(同調)という3つの行動パターンとなって表れる。それぞれについてその要点をメモっておく(抜き書きと要約)。

権威主義
権威主義的性格の人間は、権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時にかれはみずから権威であろうと願い、他のものを服従させたいと願っている。(182ページ)

権威はつねに、汝はこのことをなせ、あのことをなすべからずと命令するような個人や制度であるとはかぎらない。この種の権威は、外的権威と名づけることができるであろうが、権威は、義務、良心あるいは超自我の名のもとに、内的権威としてあらわれることもある。(184ページ)

権威主義的性格の問題で注意すべきもっとも重要な特徴は、力にたいする態度である。権威主義的性格にとっては、すべての存在は二つにわかれる。力をもつものと、もたないものと。それが人物の力によろうと、制度の力によろうと、服従への愛、賞賛、準備は、力によって自動的にひきおこされる。力は、その力が守ろうとする価値のゆえにではなく、それが力であるという理由によって、かれを夢中にする。かれの「愛」が力によって自動的にひきおこされるように、無力な人間や制度は自動的にかれの軽蔑をよびおこす。無力な人間をみると、かれを攻撃し、支配し、絶滅したくなる。ことなった性格のものは、無力なものを攻撃するという考えにぞっとするが、権威主義的人間は相手が無力になればなるほどいきりたってくる。(186ページ)

破壊性
破壊性は、対象との共棲(きょうせい)を目指すものではなく、対象を除去しようとするところにある。破壊性は、たえがたい個人の無力感や孤独感にもとづいている。外界にたいする自己の無力感は、その外界を破壊することによって逃れることができる。たしかに首尾よくそれを除去することができても、私は依然として孤独である。しかし、そのときの孤独はすばらしいもので、私はもはや外界の事物の圧倒的な力によって、おしつぶされるようなことはない。外界を破壊することは、外界の圧迫から自己を救う、ほとんど自暴自棄的な最後の試みである。(197ページ)

われわれの社会生活における人間関係を観察すると、破壊性がいたるところに、非常に多く存在していることに気づかないものはあるまい。その大部分は破壊性として意識されず、さまざまな方法で合理化されている。(中略)愛、義務、良心、愛国心などが、これまで他人や自己を破壊するためのカムフラージュとして利用されてきたし、現在も利用されている。(197~198ページ)

破壊性の源泉は、孤独と無力、不安、生命の障害(孤独になった無力な人間は、その感覚的、感情的、また知的なさまざまの能力を十分に実現することができない。かれは内的な安定性と自発性とをかいている)の3つである。(199~200ページ)

機械的画一性
機械的画一性とは、個人が自分自身であることをやめるのである。すなわち、かれは文化的な鋳型によってあたえられるパースナリティを、完全に受けいれる。そして他のすべてのひとびととまったく同じような、また他のひとびとがかれに期待するような状態になりきってしまう。「私」と外界との矛盾は消失し、それと同時に、孤独や無力を恐れる意識も消える。このメカニズムは、ある種の動物にみられる保護色と比較することができる。かれらはその周囲の状態にまったくにてしまうので、周囲からほとんどみきわめがつかない。個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一となった人間は、もはや孤独や不安を感ずる必要はない。しかし、かれの払う代価は高価である。すなわち自己の喪失である。(203~204ページ)

〇地縁・血縁などの社会的紐帯の希薄化・弱体化が進み、「社会的孤立」や「無縁社会」などが叫ばれるようになって久しい。そのひとつのきっかけは、2010年1月に放映された
NHKスペシャル「無縁社会―“無縁死” 3万2千人の衝撃―」であったと言われる。そして、とりわけ最近のSNS(Social Networking Service)の進展は、ネットワーキングとは裏腹に、新たな社会的孤立や無縁状態を生み出している。そうした日本社会の現状を抉り出し、現代に生きる人間の「存在」(実存)について考えるにあたって、求められる新たな視点・視座をどこにおき、新たな哲学思想をどう構築するかが問われなければならない。その際、「自由」はひとつのディープな概念であろう。そんな認識のもとに、本稿ではフロイトの『自由からの逃走』を取りあげることにした。
〇仲正は、「『自由からの逃走』はかつて、少なくとも私が学生だった30数年前には、現状批判的な社会科学を学ぶ者が当然読んでおくべき基本図書だった」(16ページ)という。筆者はそのさらに前の世代であるが、もうひとつの必読書に、デイヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』(David Riesman,THE LONELY CROWD,1950.  みすず書房、1964年2月)があった。人間の「社会的性格」は、伝統や慣習に従う伝統指向型  → 自分の価値観や良心に基づく内部指向型  → 他人からの承認を求める他人指向型へと変化するという言説である。そして、高度産業社会において人は、他人指向型になり、内面的には孤独感に囚われ、それをやわらげるために群衆のなかに紛れ込む(「孤独な群衆」)のである。
〇余談であるが、当時筆者は、「自由」と「疎外」について、また「社会心理学」に興味・関心をもち、大冊のセオドア・ミード・ニューカムの『社会心理学』(Theodore Mead Newcomb,Social Psychology,1950.  培風館、1956年)や南博の『体系社会心理学』(光文社、1957年)などに “ 挑戦 ” したことが懐かしく思い出される。
〇フロムの疎外論については、観念論的なそれであるとも評されるが、マルクス主義的な言説を併せもつものでもある。例えば[1]には、次のような一文がある。

資本主義においては、人間は巨大な経済的機械の歯車となった。(127ページ)
人間は利益を求めて働く。しかし獲得した利益は消費するためのものではなく、新しい資本として投資するためのものである。(128ページ)
資本の蓄積のために働くという原理は、(中略)主観的には、人間が人間をこえた目的のために働き、人間が作ったその機械の召使いとなり、ひいては個人の無意味と無力の感情を生みだすこととなった。(129ページ)

〇私事に渡るこんなことを思い出しながら、フロムがその重要性を説く「積極的な自由」の核心は、人間が自発的・創造的な活動を展開することにある、ということを再確認しておきたい。

付記
「積極的自由」と「消極的自由」については周知の通り、イギリスの政治哲学者のアイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)もその著――『自由論』(Four Essays on Liberty,1969.  小川晃一ほか訳、新装版、みすず書房、2025年5月)で明示的に定義している。積極的自由は自己実現や自立としての自由、消極的自由は他人の干渉からの自由を意味し、前者を「への自由」(freedom to)、後者を「からの自由」(freedom from)と表現する。バーリンにあっては、この2つの概念は両立するものではなく、衝突するものである。

 

 

阪野 貢/個人が自由に個性と多様性を追求し発揮できる社会をめざして ―ジョン・スチュアート・ミル著『自由論』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、ジョン・スチュアート・ミル著、関口正司訳『自由論』(John Stuart Mill,On Liberty,1859. 岩波文庫、2020年3月。以下[1])がある。周知の通りミル(1806年~1873年)は、19世紀のイギリスを代表する哲学者・経済学者のひとりである。[1]は、自由主義(リベラリズム)の古典と評されるが、そこでミルが論究するのは「市民生活における自由、社会の中での自由」、逆に言えば、「個人に対して社会が正当に行使してよい権力の性質と限界」(11ページ)についてである。
〇ミルは説く。「多数者の専制」によって個人の自由が抑圧・侵害されるなかで、個人の意見や行為の自由を守る必要がある。とともに、人々の生き方の個性や多様性も尊重されなければならない。それは、個人の幸福のみならず、社会のそれにとっても有用であり、社会全体の成長・発展に繋がる。ただ、こうした際の自由には限界があり、他人に危害を及ぼすときに限り個人の自由を制限することが許される(「危害原理」)。そしてミルは、個性と多様性についていう。「個性を打ち砕いてしまうものこそが、何であれすべて専制なのである」(143ページ)。「個性の侵害に対する何らかの抵抗が成功可能なのは、(個性の侵害の)初期の段階に限られている」(166ページ)。「人間は、多様性をしばらく見慣れないままでいると、すぐに、多様性を思い浮かべられなくなってしまう」(166ページ)。
〇なお、[1]の訳者である関口は、その「解説」で次のようにいう。「古典と向かい合うとき、読み手はどうしても、自分の今の考えや想いにぴったり合っている場所を探そうとしがちである。(それは)読み手にとって未知のメッセージを古典が発信していても、それに対する読み手の感度を下げることにつながるので、警戒しておく方が得策である」(277ページ)。
〇ここでは、この指摘に留意しながら、例によって「我田引水」的になることを承知のうえで、ミルの言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書き。見出しと太字は筆者)。それはつまり、「ある問題について、自分の側の見方しか知らない人は、その問題をほとんど理解していない」(84ページ)のである、というミルの言葉を念頭に置きながら、ということでもある。

多数者の専制:政治的専制・抑圧だけでなく、世論や慣習による社会的専制・抑圧にも警戒すべきである
多数者の専制は、当初は他の専制と同様に、主に公的機関の行為を通じて作用するものとしてとらえられ恐れられた。今でも一般的にはそうである。しかし、社会それ自体が専制的支配者である場合には、つまり、構成員の個々人に対して社会全体がまとまって専制的支配者となる場合には、専制の手段は公務担当者たちによる行為に限られない。このことに、思慮深い人々は気づいた。社会は自分で自分の命令を通すことができるし、現にそうしている。もし、社会が正しい命令ではなく間違った命令を出したり、干渉すべきでない問題で命令を出したりするのであれば、種々多様な政治的抑圧よりもいっそう恐ろしい社会的専制が行なわれることになる。なぜなら、社会的専制はふつう、政治的抑圧のように極端な刑罰で支えられていないとはいえ、逃れる手段はより少なく、生活の隅々にはるかに深く入り込んで魂それ自体を奴隷化するからである。だから、統治者による専制への防護だけでは十分でない。支配的な意見や感情の専制に対する防護も必要である。社会には、社会自体の考え方や慣行に従わない人々に対して、そうした考え方や慣行を行為規範として、法的刑罰以外の手段によって押しつけようとする傾向がある。社会の流儀に合わないような個性の発展を食い止め、できればそうした個性が形成されることを防いで、あらゆる性格が社会自体のひな形に合うように強制する傾向である。このような傾向への防護も必要なのである。(17~18ページ)

危害原理:他の人々に危害を加えない限り、人は自由に行為できる(個人の自由が制限されるのは、他人に危害を及ぼすときだけである)
本書の目的は、社会が強制や統制というやり方で個人を扱うときに、用いる手段が法的刑罰という形での物理的な力であれ、世論という形での精神的な強制であれ、その扱いを無条件で決めることのできる原理として、一つの非常に単純な原理を主張することである。その原理とは、誰の行為の自由に対してであれ、個人あるいは集団として干渉する場合、その唯一正当な目的は自己防衛だということである。文明社会のどの成員に対してであれ、本人の意向に反して権力を行使しても正当でありうるのは、他の人々への危害を防止するという目的の場合だけである。(27ページ)

パターナリズム:本人の利益や幸福に役立つからといって、その人の行為に介入・干渉し、強制したり制止したりすることは許されない
身体面であれ精神面であれ、本人にとってよいことだから、というのは十分な正当化にはならない。そうした方が本人のためになるとか、本人をもっと幸福にするとか、他の人々の意見ではそうするのが賢明で正しいことですらあるといった理由で、本人を強制して一定の行為をさせたりさせなかったりすることは、正当ではありえない。これらの理由は、本人をいさめたり、道理を説いたり、説得したり、懇願したりする理由としては正当だが、本人を強制したり、言うとおりにしない場合に害悪を加える正当な理由にはならない。それを正当化するためには、制止したい行為が、他の誰かに危害を加えることを意図しているものでなければならない。この人が社会に従わなければならない唯一の行為領域は、他の人々にかかわる行為の領域である。本人だけにかかわる領域では、本人の独立は、当然のことながら絶対的である。個人は、自分自身に対しては、自分自身の身体と精神に対しては、主権者である。(27~28ページ)/この原理は、成人としての能力をそなえた人々にだけ適用されることを念頭に置いている。議論の対象としているのは、子どもや法定の成人年齢に達していない若者ではない。(28ページ)

意見表明の自由:多数者(派)の意見が、少数者(派)の意見表明を沈黙させる・抑圧することは許されない
私は、意見表明に対して強制力を行使する権利を、国民自身にもその政府にも認めない。そのような権力自体が不当なのである。最善の政府でも、最悪の政府と同様に、そういう権力を持つことは許されない。このような〔意見表明を抑圧する〕権力は、世論に逆らって行使する場合と同じように、世論に沿って行使する場合でも有害であり、あるいはいっそう有害である。一人以外の全員が同じ意見で、その一人だけが反対の意見だったとしても、その一人を他の全員で沈黙させるのは不当なことである。その一人が権力を持ち、それによって他の全員を沈黙させるのが不当なのと同じである。(41~42ページ)/意見表明を沈黙させることには独特の弊害がある。沈黙させることで人類全体が失ってしまうものがある。(42ページ)

一本の樹木:人間の本性は機械ではなく、樹木のようにあらゆる面にわたって自らを成長・発展させることを求めている
自分の人生のあり方を、世間任せにしたり自分の周囲の人任せにしたりしている人に必要なのは、猿真似の能力だけである。自分の人生のあり方を自分自身で選ぶ人は、自分の能力のすべてを駆使する。こういう人は、見るために観察し、予見するために推理して判断し、意思決定するために判断材料を収集し、結論を出すために識別力を発揮し、さらに結論に到達したら、自分の考え抜いた上での結論を貫き通す強固な意志と自制心を働かせる、というように、さまざまな能力を駆使しなければならない。(132ページ)/人が何をするかばかりでなく、それをするのはどんな人なのかということも、本当に重要なのである。人間が作り出す作品の中で、人生を費やして完成させ美しくするのにふさわしいものは色々あるが、その中でいちばん重要なのは、間違いなく、人間そのものである。(133ページ)/人間の本性(ほんせい)は、図面通りに作られ決まりきった仕事を正確にこなすように設定された機械ではない。一本の樹木である。人間の本性は、自らの内部にあって自らを生命あるものにしている諸力の趨勢に従いながら、あらゆる側面で自らを成長させ発展させることを求めているのである。(133ページ)

個性の社会的有用性:個性の発展はその本人のみならず、他の人々にとっても価値あるものとなり、社会を活気づける
人間が高貴で美しいものとして観照の対象になるのは、個性的なものがすべてすりつぶされ画一的にされているからではない。他の人々の権利と利益のために課された制約の範囲内で、個性的なものが陶冶され引き出されているからである。人間の生活も、作品が制作者の性格を帯びるのと同じような過程を経て、豊かで多様で生気に満ちたものになる。そして、高潔な思想や品位を高める感情にいっそう豊富な養分を与えるとともに、人類の一員であることの価値を最高度に高めることによってあらゆる個人を人類に結びつける絆を強化する。各人は、自分の個性の発展に比例して、自分にとっていっそう価値あるものとなり、また、その結果として、他の人々にとってもいっそう価値あるものになることができる。それぞれの人間の存在にいっそう充実し生命が宿り、〔個人という〕構成単位の生命力が高まると、そうした単位から構成される集合体の生命力も高まることになる。(141~142ページ)

生き方の多様性:個人の好みの多様性に基づいて生き方を決めることは、それ故に最善である
自分の流儀で生きていくことを正当に要求できるのは、精神面ですぐれていることが歴然としている人に限られるわけでもない。どんな人間に関してであれ、人間を一つのひな形とか少数のひな形とかに合わせて作り上げてよい、とする理由はない。適度の常識や経験を持っている人であれば、自分の流儀で生き方を組み上げるのが最善である。そうであるのは、その生き方自体が最善だからということではなく、それが本人自身の生き方だからである。人間は羊のようなものではない。それに、羊にしたところで、見分けられないほどたがいに似ているわけではない。(151~152ページ)/すべての人間を一つの鋳型にはめようとすべきでない理由として、人々の好みの多様性ということしかなかったとしても、これだけで十分な理由である。しかし、さらに言えば、それぞれに異なっている人々は、自分の精神的発展のためにそれぞれ異なった条件を必要としている。だから、全員が同一の精神的な空気や環境の中で元気に生きていく、というのは無理な話である。多様な植物のすべてが同じ自然の空気や環境の中では元気に生きていけないのと同じことである。(152ページ)

改善への自由:改善を着実にもたらす唯一のものは自由である
習慣の専制は、あらゆるところで、人間の発展をつねに妨害していて、習慣的なもの以上のすぐれた何かをめざす志向に絶えず敵対している。この志向は、状況次第で、自由の精神と呼ばれたり、進歩の精神とか改善の精神と呼ばれたりする。(158ページ)/改善の精神は、必ずしもつねに、自由の精神であるわけではない。なぜなら、改善の精神は、国民が乗り気でないのに、彼らに改善を強要しようとする場合もあるからである。自由の精神は、こうした企てに抵抗する限りでは、部分的かつ一時的に、改善の敵と同盟することもある。しかし、改善を着実にもたらす唯一のものは自由である。なぜなら、自由によって、改善の拠点は、個人と同じ数にまで増やすことができるからである。しかし、〔改善と自由が対立することもあるにせよ〕進歩の原理は、自由への愛という形であっても、改善への愛という形であっても、慣習の支配には対立し、少なくともその束縛のからの解放にかかわっている。そして、進歩と慣習のあいだの抗争は、人類の歴史の中で特に興味をそそる点である。世界史の大部分が、正確に言えば歴史ではないのは、習慣の専制が完璧なためである。(158~159ページ)

〇ミルにあっては、「意見の自由と意見を表明する自由」は、すべての自由の前提であり、「人類の精神的幸福」を左右する(119ページ)。意見と意見表明の自由について、ミルの説くところをメモっておく(抜き書き)。

もはや疑わしいと思われなくなっている物事については考えなくなってしまうという、人間の致命的な傾向は、人間が犯す誤謬のうちの半分を生じさせている原因である。(99ページ)

ありがちなケースは、対立する主張のうちの一方が正しく他方は間違っているというのではなく、いずれもが真理の一部を含んでいる、というケースである。こういう場合は、広く受け容れられている主張の方も真理の一部しか含んでいないので、真理の残りの部分を補なうために反対意見が必要となる。(104ページ)

人々が双方の意見に耳を傾けざるをえないときには、いつでも望みがある。一方の真理にしか耳を傾けないときこそ、誤謬が偏見にまで凝り固まり、真理は誇張され虚偽にまでなってしまい、それで真理の持っている意味を失うのである。(118ページ)

たとえ正しい意見であっても、意見の主張の仕方に非常に問題があり、厳しく非難されても当然なこともあるだろう。(中略)特に最悪なのは、詭弁を使うこと、事実や論点を隠蔽すること、議論の要点をはぐらかすこと、あるいは、自分に反対する意見を歪曲して述べることである。(121ページ)

論争当事者が行なえる攻撃のうちで最悪なのは、反対意見の持ち主に、邪悪で不道徳な人物という汚名を着せることである。(122~123ページ)

社会全般に受け容れられている意見に反対する意見が傾聴してもらえるのは、たいていは、穏やかな言葉を慎重に選んで、不要な攻撃を受けないよう用心している場合だけである。(123ページ)

〇いまひとつ、「教育の多様性」について、ミルの言説をメモっておくことにする。以下のそれは、人間は「知的な存在であり道徳的な存在である」がゆえに、「討論と経験によって、自分の誤りを正すことができる」(49ページ)という人間観(人間は自己教育力をもつ存在である)に基づくものである。また、ミルにあっては、教育は個人の自由と社会の進歩にとって不可欠な要素である。そして、国家が教育を独占することに強く反対するが、「子どもや法定の成人年齢に達していない若者」(28ページ)は、未成熟であるがゆえに自由の原理の適用から除外され、国家による教育制度を必要とするのである。

現代の政治面での変化はすべて、同一化を促進している。(中略)教育の拡大もすべて同一化を促進している。なぜなら、教育は、人々を共通の影響下に置き、諸々の事実や感情をまとめて集めた収蔵庫を人々が利用できるようにするからである。(164~165ページ)

国家が自国の市民として生まれたすべての人に対して、一定水準までの教育を要求し義務づけるべきなのは、ほとんど自明の理ではないだろうか。(231ページ)

国民の教育の全部ないし大部分が国家の手に委ねられるのであれば、これを非難する点で私は誰にも負けない。性格が持つ個性の重要性や、意見や行為の仕方における多様性が持つ重要性について論じてきたことはすべて、教育の多様性という、同じく語りつくせないほど重要なものとかかわっている。国家が国民全般を対象にした教育を行なうことは、人々をたがいにそっくり似ているものへと仕立て上げる手段にしかならない。また、国民を形作るそうした鋳型は、君主、聖職者集団、貴族階級、あるいは現世代の多数者のいずれの政府であれ、支配権力に都合のよいものであるから、そうした教育が有効で成功すればするほど、精神に対する専制を打ち立てることになり、自然の成り行きとして身体に対する専制的支配につながっていく。(233ページ)

阪野 貢/「フーテンの寅さん」と「シンちゃん」、共同体における生贄(いけにえ)の選出と排除の構造 ―赤坂憲雄著『排除の現象学』のワンポイントメモ― 

〇筆者(阪野)の手もとに、赤坂憲雄(あかさか・のりお)著『排除の現象学』(岩波現代文庫、2023年3月。以下[1])がある。赤坂は、「東北学」を提唱した著名な民俗学者である。[1]の初版は1986年12月である。[1]では、40年後の今日においてもその度合いを深めている差別や排除の社会現象の構造を解明し、その核心を突く。その要点のひとつは、共同体――ゲマインシャフト(地縁共同体)やゲゼルシャフト(利益共同体)は、差異の体系のうえに組み立てられている。その秩序や利得から外れ、そのシステムを乱す者(マイノリティ)は差別され、排除される。それによって新たな差異の体系が再編される。すなわち、差別や排除の思想は、共同体の秩序の体系と結びついている、というのである。
〇赤坂はいう。「あらゆる秩序の起源には、秘められたひとつの死の風景が横たわっている。原初における供儀(くぎ:神霊に生贄を捧げる儀式や慣行:阪野)、または秩序創出のメカニズム。共同体は異人(=異質なる人)という内なる他者を殺害することにおいて、共同体であることへと自身をさしむける。言葉をかえれば、わたしたちは異人の殺害という現実の、または象徴劇のなかに内面化された共同行為を媒介として、みずからをかれらとは異なるわれらへと自己同一化するのである」(228ページ)。すなわち、共同体(差異の体系)⇒秩序のメカニズム⇒秩序の混乱・破壊⇒差異・異人の排除⇒共同体の再編・保持。これが、共同体が持つ、その秩序(均質化)からはみ出した差異・異人を差別・排除し、集団的アイデンティティを形成する暴力装置である。
〇こうした点を赤坂は、1980年代に世間を賑(にぎ)わせた学校におけるいじめや横浜の浮浪者襲撃事件、埼玉のニュータウンにおける自閉症者施設設置反対運動などを題材に、「排除の現象」をエッセイ風に語り、その本質を鋭くえぐり出す。
〇例によって恣意的であるが、赤坂の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

フーテンの寅さん/下町という人間共同体/排除の物語
フーテンの寅次郎は、映画のなかではたしかに、ユーモアあふれる愛すべき道化的主人公である。しかし、現実には、寅次郎は家郷(かきょう:ふるさと)を逐(お)われたはみだし者、つまり、下町という人間=共同体にうまく馴染めず、そこに定住の場を確保することに失敗して出奔(しゅっぽん:逃げて跡をくらますこと)した逸脱的な異人にほかならない。跡取り息子である(らしい)にもかかわらず、家を捨て共同体を去り、テキ屋のタンカ売(ばい)をしながらさだめなき放浪生活をつづける寅さんは、それでもけなげに、誇らしげに「葛飾柴又(かつしかしばまた)、帝釈天(たいしゃくてん)で産湯(うぶゆ)をつかい‥‥‥」と、みずからを追放した共同体への忠誠と愛を語りつづけるのだ。(20ページ)
疑いもなく、映画『男はつらいよ』は、フーテンの寅という名の異人をめぐる怖(おそ)るべき排除の物語である。(21ページ)
下町という人間共同体、その仮構(かこう:無いことを仮にあるとすること)された親密なる世界から逐われ、放浪の境涯をえらばざるをえなかった異人の怨念(おんねん)や毒は、かぎりなく希薄にされ、ひとりのアブない異人を優しげに抱擁してみせる下町=共同体こそが、ひそかなる絶対者の座を占めるのだ。(21ページ)

秩序=差異の体系/いじめ=全員一致の暴力/差異の消滅と体系の再編
いじめが「冗談関係」としてではなく、全員一致の暴力のつらぬかれる供犠の庭と化しているところに、いまの子どもたちをとりまく状況の変化を読みとるべきなのである。もはや、それは遊び=ゲームというにはあまりに苛酷な、抜きさしならぬ限界状況のなかに演じ、くりひろげられる負の祝祭といってよい。(41ページ)
1979年に養護学校が義務化され、あきらかな差異をかかえた子どもとそうでない子どもとの分離が、公然とおこなわれるようになった。(63ページ)
学校はいま、あきらかな差異を背負った子どもを排除することによって、かぎりなく閉ざされた均質的時空を形成しているのだ。(67ページ)
秩序は差異の体系のうえに組みたてられている。差異が消滅するとき、成員たちは模倣欲望の囚人(とりこ)となり、たがいに模倣しあい均質化してゆく。いわば、分身の状態。この分身化こそが、差異の消滅のさけがたい帰結のかたちである。そのとき、秩序は安定をうしない。カオスと暴力の危機にさらされる。自己とその影、あるいはオリジナルとコピーが殺戮(さつりく)劇を演じはじめる。このような分身の普及、憎悪を完全に相互交換しうるものにするいっさいの差異の完璧な消失は、全員一致の暴力の必要かつ十分な条件となる。(71ページ)
差異の消滅。この秩序の危機にさいして、ひとつの秘め隠されていたメカニズムが作動しはじめる。全員一致の暴力としての供犠。分身と化した似たりよったりの成員のなかから、ほとんどとるに足らぬ徴候(しるし)にもとづき、ひとりの生け贄(スケープ・ゴート)がえらびだされる。分身相互のあいだに飛びかっていた悪意と暴力は、一瞬にして、その不幸なる生け贄に向けて収斂されてゆく。こうして全員一致の意志にささえられて、供犠が成立する。供犠を契機として、集団はあらたな差異の体系の再編へと向かい、危機はたくみに回避されるのである。(72ページ)
学校ないし教室という場は、それが秩序をなす空間であるかぎり、たえまない差異化のメカニズムにささえられている。差異の体系のうえになりたつ、といい換えてもよい。そして、いま学校からは可視的な差異を刻まれたものたちがことごとく追放されている。子どもたちはきわめて微細な差異をおびつつ、学校とその周辺を浮游(ふゆう)しているのである。(72~73ページ)

「健康な差別」/スティグマ=聖痕/“善意”の錦の御旗
神話や伝説の世界のヒーローたちのなかに、しばしば心身に障害・欠損・疾病を負った者らの姿がみいだされる。そこでは、障害や欠損はスティグマ=聖痕(せいこん:神性な・宗教的な傷)であり、かれらはそれを聖なるものに刻まれた徴(しるし)として、神話的なヒーローへと劇的に成りあがるのである。(312ページ)
かつて、乞食(家々の門に立って食を乞う者)は神であった。すくなくとも訪れる乞食を、聖なる者として敬意をもって受容する宗教的な態度なり心情なりが、疑いもなく存在した。わたしたちの眼にはいささか奇異なものに映るとしても、ある位相にあっては、卑しい乞食は聖なる神であったのだ。(314~315ページ)
(劇作家の別役実は、「健康な差別」「不健康な差別」についてこんなふうに語った。)すなわち、われわれがこうした不幸な、不潔な人々に出会ったとき、たとえそこに差別があったとしても、それはいわば「健康な差別」であったのだ。共同体が不幸な人々を乞食として許容し、人々がかれらに同情でき、かれらに金銭を与えることになんの疑いも持ちえないとすれば、それは共同体が健康なせいである、と。(318ページ)。
(別役がいう)“不健康な差別”とは、わたしたちが差別という現実から巧妙に逃れ、それとじかに対峙しないですむ心理的な安全弁のようなものである。この安全弁を作りだしているのが、差別する側/差別される側をともに巻き込んだ、善意を錦の御旗にかかげる不可視の共同体であるらしいことが、問題を幾重にもがんじがらめに呪縛しているのではないか。(324ページ)

「シンちゃん」/「不健康な差別」/表層の言葉狩り
「シンちゃん」とは、身体障害者のことである。(324ページ)
子どもたちは差別はいけないことだと知っている、「いざり」や「びっこ」を嘲笑したりすれば、親や先生かだれか大人に叱られることをよく知っている。だからこそ、「シンちゃん」なのだ。「シンちゃん」は悪意を散らしてくれる、嘲笑を親愛の身振りに変じてくれる、差別/被差別という酷(むご)たらしい関係を曖昧に溶かしてくれる。(325ページ)
「シンちゃん」をめぐるよじれた風景の裏側に、別役のいう“不健康な差別”が貌(かお)を覗(のぞ)かせている。それは剝(む)きだしの“健康な差別”よりも、直接的な暴力性を希薄にしかもたないだけに、すこしは良質(まし)ではあるにちがいない。しかし、そこに埋めこまれた差別の構造ははるかに隠微に屈折して、視(み)えにくくなっている分だけ、よほど性質(たち)が悪いともいえるかもしれない。なにより、そこでは誰も差別という現実とじかに対峙しあう必要がない、そうして問題が無限に先送りされてゆく仕組みになっている。「シンちゃん」という名の透明な悪意の偏在を前にしては、(「差別用語」「放送禁止用語」などと称される:阪野)表層の言葉狩りがどれほど無力かということに、そろそろ気付くべきときが来ているのではないか。(326ページ)

〇別役がいう「健康な差別」と「不健康な差別」、そのうちの「不健康な差別」について一言する。それは、自覚なき差別であり、赤坂の言によると、上述のように「差別という現実から巧妙に逃れ、それとじかに対峙しないですむ心理的な安全弁」(324ページ)である。しかし、われわれが所属する・所属せざるを得ない共同体は、差別と排除を構造的に内包するものである以上、われわれは共同体の再編・保持のために生贄を探し、それを差別し排除する存在でもある。それは同時に、差別され排除される存在でもあることを意味する。われわれは、そのことを自覚し、「優しさ」や「思いやり」「善意」といった心情的な言葉を操(あやつ)る策に弄(ろう)するのではなく、差別とりわけ「不健康な差別」や排除にいかに、「じかに対峙する」かを問うべきである。
〇なお、差別や排除にもつながる「偏見」について、赤坂はこういう。付記しておく。

偏見とはむしろ、異質なるものに遭遇したとき、対象との差異を自己との関わりにおいて鮮明に把握しようとつとめることなく、旧来の諸カテゴリーの鋳型に封じこめようとするか、あるいは、関係の構築自体を断念して忌避(きひ)しようとする心理的な硬さの謂(いい:意味)にほかならない。(中略)心理的な硬さとは、あらゆる事象がはらんでいる曖昧性や多義性をそのままに引きうけ、そこに生じる苦痛や不安に耐えてゆく意志の欠如した生のありようである。(217~218ページ)

阪野 貢/「悪人を生きる」という一章 ―今中博之著『悪人力(あくにんりき)』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、今中博之(いまなか・ひろし)著『悪人力(あくにんりき)―逆説的教育論―』(河出書房新社、2025年3月。以下[1])がある。今中はいう。人は皆、「悪人」である。「悪人」とは、「自分の好むものをむさぼり、自分の嫌(きら)いなものを憎み嫌悪する。ものごとに的確な判断が下せずに、迷(まよ)い惑(まど)う自己中心的な人間」(1ページ)をいう。そうした人間は、「アイデンティティが強まると、外の集団を敵視し、自分の集団の仲間同士の結束を強めようとする。仲間への愛が敵を意識し、そこに線引きをして、仲間同士で安全な場所を作り防御する」。このように、私たち人間は、自分が何者であるかを認識し、同じ仲間を「愛すれば愛するほど、愛されれば愛されるほど、悪人になる」。すなわち、「私たちの悪の根源には『愛』がある」(2ページ)。悪は愛に裏付けられている。こうした「悪人の自覚」を促すことによって人は、自分の弱さを自覚し、他者を信用し、他者に助けを求め(「自立」)、周りの人と協力し合って生き延びること(「共同」)ができる。悪を自覚することは弱さを自覚することであり、「悪を受容することは弱さを受容し、他者を受容すること」(197ページ)である。
〇[1]は、悪人を自覚して善人になることを勧め、その方法を説くものではない。今中は、人は悪人と善人の間を揺れ動いて生きる存在であり、それゆえに「悪を抱きしめて生きる」ことを勧める。ちなみに、今中にあっては、善人とは、「思考や行為、感情が偏(かたよ)らずバランスがとれていて、固執しない水のような人」を指す。現実的には、そのような常人離れした人間は存在しない(35ページ)。
〇こうした立論を今中は、「哲学」と「思想」、そして「宗教」(特に仏教)の知見を基に強固なものにする。それによって[1]は、ありふれた定型的な(つまりは空虚な)「悪人」言説ではなく、「人間とは何か」を問う「人間論」となる。しかもそれは、弱い人の苦しみや悲しみ、怒りや悪を、幸せや愛に変える「人間福祉論」である。

〇なお、今中は吐露する。子供の頃、家族は貧困に喘(あえ)ぎ、障がいがあるゆえに言われない差別を受け、不条理が私と家族を襲ってきた。「子供を授かれば2分の1で私と同じ痛みを負わせることになる。(中略)私は早くに家族を失い、家族水入らずの生活に強い憧れがありました。珍しい病気だから珍しい家族で終わりたくなかったのです」(193~194ページ)。筆者が、『観点変更―なぜ、アトリエインカーブは生まれたか―』(創元社、2009年9月)を知ってから、人間・今中博之に惹かれる所以でもある。

付記
筆者が、『観点変更』で今中博之という「人間」に感応したのは、次の一節である。「新聞記者の取材を受け、いくら時間をかけて説明しても、新聞に躍る文言は『頑張っている障害者』や『アートで生きがい作り』、『障害者アート』だった」(144ページ)。「私は彼らのクリエイティブな能力に心酔してインカーブを立ち上げた(2003年4月)。お涙頂戴や見世物小屋として立ち上げたわけではない」(298ページ)。今中の「怒り」にである。その怒りは、個人的なものではなく、社会の正義に基づいて湧きあがる公共のための怒り(「公憤」)である。

阪野 貢/「民主主義を動詞にする」という一章 ―宇野重規著『自分で始めた人たち』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、宇野重規(うの・しげき)著『自分で始めた人たち―社会を変える新しい民主主義―』(大和書房、2022年3月。以下[1])がある。[1]は、東京大学公共政策大学院と諸団体が開催する「チャレンジ!!オープンガバナンス(Challenge Open Governance:COG)」という企画や東京大学教養学部前期課程の「全学体験ゼミナール」を通して、宇野が知り合った人たちとの対話を集めたものである。COGは、自治体と市民がともに抱える地域課題を協働して解決していくこと(オープンガバナンス)をめざして、自治体とタッグを組んだ市民や学生チームが課題解決のアイディアを応募し、審査委員が評価するというコンテスト形式のプレゼン大会である(2ページ)。
〇[1]における宇野のねらいは、「新たな民主的な政治参加の文化の確立」(8ページ)をめざして、多様な社会的経験に基づく実践的な民主主義を考えることにある。宇野にあっては、[1]のポイントは次の3点になる(5~8ページ、抜き書き)。

(1)デジタル化時代の民主主義
特別な場所や立場になくても、多くの人が容易に知や情報にアクセスできることこそが、民主主義の基礎条件である。その意味では、現代のデジタル化の進展は、民主主義の新たな可能性を開くのかもしれない。いわゆる「デジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation:DX、AI・ビッグデータ・画像解析など、コンピュータやインターネットを中心としたデジタル技術を活用した変革)」も、単なる技術的変化ではなく、政治や経済、社会のあり方を変えてこそ、意味がある。

(2)日常に根差した民主主義
選挙だけが民主主義ではない。地域の無名の市民による自治の活動に、民主主義の原動力を見出すことができる。地域の社会的課題を市民自らが解決していくことこそが、現代にふさわしい民主主義といえる。「政府」や「役所」はそのための手段に過ぎない。私たちは今こそ、民主主義を自分たちのものにする必要がある。

(3)社会を変える人の力
社会を変えるような人たちは、社会的地位に付随するものではない、平場で発揮される強いリーダーシップを持っている。そのような人たちは、自らが率先して動き、自らの情熱と行動、そして魅力的な「言葉」で人を動かしている。そこにはその人の人格に根差す「人間力」のようなものが重要な働きをしているように感じられる。

〇[1]に登場する人たちは、何故か女性ばかりである。宇野は、「偶然」である。「地域や活動の現場を支え、主導されている方に女性が目立つということは、日本社会の可能性ともいえる」(5ページ)という。彼女らの熱量には圧倒される。その対話に基づいておこなわれた「座談会 これからの民主主義を考える」(231~270ページ)で、宇野らは深く語る。宇野らの思いやメッセージをメモっておくことにする(切り抜きと要約)。

澁谷遊野/COGは、民主主義を名詞ではなく動詞としてやっている感じがする。民主主義やオープンガバナンスが名詞として、概念的なものとして語られるのと比べて、日常生活と地続きのところにある、日常とつながっているというところにすごく共感した。(243ページ)

奥村裕一/役所は市民と一緒に仕事をしようとする姿勢が足りないし、市民には、社会のことを自分のこととして捉え、一端を自分たちが担っていこうとする姿勢が足りていない。私の最終目標は、オープンガバナンスが当たり前の社会を実現することです。現段階の目標達成率は0.1%ぐらいでしょうか。(247ページ)

宇野重規/「デモクラシー」とは本来、人々が実際に力を持って世の中を動かしているという実感のようなものです。日本語の「民主主義」をもっともっと手触りや手応えのある言葉にするためにも、自らの実感に裏打ちされた「自分たちのことは自分たちで決めたい、変えていきたい」という思いや経験を蓄積していきたい。(268ページ)

〇これまでときに、あるいは一面では、「まちづくりと市民福祉教育」が字面(じづら)で語られてこなかったか。理念としてのそれではなく、「動詞としての民主主義」を考え、新たな民主的な市民参加の文化やそれに基づく福祉文化の創造や確立を如何に図るかが、問われよう。

阪野 貢/「挨拶できるように生きる」「挨拶に生きがいを感得すべきである」という一章―鳥越覚生著『挨拶の哲学』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、鳥越覚生(とりごえ・かくせい)著『挨拶の哲学』(春風社、2024年6月。以下[1])がある。鳥越にあっては、「挨拶は他者に対して無関心(indifferent/gleichgültig)になっていないこと、それどころか他者の苦しみの傍に立つことを告げる祈りである」(17ページ)。そしていう。私たちは現代社会において「挨拶を交わす共生共苦の知をいつしか忘れ、事物を分別する世知(せち)に聡(さと)くなる。ものごとに囚われ、執着する。社交辞令の挨拶で満足するようになる」(7ページ)。それでも、だからこそ、「無明(むみょう)に覆われた人生に美しい瞬間があるとすれば、それは身内や他者と心から挨拶を交わせた瞬間なのではないか」。「人は森羅万象と挨拶をするために生まれて来たのではないか」(8ページ)。人は「誰でも生きている限り、地上で立ち止り、利害関心を離れさえすればできるという意味で挨拶は『易しい』。それと同時に、利己心を否定し、身を低めるという意味で挨拶は『優しい』。この人間の<やさしさ>にこそ、未来を賭(か)けたい」(226~227ページ)。すなわち、鳥越は[1]で、挨拶という現象の意義を解明するなかで、挨拶に生きがいを感得し、「挨拶できるように生きる」ことの重要性を説くのである。
〇なお、鳥越は、「哲学」についてこういう。「西洋哲学の源流に遡れば、哲学は『よく生きる』ための知恵を愛する学問である」(153ページ)。「残念ながら、現代において利益に直結しない『よく生きること』を学問的に考えられるのは哲学しかない」(154ページ)。
〇[1]において鳥越は、「挨拶という事象の基本」について次のように指摘する(154~155ページ)。

・挨拶は一人ではできない。必ず相手が要る。この相手が私に先立つ。
・挨拶は強制ではない。声をかけるのも、それに応えるのも私たち次第である。
・挨拶は価値をもたない。無償の奉仕であり、祈りである。

〇挨拶は、一人ではできない、強制ではない、価値をもたない。鳥越はこの3点を明らかにする「挨拶論」を進める。その際、人はか弱く生身の存在であるがゆえに利害関心に囚われ、「どうでもよいもの」「余計なもの」に無関心になるというその姿(「人間の無関心」)や、人は大自然に養われ、生かされ、感応するという人間のあり方(人間存在)などを問う。そして、鳥越にあっては、利己の否定、利害関心からの離脱や、大自然への感応が、挨拶するために不可欠な契機となる(195ページ)。
〇鳥越の言説の要点(総括)のひとつをメモっておくことにする(抜き書き。見出しは筆者)。

挨拶は「共に生きる言葉」である
道をてくてく歩いていて、知り合いと出会(でくわ)したとする。/もしも立ち止まり、おじぎをして「こんにちは」と挨拶できたなら、私は私であって、私ではない。利害関心に囚われて働いていた足が止まると、心身ともに一息つく。浮き足だっていた足が地につき、落ち着くのだ。そして、相手と対面して、頭を下げる。身体中に指令を出していた頭が下がる。それは身を低めることであり、利己心から離れることでもある。同じ大地の上で、二人の人間が地に足をつけて頭を下げ合うことは、他者を排除したり、他者を利用する自我を否定し、他者を迎え入れる「自己」になることである。そのとき、自己は利他を志向している。こうして、ま心の通いが準備される。一度、身を低めて、わたしとあなたが同じ大地の上で向かい合うことにより、挨拶の場が開ける。/その時その場で生まれる言葉は、「共に生きる言葉」である。それは、二人で一人、一人で二人の関係をつなぐ言葉である。(195~196ページ)

挨拶は人間の生きがいとなりうる
人生の不朽(ふきゅう)の喜びは何か。人生の悲惨、その軽さや不条理は人口に膾炙(かいしゃ)している。生きていることが重荷となり得ることも否定できない。それは、後期高齢化社会に生きる私たちが肌で感じていることでもあろう。人生に疲れ、夜と霧に惑(まど)い、迷う人にとって、他者は確かに余計な重荷となる。余計なものにみえることもある。けれども、その暗がりの中だからこそ、「本当に大切なもの」が輝きだす。どうしようもない人間同士が、互いに思いやり、挨拶することができる奇跡。ま心を通わせる喜びは、お金では買えないものである。何よりも、それは自分一人ではどうにもならない。他者がいるからこそ、それも自分の意のままにはならない自由な他者がいるからこそ、挨拶は喜ばしい。/労多く幸薄い人生に不朽の喜びと呼べるものがあるとしたら、それは、相手さえいれば、誰でもいつでもできる挨拶の他にあるまい。挨拶は、互いに無関心になってしまうどうしようもない私たちを、互いの名前を呼び、存在を肯定し、ま心を通わせるかけがえのない存在に高めるのである。/少なくとも、挨拶が生きがいである限り、他者は腹の底から湧き出てくる不朽の喜びを私に与えてくれる「かけがえのない存在」である。(219~220ページ)

〇文脈上に齟齬(そご)があることを承知のうえで、聖書(フィリピ2:3、4)がいう「謙遜」について引いておきたい。「対抗心を抱いたり、自己中心的になったりしてはなりません。謙遜になり、自分より他の人の方が上だと考えてください。自分のことばかり考えずに、他の人のことにも気を配りましょう」(新世界訳)。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(新共同訳)。人より自分を低くみる「謙遜」の類義語に、「慎(つつし)み」がある。「慎み」とは、自分自身を正しく評価すること、自分の限界をわきまえることを言う。「知恵は、慎みのある人たちと共にある」(箴言11:2/新世界訳)。謙遜と慎みは、挨拶するに際し、お互いに求められる態度・姿勢でもあろうか。

阪野 貢/「死ぬまで生きる」ための一章 ―佐々木中著『万人のための哲学入門』のワンポイントメモ―

エピクロスやスピノザ、ニーチェは、「自分の死を経験することはできない、死んだ時には自分はいないのだから、死を恐れる必要はない」と言いました。(中略)人間は生きている以上死ななくてはならないという、このことについて目を背ける態度こそ、哲学失格と言わざるを得ない。(下記[1]21ページ)。

哲学は、全く新しい情報をあなたに与えるものではない。むしろ、言われてみれば知っていたことを、新たに喚起することが哲学の役目です。(下記[1]83ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、佐々木中(ささき・あたる)著『万人のための哲学入門―この死を謳歌する―』(草思社、2024年11月。以下[1])がある。[1]は、薄くて(四六判変型、96頁)、中身の濃い本の典型である。
〇「哲学入門」と題する本は、哲学史の解説や哲学的問題の回答をおこなうものが多いが、佐々木は「哲学とは死を学ぶこと」(19ページ)であるとして「死」を直視し、死について論究する。その語り口はシンプルで無駄がなく、平易である。佐々木はいう。「自分自身にのみ固有であって、なお万人に共通する体験が一つだけある。それは死です」(30ページ)。「死とはつねに『他人の死』であり、そこで死ぬのは不特定の『ひと』である。実際、われわれが体験するのはつねに『他人の死』なのです。自らにだけにしかない自らの死を体験することはできない。さらに、あなたがあなたの死を死に終えることができるのは、つねに他人のまなざしを通して、他者の確認を通じてに他なりません」(46ページ)。自分やあなたの死を確認するのは、まぎれもなく他者なのである。「私の死は私が死ぬしかない。あなたの死はあなたが死ぬしかないように。こうして死は『共有』されている。断絶をそのままに、死においてわれわれは初めて共通のあり方をする」(31ページ)のである。
〇[1]で佐々木が言わんとするのは要するに、こうである。核心は、こうである。「人間は生まれてくることを選べません。それなのに、生まれてきた以上は死ななければならないのです。こんな理不尽なことがあるでしょうか。/自分が生まれてくる前に、「生まれますか?」「生まれていいですか?」と聞かれて、イエスと答えて生まれて来た人は誰もいない。さらに、どこに、どの時代に、誰を親として生まれるかすら全く選べない。そしてまた、人間というものは不思議なもので、死んだこともないくせに死ぬのは怖いわけです。何も許可した覚えはない、同意した覚えはないのに産み落とされ、生まれてきて、そして生きている以上はいつか死なねばならない。そして、――百年か千年かすれば、われわれのことを覚えている人は誰一人いないのです」(86~87ページ)。そして、佐々木はいう。「ただ、われわれには藝術があり、そこでこの定めを笑うことを学ぶことができる。この定めを悲劇ではなく喜劇とすることができる。そこから、陽気に、快活に、哄笑(こうしょう。大笑い)しつつこの定めを生き抜くことができるようになるかもしれないのです」(86~87ページ)。[1]のサブタイトル「この死を謳歌する」の意図や意味はここにある。
〇[1]のなかから、留意したい次の二つの言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「とりあえず」と「たまたま」の「生」に「意味を与える」
そもそも何かのために生まれた人などいません。人生に目的はない。ないからこそ、目的を設定する余地が生まれてくるわけで、初めから自分に断りもなく目的が設定されている人生があるとしたら、それは奴隷の人生です。(20ページ)
人生は「とりあえず」と「たまたま」で出来ている、つまり偶然である。(13ページ)/自分が定めた目的を達成したり計画が成功したりするのは、「たまたま」の出会いからだったり、「とりあえず」身につけていた知見がものを言ったからだったりもする。(16ページ)/人生は、「とりあえず」と「たまたま」しかない、目的も計画も立たないような「寄るべない」生である。(17ページ)
自分の生に意味があるかどうかは問題ではない。意味は与えられるものではありません。むしろあなたが意味を与える側なのです。(中略)そして、この「意味を与える」ことが、愛するということでなくて何でしょうか。(88、89ページ)
いくらわれわれの生と死が果敢無(はかな)くなっていくばかりだとしても、われわれには意味を与える力は残されている。(89ページ)

社会的変革の問題は究極のところ教育=儀礼の問題に行き着く
人類の文化の端緒には「葬礼」がある。(中略)人間は太古の昔から死者を弔(とむら)うことに力を注いできました。(中略)弔いの儀式を行うのは人間だけだと言えるでしょう。(49、50ページ)/儀礼(阪野:礼儀、礼式)の重要性はどうしても否定できないと思う。(中略)儀礼は教育であり、教育は儀礼なのです。もう少し強い言葉を使えば「調教」とも言える。儀礼とは、「感性的な反復によって『主体』を形成する」手続きと言っていい。(53ページ)
個々の主体を「ボトムアップ」式の、言うなれば民主的なものにするためには、個々の主体が「再設定」されていなければならない。シラーは、この「再設定」の手続きを人間を作り出す「藝術」、「教育的なそして政治的な藝術家」による「藝術」であると言う。(中略)この「人間を製造」する「藝術」、すなわち「教育」は「儀礼」なのです。新しい社会のためには、新しい儀礼による、新しい主体の形成が必要だ、と。それなしには、いかなる革命も独裁に終わるであろう、と。(59~60ページ)

〇いずれにしろ、生まれることも、生きることも、そして死ぬことも、「とりあえず」と「たまたま」で出来ており、「理不尽」(18、86ページ)なことである。いま、社会では、個性や多様性、自立や共生が強調されている。その社会や国家によって、自分の生死に否応なしに「意味」が付与される。しかし、自分や人の生死に意味を与えるのは、自分であり、あなたである。そこには、「愛」がある。そして、その際に求められるのは人間を作り出す藝術、すなわち教育であり、儀礼である。それはわれわれに残された「強大な力」(89ページ)である。これが、佐々木からのメッセージである。そして、佐々木にあっては、ここまでが「哲学入門」であり、ここからは藝術の問題となる(87ページ)。