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「社会は世界観に基づく」「生は死を内包する」を「考える」ために:ひとつの哲学言説―いま、改めて池田晶子著『14歳からの哲学』を読む―

編みものは、スーッとほどいてまた一本の糸に戻すことができます。そして同じ材料でまったく違う形、異なる用途のものを編み上げることができます。社会はなかなかそうはいきませんが、思いきって一本の糸にし、もう一度ていねいに編み直しましょうと提案したいと思います。(中村桂子編『編む』5ページ)

池田晶子さんが、大人は子供に社会を教えようとするけれど、子供が本当に知りたいのは社会ではなく世界だと書いていらして、なるほどと思いました。/基礎に世界観がないと、社会はめちゃくちゃになるでしょう。(『同上書』52、53ページ)

ていねいに編んで/できあがった世界を/ゆっくりとほぐすと/幸せがのぞく。(『同上書』270ページ)

〇筆者(阪野)は、「分解論」に関する拙稿(ワンポイントメモ)を本ブログの〈雑感〉(101)に投稿した(2020年2月6日)。その際、中村桂子編『編む』(JT生命誌研究館、2012年3月)を読んでいる。中村桂子(なかむら・けいこ)は、「生命誌」の提唱者であり、大阪府高槻市にあるJT生命誌研究館の館長を務めている。「生命誌」(Biohistory)は、人間も含めたさまざまな「生きもの」(生命)の38億年の歴史を知り、「生きもの」の世界がもつ「つながり」や「広がり」、すなわち「生きもの」の発生・進化・生態系を探究する。そして、一人ひとりが幸せに生きる、心豊かな人間社会をいかに作っていくかを考える(JT生命誌研究館ホームページ参照)。その学問の基本には、自然(宇宙・地球・生命)はすべて生成する(生れ出る)ものであると捉える「生命論的世界観」がある。
〇『編む』では、生命誌の中心的なテーマである「生命・人間・自然・科学技術の間の関係」をめぐる研究報告がなされている。「生きもの」の細胞や遺伝子などのミクロの世界の話は、筆者にとってはちんぷんかんぷんであり、字面を追うのがやっとであった。ただ、興味をそそられるものもあった。たとえば、江戸時代の花鳥画や動物画について解読研究する今橋理子(いまはし・りこ。美術史学)の話や、ウナギの産卵地を突き止めた塚本勝巳(つかもと・かつみ。海洋生物学)の話、そして研究者の生い立ちや研究の足跡、解明するための思考や実験の話などがそれである。
〇そんななかで、冒頭の文章やフレーズ、とりわけ「池田晶子」の名前に目が留まった。そこで、久しぶりに池田の著書『14歳からの哲学―考えるための教科書―』(トランスビュー、2003年3月)を読み返すことにした。池田晶子(いけだ・あきこ)は、日本語による「哲学エッセイ」を確立したと評される、稀有(けう)な自称文筆家である。『14歳からの哲学』は、長年にわたり、年代を超えて読み継がれている池田の代表作である。なお、池田は、2007年2月に46歳の若さで亡くなっている。
〇この本は、哲学の歴史や哲学者の考えを紹介・解説するものではない。「14歳以後、一度は考えておかなければならないこと」(「帯」)として、「考える」「言葉」「自分とは誰か」などの30のテーマについて、哲学の専門用語を使わず、平易な文章で読者に語りかけ・問いかける。本稿では、次の3つのテーマについてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

目に見えない「社会」は観念であり、観念が変わらなければ現実社会は変わらない
目に見えないのに存在するもの、それは思いや考えである。思いや考えのことを、ここではまとめて「観念」と呼ぶことにしよう。(82ページ)
「社会」というのは、明らかにひとつの「観念」であって、決して物のように自分の外に存在している何かじゃない。「社会」は、観念として、自分や皆の「内に」存在しているものなんだ。(82ページ)
社会を変えようとする場合、先ず自分が変わるべきなんだ。社会は、それぞれの人の内の観念なのだから、現実を作っている観念が変わらなければ現実は変わらないんだ。(83ページ)
世のすべては人々の観念が作り出しているもの、その意味では、すべては幻想と言っていい。社会がそうなら、国家というものもそうなんだ。人は、「日本」という国家が、外の物のように存在していると思って、それが観念であるということを忘れて、その観念のために命を賭(か)けて戦争したりする。観念のために命を捨てるなんて芸当ができるのは、生物のうちでも人間だけだ。これはとても不思議なことだ。(83、84ページ)
「社会」というのは、複数の人の集まりという単純な定義以上のものではない。それ以上の意味は、人の作り出した観念だということだ。複数の人が集まれば、複数の観念が集まり、混合し、競い合って、その中で最も支配的な観念、つまり最も多くの人がそう思い込む観念が、その集団を支配することになる。これが言わば「時代」というものだけれど、これも人々が自分で作り出している観念であることに変わりはない。「社会の動き」とは、つまり「観念の動き」であると見る習慣を身につけよう。(84ページ)

「自分」を愛するということがそのまま、「世界」を愛するということである
自分であるところのもともとの自分は、ただ自分であるということ。ただ自分であるということは、他人がいるから自分であるのではなく、他人がいてもいなくても、他人がいるかいないかに関係なく、その自分としてあるということだ。他人の存在は、自分が自分であると気づくためのきっかけにすぎない。自分の存在は他人の存在に依(よ)ってはいないのだから、その意味で、自分というのは絶対的な存在なんだ。(66ページ)
「世界」つまりすべてのことは、自分の存在に依っている。自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ。自分が存在するということが、世界が存在するということなんだ。世界が存在するから自分が存在するんじゃない。世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。つまり、自分が、世界なんだ。(67ページ)
嫌いな人、イヤな人は、ああ、そういう人なんだな、丸ごと認めて受け容れてあげるんだね。むろん大変なことだよ。でも、それが自分のためなんだ。それができなければ、君が自分を本当に愛することはできない。自分を愛していない人生を生きるというのは、とても苦しいものだ。だって、嫌いな人からは離れればいいけど、誰が自分から離れることができるだろう。嫌いな自分と四六時中一緒にいるなんてことが、苦しくないわけがないじゃないか。(104ページ)
自分とは世界なのだ。だから、自分を愛するということが、そのまま、世界を愛するということなんだ。だから、もしも君が世のため人のために何かをしたいと願うのなら、一番最初にしなければならないことは何か、もうわかるはずだ。(104ページ)

「思う」ことではなく、「考える」ことこそが全世界を計る正しい定規になる
わからなくて不思議なことを、それが本当のことなのかどうかを知ろうとして、人は「考える」といことを始めるんだ。「考える」は、それまでの、ただなんとなく「思う」ということとは全然違うことなんだ。(8~9ページ)
考えるというのは、それがどういうことなのかを考えるということであって、それをどうすればいいのかを悩むってことじゃない。(9ページ)
自分が思っていることが、ただ自分がそう思っているだけではなく、本当に正しいことなのかどうかを知るためには、考えるということをしなければならないんだ。「本当にそう思う」ということと、「本当にそうである」ということとは、違うことだ。(14、15ページ)
人は、「考える」、「自分が思う」とはどういうことかと「考える」ことによって、正しい定規(尺度、基準)を手に入れることができるんだ。自分ひとりだけの正しい定規ではなくて、誰にとっても正しい定規、たったひとつの正しい定規だ。(16ページ)
その定規は、君が、考えれば、必ず見つかるんだ。正しい定規はどこだろうってあれこれ探して回っているうちは、それは見つからない。考えることこそが、全世界を計る正しい定規になるのだとわかった時に、君は自由に考え始めることになるんだ。(17ページ)
考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。謎が謎として存在するから、人は考える、考え続けることになるんだ。(196、197ページ)

〇以上のポイントは、「社会は観念として、自分の内に存在している」(82ページ)。「自分が世界であり、世界(すべてのこと)は自分において存在している」(67ページ)。「自分は自分でしかないことによってすべてである(絶対的存在)」(68ページ)。「自分を愛するということがそのまま、世界を愛するということである」(104ページ)。「本当に生きるということは、わからないことをわからないと思わないで、誰にとっても正しいことを、考える・考え続けるということである」(23ページ)、となろうか。例によって唐突であるが、これらは、「市民福祉教育」にも通底する基本的視点でもある。留意したい。
〇ところで、福祉教育の世界で多用される言葉のひとつに、「共生」「共に生きる」がある。ここで、「生」とともに、「死」に関しても一言しておくことにする。
〇本ブログの〈雑感〉(99)に投稿した『沈黙の作法』(河出書房新社、2019年6月)において山折哲雄(やまおり・てつお。宗教学)は、柳美里(ゆう・みり。小説家)との対談のなかで、「死生観」について次のように述べている。「死生観」という言葉は、「死」が「生」の前にある。「死生観」という言葉の背後には、死を覚悟して生きる、死ぬことが即ち生きることであるという思想が控えている(32ページ)。柳が著書『自殺』で言うように、死を忌避(きひ)するのではなく、人生のなかに明確に位置づけることが大きな意味を持つ⦅「死を忌(い)み嫌うのではなく、生の中に死が潜(ひそ)んでいるということを意識することが大事なのである」(65ページ)⦆(33ページ)、と。
〇さらに付言すれば、山折哲雄は、著書『わたしが死について語るなら』(ポプラ社、2010年3月)のなかでこう述べている。「『共に生きる』という口当たりのよい言葉だけ掲げて、『共に死ぬ』ということはほとんど言わない」。「すべての人間がひとりで死ぬ運命の中に投げ出されている。だから『共に死ぬ』ということになる。『共に死ぬ』すなわち『共死』とはそういう意味なのである」(54ページ)。山折にあっては、「共生」は「共死」である。
〇また、柳美里は、著書『自殺』(文藝春秋、1999年12月)のなかでこう述べている。「自分とは何かと考察するとき、死はその入口であり、また出口である」(121ページ)。「生が死を内包しているという事実を、意識のレベルにまで高めることによって、死を自分のものにできるのではないか」(173ページ)。柳にあっては、「死はひとの内部で生と共存」(188ページ)している。いま求められているのは、殺人や交通事故、天災などによる「外部」の力によってもたらされる死ではなく、「死を人間の内側から捉え直す思想」(186ページ)である。
〇山折と柳の考えとともに、池田晶子が著書『人間自身―考えることに終わりなく―』(新潮社、2007年4月)と『人生は愉快だ』(毎日新聞社、2008年11月)のなかで説く「死」についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

生死は平等であり、人は生まれたから死ぬのである
多くの人は、生死を現象でしか捉えていない。死に方のあれこれをもって死だと思い、本意だ不本意だ、気の毒だ立派だと騒いでいる。しかしいかなる死に方であれ、「死に方」は死ではない。現象は本質ではない。本質とは、「死」そのもの、これの何であるか。これを考えて知るのでなければ、まともに生きることすらできないではないか。(『人間自身』26ページ)
生死の本質は、年齢も経験も現在の状況も関係ない。生死することにおいて、人は完全に平等である。すなわち、生きている者は必ず死ぬ。(『同上書』26ページ)
癌(がん)だから死ぬのではない。生まれたから死ぬのである。すべての人間の死因は、生まれたことである。(『同上書』26ページ)

自分の死はないのであり、死は向こうから来るものである
人が死を認識できるのは、他人の死を見る時だけです。自分が死んだ時は、自分はもういないのだから、自分が自分の死を知ることはできない。自分の死は、「ない」のです。多くの人が死をどうイメージしているかというと、「どうやら自分が無くなる」というものです。でも、自分がないことをどうやってイメージするのか。「無」というものを考えられたら、無ではなくなってしまうわけです。ないものは考えられない。死は、ないのです。(『人生は愉快だ』278ページ)
人はよく「死に方」と「死」を一緒にしてしまっている。死に方とは、ギリギリのところまで生の側にあります。どんな死に方をしても、死ぬまでは生きているわけですから。「死に方」は選べても、「死」は選べない。死は向こうから来るものです。(『同上書』278ページ)

〇なお、池田晶子の著書のなかから「人生」「幸福」「愛と孤独」などの11のテーマを設定し、それに関する言葉のエッセンスを集めた本(名言集)がある。池田晶子著・NPO法人わたくし、つまりNobody編『幸福に死ぬための哲学―池田晶子の言葉―』(講談社、2015年2月)がそれである。「池田晶子の世界」のとば口(入口)であろうか。

補遺
池田晶子が著書『新・考えるヒント』(講談社、2004年2月)のなかで述べている「生きることと道徳」に関する一文を紹介しておくことにする(抜き書きと要約)。

先般、子供向けの哲学の教科書(『14歳からの哲学』)を書いた際、超越的根拠なしに道徳を教えることは不可能であることを、つくづくと思い知った。人に道徳を教えるとは、そもそもどういうことなのか。(210ページ)
自分とは何か、死とは、生とは、生命とは何かという問いの提起から説く起こし、最終的に、善悪、すなわち人生の意味を考えることへと導いたつもりである。もしそれが成功しているなら、人は、自分が自分であると思っているその自分が、いかに自明なものではないか、自分が自分であると思っているものの根拠は、実は自分にはないと、気がついてくれたはずである。道徳についての思索(しさく)は、この気づき、この不可解への気づきからしか始まらないのである。(211ページ)
いま現に生きているこの自分とは、いったい誰なのか、何なのか、この謎をまっすぐに考え詰めてゆく、あるいは強く感じようと努めてみるだけでも、問いの解がないと知ることによって、問いの向こうへと開かれるとでもいうべきか、ある種の永遠的感覚を自身として知る経験である。このとき超越的なものは内在的なものである。外在的教条など必要ないのである。(211~212ページ)
語られている言葉の背後にあるものは、誰が誰であり、何が何であると言うことができない、万物が照応(しょうおう)する混沌である。その混沌を混沌として認識し、これを畏怖(いふ)するところにこそ、道徳的感覚は発生するといってもいいだろう。(212~213ページ)

付記
本稿でとり上げた本の一覧である。
(1)中村桂子編『編む』JT生命誌研究館、2012年3月
(2)池田晶子著『14歳からの哲学―考えるための教科書―』トランスビュー、2003年3月
(3)山折哲雄・柳美里著『沈黙の作法』河出書房新社、2019年6月
(4)山折哲雄著『わたしが死について語るなら』ポプラ社、2010年3月
(5)柳美里著『自殺』(文春文庫)文藝春秋、1999年12月
(6)池田晶子著『人間自身―考えることに終わりなく―』新潮社、2007年4月
(7)池田晶子著『人生は愉快だ』毎日新聞社、2008年11月
(8)池田晶子著・NPO法人わたくし、つまりNobody編『幸福に死ぬための哲学―池田晶子の言葉―』講談社、2015年2月
(9)池田晶子著『新・考えるヒント』講談社、2004年2月

追記
大友信勝先生(聖隷クリストファー大学大学院教授)より次のようなメールを頂戴しました。衷心より厚くお礼申し上げます。(2020年2月27日)

市民福祉教育研究所から社会的に発信される問題提起は、それぞれのテーマや論点が深く、広く、含蓄に富んでいることはすぐわかります。「社会は世界観に基づく」、「生は死を内包する」を考える哲学言説と本の一覧は興味深く拝見いたしました。池田晶子さんを取り上げ、山折哲雄さん、柳美里さんを取り上げる視点と方法は、生きることの意味,死を考えることの重みを一体のものととらえ、平易にどう伝えるかという訴えを考えてのことでしょう。山折さんが『沈黙の作法』で親鸞を取り上げ,『教行信証』を博士論文にたとえ,『歎異抄』を揺らぎと本質に導くものと分析している下り等から多くの示唆を得ることができます。本質と原理をおさえ、柔軟に揺れながら、次の課題に物事を進め、人々を広く包み込んでいくありかたは素晴らしいと考えます。阪野先生から「もっと深く、広く、柔軟に考えようではないか」と言われているように受け止めました。これからも興味深く先生からの社会的発信を読ませてもらいます。

「解きほぐす」(分解)と「編みなおす」(再生)、もうひとつの視点―「分解論」についてのワンポイントメモ―

〇母は、小さくなったセーターの毛糸を解きほぐし、それを洗い、ほかの毛糸を足して新しいものに編みなおしてくれた。その際、母は、きれいになった毛糸を大きい輪に巻いた「かせ」を私の両手にかけさせ、毛糸玉を作った。それから、棒針(ぼうばり)を巧みに動かして編み始めるのである。毛糸玉を作るときは、母と私は向き合って座っていた。その間は1メートルほどであったろうか。その時間は、外では雨が降り、百姓仕事ができない日であった。明日も雨が降ってほしいと願ったことを覚えている。
〇そんなことを思い出させてくれたのは、藤原辰史(ふじはら・たつし。京都大学。専門は農業史、食の思想史)の『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考―』(青土社、2019年7月、以下[1])である。
〇藤原は言う。サケは、北太平洋を2、3年回遊し、産卵のために再び故郷の川に戻る。衰え、傷ついたサケは、クマやカワウソ、カモメ、そして無数の森の生きものたちに自身の肉体を提供する。とくに微生物たちの餌(えさ)となって、土壌を肥やし、植物を繁茂(はんも)させ、新しい生命がよりよく育つ環境づくりに貢献する。こうした生態系の物質循環において、サケは「自己分解者」であり、生態学でいう「分解者」の一員でもある。さらに、「サケの老化現象もまた分解現象の一部ということ」ができる(258ページ)。
〇自然界における物質の循環(分解作用)は、人間界でも一般にみられる現象である。「空き瓶回収、古紙回収、鉄屑回収を担う会社はもちろん、賞味期限間際の食料を安価に、あるいは無料で貧困者に配る団体も、家畜の糞尿を土壌に戻す農業従事者も、古くなった家具、電化製品、本を売るリサイクルショップも、茶器、掛軸、絵画などを売る古物商も、分解を担う人間であり、人間である以上例外なく生物であるゆえに分解者と呼んでも間違いではない」(172ページ)。ただ、人間社会における「分解者」(たとえば落穂拾い、屑拾い、修理屋、廃品回収、牛馬の死体の処理、ごみ収集にいたるまで、素材を再利用できるまでに加工し尽くす存在など)は、「社会的にタブーとされてきた歴史的経緯もあってあまりにも軽視されている」(24ページ)。
〇いずれにせよ、藤原にあっては、「分解」とは「壊しすぎないようにした各要素を別の個体の食事行為やつぎの何かの生成のために保留し、それに委(ゆだ)ねることであり、それゆえ分解は、各要素の合成である創造にとって必須の前提基盤である」(317~318ページ)と定義づけられる。この定義には、次のような考えが包含されている。「(子どもの積み木遊びのように)積み上げることは崩(くず)すという前提のうえに成り立つ」、「分解するまでならば再利用できるが、粉々に粉砕すると再利用できない」、「(サケがクマ、カモメ、そして微生物の餌になるように)分解は個体を移動する作用である」、「死は生に属するのではなく、生は死に属する」、「解く(とく、ほどく)ことは結(むす)ぶこと、始まることの前提であり、分解は時間の始まりである」(317ページ)などがそれである。冒頭に記したセーターの編みなおしは、「分解と再生」の作業である。
〇藤原は、この生態学的な「分解」(decomposition)と「分解者」(decomposer)を中心概念として位置づけ、大量生産・大量消費・大量廃棄などの現代社会について人文科学的に、そして歴史(学)的視点から思考する。ここで、次の一節をメモっておく。刺激的である。

作る、生産する、積む、上げる、重ねる、生み出す、というふうに、私たちは、基本的に足し算や掛け算の世界を生きている、と思わされている。キャリアアップすることも、教養を身につけていくことも、自分を「形成」することだと思い込んでいる。子どもを産むことも、作物を育てることも、ほかならぬこの本を書くことも、「生産」と言われ、映像を制作したりゲームをプログラムしたりする人のことをクリエーターと呼ぶこともある。ナチズムもスターリニズムも資本主義は批判したが、生産そのものを批判はしなかった。どの国も生産量を分析し、国内総生産(GDP)の順位に一喜一憂しているうちに、その国の活性度の尺度と思い込まされている。年は重ねるもので、経験は積まれるものだと思われている。
けれども、宇宙がそうであるように、タネの殻が突き破られて芽が出るように、卵が破られて幼虫が顔を出すように、破水してから子宮に格納されていた子どもが外の世界へ向けてじりじりと産道を押し進むように、私たちの暮らす世界は、破裂のプロセス、すなわち分解のプロセスのなかを生きているにすぎず、そのなかにあって何かを作るのは、分解のプロセスの迂回もしくは道草にすぎず、作られたものもその副産物にすぎない。受精卵は、一個の細胞をつぎつぎに分裂させながら成長し、赤子は、垢(あか)も体液も糞尿も地に落としながら肉体崩壊へ向かう旅への門出をみなから祝福されている。生まれたときにはすでに分割と崩壊に向かっている、というよりは、分割し崩壊し始めることを生まれるというのではないか。つまり、私たちは足し算や掛け算というよりは、引き算であり割り算の世界を生きているのではないか。(28~29ページ)

〇要するに、人間社会はこれまで、「生産」「構築」「拡大」という価値観のもとに形成され、発展してきた。しかし、そもそも人間社会は、「生産」「流通」「消費」そして「廃棄」だけではなく、「分解」と「再生」を含んだシステムとして成り立っている。たはえば、資本主義の構造的矛盾が資本主義を終わらせるのではなく、資本主義を再生し強化してきたようにである。とりわけ「消費」と「分解」は分かち難い連続性のなかにある。現代社会において活性化すべきは、「生産」のプロセスではなく、「分解」のプロセスである。藤原の言説のうちで特筆すべき点である。
〇ところで、藤原の[1]と併読することが求められるものに、猪瀬浩平(いのせ・こうへい。明治学院大学。専門は文化人類学、ボランティア学)の『分解者たち―見沼田んぼのほとりを生きる―』(生活書院、2019年3月、以下[2])がある。[2]は、埼玉県南部に広がる農的緑地空間である「『見沼田んぼ』と周辺地域の歴史を深掘りしながら、様々な存在の蠢(うごめ)きと、そこで起きる軋轢(あつれき)や拮抗(きっこう)、浸透、相互作用、すれ違いを描い」た論文とエッセイから成るものである。「そこには障害のある人の歴史もあり、そして野宿している人や、在日朝鮮人もいる」(381ページ)。
〇また、[2]は、「見沼田んぼ福祉農園」(1999年5月開園)の営農活動や「わらじの会」(1978年3月結成)による障がい児の「普通学級就学運動」(「共育共生運動」)などに取り組んだ猪瀬とその家族(両親、兄妹)の「地域と闘争(ふれあい)」(197ページ)の本でもある。「地域と闘争(ふれあい)」は、横田弘の「障害者と健全者との関り合い、それは、絶えることのない日常的な闘争(ふれあい)によって、初めて前進することができるのではないだろうか」(横田弘『障害者殺しの思想』JCA出版、1979年1月、104ページ)から引いたものである。
〇周知の通り、横田(1933年~2013年)は、「日本脳性マヒ者協会『青い芝』の会」の神奈川県連合会会長を務め、1970年代~80年代の障がい者運動を牽引した人(「分解者」)である。横田は、「何故、障害者児は殺されなければならないのだろう。/なぜ、障害者児は人里離れた施設で生涯を送らなければならないのだろう。/何故、障害者児は街で生きてはいけないのだろう。/ナゼ、私は生きてはいけないのだろう。/社会の人々は障害者児の存在がそれ程邪魔なのだろうか」(『同上書』6ページ)と問い続け、「健全者社会」に鮮烈な批判を繰り広げた。
〇ここで、「相模原障害者施設殺傷事件」(2016年7月)のことが思い起こされる。事件はすでに風化し、障がい者に対する人間社会の偏見や差別は何も変わっていない。横田は、(福祉教育を説く)われわれになんと言うだろうか。とりわけ、情緒的な「ふれあい」と市民・社会運動としての「闘争」について、である。
〇なお、[2]では、言葉だけでなく、写真(森田友希)を組み合わせた表現がなされている。それによって、「ここではないどこか、いまではないいつかとつながる世界観(イメージ)」(「帯」)を紡ぎ出している。その地域で、その時、「私とあなたの生きる場所は地続きになる」(381ページ)と猪瀬は言う。留意したい。
〇上述の藤原は[1]で、猪瀬の言説について「障害者たちが、普段ならまったく気づかない完璧でスマートな社会を、脈絡なく大声をあげたり、渋滞のなか車椅子でゆっくり道の真ん中を進んだりして、その凝(こ)りをほぐしていくことを『分解』と呼んだ」(36ページ)と解く。それに関する猪瀬の言説の一節をメモっておく。まちづくりや市民福祉教育に求められる視点でもある。

人間は本来「生産」、「消費」、「分解」といった多面的かつ重層的な役割をもつ存在であるが、生産→消費という流れが極大化するなかで、分解の過程は見えにくくなる。そして、たとえば障害者のように、生産→消費の過程から排除された存在が出てくる。現在は、農福連携のように、排除された存在を再び「生産→消費」に包摂する議論があるが、分解という側面から個人の尊厳や、生活基盤を回復する議論は乏しい。分解という側面で、排除された存在を考えることが、今後の社会をめぐる議論に不可欠である。(388ページ)

〇猪瀬は、「分解者」と呼ばれるミミズやダンゴムシになぞらえながら、「とるに足らない」とされてきた・されている者たちが地域社会を細かく解きほぐし、豊かに編みなおす思想や運動の重要性を実証的かつ歴史的に説く。そこには、「多様性」というひとつの流行(はや)り言葉や「地域共生社会」という口当たりの良い言葉、「思いやり」といった観念的な言葉はない。あるのは、厳しい歴史のなかを生き抜いた・生きている「分解者たち」についての確かな思考と、「私たちが、如何に雑多な存在と共に生きていけるのか、そのための思想」(15ページ)である。

できる/できない:「いまさら見えても困ります!」―立岩真也の言説のワンポイントメモ―

A:「生まれながらにして目が見えないのです。普段は、何も見えない生活ですから、いまさら見えても困ります。」
B:「高校生の時に全盲になりました。視力が徐々に低下していく時が一番怖かった。もう一度、故郷の景色を見たいものです。」
C:「私は、自分が脳性マヒであることを誇りに思っています。だからこそ、いまの生活や活動ができるのです。」

〇筆者(阪野)の机の上に、1年近くも積ん読のままになっている本が複数冊ある。そのうちの一冊で、読みづらいと思い込み、読みあぐねてきた本がある。それは、多面的・多角的な視点の提示や問題提起をはじめ、縦横無尽で複雑な論理の展開、思考過程の多岐にわたる詳細な言語化、それに個性的で独特の文体(文章のスタイル)の駆使などによるのであろう。それは実は、「障害」や「病」をめぐる社会のあり様とその問題点や課題などについて、読み手に対して誠意を尽くし、慎重かつ丁寧に解明しようとする「仕事」である。そこには、「誰もが不利益を不当に被る」ことのない「公平な社会」のための「強靭(きょうじん)な思想」がある(「帯」)。その本は、立岩真也(たていわ・しんや。社会学専攻)の『不如意の身体―病障害とある社会―』(青土社、2018年11月。以下[本書])である。「不如意」(ふにょい)とは、「思うようにならないこと」をいう。
〇本書を読み進めるなかで、立岩の言説のうちから次の2点に留意しておきたい。ひとつは、社会に対する基本的な視点や考え方である。一部を引いておく。

近代を問題にするとはこの(次の)二つをともに問題にすることである。一つは、この社会における所有に関わる規則とそれに関わって生じる現実の財の配置である。一つは、人とその行ないと行なうことのできることの間の関係を巡る価値――能産的であることにおいて人は価値を有するという価値――である。(98ページ)

〇平易に換言すれば、「私たちの社会は自分ですることに価値を置いており、生産した分、あるいは能力・生産に応じた分(だけを)取ることを正当としそれを社会のきまりとしている」(368ページ)。要するに、この社会は、能力と業績を基準にして評価する社会、「その基本に『能力』に関わる価値と規則を有している社会」(97ページ)である。そして立岩は、この能力主義・業績原理に強い異議を唱える。
〇立岩は、その社会で生きるにあたっては、障害によって「できない」ことがあっても、「(1)自分でする、自分でできるようになる。そのために「学習する」とか「訓練する」とか「なおす」ことがなされる。(2)自分ができるために、自分以外の人・設備を使って、補う。(3)他人にやってもらう」(362ページ)という方法がある。「自分でできないこと、その代わりに他の手段を使うこと、他の人にさせることは常にその本人にとってマイナスではない」(309ページ)。障害は「ないにこしたことはない」と言うが、立岩にあっては、それは大切な主題ではない。「あるものはあるのだから、あとはどうやって生きていくか、生きていくための方法を考えること」(298ページ)が重要になる。「障害があるのはよいことかわるいことかといった議論に加わらず、まず障害者が生きていけるためにすべきことをすること」(317ページ)である。「そう簡単に障害はない方が(本人にとって)よいと言ってほしくない、言うべきでない」(318ページ)と立岩は訴える。
〇いまひとつは、立岩は、「障害とは何か」、とは問わない(101ページ)。「障害とは何か」を定義することは必要ないとして、「不如意の身体」(思うようにならない身体)の「障害と病に関する契機」を挙げる。「(1)機能の差異があり、(2)姿形・生の様式の違いがあり、(3)苦痛があり、そして(4)死の到来がある。加えれば、(5)加害性がある」(21ページ)というのがそれである。
〇この5つの契機のうち、立岩にあっては、「障害」は、(1)機能・能力、その有無・差異(「できないこと」)と(2)姿形・生の様式、その差異(「異なること」)に関わり、加えて(5)加害性(「加害的であること」)が懸念されてきた。それに対して「病」は、伝染の可能性等によって(5)加害性(の可能性)が恐れられ、「社会防衛」(収容・隔離)の対象になってきたのでもあるが、(3)「苦しいこと」と(4)「死に至ること」、あるいはそれを惹起させるものである(21、37、102ページ)。
〇5つの契機のうち、「歴史的現実的には相当に大きな部分を占めてきた」(102ページ)のが「加害性」である。その点に関する立岩の言説の一部を引いておく(抜き書きと要約)。

精神障害や発達障害のある部分について「(自傷)他害」が問題にされてきた。ハンセン「病」や精神「病」も加害性をもつものとして社会によって扱われ、そして「防衛」の対象になってきた。なにか身体的なものに関わるよからぬもの全般が「病」という札を貼られ、その中で「機能」に関わる部分が「障害」と括(くく)られてきたのかもしれない。そして同じ施設にハンセン病療養者が入り、結核療養者が入り、結核が流行らなくなると、重症心身障害児と呼ばれる人が入り、筋ジストロフィーの子どもたちが入り、そして大人になっていった。ここで加害性(からの防衛)と負担(の軽減)は明らかにつながっている。そして「狭義の」加害性~社会防衛は現実にはどれほどの重みをもっているか。一般に反体制的な気分の社会運動においては治安が問題にされるのだが、いったい実際にはそれはどれほどのものであるのかは考えておいてよい。(30~31ページ)

加害(性)はとにかく難しいように思える。わるいことをしたら罰せられるのはよい。しかしその人がわざとやったことでなければ、自らの意志で止めることができなかったことなら、やはりその人の責任は問えないだろう。そして死刑は私はいやだ。そしてどんな手を打ったとしても、悲しいことではあるが、加害行為がまったくなくなることはない。ずっと言われ続けてきたことではあるが、加害を減らす手段は本人を罰したり介入したりする以外に、様々にある。貧乏を減らすのが本来は一番てっとり早い。そして、それをなくすため、減らすためといって、犯罪を行なう確率が高いとされる集団に属しているからといってその人(たち)を特別に扱うといったことは極力しない方がよい。(138~139ページ)。

〇すなわち、「不如意の身体」の「加害性」は、「不如意」ゆえに本人の意に反して出現する(した)「加害行為」が社会的に恐れられ、「社会防衛」の対象にされてきたことを意味する。その際の「加害行為」については、その「(自己)責任」の有無や所在、その「抑制(実施)」の可否や方法、その「(社会)防衛」の是非や負担などをめぐって、ことはそれほど単純でも簡単でもない。
〇冒頭に記したA、B、Cの(筆者の知人の)話に関して、立岩の論点や言説から、筆者なりに留意しておきたい点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

身体障害は、動かず、不便であるだけだ。障害者は、機能や姿形においても、できる/できないにしても、違うことの受け止めにしても、生まれた時からの人と中途からの人は異なる。前者の人は、違いを意識するのは他人との比較のときで、自分については他人と違っている状態が初期値で通常の状態であって、その自身においては「同じ」である。(28~29ページ)

障害があることがマイナスであると判断されることがあることを否定しようと思わない。しかし正/負は微妙であり、しかもそれは環境によって左右される。(環境として既に存在する社会の方は健常者用の、健常者的社会ではある。)現実において、その社会において、障害はない方がよいことはある。全面否定の必要はない。できた方がよいことがあるが、しかし「本来」とまでは言えない。このことがあまりに単純化されている。だから、障害はない方がよいに決まっているという決めつけは「あまりに無神経」だといった指摘は、なにか「感情論」にすぎないと受け止める人がいるかもしれないけれど、やはり当たっているのである。(314~315ページ)

障害があることが本人にとってよいかわるいかは定まらない。この単純な意味で、障害がないこと自体がよいとは言えない。他方、周囲にとっては、(負担という点では)障害があることは確実に都合がわるく、ないことはよいことである。「本人」がこのことの隠れ蓑(かくれみの。実体を隠すための手段)?に使われ、本人だけのこととされることがある。そして当人もそんな周囲から学習し、自分のことを負担に思ったりするだろう。障害はない方がよいという主張の問題は、誰にとってという人称不明のまま、むしろ本人にとってよいことになってしまい、区別がつかない。その中で周囲の都合が優先されることがある。だからどのように異なるのかをはっきりさせる必要がある。(315~316ページ)

できた方がよいのは、一つは、自分のことは自分でというきまりのあるこの社会においてはできることが必要とされるからである。しかしそれはつまりは、人のことを手伝うのは面倒だという以外のことではない。できることは総量としてしかるべく存在すればよい。自分ができなくてはならないわけではない。「ない方がいいでしょ」という問いに「はい」と答えてもかまわないのだが、ただ、「できたらいいに決まっている」と言われるときには、できない(そしてしなくてよい)人とその周囲の人の異なりが看過されている可能性がある。いや実際看過している。だからこのことは忘れないようにしよう。(323ページ)

〇本稿のテーマに関する立岩の主張は簡潔・明瞭である。障害と病の有無や差異に関わりなく、またできなくても、なおらなくても、自分以外の人や設備によって補ってもらうことでみんなが「公平」に暮らせればそれでよい、のである。できる/できないの言説は、自分(本人)ができなくても、他人(本人の周囲の人)ができれば何とかなる、ということである。

付記
糸賀一雄:「生命あるものは輝いている。それは一片の感傷でもなく文学でもない。現実である。」(『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月、116ページ)
糸賀一雄:「この子らはどんなに重い障害をもっていても、個性的な自己実現をしている。自己実現こそが創造であり、生産である。この子らの自己実現という生産活動によって、社会が開眼され、思想の変革までが生産される。もうひとつの生産活動である。」(『同上書』177、178ページ抜き書き)

糸賀一雄:「知的障害のある人を社会に出しても、私たちのアドバイスで立派にやれるだろうと思う。」(『京都新聞(デジタル版)』2019年3月13日)
糸賀一雄:「本質的にはその(性の問題の)悩みはその子が精神薄弱であろうとなかろうと、おなじである。精神薄弱であることによって生じる社会的な問題行動がないわけではないし、逆に精神薄弱児をめぐる問題の社会がないわけではない。」(『この子らを世の光に―自伝・近江学園二十年の願い―』柏樹社、1965年11月、231ページ抜き書き)

備考
「優生保護法」(1948年9月~1996年9月)は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護する」(第1条)ことを目的とし、断種手術、中絶、避妊を合法化した法律である。
1996年9月、優生思想に基づく規定が削除され、「不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定めること等により、母性の生命健康を保護する」(第1条)ことを目的とする「母体保護法」に名称変更された。

「沈黙の作法」:肩を並べて「聴いて聴いて聴く」「待って待って待つ」、そこからしか始まらない―山折哲雄・柳美理著『沈黙の作法』読後メモ―

〇1990年代後半から始まったと言われるネット社会、その昨今の進展にはすさまじいものがある。しかしそこには、光と影、功と罪が混在する。ネット社会は一面では、肩を並べて「会話」することを必要としない社会である。人間相互の内的な「つながり」を必要としない社会である。例えば、FacebookやTwitter、LINEなどのSNS(Social Networking Service)空間では、発話を伴わない無機質な場面が繋がり、短文や単語、絵文字や隠語だけが飛び交う。そして、自分とは違う考え方や価値観を持つ他人を排除し、狭い世界を彷徨う。その結果、「本当の自分」を見つけ、自分らしく豊かに生きることができなくなる。
〇そんなことを思いながら、山折哲雄・柳美里の対談本『沈黙の作法』(河出書房新社、2019年6月)を読んだ。そこでは、二人の厳しくつらい経験と時空を超えた思索が縦横に織り成され、感性が研ぎ澄まされ、対話を深化・発展させていく。そして、その語らいは「沈黙」へと収斂する。山折哲雄(やまおり・てつお)の専門は宗教学、思想史であり、柳美里(ゆう・みり)は劇作家、小説家である。周知のことである。
〇以下に、山折・柳の対談の一コマや言葉をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それは、「他人の思想の断片をハシでつまんで、その無自覚の浅知恵を上手に働かせて『パク』る」(205ページ)ことではない。「まちづくり」や「市民福祉教育」について思索・思考するための視点やヒントを探りたいがためである。

「共苦」によって傾聴する
柳 :(東日本大震災による)あまりにも大きな喪失、目の眩(くら)むような痛みによる沈黙を前にして、自分がどのような言葉を持てるのか? 何がしかの言葉を携(たずさ)えて共闘を呼び掛ける前に、まず共苦(きょうく)による沈黙が必要なのではないかと感じていて、それはやはり聴くことでしかないのではないのか。聴いて聴いて聴くことの先に言葉を持ち得るのかどうかは、わたしにはまだわかりません。(68ページ)
山折:共闘という言葉が促す人間の行動は、人と人を結び連(つら)ね、連帯によって集団を組織して、共同の運動をなして立場を強め、その結果に対して責任を持つことです。柳さんのおっしゃる共苦は、悲劇的な状況に置かれている他者と自分の一対一の関係ですよね。その関係が喚起する在り方というのは、一人の孤独な生き方で、尚且(なおか)つひたすらに沈黙に向かわなければならない。非常に辛い仕事ですよね。(68~69ページ)

人と人との「間」を取り戻す
柳 :人と人との関係は、「間」を見詰めて、相手と自分を客観視することが重要です。相手との差異を共通点と同じ比重で認めることが出来れば、相手を尊重することが出来ると思うんですが、インターネットの世界では、同意・賛成の意見を持った人たちで固まり、異なるものを排除・攻撃するという傾向が顕著(けんちょ)です。(97~98ページ)
山折:科学者や社会科学者の書く文章が「人」に変わってきた。「人間」から「人」に変わる時に落ちるのが「間」ですね。さらには(中略)カタカナで「ヒト」と表記されるようになった。(98ページ)
「人間」「人」「ヒト」という変化をどう捉えるかということですよね。柳さんかおっしゃるように、人間の関係性を客観視出来なくなるということが社会現象化していると言えるかもしれない。(98~99ページ)
柳 :インターネットの世界では「間」がすっぽり抜けています。TwitterやLINEなどのSNSでは、人と人との「間」を飛ばして、いきなり相手に自分の感情を手づかみでぶつける。(中略)今こそ、インターネットの介在(かいざい)で一挙に埋め立てられてしまった人と人との「間」をどうやって取り戻すのかという議論が必要なのではないでしょうか。(99ページ)

不安定さを支える「思想」を持つ
柳 :定着と移動、土着と流浪(るろう)、というのは、わたしも考え詰めて来ました。わたしの場合、考えざるを得ない境遇に生まれたから。(122ページ)
山折:流浪は、場に投げ出され、拠(よ)り所(どころ)が無く、自分を心細い存在にする行為だけれども、塵芥(じんかい)のように流されていくその流れの只中(ただなか)で創造の契機をつかむことはある。そういった緊張感というか、面白さはあるんだ。表現するってことは何であれ、そういう緊張の瞬間を我が物に出来るかどうかでしょ?(123~124ページ)
 :緊張の瞬間を我が物にするためには、自分の軸を持たなければなりません。それには、安定するための思想ではなく、不安定さを支えるための思想が必要です。(124ページ)
 :流浪の民は移動する度に、場所、蓄積したもの、人間関係を失います。でも、新しい場所や人間関係に対する不安や脅威によって、孤独や孤立によって、自分という存在が問(と)い質(ただ)され、予見不可能な事や時へと自分を拓(ひら)いていく覚悟が生まれるわけです。逆説的ではありますが、流浪していた方が、自己に対する在り方を定立しやすいのかもしれません。(129ページ)。
山折:定着するライフスタイルの中に居場所が在るとは限らない。(129ページ)

長い「沈黙」を共有する
山折:真の苦境に追い込まれた時、知識として体に染み込ませたものは全て揮発(きはつ)します。最後に何が残るのか? 自分の苦境と、苦境に陥った自分の気持ちも相手に伝えるためには、言葉に拠(よ)るしかない。でも、言葉は一言も思い付かない。長い沈黙が続く。長い長い沈黙を経て、一つ、二つの言葉が出て来る。(145~146ページ)
柳 :沈黙というのは、言葉と言葉の断絶や溝ではなくて、言葉と言葉の梯子(はしご)みたいなものですね。(147ページ)
山折:沈黙は、最高で最終的な宗教言語なんです。沈黙が宗教言語であるということを忘れたから、気の利(き)いた不必要な言葉を沈黙に注入し始めるわけですよ。
沈黙の大切さを忘れた日本人は、ケアだとかカウンセリングなどというカタカナ語に毒されています。(147ページ)
柳 :言葉ではなくて、沈黙によって神や仏や人と結ばれるということですね。(147ページ)
柳 :会話が途切れると、その沈黙を気まずいものとして感じる人が多いですよね。なんとか話が途切れないように、どうでもいい話を次から次へと続けて間を持たせる。話の合間に訪れる沈黙の中にこそ思考の契機が在る。話し合うよりも、黙り合う時間を共有することが大切なんです。(198ページ)

沈黙の「作法」を身につける
 :対面というのは、お互いの内に在る沈黙を突き付け合うようで緊張しますよね。両者それぞれに孤立している硬い沈黙です。(176ページ)
山折:悩みを抱えて来訪した相手の話を聴く。聴いて聴いて聴く。一方的に聴いた後になんらかの方向性を示すか示さないのかというのが、宗教者と心理療法士の差なのではないかというのが、河合隼雄(かわい・はやお)さんとの懸案(けんあん)の課題でしたね。でも、河合さんはその時おっしゃったんだ。心理療法士だって聴いている最中あるいは聴き終えた後に方向性は考える。なんらかの方向性を示す言葉を伝えるよ、と。では、両者の聴き方は同じなのか? 両者が示す方向性は同じなのか? いま、わたしが思ったのはですね、宗教者が示すのは沈黙なのではないかということなんです。沈黙に至る道筋に法則は無いんだよね。でも、作法は在る。沈黙の作法です。(177ページ)
柳 :沈黙の作法、いい言葉ですね。法則は無いけど作法は在る。法則は守らなければならない決まりで、いわばマニュアルですものね。作法は、物事を行う仕方、やりかたです。作法に在って、法則に無いものは、美です。逆に法則に在って、作法に無いものは、実利です。(177ページ)

〇かつて物事を長い目で見たり、長いスパンで考えたりすることは、ありふれたことであった。しかしいま、「みみっちいほど、せっかちになった」。「待たなくてよい社会になった。/待つことができない社会になった」(鷲田清一『「待つ」ということ』KADOKAWA、2006年8月、7、9ページ)。これも、「つながり」が断絶した社会とともに、いまのネット社会のひとつの実相である。そんな時代や社会にあって、「沈黙の作法」を身につけ、「なぜ生きるのか」「いかに生きるべきか」「いかに死ぬべきか」といった「生きる意義」や「生き死にの問題」(山折:12、13ページ)に深く分け入ることが求められる。「まちづくり」や「市民福祉教育」においても然りである。
〇筆者が住む地元新聞は、2020年1月9日の社説で、「相模原事件初公判」について次のように論じた。「もう一つ、この裁判で目を向けなければならないことがある。公判の冒頭、裁判長は『被害者のうち1人を除き、住所や氏名などを明らかにしない』と説明。検察側は起訴状朗読で死亡者を『甲A、B‥‥』、けが人は『乙A、B‥‥』とし、氏名を伏せた。家族の多くが差別と偏見に苦しめられた経験を持つことに配慮した『匿名審理』だ。/また遺族らの傍聴席は他の傍聴人から見えないよう遮蔽(しゃへい)された。16年(2016年4月)施行の障害者差別解消法が掲げる『人格と個性を尊重し合いながら共生する社会』とは懸け離れた重い現実がそこにあることを忘れてはならない」(『岐阜新聞』2020年1月9日朝刊)。
〇権力者や社会的強者の横暴や理不尽がまかり通り、ひとりの人の声がその隅々まで響き渡る時代と社会。権力や強力に近づき、群がる「人」また「ヒト」。そんななかで、心を閉(と)ざし、身を竦(すく)め、物音ひとつ立てずに暮らす大勢の社会的弱者がいる。「ちんもく」である。それをみんなで破るためには、肩を並べて「聴いて聴いて聴く」。肩を並べて「待って待って待つ」。もう一度、そこから始めるしかない。それによって、「間」が生まれ、「言葉」や「思考」が生まれ、「つながり」と「共働」「運動」が生まれるのである。

補遺

歴史的視点や哲学的思考を欠いた福祉教育:「福祉教育哲学」の必要性を問う―高久清吉著『哲学のある教育実践』再読メモ―

〇2019年11月23日~24日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会が北星学園大学(札幌市)で開催された。大会テーマは、「未来へつなぐ、みんなでつなぐ。~多文化共生社会を育む福祉教育とボランティア学習~」であった。圧巻で感動的だったのは、本田優子(ほんだ・ゆうこ、札幌大学教授、アイヌ文化・アイヌ史)による「アイヌ文化からみる多文化共生社会の創造」と題する「基調講演」であった。アイヌ語に、「ヤイコシラㇺスイェ」という言葉がある。「ヤイ」は「自分」、「コ」は「に対して」、「シ」は「自分」、「ラㇺ」は「心」、「スイェ」は「を揺らす」、「ヤイコシラㇺスイェ」で「自分に対して自分の心を揺らす」となる。それは日本語の「考える」という意味である。「考える」とは「心を揺らす」こと、筆者(阪野)にとって目から鱗(うろこ)が落ちる一言であった。
〇「自由研究発表」や「課題別研究」報告などでは、ひとえに筆者の浅学菲才によるものであるが、「心を揺らす」報告はさほど多くはなかった。新味のない(使い古された)テーマについて、場所や組織、人を替えただけの、あるいは横文字や権威づけられた(古めかしい)過去の言説を多用した議論では、福祉教育実践や研究の推進は望むべくもない。歴史的・社会的・文化的実践であるはずの福祉教育実践をめぐって、その現場から乖離(かいり)した抽象的な言葉・概念や思考をこねくり回すのも、然りである。そこからは、原理や理論のない、視野が狭く定型化され、矮小化された実践が生み出されるだけである。そうした福祉教育実践さえも、厳しい時代状況に押しつぶされようとしている(されている)。意図的にか無意識的にか、それを理解・認識しない実践者(あるいは実務家)や研究者がいる。また、お互いの「傷」をなめ合い、慰め合っている人たちもいる。そこからは、福祉教育実践や研究の「展望」や「未来」は見出せない。
〇そこで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。本稿のテーマ(「福祉教育哲学」の必要性を問う)が意味するところはここにある。なお、「理論と実践」の関係性について探究することなく、単なる「実践(事例)」研究にとどまりがちな福祉教育研究の現状も気にかかる。
〇そんな思いのなかで、筆者の手もとにある高久清吉(たかく せいきち、筑波大学名誉教授、教育哲学・ヘルバルト研究)の『哲学のある教育実践―「総合的な学習」は大丈夫か―』(教育出版、2000年4月)を読み返すことにした。以下に、筆者なりに再確認・再認識しておきたい、高久の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「哲学のある教育実践」という言葉
「哲学のある教育実践」という言葉に接した時、ある人は、教育についての確固とした信念や信条をもった教師による実践とか、教育の理念や理想に基づく明確な思想に貫かれた実践を思い浮かべるかも知れない。また、人によっては、考え方や判断の筋道がすっきりとした実践、教師の体系的な見方や考え方が際立っているような実践をイメージするかも知れない。いずれにしても、「哲学のある教育実践」が意味するものは、だれにも共通一様に理解されるというのはあり得ないようである。(108~109ページ)

「哲学」の意味
「哲学」の意味は、通常、大きく次のような二つに分けられる。一つは、「哲学すること」(Philosophieren)、もう一つは、「哲学」(Philosophie)である。
「哲学すること」とは筋道の通った知的活動そのもの、この活動の「過程」にこそ哲学の本質があると見る立場である。それに対し、「哲学」とは知的活動の「結果」または「所産」として導き出された内容の体系、それが本来の哲学であるとする立場である。この二つの意味は、よく「過程としての哲学」と「結果としての哲学」という言葉で表現されている。この二つを切り離して別々のものと見なすことはできないが、「哲学」の意味を、一応、この二つに分けるのは妥当である。(109~110ページ)

「哲学のある教育実践」の意味
「哲学」の意味を二つに分けるとすると、これに対応して、「哲学のある教育実践」の意味も二つに分けられる。「哲学のある教育実践」の「哲学」を「過程としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な見方や考え方が大きく作用する教育の実践、言い換えれば、教育実践上のさまざまな問題や事柄が哲学的な見方や考え方に基づいて吟味され、判断され、構想される実践ということになる。これに対し、「哲学」を「結果としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な思考から生まれた内容、つまり、教育に関する明確な「思想」に基づく実践ということになる。
「哲学のある教育実践」のこのような二つの意味は、実は、一方がなければ、他方も成り立たないという表裏の関係にある。哲学的な考え方によって明確な思想が導き出されるし、明確な思想が前提となって、実践上のさまざまな問題や事柄についての哲学的な考え方も行われることになるわけである。(110ページ)

〇以上を簡潔に言えば、高久にあっては、「哲学」とは「いわゆる学問領域としての哲学やその学説内容ではない。いつでも、全体的・根本的なものを踏まえながら、実践や実際上の個々の問題を筋道立てて主体的・構造的にとらえていこうとする思考の働きそのもの」(まえがき、ⅵページ)をいう。そして、「哲学のある教育実践」は、「教育の理論または哲学と結び付き、これによって支えられ、方向づけられた教育実践」(97ページ)と定義づけられる。
〇そのうえで高久は、教育現場と教師について、次のように指摘する。「哲学をもたないで教育の実際の仕事に従事している教師たちに共通して認められる欠点は、本質と現象、全体と部分、本と末、重と軽との間の区別がはっきりせず、これらを簡単に混同してしまうことである」。「さまざまな問題や事柄への対応に追いまくられる教育現場において、教師のものの見方や考え方は強力に狭められてしまい、現象に振り回される本末軽重の見分けもできなくなってしまう」(112ページ)。そこで、現場教師に求められるのは、「教育の理論または哲学と、教育実践との生きた結び付きを求める問題意識」である(97ページ)。「教育現場にとって何よりも必要なのは、『普遍的理念』、つまり、教育の本質的・原理的なものをしっかりと踏まえ、これに基づく哲学的な考え方を展開していくことである」(112ページ)。
〇こうした指摘は、学校現場を含めた地域・社会における福祉教育(「市民福祉教育」)にも通底する。福祉教育学界(学会)が探究すべきものは、福祉教育の場当たり的な、対処療法的な方法・技術ではない。哲学的思考によって生み出される「福祉教育思想」(「福祉教育哲学」)と、それに貫(つらぬ)かれた福祉教育の「理論と実践」である。その際の哲学的思考は言うまでもなく、自律的で理性的、批判的な思考であり、その論理化と体系化が「哲学する」ということでもある。改めて再確認・再認識しておきたい。
〇アイヌは、この世の中にあるあらゆる存在を「カムイ」(神)とみなす。その神(カムイ)と人間(アイヌ)との関係は、「神ありて人あり、人ありて神あり」という、互いに相手に対して権利・義務を負う「相互扶助」(ウタㇱパ ウカスイ)の関係にある。アイヌはカムイに対して「祈り」や「供物(くもつ)」を捧げる。カムイはアイヌを「守護」し「食料」や「道具」を授ける。前述の本田は、時間軸と空間軸における「共生」の基本は互いに自分の責任を果たすことであり、そこに「人間存在の本質」をみる。
〇「人間存在の本質」の追究は、「人間について、人生について、生き方について学び考える」こと、すなわち「哲学する」ことである。それは、福祉教育実践や研究においてもその根幹をなす。この点に関して、いつもながらの筆者(阪野)の「短絡」「論理の飛躍」の謗(そしり)を免(まぬが)れないが、内田樹(うちだ たつる、神戸女学院大学名誉教授、フランス現代思想・教育論)の新刊本(『生きづらさについて考える』毎日新聞出版、2019年8月)のなかの一節を紹介しておくことにする(抜き書き)。福祉教育実践や研究、福祉教育を「哲学する」、そのための「構え」として留意したい。

教育事業の受益者は共同体の未来である
学校教育というのは商品の売り買いではい。そこには市場における「商品」に相当するものも、「消費者」に相当するものも存在しない。
教育事業の利益は、教育を受けた若者たちがやかで人間的な成熟を遂げて、共同体の次世代を支えるという仕方で未来において償還される。教育事業の受益者は教育を受ける個人ではなく、共同体の未来である。(40ページ)

オープンマインド(開放的であること)は学びの基本の構えである
武道の教えに「座を見る・機を見る」ということがあります。座とは「いるべき場所」、機とは「いるべき時」のことです。(180ページ)
武道的な意味での「正しい場所」とは「どこにでもいける場所」のことであり、「正しい時」というのは「次の行動の選択肢が最大化する時」のことです。
「正しい位置」というのは空間的に決まった座標のことではなくて、その時々において最も自由度の高いポジションを選択できる「開放度」のことです。
生きていくうえで最も大事なのは、ニュートラルで、選択肢の多い、自由な状態に立つことです。それはできるだけ「オープンマインド」でいることと言い換えることもできます。オープンマインドこそは、学ぶ人にとっと最も大切な基本の構えです。(181ページ)
自分が理解でき、共感できることだけを聴き、自分がすでによく知っている分野についての知識を量的に増大させることは「学ぶ」とは言いません。「学ぶ」というのは、自分の限界を超えることです。自分が使っている「わかる/わからない」の枠組みを踏み抜けてゆくことです。
若い人達たちが感じている「生きづらさ」は「正しい位置」にいないことで生じた心身の歪みがもたらす詰まりや痛みです。自分が機嫌よくいられる場所はどこにあるのか、心身のどこにも詰まりやこわばりや痛みが生じないような姿勢はどうやったら見つかるのか、何よりもそれを求めて行ってほしいと思います。(182ページ)

補遺
筆者はかつて、「自分の存在意義」(自分が存在している意味や価値)に関して、「ただ生きる」「よく生きる」「つながりのなかに生きる」の三つを指摘している。本ブログの「雑感」(67)/2018年11月3日投稿、を参照されたい。

「人がそれぞれ、他者とともに豊かに生きるということ」=「人はそれぞれ、いま、ここに生きているというそのことに本源的な価値がある」(「ただ生きる」ことの保障)×「人にはそれぞれ、やりたいこと・やれること・やらなければならないことがある」(「よく生きる」ことの実現)×「人はそれぞれ、社会や歴史、環境などとのつながりのなかに生きている」(「つながりのなかに生きる」ことの持続)。

付記
2019年10月22日~23日、全国社会福祉協議会主催/日本福祉教育・ボランティア学習学会共催の「令和元年度 全国福祉教育推進員研修」が全社協(東京)で開催された。そのねらいは、「地域共生社会の実現にむけた福祉教育を進めるディレクターを育てる」ことにあり、これまでの「全国福祉教育推進セミナー」をリニューアルしたものである。その研修について、「第1期生たちを中心に、日本の福祉教育推進を変えていくような人材養成が始まりました。これは、地域共生社会の実現に向けた小さくても、大きな一歩であると確信しています」(『ボランティア情報』no.508、全社協、2019年9月、3ページ)という。この研修が福祉・教育の政策的・制度的欠陥や危機的実態を踏まえたものでなければ、「確信」は「絶望」を生むことになる。そうならない・そうさせないために求められるのが、「福祉教育哲学」である。また、一見誰もが肯定するであろうこの研修を、1983年3月に初めて開催された「福祉教育セミナー」以来の慣れ親しんだものではなく、際立って新しいものにする(「異化」する)ためには、「福祉教育哲学」が必要とされる。
「笛吹けども踊らず」の福祉教育、(「担当者」が替わると)「双六(すごろく)の振り出しに戻る」福祉教育はもう、ご勘弁願いたい。

いじめ・愛国心・道徳教育:「道徳的価値ありきの、国家のための道徳教育」を問う―大森直樹著『道徳教育と愛国心』読後メモ―

いじめ最多54万件、3割増/文科省18年調査「重大事態」急増
全国の国公私立小中学校と高校、特別支援学校における2018年度のいじめの認知件数は54万3933件で、過去最多だったことが17日、文部科学省の問題行動・不登校調査で分かった。前年度から31.3%、12万9555件の大幅な増加。いじめが確認された学校は6.4ポイント増の80.8%に上った。心身に深刻な被害が生じるなどの「重大事態」も128件増の602件で最多だった。

〇上の記事(リード文)は、筆者(阪野)が住む地元新聞が報じた2019年10月18日付け朝刊の1面トップ記事である。学校教育の崩壊である。
〇周知のように2000年12月、同年3月に設置された「教育改革国民会議」(内閣総理大臣の私的諮問機関)が「教育改革国民会議報告―教育を変える17の提案―」を公表した。そこでは、「いじめ」を筆頭とする学校教育の荒廃が指摘され、その対応策として道徳教育の徹底や「道徳の教科化」の提言がなされた。次はその関連文章の一節である。

危機に瀕する日本の教育
いまや21世紀の入口に立つ私たちの現実を見るなら、日本の教育の荒廃は見過ごせないものがある。いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など教育をめぐる現状は深刻であり、このままでは社会が立ちゆかなくなる危機に瀕している。
人間性豊かな日本人を育成する
◎学校は道徳を教えることをためらわない
学校は、子どもの社会的自立を促す場であり、社会性の育成を重視し、自由と規律のバランスの回復を図ることが重要である。また、善悪をわきまえる感覚が、常に知育に優先して存在することを忘れてはならない。人間は先人から学びつつ、自らの多様な体験からも学ぶことが必要である。少子化、核家族時代における自我形成、社会性の育成のために、活動体験を通じた教育が必要である。
提言
(1)小学校に「道徳」、中学校に「人間科」、高校に「人生科」などの教科を設け、専門の教師や人生経験豊かな社会人が教えられるようにする。そこでは、死とは何か、生とは何かを含め、人間として生きていく上での基本の型を教え、自分の人生を切り拓く高い精神と志を持たせる。

〇その後、政府や文部科学省(以下、「文科省」)は、いじめ問題等への対応を前面に掲げ、世論の批判や不安をかわし・抑えながら道徳教育と愛国心教育を強化する法律や施策を重ねている。しかし、それらの実効性は上記の記事の通りであり、それはその教育が表層的で形骸化したものであった・あることによると断ぜざるをえない。その原因や背景についての実証的な検証・分析が十分におこなわれないまま、2015年3月に「学校教育法施行規則」と道徳に係る「学習指導要領」が一部改正・改訂された。そして、それに基づいて小学校では2018年4月から、中学校では2019年4月から「特別の教科 道徳」(道徳科)が全面実施されている。
〇注目すべきは、検定「教科書」の使用と新たな教育方法と評価の導入である。前者は、「日本の伝統や文化の尊重」「愛国心や郷土愛の態度」などをめぐって、一定の価値観や規範意識を国が上から押し付けることになる。それは、多様性や人権の尊重が声高に叫ばれる時代・社会にあって、極めて憂慮すべきことである。後者については、いわゆる「読み物道徳」「押し付け道徳」から「考え、議論する道徳教育」への質的転換である。しかしそれは、学習指導要領にあらかじめ提示された「道徳的価値」(「内容項目」)に限って「考え、議論する」にとどまる。従って、それはまた、一定の価値観の押し付けに他ならない。
〇道徳教育の評価については、「数値による評価ではなく、記述式とすること」「児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止めて認め、励ます個人内評価として行うこと」などとされている(道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議「『特別の教科 道徳』の指導方法・評価等について(報告)[概要]」2016年7月)。一人ひとりの児童生徒の道徳的心情や態度を評価することは、心情や態度であるがゆえに(悪しき日本文化の)本音と建前を使い分ける児童生徒を育成することになりかねない。そして何よりも、憲法が保障する「思想・信条の自由」を侵害する恐れなしとしない。学校現場においては、いまに始まったことではないが、道徳科「評価文例集」なるものがもてはやされ、評価文例が使いまわされるのが落ちである。
〇「教科」とは、「学校で教授される知識・技術などを内容の特質に応じて分類し、系統立てて組織化したものである」。「教科指導」は「系統的に組織化された文化内容を教授することにより、子どもを知的に『陶冶』することを主たる任務とする」。これに対し、「教科外活動」は「子どもの自主性を育て、民主的態度や行動力等を形成する『訓育』の課題を果たすことを主たる任務とする」(今野喜清・新井郁男・児島邦宏編『新版 学校教育辞典』教育出版、2003年2月、228ページ)。そうであれば、政府や文科省は、客観的な学問体系が存在しない道徳、別言すれば学問的な下支えのない道徳を教科化し、しかも評価基準のない評価までおこなうのは何故か。その本質や真のねらいをつかむためには、道徳教育の歴史に問うしかない。
〇その問いに応える必読書のひとつに、大森直樹著『道徳教育と愛国心―「道徳」の教科化にどう向き合うか』(岩波書店、2018年9月)がある。大森は、近現代日本の道徳教育の変遷を跡づけるなかで、戦前と戦後における道徳教育の継続性や戦前への回帰(「抜け道」)について論述する。とともに、安倍政権下における教育基本法の改正(改悪)や「道徳の教科化」の背景やねらい(政治権力の意向)などについても論究する。
〇大森にあっては、「道徳教育には2つの重要な領域がある」。「元来道徳は人々が生活と仕事のなかで自然に身につけるものであり、子どもにとっては学校が生活の場であることに対応した領域である」。すなわち、「無意図的な道徳教育」である。いまひとつは、「道徳事実についての学習」という領域である。すなわち、「歴史と社会のなかで人々はどのように道徳を形成してきたか、社会現象としての倫理や道徳について認識をふかめる」領域である。こうした学習は、「社会科をはじめとする教科学習や人権を主題とする総合学習でおこなうべき」である(320、321ページ)。
〇筆者なりに留意しておきたい、大森の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

戦後教育改革の「抜け道」
(1)国による教育目的の決定の継続(「抜け道」1)
文部省と国会(第92帝国議会、1946年12月~1947年3月)が、「教育勅語」(1890年10月発布)にかえて、「(旧)教育基本法」(1947年3月公布)によって教育目的をあらためて定めた。それによって、教育勅語(1948年6月廃止)は、教育目的および道徳基準についての最重要の文書としての位置を失った。しかし、それは同時に、戦後教育改革に「抜け道」や「火種」を用意して、その後の日本の教育現場に愛国心教育の復活を許していくものでもあった。教育勅語は君主の著作物として宣示され、(旧)教育基本法は立法を通じて施行されたものであったが、いずれにおいても、国による教育目的の決定の継続であった。(81、82ページ)
(2)国による教科目と教育課程構造の決定の継続(「抜け道」2)
文部省が、「国民学校令」(1941年3月公布)と「国民学校令施行規則」(1941年3月公布)にかえて、「学校教育法」(1947年3月公布)と「学校教育法施行規則」(1947年5月公布)によって小学校における教科目と教育課程構造をあらためて定めた。それによって、日本教育史における修身の廃止が法令措置として確定することになり、あわせて、教科と儀式の2領域による教育課程構造を終焉させることになった。しかし、それは同時に、文部省に教科目と教育課程構造の決定を継続させて、その後の日本の教育現場に独立教科による道徳教育の復活を許すことになった。(87ページ)
(3)国による教育課程の内容と授業時数の決定の継続(「抜け道」3)
文部省が、「国民学校令施行規則」にかえて、「学習指導要領 一般編(試案)」(1947年3月発行)によって教育課程の内容と授業時数のあり方をあらためて示した。学校教育法第20条では、「小学校の教科に関する事項は、第17条及び第18条の規定に従い、監督庁が、これを定める」と規定された。学校教育法施行規則第25条では、「小学校の教科課程、教科内容及びその取扱いについて学習指導要領の基準による」と規定された。すなわち、国による教育課程の内容と授業時数の決定の継続であった。(102、108、109ページ)

※学校教育法(昭和22年3月29日法律第26号)
第17条 小学校は、心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする。
第18条 小学校における教育については、前条の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
二 郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。
(一、三~八〔略〕)

(4)国による評価のあり方の決定の継続(「抜け道」4)
文部省が、「国民学校令施行規則」にかえて、「学校教育法施行規則」と学校教育局長通達「小学校学籍簿について」(1948年11月通達)によって小学校学籍簿の様式案を示した。それによって、学籍簿から修身の評定欄が消える。しかし、それは同時に、文部省に子どもの評価のあり方についての決定を実質的に継続させて、その後の指導要録に愛国心や道徳の評価の再開を許すことになった。(115ページ)

道徳教育のあり方についての類型
(1)子どもの生活の場としての学校において、子どもの道徳が自然に育まれていく、そうした意味での道徳教育(無意図的な道徳教育)。競争的な価値観が支配している学校では、子どもの道徳にどのような影響が生じるのか。ゆったりとした雰囲気の学校では、子どもの道徳にどのような影響が出てくるのか。
(2)道徳に関わる歴史や事実の学習という意味での道徳教育。道徳の形成を社会現象としてとらえて、歴史と社会の中で果たした役割について事実を学んでいく。こうした意味での道徳教育(道徳事実についての学習)は、1947年以降の教育課程では社会科教育の一部がそれに対応している。
(3)教員の意図的で計画的な取り組みによって、子どもの道徳を育もうとする、そうした意味での道徳教育(道徳形成のための教育)。1958年の「道徳の時間」と2018・2019年の「特別の教科である道徳」が額面通りおこなわれたときの姿がそれに近い。道徳形成のための教育については、可能な限りおこなうべきでない。
(4)従前の道徳教育にたいする「抜本的改善」の柱のひとつとして提起されている「考え、議論する道徳教育」だ。文科省は、「考え、議論する道徳教育」」について、「問題解決的な学習や体験的な学習などを取り入れ、指導方法を工夫」することと説明している。教育現場で取り組みが重ねられてきた教育方法を道徳教育に適用しようとするものだが、「考え、議論する道徳教育」という言葉が教育界で実際に果たす役割については見極めが必要だ。(ⅸ~ⅹページ)

グローバル人材養成と道徳教育
安倍政権下の教育改革の第1の柱は、財界のグローバル人材要求に直接的に応じた法と施策になっていることだ。この第1の柱が、道徳の教科化にも一定の意味合いを与えつつある。(297ページ)
グローバル人材養成(エリート教育)が教育の至上命題とされるなかで、そのことに道徳教育政策を対応させる試みもこの間におこなわれてきた。2014年10月、道徳の教科化に道をひらいた中央教育審議会答申にはつぎの文言がある。(304ページ)

今後グローバル化が進展する中で、様々な文化や価値観を背景とする人々と相互に尊重し合いながら生きることや、科学技術の発展や社会・経済の変化の中で、人間の幸福と社会の発展の調和的な実現を図ることが一層重要な課題となる。こうした課題に対応していくためには、社会を構成する主体である一人一人が、高い倫理観をもち、人としての生き方や社会の在り方について、多様な価値観の存在を認識しつつ、自ら感じ、考え、他者と対話し協働しながら、よりよい方向を目指す資質・能力を備えることがこれまで以上に重要であり、こうした資質・能力の育成に向け、道徳教育は、大きな役割を果たす必要がある。(中央教育審議会「道徳に係る教育課程の改善等について(答申)」2014年10月、2ページ)

ここでは、「グローバル化の進展による多様な価値観の尊重」「科学技術の発展による社会・経済変化」という課題に対応するため、「高い倫理観」「多様な価値観」「自ら感じ、考え」「他者と対話し協働」「よりよい方向」を鍵概念とする資質・能力を「一人一人」に形成することが要請されており、その手段として道徳教育を位置づけることがおこなわれている。
(305ページ)

ノンエリートへの愛国心教育
道徳の教科化という教育政策とよりストレートに結びついているのは、安倍政権下の教育改革の第2の柱である「ノンエリートへの愛国心教育」だった。一般の多数の子ども(ノンエリート)へも別の形での道徳教育が要請されていった。その中心に位置づけられるのが愛国心教育である。
安倍政権下では、小中学校の子どもを対象にして愛国心教育を強化する法と施策が重ねられてきた。第1次安倍政権(2006年9月~2007年8月)は、改正した教育基本法(2006年12月)に「我が国と郷土を愛する」の文言(愛国心教育規定)を盛り、一部改正「学校教育法」(2007年6月)に義務教育の目標を新設し、そこにも愛国心教育を規定した。(305ペーパ)
愛国心教育の拡充の背景には格差の拡大下における国民統合への要請があったことだ。ここであらためて参照しておきたいのは、文部科学省および中央教育審議会における教育基本法の改正理由が、公式的には「新しい時代に対応する必要」だったことだ。この点に着目をして、市川昭午はつぎのように述べている。「改正の必要が生じてきたと判断した背景にあるのは、1990年代を通じてのグローバル化の進展と格差の拡大であろう。経済のグローバル化に伴って世界に通用するパワフルな日本人の育成が不可欠であると考えられるようになった。それと同時に、社会格差の拡大が急速に進んだことから国民統合を強化する必要が意識されるようになった」(市川昭午『教育基本法改正論争史―改正で教育はどうなる』教育開発研究所、2009年4月、29ページ)。安倍政権は、格差の拡大がもたらす人々の不満が体制への批判に発展することに危機感を抱き、体制を維持するイデオロギーとして愛国心に期待を寄せ続けているのではないか。(307~308ページ)

軍事的要請と愛国心教育
愛国心教育の拡充の背景には軍事的要請もあったことだ。2004年2月25日、超党派の議員連盟・教育基本法改正促進委員会設立総会において、つぎの発言がおこなわれている(『朝日新聞』2004年2月26日)。

お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる(中略)お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり困民の軍隊が明確に意識とされなければならない。この中で国民教育が復活していく。

発言者は同委員会副委員長・西村眞悟(衆議院議員・民主党)だった。国民に戦争のために命を投げ出すことを迫る暴言だったが、この発言が自衛隊による戦争協力が本格化する(2004年1月、自衛隊のイラク派遣等)なかでおこなわれていたことのもつ意味が重大だった。(308ページ)
『毎日新聞』編集委員の伊藤智永はつぎのように述べている。「東西冷戦が終わって、新たな国際紛争時代に入り、国の教育改革は経済的要請に加えて軍事的要請の比重が高まった。安倍流教育政治がそれまでと異質なのは、そのためだ」(『サンデー毎日』2017年4月23日号)。(309ページ)

〇下の記事(リード文)は、筆者が住む地元新聞が報じた2019年10月10日付け朝刊の社会・総合面の記事である。学校における犯罪である。

子どもに「学級つぶせ」/神戸市の教諭いじめ 加害者が発言か
神戸市立東須磨小の教諭4人が同僚の教員4人をいじめていた問題で、仁王美貴校長が9日、記者会見し「(加害者が)『反抗しまくって学級つぶしたれ』と子どもに言っていた」と被害者が訴えていることを明らかにした。加害者側は発言を否定している。「自分が面白ければ良かった」と釈明した加害者もいた。

〇この教員間のいじめ問題は、氷山の一角にすぎないであろう。教員間のいじめは、教員自身による学校破壊であり、公正と正義を妄信する「改革者」の地位と権力をより一層強化するだけである。そしてその病理は、ブーメランのように学校・教員・児童生徒、保護者や地域・社会に跳ね返ってくる。

補遺
(1)「修身」という教科は、初等学校に即していうと、1872(明治5)年8月の学制に小学教科の一つとして登場している。同年9月に定められた文部省「小学教則」によれば、この教科は「修身口授」(ぎょうぎのさとし)とも呼ばれ、主として『童蒙教草』(福沢諭吉訳)など、欧米の翻訳修身書によるものとされた。その後、この教科は、1880年12月の改正教育令において、小学校における最重要の教科という意味で首位教科とされるに至る。そして西村茂樹編『小学修身訓』、文部省『小学修身書初等科之部』などの儒教主義修身書が用いられた。さらに1890年10月、教育勅語が発布されるに及んで、この教科は「教育二関スル勅語ノ旨趣』に基づくべきものとされた(以下、略)。(前掲『新版 学校教育辞典』383~384ページ)。
(2)「朕(ちん)惟(おも)フニ……」で始まる「教育勅語」(「教育ニ関スル勅語」)では、11(12)の徳目が説かれた。それは、9のキーワードに分類できる。「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」という「家族愛」をはじめ、「友情・信頼」「節度・節制」「親切・思いやり」「学業励行」「能力向上・人格向上」「勤労・公共精神」「規則尊重」そして「愛国心」がそれである。そのうちで最重要の徳目の内容とされたのは、「一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレハ(ば)義勇(ぎゆう)公(こう)ニ奉(ほう)シ(じ)以(もっ)テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スへ(べ)シ」という「愛国心」であった。現代語訳は、「いつ(っ)たん國(国)に事ある場合には、勇氣(勇気)をふるひ(い)おこして、命をささげ、君國(くんこく)のためにつくさなければなりません」(文部省『初等科修身 四』1943(昭和18)年1月、5ページ)である。

教育勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽

朕(ちん)惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそ こうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)德ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(しんをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實ニ(じつに)此ニ(ここに)存ス(ぞんす)爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ(ふぼに こうに)兄弟ニ友ニ(けいていに ゆうに)夫婦相和シ(ふうふ あいわし)朋友相信シ(ほうゆう あいしんじ)恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ博愛(はくあい)衆(しゅう)ニ及(およ)ホシ學(がく)ヲ修(おさ)メ業(しゅう)ヲ習(なら)ヒ以(もっ)テ智能(ちのう)ヲ啓發(けいはつ)シ德器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ進(すすん)テ公益(こうえき)ヲ廣(ひろ)メ世務(せむ/せいむ)ヲ開(ひら)キ 常(つね)ニ國憲(こっけん)ヲ重(じゅう)シ國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇公(ぎゆうこう)ニ奉(ほう)シ以(もっ)テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘシ是ノ如キハ(このごときは)獨リ(ひとり)朕(ちん)カ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラス又(また)以テ(もって)爾(なんじ)祖先(そせん)ノ遺風(いふう)ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン
斯ノ(この)道ハ實ニ(じつに)我カ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ子孫臣民ノ倶ニ(ともに)遵守スヘキ(じゅんしゅすべき)所(ところ)之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(もとらず)朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ(そのとくを)一ニセンコトヲ庶幾フ(こいねがう)
明治二十三年十月三十日
御名御璽(ぎょめい ぎょじ)

文部省『初等科修身 四』

(3)学校の教育活動全体(小学校の教育課程構造は、教科・道徳科・外国語活動・総合的な学習の時間・特別活動の5領域であり、中学校の教育課程構造は外国語活動を除いた4領域である)を通じておこなう道徳教育の要である小学校の道徳科の内容は、以下の通りである。

「小学校学習指導要領」(2017年3月告示)/第3章 特別の教科 道徳

戦争が始まる“臭い”がする:「愛国」「愛国心」に関するワンポイントメモ―将基面貴巳を読む―

最近、戦争が始まる “臭い” がする / あんた、戦争を知ってるか / 気をつけなよ / もうこりごりだからな

〇筆者(阪野)が、「愛国」や「愛国心」についていま改めて考えなければならないと思ったきっかけは、要介護高齢者(女性)の、痛みに耐えるようなこの“うめき声”である。そして、彼女はいつも、自分が生まれ育った「里」のことを心配している。
〇筆者の手もとに、将基面貴巳(しょうぎめん たかし/ニュージーランド・オタゴ大学教授/政治思想史専攻)の処女作である『反「暴君」の思想史』(平凡社、2002年3月。以下[1])と、新刊本である『日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房、2019年8月。以下[2])と『愛国の構造』(岩波書店、2019年7月。以下[3])の3冊がある。
〇[1]は、「現代日本は『暴政』への道を歩んでいるのではないか。そんな想念がこのごろしきりに脳裏をよぎる」(10ページ)という書き出しで始まる。「このごろ」とは、バブル崩壊(1991年3月~1993年10月)後10年余が経過し、小泉純一郎内閣(2001年4月~2006年9月)によって「規制緩和」や「構造改革」という名の新自由主義的政策が推進された時代であろう。
〇[1]は、「危機的様相を日ごとに深める祖国(日本)を念頭におきつつ、政治をいかに監視すべきか。不正な権力にはどのように抵抗すべきか」(232ページ)について真正面からとり上げたものである。そこにおいて、将基面は、「共通善」思想に立脚する「国民社会」の建設の必要性を説く。「共通善」(common good)とは、「社会や国家など政治共同体全体にとっての善のことを指し、ある特定の個人や集団にとっての善とは明確に区別されるものである」(10ページ)。その「共通善」の実現に国民は、直接的な責任を持たない。「それは権力担当者が引き受けるべき責務である」(35ページ)。「暴政」とは、「ある一部の権力者や権力がひいきにする特定の集団が利益を享受することを目的とする政治のことである」(10ページ)。
〇将基面は言う。「共通善思想が浸透した社会では、国民一人ひとりが、国民全体の理想と利益に対して責任を負っていることを自覚し、そうした共通の理想と利益を一人ひとりがおのおのの立場から不断に探求する。また、権力が不正を働いていることを知るならば、これを公の場ではっきりと批判し、たとえ一人であっても不正権力に立ち向かう個人がいれば、その人を『社会』」(特に社会の木鐸〈ぼくたく。指導者〉たるジャーナリズム)が援護する。権力に擦(す)り寄り、既得権益にしがみ付いてはなれようとしない者や、反社会的なビジネスを行う者や組織を公の場で批判し、たとえそうした行為が自ら目的にかない、自分の利益になるとしても、自らは手を出さないよう、自身をコントロールする」(232~233ページ)。このような倫理的感覚・態度をもつ人々が、日本という国家権力に対峙する存在としての「国民社会」を探求し創出することが、現代日本に求められる。将基面の主張のひとつである。
〇国家権力は、被治者を統制・強制する。「いざとなれば、自国民に対してさえ銃口を向け、私有財産を没収し、個人のあらゆる権利と自由を侵害しうる存在である」(39ページ)。国民はこのことを十分に認識し、国民社会の理想像の創出を権力担当者に一切任せてはならない。国民は、一人ひとりが「共通善」を不断に追求し、政治に対する関心を強め、権力を厳重に監視する。そして、正当性や妥当性を欠く場合には、権力に抵抗の意思を明示しなければならない。それは、「国民各自が自分の良心の問題として、悩み、決断すべき問題」(39ページ)であり、国民の倫理的義務である、と将基面は言う。
〇こうした将基面の言説は、「反時代的」(234ページ)なものであり、その底流に流れるのは以下に述べる「共和主義的パトリオティズム」の思想である。
〇[2]は、「日本人なら日本を愛するのは当然であり、自然である」という単純な社会通念に対して歴史的・哲学的に批判する、中学生でも理解できる平易な「教科書」である。内容的には、通俗的な「愛国心」や「愛国心教育」に関する言説への「解毒剤」(将基面)としての効能が期待される。別言すれば、日本の長所ばかりを見て欠点を見ようとしない「日本バカ」(65ページ)にならないための、日本の若者へのエールである。なお、[2]は[3]の「副産物」(将基面)でもある。
〇[2]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

批判的愛国者のすすめ
日本語の「愛国」「愛国心」は、英語で言うとパトリオティズム(patriotism)である。ナショナリズム(nationalism)も日本語では「愛国」と訳される。(33ページ)
現代の日本では、「愛国」「愛国心」=ナショナリズムという理解が一般的である。日本語の「愛国」は、「ナショナリズム的パトリオティズム」の意味で理解されている。しかし、ヨーロッパで「愛国」という場合、「共和主義的パトリオティズム」を指す。この考え方が世界的・歴史的には本来のものである。(44、51ページ)
ナショナリズムとは、自らのネイション(nation.国民、民族)の独自性にこだわり、それに忠実であることを求める思想である。(42ページ)
共和主義とは、市民の自治を通じて、市民にとっての共通善(特に自由や平等、そしてそうした価値の実現を保証する政治制度)を守ることを重視する思想である。(35ページ)
「ナショナリズム的パトリオティズム」は、自国を盲目的に溺愛し、自国の失敗や過ちの経験から学ぶことなく、ひたすら自国の歴史や文化を誇りに思う自画自賛(自国礼賛)である。(116、117ページ)
政治的・経済的に権力を持つ人たちは、批判の対象とならざるを得ない。なぜなら、権力を持たない人々にはできないことをその政治的・経済的権限で可能にできる人々は、大きな責任を背負っているからである。(120ページ)
本来の「愛国」「愛国心」とは、常に政治権力に対して批判的なまなざしを注ぎ、市民の自由や平等を守る「共和主義的パトリオティズム」である。権力に対して批判的な態度をとることが愛国的(patriotic)なのである。(123ページ)

「報道の中立性」という犯罪
報道機関の重要な役目は、強制力や影響力を持っている人たちを監視することである。
ところが、昨今ではマスメディアが「報道の中立性」という名目で権力批判をしないことが当たり前になっている。これほど甚(はなは)だしい勘違いはない。勘違いどころかほとんど犯罪的な過ちである。
報道機関は、権力を持たない人々を代弁するためにあるのである。事実を客観的に報道するだけではなく、権力を持つ人々の仕事内容を、権力を持たない人々の立場から批判するためにあるのである。それをして初めて、報道機関は仕事を立派に成し遂げたということができるのである。(121~122ページ)

〇「現代世界で静かに進行する変化の一つは、『愛国』が政治を語る言葉として復活していることである」([3]2ページ)。「愛国という問題が今日ますます徹底的な思考を要する課題として急浮上している」([3]322ページ)。そういうなかで、[3]は、欧米と日本の多様な現代パトリオティズム論を歴史的観点から批判的に検討し、その固有の性格をあぶり出し、その問題性の一端を明らかにする。約言すれば、愛国=パトリオティズムについての歴史的・哲学的な構造の解明が[3]の目的である(12ページ)。
〇[3]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「愛のまなざし」と愛国
愛国的であることを「祖国への愛」と読み換えるならば、その「愛」は盲目なものであってはならず「愛のまなざし」という観点が重要である。自国に「愛のまなざし」を注ぐということは、「私の国」に対してあらゆる規範的な判断を停止することではない。誇るべ長所だけでなく、恥ずべき欠点も含めて正確に「私の国」を理解することが、「愛のまなざし」に含まれる。一方で、愛する自国に長所を見出すことを喜ぶが、他方で、様々な過失や過誤を見出して、そのことに悩み苦しみ、欠点を改めようと努力するのである。このような「愛のまなざし」に基礎づけられた愛国的態度であってはじめて、それは道徳的義務ではないにせよ、望ましいものでありうると結論づけられるであろう。(222ページ)
「愛のまなざし」(loving attention,loving gaze)において重要なのは、愛の対象を可能な限り明瞭に理解しようとする点である。「愛のまなざし」の下にある対象は、「あばたもえくぼ」ではなく、「あばた」は「あばた」として認識される。「愛のまなざし」は、まなざしの対象に、良いところを見ようと心がけつつも、長所も短所も同様に、正確に理解する。すなわち、そのまなざしが「愛」に発するために、対象に好意的に接するが、しかし、その対象を正確に理解するという意味で、対象を分析し評価することも怠らないのである。共和主義的パトリオティズムを胸に抱く市民は、祖国に対してこのような「愛のまなざし」を持っている。祖国への愛は盲目ではなく、むしろ「祖国を鋭く見つめることを要求する」のである。(170ページ)

愛国と排除の論理
愛国的であるということは、無条件に道徳的正当性を主張できるものではない。にもかかわらず、愛国的であることが国民としての当然の義務であるかのような主張を巷間(こうかん。世間)で目にすることも少なくない。愛国的であることが義務であるとする認識が広く共有されるならば、それはどのような帰結をもたらすのか。(222~223ページ)
自国のアイデンティティに基礎づけられた愛国は、極端な場合、排外的で外国人を忌み嫌ったり見下(みくだ)したりする態度に結びつきやすい。他方、自国民であっても、愛国的ではないと判定される人々は、愛国者たちによって公的な避難や攻撃にさらされることが少なくない。
愛国が熱狂化すればするほど、文化や人種、宗教的背景を共有する同一国民の間においてさえ、思想信条を異にする一部の人々を「非国民」「売国奴」であると排撃する傾向が増大することは広く認識されている。(226ページ)

国家の聖性と愛国
国家は、正統な義務を独占する「聖なる」存在である(国家は国民に様々なサービスを提供する組織、神社のように国民にとってありがたい・尊いもの、正当な暴力を独占・行使する存在である)。愛国的であることを義務として承認することは、国家という「聖なる」存在の忠実な信徒であることを意味する。
国家の聖性への信仰は、当然、国家を尊崇(そんすう)することを必要とし、国家のための犠牲を要求する。国家のために死ぬことを拒否するのは、国家の聖性を認める限り、極めて難しい。(282ページ)
現代という歴史的地点において愛国的であるということが道徳的義務であると主張しうるとすれば、それは国家の聖性を認める限りにおいてにすぎない。「国家の聖性を認める限りにおいて」という限定条件は極めて重要である。(283ページ)
現代において当然視されているが必ずしも自覚されていない国家信仰を掘り崩(くず)すには、政府(さらには国家)を批判する市民たちが、非国民や国賊などと罵(ののし)られても動じないことが必要である。現代日本の文脈では、「反日」などと非難罵倒(ひなんばとう)されても、これに対して、自分たちこそが愛国的なのだと応答すべきではない。なぜなら、そうした自己弁護は、すなわち「お前は反日だ」という非難を支える国家への崇拝感情を裏書きする(実証する)ことになるからである。(283~284ページ)

〇筆者の手もとには[1][2][3]のほかに、姜尚中(カン サンジユン/東京大学名誉教授/政治学・政治思想史専攻)の『愛国の作法』(朝日新聞社、2006年10月。以下[4])や佐伯啓思(さえき けいし/京都大学名誉教授/現代社会論・社会思想史専攻)の『日本の愛国心―序説的考察』(NTT出版、2008年3月。以下[5])がある。姜にあっては、愛国とは、自然な感情の発露としての妄信などではなく、「理にかなった信念」「自分自身の思考や感情の経験に基づいた確信」(54ページ)による行為である。愛郷は、自分が生まれ育った故郷への愛、情緒や感情によるものである。佐伯にあっては、「戦後日本の愛国心をめぐる感情は、(「あの戦争」によって)ある『負い目』を背負い、その『負い目』をめぐって展開している」(中公文庫版、2015年6月。255ページ)。そういった認識に立って「日本的精神の行方」を探求するなかで、「もうひとつの愛国心」(388ページ)を描き出そうとする。
〇将基面は、[4][5]について、「平成時代を代表する日本の愛国心論」である。しかし、いずれも「基本的には啓蒙書」であり、「愛国=パタリオティズムの包括的・体系的議論を必ずしも指向するものではない」([3]9ページ)と評している。
〇ここでは、[4][5]で言及している「愛郷と愛国」「愛国心と愛郷心」について、その一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

姜尚中――「愛郷と愛国」、その微妙な共棲関係
「愛郷」と「愛国」の関係は、「微妙な共棲(きょうせい)関係」にある。
つまり、一方では、「愛郷」は、ナショナリズムという特定の歴史的段階において形成された一定の教義によって利用され、時として排斥される関係にある。
例えば、上からの「郷土教育」が説かれるのは、画一的な「愛国心」などを強制する場合に、空洞化した実感的な部分を補完する必要があるためである。『美しい国へ』の著者(安倍晋三)が「国を自然に愛する気持ちをもつ」ために、「郷土愛をはぐくむことが必要だ」と述べているのは、そうした「郷土教育」の効用を意識しているからであろう。つまり、「愛郷」は「愛国」に「自然な」感情の装いをほどこす補完的な役割を果たしていることになるのである。(154~155ページ)

佐伯啓思――愛郷心は愛国心の換喩的表現
「愛郷心」とは「愛国心」のいわば換喩(かんゆ。比喩)的表現にすぎない。「郷」は「国」の象徴的な代理になっており、換喩的に「国」を表現している。この二つの概念を変換すれば「パトリオティズム」が二重性を帯びていることは別に不思議ではなかろう。「愛郷心」は結構だが「愛国心」は危険だ、という議論は説得力がない。
そして、「愛郷心」と「愛国心」が重なり合うという意味での「パトリオティズム」にある種の強い情緒が伴うのは、「郷」にせよ「国」にせよ、その何か大事なものが失われつつあるからではなかろうか。そこにはあの種の喪失感が付着するのではないだろうか。繰り返すが、ある国の歴史的な伝統や文化や風土がそのままそこにあり、それらに自明のものとして囲まれているとき、人は、わざわざ「愛郷心」や「愛国心」を感じる必要もないであろう。ほとんど無自覚にそれらに囲まれて生活しているだけである。それらが失われつつあるという喪失感に囚(とら)われたとき、もしくは、たとえば外地にあってそこにどうしようもない距離感をもったときにこそ、「愛郷心」や「愛国心」を感じるというべきなのであろう。(132~133ページ)
近代社会は、人々の流動性を高め、急激に都市化を行い、なつかしい風景を破壊していった。このことが近代の人々にパトリオティズムを抱(いだ)かせるのである。(133ページ)

〇もう2冊ある。市川昭午(いちかわ しょうご/国立大学財務・経営センター名誉教授/教育行政学専攻)の『愛国心―国家・国民・教育をめぐって―』(学術出版会、2011年9月。以下[6])と鈴木邦男(すずき くにお/政治活動家/50年以上も愛国運動をリードしてきた人物)の『〈愛国心〉に気をつけろ!』(岩波書店、2016年6月、以下[7])である。将基面は、[6]について、「戦後の愛国心論では『忠誠問題が無視されてきた』と指摘し、そこに戦後日本における愛国心論の一つの特徴を見ている」([3]121ページ)。[7]については、「72ページの小冊子(岩波ブックレット)ながら、充実した作品である。愛国心の旗印のもと現代日本で広がりつつある排外主義を的確に批判している」([2]193ページ)と評している。それぞれの一節を紹介しておくことにする。

愛国は究極的には殉国を求める
愛国心や愛国心教育の問題が敬遠されたり嫌われたりするのは、それが究極において国家に対する忠誠の問題となるからであろう。
国民国家は国民を保護し、その権利を保障する代わりに、国民に法律を守らせ、国民の自由を制約する。国家が国民の安全と国の独立を守るための共同防衛装置である以上、国民の側も国を大切に思うだけでは足りず、国防の義務に従うことが要求される。それは一旦緩急(かんきゅう。危急)ある場合には愛国だけでは不十分であり、究極的には殉国(じゅんこく。国のために命をなげだすこと)が求められるということである。([6]87ページ)

〈愛国心〉を汚れた義務にしてはならない
「同じ日本人なんだから」「日本を愛する愛国心をもっているのだから」という視野の狭い仲間意識のもと、排他的な傾向が強まっている。政権を批判したり、日本の問題点などを指摘したりすると「反日!」とののしられる。「他国に学んで、日本のここを良くしよう」などと言っても、「お前は外国の肩をもつのか」と怒鳴られる。その結果、「日本はすばらしい」「日本人は最高」といった自画自賛の言葉が氾濫し、そしてその足下で排外主義が跋扈(ばっこ。強くわがままに振る舞うこと)しているのが現状ではないのか。([7]52ページ)

最近、“里” の夢をよく見る / 人っ子一人いない / おかしな空模様だ / なぜか、いつもそこで夢は終わる


付記
本稿でとり上げた本の一覧である。
(1)将基面貴巳『反「暴君」の思想史』(平凡社新書)平凡社、2002年3月
(2)将基面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』百万年書房、2019年8月
(3)将基面貴巳『愛国の構造』岩波書店、2019年7月
(4)姜尚中『愛国の作法』(朝日新書)朝日新聞社、2006年10月
(5)佐伯啓思『日本の愛国心―序説的考察』(中公文庫)中央公論新社、2015年6月
(6)市川昭午『愛国心―国家・国民・教育をめぐって―』学術出版会、2011年9月
(7)鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ!』(岩波ブックレット)岩波書店、2016年6月

芸術文化活動を通して“ゆるやかな絆”のなかに生きる人たち:「福祉文化」に関するワンポイントメモ―今中博之を読む―

〇筆者(阪野)の手もとに、今中博之(社会福祉法人素王会理事長/アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター)の新刊本が2冊ある。(1)『かっこいい福祉』(村木厚子との共著。左右社、2019年8月。以下[1])、(2)『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』(アトリエ インカーブ編著。ビブリオ インカーブ、2019年9月。以下[2])がそれである。[1]は、今中と村木厚子(元厚生労働事務次官)の対談本である。「自力と他力」「内閉と開放」「市場と制度」などの二項対立的なキーワードを通して、「福祉は何故、低くみられるのか」「福祉をかっこいい業界にするにはどうすべきか」を語り合う(「帯」)。[2]は、今中と松井彰彦(東京大学大学院教授)の講演と対談を中心に編んだものである。そこでは、「共感を求めすぎないこと」「閉じながら“ときどき”開くこと」の重要性を説きながら、「市場×福祉」について論じ合う。
〇[1]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

文化の市場性と福祉文化
私は、社会福祉学者の一番ヶ瀬康子氏がいう「福祉の文化化と文化の福祉化」を実践する母体としてアトリエ インカーブ(デザイン事務所)を位置づけています。彼女はそれを「福祉文化」という概念で表現しました。生活の質が問われて久しい昨今、「社会福祉の究極の目的が、自己実現への援助であり、その在り方を追求していくことであるという視点にたつならば、文化をふくみ得ない社会福祉はあり得ないといっても過言ではない」と主張します。私も同感です。ただ、文化の「市場性」については、これまであまり議論が進んでこなかった。今後の課題は、市場性を意識した福祉文化をつくっていくことです。(20ページ)

越せない溝と「かっこいい福祉」
私にとって「かっこいい」とは、クールやスマートではなく、わかりあえないと認めることだったように思います。認めるためには、たくさんの時間が必要です。私の優しさとあなたの優しさは違うってことや、私の怒りとあなたの怒りも違うってこと。共感ができなくても理解できるまで話す、聞く。ながい時間のなかでわかりあえないことがわかるようになってきます。そうして紡がれた幸せを「かっこいい福祉」、その企てを「かっこいい社会福祉」というのだと思います。(197~198ページ)

〇[2]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

障がい者の芸術文化活動と「市場の力」
好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい。選択肢の多い市場では「差別をしない取引」が可能です。つまり、市場の中には社会的に弱い人だから差別をするという行動規範は薄いのです。ゆえに、しがらみも少ない。だからこそ市場は、国を超えて人と人をつなげていくのです。/問題は、どの程度の市場化(開き方)をするかです。共感的消費者だけにアプローチしていては、広がりません。狭くて逃げ場所のないコミュニティは差別がはびこります。かといって、つながりすぎ、共感を求めすぎては、綻(ほころ)びが出てきます。身の丈にあったいい塩梅(あんばい)。そこがポイントです。/近江商人の理念である「三方よし」(売り手良し、買い手良し、世間良し)の場合のみ取引をすることです。(203~204ページ)

アートを通じた自己実現と相互実現
インカーブでは、社会福祉事業として障がい者の芸術文化活動を進めていくために「閉じながら“ときどき”開く」ことを心がけてきました。(中略)インカーブの事業の目的は、知的に障がいのあるアーティストの日常が作品制作を通して平安であることです。/アートの商業的価値を慮(おもんぱか)ることは、共感を超える市場につながります。その実現のためには、つながりすぎないこと、共感を求め過ぎないことではないでしょうか。(205ページ)

〇以上のメモに関して、若干付言しておきたい。先ず、「市場」についてである。市場は、需要者と供給者が出会い、契約と取引が行われ場である。松井の言によれば、「いろんな人が集まって、一定のルールのもとにお互いにプラスになるように取引する場である」([2]88ページ)。当然、そこでの人間関係は対等である。市場では、この対等な「契約関係」とともに、人と人との「信頼関係」も必要かつ重要となる。信頼関係は、相手との対等な関係を築くための人間関係であるが、それゆえに「倫理性」(「一定のルール」)が要求される。今日の市場経済社会では、契約関係だけでなく、それ以上に信頼関係が重要となる。この点を含意するのが、今中がいう「好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい」という言説であろう。しかし、簡単に「嫌いな人なら手を切ればいい」とはいえないのも人間社会である。そこで求められるのは、「仲間をつくる営為であり、(たとえ嫌いであっても・嫌いになっても)仲間外れにしないという行動」である。それを「福祉」と呼んでいい。
〇次に、「共感的消費者」についてである。共感的消費者とは、商品の品質ではなく、「障がい者がつくった」という商品の背景に思い入れをもって購入する人たちをいう(神谷梢[2]6ページ)。「社会福祉の事業者は、『共感的消費者』にアプローチしてきた。ただ、その範囲はとても狭く、見慣れた仲間うちに限られている。共感的消費者だけに依存し続ければ、マーケットは永遠に広がることはない。これが社会福祉の市場化の限界点である」([2]200ページ)と今中はいう。周知の通り、消費には「機能的消費」「記号的消費」「共感的消費」の三つの形態がある。ブランドネームなどの付加価値を消費する記号的消費ではなく、その商品の機能や効用を消費する機能的消費と、その商品への“こだわり”や“想い”に共感して消費する共感的消費が肝要である(ちなみに筆者が運転する車は、単なる移動の手段として考える大衆車であり、絶滅危惧種のマニュアル車、しかも走行距離は15万キロを優に超えている)。
〇いまひとつは、「福祉文化」についてである。前述の一番ヶ瀬がいう「福祉の文化化」に関していえば、それは、社会福祉それ自体をいかに質・量ともに豊かな、文化的なものにしていくか、文化の香りのするグレードの高いものにしていくかということを意味する。そこから、福祉文化とは、日常生活の量的拡大と質的充実を図り、人びとの健康で快適な生活と情感の安定を保証する生活の質としての文化であるといえる。別言すれば、人びとの日常生活に心の潤いや安らぎ(内面的豊かさ)、社会的・経済的・文化的豊かさなどの「平安」をもたらす文化である。そういう福祉文化を創造するためには、人と人との“であい”“ふれあい”“ささえあい”が必要かつ重要となる。
〇こうした「福祉の文化化」をより確かなものにするためには、福祉政策や行政の文化化を図ることが肝要となる。「福祉政策・行政の文化化」のねらいは、住民の参加と合意形成のもとに、障がい者などを含めたすべての住民の主体的・自律的な文化活動の推進を図り、すべての住民が文化を享受し創造するための条件整備や環境醸成をおこなうことにある。
〇「文化の福祉化」に関していえば、文化は人びとの日常的な生活行為のなかに現れ、創られるものである。そこから、障がい者などを含めた、生活主体としてのすべての人が、文化の創造主体であり、活動主体であるといえる。しかし、例えば、芸術文化についていえば、今日においてもまだ、一定の条件に恵まれた一部の人だけのものであるとか、特定の場所や機会にふれるものであるという認識が強い。こうした芸術文化状況の偏りを是正し、とりわけ芸術文化の貧困のもとに置かれてきた障がい者などに対しては、芸術文化を享受する機会の確保・拡充や芸術文化活動(創作活動)への主体的参加を促す環境醸成を図ることが肝要となる。
〇アトリエ インカーブでは、創作活動と日常生活が共存している。作品制作を通して平安(福祉)を追求している。それはまさに「福祉文化」である。その実践は、荒廃したいまの日本社会を変革し、新たな地平を開く視点や力を生み出している。
〇本稿のタイトルに使った「ゆるやかな絆」は、大江健三郎(文)・大江ゆかり(画)の『ゆるやかな絆』(講談社、1996年4月)による。それは、[1]と[2]を読むなかで思い至ったものである。ただし、記号的消費(使用)ではない。
〇なお、「ゆるやかな絆」をめぐって大江は、次のように述べている。僕らは「ゆるやかで、人を束縛するところは少しもなく、その両端にいる同士はお互いにひそかな敬愛の心を抱いているが、それを口にしないまま時が流れて行き、……というような、真の家族についての感情教育を」受けていたのである(講談社文庫、1999年9月、111ページ)。

付記
本稿に関して、<雑感>(73)「怒りと希望」:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること―今中博之著『社会を希望で満たす働きかた』読後メモ―/2019年1月28日投稿、を参照されたい。

「仕事」(カイシャ)と「世間」(ムラ):日本社会のしくみと生き方に関するワンポイントメモ―小熊英二を読む―

「阪野さんはヨソから来た人だよね。何の仕事をしてるんですか?」「教員です」「いまどきの教員って大変なんだろ。小学校?、中学校?」「大学です」「どこの大学かね?」「〇〇大学です」「ああ、そうかね?」(専門・専攻を訊いてよ‥‥‥)。
「石原(仮名)さんは地元の方ですよね。お仕事は?」「△△会社をやっている」「社長さんですか?」「まあ」「社長さんってすごいですね」「世間との昔ながらの付き合いもあって大変だよ」「そうなんですか?」(「世間」と「空気」か‥‥‥)。

〇筆者(阪野)が地元での地域・福祉活動に関わった当初の、住民との会話のひとコマである。ヨソ者であり定時制市民でもあった筆者に対する地元住民の問いは、「仕事」(業種・帰属集団)であった。それに続く住民の話は必ず、「世間」(地域・関係性)に関することども(世間話)になった。その際には、その「場」の「空気」(判断基準)を読むことが求められた。それはいまも変わらない。
〇筆者の手もとに、小熊英二(慶應義塾大学教授、歴史社会学者)の新刊本が3冊ある(しかない)。(1)『日本社会のしくみ―雇用・教育・福祉の歴史社会学―』(講談社、2019年7月。以下[1])、(2)『地域をまわって考えたこと』(東京書籍、2019年6月。以下[2])、(3)『私たちの国で起きていること―朝日新聞時評集―』(朝日新聞出版、2019年4月。以下[3])がそれである。
〇[1]は、「日本型雇用」慣行(システム)がどのように形成されてきたかを軸に、日本社会で人々を規定している暗黙のルールすなわち「慣習の束」(「しくみ」)を解明(抽出)したものである。小熊にあっては、「日本社会のしくみ」を構成する原理の重要な要素は、①何を学んだかが重要でない学歴重視(学校名の重視)、②ひとつの組織での勤続年数の重視(他企業での職業経験の軽視)、である(6~7ページ)。[1]は、「日本社会の構成原理を学際的に探究した」点において、広義の「日本論」(日本型雇用慣行の形成史に基づく日本社会論)でもある(15ページ)。
〇[1]における言説の要点のひとつをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

日本社会の「三つの生き方」―「大企業型」「地元型」「残余型」―
現代日本での生き方は、「大企業型」「地元型」「残余型」の三つの類型(モデル・理念型)に分けられる。
「大企業型」とは、大学を出て大企業や官庁に雇われ、「正社員・終身雇用」の人生をすごす人たちと、その家族である。
「大企業型」は、所得は比較的に多い。しかし「労働時間が長い」「転勤が多い」「保育所が足りない」「政治から疎外されている」といった不満を持ちやすい。
「地元型」とは、地元から離れない生き方である。地元の中学や高校に行ったあと、職業に就く。その職業は、農業、自営業、地方公務員、建設業、地場産業など、その地方にあるものになる。
「地元型」は、収入はそれほど多くなかったりするが、地域の人間関係が豊かで、家族に囲まれて生きていける。政治も身近である(政治や行政が地域住民としてまず念頭に置くのは、この類型の人々である)。問題なのは、過疎化や高齢化、地域に高賃金の職が少ないことなどである。(21~22、25ページ)
「残余型」とは、所得は低く、地域につながりもなく、高齢になっても持ち家がなく、年金は少ない。いわば、「大企業型」と「地元型」のマイナス面を集めたような類型である。その象徴は都市部の非正規労働者である。現代の日本社会の問題は、「大企業型」と「地元型」の格差だけではない。より大きな問題は、「残余型」が増えてきたことである。(32ページ)
三類型の比率は、「大企業型」が26%、「地元型」が36%、「残余型」が38%と推定される。「地元型」に多い自営業の減少により非正規雇用は増えているが、正規労働者の数はさほど減少していない。大企業の雇用慣行が「企業」と「地域」という類型をつくり、日本社会の構造を規定している。(40~41、45、86ページ)

〇[2]は、移住希望者向けの雑誌『TURNS』の連載記事をベースに加筆したものである。小熊にあっては、「地域」を知るための視点として、①市区町村は行政の単位であって地域の単位ではない。②市区町村は行政の範囲であって経済の範囲ではない。③地域の集合意識(有無や強弱)は地形と関連している。④集合意識の範囲の指標のひとつは神社(祭り)と小学校区である。⑤人は単なる個人ではなく社会関係の結節点である、などが重要となる(7~18ページ)。[2]は、戦後日本の地域の歴史性について考え、持続可能な地域を構築するための今後の方向性を探究する本である。
〇[2]における言説の要点のひとつをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

地域振興の目標―「他から必要とされる地域」と「持続可能で人権が守られる地域」―
地域振興を図るに際して、「かつての賑わいを取り戻す」という発想には限界があり、非現実的である。地域振興の目標は、基本的には地域住民が決めるしかないが、「他から必要とされる地域」および「持続可能で人権が守られる地域」という目標の立て方がありうる。(170、171ページ)
「他から必要とされる地域」については、改めてその地域にある資源を点検・見直し、それが外部から求められるような流れを作っていくことによって新たな賑わいを生み出すしかない。ただ、他の地域で成功したモデルを模倣しても成功しないことが多い。環境の変化に即した、その地域ならではのモデルをそれぞれ構想するしかない。(171、172ページ)
「持続可能で人権が守られる地域」については、人口減少が進むなかで、人口構成のバランスを維持するために若い世代や移住者を呼び込む。行政の仕事や(福祉)施設運営などをNPOに委託したり、農業や自営業、伝統産業の振興を図るなど、移住者が「長いスパンで働けるところを、地道に作っていく」(76ページ)。その際、「かつての賑わいを取り戻す」という目標の立て方ではなく、地域・住民の「健康で文化的な生活」(人権)を守ることを地域の維持や振興の目標とすることが重要となる。そこに求められるのは、チャレンジ精神(「やってみなければわからない」)と愛着(「それが好きだ」)である(177、182ページ)。

〇[3]は、2011年4月から2019年3月にかけて朝日新聞に連載された「論壇時評」を編集したものである。小熊にあっては、「個別の事象の向こう側にある社会の変動をみつめ、その変動の表れとしてそれぞれの事象を位置づけるように努め」る。「その変動とは、人々の個人化が進み、関係の安定性が減少していく流れである」(4ページ)。[3]では、①「社会の変動という、世界に普遍的な傾向が、日本でどう表れているか」、②「戦後の日本で形成された『国のかたち』がどのように揺らいでいるか、次の時代の新しい合意がどのように作られうるか」、という二つの関心が通奏低音(つうそうていおん。底流に流れる考え・主張)となっている(6ページ)。
〇[3]における言説の要点のひとつをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

分断社会・ニッポン―「第一の国民」と「第二の国民」―
現代日本は「二つの国民」に分断されている。「第一の国民」は、企業・官庁・労組・町内会・婦人会・業界団体などの「正社員」「正会員」とその家族である。「第二の国民」は、それらの組織に所属していない「非正規」の人々である。(218ページ)
「非正規」の人々は所得が低いのみならず、「所属する組織」を名乗ることができない。そうした人間にこの社会は冷たい。「第二の国民」が抱える困難に対して、報道も政策も十分ではない。その理由は、政界もマスメディアも「第一の国民」に独占され、その内部で自己回転しているからである。(219、220ページ)
日本社会の「正社員」である「第一の国民」は、労組・町内会・業界団体などの回路で政治とつながっていた。彼らは所属する組織を通して政党に声を届け、彼らを保護する政策を実現できた。もちろん「第一の国民」の内部にも対立はあった。都市と地方、保守と革新の対立などである。55年体制時代の政党や組織は、そうした対立を代弁してきた。今も既存の政党は、組織の意向を反映して、そうした伝統的対立を演じている。報道もまた、そうした組織の動向を重視する。新聞記事の大半は政党・官庁・自治体・企業・経済団体・労組といった「組織」の動向である。一方で「どこにも所属していない人々」の姿は、犯罪や風俗の記事、コラム、官庁の統計数字などにしか現れない。(220~221ページ)
放置された「第二の国民」の声は、どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。この問題は、日本社会の未来を左右し、政党やメディアの存亡を左右する。(222ページ)

〇ここで、[1]との関連で、あまりにも周知のことではあるが、中根千枝(東京大学名誉教授、社会人類学者)が半世紀以上も前に上梓した『タテ社会の人間関係―単一社会の理論―』(講談社、1967年2月。以下[4])で説く「日本論」(「社会の単一性」を前提とした日本社会論)について思い起しておくことにする。[4]は、一定の社会に内在する基本原理を抽象化した「社会構造」に着目し、日本の社会構造を最も適切にはかりうるモノサシ(分析枠組み)を提出したものである(20、21ページ)。
〇[4]における言説の重要用語は、「資格と場」「ウチとヨソ」「タテとヨコ」である。その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

日本の社会構造の特徴―「資格と場」「ウチとヨソ」「タテとヨコ」―
一定の個人からなる社会集団を構成する要因として、二つの異なる原理を設定することができる。「資格」(の共通性によるもの)と「場」(の共有によるもの)がそれである。「資格」とは、性別や年齢、学歴・地位・職業などのように、社会的個人の一定の“質”(個人的属性)をあらわすものである。「場」は、資格(個人的属性)の違いを問わず、一定の地域や所属機関(大学、会社等)などのように、一定の“枠”によって集団が構成される場合をさす。例えば、会社の経営者や技術者、大学の教授や学生というのはそれぞれ資格をあらわすが、〇〇会社の社員、△△大学の者というのは場による設定(位置づけ)である。日本社会では、「場」が社会的な集団構成や集団認識において大きな役割をもっている。(28、29、32ページ)
一体感によって養成される枠の強固さ、集団の孤立性は、同時に、枠の外にある同一資格者の間に溝をつくり、一方、枠の中にある資格の異なる者の間の距離をちぢめ、資格による同類集団の機能を麻痺させる役割をなす。すなわち、こうした社会組織にあっては、社会に安定性があればあるほど同類意識は希薄となり、一方、「ウチの者」「ヨソの者」の差別意識が正面に打ち出されてくる。日本人は仲間といっしょにグループでいるとき、他の人々に対して実に冷たい態度をとる。相手が自分たちより劣勢であると思われる場合には、特にそれが優越感に似たものとなり、「ヨソ者」に対する非礼が大っびらになるのが常である。(48、49ページ)
場の共通性によって構成された集団は、枠によって閉ざされた世界を形成し、成員のエモーショナル(感情的)な全面的参加により、一体感が醸成されて、集団として強い機能をもつようになる。これが小集団であれば、特に個々の成員を結ぶ特定の組織といったものは必要ではないが、集団が大きい場合、あるいは大きくなった場合、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要であり、また、力学的にも必然的に組織ができるものである。この組織は、日本のあらゆる社会集団に共通してみられ、筆者(中根)はこれを「タテ」の組織と呼ぶ。理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。親子関係や上役・部下の関係は「タテ」の関係であり、兄弟姉妹や同僚関係は「ヨコ」の関係である。日本社会に特徴的な場によって構成される集団は、資格(個人的属性)の異なる構成員を結びつける方法として、理論的にも当然「タテ」の関係となる。(70、71ページ)

〇ガタガタと揺れ動く「ポンコツ車」の現代資本主義経済に関して、改めて資本主義の「本質」を問い直し、資本主義の「倫理」を見直し、分断社会をこえる社会のあり方について考えを深めていくことが求められている(岩井克人・生源寺眞一・溝端佐登史・内田由紀子・小嶋大造著『資本主義と倫理―分断社会をこえて―』東洋経済新報社、2019年3月)。また、現代資本主義社会における都市と地方、正規雇用と非正規雇用、富裕層と貧困層、高齢者と若者、男性と女性のように、社会の「分断と格差」「対立と差別」が深刻の度を増している。
〇「分断社会・ニッポン」はどこに向かっていくのか。どのような、あるいはどうすれば分断社会への処方箋を見出せるのか。そのことを展望するために、日本社会の基底をなす構造とは何か、について考えようとしたのが本稿である。課題に対する政策的・実践的処方箋は、2011年の東日本大震災後に叫ばれた「がんばれ! ニッポン!」の一言ではすまない。しかも、その言葉は、諸刃の剣(もろはのつるぎ)になりかねない。日本には「協調性」「集団主義」というマクロ文化が存在し、「長い物には巻かれよ(ろ)」「寄らば大樹の陰」(強い権力や勢力には従う)という日本的処世術が定着している、と言われる点においてである。留意したい。

社会運動:「ふつう」を捨てて「わがまま」を言うこと―富永京子著『みんなの「わがまま」入門』読後メモ―

〇表1は、日本、韓国、ドイツの3か国における「社会運動」の各形態に対する許容度についてみたものである。「署名」や「請願・陳情」といった穏健で制度的な形態と、「デモ」や「座り込み」といった示威(じい。威力を示すこと)的なそれを取り上げている。日本では「署名」は83.8%、「請願・陳情」は65.6%、「デモ」は45.3%、「座り込み」は21.5%の人が肯定的に考えている。それに対して、ドイツでは、「デモ」(74.2%)、「請願・陳情」(77.9%)、「署名」(85.0%)ともに7~8割の人が支持している(山本英弘「社会運動を許容する政治文化の可能性―ブール代数分析を用いた国際比較による検討―」『山形大学紀要(社会科学)』第47巻第2号、山形大学、2017年2月、6ページ。山本の調査研究については、下記の[1]68~74ページに紹介されている)。

〇表2は、日本、韓国、ドイツの3か国における「社会運動」に対する態度についてみたものである。「代表性」、「有効性」、「秩序不安」を取り上げている。運動の「代表性」についての肯定的な回答(「そう思う」「まあそう思う」)はドイツで83.1%、日本は36.4%、「有効性」はドイツで79.3%、日本は51.8%、「秩序不安」についての否定的な回答(「そう思わない」「あまりそう思わない」)はドイツで64.1%、日本は38.3%である(山本、同上、6~7ページ)。

〇要するに、「社会運動」についてドイツでは許容度も評価も高いが、日本はともに低い、と考えられる。
〇筆者(阪野)の手もとに、「社会運動」の入門書が3冊ある(しかない)。(1)富永京子著『みんなの「わがまま」入門』(左右社、2019年4月。以下[1])、(2)大畑裕嗣・成元哲・道場親信・樋口直人編『社会運動の社会学』(有斐閣、2004年4月。以下[2])、(3)小熊英二著『社会を変えるには』(講談社、2012年8月。以下[3])がそれである。
〇[1]は、中高生を対象にした社会運動のガイドブックである。そこでは、「わがまま」(社会運動)を、「自分あるいは他人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」(13ページ)として定義する。「わがまま」は、「権利や不満を主張すること」(66~67ページ)である、と言う。
〇[2]は、大学生を対象にした「日本初。社会運動論の体系的テキスト」(「帯」)である。そこでは、社会運動を、「①複数の人びとが集合的に、②社会のある側面を変革するために、③組織的に取り組み、その結果④敵手・競合者と多様な社会的な相互作用を展開する非制度的な手段をも用いる行為である」(4ページ)と定義づける。社会運動は、「社会を映し出す鏡」であり、「社会をつくる原動力」(2ページ)でもある、と言う。
〇[3]は、「社会を変える」ための基礎的なテキストブックである。そこでは、「社会を変える」ということについて「歴史的、社会構造的、あるいは思想的」(5ページ)に考える。小熊は言う(以下、語尾変換)。「運動のおもしろさは、自分たちで『作っていく』ことにある。楽しいこと、盛りあがることも、けっこう重要である」(497ページ)。「盛りあがりがあれば、『自己』を超えた『われわれ』が作れる。それができあがってくる感覚は楽しいものである」。「そういう盛りあがりがあると、社会を代表する効果が生まれ、人数の多さとは違う次元の説得力が生まれる」。「参加者みんなが生き生きとしていて、思わず参加したくなる『まつりごと』が、民主主義の原点である」(498ページ)。「社会を変えるには、あなたが変わること。あなたが変わるには、あなたが動くこと(である)」(502ページ)。「(運動に)『参加して何が変わるのか』といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれる」(517ページ)。
〇筆者はかつて、本ブログで、「福祉のまちづくり運動と市民福祉教育」(<まちづくりと市民福祉教育>(3)/2012年7月4日投稿)について管見を述べた。以下はその要点の一節である。

市民運動は、人々に共通する焦眉の生活問題から生ずる。それは、建設的な批判と豊かな創造という視点・視座のもとに、具体的な運動(活動)展開を通して歴史的・社会的問題としての生活問題を解決することを第一義とする。そして、その問題解決の道筋を探り、問題解決をより確かなものにし、その成果(行動と結果)を実効あるものにするためには、市民運動は次のような属性をいかに保持するかが問われることになる。すなわち、運動そのものがもつミッション性や思想性、公共性や政治性、批判性や革新性をはじめ、運動を通して醸成される集合的アイデンティティ(われわれ意識)、その基で社会変革の実現をめざす取り組みの組織性、他の地域や運動との交流・連帯を視野に入れた開放性や普遍性、それに運動を展開するうえでの計画性や継続性、などがそれである。これらは、運動主体の育成を図る市民福祉教育の内容や方法などを規定することになる。

〇筆者は、福祉によるまちづくりのための「市民運動と市民福祉教育」について、その理解や思考を深めたいと願っている。本稿では、[1]において留意したい「社会運動」(「わがまま」)についての論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「ふつう」幻想が「わがまま」をネガティブにする
1970年代、「一億総中流」の「意識」が形成された時代には、ある程度固定化・共有化された、一般的・中流的な「ふつう」の生き方が存在していた。(41ページ。図1)
社会のグローバル化が進み、多様化・個人化したいまの時代にあっては、たとえば「高齢者」「障がい者」「女性」あるいは「貧困」などといった「共通の要素(属性)でくくる(ひとくくりにする)」ことや、それらの要素に「共通する利害」を共有(想定)することが難しくなっている。そのような現代社会において、同じ属性を持つ人々のなかでもその生き方や価値観は個人的で多様である。それゆえに、高齢者・障がい者・女性イコール「かわいそう」、と言えなく(見えなく)なっている。(48、50ページ)
しかし、人々は「ふつう」の幻想をいまも持ち続けており、「みんなふつう」という同質性や均質性を認め合っている。そんななかで人々は、自分の意見を主張することを「自己中」「自己満」「自分勝手」あるいは「他害行為」と感じたり、「わがまま」を言えずに我満(沈黙)することを選んでいる。(52、53ページ。図2)

「社会運動」をガチガチにではなく柔軟に考える
「わがまま」は、恵まれない立場や弱い立場を是正したり、救ったりするだけではなく、社会運動をすることで、古い価値観をこわし、新しい価値観をつくることを目的としているが(87ページ)‥‥‥
● 公の場で「わがまま」を言うことは、対立を生んだり嫌悪感を覚える人もいるが、それは、「やらなきゃいけない」とは言わないまでも、「やっていい」ことである。(81ページ)
● 「わがまま」は「社会の変化」や「根本的な改善」を促すための社会運動のきっかけ(端緒)づくりである。(94ページ)
● 社会運動の仕事は、あくまで「わがまま」を公の場に出して、隠れた願望や要求を形にして多くの人に伝えることであり(95ページ)、新聞や雑誌の「投稿欄」を使ったり、ホームページをつくるのも立派な「わがまま」である。(196ページ)
● 長期的に見ると社会は変わっており、社会運動の効果や意味を長い目で見ることが有効(重要)である。(104ページ)
● 「わがまま」は何かが大きく変わらなくても、行動する人やその周りの人にとって何か変化があれば、それはその人にとって社会運動をする意味になる。(103ページ)
● 過激な主張や表現をする人のなかにいると、過激な言葉や振る舞いが当然視・常識化され、次第に主張や表現の幅が狭くなってしまう。(134ページ)
● ただひとりの「わがまま」、ただひとつの社会運動だけで、そんなにやすやすと社会は変わらない。(215ページ)
● 「わがまま」を言い続けることは大変なことであるが、うまくいくまでやる必要はないし、それを自分がやる必要もない。(215ページ)
● 基本的に、自分がやらなくても、社会にとって大事なことなのだから誰かがやってくれるという思いを持ち続けることは、自分の心を守るうえでも役に立つ。(217ページ)
● 自分のための「わがまま」を通じて当事者感覚を広げていくとともに、それを他人のため(「よその世界」)の「わがまま」すなわち「おせっかい」(支援、応援)へと変えていくことも大事である。(239ページ-)

〇筆者の机の上にはいま、新刊本か2冊ある。(4)中條共子著『生活支援の社会運動―「助け合い活動」と福祉政策―』(青弓社、2019年8月。以下[4])、(5)村木厚子・今中博之著『かっこいい福祉』(左右社、2019年8月。以下[5]。)がそれである。
〇[4]は、「地域住民で『たたかう』ために生まれた『助け合い活動』の1970年代から現在までを追い、地域のグルーブ、有償ボランティア,NPOと移り変わった担い手の変容、苦悩や課題を描き出す。(そして)自助(自己責任)の強化に抗(あらが)い、政策とは別の互助の可能性を展望する」(「カバー」)。その際、社会運動を、「社会的状況の変革を企図する集合的な取り組みであり、制度的な政治空間の内外で多様な手段によって展開される活動」(18ページ)として捉える。とともに、「助け合い活動の変革的性格に焦点を当てた『運動論』のアプローチを継承しながら、その限界を克服しうる方途として、社会学の研究領域である『社会運動研究』の蓄積」(18ページ)に学ぶ。
〇[5]は、村木と今中の対談本である。村木は言う。「かっこいい福祉」とは「制度にない」を「制度にする」ことをめざすして、新しいサービスを生み出し、多くの人や分野が相互につながることをつねに試行錯誤し続けることである。その人やその取り組みは、「みんな面白い」(189~193ページ)。今中は言う(※)。「アトリエ インカーブ」(アートスタジオ)では、知的に障がいのあるアーティストとデザイナーであるスタッフが、「福祉の文化化と文化の福祉化」(一番ヶ瀬康子)を実践している。加えて、「市場性を意識した福祉文化」をつくっていく必要がある(20ページ)。「かっこいい」とは、わかりあえないと認めること。認めるために、理解できるまで話す、聞く。そうして紡(つむ)がれた幸せが「かっこいい福祉」である(197~198ページ)。

〇富永京子によると「わがままが『違い』をつなぐ」([1]「帯」)。すなわち、「わがまま」を言うことによって、生き方や価値観の違う人々が一緒になってみんなで社会をつくる。樋口直人によると「社会運動は未来の予言者」([2]27~29ページ)である。すなわち、社会運動は到来する社会を啓示し、さまざまな「予言」をしてきた(「予言者」としての役割を果たす)。小熊英二によると「運動とは、広い意味での、人間の表現行為」([3]516ページ)である。すなわち、仕事も、政治も、言論も、芸術も、人間の表現行為であり、社会をつくる行為である。付記しておきたい。