草むす匂いが 夏空に充満する
トラクターは 広い草地を駆動し
ロール状に 牧草を梱包(こんぽう)していく
北の牧場の 風物詩
男の家の納屋は がらんどうだった
牛舎は すでに解体され
残されたサイロだけが 牛飼いの家であった当時を忍ばせる
酪農経営の大型化と 後継者問題が 男の判断を急がせた
借金だらけの経営を 子どもに譲るわけにはいかなかった
大型化するには 土地と機械を買わねばならない
借金は 雪だるま式に 増えるだけだった
夏風が 草原を吹き渡る
日が短くなり 遠くで牛の鳴く声が聞こえた
乳搾(ちちしぼ)りが 始まる合図だった
そんな秋の夕方 帰宅の途中に 立ち寄った
男は 一人で暮らしていた
久しぶりの来客に 話し足りないようすだった
80歳を超えているにもかかわらず 仕事で鍛えてきたせいか
まだまだ 矍鑠(かくしゃく)としている
突然 電話がかかってきた
車が はまってしまったという
除雪のバケットをつけたトラクターを 走らせ駆けつけた
町で用足しをして 戻ってきたら
国道から家までの道が 午後に降った雪でふさがれていた
そこに 強引に突っ込んだ
道路脇の側溝に はまったというのだ
国道は 除雪されるが そこから自宅までの私道は
自前で除雪を しなければならない
生活の足の 車の出し入れが出来なければ 死活問題
そろそろ 男の暮らしも この冬限りだろうか
水芭蕉(みずばしょう)が 男の家の沼地に咲きほころんだ
毎年 家族で観に出かけた
男も 嬉しそうに出迎えた
今日は 町からも男の知り合いが 友だちを連れて来ていた
少し賑やかになった
もう少し ここで頑張ろうと そんな男の笑顔だった
一番草の 草刈りが始まった
その草むした香りが 空いっぱいに満ちたとき
男の息子夫婦が 都会から戻ってきた
退職したのを機に 田舎でのんびりと 暮らしたい
親父のこともあるからねと
私をねぎらいながら そう話した
私も 少し手抜きをさせてもらいましょう
※矍鑠(かくしゃく):年老いても丈夫で元気なさま。
〔2019年8月8日書き下ろし。都会で痛めた心を大自然の中で癒やすU・Iターンも歓迎〕