初老の男は 今日も焼酎を飲んでいた
素面(しらふ)になったのは いつだったのか もう忘れた
まともに 飯も 食べてはいなかった
師走の寒風が吹くなか
民生委員は 男の家を 初めて訪ねた
このままでは のたれ死にすると 近所の人からの相談だった
玄関口で 誰の世話にもならないと 追い返された
それでも めげずに足繁(あししげ)く 通った
港の氷も融けて 海開きの季節がやってきた
男は 漁師仲間に声かけられて 網の手入れに精を出した
訪ねて行くと 家にあげてくれた
一枚の写真を 見せてくれた
家族四人で 新造船をバックにした写真だった
男は 若くして その春 船主になった
栄華は 一瞬だった
不漁で 思うように稼げず
翌々年の春 ついに借金のかたに取られた
男は酒におぼれ 妻と子は夜逃げ同然で 村を離れた
雪の舞う頃 離婚届が送られてきた
立ち直ることも出来ず
漁師仲間の温情で いのち長らえた
春は 男には 苦い思い出の季節であった
短い夏 海水温が高いと 漁も芳(かんば)しくはない
それでも 出面(でめん~日雇いの労賃)を 稼ぐことはできた
男の元を訪ねると 焼酎の瓶が 思いの外少なかった
体調が悪いと言って 飲む量が減っていた
俺ももう年だと言いながら 寂しげに笑った
鮭の季節になり 漁村はわいていた
男の元を 訪ねた
煎餅布団(せんべいぶとん)にくるまって 伏せていた
顔色が 尋常(じんじょう)じゃない
すぐに 救急車を呼んだ
男は 膵臓(すいぞう)ガンの末期だった
初冬 病院で 静かに息を引き取った
家族に会うことも 叶わなかった
男の自宅で 遺品の整理に立ち会った
押し入れに 木箱に入った大漁旗があった
新造船に飾った 大漁旗
男の夢の 旗印(はたじるし)
家族写真と大漁旗を 墓に入れた
男の 仕合わせな思い出は それしかなかった
もっと気遣ってあげられたらと 悔いが残った
せめて その人なりに いのち尽きるまで
小さな仕合わせを 感じてほしいと
北風の吹く 漁師の村を 今日も訪ね歩く
〔2019年8月11日書き下ろし。失意の中で人生を終えようとする人にも救われる瞬間があってもいいのではないか。その人に添う存在の重さを感じた〕