「老爺心お節介情報」第22号
〇大変ご無沙汰しています。新型コロナウイルスへの感染予防に留意しつつ、再開された各地でのコミュニティソーシャルワーク研修等で時間に余裕がなく、今日になってしまいました。申し訳ありません。
Ⅰ 「シルバー産業新聞」に連載の「地域共生社会に向けた実践――自立生活支援とケアマネジメントの考え方」の第2回目の記事「救貧的福祉サービスからその人らしさの生活を支えるサービスへ」を添付します。
Ⅱ 日本社会福祉学会の「学会ニョーズレター」に寄稿した拙稿を添付します。名誉会員として若手研究者向けに、社会福祉学の研究方法について書いてほしいとの要請で書きました。
Ⅲ 社会福祉関係者は“数字に弱い”と言ってきました。できるだけ、数字を活用しながら、取り上げるニーズの推計とその問題解決方法を考えようと、今各地のコミュニティソーシャルワーク研修でそのシートを取り上げています。今回添付した「地域包括ケアに関する基本情報シート」は富山県CSW研修の中で作成したもので、富山県社会福祉協議会地域福祉部の魚住浩二さんが整理してくれました。これを参考に、各地でこのような情報シーートを作り、共有してほしいですね。
Ⅲ―2 社会福祉実践における数字の持つ意味ですが、障害者分野では「一人暮らし障害者」の実数、実態も十分把握されていません。障害者分野における「障害者の数」は実は「推計値」なのです。「厚生の指標」(2021年2月号、厚生労働統計協会)で、「障害者手帳所持者数はなぜ『推計』値か」という論文が掲載されています。面白く読ませてもらいました。
Ⅳ 厚生労働書の助成事業で、富士通総研が取り組んだ「災害福祉広域支援ネットワークの構築に向けた災害時の福祉的支援の在り方と標準化の調査研究事業」(2018年3月)の検討会の座長を務めましたが、その報告書に基づくDWATづくりが各県で取り組まれています。やや遅い感がありますが、富山県でもDWATが結成され、その内容が『福祉とやま』(2021年3月号、N0.456)で紹介されています。よくまとめられていますので、ご参照ください。
Ⅴ 「大橋塾」の再開
新型コロナウイルスに伴う「緊急事態宣言」を受けて、中断していました「大橋塾」を下記の通り再開します。
『大橋塾』3月例会
2021年3月20日 午後1時~4時30分 発表とコメント/午後4時30分~6時 交流会 場所/日本地域福祉研究所2階会議室
① 参加希望者は、事前に日本地域福祉研究所にメールで申し込んで下さい。/② 原則として、参加者は研究報告、実践報告を行うこと。/③ 発表に印刷物は各々20部印刷持参すること。
添付資料(1)
シルバー産業新聞連載記事第2回
「救貧的福祉サービスからその人らしさの生活を支えるサービスへ」
「戦後第3の節目」といわれる「地域共生社会政策」を具現化させていくためには、戦後培われてきた社会福祉の考え方や囚われてきた社会福祉観を改革しなければならない。それは3点ある。
第1は、1950年に制定された社会権的生存権を保障したといわれる現行生活保護法にみられる国民の「申請権」の“負の側面”の改善である。
国民の生活の困窮を救済するための法制は、戦前、国の公的扶助義務は認めるものの、国民が政府に対し救済を申し立てる権利という申請権は認めてこなかった。漸く、1950年に制定された現行生活保護法において、生活困窮者が国に対し生活保護を申請できるという国民の権利としての申請権を認め、ここに社会的生存権が認められたといわれている。昨年来の新型コロナウイルスの件で、厚生労働省は生活保護を申請するのは国民の権利であるから、生活困窮に陥った際には申請してほしいと異例の呼びかけまでしている。
ところが、この申請権の“負の側面”ともいえるもので、社会福祉行政に“待ちの姿勢”を創りあげてしまった。国民が有している権利なのだから、“申請してこないということは、必要性がないからなのだ”という考え方に基づき、積極的に生活のしづらさや困窮を抱えている人々に社会福祉行政がアプローチして、潜在化しているニーズを掘り起こすという姿勢に欠ける面があった。連載の第1回目で取り上げた「地域共生社会政策」に関わる文書において、厚生労働省は“行政は「待ちの姿勢」ではなく、対象者を早期に、積極的に、「アウトリーチ」という考え方に立って問題の把握に努める”ことの必要性を指摘したが、社会福祉行政は窓口に相談、申請に来た人にだけ対応するという“待ちの姿勢”が強かった。
第2には、その生活保護に代表されるように、福祉サービスの考え方、水準を“国民の最低限度の生活保障”に留めてしまった。福祉サービスを利用する人は“自助”ができず、国の“公助”に頼ることになるので、“公助”の負担をできる限り軽減するために、かつ“怠民養成”ではないという“一種のみせしめ”的に福祉サービスの水準を低く抑えるという“最低限度の生活保障”という福祉サービス観、救貧観を創り上げた。
第3には、生活困窮者を救済するのは、憲法第89条の規定(公の支配に属さない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し公金を支出してはならない)により、福祉サービスは行政がやるもの(もしくは行政から委託を受けた団体、組織)という認識を国民に定着させ、国民の行政依存体質を作り出してしまった。地域で自立生活を営もうとすれば、住民と行政との協働は不可欠であるが、その考え方が全面に出されるのは厚生労働省の文書では2008年の「地域における「新たな支えあい」を求めてーー住民と行政による新しい福祉―」という文書が出てからである。
このような状況の中、社会福祉サービス提供組織は、国により制度化されたサービスを、行政から委託を受けて、行政が認定したサービス利用者に対して制度の枠組みの中で提供すればいいという“受け身的な姿勢”になり、住民が抱えるニーズを積極的に把握し、かつそれを解決するための新しいサービスの開発や新しいシステムを創出するという姿勢が欠けることになった。
ところで、筆者は1960年代末から、社会権的生存権を巡って争われた朝日訴訟や障害者の学習・文化・レクリエーションの機会提供にかかわる実践を通じて、社会福祉は憲法第25条に基づく最低限度の生活保障だけではなく、憲法第13条の幸福追求権に基づく社会福祉の考え方、福祉サービスの提供を考えるべきではないかと考え、主張してきた。憲法第25条は、国民の生活を守る最後のセーフティネットとしての役割があり、評価するが、それ以上に必要なのは、“この世に生きとし生きるものの幸福追求であり、自己実現である”のではないかと考えた。戦後の社会福祉が囚われてきた「貧困観の貧困」、「人間観の貧困」、「生活観の貧困」を克服し、高齢者も障害者も自分らしく、自己実現できることを支援するのが社会福祉の目的、哲学にならなければいけないと考えたからである。
フランスの1789年の市民革命は身分制度を廃止し、この世に生まれてきたものは皆平等であり、自由であり、幸福を追求する権利があることを明らかにした。そのためには、“公の救済は社会の神聖な責務の一つである”として、「自由」、「平等」とともに「博愛」の重要性を理念として掲げた。
1995年の総理府社会保障制度審議会の勧告「社会保障の再構築」では、“1950年当時は、戦後の社会的・経済的混乱の中にあったので、当面、最低限の応急的対策に焦点を絞らざるを得なかった”が、“今日の社会保障体制は、すべての人々の生活に多面的にかかわり、その給付はもはや生活の最低限度ではなく、その時々の文化的、社会的水準を基準と考えるものとなっている”として、“広く国民に健やかに安心できる生活を保障することである”と考え方を変更した。それは、まさに憲法第25条の最低限度の生活保障ではなく、憲法第13条の幸福追求権に基づく、その人らしさの自己実現を支える福祉サービス、社会福祉への転換を求めたものである。
「地域共生社会政策」の実現には、社会福祉関係者の中に潜在化している戦後の社会福祉観を見直し、新たな視点、新たな姿勢に基づく実践が求められている。
添付資料(2)
(2021年3月2日記)
【備考】
2021年3月13日、大橋謙策先生から「老爺心お節介情報」第1号(2020年5月28日)から第22号(2021年3月2日)を拝受する。
3月13日/第1号~第10号、3月14日/第11号、3月16日/第12号~第19号、3月17日/第20号~第22号をそれぞれアップする。