老爺心お節介情報/第53号(2024年1月26日)

「老爺心お節介情報」第53号

地域福祉研究者各位
社会福祉協議会関係者各位

能登半島地震には本当に胸が痛みます。
亡くなられた方のご冥福と被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。

2024年1月26日  大橋 謙策

寒中お見舞い申し上げます!

Ⅰ 能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福と被災された方々へお見舞い申し上げます

〇2024年が幸多かれと寿ぎをしている最中、能登半島地震の発生が知らされました。大変厳しい年明けになってしまいました。
〇能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災に会われた方々へ心よりお見舞い申し上げます。
〇能登半島地震の被災状況は、日を経るにつれ、被害の甚大さが明らかになり、従来の震災とはまた別の様相を示しています。救命・救援、インフラの復旧は、行政及び専門職の方々にお任せするしか手を出せない状態です。しかしながら、被災地の高齢化や被災地のインフラの破壊状況を考えると、被災住民の方々の生活再建、地域復興に向けての「復元力」には相当厳しいものがあると推察しています。
〇この1月28日に、宮城県石巻市で「災害時ソーシャルワークフォーラム」が開催されます。このフォーラムは、日本医療ソーシャルワーカー協会が、東日本大震災被災後から12年間、石巻市で被災者支援をしてきた1047ケースの分析を基に開催されます。当日には『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援ー(公社)日本医療ソーシャルワーカー協会の相談支援1047ケースの実践報告』という本も中法規出版から刊行されます。この本は、12年間に亘る被災者支援の「縦断的調査研究」です。
〇このケースの分析、報告書の刊行に向けて、ここ5年間お手伝いをさせて頂いていましたが、①災害被災者支援は長期的に、災害被災後生活変容ステージごとに、かつ個々人の社会生活のアセスメントを丁寧に行いながら個別支援を行わないと、生活再建には程遠いことが明白になりました。②また、被災者一般ではなく、被災者の中には要支援者もいれば、「復元力」がおびただしく弱い人もいて、被災者といっても同じ“一枚岩”でなく、階層性を有しているので、その階層性に応じた支援が必要となります。
〇発災直後の「災害ボランティアセンター」の支援だけでは“ダメ”だということと、「復元力」の弱い高齢者や障害者への支援は継続的、長期的に、かつより伴走的個別支援のソーシャルワーク機能が重要であることが明らかになりました。この課題解決には、今まさに問われている「地域共生社会政策」における包括的、重層的支援体制を整備していくことに他なりません。
〇全社協は、2022年3月に『災害から地域の人びとを守るためにーー災害復旧支援活動の強化に向けた検討会報告書』を出しましたが、この内容レベルでは“ダメ”だと思います。これは、発災後のある時期には必要ですが、被災者支援に於いて、ややもすると“置き去りにされがちな”「復元力」が弱い、いわゆる“災害弱者”と言われる方々への支援が十分ではありません。
〇社会福祉協議会の使命は、まさに今問われている「地域共生社会政策」における「復元力」が弱い人を、誰一人“孤立”させない、“孤独”にさせない、個別支援を軸とした参加支援とそれを可能ならしめる地域づくりとを統合的に行う使命も持っているはずです。だからこそ、”地域を基盤として成り立つ社会福祉法人“として、住民から住民会費を頂いているのではないでしょうか。
〇社会福祉協議会が1987年の阪神淡路大震災を契機に「災害ボランティアセンター」を設置し、多くの被災住民から喜ばれる活動をしてきたことは高く評価しますが、その陰で被災者の中でもとりわけ要支援が必要な方々への長期的、継続的、伴走的支援をシステム的に行えていたのでしょうか。
〇能登半島地震に遭われた地域の状況、地域住民の社会生活の構造、従来にない地殻変動的被災の状況を考えると被災者支援は長期化するでしょうし、生活再建は容易ではないと思います。東日本大震災の時の教訓から、“集落ごとの避難”がかなり意識され、取り組まれていますが、地殻変動の大きな今回の震災では、集落の維持、持続自体が可能かどうか危ぶまれます。「生活再建」は相当に長期化し、厳しいものがあると推察されます。
〇社会福祉関係者は「災害被災者支援のソーシャルワーク」の在り方とそれを展開できるシステムづくりを改めて考える必要があるのではないでしょうか。

Ⅱ 1984年拙稿「公民館職員の原点を問う」は「地域共生社会政策」の先取りか?

〇昨年末から新年にかけて、私が1984年に書いた論文「公民館職員の原点を問う」(『月刊社会教育』1984年6月号所収、国土社)の内容が、今日進められている「地域共生社会政策」の“個別支援を通じて地域を変える”とかの先取りであるとか、今日の地域づくりの考え方に必要なものであるとか、今日の社会教育行政、公民館の在り方を予見していたものであるとかの評価、意見を頂きました。
〇1984年の拙稿は、私にとって今日のコミュニティソーシャルワークの在り方につながる、いわば基底になる考え方を示した論文です。私は、岡村重夫理論には地域福祉に関わる職員論がないと批判してきました(拙著『地域福祉とは何か』P18参照)が、1984年論文はその中核となる論文でもあります。それが、今日、改めて問われていることは嬉しいことです。
〇私の研究は、1984年論文で言いたかったことを常に意識してきました。したがって、拙著『地域福祉とは何か』の中でも、イギリスの1982年のバークレイ報告との関りで、1984年論文を引用、紹介しています(『地域福祉とは何か』P124。そこでは1984年論文を1984年8月号と書いてあるのは誤植です)。
〇上記のような意見を頂く契機は、明治大学の小林繁教授が『月刊社会教育』(旬報社に発行元が変更)の2023年12月号で、『「公民館職員の原点を問う」が提起するもの』と題する論文を書いてくれたからです。
〇『月刊社会教育』2023年12月号の小林論文は、1984年の拙稿を、①戦後初期の公民館構想が、1949年制定の社会教育法に組み込まれて行く過程で、公民館構想が有していた「住民が問題を発見し、問題を共有、深化させ、問題を解決する実践の中で形成される力、その教育的機能というものを事実上排除」し、結果として「いちじるしく公民館の活動を狭めた」こと、②1960年代以降の急激な産業構造の変化の中で、さまざまな社会的矛盾が地域課題や生活問題としてあらわれ、そのことがとりわけ子どもや障害をもつ人、高齢者などの社会的不利益者の問題として顕在化してくる。それらは別個の問題などではなく、複合的に連鎖している状況のなかで、公民館はどのような役割が求められているのか、(大橋)論文では、これらの問題の連鎖を分析・把握するための学習と、その問題を「解決するための力に転化させるための励ましや援助」との有機的つながりが必要であること、③公民館職員にはコミュニティワーカーとして、「住民が認識を高め、問題を解決する実践力を身に着けられるよう援助する」ことが求められること、④(大橋論文)は、この間の地域福祉の大きな転換、すなわち「地域共生社会」に向けて、「支え手」と「受け手」に分かれず互いに支え合う活動が(その当時から)追求されていると、拙稿の1984年論文を引用しながら、論文の今日的意義を整理してくれています(「」内は私の補足)。
〇小林繁論文のタイトルにはサブタイトルとして「座談会のテーマ(学びの壁を突き破るには)に関って」が付けられています。
〇私にとって、座談会の内容は、今日の社会教育行政や公民館の活動の分析と1984年当時の大橋論文との分析、内容とが必ずしもかみ合ってない感がするので、座談会そのものの論評はここでは避けたいと思います。
〇私が、この論文を書いた1984年当時、三多摩の公民館で働いていた、ある有力な職員から批判、反論を頂きました。その折、私の恩師である小川利夫先生から、“これは大事なことだから継続的論争として発展させた方がいい”とけしかけられましたが、当時の私はそれを受け入れませんでした。というのも、その当時、私は社会教育関係者も、社会福祉関係者も“出てきた政策には敏感に反応するが、政策が出されてくる背景には鈍感である”と批判していて、現象的な“評価”で論争する意欲が沸かなかったからです。
〇この「公民館職員の原点を問う」という論文は、当時、表向きにはなかなか言える立場ではありませんでしたが、岡村重夫地域福祉論における“地域論”、“職員論の欠如”への批判でもありました。また、この論文は、その後のコミュニティソーシャルワーク機能に関する論文の基底になる論文でもありました。
〇拙稿が『月刊社会教育』でとりあげられていることを202年年末に教えてくれた人は、長野市中条地区で活動されている黒岩秀美さんです。中条村が長野市に合併され、中条地区の地域の力、住民の力が弱くなり“消滅していく”のではないかという危機感の下、改め地域づくりに尽力されている方で、小池正志元長野県社会福祉協議会事務局長などと研究会を組織し、「人口減少地区における地域福祉のあり方」について研究、活動しているメンバーの一人です。そこでは、公民館と社会福祉協議会、施設経営の社会福祉法人の今後のあり方が論議されています。
〇その黒岩秀美さんが、元長野県飯田市の社会教育主事であった木下巨一さんとつながり、いろいろ情報が寄せられました。と同時に、私の教え子たちからもこの1984年論文が改めて俎上にのぼっていることも教えられました。
〇以下の文は、黒岩さん、木下さんにメールした内容です。

『月刊社会教育』2023年12月号の件、改めて40年前の拙稿を読み返してみました。40年前と現在とは状況は違いますが、指摘していることは間違ってなかったし、今でも“通用する”論文だと思いました。
2023年12月号の特集は、拙稿のもつ意味についての論考ではなく、その中の一部の「地域における個別課題に関する学習の組織化とその普遍化、住民の共有化」に関わる部分だけですので、それはそれとして“独立した”課題として、今日的状況を踏まえて論議していく必要があるでしょう。
40年前の拙稿が述べたかった点は、“公民館が住民が抱える地域課題を通して地域づくりを行うこと”をなぜ失念してしまったのかへの提起でした。
それは、“公民館の教育機関化と学習内容の高度化”(市民大学化)への警鐘でした。
私自身、「地域青年自由大学構想」に関する論文を書いていますので、公民館の学習内容の高度化を単純に否定しているわけではないのですが、あまりにも“公民館が住民が抱える地域課題を通して地域づくりを行うこと”が軽視されていることへの警鐘でした。
「限界集落、「消滅市町村」の現況の中では、改めてこの論文の意味するところを考え、「公民館復活」が重要です。
仮に、公民館の学習内容の高度化を考えるなら、もっと教育方法、教育内容についての考察が深められるべきだと当時思いました。当時、三多摩では学習内容の高度化、科学化を目ざした取り組みがおこなわれていたので、その関係者からは批判されました。
しかしながら、時代が証明したように、放送大学や各大学の地域講座、通信教育が多様化するなかで、相対的に“公民館の地位”は低下してしまいました。
私は、日本社会教育学会で、松下圭一さん、島田修一さんとシンポジュウムを行いましたが、松下さんに組したわけでもありませんし、島田さんに組したわけでもなく、“第3の立場”で発言をしました。ただ、松下さんに代表される“社会教育への批判”はもっと謙虚に受け止めるべきだと思い、その旨の発言はしています。
もし機会があれば、40年前の拙稿をどう評価するか、大いに論議したいものです。

(2024年1月6日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。