今日、「地域に根ざした」「地域ぐるみの」福祉教育実践のあり方が問われている。
(1)学校福祉教育はこれまで、子どもの「健全育成」と称して、あるいは子どもの非行対策をはじめ、生活や発達の歪みの是正策、高齢(化)社会を担う主体形成の方策、そして「生きる力」の育成策などの一環として取り組まれてきた。すなわち、それは、健全育成のスローガンのもとで、子どもの「教育」よりは、子どもを取り巻くその時々の社会的・教育的問題状況への「対策」にウエイトを置くものであったといってもよい。本来、人間形成を図る「教育」と問題解決に向けた「対策」は異なる。この混同を整理しないまま学校福祉教育の推進が図られてきた結果、学校教育や子ども・教師・保護者などにおいて福祉教育への取り組みに定見を欠いてきたことを認めざるを得ない。
尾木直樹は、思春期の子どもたちの今日的な危機的状況を解明するなかで、「子ども市民」の育成の必要性を説いている。尾木はいう。「子どもを社会の一員として“学校づくり”や“街づくり”などあらゆる領域に積極的に参画させることが重要である。」「大人の側こそ『子ども市民』(一人の「市民」としての子ども)を育て、子どもとのパートナーシップで、平和な未来を切り拓く視点が求められている。」「子どもたちが大人とパートナーシップの精神を持った参画が広がることによって、子どもたちの自己肯定感が高まり、自己責任感も形成されることになる。」
こうした尾木の言説によれば、今後、学校福祉教育それも市民福祉教育においては、これまでの「対策」だけでなく、しかもこれまでの「健全育成」を超える「子ども市民」の育成(「市民性育成」)に重点を置いた「教育」としての取り組みが求められる。市民福祉教育が存立するところである。
(2)地域における教育実践は、子どもから大人までのすべての住民による、住民のための日常的で創造的、個性的で具体的、そうであるがゆえに多様で多岐にわたる活動である。地域における福祉教育実践に関していえば、これまで、「地域に根ざした教育」「地域を基盤とした教育」といういい方がされてきた。しかし、それらの意味内容については必ずしも明確に規定されてきたわけではなく、ひとつのスローガンにとどまりがちであったといってよい。それは、地域における教育実践は、その内容や構造が拡大・深化し、地域性や多様性が豊かになるほどに、その把握や理論化が難しくなることに起因しているといえよう。
地域に根ざした教育実践とは、一人ひとりの住民がそれぞれの地域に生きるために努力する姿や態度、行動に教育的価値を見いだす活動である。とともに、地域とそこでの生活に根ざすことを通して豊かな地域や生活を創造し、また変革する住民主体形成を図るための取り組みである。その意味において、地域に根ざした豊かな福祉教育実践を展開するためにはまず、住民の個別具体的な地域・生活実態や地域・生活課題を、その地域の歴史や伝統、特性、さらには社会的・経済的・政治的・文化的状況などとのかかわりで理解することからはじまる。市民福祉教育の実践展開とその理論化を図るに際して、住民が暮らす「地域」理解(診断)と日々の「生活」理解が問われるところである。いうまでもなく、その理解(診断)は客観的で科学的、専門的なものでなければならず、それが市民福祉教育の内容や方法を決めることになる。
(3)福祉教育とりわけ地域福祉教育の実践展開においては、これまで、住民主体による、「地域ぐるみ」の取り組みの必要性や重要性が指摘されてきた。この点を敷衍すると、住民自治や地域振興を志向する教育活動としての市民福祉教育の推進を図るためには、住民の「参加」と「討議」に基づく自己決定と、自立と共生の意思形成が肝要となる。すなわち、福祉のまちづくりへの住民の主体的・自律的・能動的な参加を保証する参加デモクラシーと、地域の生活課題や福祉課題を理解し解決するために、住民が十分な時間をかけて討議する討議デモクラシーを創出・強化する必要がある。そして、そこには、各界各層の多様な地域住民が参画する住民主体のプラットホームを形成することが求められる。
なお、討議デモクラシーに関して付言すれば、篠原一はその原則として次の3点をあげている。①十分な討議ができるように、正確で公平な情報提供や意見の提示が行われること。②討議を効果的に行うために小規模なグループで、できればグループ構成も固定せず流動的であること。③討議による意見の変更は望ましいことであり、頭数を数えるためだけの議論になってはならないこと。
地域における参加と討議を通じたデモクラシーの実質化とそのためのプラットホームの形成は、ガバメントからガバナンスへの展開が叫ばれる今日、市民福祉教育をめぐる喫緊の課題でもある。その際、市民福祉教育が依って立つ基本的視点は、「共に生きる」という響きのよい単なるスローガンではなく、その背後にあって、厳しい生活を強いられている地域住民が抱える生活課題や福祉課題に対する科学的洞察と客観的批判、そして社会的抵抗である。そこではじめて、住民の自治意識や「共に生きる力」を醸成・獲得することができるのである。
(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章』大学図書出版、2011年、56~59ページ)