老爺心お節介情報/第67号(2025年3月17日)

「老爺心お節介情報」第67号

域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第67号を送ります。
能登半島地震支援特集です。
皆さまご自愛ください。

2025年3月17日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。我が家の庭では、梅が咲き終わり、今は山茱萸、沈丁花、ミツバツツジ,水仙、春蘭が咲き、花盛りの春になりました。散歩に良く行く、近くの公園では、ハクモクレン、桜も満開です。
〇3月11日から14日まで、能登半島地震の被災者支援の状況を調べるため、前回行けなかった輪島市、能登町、志賀町を主に廻ってきました。それは後述しますが、まずは 旧聞になりますが、話題提供二題。
(2025年3月16日記)

Ⅰ 金沢市社会福祉協議会創設70周年記念行事に参加――善隣館を訪問

〇私は2月2日に行われた「金沢市社会福祉協議会創設70周年記念祝賀会」に招聘され、記念講演をしてきました。
〇その折に、昭和9年に当時の方面委員により第1号が設立された「善隣館」を見学したいと思い、訪問させて頂きました。
〇「善隣館」は金沢市の方面委員が大阪での実践を視察調査し、昭和9年に方面委員であった安藤謙治、荒崎良道、浦上太吉郎らが中心になって作られた地域福祉活動の拠点であり、保育所、授産事業等を展開した。「善隣館」は、多い時で19か所が設立され、現在は11館が活動を展開している。
〇金沢市の「善隣館」は戦後公民館がつくられてくる中で、社会教育活動は衰退し、社会福祉事業に特化されていく。宮崎県都城市の自治公民館は、住民が財源も含めて負担し、文字通りコミュニティセンター機能を有している住民が運営する公民館であるが、「善隣館」は、篤志家である方面委員が設立し、地域のコミュニティセンターとして活動を展開してきた。戦後は維持が困難となり、社会福祉法人されて、社会福祉事業を展開していくことになる(この「善隣館」については、全国社会福祉協議会出版部から『小地域福祉活動の歴史・金沢善隣館の過去・現在・未来』(阿部志郎他著、1993年)が出版されている)。
〇私は以前にも別の善隣館を訪問させて頂いたが、今回は社会福祉法人小立野善隣館子ども園を訪問させて頂いた。
〇小立野善隣館は、加賀藩の菩提寺並びに将軍徳川家の位牌寺として栄えた由緒ある浄土宗・如来寺の住職・吉田善堂氏が、方面委員に就任している際の昭和15年10月に設立したものである。小立野善隣館は隣保館、診療所、保育園を経営してきました。
〇第3代目理事長の吉田昭生長老と話をしていて、“世間はとても狭い”ものであり、“縁によって結ばれているものである”とつくづく思わさせられた。
〇というのも、吉田昭生長老の弟さんが、氷見市の小境にある浄土宗のお寺・大栄寺の住職・故吉田昭寿さんだということが分ったからである。
〇吉田昭寿さんは、氷見市民生・児童委員協議会の会長の他、富山県民生・児童委員協議会の会長、全国民生・児童委員協議会副会長、氷見市社会福祉協議会の副会長を歴任され、浄土宗の教務部長もされた富山県における重鎮でした。私は、氷見市の社会福祉行政、氷見市社会福祉協議会のアドバイザーを長く勤めていた縁もあり、大変お世話になった方でした。
〇その方が、如来寺の吉田長老の弟さんと分かり、本当に驚きました。世間とは本当に狭いものだと襟を正しました。
〇小立野隣保館は、現在社会福祉法人の資格を得て、高齢者のデイサービスと放課後デイサービスを実施して経営を成り立たせている。戦後、各地の隣保館が経営的に維持するのが厳しくなり、保育所等を経営して対応してきているが、地域のコミュニティセンター機能はそれなりに意識されて取り組まれている。
〇吉田昭生長老の妹の啓子さんが園長している小立野善隣館子ども園の保育方針と保育環境には大変感動した。
〇吉田啓子園長が北欧を視察して、その考え方を導入したものだということであるが、1つには遊具が大変工夫されていた。その代表がハンモックである。また、2つには高価だっただろうと推察されるが、家具が木目の美しい木材で作られており、部屋全体が木材の優しさに包まれている。3つ目には、調理場がガラス張りで、園児たちが調理している様子を見ることができる。自分たちの食べ物がどのようにして作られているかということを知ることはとても大切である、4つ目には、野外の遊具が冒険的で、子どもたちをわくわくさせるような遊具が備えられている。5つ目には一斉保育でなく、異年齢集団での保育も考えられており、とても感心した、
〇私自身、幼稚園の副園長を、非常勤ではあったが、5年間勤めて、それなりの保育観を持っているが、まったく同感できる保育所であった。
〇後日談になるが、後述する3月11日から前回訪問できなかった能登半島地震の被災地輪島市、能登町、七尾市、志賀町を訪問したが、その折の3月13日に、吉田昭寿さんの娘さんが嫁いでいる、能登町にある数馬酒造(日本酒「竹葉」を出している。とても美味しいお酒です)を訪ね、娘さんの数馬浩子さんにお会いしてきた。とても素敵な令夫人です。)

Ⅱ 「いしかわソーシャルワーカー連絡会」で災害ソーシャルワークを考える

〇2025年2月1日に石川県社会福祉協議会と「いしかわソーシャルワーカー連絡会」の共催で、令和6年度地域共生セミナー『災害ソーシャルワークから地域共生社会を描く』が開催され、私も講演しました。
〇「いしかわソーシャルワーカー連絡会」は、石川県介護福祉士会、石川県介護支援専門員協会、石川県相談支援専門員協会、石川県精神保健福祉士会、石川県医療ソーシャルワーカー協会、石川県社会福祉士会の6団体で構成されている組織です。都道府県単位で、社会福祉関係専門職が横につながり、活動することは素晴らしいことです。
〇筆者は、日本学術会議の幹事をしている時に、日本のソーシャルワーク系の専門職団体とケアワーク系の専門職団体とが連携して全国協議会を持つべきだと考え提唱しました。その会議には、社会福祉学の研究をしている学会とソーシャルワーク教育、ケアワーク教育をしている日本社会事業学校連盟(当時)や日本介護福祉士養成校協議会も加わって、社会福祉専門職の養成、任用、研修をトータルで論議をしていくことが社会福祉専門職の地位を高めると同時に国民のQOLを高めることになると考えました。
〇結果的に関連する17団体が加盟してくれ、「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」が設立されました。
〇この組織は2000年5月に発足し、初代代表には仲村優一先生に就いて頂きました(第2代代表は大橋謙策、第3代代表は白澤政和)。
〇なぜ、このような組織を立ち上げたかというと、1990年に在宅福祉サービスが法定化され、1990年代に在宅福祉サービスの整備が進むと同時に、その利用者も増大していました。2000年に実施される介護保険制度では、施設福祉サービスと在宅福祉サービスとは2本立ての制度設計になりました。
〇施設福祉サービス利用者は、サービスが“まるめ”で提供されるので、利用者の個別のサービスについて「求めと必要と合意」に基づいてケアマネジメントが行われることはさほど重視されません。
〇ところが、在宅福祉サービスでは、どのサービスが必要なのか、利用者はどういうサービスを希望しているのかという「求めと必要と合意」に基づくケアマネジメントがとても重要になります。
〇また、施設福祉サービスでは、利用者は買い物をほとんどしないで済みますし、ゴミ出しを考えずに生活しています。夜間等の緊急時でも宿直職員が対応してくれます。
〇ところが、在宅福祉サービスではそれらの生活機能を誰が担ってくれるのか、それらのサービスはケアワーカーによる三大介護だけでは問題解決できません。そこでは、在宅福祉サービスを必要としている人の生き方、生きる希望、近隣関係、家族関係等を含めた生活支援のソーシャルワーク機能が必要になります。
〇1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が成立した際には、福祉サービスはほぼ施設福祉サービスだけであり、そこではケアワーカーの養成・供給の問題は喫緊の課題でした。しかしながら、ソーシャルワーク機能の必要性についての認識は厚生省(当時)をはじめ、左程高くありませんでした。一部、社会福祉系大学の教員、研究者が声高にその必要性を述べていたに過ぎませんでした。
〇先に述べたように、1990年代の在宅福祉サービスの整備が増大してくるなかで、認知症高齢者、精神障害者、発達障害者などの生活のしづらさを抱えている人々がそれらの在宅福祉サービスを利用して在宅生活を送ることを希望し、利用が増大してくると核家族化の進展もともなって、ますますケアワークとソーシャルワークとの有機的提供が求められるようになってきました。
〇先の「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を設立するに際して、その組織の名称をどうするかを主に仲村優一先生、田端光美先生と論議をし、一つは“ヒューマンケア”、もう一つは“ソーシャルケア”が候補に挙がりました。“ヒューマンケア”という名称は主にアメリカで使われており、“ソーシャルケア”は主にイギリスで使われていました。
〇結果的には、イギリスで1998年に設立されたソーシャルケア総合協議会(GSCC)が決め手になり、先の「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」の設立になりました。

(註)「ソーシャルケア」:イギリスでは、1970年に制定された「地方自治体社会サービス法」を担うべきソーシャルワーカーを養成するに当たって、従来の属性分野ごとのソーシャルワーク教育ではなく、ジェネリックアプローチができるソーシャルワーク養成・研修機関が必要だとして中央ソーシャルワーク教育研修協議会(CCETSW)を設立する。その後、「ケア基準法」(2000年)の制定との関わりで、中央ソーシャルワーク教育研修協議会(CCETSW)は1998年に廃止され、ケアワークの質の向上を目指すとともに、それを包含する形で、ソーシャルケア総合協議会(GSCC)を設置する。「ケア基準法は」は、ソーシャルケアの質を改善する根拠法である。ソーシャルケア総合協議会(GSCC)は、①専門ソーシャルワーカーの養成基準の責任、②ソーシャルケアサービス利用者の保護レベルの向上などを担う(『イギリス地域福祉の形成と展開』田端光美著、有斐閣、2003年参照)。日本では、アメリカ型の個人に焦点化させたヒューマンケアではなく、社会生活を支援することに焦点化させたイギリス型の動向を踏まえ、イギリスのGSCCと同じような理念を掲げて、2000年にソーシャルワークの専門職団体、ソーシャルワーク教育の団体、ケアワークの専門職団体、ケアワーク教育の養成団体が一堂に会して「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」が設立された(初代代表仲村優一、2代目代表大橋謙策、3代目代表白澤正和)。
(参考文献)
1,『イギリス地域福祉の形成と展開』田端光美著、有斐閣、2003年
2,「英国ソーシャルケアの市場化とその課題」正野良幸著、「京都女子大学生活福祉学科紀要 第11号」、2015年2月
3,「イギリスにおけるソーシャルワーカーの継続的能力・職能開発に関する一考察」白旗希実子著、東北公益文科大学、「産業教育学研究」第46巻第2号、2016年7月
4,「イギリスの社会的ケアに係る自治体評価と事業者評価の動向――ケアの質の合意及びアウンタビリティのメカニズムの視点からーー」長澤紀美子緒、「高知県立大学紀要 社会福祉学部編 第69号」、2019年12月
5、「英国の民間健康保険と高齢者ケアサービスーNHSとSocial Careが包含されている英国のヘルスケアシステムの特徴――」小林篤著、「損保ジャパン日本興亜総研レポートVol、74」、2021年3月

〇「いしかわソーシャルワーカー連絡会」のように、都道府県単位で“ソーシャルケア”の団体を組織してくれているのは、2003年に設立された「栃木県ソーシャルケア協議会」があり、先ごろ20周年行事が行われ、その際に作成された報告書が市販されている。
〇筆者は、その「いしかわソーシャルワーカー連絡会」で各団体の能登半島地震災害支援の報告を聞いた後、講演させて頂いたが、その冒頭で以下の3点を前提にして話をさせて頂いた。
① ・社会福祉制度の枠の中で、制度化されたサービスを利用して支援するのは、ソーシャルワークなのであろうか
・社会福祉士の資格を有している人が、生活のしづらさを抱えている人を支援するのはソーシャルワークなのだろうか、また、その人をソーシャルワーカーというのだろうか
② ・在宅福祉サービスを基盤とした地域福祉実践にはソーシャルワークとケアワークを有機的に提供するソーシャルケアという考え方が重要―2000年ソーシャルケアサービス従事者研究協議会、2003年栃木県ソーシャルケア協議会発足
③ ・社会福祉関係者、とりわけ社会福祉協議会関係者はボランティア活動というと、社会福祉協議会の“専売特許”と考えてこなかったであろうか。あの東京都のボランティア活動センターも、「ボランティア・市民活動センター」と衣替えし、保健福祉局からの補助金ではなく、生活文化局からの補助金で運営されているー能登半島地震・能登集中豪雨の支援における技能ボランティアの位置と活躍をどう見るか

〇ここで、考えて欲しいと思ったのは、社会福祉関係者が災害支援の活動について、それが“素朴に”ソーシャルワークだと考えていることである。社会福祉士等の資格を有している人が活動を行えば、それはソーシャルワークなのだと思っていることへの警鐘である。
〇筆者は、1970年代から、ケースワーク等を研究している社会福祉方法論研究の大学教員が、社会福祉職員として活動している人を気軽に“ソーシャルワーカー”と呼んでいることに相当の抵抗感を覚えた。その人が行っている活動、行動を見ているととても私の考え方ではソーシャルワーカーとは呼べないし、呼びたくないと思ってきた。
〇そんな経緯もあり、筆者は1980年代末から“ソーシャルワーク機能を最も具現化している人がソーシャルワーカーである“という言い方を使ってきた。保健師もソーシャルワーク機能を業務でしているし、弁護士もそうだし、教師もソーシャルワーク機能を展開している。
〇そのような中で、最もソーシャルワーク機能を具現化し、その活動においてソーシャルワーク機能を意識している人をソーシャルワーカーと呼びたいし、其の機能、活動している人が社会福祉士であって欲しいと願い、その実現に努力してきたつもりである。
〇だとすれば、能登半島地震の被災者支援において、「いしかわソーシャルワーカー連絡会」の構成団体の人々はソーシャルケア、ソーシャルワークをどれだけ意識して活動を展開してきたのかを考えて欲しいという思いで冒頭に述べさせて頂いた。
〇被災者支援という“極限状況”の中で頑張っていることには敬意を表し、感謝はするけれども、そこまでいわないと、災害被災者支援のあり方を考える社会福祉専門職団体としては物足りない。
〇社会福祉専門職団体が、ソーシャルケア、ソーシャルワーク機能を意識化して、その機能を具現化させる、その積み重ねが、国民からの信頼とソーシャルケア、ソーシャルワークの専門職としての位置を構築できるのではないか。
〇そのような視点から、社会福祉専門職の方々がどれだけ災害被災者支援においてソーシャルワーク機能を意識したかを私なりに提示させて頂いて講演をした。まさに、NHKの番組「チコちゃんに叱られる」ではないが、社会福祉専門職の人々に〝喝“を入れて、”ボート生きてんじゃねーよ“と訴えたかったからである。
〇講演内容は、以下の柱で行った。
ⅰ)災害対策基本法、災害救助法における救命・救急とソーシャルワーク支援との区別化
ⅱ)被災後のステージ毎に変容する生活課題、生活のしづらさへのソーシャルワーク支援
ⅲ)被災による生活変容の課題とソーシャルワーク機能
ⅳ)災害対策基本法に基づく「避難行動要支援者」名簿作成と災害支援ソーシャルワーク
ⅴ)災害被災者支援のソーシャルワークと地域包括ケアシステムの構築

Ⅲ 能登半島地震・能登集中豪雨被災者支援から何を学ぶか

〇3月11日から14日まで、前回の訪問で行けなかった輪島市、能登町、志賀町を中心に再度、社会福祉関係者が今回の災害支援から何を学ぶべきかということを目的に訪問させて頂いた。
〇今回の訪問も石川県社会福祉協議会の茂尾亜紀さんと村田明日香さん(七尾市中島町出身の被災者、中島町は仲代達也氏が主宰する無名塾が上演する観劇堂があるところ)にコーディネート及び運転をして頂き、多くの関係者に会えた。この紙上を借りて厚く感謝とお礼を申し上げたい。

(1)七尾市の和倉温泉の被害――産業連関経済の危機
〇3月11日、七尾市の和倉温泉の被害状況を確認してから奥能登へ入ろうということで、和倉温泉街を牽引してきた加賀屋旅館へ行った。
〇和倉温泉街は、星野リゾートとか協立リゾートとか、全国的に展開している外部資本を入れずに頑張ってきた街で、そのリーダーが加賀屋旅館であった。
〇加賀屋旅館は、七尾湾にせり出した形で立地しているのが、ある意味売りであったが、今回の能登半島地震では、その護岸部分が約1メートル近く沈下していて、建物の被害には厳しいものがあるのではないかと外から見て推察した。被災後1年以上経つが、営業を再開できているところは僅かで、地域経済の今後が懸念される。
〇和倉温泉街は旅館業を中心に回っている地域であり、旅館で使用するリネン関係の企業、旅館で働く仲居さんたちでにぎわう美容院、旅行に来られたお客さん目当てのかまぼこ、水産物などのお土産さん等産業連関表で能登半島地震の被災状況を明らかにしていくことも、社会福祉関係者は知っておくべき内容であろう。

(註)「産業連関表」とは、総務省が統計として出しているもので、我が国の経済構造を総体的に明らかにするとともに、経済波及効果分析や各種経済指標の基準改定を行う際の基礎資料となる。ある1つの産業部門は、他の産業部門から原材料や燃料などを購入し、これを加工して別の財・サービスを生産し、さらにそれを別の産業部門に対して販売する。購入した産業部門は、それらを原材料として、また別の財・サービスを生産する。このような財・サービスの「購入―生産―販売」という連鎖的つながりを表したのが産業連関表である(総務省)。

(2) 穴水町の「平和子ども園」の自主避難所開設・実践の素晴らしさ
〇穴水町にある「平和子ども園」は、被災の翌日の1月2日から自主避難所を開設した(園長は輪島市門前町に自宅があり、そこで被災。「平和子ども園」までは通常車で15分)。
〇ども連れの家族を主な対象に声を掛け、33人(1歳3か月の乳児入れて未就学児4名、小学生7名、中学生1名、高校生1名、大人が20名)が6室の保育室を利用して避難生活をした。延べ74人の避難者が利用した。中には、88歳の認知症の車いす生活の高齢者も家族ともども受け入れて生活をして頂いたという。また、大学受験の高校生には、特別室を作り、受験勉強してもらったという。その受験生は無事入試センター試験に受かり、志望校へ進学できたという。
〇当時「平和子ども園」には、災害備蓄用品が毛布20枚、サーモマット3枚、水2リットル、ペットボトル60本、簡易トイレ(使い捨て500回分)、運動用マット10枚、アルコール消毒液、お米、菓子類、折りたたみ椅子などもあった。水道は断水していたが、電気が通電していたし、Wi-Fiも使えたので自由に使って頂いたという。
〇1月3日には行政からカップ麺15,パン25個の支援があった他、他の家族や出入りの業者からの支援もあった。1月4日には、有難いことに、北海道の胆振地震で被災された
経験を持つ「リズム学園」が大量の物資をもって、救援に駆けつけてくれたという。
〇自衛隊による救援は1月5日には始まったが、自衛隊の入浴が1月7日に始まる前の1月6日には、子ども園にあるシャワー室を活用し、お湯をガスコンロ2台使って沸かし、体を拭いてもらって、大喜びされたという。
〇食事は、子ども園の厨房を使って、調理師の免許を持つ副園長(園長夫人)が避難者の食事をすべて作ったという。ある時、避難者が食事を一緒に作ると申し出てくれたが、副園長は“保育園の厨房は子どもの健康と衛生を守る砦、聖域なので、他の人は入らないでください”と言って、一人で食事の準備をしてくれたという。その食事内容は、避難所生活では考えられない、コロッケ、親子丼、牛丼、ちらし寿司、シュウマイ、出し巻き卵などが供されていた。
〇行政や他の機関から寄せられる情報はすべて掲示板に貼るなどして公開にしたし、自主避難所でありながら、行政と交渉して指定避難所と同じ扱いをしてもらった。なんと、避難生活中に、避難者と2回も飲み会をしたという。他の避難所では考えられない運営がされていた。
〇「平和子ども園」の園長であり、自主避難所を開設した日吉輝幸さんは、自主避難所を開設するかどうか随分葛藤したという。
〇結果的に、自主避難所を開設したのは、2017年度から石川県社会福祉協議会のモデル事業として、穴水町内の7社会福祉法人が協議会を作り、地域貢献活動していたことと祖母の代から保育所を開設し、地域づくりを志してきたDNAのなせる業かもしれないという。
〇「平和子ども園」は、そもそも昭和14年に瑞源寺保育所として創設されている(戦後、昭和28年に穴水第1平和保育園として認可)。
〇吉輝幸園長の祖母は曹洞宗瑞源寺の住職夫人で、方面委員に就任していた。当時、女性の方面委員は珍しいが、夫である瑞源寺住職が町長をされていたこともあったのか、方面委員になっている。当時の石川県の方面委員は金沢市の善隣館を設立し、保育所や診療所を開設しているなどの活動が活発に展開されていた時代であり、それに影響を受けたのか、「平和子ども園」の前身は昭和14年に設立されている。日吉輝幸園長は瑞源寺の三男に生れ、兄は住職をされている。そのような家系のDNAが自主避難所開設に向かわせたともいえる。
〇他方、2017年度から進められている社会福祉法人の地域貢献活動のなかで、地域共生社会の実現を訴えてきたこともあって、自主避難所開設に踏み切らせたのかもしれないという。
〇日吉輝幸園長が講演用にまとめたレジュメ、スライドには『令和6年能登半島地震 被災で見えた園の存在意義と役割――地域共生社会の担い手としてー』と書いてあるのを見ても、社会福祉法人としての責務、理念を大事にして開設されたことが伺える。

(3)穴水町におけるNPO法人のボランティア活動の広がりと活躍
〇穴水町には多数のボランティア団体が被災者支援の活動に関わってくれている。後述するレスキューストックヤードやADRAをはじめ、名古屋ボランティアネット、藤田医科大学、東京アクションプラン、JVOAD、真如園サーブ等が支援に関わってくれている。
「老爺心お節介情報」第63号で紹介した国際NGO・ADRAの小出一博さんもその一人である。
〇国際NGO・ADRAはキリスト教のセブンスデー・アドベンチスト教会を設立母体としており、世界120支部を有している大きな国際NGOである。日本では、認定NPO法人ADRA・Japanとして認定されており、宗教法人セブンスデー・アドベンチスト教団の総務部長である柴田俊生氏が理事長を務めている。ADRAの名称は、Adventist Development and Relief Agencyの頭文字からとられている。
〇穴水町での支援では、主に技術系ニーズに対応するボランティア活動を展開してくれている。
〇他方、穴水町に2007年の能登半島地震の際に、穴水町社会福祉協議会「災害ボランティアセンター」支援、「避難所対応・家の相談会」開催などの支援を行ってきた「認定NPO法人レスキューストックヤード」の活動も大きな支援となっている。
〇「認定NPO法人レスキューストックヤード」は、代表をしている栗田暢之氏が、名古屋大学職員として、阪神淡路大震災に際し、1500人の学生ボランティアのコーディネートをした経験から、1995年7月に立ち上がった「震災から学ぶボランティアネットの会」が前身で、2002年に「NPO法人レスキューストックヤード」として設立された。「認定NPO法人レスキューストックヤード」は、「老爺心お節介情報」第63号で紹介した穴水町災害ボランティアセンターの組織図の中の生活支援ニーズに対応したボランティア活動を展開してくれている。
〇能登半島地震支援のNPO法人等のボランティア団体の受け入れ、調整は石川県災害対策ボランティア本部(石川県女性活躍・県民協働課)に対し、NPO法人レスキューストックヤードは県と連繋して活動をしている団体、個人であることを示す「災害ボランティア支援車両」というステッカーや名札・腕章の貸与をお願いしている。これはとても重要なことで、ボランティア活動だから自由にと言っても住民は今日の特殊詐欺が起こる状況の中ではなかなか訪問してくるボランティアを信用することができない。
〇ボランティア活動だから自由にということではなく、行政や社会福祉協議会との連携の中で活動して欲しいが、行政も社会福祉協議会もボランティア活動やNPO法人の活動実態を必ずしも全体的に把握できていない。これからは、ボランティア活動を規制、制約するわけではないが、一定のルール化が求められているのではないか。
〇「認定NPO法人レスキューストックヤード」は、生活支援の活動として、避難所のトイレ・寝床の生活環境整備、栄養のバランスや温食を考えた炊き出し、在宅避難者の困りごとニーズ調査やサロン開催などの活動を行っている。
〇「認定NPO法人レスキューストックヤード」の代表者である栗田暢之さんは、内閣府が2022年度から設置した「避難生活支援・防災人材育成エコシステムの構築に向けた具体化検討会」の座長もしており、「中長期支援に向けた避難所生活環境アセスメントシート」も開発、運用している。
〇このようなNPO法人の災害支援の状況をみていると、社会福祉協議会がいまだ「災害ボランティアセンター」の設置、運用していることが、如何に時代遅れであるか分かるし、いつまでも“ボランティアセンター”の活動でいいのかと言いたくなる。最近では、「災害福祉支援ボランティアセンター」と名称を変えてきているが、その内容が今一つはっきりしない。
〇社会福祉協議会は、災害被災者支援のソーシャルワーク機能を具現化できるシステムと能力を身に着けるべきである。 そのことを意識しないで、「DWAT」の活動に流れることは慎まなければならない。
〇国は、被災者支援の制度として、「被災高齢者等把握事業」を特定非常災害の場合には国の補助金10分の10の補助率で行っており、介護支援専門員などの職能団体から派遣された専門職により、災害救助法の適用から概ね3か月以内の間で、集中的に被災高齢者等の実態把握を求めている。その事業の中には①戸別訪問に基づく専門的な生活支援等の助言の実施、②その他被災者の状態悪化の防止を図るため、被災高齢者等の把握と一体的に行うことが効果的な取組として実施主体が認めた事業が挙げられており、これらの事業にどう社会福祉協議会が関わり、ソーシャルワーク機能を発揮できるかが問われていると言わざるを得ない。
〇また、国は「被災者見守り・相談支援等事業」を特定非常災害の場合には10分の10の補助率で実施している。これは、いわゆる「地域支え合いセンター」と呼ばれるもので、多くの場合、社会福祉協議会が受託している。この事業の支援対象者は災害救助法に基づく応急仮設住宅への入居者とされているが、在宅であっても災害を要因として孤立する恐れがある者を支援対象者に含めて差支えないとされている。
〇この「被災者見守り・相談支援等事業」は、事業実施期間中に、可能な限り一般施策による支援での対応を検討するとともに、本事業終了後の支援体制構築のため、民生委員・児童委員による見守りや生活困窮者自立支援制度などによる支援など、一般施策による支援へ移行していくことを十分に検討することとされている。
〇まさに、これこそ、社会福祉協議会が平時から行っておかなければならに活動であり、よりその機能を発揮するためにも、重層的支援体制整備事業を被災市町村は積極的に受託していくべきである。

(註)「認定NPO法人レスキューストックヤード」に関する情報は、代表の栗田暢之さんから国際NGO・ADRAの小出一博さんを通じて頂いたもので、この紙上を借りてお礼を申し上げる次第である。

〇ちなみに、珠洲市でボランティア活動を展開してくれたNPOは、技術系で災害救援レスキューアシスト、チームふじさん、愛・知・人(ブルーシート張り)、ピースボート災害支援センター、日本財団、DRT JAPAN(電気関係)、DEF TOKYO(電気関係)、ボウサリング(子ども支援)等があり、生活支援や保健・医療関係では日本レスキュー協会、ピースウィンズ・ジャパン、弘生福祉会、鳥越福祉会、すず椿、ひのきしんセンター等が支援に参加している。
〇この他、石川県精神保健福祉士協会、日本医療ソーシャルワーカー協会、石川県社会福祉士会、介護支援専門員協会、相談支援専門員協会、日本災害看護学会等の専門職団体、学会の関係者も支援に入っている。 更には、DWATの支援も含めて、介護福祉士会も支援してくれている。
〇このように、今や災害支援のボランティア活動は社会福祉協議会だけを見ていればいいというものではなく、多様な組織が支援に入ってくれている。しかしながら、それらの全体を俯瞰し、調整するプラットホーム機能が必ずしもできていない。福祉避難所や在宅の被災者支援においては、行政と社会福祉協議会がそれなりにプラットホーム機能を持てているが、施設関係まで含めると全体像が必ずしも見えていないのが現状ではないだろうか。能登町でも、重機を活用しての技術ボランティア団体「OPEN JAPAN」が頑張っているというので訪ねたが、代表の肥田さんは大船渡山林火災に駆けつけたということで会えず、話を聞けなかった。

(註)一般社団法人OPEN JAPANは、旧ボランティア支援ベース絆で、阪神淡路大震災や東日本大震災のボランティア支援で集まった仲間が立ち上げ、2012年3月11日に名称をOPEN JAPANに変更し、活動を続けている。代表は吉沢武彦さんで、吉沢さんは日本カーシェアリング協会にも所属している。

(4)輪島市における助け合いセンター(「被災者見守り・相談支援等事業」の活動)
〇輪島市社会福祉協議会では、「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援班」の活動を主にお聞きした。
〇「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援」事業は、上述したように国の制度である「被災者見守り・相談支援等事業」に基づくもので、輪島市社会福祉協議会は在宅の被災者支援、仮設住宅入居者への支援は社会福祉法人佛子園とJOKAとのジョイントとして、社会福祉法人佛子園の「輪島カブーレ」が請け負っている(この件については後述)。
〇「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援事業」は、令和6年度の6月から開始されるが、予算は1億70万円である(ちなみに、令和7年度は1億1700万円を要求)。この予算は、厚生労働省の生活困窮社会福祉支援事業の予算の中から出されており、補助率は10分の10の事業である。
〇「たすけあいセンター」で働く人は上は77歳、下は50歳で平均年齢65・4歳の30名が働いている。センターの副センター長であり、入職24年のベテラン保健師でもある大下百合香さんがリーダーとして牽引してくれている。
〇「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援班」では、令和6年10月から「あいちゃん通信」(現在第8号まで発行)を出して、戸別配布している。仮設住宅は自分たちの所管ではないが、同じ輪島市民なので、「輪島カブーレ」を通して配布している。
〇この「あいちゃん通信」を発行するに当たって中心になってくれている職員が、山路健造さんで、海外協力隊の経験を持ち、佐賀県でNPO地球市民の会に参加してきた、元西日本新聞の記者である。佐賀県では、在留外国人支援の活動をしていたという。その山路さんが、輪島市でのボランティア活動が一段落した機会に輪島市社会福祉協議会の「たすけあいセンター」職員として、応募してくれたとのこと。
〇「あいちゃん通信」を読んでいると、災害で汚れた写真の洗浄、ペットとの生活のサポートなどの紹介の他、令和6年度の4月6月までに1万2千世帯を超える家庭を訪問調査したとか、石川県内の福祉専門職団体による3096件の被災状況等の確認、“定期的通う場”がなく、孤立しがちでサロン開催の必要性、あるいは市内の介護サービス提供の状況の情報提供等、被災者の生活のしづらさ、困りごと、生活支援等がこの紙面を通じてわかり、とてもいい情報誌である。このような情報誌は、平時においても日常的に欲しいなと思いました。

(5)「輪島カブーレ」の「ごちゃまぜ福祉実践」と被災者支援
〇社会福祉法人佛子園の理事長である雄谷良成さんの「ごちゃまぜ福祉実践」は、『ソーシャルイノベーション』(雄谷良成監修、竹本鉄雄著、ダイヤモンド社、2018年9月)がわかりやすいので参照して欲しい。
〇「輪島カブーレ」は輪島市内で、歩ける範囲の地域において、空き家等を譲りうけ、それらの家屋をリノベーションして、ごちゃまぜの実践ができるエリアを創出している。現在、障害者向けの短期入居住宅、障害者向けのグループホーム、サービス付き高齢者向け住宅を始め、地域の人も利用できるウェルネス、障害者の就労継続支援A型事業所としてのそばや「やぶかぶれ」、ゲストハウス等12事業所を展開している。その中でも重要な役割を果たしているのが、地下1165メートルから湧き出る温泉「三の湯」と「七ノ湯」である。ここはまさに地域住民の“浮世風呂”で、コミュニティ形成の中核的雄施設である。「輪島カブーレ」のある地域の住民は入浴料がただで入れる温泉で、地域住民である証の木札が壁にかかっていて、住民は入浴する時にはそれを裏返して入るのだという。住民は、温泉に浸かった後、そばやである「やぶかぶれ」で昼食を摂ったり、ビールを飲んだりしている。私もそこで地ビール・ヴァイツェンを飲み、おそばを頂いたがとても美味しかったし、同じカウンターの隣に座っている人と気軽に話が出来る、まさに地域の居場所、拠り所になっている。
〇この「輪島カブーレ」が被災したこともあって、雄谷良成さんが会長をしている青年海外協力隊のOB・OGで組織されているJOCAが支援に入ってくれた。そこは、単なるボランティア活動としてではなく、JOCAの会員を社会福祉法人佛子園の職員として“出向”させるという形態で支援に入った。したがって、輪島市の復興事業に関わる事業を社会福祉法人佛子園が受託し、その事業は本来の職員だけではできないので、JOCAの会員が“出向”職員として担うという形式をとった。
我々に会ってくれた堀田直揮さんは、広島県のJOCAX3で勤務していたが、JOCAの災害復興担当の理事でもあるので、「輪島カブーレ」の災害に関わる責任者として活動をしている。

(註) JOCAとは、公益社団法人青年海外協力協会(Japan Overseas Cooperative
Association)の頭文字を取った略称である。本部は長野県駒ケ根市にあり、そこでは就労継続支援A型等の事業を展開している。JOCAは、JOCA東北、JOCAX3(広島県安芸太田町),JOCA南部(鳥取県
南部町)などに支部があり、社会福祉事業を展開している。多くの場合、多機能型の事業所を展開している。今回の能登支援では、これらで働いている職員がローテーションを組んで、「輪島カブーレ」及び輪島市支援に入ってくれた。JOCAは1983年12月に設立され、2012年2月に公益社団法人に移行。代表理事は雄谷良成氏である。

〇「輪島カブーレ」は、地域住民の拠り所である温泉をいち早く復活させた。温泉はくみ上げられたが、水道が出ず、熱い風呂にペットボトルを浮かべるなどして冷まし、住民の利用に供することができた。普段から「輪島カブーレ」のある地域住民と密接な、良好な関係を築いていたことが大きな力を発揮し、後片付けなども住民の方々が協力してくれた。
〇「輪島カブーレ」は、現在輪島市から委託を受けて、仮設住宅に住んでいる方々の見守り、生活支援、相談活動を展開している。
〇社会福祉法人佛子園は、2026年に輪島市内に6か所のコミュニティセンターを開設する。従来の集会機能だけでなく、相談機能、運動施設、食事処、銭湯なども併設されている施設である。社会福祉法人佛子園は、従来新しい事業を展開するときには、「福祉医療機構」の貸付を利用していたが、今では民間の金融機関の貸付も利用しながら事業展開しているという。この面でも、大いに学ぶべき点がある。

(6) ”孤立“した輪島市門前町の「生きる力」
〇「輪島カブーレ」の堀田直揮さんと話をしている際に、東日本大震災の際に、当時宮城県社会福祉協議会の職員で、石巻市支援で大きな働きをしてくれた北川進さん(現・日本社会事業大学専門職大学院教員)が輪島市門前町に3月17日の週に入るのだということが分り、電話して状況を聞くと、門前町に日本社会事業大学の卒業生の松下明さんがいて、輪島市門前町支所の地域支援係の担当しているという。松下さんは、能登半島地震発災後から日本社会事業大学の伝手で北川進さんと電話での相談をしていたことが判明した。
〇松下明さんに電話をすると支所にいるというので、急遽訪ねることにした。
〇前回の門前町訪問では、総持寺の被害状況をお聞きする程度だったので、予定を変更して行くことにした。
〇輪島市から門前町へ行く国道はトンネルが土砂で埋まり通行できないという。遠回りをする時間的余裕もないので、山越えの旧道を行くことにしたが、それも陥没したりしていて、一車線しかなく、工事関係者には驚かされたが、運転手の村田明日香さんが頑張って連れて行ってくれた。
〇門前町は、地震災害で輪島市本庁との行き来が十分できないため、門前町独自に災害被災者支援をせざるを得なくなり、支所の職員のご苦労は大変なものであったという。しかも、高齢化率が64・5%と非常に高い状況ではあったが、門前町はコミュニティの力がいまだ豊かにあり、その力で頑張ってこられたという。したがって、避難所も仮設住宅もできるだけコミュニティの力が発揮できるよう意識して取り組んできたという。現在、仮設住宅に入居している人は1292人で、門前町の人口が4276人であるから、約30%の人が仮設住宅生活ということになる。
〇災害復興支援で、とりわけ意識したのは、コミュニティの力を削がないように、仮設住宅を設置し、入居してもらっているが、その上で仮設住宅団地毎に、入居している人々で仮設住宅団地自治会を作ってもらうよう働き掛け、現在10仮設住宅団地のうち9地区で仮設住宅自治会が結成されたという。
〇生活支援面では、高齢化率が高いこと、外からの支援が難しい状況の中で、イオンリテールやまんぷく丸、Aコープでの移動販売を利用しやすいように、販売ルート、販売時間を表にして配布したり、おでかけバス、愛のリバスの運行時間を曜日ごとに分かる票にして配布している。
〇また、地域にある社会資源が門前町のどこの地区に何があるかを一覧表にしている。理美容院はどこの地区で開業しているとか、日用品はどこの地区で買えるとか、医療、歯科はどこで受診できるかなど、住民が生活する上で必要な情報を門前町支所では的確に、多面的に情報提供している。
〇門前町でも海岸隆起が激しいというので、江戸時代の北前船の寄港地で栄えた「天領黒島」を見学したが、4メートルの隆起で港は使えない状況であった。本当に自然の力のすさまじさを目の当たりした。

(7)志賀町地域支え合いセンターと生活支援相談員の研修
〇志賀町は旧志賀町(どちらかと言えば農村地域)と旧富来町(どちらかと言えば漁業経済地域)が合併した町である。志賀原発は旧志賀町にあるが、能登半島地震では被害がなかった(現在運転中止中)。
〇志賀町の仮設住宅は10箇所で、トレーラーハウスや木造りの仮設住宅、ムービングハウスという仮説住宅も設置されており、349人が入居している。
〇志賀町には社会福祉協議会に「志賀町地域支え合いセンター」が設置されており、主任生活支援相談員2名と生活支援相談員14名が配属されている。
〇志賀町社会福祉協議会を訪ねたら、生活支援相談員の方々が待機していて、研修をしてくれという話になった。皆さん、社会福祉を学んだ人々でないので、家庭訪問は住民の生活の仕方、生活の匂い等住民のニーズキャッチの最前線なのだから頑張って欲しい旨のはなしをした。住民の生活相談窓口を設置して、住民が来所するのを待つのではなく、家庭訪問して、住民のニーズを把握することが重要であること、仮設住宅でのサロンの運営などにあっては、住民の興味、関心が違うので場所は狭いかもしれないが、プログラムは画一的なものにしないことと、一斉に同じものをしてもらうことをできるだけ避けて欲しい旨の話をした。
〇志賀町の西方沖では、今でも余震が続いており、原発に影響するような第地震にならなければいいがという心配をされていた。
(2025年3月16日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。