〇雑誌『ふくしと教育』(第22号、大学図書出版、2017年2月)が届いた。特集は「七・二六(相模原殺傷)事件を考える」である。それは、8人の執筆者の確かな視点と視座に基づく重厚な実践と研究に裏付けられた、読み応えのある論考によって構成されている。各執筆者の真摯な姿勢と熱い思いが、行間からひしひしと伝わってくる。やむを得ないこととはいえ、紙幅の制約が残念至極である。
〇例えば、村上徹也(編集長)の巻頭言の次の一節は、正鵠(せいこく)を射た指摘である。それは、この事件の報道に接したときに筆者(阪野)が覚えた大きな違和感と無力感に通じるものでもある。
7・26事件では、被害者の個別的な輪郭は、人権上の配慮からほとんど伝わっていない。このことの是非を考えることも、ノーマライゼーションのあり方として必要だと思いつつ、もう1つ気になるのは、様々な面で社会に重い問いを投げかけている忘れてはならないはずの7・26事件の重大さが、多くの人々の記憶に深く刻まれていかないのではないかということだ。すでに、報道を含めて、7・26事件は世間ではほとんど忘れられているのではないだろうか。
被害者1人ひとりの輪郭が不鮮明だということは、1人ひとりのかけがえのない命の証も曖昧になってしまい、事件が単に犠牲者の数の記録としてのみ残ることになれば、これを教訓として社会を変えようという努力も長続きはしないだろう。(3ページ)
〇例によって唐突であるが、筆者は、この特集論考から、哲学者の鶴見俊輔(1922年~2015年)が雑誌『思想の科学』1946年5月号(創刊号)に発表した論考「言葉のお守り的使用法について」(鶴見俊輔『鶴見俊輔集―3 記号論集』筑摩書房、1992年1月、389~410ページ所収)を思い出す。次はその言説の一節である。
言葉のお守り的使用法とは、言葉のニセ主張的使用法の一種であり、意味がよくわからずに言葉をつかう習慣の一種類である。言葉のお守り的使用法とは、人がその住んでいる社会の権力者によって正統と認められている価値体系を代表する言葉を、特に自分の社会的・政治的立場をまもるために、自分の上にかぶせたり、自分のする仕事の上にかぶせたりすることをいう。このような言葉のつかいかたがさかんにおこなわれているということは、ある種の社会条件の成立を条件としている。もし大衆が言葉の意味を具体的にとらえる習慣をもつならば、だれか煽動する者があらわれて大衆の利益に反する行動の上になにかの正統的な価値を代表する言葉をかぶせるとしても、その言葉そのものにまどわされることはすくないであろう。言葉のお守り的使用法がさかんなことは、その社会における言葉のよみとりの能力がひくいことと切りはなすことができない。(390ページ)
政治家が意見を具体化して説明することなしに、お守り言葉をほどよくちりばめた演説や作文で人にうったえようとし、民衆が内容を冷静に検討することなしに、お守り言葉のつかいかたのたくみさに順応してゆく習慣がつづくかぎり、何年かの後にまた戦時とおなじようにうやむやな政治が復活する可能性がのこっている。言葉のお守り的使用法を軸として日本の政治が再開されるならば、国民はまた、いつ、不本意なところに、しらずしらずのうちにつれこまれるかわからない。(399~400ページ)
〇「お守り言葉」は、国家や社会(組織)の権力者が、実質的な内容や価値を伴わないままに、その言葉をスローガンのように振りかざして大衆を黙従させ、煽動するものである。「言葉のお守り的使用法は、言葉の煽動的使用法の一種である」(392ページ)。鶴見によると、戦前・戦中の「国体」「日本的」「皇道」や、戦後アメリカから輸入された「民主」「自由」「デモクラシー」などがそれである。こうした言葉を使った演説や作文は、その言葉についての理念的・実践的探究がなくても、正統化され、自分の社会的・政治的立場を守ることができるのである。
〇福祉教育の世界で多用される言葉に「包摂」と「共生」がある。7・26事件との関連で筆者が言いたいのは、福祉教育において「包摂」や「共生」は「お守り的使用」がなされてはならない。そのためには、「包摂」による“排除”や「共生」による“管理”が進んでいる現実(実態)を的確に把握し、その内実を抉(えぐ)り出す。そのうえで、共働して“排除”や“管理”と真に闘うことが肝要となる。福祉教育の意義と目的はここにある、ということである。
〇鶴見の言を借りれば、「その社会における言葉のよみとりの能力」を高め、「お守り言葉の内容を冷静に検討」し、その「言葉の意味を具体的にとらえる習慣をもつ」ことに、とりわけ福祉教育は強く意識しなければならない。それは、福祉教育が「ヒト」の生命(いのち)と暮らしと人生に直接的に関わる教育的営為であること。しかも、一人ひとりの生命を守り、暮らしと人生を豊かにするための、「批判」的思考力や「変革」的実践力の育成を図る営為であること、による。
〇いま、政府は、「積極的平和主義」や「日米同盟」、「地方創生」や「一億総活躍社会」、そして「多様で柔軟な働き方」などの「お守り言葉」を自覚的に多用する。「不本意なところに、しらずしらずのうちにつれこまれ」ていると感じるのは、筆者だけであろうか。
〇いずれにしても、雑誌『ふくしと教育』の今回の「特集」は重い。SNSに書き込まれた「彼のような悪魔が絶対に生まれない世の中は実現できないとしても‥‥‥」(村上、2ページ)という一節が苦しい。
附記
厚生労働省は、2016年8月に「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」(座長:山本輝之 成城大学法学部教授)を設置した。その検討チームが同年12月8日に「報告書~再発防止策の提言~」をとりまとめ、公表した。ここで、事件の再発防止策の検討に当たって重視された3つの視点と、再発防止のための具体的な提言のうち、「共生社会の推進に向けた取組」(概要)について紹介しておく。
Ⅱ 再発防止策の検討に当たって重視した3つの視点
本チームは、事件の再発防止策の検討に当たって、次の3つの視点を重視した。これらの視点は、個々の具体的な再発防止策を貫く基本的な考えである。
1 共生社会の推進 ~差別意識のない社会と、障害者の地域での共生~
〇今回の事件は、障害者への一方的かつ身勝手な偏見や差別意識が背景となって、引き起こされたものと考えられる。こうした偏見や差別意識を社会から払拭し、一人ひとりの命の重さは障害のあるなしによって少しも変わることはない、という当たり前の価値観を社会全体で共有することが何よりも重要である。そのためには、障害のある人もない人も、地域の人々も、障害者施設で働く人も、全ての人々が、お互いの人格と個性を尊重し合いながら共生できる社会の実現に向けた取組を進めていくことが不可欠である。
〇政府においては、障害の有無に関わらない多様な生き方を前提にした、共生社会の構築を目指す姿勢を明確に示すことが必要である。また、学校教育の段階からあらゆる場において、人権や共生社会に係る教育を進めることや、障害者の地域移行や地域生活の支援を進めていくことが必要である。
〇社会福祉施設等においても、これまで、共生社会の考え方に基づき、障害者を地域から切り離すのではなく、地域に対して開かれた存在となり、地域と共存することを基本として運営がされてきた。今回の事件を機に、社会福祉施設等が利用者を守ろうとするあまり、厳重な防犯設備で地域との交流を遮断してはならない。
〇また、事件を実行した施設の元職員である男(以下「容疑者」という。)は、精神障害による他害のおそれがあるとして措置入院となっていたが、今回の事件は極めて特異なものであり、地域で生活する精神障害者の方々に偏見や差別の目が向けられることは断じてあってはならない。これまでも精神障害者については、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(昭和25 年法律第123号。以下「精神保健福祉法」という。)の理念に沿って、医療機関や保健福祉関係機関において、できるだけ地域社会での生活への移行や地域社会との交流・共生を進めてきた。こうした流れは、決して揺るがしてはならず、地域社会での生活を支えるための精神保健医療福祉等の支援体制の底上げや、関係機関等の協力、理解が不可欠である。
2 退院後の医療等の継続的な支援を通じた、地域における孤立の防止 ~容疑者が措置入院の解除後、通院を中断したことを踏まえた退院後の医療等の支援の強化~
(略)
3 社会福祉施設等における職場環境の整備 ~容疑者が施設の元職員であったことを踏まえた対応~
(略)
Ⅲ 再発防止のための具体的な提言
Ⅱの視点を踏まえ、本チームは、以下の5点に分けて、再発防止策の方向性をとりまとめた。
第1 共生社会の推進に向けた取組(概要)
第2 退院後の医療等の継続支援の実施のために必要な対応
(略)
第3 措置入院中の診療内容の充実
(略)
第4 関係機関等の協力の推進
(略)
第5 社会福祉施設等における対応
(略)