この夏、私が指導する大学2年生の介護実習が行われました。
二十歳前後の学生たちが、4か所の介護施設や在宅介護サービス事業所を経験します。ほとんどの学生にとって、本格的に介護や福祉の現場に触れるのは初めてです。認知症のある方と出会い、学校や教科書だけでは知ることのできなかった福祉の仕事やサービスを、自分の目で見て、身体で感じていきます。
私は担当教員として、週に一度のカンファレンスで、一人ひとりの学生から実習で感じたことを聞いてきました。
今年、多くの学生が口にしたのが「コミュニケーションの難しさ」でした。
「何を話したらいいのか分からない」 「声をかけても会話が続かない」
学生たちは、「うまく話さなければ」と思うほど、もどかしさを感じていたようです。
そんな学生に、ある実習指導者が伝えてくださった言葉が心に残りました。
「その人と、ともに在ることが大切なんだよ・・・・・・」
コミュニケーションというと、私たちはつい「話すこと」「伝えること」を考えます。しかし、言葉を交わすことだけがコミュニケーションなのでしょうか。同じ場所で同じ時間を過ごす。相手の表情を見る。沈黙をともにする。その人を知ろうとする。そこから始まる関係もあるはずです。
私はここから、「共存」と「共生」について考えました。
ただ同じ場所にいる(共存)だけではなく、互いに関われば、時には考え方の違いや摩擦も生まれます。それでも相手を知ろうとし、自分も相手から影響を受け、少しずつ変わっていく。その営みこそが「ともに生きる(共生)」ということなのかもしれません。
これは、私が研究している「主体形成」にもつながります。人は一人だけで育つのではなく、誰かと関わり、自分が相手に影響を与え、また相手から影響を受けながら変わっていくのではないでしょうか。
学生たちがぶつかった「コミュニケーションがうまくいかない」という壁。
実はその壁の向こう側に、「ともに生きる」とは何かを考える、とても大切な学びがありました。
共生社会は、立派な言葉を掲げるだけでは生まれません。 まず目の前にいる人と、ともにいること。
そこから始まるのだと思います。




