阪野 貢 のすべての投稿

校長室の風景(その1) 「待合室」

総合的学習の時間で 福祉を取り上げる学校も多い
内容や質的な問題は さておく しかない
教員は 福祉に関心がなくても やらされる
指導力は もちろんない者も確かにいる
だから 毎年その学年がしてきたことを 手っ取り早く繰り返す

そこで 社協に協力を依頼する
躊躇(ちゅうちょ)でもすれば 子どもへの学習支援を拒むのかとばかりに 威圧的な学校
社協からの依頼には 断りの言い訳を てんこ盛りする学校
でも社協は 学校からの依頼に 二つ返事で対応する
だって 大事なまちの子どもたち
そして 福祉を学ぶ機会を 決して逃してはならない使命感
だから 学校と喧嘩することは できるだけ避けていい人ぶる
仕方ないっしょ 人質論

ある町の 小学三年生の福祉の学習 
耳の不自由な人との交流学習を 学校から依頼された
その町には 障がい当事者が住んでおらず
隣町の社協に 今回もまた依頼した
隣町の社協担当者と障がい者 そして通訳ボランティア 
地元の社協担当者の4人で 当日学校を訪れた
授業まで30分ほど早く着いたので 校長室に通された
校長は 挨拶もそこそこに パソコンに向かった
応接セットのソファーに座る4人は 落ち着かない
校長室は ただの「待合室」となった
授業を終えた教員が迎えに来て 早々に退散した

招かれたゲストは 隣町から1時間余をかけて来たのです
ゲストに示した 校長のこの非礼 許せますか?
尊大な態度にしか 見えません
ゲストは 開いた口が ふさがらなかったでしょう
地元の社協は 恥ずかしくていたたまれなかったでしょう

ゲストが 訪問するのは 事前に承知のこと
ゲストが 校長室で待機するのも 了解済み 
ゲストへのねぎらいのことばもなく そそくさと 自分のデスクに座った
果たして どんな仕事をしていたのか 
善意に解釈して 緊急性のある仕事をしていたとしよう
ゲストの応対に 30分ほどの時間を割くことが できないほどの事態だったのか
ありえない そう断言しよう!
ゲストに対応することが 面倒くさかっただけだ これも断言しよう!
障がいのある人との関わりを 回避したいだけ これは深刻な問題だと 断言する! 
外部からの学習支援者への 感謝の気持ちなど ない これも断言できる!
利害関係のある者には こんな態度は決してしない これは断定できる!
非常識この上ない態度を 露呈したことすら自覚できず
ぶざまな失態を さらした瞬間だった
手持ちぶさたで 4人で会話することも はばかれる待合室
存在を無視した校長に ただただあきれるばかり
子どもと福祉の学習を深めようと 汗かく人たちの思いを 
平然とつぶしていく校長に
教育者以前の 人間としての資質を疑うのは 非礼であるか

ひとつわかったこと
この人が 校長の椅子に座っているという事実
もうひとつわかったこと
地域は 異動まで忍耐を強いられるという事実

〔2019年9月29日書き下ろし。福祉教育が根ざさない原因。校長という社会的立場を認識することもなく、非常識な態度を平然ととることへの警句〕

痛みは誰と分かち合うか

いつも 後出しじゃんけんが 得意だった
たいしたことは できないないと 高をくくっていたら
見事に 痛いところを 平気で突いてきた

いつもなら これくらいは我慢できると思っていたが
頼みにならない年金が これからどんどん下げられる 
現役世代の期待を裏切って 痛みを分かちあえと 強制する
誰と誰とで分かちあうって そりゃ貧しい民同士でしょうが
わかりきったことなんか聞いて どうするの
国のためだと 民のためだと 大義を通す高慢な面々

制度をつくり 運用するのは
老後の暮らしなんか 全く心配しない裕福層とおこぼれ層
民の老後は 施し程度の雀の涙で済まそうと
手ぐすね引いて 待っていた 年金改革
殺さぬように生かさぬように ほどほどの不満とちっぽい満足を
バランス良く与えておけば それでいい

10%の消費税アップも 経済の落ち込みは想定済み
わけのわからぬ対策講じて やってる感を見せとけば
民は自力で難題を乗り切るだろうと 切り捨てる
日米貿易協定でアメリカ追従が より鮮明さを増し続ける中
民が求めもせぬ憲法改正へと 旗を掲げて世論を煽(あお)る
憲法改正の目的も どんな国にするのかも曖昧のまま 
名声ほしさのパフォーマンス
それより先に 為すべき課題は 目白押し
無能さを 晒(さら)し続けるのは
選ばぬ民への しっぺ返しか

見くびられ民たちは 
いつまで 従順にいられるのか
どこまで 現役世代の我慢が 続くのか
世直し運動の歴史は 絶えたわけではない
民の怒りが 静かに そして確実に 溜まり始めている

〔2019年9月29日書き下ろし。消費税10%を直前にして。5日今後の年金の試算が厚労省から戦略的に選挙後に発表された。準備金2千万円の話どころではない。現役に負担を強いて老いを生きることの心苦しさを痛感する〕

子どもを詩う/鳥居一頼

まっすぐな まなざし
 
まっすぐな まなざしを
まごころいっぱいの 
きみのこころに 思いっきりあつく向けよ

まっすぐな まなざしを
きみを愛(いと)しむ 
かけがいのないひとたちに ただひたむきに向けよ

まっすぐな まなざしを
この世界に生きる
すべてのいのちを やさしく抱きしめるように向けよ

まっすぐな まなざしを
時に くじけそうになり あきらめかける
きみの弱さや言いわけとの 静かな語らいに向けよ

まっすぐな まなざしを
こんなひとになりたい 
こんなことをしたい
そんな憧憬(あこがれ)に しなやかに向けよ

そして
まっすぐに
まなざしを
未来のきみに 向けよ
きみが生きる 未知なる世界に 
希望(のぞみ)高く したたかに向けよ


めんこいしょ

ぐずって 泣きそう 
泣き顔がはじけ 泣き声が発せられるこの一瞬
顔を崩して こぼれる涙顔
めんこいしょ

つぶらな瞳と にらめっこ
ジッと顔を見てて 泣くかなと思ったこの一瞬 
ニコッと まさかのほほえみ返し
めんこいしょ

おいでをすると ためらいがちに
ゆっくり両手を伸ばして からだを預けたこの一瞬
やわらかな 匂い立つ顔
めんこいしょ

スプーンを自分で持つと 強情(ごうじょう)はって
口のまわりに たくさん散らかすこの一瞬
してやったりと にたり顔 
めんこいしょ

ことばにならない 声を出し
指さす方に 目を向かせ
おぼしきおもちゃを 差し出すこの一瞬
いやいやと かぶりをふる不満顔
めんこいしょ

素っ裸 湯船で
お湯と戯れて おいたをするこの一瞬 
満面の笑みをうかべる 赤ら顔
めんこいしょ

めんこくて めんこくて
ただただ めんこくて
包み込まれる いのちのぬくもり
めんこくて めんこくて
ただただ ありがとう
包み込む 二人の深い慈しみ
 
いのちの限り 共に歩まん


ありがとう

“ありがとう”って 言うと
どうして こころが あったかくなるのかな
どうして うれしく なっちゃうのかな
どうして 笑顔に なっちゃうのかな
どうして しあわせな 気分になるのかな

“ありがとう”って 言われると
どうして こころが あったかくなるのかな
どうして うれしく なっちゃうのかな
どうして 笑顔に なっちゃうのかな
どうして しあわせな 気分になれるのかな

“ありがとう”
知らない人でも
知ってる人でも
だれもが 笑顔になれる 魔法の呪文(じゅもん)
二人の間に あっという間に しあわせの橋をかけてしまう

“ありがとう”
素直に言えたなら
ひとは 憎み合うこともない
ひとは ののしり合うこともない
ひとは 恨み合うこともない
ひとは 殴り合うことは 決してない

だれもが 小さな思い合いをする 魔法の呪文
二人の間に あっという間に いさかいのこころを消してしまう

“ありがとう”
感謝の気持ちを表すコトバ
それは
“わたし”が いまここに 生きている喜びを 表すコトバ
生まれてきて よかったと 誰かに伝える コトバ
これからも たくさんのあったかい手で たくさんの思い合いのこころで
“わたし”を支えて はげましてくれる コトバ

“ありがとう”
ただそれだけで 
ひとは こころ豊かに 生かされる
不思議な 不思議な 魔法の呪文


いい子ぶる

「ごめん」って ちゃんとあやまろう
わるいことしたんでしょう
「ごめん」って そんなあやまりかたなら
この子は 許してくれないよ
「ごめん」って そんなあやまりかたってあるの
ちゃんと頭さげて 
「ごめん」って そんななげやりな言い方あるの
ちっとも悪かったっていう気持ち伝わってこないよ
ねえ 「ごめん」って ちゃんとあやまっているから
許してあげてね
この子に もうしないって「やくそく」させるから
いつも“この子 助けてあげて”と 先生は目で訴える

おれさ 本当ははずかしいんだ
いつもさ わるさして あやまってばっかり
いいかげん じぶんでも はらが立つけど
それでも 「やっちゃった!」って
でもさ、いつもこんなふうにあやまって
許してもらうと かんたんに悪いことが 帳消しになってしまう
たまには 自分からあやまりを入れて
先生の点数稼ぎもしておかなくちゃいけないんだ
あやまるって たいしたことないんだよ
そのときだけ すこしだけがまんする
なにをって はずかしいって気持ちをさ がまんする
おれだって 笑われたらはずかしいし 
こんちくしょうって ときどき切れる

あやまって ゆるしてもらえば こっちのもんだ
またやっちゃうね
これぐらいじゃ ちっともこりないよ
おちょくるって けっこうおもしろい
あいつをおこらせて 
顔を真っ赤にしたり 泣いたり わめいたりさせるのって
ゆかいだね
だから なんどでも やってしまう
おれの楽しみのひとつを なくするわけにはいかない

おれ こんどのことだって 悪いことしたなんて これぽっちも感じていない
だから しぶしぶ あやまる 「ごめん」
それでも いままでみんな許してくれた
だから こんども大丈夫!
このくらいなら 親には告げ口されない
しんどいのは 親が知ってしまう前に
“いいわけ”を考えなきゃいけないこと
なんぼおれだって 親には“いい顔”していたいから

あんたのうそっぱっちの「ごめん」なんて もういらない
「またやる」って顔に書いてある
その目を見るのも もういや
先生も あやまればおしまいって顔しているから たよりにならない
だから さっさと済ませてしまいたい
ただそれだけ
「同じクラスの 友だちでしょう」っていわれても
ちっとも ピンとこない
きらいな人と 友だちになんかなれない
いじわるな人が 友だちっておかしいよね
大人は そんな人とは つきあわないでしょう
どうして 無理して“友だちごっこ”しなきゃいけないの

好きで同じ学年やクラスになったわけじゃない
わたしがあいつに 悪さをしたわけでもない
でも どうしてあいつの勝手気ままなわがままを がまんしなきゃいけないの
痛い目にあっても 「ごめん」の一言で どうして許さなければならないの
いつも「芝居」をさせられている気分
そこでは ものわかりのいい“いい子”になっているだけ
“いい子”にならないと わたしが“いけずな子”って思われる
おとなは 子どもの気持ちが知りたいっていうけど「無理!」
きょうもまたいやな思いをさせられても “いい子”ぶらなきゃいけない
だって そうしないと あいつと同じに見られてしまう

あいつはへらへら笑いながら こりずに同じことをしてくる
そんなの わかっていながら このくりかえし
やられたあとに あやまったって なにが変わるっていうの
いやな気持ちが その一言でふっきれて なくなってしまうとでもいうの
魔法の呪文(じゅもん)「ごめん」
もうなんの効力もない まっぴらごめん
自分の気持ちに うそつけない
もうあいつの「ごめん」なんか
こっちから「ごめん」だ

こんどやったら もう許さない
私だけじゃない あいつにやられて泣いてる子
たくさんいるんだから
ただ心配かけたくないって 
やられてもみんな口をつぐんでいるだけ
「そのくらいのこと なんでもない」
「あなたが がまんしなさい」
「いつか あの子もよくなるから」
おとなは 子どもに言い聞かせる
だけど いつになったら 正直に自分の気持ちをぶつけられるの
一度なら 「なんともない」ってふっきれるけど
何度もされたら がまんなんかできやしない
それでも おとなは さも私の痛みをわかったようなふりをしながら
「許してあげて」と やさしい声でせまってくる
その声に さからえない
でも わたしは こんなになやんで苦しんでいるんだよ
いい子だって 思われたいから
「いいよ」って 自分にうそをつく
こんなの もういやだ うんざりだ
これって わたしの悪いこころなの 
そうやって自分を責めて またいい子ぶる 
それをぬけぬけと
「あやまったから許される」なんて 単純に思い込んでいる
あいつもおとなも 許せない
そんな言葉や態度で すますことなんてできない
「いいよ」っていったけど
そうしないと なかなか帰してくれないから しかたなかった
こころの中は 怒りでいっぱい

こんどやったら もう許さない 許せない
わたしを 甘くみないで
平気な顔をしていたけれど 
おこれば あいつと同じになるからがまんした
いつまで このがまんが続くのだろう 
いやだ いやだ もういやだ
あいつの顔なんか 二度ともう見たくもない
わたしは悪くはないのに なんで“なみだ”が出てくるの
くやしい!
“なみだ”なんか見せたくない
わたし 弱虫じゃないもん

でも みんなにそう思われているあいつって 
たいへんだな
いっつも だれかに刃向かっていくエネルギー 
疲れることを知らない とほうもない反抗のエネルギー
わたしにはない 
そこはすごいと へんに感心する

でも なんであんなに こころがねじきれてしまっているのかな
ひとりぼっちに またなっちゃった
だあれも あいつのこころは わからない
だあれも あいつの苦しさは わからない
あいつが 一番自分のことが わからない 
だから よけいに苦しいのかも しれない
あいつは ああやって悪さを続けることしか
みんなの注目を集めることが できなくなった
こころもあたまも 悪さにしかまわらなくなった 

あいつを こころのかよった子にしたいという
みんなの思いは いつか むなしくしぼんでいく
いつも うらぎられるから
だから だあれも もう信じない
そして ひとりぼっちで 悲しい子になった
叫んでも だあれも こたえてくれない
だあれも もうあいつのそばにはいないから ひとりぼっち
暗闇に ぽつんと ただいるだけ
いつか みんなの記憶からも うすれていく
「あんな子 いたっけな」

そうならぬよう
あんた
すなおに 
こころから「ごめん」って
いってみて
そしたら すこしだけ 信じてあげてもいい


大丈夫だよ~こころを痛めた子どもたちへのメッセージ~

もうふりかえらない
ふりかえって そこに何があるというの
過ぎた時間の断片のかけらに
一体きみは 何を見つけ出そうというの

苦痛と悔しさ、そして悲しみのいっぱいつまった こころのアルバムに
顔を埋めているのは 自ら悲劇のヒロインを 演じているだけ
そこから 心躍る何かが 生まれるというの

いつまでも 過去を抱え込んでいるだけでは
この先に続く 長い未来を 捨てることになるんじゃないの
きみは 過去に固執(こだわる)ことで 
未来に 不安を引きずって生きるっていうの
でも 考えてみてよ 
たかだか 15年の人生
その ごくごく短い時間にこだわり続けることに 
どんな価値があるっていうの

今日 きっぱりと「さよなら」して
きみの明日に向かって しっかり顔を上げてみないかい
きみの そのこころと身体を支える足を 一歩前に踏み出してみようよ

大丈夫!
きみはひとりではない ひとりぼっちではない
ここには きみと同じように 辛い過去を背負った仲間もいる
その子らを 支え励まし続け 寄り添ってきた先生(おとな)もいる

大丈夫!
きみを慈しむ 家族がいる
きみが幸せになることを あったかく見守り願う家族がいる 

大丈夫!
きみの未来は きみの手の中にある
あきらめない めげない へこたれない
心の痛みのわかるきみだからこそ 本物のやさしさを 強さに変えられる
それが 未来を切り拓く 戦う力となる

大丈夫!
ひとりで悩むことはない
この学校は きみのとっておきの居場所 
きみが望めば きみ自身を自ら変えられる そう信じよう
今日からの新たな世界と時間は いまきみのものになる
だから“笑顔”で 仲間と一緒に前に進んでみないかい

きみなら きっとできる 
大丈夫 自分を信じて…
大丈夫 きみなら きっとできる


15歳、いまここに立つ~旅立ちの青春賛歌~

時は満ちた
真っ正面から 自らの持てる力で
困難に ぶつかっていくしかない
真っ直ぐな道が ここに開かれた
いま ここでたじろいでしまったら
後悔することは 自明の理

海を見よう あの広い海原の
遠くに続く 見果てぬ未来に 希望の旗を翻(ひるがえ)し
後ろを 決してふり向かず 勇気の帆を張ろう
しっかりと 心意気高く 風をつかまえよう
容赦(ようしゃ)なく 照りつける太陽に 身を焼きながらも じっと耐え
うねる大波には 逆らわずに 慌てず静かに 身を委ねる
偽言(ぎごん)や 悪口(あっこう)には 惑わされず ぶれない自分を見出すために
世の中という大海に 君の小舟を 漕ぎ出すしかないのだ

有為無常(ういむじょう)の この世であるからこそ
我を制し 世情の疎(うと)ましさを 笑顔いっぱいに引き受けながら
痛快に 人生の航海に挑む決意を示そう
昂然(こうぜん)として 勇気の帆を張ろう 
生まれた証しを この世に記すための 旅が いまここに始まる


福祉の授業の醍醐味

福祉の授業を終えて 校長室に戻った
校長は ソファに座ったまま 一言も発しなかった
沈黙が しばらく続く
耐えかねて 一緒に参観した教員が 口を開いた
「校長先生 そうですよね!」
校長は ただうなずいた
「どうしたんですか?」
「あの子らが 一人ひとり 自分の意見を発表するのを 初めて聞いたんです」

6年生45人との授業は 約束事が二つあった
ひとつは 
意見のある子は 挙手せず 必ず立つこと
自分の意見を聞いてほしいという 意思表示のカタチ
だから立つ
ふたつに ある子の発言を受けて 「同じです」という言葉を 禁句にしたこと
「同じです」と答えた子どもに 
「君の言葉で 言ってごらん」と促すと
少し意味が違った言葉が 返ってくる
「ほら 友だちとは少し違うね まったく同じではないね 
まったく同じには 決してならないんだ 
それが 人とは違う“きみ”である ということなんだよ」
子どもは 嬉しそうに 笑顔を見せた

そこから 子どもらは「自分の言葉」で 話さなくてはならなくなった
質問した
全員が立つまで 待った
見ている教員らは いぶかる
最後の一人が 不安げに立った

さあ 答えよう
順番に 自分の言葉で 答えていく
自分の番が終わると 緊張感から解放されてか ほっとため息を吐く
順番が進むにつれ 言葉につまりながらも 発言は続く 
前の子が何を言ったのかを 頭の中で反芻(はんすう)しながら 言い終える
残り十余人 山場を迎えた
「これから発表する子は 大変だね
だって みんなが言葉を 出し尽くしてしまった後に
どんな言葉を使ったらいいのか すごく悩んじゃうね
最初に考えていた 自分の言葉を使われてしまったら 
また別の言葉で 考えなくてはならない
今まで発表してきた子よりも 
頭の中のコンピュータが ものすごい勢いで高速回転して 
言葉を探しているんだ 
すごいだろう 
だから がんばれって 応援してあげて」

その瞬間 自分の番が終わって ホッとした子どもたちの 目の色が変わった
「自分の言葉で話す」 
その大変さと面白さを 教室のみんなで 初めて味わう喜び
もがきながらも 言葉を生み出す苦しみを 共有した瞬間だった
最後のひとりの発表が終わると
期せずして 歓喜の拍手が起こった
やり遂げたという 充実感と満足感が 笑顔になって 教室を満たした
 
「あの6年生は 自分の意見を 自分から進んで発表する子どもたちでは ないんです」
何度も うなずく校長
「一人ひとりが 真剣に言葉を探しながら 自分の意見を堂々と発表したんですね」
強く うなずく校長
「僕ら教員が 打ちのめされた授業だったんです」
下を向いて うなずくしかない校長

子どもたちは 「自分の意見を持てず 進んで発表できない子」だと
烙印(らくいん)を押されたまま 6年間 学校に通ってきた
そう勝手に思い込んだ 教員集団は 子どもたちを洗脳(せんのう)し 
“出来ない子”のイメージを 植え付けてきた
だから 自信なげに 誰かに追従し 周りに調子を合わせる  
みんなと“同じです”が いつも逃げ道となり 卒業のときを 迎えていた

きょうの日が 子ども自身も教員も 変えた
取り返しのつかない “思い違い”をしていたことを 初めて知らされたのだ
そこには 彼らが求めてきた“子ども”たちが 実在していたのだった
予想外の展開は 教員の思惑(おもわく)から外れ
“以外だ”と いままで片付けてきた 教員の思い上がりや思い違いに 
気づかせるのは 容易なことではない
でも 子どもらは いとも簡単に 集団でやってのけた
自分にも仲間にも そして教員にも ポジティブな言動で 
見事に 他人(ひと)とは違う“わたし”であることを 意思表示したのだ 

教室での同調圧力が 子どもを圧迫し 
どれだけ その成長を阻害(そがい)してきたことか
子どもを理解するチャンスを 
どれだけ 見逃してきたことか
教員も子どもも その思い込みを変える機会を 
どれだけ 放棄(ほうき)してきたことか
子どもが身につけた能力や態度を引き出すことに 
どれだけ 手抜きしてきたことか
子どもに 負のレッテルを貼って 貶(おとし)めてきたことへの 深い悔恨(かいこん)
それが 重い沈黙の理由だった 

教員が思い込む その頑(かたく)なさを 打破しなければ 
子どもは いつまでも 彼らの思惑の中でしか 生きられない
彼らこそが 意識を変えなければならない存在そのもの
子どもと向き合うということは 
子どもの多様な有り様を共に見て 理解し合うということ
そこに 陶冶(とうや)の正否が 問われるのだ

なぜ 一期一会の「福祉の授業」で 子どもらは 躍動したのか
授業は 子どもらのおもいを そのままただ受けとめただけ
そこに生まれたのは “信じ合う”という空気
だから 意思表示することが 素直に面白いと感じる
自己肯定感が 仲間と共有された結果
彼らの思考と判断と行動を縛ってきた“しがらみ”から 自らを解き放った 
授業という枠組みの中で機能してきた “評価される発言”という苦痛ではなく 
自由で豊かな発想を 自らの言葉で語る喜びを 彼らは深く味わったのだ 

もしも この機会がなかったら…
彼らは 誤解されたままの 子どもたちであったに違いない
学び合うことの喜びを知ることなく “生きる”ということは 
悲劇でしかない

福祉の授業の醍醐味(だいごみ)は 
人間教師としての 「共育への道」を 探求すること
それは 
子どもが魅了(みりょう)される 学びの世界へと導く 道程となる


きょうという日

にがてなこと
やりたくないこと
あきらめたこと

いやでにげだしたこと
とちゅうで なげだしたこと
あとでしようと ほったらかしたこと

それは みんな ほんとは しなきゃいけないこと
しなきゃいけないって おもっていたことばかり
きょう しなければならないことを
さきのばしに したことで
またきょうの日を むかえた
そして きょうの日も なにもしないで またすぎる

いつも いつでもやれるんだと
あんじを かけていた
いいわけだけが うまくなった
そして いつのまにか あたりまえに しなくなった
だから きのうも きょうも あしたも なんにもかわらない

なにもやっても むだだと
さもさも わかったようなふりをして
なんにもかんがえない なんにもしない なんにもかわらない 
“わたし”

このままずっと こうしていたら どうなるんだろう?
とつぜん そんな気もちに おそわれた
なんだか あたまも こころも からっぽになったような気分
それが 生きてるってこと?

そんな“わたし”に ようやくいやけがさしはじめた
するか しないか かんがえてきめるのは “わたし”
“ない ない ない”という 
こころのからを わらなきゃいけないって 気づいたら
むずかしくかんがえないで こころのままに ちょこっとうごいてみよう
いままでとは ちょっとちがった“こころの景色”が 見られるかも……
そこにきっと 信じられそうな“わたし”が 見つかるかも……しれない

えっ! だれかが“わたし”の手をにぎった!?

ふくしを詩う/鳥居一頼


ほころびを繕う

人は人によって 傷つく
ちょっとした 言葉のあやでも 
簡単に 傷つく

傷つきやすいのでは ない
人は 誰でも 傷つくのだ
傷つかないように 傷つけないように
絶えず 相手との距離をはかって 暮らす

小さなほころびは すぐに広がり 傷となる
だから ほころぶと 
すぐ繕(つくろ)わなければ 仕合わせは 続かない

気配り 心配り 目配り
その気配を察して 未然にほころびを防ぐ

なんという 気苦労か
なんという 徒労の連続か 
それが 世間に生きると いうことなのか
疲れ果て うとましく感じたそのとき はたと気づく

わたしもまた 鬱陶(うっとう)しく 煩(わずら)わしいという
世間の しがらみの中で
こころある人の
気配り 心配り 目配り によって
生かされていることを

逃げ出すことのできない 時空間に囚(とら)われた時代を
生きるしかないのなら
せめて こころのほころびを
慰藉(いしゃ)の手を持つ
あなたと
繕いながら 生きてみたい

 
群像~昭和・平成・令和を生きる人たち~

敗戦後 みんながみんな 貧しかった
北海道には 新しい住民もやってきた
樺太や満州からの引き揚げ者 親類を頼って身を寄せていた人もいた
厩に 家族身を寄せ合って 畑を手伝い わずかな食べ物をもらった
夏は ヤブ蚊にさいなまれ 冬は 身を切る寒さを耐えしのいだ
空襲で街を焼かれ いのちからがら 身一つで
新天地を求めて 来た人たちもいた
そこは 決して地味の良いところではない
開拓は 辛酸(しんさん)をなめる連続だった

北海道は 開拓以来 人はみな自然災害の脅威(きょうい)と闘い続けてきた
戦後も 貧しい暮らし向きは相変わらずだったが 
軍隊に 子どもをとられることはなくなった
兵隊も憲兵もいなくなり 
警察や役所が 思想や行動を弾圧・統制する力が弱まった
地域での お互いの監視や密告 ”非国民”となじりあうこともなくなった
平和が訪れたのだ

農家や漁師 炭鉱夫 工員は 強いきずなで結ばれ 厳しい労働にも耐えていた
あらゆる職場で 必死になって 男も女も 子どもも よく働いた
「からっぽやみ」(役立たず)と 大人に怒鳴られながら
仕事を要領よくこなすことを 子どもらは身をもって学んで育っていった

貧しいがゆえに 子だくさんでもあった
学校の教科書は 下の子はお下がり
上の子は下のきょうだいのために 汚さぬよう使わなければならない
だから 勉強しなかったと うそぶく
教室は 大勢の子どもでぎゅうぎゅう詰めだった
学校の勉強だけでいっぱいだったから 宿題は苦痛そのもの
日暮れまで 遊びほうけるのが 一番だった

近所も 子どもらで溢れていた
舗装(ほそう)されていない広い道路は 遊び場と化した
三角ベースボール 石蹴り かくれんぼ 鬼ごっこ 縄跳び パッチにビー玉 
だから余計に 雨の日は恨めしい 
狭い家で遊ぶのは つまらなかった
ただ 大相撲だけは ラジオから流れる中継に 一喜一憂した

裸電球が照らす下 丸いちゃぶ台を囲んだ
手垢(てあか)と鼻水で汚れた袖(そで)をまくって 
ひと皿に盛られたおかずの取り合いをする
笑い転げながら 喧嘩(けんか)しながら 子どもらは無性に明るい
叱りたしなめ、そして笑う母親の甲高い声が 狭い部屋に響く 
焼酎を美味そうに飲む 父親の満足そうな顔
ごくありふれた 家族団欒(かぞくだんらん)の風景だった
貧しさは それに抗(あらが)い立ち向かう 家族のきずなを強くした
卑劣で卑屈な自分を卑下する つまらないねたみ根性は 根絶やしにされていく
弱いがゆえに 助け合うことで生まれる 家族愛に包まれていた少年時代
ちいさな倖(しあわ)せを 分かちあう喜びで こころは満たされていった

子どもの成長が 親の生きがいだった
戦前戦中 学校に行きたくとも行けなかった親たちは 我が子の教育に 熱心だった
小学校では伸び伸びと遊んでいた子どもらも 中学ではテスト勉強に追われた
過酷な受験競争の まっただ中に放り込まれた
中学を卒業してすぐふるさとを出て 都会に集団就職する友だちを見送った
高校を卒業してすぐふるさとを出て 都会に就職する友だちを見送った
大学に進学するのは ほんの一握り 卒業後都会に出て行った
ふるさとに残った人たちが 踏ん張って 踏ん張って ふるさとを守り 育てた

高校や大学に進学した子どもらの 学費を稼ぐために 親たちはより働いた
景気がよくなり 暮らし向きも少しずつよくなっていった
子どもが いっちょ前(一人前)になっていくときに こう諭(さと)した
「親の面倒を見ることを考えずに 自分の好きなことに一生懸命頑張んなさい」
親もまだ若かった
親の言葉に背中を押された
高度経済成長という時代は 多くの若者を ふるさとから切り離し遠ざけていった
子どもらは かの地で家庭を持ち 住み暮らし 子育てした
そこが ふるさととなった

数十年後 老いた父母は 厳しい老後の暮らしを迎えていた
子どもらの多くは 父母のいるふるさとへ戻ることは なかった
子を送り出した 律儀(りちぎ)な父母たちは 
ふるさとを継承してきた 一人ひとりでもあった
決して 弱音を人前で吐くことはない
人の世話を焼いてきた人は 自分が人の世話になることを よしとはしない
子どもに迷惑をかけることは すまないと 自責の念にかられる
だから 倒れるまで 助けてとは 言わない 言えない
それが 貧しい時代を生き抜いてきた 父母の世代の生き方であり誇りだった 
最後の最後まで 生きることをあきらめない 生命力に溢れた世代でもあるのだ

ふるさとで懸命に働き 子育てして 社会に送り出した人たち
ふるさとの地で 老いてもなお暮らし続けることを覚悟した人たち
ふるさとの自然とひとのぬくもりを 大事に慈(いつく)しんできた人たち
ふるさとに 生きる希望と生きがいを 見出してきた人たち
ふるさとから 人生と愛郷心を 授けられた人たち
そして ふるさとで生きる覚悟をした 次世代の若き人たち
ふるさとの地で 子育てすることを選んだ かけがえのない若き人たち
さまざまな人が 出会いと別れを繰り返し 複雑に絡み合う
ふるさとの ”人生交差点”は いまだ往来(おうらい)が絶えない

いま ふるさとで 生き暮らした先代たちが 老いていく
当たり前の世代交代に 戸惑うことなく 先代の意志を継ぎ 
倒れそうな人を 支えていくことを決心した
一日でも長く ふるさとの我が家で暮らし続けるための手助けを そのおもいを
次の世代に手渡していくために ”ここで動く人”たち

いま ふるさとで 若き人たちが 子育てに奮闘する
子育てに悩み苦しんだ先に 咲きほころぶ喜びが 訪れることを願って
決してひとりぼっちには しない なってほしくない
そばに寄り添ってあげられるだけかもしれないけれど
でも 明日への夢を 希望にかえてあげたいと ”ここで動く人”たち

お節介かも知れない
けれど 手を握り返してくれたら 力を貸したい
だから「私の役目」を知り ただそうするだけ
困っている人を 助けてと声に出せない人を
そのままほっておくことは 私にはできない
「そんな薄情(はくじょう)な人間にはなりたくない!」 
私の中の ”わたし”が 叫ぶ

その声に突き動かされたように
同じおもいを持つ仲間に支えられ
きょうも 明るく笑顔で 心配事の「御用聞き」
私のボランタリーな活動が 始まる
   
いままでここで頑張ってきたんだから 
一人で悩まず 少し肩の力を抜いて 一緒に考えましょう
別れ際「ありがとう 頼むね」って 声がけする
「頼むね」って 一体なにを頼まれたの?
一瞬 戸惑うあなた
ただ人は何かを頼まれたことで 一方的な弱者の立場から 逃れられる
人は「からっぽやみ」になることを 恐れる
世間に顔向けできる 心くばりのキーワード「頼むね」 
その人にも 大事な「役目」を持って生きている証のことば

少し前向きに ”いま”を あなたと生きたい
それが このまちで生き暮らす 
わたしのちいさな願いなのだと 得心(とくしん)がいった 
だから 自分に「頼むね」って いつも声がけしながら
あなたと 向き合う

 
助かるわ

夫婦二人のところに
精米した新米が たんと送られてきた
すぐには食べきれんから ご近所さんに ちょっとお裾分け
「お米嬉しい 助かるわ」
「なんもさ うちも助かるんだから」

買い物の帰りに 町会の人の車に 乗っけてもらった
小雨がぱらついてきて 荷物もあったから
「助かったわ」
「なんもさ 雨の中 ほっとかれんからね」

家のもんが だれもいなくて ひとりでいたら
突然胸が苦しくなって 消防に電話した
「助けて!」
サイレンならして 救急車が飛んできた
したら 隣の奥さんが 駆けつけて来て
「大丈夫?」っていいながら 病院まで付き添ってくれた
「本当に助かったわ」って こころから感謝したら
「お互い様だよ」って 返ってきた

「助けて!」って 相手に負担をかけると 知っているから
なかなか 言いだせないことば
「助かるわ」って すぐに出てくる 感謝のことば

「助かるわ」「助かったわ」ということばは
他人(ひと)とのかかわりを 和ませる
そのかかわりの さりげなさが
いざというときに「助けて」って すぐに伝えることばに変わる

だから 「助かるわ」「助かったわ」は
お互いの助け合いや支え合いを 身近に感じることばとなる
そのこころは あなたを信じ 分かち合いから生まれ 育まれて さらに豊かになる

それは 一人ひとりに宿る こころの風景そのもの
わたしのまちの 「愛ことば」
「助かるわ」「助かったわ」「なんもさ」「お互い様」
愛ことばの往来が
わたしのまちを ぬくもりあるまちへと 突き動かす

 
義理を果たす

87歳のばーさまは 14、5年前に 連れ合いが死んでから
あの家で 気丈に独り暮らしをしていたんだよ。
子どもらは 村を出ていって 家さ帰ってくることは 滅多にない。
でも若いときから よく村のために尽くしてくれた夫婦だった。
お人好しで 何でも二つ返事で引き受けてくれたもんだよ。

身体が動いて元気なときは 若妻会だといって
サロンに 歩いてよく通ってきてた。
昔話に花を咲かせていたり ゲームや体操したりして
楽しそうに身体を動かしてさ みんなと笑っていたっけ。

小さな畑さこしらえて 一人ではもうこれっくらいが丁度いいって
毎日飽きずに 畑仕事をしていたっけ。
冬支度にかかる頃には 畑の始末も上手かったね。
裏山から薪さ背負ってきては まてい(丁寧)に軒下に積んでいた。
そうなんだ 灯油は 銭っこかかるっていってね
薪ストーブ焚いていたんだわ。
薪はそれでも 知り合いに頼んで割ってもらってたね。

年金だって 月たった3~4万円だったよ。
だから よく辛抱していたね。
明るい人だったから 愚痴ってるのを あんまり聞いたことなかったけど
一度 ぽつんと しゃべったことがあったわ。

「義理は欠けないね」
「どうしたの?」
「いやいや また世話になった人が 亡くなったって知らせがきて
 香典包まねばなんないのさ」
「物入りだね」
「うんだ。この歳になると 世話をかけた人がみんな先に死んでいく。
 じさまの葬式もみんなにお世話になって出させてもらったしね。
 じさまの親戚やわしの親戚 知り合いや隣近所にも ずいぶん世話になってきた。
 恩のある人もまだまだいる。
 だけど そろそろお迎えのくる歳に みんななってきたんだわ。
 わしより若く亡くなった人もいてね。長生きすればするほど、見送らねばなんない。
 知らせがくるたんびに 義理欠くわけにはいかないしょ」
「それは大変だね」
「浮世の義理さ欠いて あの世さ行ったときに じさまに会わせる顔がない。
 死んでまでも肩身の狭い思いさ かけたくないしょ。
 これがわしの最後のお勤めなんや」
と寂しげに笑った。

よほど やりくりが苦しかったのかも知れない。
年に十度ほど 香典を包むという。
葬儀には出ることは出来ないが 香典だけは欠かさない。
いままでお世話になった恩返しに 香典を包む。
義理を果たすことで 報われると信じている。
暮らし向きは厳しいけれども 自分が辛抱することで 義理を果たそうとする気概。
世間に後ろ指を指されぬよう じさまにあの世でよくやったと褒めてもらえるよう
世間の習わしのなかで 懸命に生きてきたのだ。

務めを終えた その安らかな表情に 南無阿弥陀仏と唱え 合掌した。
夫婦の今生での義理を欠くことなく 浄土へと旅立った。
村の会館での葬儀のおかげで みんな最期の別れもできた。

喪主の子も 老齢期を迎えていた。
母親が この村に残した人とのぬくもりを きっと感じていたであろう。
その義理を果たすことはできないと 親不孝を恥じ入るかもしれない。
失って初めて知らされる 母の温情と恩情が漂う しめやかな葬儀となった。

 
小さな希望のともしびをかかげてください

地域に住む ひとり暮らしの老婦人を 訪れた
若いときには みんなお世話になった
「何か変わったことはない?」
なにか言いかけて 飲み込まれることば
「なんかあった?」
「ううん」
息を吐くように もれた短いおと
「何か心配事?」
「何にもないよ、大丈夫!」
静かに微笑みながら きっぱり答えた
とりとめもないおしゃべりをしながら 
いつもの様子に安堵して おいとまをする
見送る気配を感じて 振り向いた
玄関口で 深くうなずきながら 手を振ってくれた

日々の暮らし向きは 決してゆるくはないはず
そのことを ひとつもこぼすさず 
微塵(みじん)にもみせず いつも毅然としていた
静かな佇(たたず)まいの中に 
ふと その人の存在の重さを感じた 

「大丈夫」
毎日 自分に言い聞かせるように
今日も地域で ひとりで暮らすことを確かめる 自問自答
きっと 
困っていること してほしいこと 不安なこと ばかりだろう
耳をそばだてても 躊躇(ちゅうちょ)して話さない
人に頼ることに 姑息(こそく)な自分を 恥じ入るのか
いま甘えたら 耐えていたものが
堰(せき)を切ったように 一斉に吹き出して
取り返しがつかなくなる
恐れているのは 依存心と無気力感
そして世間体
だから 誰にも迷惑をかけぬよう 
微笑みに 不安を閉じ込めて そこに生きる

厳しい世の中の 冷たい風が吹くたびに
こえぬよう ひたすら耐える
弱き者たちが いつの世でも 忍従を 強いられる
それが 長寿社会を謳(うた)ってきた 日本の末路となった
でも 屈しない 屈してはならない
気負わず したたかに 生きていく
それが 市井(ちまた)の「民の才覚力」だ

「おばちゃん 遠慮せず もう少し迷惑をかけてください」  
私のこれから行く道に 
おばちゃんが 世の中の風に翻弄(ほんろう)されながらも
かかげる小さな灯火(ともしび)が ゆるがない希望の道しるべとなるのだ
だから 明日もまた会いに行こう
「大丈夫?」 
「うん なんともないさ」
「がまんしないでね」
「あんたが 会いに来るから 大丈夫!」

 
わたしがここで暮らす理由(わけ)

いやな予感が 当たった
暴風雨の夜 
突然テレビの画面が消えて 真っ暗になった

停電は 
闇夜(やみよ)に ひとり放り出された気分
懐中電灯が もの悲しく 闇を射る

突然 どんどんどんと 強く戸を叩く音と 怒鳴り声
雨風の音に 逆らいながら
「おばちゃん、大丈夫かい! ここから逃げるぞ!」
慌てて戸を開ける
「どうした!」
「裏の川があふれるかもしんねえ。急いで逃げるぞ!」
手荷物を抱えて 降りしきる豪雨の中 車に乗った

眠れぬ朝が 静かに明けた
家は 無事だった
ほっとして 張り詰めていたこころが 緩(ゆる)んだ
「大丈夫?」と 隣の嫁さんが 声をかけてくれた

誰か彼かに 気遣ってもらいながら 今日も無事だった
仕合わせは きっと こんな暮らしの中にある
一人暮らしだけど ひとりぼっちではない

電気は まだ通じない
でも 
他人(ひと)との こころの通じ合いが 
わたしの暮らしを さりげなく 支える

だから 決めた
もう少し 甘えようと 
できれば ここで … いのち尽きたい
きっと おもいが叶うと信じて 
今日を生きる

 
看取る

86の男が この夏 老衰で逝った
死の宣告を受けて1年半 長らえた
医師は なにかの時は電話を寄こすよう 指示した
家族も 承知して 看取られた

ここは 知的障がい者の更正施設
老男は ここで 長年暮らしていた
老人施設に移すことも 考えた
環境の大きな変化は 老男の余命を縮める
医師と家族と相談し 施設で看取ると 覚悟を決めた

障がい者施設は 介護施設ではない
それでもなお かけがいのない存在として その人の尊厳性を護りたい
その人がその人らしく 暮らし 生きて 死ぬ
当たり前の人生を ここで全うすることを 優先した

地方の施設は 慢性的な人材不足に あえいでいる
ここも 職員不足は 深刻だった
さらに 50人の居住者の高齢化は 容赦ない
それでも 看取ることを決めた
予備軍は すでに二人いる
これからも 増えていくだろう
だからいま 看取りの体制とノウハウを 学ばなければならない

障がい者の 社会的自立が重視され
施設からの地域へと 国は奨励した
地域にグループホームをつくり 収容しただけのことだった
障がい者の雇用先は 地方であればあるほど 皆無なのだ
どんな自立が あるというのか
地域環境や就労保障を 未整備なままに捨て置いて 
霞ヶ関の美しい理念が 一人歩きする

仕事もなく ホームで暇を持てあます 怠惰な日々
施設にいれば 一員としてできることもあった
老いると グループホームから 追い出されるのか
特養ホームに入ることは できるのだろうか
課題 未解決のまま 積み上げられていくだけ
障がい者の家族も ともに老いていく
最期を 誰が看取るのか 
置いていく者 置かれていく者の 心配の種は尽きない

だから 看取りを決心した
最期まで 面倒をみることで 家族も安心した
厳しい職員体制のなか 職員の合意と協力を得なければならない
勤務内容は もっとしんどくなるはずだ
高齢者施設ではない
だから 介護するための設備はない
バリアのある暮らしに慣れているとはいえ 安全への対策には 限界がある
批判を承知で 取り組んだ
職員を 福祉人として さらには人間として成長させる
教育機会とも とらえ直した
一人体制の宿直 不安を抱えての巡視
日中は 職員の接遇が 優しさを育む

知的障がい者施設が 高齢者を抱え出しても 国は何も手当しない
介護保険のサービスを 施設が提供することはできない
デイサービスは 外部に依頼するしかない
高齢者を抱えていく 知的障がい者施設の
これからのビジョンを いま打ち立てなければ
路頭に迷う当事者と 家族が生まれる
経営の視点から 介護保険事業所を立ち上げ 
高齢者介護に対応することも 想定しなければならない
だから 職員の就労意欲を喚起し 
現場発信を尊重した 取り組みが求められる
出来ること 出来ないことを ふり分けしながら
まずは出来ることから していかなければ 前には進めない
覚悟を決めた男は そうつぶやいた

看取りは 課題提起の一里塚
看取った施設の 誇りとなった
老衰した男の葬儀は 施設でしめやかに執り行われた 

 
書く

文字を 小学校で習った以来
手紙すら書くこともなく
出す相手も いなかった わたし
勉強だって 好きじゃなかったから
本を読むのも 苦手だった
乳飲み子の妹をおぶって 通った学校
勉強に飽きたら
妹を泣かせて 校庭に退避した

年頃になり 口減らしで 隣村の貧しい農家に嫁いだ
山間の小さな村の 村はずれの小さな藁葺き土壁の家
朝から晩まで 野良仕事 子育てに追われる 毎日だった
そんな暮らしに こころがポカっと あいたまま ただ流された
誘われて 村の若妻会に ある晩顔を出した
農家の女も 自分のおもいを溜め込まないで
思ったことを 何でもいいから「書いてみれ」
そこに招かれた「女先生」に言われた

書くこと
考えた事もなかった
書くこと
ひらがなしか 書けなかった
書くこと
そったら時間なんか あるわけなかった

衝動が走った
「書きたい」
理由なんか ない
「書きたい」
暮らしの足しに なるはずない
「書きたい」
見返りなんか 期待もしない
「書きたい」
自分のいまのおもいを ぶつけたい

夜半 子どものちびた鉛筆を 手にした
おそるおそる 思い浮かぶコトバを 書きだした
小学校以来 初めて書いた綴り方
なんだか 嬉しくなった

この紙一枚の世界に 自分の書いたひらがなが 踊っていた
ただそれだけで こころが 休まるように 感じた
この紙一枚の世界に 自分の本音を 吐き出した
ただそれだけで こころが 落ち着いた
この紙一枚の世界に 嫁の過酷な苦しみから 一時(いっとき)逃れられた
ただそれだけで こころが満たされた

この一枚の世界だけが “わたし”という存在を明かす 自己の証明(しるし)
この一枚の世界だけが “わたし”に許された 思考の時間(とき)
この一枚の世界だけが “わたし”のこころを解放した 自由な空間(ばしょ)

「書く」ということ
文字を知った人間の 本質的な行動
それを 阻(はば)むことは 決して許されない
「書く」ということ
誰にも与えられた わき上がってくるおもいの表現方法
それを 拒(こば)むことは 決して許されない
「書く」ということ
社会的身分や血筋家柄 学歴や貧富を越えた 自由意志の世界
それを 否定する人は 
人間辞めなさい

福祉教育の歴史と理念/阪野 貢

福祉教育の歴史と理念/阪野 貢

最近の福祉教育の実践や研究をめぐっては、「他地域の実践事例を見聞しても、以前のようにワクワク感が沸かなくなってきた。」「現場における実践的研究の重要性が認識されていない。またその研究の独自性の追求が弱い。」「教育実践と研究活動は不可分であり、往還関係で捉えることが重要である。」「現場実践と研究をつなぐ仕掛けやシステムはどうあるべきか。それはどのように機能すべきか。」「実践現場の課題と大学人らによる研究の課題設定にズレが生じているのではないか。」「研究者による実践評価の基準がよく分からない。基準の開示すらない。」「教育学分野からの福祉教育研究が期待したほどには進展しない。」「学会発表でも研究の視点や枠組み、データの収集・分析方法などに曖昧なものが散見される。」等々、多くのことが指摘されている。
「ズレ」に関しては、筆者は、最近の政治(政策・制度)による新しい歴史の始まりと実践現場とのズレ、個別的実践への政治的意向の反映や統制、なども気にかかる。「福祉教育を通していま守るべきものは何か、拓くべきものは何か」。主体的・自律的な福祉教育実践と研究の意義や方向性が、以前にも増して厳しく問われているように思うのは筆者だけであろうか。
そういうなかで、課題解決のための方向性や対応策を見出すためには先ず、歴史に学ぶ必要がある。そこで、本稿では、「福祉教育のあゆみ」についてその一文を紹介することにする。コンパクトに要領よく説述されている原田正樹(日本福祉大学)のものである。併せて、関係資料と筆者の管見の一部を記しておく。なお、福祉教育の通史と歴史研究に関しては、次の文献も参照されたい。
(1) 阪野貢「福祉・教育改革と福祉教育のあゆみ」村上尚三郎・阪野貢・原田正樹編著『福祉教育論』北大路書房、1998年3月、2~13ページ。
(2) 杉山博昭「福祉教育の歴史」阪野貢監修/新﨑国広・立石宏昭編著『福祉教育のすすめ』ミネルヴァ書房、2006年4月、22~33ページ。
(3) 田村禎章「戦後の社会福祉・教育・福祉教育関係略年表」「資料」「参考文献」」阪野貢監修/新﨑国広・立石宏昭編著『同上書』202~246ページ。
(4) 三ツ石行宏「福祉教育史研究の現状と課題」『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』Vol.22、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2013年11月、68~76ページ。

「福祉教育の考え方―福祉教育のあゆみは?」
福祉教育が成立してきた背景には、児童の健全育成を意図した流れと、地域福祉の推進を意図した流れの、ふたつの大きな流れがあります。[注1]
児童の健全育成のための福祉教育
児童の健全育成を意図した取り組みは、すでに終戦直後から始まっています。当時は、人間性の信頼の回復をめざして、子どもたちに社会事業(今日の社会福祉)を通して教育しようという趣旨から始まりました。共同募金会による副読本作成や、徳島県での子供民生委員制度(子どもたちが自らの生活課題に気づき、それを解決していくことを目的に実践を展開した活動)、大阪市民生局による副読本作成や神奈川県での社会事業教育実施校制度(その後の学童・生徒のボランティア活動普及事業の原型になっていく)、日本赤十字による青少年赤十字活動(JRC)などが有名です。[注2]
高度経済成長により都市化・過疎化がすすみ、核家族も増えていきました。また1970年代頃から、「受験戦争」という用語に代表されるような偏差値重視の教育、校内暴力や家庭内暴力といった問題が顕在化してきました。子どもたちを取り巻く変化のなかで、福祉教育やボランティア活動が重視されるようになってきます。これらの取り組みが1977年の「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(国庫補助事業)開始につながります。この制度によって学校における本格的な取り組みが全国各地で行われるようになりました。[注3]
2002年には「総合的な学習の時間」が本格的に導入されるなど、子どもが自ら学び自ら考える力などの全人的な「ともに生きる力」の育成をめざし、教科の枠を超えた横断的・総合的な学習が学校・家庭・地域との連携のもと実施されるようになってきています。[注4]
地域福祉推進のための福祉教育
地域福祉の推進を意図した福祉教育実践は、1960年代の後半から始まります。高度経済成長を背景に地域や家庭の機能が変化していくなかで、地域福祉活動を推進していくために住民への啓発活動が必要になり、具体的な方法論として福祉教育が位置づけられていきます。当時の保健婦(現・保健師)による地域保健活動や公民館での社会教育活動に影響を受けながら、社会福祉の分野でも、地域のなかでの教育活動の必要性が高まっていきました。特に、社会福祉協議会はこのことを意識して取り組むようになります。
1993年には、社会福祉事業法の改正に基づいて「国民の社会福祉に関する活動への参加の促進を図るための措置に関する基本的な指針」が示されます。このなかでは「幼少期から高齢期に至るまで生涯を通じた福祉教育・学習の機会を提供していく必要がある」として、その重要性が位置づけられています。その後、全国社会福祉協議会が中心となって、地域福祉を推進するための福祉教育のあり方について研究会を重ね、報告者(ママ。報告書)や事例集などにまとめられ、市町村社会福祉協議会が中心となって地域福祉推進のための福祉教育を展開してきました。[注5]
こうした実践に対して、1980年になって「福祉教育研究」が深まっていきます。これまでの実践が整理されるなかで、考え方や構成要件などについて一定の合意ができてきました。考え方としても、児童健全育成と地域福祉推進というふたつの流れがまとめられ、福祉教育という領域が整ってきました。特に子ども・青年の発達のゆがみと福祉教育の有効性、地域福祉の主体形成と福祉教育の必要性について、実践研究と理論化がすすみました。
1995年には日本福祉教育・ボランティア学習学会が設立されます。福祉分野だけではなく、教育分野との学際的な研究が始まります。特に、今日の教育改革や福祉改革のなかで注目が高まり、各方面から期待されるようになってきました。近年では「福祉教育を通して何を学び、何を伝えるか」という質の議論がされるようになり、ICF(国際生活機能分類)やリフレクション(ふりかえり)の視点、社会的包摂を意図したプログラムの研究がなされてきています。また昨今、社会的孤立や排除などによる孤立死やひきこもりなどの今日的な課題に対しての地域福祉のアプローチとして、地域住民への福祉教育が注目されてきています。[注6]
(原田正樹「福祉教育のあゆみは?」上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会、2014年3月、12~13ページ)

[注1]福祉教育の源流
福祉教育の源流をどこに求めるかは、福祉教育そのものをどのように捉えるかによって見解は異なる。筆者は、明治後半期から内務省地方局主導のもとで推進された地方改良運動の「自治民育」の取り組みのなかに、福祉教育実践の側面や要素が含まれていたと考えている。また、大正デモクラシー期の新教育運動や昭和初期の郷土教育運動、そして1930年代の生活綴方教育運動などにも注目する必要があると思っている。今後の研究が俟たれるところである。

[注2]戦後初期の福祉教育実践
敗戦から1955(昭和30)年にかけての福祉教育実践については、(1) 1946年12月、平岡国市による徳島県の「子供民生委員制度」の創案、(2) 1948年4月、青少年赤十字(1922年6月発足)の組織変更と奉仕活動の再開、(3) 1948年8月、中央共同募金会による教材用資料『国民たすけあい共同募金―社会科教材参考資料―』の刊行、(4) 1950年4月、神奈川県における「社会事業教育実施校制度」の創設、(5) 1953年4月、鳥取県八頭郡社会福祉協議会による「社会福祉事業教育指定校制度」の設置、(6) 1949年5月、大阪市民生局による中学校社会科副読本『明るい市民生活へ―社会事業の話―』の刊行、などが有名である。定説となっているこれら以外の、全国各地における福祉教育実践(学校教育や社会教育、ヒトや組織・団体等)に関する史料の発掘が求められる。なお、(1) 子供民生委員制度については、大阪府河内市(現・東大阪市)や松原市でも設置されていたが、その史的研究は皆無である。

[注3]福祉教育研究における2つの画期
福祉教育研究の画期をなす重要な事項を二つあげるとすれば、(1) 1970年11月に東京で開催された「昭和45年全国社会福祉会議」(全国社会福祉協議会・厚生省・中央共同募金会等主催、参加者約1,800名)と、(2) 1995年10月に設立された「日本福祉教育・ボランティア学習学会」(於・日本社会事業大学、当初会員268名)である。(1)では、「社会福祉の理解を高めるために―教育と社会福祉―」というテーマのもとに、福祉教育についての、全国レベルでは初めての研究協議が行われた。(2)は、学校現場や地域における福祉教育実践の質的向上と、福祉教育研究の学問としての体系化が求められるようになったことを背景に設立された。

[注4]福祉教育の時期区分
福祉教育の展開を年代順に概略整理すると次のようになるであろうか。
1970年代:各地における学校中心の福祉教育実践の促進
1980年代:福祉教育実践の全国的展開と理論化の推進
1990年代:学校や地域における福祉教育実践の拡大と多様化
2000年代:福祉教育に関する制度の硬直化と実践の形骸化
2010年代:各地における福祉教育実践の二極化と学会における課題別研究の進展

原田は、「福祉教育の変遷」を年代記的に次のように整理している。参考に供しておく。
1960年代:高度経済成長、ライフスタイルの変化、受験戦争
1970年代:学校による「こどもたちの豊かな成長を促すための福祉教育」/社協による「地域福祉を推進するための福祉教育」の先駆け
1980年代:「福祉教育とは何か」 理論・概念の議論
1990年代:「福祉と教育の接近性」厚生省や文部省の福祉教育の位置づけ
2000年代:「総合的な学習の時間」の位置づけ・とりくみの広がり/→福祉教育実践の形骸化・質の問い直し/「福祉教育を通して何を学び、何を伝えるか」 質の議論へ
(原田正樹『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版、2009年11月、32ページ)

周知の通り、歴史の時代(時期)区分は、歴史の単なる指標ではない。それは、歴史的事象の本質的な内容や流れを把握し理解するための研究の視角や方法に基づくものでなければならない。それ自体が重要な学術的見解(成果)である。福祉教育史研究の進展を願って、再認識しておくことにする。

[注5]全国社会福祉協議会による福祉教育の研究協議
全国社会福祉協議会によって取り組まれた福祉教育の研究協議の成果物(報告書、事例集)を紹介する。ここでの課題は、それぞれの成果物(product)を通して、研究協議の成果内容についてはもちろんであるが、研究協議が要請された時代的背景や福祉・教育関係者の問題意識を把握・分析することである。それによって、福祉教育の歴史的展開の意義や問題点とその要因などを明らかにすることができる。
(1)『福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―』(福祉教育研究委員会中間報告)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月。
(2)『学校外における福祉教育のあり方と推進』(福祉教育研究委員会中間報告)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月。
(3)『学校における福祉教育の推進体制と指導案』(岩手県・島根県・山口県福祉教育研究委員会報告)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月。
(4)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編『福祉教育ハンドブック』全国社会福祉協議会、1984年11月。
(5)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編『ボランティア・福祉教育研究』創刊号、全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センタ、1982年3月。
(6)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編『ボランティア・福祉教育研究』第2号、全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センタ、1983年9月。
(7)全国ボランティア活動振興センター編『福祉教育連絡会資料集』全国社会福祉協議会、1990年3月。
(8)『学校における福祉教育ハンドブック』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1994年3月。
(9)『福祉教育推進資料集』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1995年3月。
(10)『福祉教育モデル事例集 地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1996年3月。
(11) 『福祉教育ワークブック』(福祉教育プログラム研究委員会 平成10年度研究報告書)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1999年3月。
(12)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター/地域を基盤とした福祉教育・学習活動の推進方策に関する研究開発委員会編『福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会、2003年1月。
(13)『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、2005年11月。
(14)『社協がやらねばだれがやる「社協における福祉教育推進検討委員会報告書」』(ダイジェスト版)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、2006年3月。
(15)『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育実践研究シリーズ①)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター・福祉教育実践研究会、2008年3月。
(16)『学校・社協・地域がつながる福祉教育の展開をめざして』(福祉教育実践研究シリーズ②)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター/福祉教育実践研究会、2009年7月。
(17)『住民主体による地域福祉推進のための「大人の学び」』(福祉教育実践研究シリーズ③)全国社会福祉協議会/全国ボランティア・市民活動振興センター、2010年11月。
(18)『地域福祉は福祉教育ではじまり福祉教育でおわる』(福祉教育実践ガイド)全国社会福祉協議会/全国ボランティア・市民活動振興センター、2012年3月。
(19)『地域との連携によりはぐくむ ともに生きる力』(リーフレット)全国社会福祉協議会、2013年3月。
(20)『社会的包摂にむけた福祉教育~共感を軸にした地域福祉の創造~』(平成24年度社会的課題の解決にむけた福祉教育のあり方研究会報告書)全国社会福祉協議会/全国ボランティア活動・市民活動振興センター、2013年3月。
(21)『社会的包摂にむけた福祉教育~実践にむけた福祉教育プログラムの提案~』(平成25年度社会的包摂にむけた福祉教育のあり方研究会報告書)全国社会福祉協議会/全国ボランティア活動・市民活動振興センター、2014年10月。
(22)上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会、2014年3月。

[注6]日本福祉教育・ボランティア学習学会における福祉教育研究
日本福祉教育・ボランティア学習学会の『年報』『研究紀要』の特集号「タイトル」を紹介する。福祉教育の研究課題の変遷について知ることができる。それ以上に、ここでは、福祉教育の構成要素と構造(内容)について多面的・多角的視点から精緻に考察することによって、科学的・体系的な福祉教育理論の構築が期待される。そのためには、先を見通した組織的・継続的な課題設定と追究が必要かつ重要となる。
(1)「日本福祉教育・ボランティア学習学会設立総会・第1回大会報告」『年報』Vol.1、1996年7月(新訂改版、1998年10月)。
(2)「高等教育機関とボランティアネットワーク」『年報』Vol.7、2002年12月。
(3)「福祉科教育法の確立をめざして」『年報』Vol.8、2003年12月。
(4)「地域づくりと福祉教育・ボランティア学習実践」『年報』Vol.9、2004年12月。
(5)「学会創立10周年 これまでの10年 これからの10年」「『介護等体験』の学習支援システムの構築」『年報』Vol.10、2005年12月。
(6)「福祉教育・ボランティア学習における当事者性の位置」『年報』Vol.11、2006年11月。
(7)「福祉教育・ボランティア学習の実践を評価する」『年報』Vol.12、2007年11月。
(8)「高校福祉科の高度化と多様化」『年報』Vol.13、2008年11月。
(9)「持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」『研究紀要』Vol.14、2009年11月。
(10)「地域を基盤とする福祉教育推進プラットホーム」『研究紀要』Vol.16、2010年11月。
(11)「学校教育における福祉教育・ボランティア学習の役割と可能性」『研究紀要』Vol.18、2011年11月。
(12)「福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション」『研究紀要』Vol.20、2012年11月。
(13)「メンタルヘルス課題を学習素材とした福祉教育」『研究紀要』Vol.22、2013年11月。
(14)「いのちの持続性と福祉教育・ボランティア学習」『研究紀要』Vol.24、2014年10月。
(15)「“サロン”の可能性を探る福祉教育・ボランティア学習」『研究紀要』Vol.25、2015年10月。

付記
全国社会福祉協議会/全国ボランティア・市民活動振興センター(全国ボランティア・市民活動振興センター運営委員会/社協ボランティア・市民活動センター強化方策検討のための研究委員会)が、2015年8月、「市町村社会福祉協議会ボランティア・市民活動センター強化方策2015」を策定した。近年のボランティア・市民活動や社会福祉協議会を取り巻く情勢を踏まえて、市区町村社会福祉協議会ボランティア・市民活動センターの今後のあり方を強化方策として纏めたものである。
そのポイントが、『ボランティア情報』No.461、全国社会福祉協議会、2015年10月、2~5ページに掲載されている。そこに、上記研究委員会の委員長を務めた原田が一文を寄せている。「社会福祉協議会と福祉教育・ボランティア学習」について考える際のひとつの視点や視座を学ぶことができる。その一部を紹介しておくことにする(文中の「ボランティアの終焉」という言辞に関しては、仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学』名古屋大学出版会、2011年2月、を参照されたい)。

「強化方策2015」は、全国の市町村社協のボラセンはこうあるべきである、という内容をとりまとめたものではありません。(中略)社協ボラセンに、今後求められるであろう「機能」を整理したものです。
その背景には大きな問題意識がありました。市町村社協におけるボラセンの位置づけの曖昧さ(二極化)があること。ボランティア支援のあり方が変化していること。ボランティア団体の高齢化や活動のマンネリ化、新しい活動層へ広がっていかない。災害時などボランティアへの期待が高まる一方で、ボランティアが安上がりなマンパワーとして制度化されつつあること。例えば「有償ボランティア」とか、ボランティアのポイント制度など、そもそもボランティアとしてありえない話が行政主導で提案され、問題意識も持たずにそれを社協が推進しているような状況は、まさにボランティアの終焉かもしれません。
あらためて「ボランティア」と「コミュニティサービス」をしっかり使い分けて考えていくこと。地域福祉の基本にある住民主体の意味とその方法を問うこと。その上で地域ニーズの変化に対応できるボラセンのあり方を模索することが大切であるという意見が交わされました。
市区町村社協が担うボラセンの最大の機能は「プラットホーム」です。社協組織本体ではすぐにつながりにくいところとも、ボラセンとして関係をつくることができます。そのネットワークが、結果として地域のなかの「協議体」の役割を果たしていくのです。(『上掲誌』5ページ)

上記の「強化方策2015」では、「福祉教育」の流れとともに、「学校教育」におけるボランティア活動に関する理念の変遷について、次のように整理している。記述の視点や内容に気になるところもあるが、参考のために付記しておくことにする。

「学校教育」
▽学校教育におけるボランティア活動に関係する大きな流れとして、次のような理念の変遷があります。
▽2001(平成13)年に学校教育法・社会教育法が改正されました。社会教育法では青少年に対し、ボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動その他の体験活動の機会を提供する事業の実施及びその奨励がうたわれました。
▽2002(平成14)年には中央教育審議会において、「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について」が答申されました。そこには、奉仕活動等に対する社会的気運の醸成、国民の奉仕活動・体験活動を推進する社会的仕組みの整備、18歳以降の個人が行う奉仕活動等の奨励・支援、といったことが書かれました。
▽また、ゆとり教育の導入と廃止が福祉教育の推進などに大きな影響を与えています。知識重視型の教育を経験重視の方針に切り替え、2002(平成14)年度に施行された学習指導要領による教育で具体的に実践されました(学習内容、授業時間数を3割減、完全週5日制、総合的な学習の時間の新設、「絶対評価」の導入等)。
▽同じく、2002(平成14)年の学習指導要領におけるゆとり教育の総合的な学習の時間の新設により、福祉教育の学校における活発な展開が期待されました。
▽2006(平成18)年に教育基本法が改正され、「生涯学習」が教育に関する基本的な理念として規定されました。これにより、学校がめざすべき「生涯学習社会を担う児童生徒の育成」についての二本の柱が明らかになりました。一つは、「生涯学習能力の育成、生涯にわたって学び続ける力の育成」、もう一つは「社会の形成者として必要な資質能力の育成、学びの成果を公共のために活かす力の育成」というものです。
▽2008(平成20)年の教育再生会議の最終報告書において、ボランティアや奉仕活動を充実し、人、自然、社会、世界とともに生きる心を育てることが盛り込まれました。
▽しかし、ゆとり教育が学力の低下をもたらしているという指摘がされるようになると、2008(平成20)年には、いわゆる「脱ゆとり教育」へと方向転換し授業量を増加させた学習要領が実施されることとなりました。この新しい学習指導要領では知・徳・体のバランスが重視され、道徳教育や体験学習の重要性が強調されました。(『強化方策2015』12ページ)
 
 

福祉教育とは、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(「学校外における福祉教育のあり方と推進」全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、15ページ)。

ここ10年ほどの福祉教育学界は、地域福祉の主流化が進むなかで、良しにつけ悪しきにつけ、その視座が「教育と福祉」から「地域福祉と福祉教育」に矮小化され、俯瞰的議論から遠ざかっているようである。また、実践を支える理論や思想・価値、歴史などへの関心は未だ低い。実践方法の原理・原則の探究が不十分であり、理論的枠組みも不明確な福祉教育実践論が展開されているようでもある。

1 福祉教育の概念規定
上記の福祉教育の概念規定は、30年以上も前に大橋謙策によってなされたものである。今日においてもしばしば引用される。この概念規定以外にも、「福祉教育とは何か」について論考したものは複数、捉え方によっては多数あるが、大橋のそれがよく援用される。それは、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因するといってよい。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのであろう。
周知のように、全社協・全国ボランティア活動振興センターが1980年9月、「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)を設置し、翌1981年11月に「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」について研究の中間成果を纏め、報告した。委員会の設置は、全国各地で福祉教育実践の進展が図られ、学校における福祉教育のあり方について一定の理論的整理が求められるようになってきたことへの対応であった。次いで、1982年9月に第2次の「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)が設置され、翌1983年9月に「学校外における福祉教育のあり方と推進」と題する中間報告が行われた。大橋の福祉教育の定義は、第1次ではなく、「第2次福祉教育研究委員会」報告のなかで述べられている。そこではまた、次のように述べられている。「社会教育行政における福祉教育の促進には二つの視点が『車の両輪』としてなければならない。第一は、国民が社会福祉問題を学習し、それへの関心と理解を促進させる福祉教育活動の促進であり、第二には、今日の社会福祉問題の中心的課題を担っている障害者、高齢者の社会教育(学習、文化、スポーツ活動)の促進である」(15ページ)というのがそれである。後者(「第二」)に関してはさらに、「今日の社会福祉サービスの主たる対象である障害者、高齢者の学習、文化、スポーツ活動を豊かに促進させることが、国民の障害者観、老人観を変え、ひいては社会福祉観を変えて、ともに生きていく街づくりをすすめる上で重要」(16ページ)であるとされた。
ところで、大橋のこの定義は、全社協の「第2次福祉教育研究委員会」報告以前の1982年3月、神奈川県の「ともしび運動促進研究会」(委員長・大橋謙策)が編集し、「ともしび運動をすすめる県民会議」が発行した『ともしび運動促進研究会中間報告』で述べられている(4ページ)。「ともしび運動」は、長洲一二県知事の提唱によって、1976年10月から展開された行政・県民協働の福祉コミュニティづくり(自立と連帯のまちづくり)運動である。具体的には、「障害者の自立促進を」「おとしよりに生きがいを」「連帯感にあふれた地域社会づくり」などをその目標とし、「『ともしび運動』によってすすめられるべき課題の第一は“福祉教育の促進”である」(4ページ)とされた。
以上を要するに、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて高齢者や障がい者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視座に注目しないと、その定義や所説を読み解くことはできないということである。

2 福祉教育と「社会福祉問題」
先に記した大橋の福祉教育の定義についてその構成要素を弁別すると、次のようになる。(1)憲法第13条、第25条等に基づく人権思想をベースにする。(2)歴史的・社会的存在としての社会福祉問題を素材とする。(3)社会福祉問題との切り結びを通して、社会福祉制度や活動への関心と理解を進める。(4)社会福祉問題を解決する実践力を身につけるために、実践に基づく体験学習を重視する。(5)「自立と連帯の社会・地域づくり」の主体形成を図る、などがそれである。
大橋の定義における鍵概念のひとつは「社会福祉問題」である。大橋は、1981年2月に刊行された吉田久一編『社会福祉の形成と課題』(川島書店)所収の論文「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」(231~249ページ)で、高度経済成長期以降、「社会福祉問題の国民化と地域化」(大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、3~11ページ)が進んでいるが、地域で福祉問題を解決するためには、それができる「住民の形成とネットワークづくり、とりわけそこにおける住民参加の問題」(238ページ)が重要であり、焦眉の課題であるとする。そのうえで、地域福祉の主体形成のための福祉教育の必要性と、福祉行政の「地方分権主義」への転換を図り、地方自治体が自律性をもって「地域社会福祉計画」を住民参加のもとに策定することの必要性を指摘している。
福祉教育が学習素材とする「社会福祉問題」、とりわけ高度経済成長期以降のそれは、大橋にあっては、「戦前の大河内一男の社会政策と社会事業という整理や戦後の孝橋正一の社会問題と社会的問題という整理でも、包含できない課題として創出されてきた」(231ページ)。公害・環境問題と外的な生活破戒、過疎問題と家庭破戒、過密問題と生活の共同的集団的再生産機能の弱まりと不安定化、合理化・機械化による生活リズムの破戒や老人福祉問題の深刻化などが、「従来の問題にくわえてあらわれてきた」ものである(232~234ページ)。
地域住民のこれらの具体的な生活破戒の“状況”については、簡潔明瞭にカテゴライズしても、他の領域や次元の“状況”で説明するだけではその本質に迫ることはできない。社会福祉問題の分析は、それを現代社会の仕組みと運動法則によって必然的に生み出される構造的な「社会問題」として、社会科学的に捉えることによってはじめて可能となる。そうした分析のうえで、その問題解決に向けて、批判的・論理的かつ創造的に思考・判断・実践する“力”の育成・向上をいかにして図るか。そのための福祉教育実践の具体的展開について検討することが求められる。
以下に、上記の論文中から、「福祉教育と地域福祉の主体形成」に関する叙述部分を記しておく。大橋の「福祉教育の理念と実践の構造」についての所説の基本的部分(特色)を概観・俯瞰することができる。

福祉教育は、国民が社会福祉を自らの課題として認識し、福祉問題の解決こそが社会・地域づくりの重要なバロメーターとして考え、共に生きるための福祉計画づくり、福祉活動への参加を促すことを目的に行なわれる教育活動である。したがって、福祉教育は少なくとも次の諸点を構成要件として意識的に行なわれてこそ意味がある。
第一は、差別、偏見を排除し、人間性に対する豊かな愛情と信頼をもち、人間をつねに“発達の視点”でとらえられる人間観の養成、第二に社会福祉のもつ劣等処遇観、スティグマ(恥辱)をなくすことが必要で、そのためには国民の文化観、生活観を豊かにすることに他ならないこと、第三に、人間は人々との豊かな交流の中で生きる以上、生活圏の狭い障害者等の社会福祉サービス受給者の生活がいかに非人間的であるかをコミュニケーションの手段も含めてとらえられること、第四に複雑な社会における歴史的、社会的存在としての福祉問題を分析できる社会科学的認識が必要なこと、第五に今日の福祉は、福祉行政の中でも細分化されているが、その解決には関連行政たる労働行政、教育行政、保健衛生行政などを含めて地域的課題を総体的にとらえる力が必要であること、の五つを基本に、情報の周知徹底、体験・交流などによって感覚として体得することなどが方法論的にも加味されて、はじめて福祉教育の実践といえる。
福祉教育は、住民の福祉意識を変え、福祉問題をトータルにとらえ、問題解決のための福祉計画づくり、具体的解決のための実践などを行なえる住民の形成であり、それこそ地域福祉の主体形成といえよう。(243ページ)

3 福祉教育と「地域福祉の主体形成」
大橋は、岡本栄一によって「住民の主体形成と参加志向の地域福祉論」と評されるように、「地域福祉の主体形成」を重視する。その点について、大橋は、前記の著書『地域福祉の展開と福祉教育』において、「地域福祉の主体形成のしかたと主体として形成されるべき力量には、次のような7つのことが考えられる」とした。(1)社会福祉に関する情報提供による関心と理解の深化、(2)地域福祉計画策定への参加と政策立案能力、(3)社会福祉行政のレイマンコントロール(政治や行政の一部を一般市民に委ねること:阪野)、(4)社会福祉施設運営への参加、(5)意図的、計画的な福祉教育の推進、(6)地域の社会福祉サービスへの参加(ボランティア活動)による体験化と感覚化、(7)社会福祉問題をかかえた当事者の組織化と当事者のピア(仲間、peer)としての援助、がそれである(46ページ)。その後、大橋は、この「地域福祉の主体形成」(「住民の主体形成」)の7つの「枠組み」を整理し、「『地域福祉の主体』形成には、4つの課題がある」として、4つの主体形成の枠組みを提示する。すなわち、(1)地域福祉計画策定主体の形成、(2)地域福祉実践主体の形成、(3)社会福祉サービス利用主体の形成、(4)社会保険制度契約主体の形成、である(大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月、75~82ページ)。それは同時に、福祉教育の課題でもある。
この大橋の4つの主体形成については、7つから4つに“綺麗”に整理・集約された故にか、4つの側面が並列的に理解されがちで、その内的・構造的な相互関連性の把握を困難なものにしている。主体としての「住民」は、基本的には労働主体と(労働以外の)生活主体の統一的存在であろうが、政治主体・経済主体・文化主体であり、また地域の自治主体や変革・創造主体でもある。「住民」はこれらの側面を重層構造的にもつ存在である。地域の自治主体や変革・創造主体に関していえば、住民主体の社会福祉問題の解決や「自立と連帯の社会・地域づくり」を推進するためには、個人的主体形成のみならず集合行為主体や運動主体の形成が必要かつ重要となる。こうしたことを踏まえたうえで、地域福祉(住民)の主体形成を促進する福祉教育実践の内容や方法について具体的に検討することが肝要となる。(運動主体の形成と福祉教育のあり方に関しては、拙稿「運動主体形成と市民福祉教育」阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、70~81ページを参照されたい。)

4 「大橋福祉教育論」に対する批判
以上が、「社会福祉問題」と「主体形成」の鍵概念を中心にみた「大橋福祉教育論」の概括である。こうした大橋の所説に対してこれまで、「地域福祉と福祉教育」を説く地域福祉研究者からの系統的な批判はあまりみられない。それは、大橋の所説が一定の理論体系を作り上げていることによるが、大橋のそれが「福祉教育原理論」として前提され、そのうえで立論されていることにもよるといってよい。そういうなかで、生涯学習やESD(持続可能な開発のための教育)の研究者である松岡廣路が、論文「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」(『持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習(日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要)』第14号、2009年11月、8~23ページ)において、大橋の所説に批判的考察を加えている。
松岡の大橋批判は、大橋の福祉教育の定義は「汎用的であるがゆえに、同時に、脆弱性を併せもっている」。「脆弱性を項目化すると、<未分化な学習者像>、<社会福祉活動の内実の曖昧さ>、<楽観的な社会形成ビジョン>、<教育概念の曖昧さ>と約言できる」(13ページ)、というものである。そして、松岡は、「脆弱性の高い『福祉教育』の定義に基づいてしまうと、時代の大きな物語に押し流され、重要と思われる要素が外延化され、体制的要素を内包とする対象化(理論化)と実践化が、当然のごとく進んでいく。福祉教育が、現実と理想の拮抗関係の中に位置することを意識し、従来の枠組みを等閑視しないという批判的な姿勢を保つことが、今まさに重要である」(16ページ)として、「批判的創造性」の観点の必要性と重要性を説いている。松岡の批判は必ずしも、「大橋福祉教育論」をその理論的体系化の過程も視野に入れて、総合的・体系的に行うものにはなっていない。とはいえ、「社会的・福祉的課題の解決に不可欠な『批判的創造性』が、実践における学びの目標・内容(いわゆる『学びのベクトル』)から排除されている」(16ページ)という指摘は、首肯されるところである。

5 「大橋福祉教育論」再考のための枠組み
ある理論や所説を、内在的にしろ外在的にしろ批判的に考察するためには、その枠組みを構造的に捉え、それを主体的に再構成することが求められる。その点において、「大橋福祉教育論」を超える新たな福祉教育論の理論的枠組みを構築し、新たな実践方法を創造するためには、先ずはいま一度「大橋福祉教育論」の理論的枠組みの構築化の過程を時系列的に把握するとともに、その枠組みの構造を総合的に理解する必要がある。そこで、以下では、そのためのひとつの方法として、大橋が行った福祉教育についての2つの「講演」からそのレジュメの枠組みと項目をみることにする。日本福祉教育・ボランティア学習学会の第2回大会と第10回大会での講演である。

(1)福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題
(第2回大会・基調講演/1996年11月23日/日本社会事業大学)

地域づくりや地域福祉の主体「形成」は、福祉「教育」やボランティア活動(ボランティア「学習」)が推進されればそれで可能になるものではない。それは、子ども・青年や成人などの地域住民が、地域の社会福祉問題の本質を科学的に理解・分析し、変革的・創造的に問題解決を図ることのできる“力”を獲得し、しかもそれを具体的・現実的に行使することによって初めて可能となる。その主体形成ができなければ、福祉を学ぶことやボランティ活動は単なる「善行」にとどまり、無批判的で体制適応(順応)的な住民主体を形成することになる。福祉教育は「両刃の剣」になりかねない、といわれるところである。
そういう意味からも、上記の枠組みと項目のなかから、ここではとりわけ「形成と教育と学習」について留意しておきたい。それは、上述の松岡が、大橋の定義は「意図的な活動」と明記されていることからも「福祉教育が、ややもするとフォーマルな教育が中心であるとの理解(誤解)を許す脆弱性を有している」(15ページ)と指摘する点に関わることである。
大橋の指摘を俟つまでもなく、福祉教育を進めるにあたっては、その対象である子ども・青年あるいは成人などの「学習者」の発達特性や発達課題、学習者が置かれている状況などを理解すること(「学習者理解」)が重要となる。それは、「人格発達論」(「人間発達論」)にまで深められなければならない。そのうえで、子ども・青年や成人の、地域づくりや地域福祉の「形成」と「教育」と「学習」との関係を改めて考えてみる必要がある。
宮原誠一によると、「形成」は、人間の社会的生活における自然成長的な過程として捉えられる。それが豊かであることによってはじめて、組織的体系的な制度であり、目的意識的な過程としての「教育」が成り立つ。換言すれば、人間の「形成」の過程を、それぞれの時代の社会、政治、経済、文化の必要に基づいて「望ましい方向」に制御しようとする人間の努力が「教育」という営為である。宮原にあっては、広義の「教育」は「形成」と呼ばれるべきであり、学校教育や社会教育などの狭義の「教育」は「形成」を前提とする。すなわち、狭義の「教育」は、人間の「形成」のうちにあるひとつの営為であり、「形成」の過程に内包されるひとつの要因に過ぎない。
「形成」は、人間が社会的生活そのものによって“形づくられる”過程である。それは、第一次的には社会的・自然的環境によって行われる。とすれば、「形成」は「学習」なしには成り立たず、「学習」は「形成」に不可欠なものとして位置づけられる。そこから、「形成」と「教育」の関係は、「学習」と「教育」の関係になる。その関係について、勝田守一は、「学習のないところに教育はない」「教育は学習の指導である」という。勝田にあっては、「形成」にはその前提として「学習」があり、「形成」は自己の希望や意欲による目的意識的な営為である。従ってそれは、「自然成長的」(宮原)ではない(佐藤一子・ほか「宮原誠一教育論の現代的継承をめぐる諸問題」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第37巻、東京大学、1997年12月、311~331ページ。宮崎隆志「教育本質論における宮原誠一と勝田守一の差異について」『北海道大学大学院教育学研究科紀要』第83号、北海道大学、2001年6月、1~24ページ、等参照)。
いずれにしても、宮原と勝田の「形成」「教育」「学習」などをめぐる「教育」の概念や本質についての再検討は、福祉教育やボランティア学習の概念把握や本質理解に対してひとつの視座やアプローチの仕方を与えてくれるであろう。地域づくりを担う子ども・青年や成人などの多様な実践・運動主体の育成・確保が求められ、市民活動や教育活動のあり方が厳しく問われている今日、その再検討の意義は大きいと考えられる。それは、宮原と勝田は、「連帯」の概念を基底に地域を捉え、勝田は「自立と連帯」の場として地域を理解する。そのうえで、“地域づくりと教育実践(地域教育計画)”について言及するからでもある。

(2)学会の新たなる10年に向けて~福祉教育・ボランティア学習学会の今後の課題―学会創設10年の総括~
(第10回大会・総括講演/2004年11月28日/神奈川県立保健福祉大学)

学校は、「学習者」(生徒)と「指導者」(教師)、その両者を媒介する「教材」(教育内容)によって構成される。そこでの教育活動は、教科活動と教科外活動(道徳、特別活動、総合的な学習の時間)、学習指導と生活指導という2つの領域や機能に分けられる。また、教科活動と教科外活動、学習指導と生活指導はともに、学校や教育活動の理念や目的・目標を達成するうえで重要な機能を果たすものであり、学校教育において重要な意義をもつ。教育の理念や目的・目標の明確化なくして、学習者の主体的・創造的な学習活動や指導者の意欲的・積極的な学習・生活指導は促進されず、教育の成果を期待することはできない。そこから、教育の「理念・目的・目標」は、学校や学校教育の構造を成す重要な内部要素であるといえる。そして、「理念・目的・目標」「学習者」「指導者」「教材」は、相互に作用・影響し合い、相乗効果を生み出すものとして存在する。
こうした認識に立って、以上の枠組みと項目から、ここでは「福祉教育の構造」に関する研究・実践課題について一言する。
管見によれば、福祉教育は、(1)理念・目的・目標、(2)学習者、(3)指導者・支援者、(4)素材・教材、(5)教育内容・方法(評価を含む)などによって構造化される(「福祉教育の構造」)。それらの構成要素のうち、例えば(1)については、福祉教育(「市民福祉教育」)は、「自立(independence)と自律(autonomy)、共働(coaction)と共生(symbiosis)」という理念のもとで、「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図る」ことを目的とする。福祉教育は、そのために、地域の「社会福祉問題」を発見・理解・解決するための横断的・重層的な実践プログラムを開発・編成し、地域を基盤とした総合的・複合的な「地域をつくる学び合い」(東京都生涯学習審議会答申「地域における『新しい公共』を生み出す生涯学習の推進~担い手としての中高年世代への期待~」2002年12月)の支援を行う教育営為である、といえる。
そう考えたとき、(2)に関しては、「子ども・青年」のみならず、「成人」(中高年世代)の状況について分析・理解すること(「学習者理解」)。(3)に関しては、求められる資質・能力や知識・技能とは何かを探究し、その育成・向上を図ること(「指導者・支援者育成」)。(4)に関しては、学習者の問題意識や学習意欲を喚起し、教育(学習)目標を達成するために、身近な地域・生活「素材」(具体的事象)を掘り起し、「教材」化すること(「教材開発」)。(5)に関しては、地域(「地元」)や「まちづくり」に焦点をあてたカリキュラムやプログラムを開発・編成し、実施・展開、評価すること(「プログラム編成」)、などが求められる。これらは、福祉教育における普遍的な課題でもあるが、人権侵害や立憲主義・民主主義・平和主義の後退、福祉や教育の改悪・切り捨てなどが激しく進行するいまこそ、福祉教育を体制内的な教育営為にしないためにも、自律的・批判的・創造的に取り組むことが求められる重要な研究・実践課題であるといえよう。
周知の通り、教育の形態は大きく次の3つに分類される。(1)定型教育(formal education:制度化された学校において、構造化されたカリキュラムに基づいて教師と生徒の関係によって展開される教育。学校教育など。)、(2)不定型教育(non-formal education:学校の教育課程として行われる教育の外部において、一定の学習者に対して、ある学習目的を達成するために意図的・組織的に行われる教育。社会教育など。)、(3)非定型教育(informal education:日常的な生活経験(体験)や環境によって、知識や技能などを習得する無意図的・非組織的な教育。家庭教育など。)、がそれである。
福祉教育はこれまで、学校における福祉教育を中心にしながらも、学校外における福祉教育、成人を対象とした社会教育における福祉教育等の多様な分野で実践展開が図られてきた。具体的には、家庭や学校をはじめ、社協や公民館、福祉施設、民生委員・児童委員、NPO・ボランティア団体、自治会・町内会、企業、その他の関連施設・組織・団体などが、多様な“機会”や“場”を設けて福祉教育に取り組んできている。これまでの経過や現状・実態を踏まえると、福祉教育は、子ども・青年や成人などの地域住民を対象に、フォーマル、ノンフォーマル、インフォーマルの3つの形態の教育活動を相互に媒介し、関連づけ、学校や地域などで展開される多様な教育活動として構造化されることになる。「福祉教育の構造」について検討し、その再構築を図るに際して、上述の5つの構成要素とともに留意すべき点である。(「追記」のマトリックス図を参照されたい。)

むすびにかえて
大橋は、「教育と福祉」に関する初期の著作『地域福祉の展開と福祉教育』のなかで、「本書は、学術論文というよりも実践的研究書という方があたっているかもしれない。筆者の問題関心は、教育と福祉における“問題としての事実”に学びつつ、問題、課題をどう実践的に解決するのかという点にある」(「まえがき」)と述べている。この「実践的研究」の姿勢は、その一貫性を保ちながら「大橋福祉教育論」を深化・体系化させていく。
いわれるように、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別される。前者は仮説探索型の研究であり、後者は仮説検証型のそれである。この両者を循環的に組み合わせ、相互作用を引き起こすことによって、実践性と科学性を備えた、さらにはそれらを統合した研究と理論構築が可能となる。「大橋福祉教育論」を再考し、新たな福祉教育論を展開するに際して留意すべきひとつの視点・視座である。
改めていうまでもなく、上記の大橋「講演」の枠組みは壮大である。同時にそれは、幅広く奥深い「大橋福祉教育論」再考に向けた多様な視点・視座とアプローチの方向性を示すものでもある。「理論」(所説)は新たな時代や現実によって不断に凌駕され、更新されていく。「大橋福祉教育論」が「福祉教育原理論」としてその普遍性と不変性を今後も保持し続けるか否かの評価についてはひとまず置くとして、「大橋福祉教育論」をいかに継承し、新しく展開するかは福祉教育の実践者や研究者に課せられた大きな課題である。


大橋の「教育と福祉」に関する実践と研究の経歴や業績等については、例えば(1)「大橋地域福祉論―その発展と継承(そのⅠ~そのⅥ)」『コミュニティソーシャルワーク』創刊号~第7号、日本地域福祉研究所、2008年5月~2011年6月。(2)『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月、が参考になる。

補遺
(1)大橋は、福祉教育とボランティア活動の関係性について、例えば次のように述べている。

ボランティア活動の契機・動機が(中略)自己満足的なもの、慈善的なものであったとしても、多くのボランティアはその活動を通して厳しいものの見方・考え方を修得していく。社会福祉一つとってみても単なる人のやさしさ、情熱だけでは解決できず、制度の確立と住民の協働がなければならない。ボランティアたちはそれらに関する意識を豊かにしはじめる。
社会福祉に関する意識は、知的理解のみではなかなか変容しない。社会福祉問題を抱えた人々との交流の中で、あるいはその問題解決の実践・体験の中で変容する。それだけにボランティア活動の推進は重要である。と同時に、福祉教育が求められる背景を解決するためにもボランティア活動を豊かなものにしなければならない。
(大橋謙策「福祉教育の構造と歴史的展開」一番ヶ瀬康子・小川利夫・木谷宜弘・大橋謙策編著『福祉教育の理論と展開』(シリーズ福祉教育1)光生館、1987年9月、74ページ。)

(2)福祉教育とその近似概念である「ボランティア学習」の関係性については、例えば長沼豊は次のように述べている。参考に供しておきたい。なお、長沼は、ボランティア学習は3つの構成要素から成るという。(1)ボランティア活動のための学習(目的としてのボランティア活動)、(2)ボランティア活動についての学習(対象としてのボランティア活動)、(3)ボランティア活動による学習(手段としてのボランティア活動)、がそれである。

福祉教育とボランティア学習は、ある実践では領域接近的に、ある実践では融合形として、ある実践は福祉教育の発展として(結果として)ボランティア学習がある、というように、重層的、輻輳(ふくそう)的に領域や方法が重なり合っているといえるだろう。(長沼豊『新しいボランティア学習の創造』ミネルヴァ書房、2008年12月、135ページ。)

(3)また、福祉教育とボランティア学習の「違い」と「関係」について、全社協の『新 福祉教育実践ハンドブック』では次のように述べられている。

福祉教育とボランティア学習は、(中略)双方とも人権尊重・異文化理解をベースに、共生文化・市民社会の創造を大目標に掲げる実践です。(中略)しかし概念的には、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがあるともいえます。(中略)
ボランティア学習の概念の中心に位置づけられる、「ボランティア活動に組み込まれている学び」という発想は、(中略)リアル空間での学びを強調するものです。(中略)安易な疑似体験や講話的な福祉教育への警鐘としてボランティア学習をとらえることこそが重要なのです。(中略)
現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されていますが、両者の特徴を総合することが求められています。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にあります。
(上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、32~33ページ。)

追記
「福祉教育の構造」をマトリックス図で示すと次のようになる。
11時30分

私にも……

認知症の母親を 抱えて
日々 介助に明け暮れている 女性を訪ねた
よく来てくれたと 歓待された

家に帰ってきて 自責の念にかられた
目を離せない老人を抱えて
女性は 家の中での生活を余儀なくされていた
もっと早くに 訪ねるべきだった
自分に もう少し相手をいたわる気持ちがあれば
一時(いっとき)私がその老人を見ている合間に 
買い物でも してきてもらえばよかったと
反省しきりだった
その話を 女性にすると 
心遣いに 感謝をされた
でも 外に出ることよりも 
あなたが来てくれたことが 嬉しかったという

小さな町の中で こんなふうに人が結びついていて
それぞれの抱えている悩みが 共有されていくところに
その地域での 助け合いの質を高めていく 道筋を見た
「わたしにもできることって こんなところにあったんですね」
初老の女性は 初めてボランティアの意味に気がついた

〔2019年9月20日書き下ろし。道北の小さな町でボランティア講演をし終わった後の会話。他人に関心をもつこととそこで何が出来るのかは、相手との関わりの中で見えてくる。ごく当たり前に認知症の方が家族と地域で暮らすためにできること〕

「こぶとりじいさん」の真相

さてと ふたりのじいさんのこと くらべてみようか
こぶをつけられてしまったのは どうしてだろう?

「いいおじいさんは お酒が好きで 歌も踊りも上手だったから 鬼にうけた」
(だから こぶを取られたんだね)
「でも もう一人は お酒も飲めず 歌も踊りも チョー下手くそだったから」
(それで鬼が怒って こぶをつけられてしまったんだよね)
「なんだ ただそれだけのこと」
(そう ただそれだけのこと いいとか悪いとかじゃなくて ただそれだけのこと) 
「でもどうして こぶをとってもらいたいって 思ったの」
(そこが このお話の大事なところだね)

飲んべえか 下戸か 
それだけで 大人は付き合い方が違ってくるんだ
「呑めば呑むほど酒の味 語れば語るほど人の味」
意地悪じいさんは お酒も飲めなかったし 
村のみんなと 楽しくおしゃべりしたことも きっとなかったしょ
だから じいさんのほんとの気持ちは 誰も分からなかったと思うよ
みんなの中にも おしゃべりの苦手な子っているしょ
みんなと仲良く遊べないからって ついつい意地悪してしまう
もしかして 意地悪してたの 村のみんなだったりして

それにくらべて 鬼とでもすぐに仲良くできるじいさんは
明るくて 酒は好きだし 歌はプロ並み 踊りも達者(たっしゃ)
きっと 村の人気者だったに ちがいない
いつも笑顔の人と 苦虫をかみつぶしたような顔の人
みんなは どっちと仲良くしたい?
誰とでも仲良くしなさいって よく言うけど
大人はずるくて つきあいやすい人を選ぶんだ ほんとだよ
だから 明るくてつきあいが上手だから いいじいさん
もうひとりは つきあいが苦手で 不機嫌そうにしていたから
村の人には 嫌われもんだったんだね
人は みんながみんな 明るく元気で健やか元気なわけないしょ
ほんとは 心の中に困ったことがあっても 
明るくふるまうことって 君にもないかい
人は 一人ひとり心のようすも 人とのつきあい方も みんなちがうんだ
感じ方や考え方 話すときの表情やことばづかい 態度 みんなちがうしょ
それは 性格がちがうだけのこと 人がらがちがうとも言うよ
二人のちがいって そこなんだ
それを比べて いいとかわるいとかって おかしくない
君がみんなに 意地悪な子だって見られたら とっても悲しくなるしょ
ほんとは みんなと仲良く遊びたい
でも 無視されて心が傷つけられると思うと 遊べない
悩んで苦しむほどに つらかったと思わない?
自分を守るためには ひとりぼっちでいるしかない
それで 村の人は 相手にしようとしなかったというわけ

とってもいやなおもいを ずっとしてきたじいさんが
鬼に会いに行くって 信じられる?
「こぶ」が とっても嫌で嫌でしかたなかったんだね
そのこぶのおかげで みんなが意地悪すると思っていたのかも知れない
あの明るいじいさんだって こぶに悩んでいたしょ
その二人が 同じ悩みを持っていたというのも 面白いね
こぶは 二人には劣等感そのもの
こぶのおかげで 顔がみにくいと 思っていたんだよ
かげで笑われたり バカにされたりしていたと 思っていたかもしれない
姿形(すがたかたち)が みんなとちがうことで 
君のまわりにも いじめられてる子って いるかも
こぶのない顔になりたいって 
子どものころから ずっとおもい悩んできたことが
鬼に こぶを取ってもらえるって聞いて
小躍りするくらい喜んで 山に登っていったんだね きっと
結果 チャレンジは 見事に大失敗!    
でも 勇気をふりしぼって危険をかえりみず 鬼に会いに行ったじいさん
すごい行動力のある人だと 思わない?

二つこぶをつけて里にもどった 悲しくてやりきれないじいさんを
村人たちは その心の傷に塩を塗るように 
罰が当たったと よってたかって 笑いものにしたんじゃないかな
なぜって?
他人(ひと)の失敗や不幸をあざわらう
いやしくてみにくい こころさもしく育った 
つまんない大人が たくさんいるからさ

そんな人間には 絶対なってほしくない
人をいい悪いって 性格で決めつけてはいけないってこと
自分の心で その人なりをしっかりと観て 判断する人に育ってほしい
もうひとつ 人はだれでもみんなと姿形がちがうことで 
二人のじいさんのように 悩んだり いやな目にあうこともある
でも なつ(NHK朝ドラ「なつぞら」のヒロイン)のように 困難にめげず
こころを強くやさしく耕す 開拓者に育ってほしい
子どもの君に きっとそう伝えたかったと思うんだ

北の大地に昇る朝日と目覚めの風に 元気をたくさんもらって 
君の人生を彩(いろど)る 大好きな人たちと 
はじける笑顔で 夢に向かって 大きく生きよう! 
いまを生きるじっちゃんから 未来を生きる君への伝言です 

〔2019年9月28日書き下ろし。なつロス・十勝ロスの始まりの日。まとめは、祖父柴田泰樹の心情を勝手に代弁する〕

海苔巻き

誕生日の日に 妻が必ず作ってくれる 一番のご馳走
この日 半日がかりで 具材をすべて手作りする
干瓢(かんぴょう)の甘煮 厚焼き卵 椎茸の甘煮 紅生姜 でんぶ 
ゆでほうれんそう(みつばのときも)に しみ豆腐
高価な食材を 使っているわけではない
ただ具材の味は絶妙で その旨さは 格別である

大坂育ちの母は 口もうまかったが 料理もうまかった
貧しくとも 舌は鍛えられた
節目で 母は海苔巻きを よく巻いた 
寿司飯を冷ます手伝いを 団扇(うちわ)を持って買って出る
早く作ってほしいという 魂胆(こんたん)丸出し
きょうだい四人で 息を殺しながら その手元をじっと見つめる
出来上がって おもむろに 包丁で切る母
このときの高揚感を 今も鮮明に覚えている
はっしこを 順番に口に放り込まれる 瞬間の歓び
まるで飢えた雛たちが 親鳥から餌をもらうような そんな騒々しさだ
口に入った 酢飯と甘い具のミックスされたうまみが 海苔に包まれて
口の中一杯に広がる美味しさは 形容しがたい
飲み込むと 四人はすぐに口を開けて 放り込まれるのを待つ
そんな子らを 母の嬉しそうな笑顔が包む

丸いちゃぶ台に並べられるのは きれいにカットされた海苔巻き
与えられた数を 本当に美味しそうに頬ばる きょうだい
それを見守る父と母
仕合わせは 家族と食するところに いつもあった

妻が 海苔巻きを切る横で
争う者がいなくても 幸せそうな顔をして
はっしこ狙いの 老いた男がいる
母から妻へ 伝えられたことへの感謝を味わう 
大切な一日が 静かに過ぎた

〔2019年9月21日書き下ろし。子殺しの事件が後を絶たない。家庭で共に食するささやかな団欒すら失われた殺伐とした風景が目に浮かぶ〕

スクハラ

快感
そうつぶやいた
快感
自分が思うように 子どもを操る
快感
嫌いな奴は 指導で潰す
快感
あのおびえた目が なんともいえない

なぜ?
生意気な奴をとっちめるのは 痛快
嫌いなタイプって 許せないよね(笑)
ストレス解消 憂さ晴らし
偉そうに聞いてるあんたも どっかでしてるだろう

後ろめたい?
そんなのあったら やんないよ
性格の悪い奴 成績の悪い奴 親に問題ある奴
そいつらを指導するって 手間がかかること 知ってて 聞いてんのかい
こっちには 生徒指導という お墨付きがあるんだよ
正々堂々と いいわけできるから 大丈夫さ
それに クラスの子どもらを味方にしとけば 怖いものなし

先生なんだ?
そうだけど なにか
文句があれば どうぞ
いい加減な奴の言い分を 誰が本気で聞いてくれる?
子どもをかばうなんて 面倒くさくて誰もしない
学校の中のコトって なかなか ばれっこない
なぜって 
事なかれ主義で 触(さわ)りたくもないし 関わりたくもない
ばれたら みっともないから かばうしかないけど
子どもなんか 三年もすれば卒業するから オシマイ
親の文句も 聞き流すくらいの度量がなければ やってられないしょ

子どもファースト?
冗談じゃない そんな子を相手にする 教師のしんどさわかるかい
忙しくて大変な仕事だってことぐらい 知ってるだろう
お守りをしてるわけじゃない
指導の結果が 求められているんだよ
だから 奴らになめられないように 厳しくしてるだけ
そんなの どこでも普通にやってることだろう
やり方は 学校それぞれだろうけど 
今まで 誰にも文句は言われなかった
校長にも 特に指導されたこともない
任せられたんだから そりゃそうだろう
まあ指導の中身は 詳しく知らずに
校長室に でんと収まってはいるけどね

でも 快感って 異常
おいおい 喧嘩売ってんのかい
ふざけるんじゃないよ
おれは 当たり前に仕事してるだけ
快感と言ったのは ことばの綾(あや)
そんなこと いいふらすなよ

面と向かって 本音を吐くわけはない
絶対 さとられてはいけないこと
弱い立場の子どもをいじめる 
陰湿な言動を 自制できない 反面教師
教師でいる限り ばれない限り
生徒指導という 聖域の中で繰り返される
スクール・ハラスメント
しっかりと「悪質な教師のいじめ」と訳そう

心閉ざして 訴えることもできずに 
自死した子も 未遂した子もいた
怯(おび)える子に我慢を強いて 快感を楽しむ
教師の皮を被った輩を 決して許してはならない
子どもの成長を歪め 人権侵害を容認してきた 同僚たちも 
学校の閉鎖性の問題は 
子どもが 意図的に排除されていることにある

〔2019年9月23日書き下ろし。生徒指導と偽っていじめを平然と繰り返す教員。子どもの深刻な事態を軽視している教員集団。教員のことばの暴力を、決して野放しにしてはならない〕

付記
スクハラ、相談できる場を 不登校経験もつ大学生、署名活動
教員らによる嫌がらせや暴言などを「スクール・ハラスメント」や「学校被害」といった言葉で捉え、改善を訴える動きが出てきている。今夏は、中学の担任からの暴言で不登校となった大学生が署名活動を行った。「被害に遭った時に、相談し、解決できる仕組みがほしい」と訴える。
「こんなにも署名が集まるとは思っていなかった」
今月2日、早稲田大2年の佐藤悠司さん(20)は文部科学省内で会見を開き、そう話した。
佐藤さんは7月17日~8月17日、インターネットサイト「change.org」で、「スクール・ハラスメント(スクハラ)」に苦しむ小中高校生が相談できる窓口の設置を求め、署名活動を行った。集まった署名は約9千筆に達した。
佐藤さんによると、東京都世田谷区の私立中高一貫校に通っていた中2の冬、担任から「お前は離婚家庭の子どもだからだめなんだ」などと長時間にわたり叱責(しっせき)され、「いかに人間としてだめなのかを言い続けられた」と言う。2年の終わりまでは何とか学校に通ったが、春休みを経た中3の4月から、学校に行こうとすると気分が悪くなり、腹痛に襲われた。不登校になった。その後、3度にわたって退学を勧められ、睡眠障害にも悩まされた。
「最初は、家族も『先生がそんなこと言うわけない』と取り合ってくれなかった」と佐藤さん。都や区に相談したが、「私学を指導する権限はない」と言われた。当事者が先生からのハラスメントを相談できる、独立した行政機関の窓口がほしい――。そう考え、署名を始めた。署名には、100人以上からコメントが寄せられた。「多くの行き過ぎた指導が、自覚無く行われているのが問題」「私も現在、教師からハラスメントを受けている」「教師から屈辱的な対応をされ、負の記憶として残っている」……。
ハラスメント被害を尋ねるアンケートも行い、59人が回答。85%が学年主任らへ相談したが、4割超が「効果がなかった」と答えた。3割超は「かえって状況が悪化した」とした。
署名は文科省と東京都、世田谷区に提出した。佐藤さんは「多くの人が悩んでいると知った。ハラスメントの証拠は得にくく、泣き寝入りせざるをえない人が多いのではないか。解決に向けて動ける機関を設置してほしい」と訴えた。(朝日新聞デジタル2019年9月23日朝刊)