阪野 貢 のすべての投稿

OK ブーマー!

今秋の ダレたいつもの国会劇場

言い逃れ はぐれかし
からかい あざけり みくびり
見下して にたり顔
OK ブーマー!

任命責任は 私にあります
同じ言葉を 繰り返す壊れた再生レコーダー
この人も 一度壊れて 再生したっけ
OK ブーマー!

不都合起これば 高圧的に事態収拾
責任転換 いつものことと 心得て
周りにはべる者たちは 戦々恐々仕えます 
OK ブーマー!

意のままに 居座り続けて 
凄い人だと勘違いするも 仕方なし
功績何のと言わずとも 憲法改正一直線 
OK ブーマー!

若い世代は もう見飽きた 聞き飽きた
テレビに映る 得意顔
不遜な態度も 言いぐさも
早かれ遅かれ その席譲る 時が来る
OK ブーマー!

三十年後には お偉い方々も
きっと墓標の下となる
でも若い世代は 生きている
だからいま 邪険にされてる世代からのプレゼント
OK ブーマー!

世の中を 牛耳っている大人へ伝えます
OK ブーマー!
世の中で 欲の皮が突っ張っている大人に伝えます 
OK ブーマー!
世の中を 失望と絶望の未来へと導く大人に伝えます 
OK ブーマー!

子どもだと なめてかかってくる大人
そんな大人は 何の魅力も価値もない
悪しき大人を 駆逐して 
未来を 若き君たちの手に 取り戻す
スローガン
OK ブーマー!

流行らそう SNSで
流行らそう 行動で
この声が 世界中に広まる
この思いが 世界で一つになる
OK ブーマー!

〔2019年11月10日書き下ろし。香港で抗議活動に参加した大学生が8日死去。その死を悼む。地球温暖化防止を求める世界的運動の先駆けとなったスウェーデンの活動家グレタ・トゥンベリもまたその旗手の一人。9日アメリカは国連にパリ協定からの離脱を通告した。世界の政治家は「OK ブーマー!」を恥辱と知るべきか〕

付記
25歳議員が年配議員の野次を平然とあしらった「OK、ブーマー」の一言 
ニュージーランドの議会で気候変動問題について演説していた25歳の女性議員が、年齢をからかう野次(やじ)を飛ばした年配の議員を「OK、ブーマー」の一言で黙らせて、同世代の共感を集めている。
緑の党のクロエ・スウォーブリック議員は5日、2050年までに二酸化炭素排出量をゼロとする目標を掲げたゼロカーボン法について演説していた。
演説では、何十年も前から気候変動問題を認識していながら、政治的駆け引きに終始してきた世界の首脳らの対応を批判。「私の世代、そして私に続く世代には、もうそんな余裕はないのです。2050年には私は56歳になります。そして今、この第52回議会の平均年齢は49歳です」と続けた。
スウォーブリック議員の年齢をからかう野次が飛んだのはこの時だった。しかし同議員は「OK、ブーマー」の一言で軽く受け流すと、何事もなかったように平然と演説を続けた。議場は静まり返り、スウォーブリック議員の後ろでクスリと笑いを漏らす男性もいた。
「OK、ブーマー」の言葉は今年に入り、「ミレニアルズ」「ジェネレーションZ」と呼ばれる若者の間でソーシャルメディアの「TikTok(ティックトック)」を通じて流行した。同アプリには、「ベビーブーマー」と呼ばれる年配世代の無自覚さや上から目線の態度をからかう動画が無数に投稿されている。
米紙ニューヨーク・タイムズはこれを「OK、ブーマー現象」と呼び、「業を煮やした何百万人もの子どもたちのスローガン」と位置付けた。(2019年11月7日CNN.co.jp配信)

風呂敷包み

認知症を患い 95歳の老女は 特養ホームに居た
娘が内地から 見舞いにやってきた
居室に飾られた「一枚の写真」に釘付けになった
一筋の涙が とめどなく流れた
親不孝を咎(とが)めた 涙でもあった
娘は 母が風呂敷包みを 
なぜたすき掛けにしていたのかを 知っていた

大正生まれの母 子どもの頃から覚えたであろう風呂敷の扱い
戦前戦後の石炭全盛時代 子育てをしながら夕張の鉱員として働いた
世は移ろい 流れるままに身を任せ
衣食住の苦労は 白髪と顔のしわに刻まれた
石炭は 石油の波に押され 炭鉱は閉山
安住の地も追われ 路頭に迷う昭和の後半
夕張市が破綻していく 前兆の時代だった
十八年間毎秋春 風呂敷包みとバックを持って 
内地にいる 子どもたちの所を巡り歩いた
高齢と認知症で 施設に入った
写真の風呂敷包みの中身は たぶん下着とオシメ
感情を高ぶらせて 包んだに違いない
車いすに乗り 部屋から出た
行き先を 介護士と話して安堵している笑顔の一枚
笑えない認知症だ

娘は さらに綴った
次から次へと推測できる写真に出会い とめどなく涙が流れます
母は この後安らかに就寝したものと思います
入居者に こんな優しい気持ちで 接しておられる
職員の皆様のご努力が 目に映ります
言葉に尽くせない 熱いものがこみ上げてきました
ありがとうございます

男は この手紙を職員に 担当の名を伏しながら紹介した
担当のおもいが 家族に伝わった情景を思い浮かべながら
この手紙の重さを 語った

男は 大事な施設の宝を ここに見つけた
お年寄りの こころ模様に寄りそう 人そのもの
「和顔愛語」のこころが 日々のケアに託されて
職場が 笑顔と思いやりあふれる言葉に満ちてこそ
介護の仕事は 一つにまとまり 豊かとなる
そこに 一人ひとりが 人として輝き 育ちゆく
仕事への自信と誇りが 培われていくのだと

男が 五十年間 自ら求めてきた「和顔愛語」は 
老若男女の介護士たちの 
日々淡々と 繰り返されるケアで 示される
いのちと暮らしを護る 福祉の最前線は 
今日も 無事なり   

※和顔愛語(わげんあいご):「大無量寿経」の一節、「うそ、いつわり、こび、へつらいの心を持つことなく、いつも和やかな笑顔、愛情のある言葉をもって人に接し、相手の意志を先んじて知り、その望みを満たすこと」にある。法人の介護理念の源泉となった言葉。

〔2019年11月9日書き下ろし。人生の師である社会福祉法人の理事長が大切に持っていた利用者の娘からの手紙を見せてもらった。職場環境と介護福祉士を育てる励ましと評価。それが仕事への誇りとなり、人育ちそのものとなる〕

子どもにも分かる嘘

われわれは 戦争をしたくはない
(したくないなら しなきゃいいでしょ
アメリカから 高い戦闘機や兵器をたくさん買ったり 挙げ句の果てには 
アメリカの戦闘機が離着陸できる空母に改造してるって なんで?
戦闘機や兵器で どれだけ貧しい子が救われるか 優先順位が間違っています
われわれどころか 私たちは 戦争はしません)

しかし敵側が 一方的に戦争を望んだ
(一方的に戦争しようなんて ほんと?
敵ってどこの国? 
中東の沖まで行って 敵を探してくるの?
そもそも そういう気持ちにさせた 事の原因はどこにあるの?
そんなところに 私たちを 巻き込まないでよ)

敵の指導者は 悪魔のような人間だ
(あんたも相手には悪魔のように見られてるから 憎悪同志の話でしょ
だからアメリカは 奇襲作戦で爆撃して 殺したんだね
戦争をし続けないと アメリカはマグロのように死んじゃうから?
でもどうして 日本はいつも 尻ぬぐいをさせられるの? やめてよ!
日本にもテロリストが 手ぐすね引いてやってきますよ)

われわれは領土や覇権のためではなく 偉大な使命のために戦う
(われわれって ニッポンもそうするの?
偉大な使命だって アメリカが煽って 旗を振った日本のリーダーがいたね 
あのときは 平和憲法を盾に後方支援でうまくかわしたけど 
アメリカが喜んだ 集団的自衛権なんぞ行使できる今度は そうはいかないしょ
勘弁してくださいよ 目的はいつも覇権しかないっしょ
沖縄も岩国も いったいどこの国の領土なの?
憲法変えたら 戻ってくるの? 幻想だよね)

われわれも誤って犠牲を出すことがある だが敵はわざと残虐行為に及んでいる
(誤ってなんて嘘でしょ ごめんで済むはずありえない
人の命を奪っておきながら 誤って殺したって言い訳することに何の意味があるの
残虐行為って お互い様でしょ 戦争なんだから
言い訳が通用すれば 正義だとでも言いたいの
非戦闘員を殺すことに どんな言い訳がある
そんなの認めちゃ だめでしょ 
74年間も 日本は戦争したことなんてないんだから
そんな恐ろしいこと 絶対しちゃいけないよ
戦争やらなきゃ どちらにも犠牲者は出ないよ
子どもでもわかる これ常識)

敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
(あのね 戦争って みんな卑劣で残忍 だから戦争でしょ
遠く離れたところで 画面見ながら爆弾落として人殺し ゲーム感覚なんだよね
だから こころを痛めることなんか ひとつもない
大量殺人兵器を使って いかに相手に ダメージを与えるかっていうのが
そもそも戦略でしょ 
相手が どうこうって話じゃないよね 説得力ないな
自慢げに 兵器を見せ合うパレードごっこ
危ない大人の 火遊びです)

われわれの受けた被害は 小さく敵に与えた被害は甚大
(よくそうやって よくみんなを騙してきたんだよね
使い古したフレーズで いま誰も信じはしないよ
えっ 誰かさんは 確かめもしないで信じるってほんと?
やめてよ そんなみっともないことすんの)

芸術家や知識人も 正義の戦いを支持している
(そんなわけないっしょ 
そういうのなら いっそのこと 前線に行って我先に戦ってもらったら
でも 決して誘いにはのりません ついてはいきません
煽るばかりで 一番安全な所にいる人だぁ~れだ?
自分でバンバンして 人を巻き込まないでください)

われわれの大義は 神聖なものである
(だからさ 大義でなくて大儀(おっくうでめんどうなこと)なんだよ
あんたの さもさもらしく嘘くさい 戦争神聖論
どこの神さまが 人を殺せって教えているの?
残忍なんだね あんた方の信じる神さまって)

この正義に疑問を投げかける者は 裏切り者である
(ここが一番汚いやり口 非国民って言わせたいんだよね
正義に見せかけて煽る戦術 もう見抜かれています
戦争に反対する人 喜んで裏切り者になろう
いや待って 
戦争しないって 日本国憲法に書いてあるのに
戦争の準備をしている人こそ 最大の裏切り者じゃない
騙されないよ 裏切り者には
裏切り者に 私たちのいのちを預けてなんか いませんから
騙されません 金輪際 絶対に
だから もう軍事力を強化するのは おやめなさい!
私たちは 日本の平和憲法の下に 生き続けます)

以上 戦争へと導く宣伝の法則の 裏を上手にかくと
平和を好む者が 戦争を好む者たちの
あざとい企てを 
看破することができます

いや 待って
戦争を好む者たちが
巧妙に 立ち振る舞うから 
平和を好む者たちは
騙されたことの 自覚なく
戦争への道を ひたすら歩かされる羽目になる
残酷な予断です

若者よ 覚醒(めざ)めよ
戦争の最前線に立たされるのは 
君たちであり
その子どもらです

〔2019年11月8日書き下ろし。『戦争プロパガンダ10の法則』(アンヌ・モレリ著、草思社、2002年、文庫版2015年)を引用しながら、アメリカに扇動された世界の危機意識を憂う。現国会で野次ってるレベルの人たちにいのち預けられますか?〕

付記
安保法制判決 憲法判断回避は無責任
集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法は憲法に違反するものだとして、約1500人が国に損害賠償を求めた集団訴訟の判決で、東京地裁はきのう原告の請求を退けた。
全国22地裁・支部で提訴された同種の集団訴訟のうち2件目の判決で、今年4月の札幌地裁判決に続く原告側敗訴となった。原告は、安保関連法施行で平和的に生きる権利を侵害されたと主張したが、判決は法的保護を与えられる利益とはいえないと判断。憲法判断をすべき理由がないとして請求を棄却した。行政や立法府が憲法を守らない場合、司法はそれを是正する役割を担う。最高裁が最終的権限を有する違憲立法審査権は、そのためにある。 立証に不可欠な証人尋問も認めなかった東京地裁の判決は、門前払いに等しい。これでは憲法を巡る審理の深まりは期待できない。
安保関連法を巡っては、「日本を取り巻く安全保障環境の変化」という薄弱な根拠で、憲法9条を実質的に骨抜きにする憲法解釈の変更を行った。極めて違憲性が強く、廃止するのが筋だ。三権分立の根幹が問われる重要な局面で憲法判断を回避した東京地裁の判決は、司法の責任の放棄と言わざるを得ない。東京地裁判決は、安保関連法の施行で、日本が反撃されたり、テロの対象となったりする危険が増したという原告の主張について、具体的な危険が発生したとは認めがたいとして退けた。憲法判断は、具体的な権利の侵害が審理の対象となるとされ、抽象的な訴えでは中身の検討に入らないことが多い。
しかしながら、「戦争は繰り返したくない」という空襲体験者やテロ攻撃などの巻き添えを恐れる米軍基地周辺住民の不安は、果たして具体性を欠いた訴えだっただろうか。
高度に政治的問題は司法審査になじまないとして、憲法判断を避ける「統治行為論」も影響したとみられる。前橋地裁や横浜地裁の訴訟で証人尋問に臨んだ宮崎礼壹元内閣法制局長官は、安保関連法について「長年の政府解釈や国会議論に反しており、違憲だ」と述べた。その事実だけでも憲法判断を行う理由になるのではないか。立憲主義が問われている今こそ、司法が憲法判断と向き合うべきだ。(北海道新聞社説2019年11月8日)

幼児と車いす

ひとり暮らしを 始めた
施設を出て マチに飛び出した 
ごみを出しに行った
出会ったアパートの人が
「おはようございます」と 挨拶をしてくれた
そのとき オレもこのマチで暮らしているんだと 即実感
挨拶を返しながら その喜びを噛みしめた

遊んでいた幼児が オレを見つけた
そばにやって来て 車いすを不思議そうに見る 
どうしておじさん そんなものに乗っているの
なにげない 質問
大人は その原因を始めに尋ねようとは 決してしない
車いすはね おじさんの足だよ
だから 君よりは早く走れるよ
なめてかかって 豪語した

そしたら 競争しようという流れに なってしまった
突然 幼児は消えてしまった
おいおい 朝からおかしな展開だ
ややしばらくして 
なんと「三輪車」に乗って 登場した

幼児にとって 車いすとの競争は 三輪車ですること
それが 対等な競争の条件
あなどれない 子どもの鋭い着想を 思い知らされた

〔2019年11月5日書き下ろし。『こんな夜更けにバナナかよ』の鹿野靖明氏と一緒にマチに出たタケちゃんのちょっといい話。幼児は「対等な関係性」をいかにつくるのかを、鮮やかに見せてくれました〕

二つの詩

一つは 中学生だった

先生 聞いてください ぼくらの悩みとあせりを
先生 話してください あなたの青春の夢と希望を
先生 笑ってください 教室の暗さを吹き飛ばして
先生 叱ってください ぼくらの不平とさぼりを
先生 教えてください 人生のはてない辛さと厳しさを
そして 人として生きることの喜びを

そんな先生には なれなかった

もう一つは 版画家中野章に教えてもらった

人生には 明るい闇夜があり
まっすぐな迷路がある
人が群れとして 盲いていて
みちびく者も みちびかれる者も
みんな盲いていて
そんな夜を そんな道を
ひたむきに歩むのは 悲劇だ

出会ったときから もう20数年たった
11月7日夜 旭川の自宅を数年ぶりに訪ねる
いまの世の中が 悲劇にひた走る予感を 
共有する 

〔2019年11月5日書き下ろし。氏の北海道の風景を描いた版画は、多くの人を魅了する。「人はそれぞれの人生を歩みながら、それぞれの足跡を残してゆく」と巻頭言を寄せてくれた。その人生の軌跡を語り合える人がいることを、仕合わせというのだろう〕

習慣づける

郵便局で 書き損じハガキを交換した
枚数は8枚
ハガキよりも 切手に交換した
手数料を 始めに払い
そして 不足分を支払った
細かい硬貨を 財布から取り出す
「すいません 年寄りなもんで」
「いえいえ 大丈夫ですよ」
にこやかに応対する 女性局員
後ろには誰も 並んではいない

薬局で処方箋を出した
「お薬手帳は お持ちですか」
「いや 年ですかね 大事なことを すぐに忘れてしまいます」
 
仕事の打ち合わせの 連絡があった
自宅に来るという申し出を 断った
当日 事務所を訪ねた
「急なことで すみません」
「年寄りは 暇だし 散歩のつもりで出てきました」
彼が出向いてきて 事務所に戻るまでの 移動時間を考えた
ゆうに2時間は費やされる
その時間があれば やるべき仕事に集中できる
仕事に熱心な彼には 時間の余裕はなかった
年寄りは 現役の邪魔にならぬよう 
ささやかな応援をする

「年寄り」という言葉は
人と人を 優しくつなぐ言葉であってほしい
したたかに その言葉を使い分けることが
世間に優しさをふりまく 最期のお役目
だから身構えずに 使うことを習慣化する
もう立派な年寄りになったから 意地は捨てた
今は 年とることに慣れるよう心がけて
暮らしています 

〔2019年11月5日書き下ろし。原稿書きに困っていたらメールでヒントを与えてくれた。感謝します。いまは、ずるがしこく上手に使い分ける訓練中です〕

いじめ・愛国心・道徳教育:「道徳的価値ありきの、国家のための道徳教育」を問う―大森直樹著『道徳教育と愛国心』読後メモ―

いじめ最多54万件、3割増/文科省18年調査「重大事態」急増
全国の国公私立小中学校と高校、特別支援学校における2018年度のいじめの認知件数は54万3933件で、過去最多だったことが17日、文部科学省の問題行動・不登校調査で分かった。前年度から31.3%、12万9555件の大幅な増加。いじめが確認された学校は6.4ポイント増の80.8%に上った。心身に深刻な被害が生じるなどの「重大事態」も128件増の602件で最多だった。

〇上の記事(リード文)は、筆者(阪野)が住む地元新聞が報じた2019年10月18日付け朝刊の1面トップ記事である。学校教育の崩壊である。
〇周知のように2000年12月、同年3月に設置された「教育改革国民会議」(内閣総理大臣の私的諮問機関)が「教育改革国民会議報告―教育を変える17の提案―」を公表した。そこでは、「いじめ」を筆頭とする学校教育の荒廃が指摘され、その対応策として道徳教育の徹底や「道徳の教科化」の提言がなされた。次はその関連文章の一節である。

危機に瀕する日本の教育
いまや21世紀の入口に立つ私たちの現実を見るなら、日本の教育の荒廃は見過ごせないものがある。いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など教育をめぐる現状は深刻であり、このままでは社会が立ちゆかなくなる危機に瀕している。
人間性豊かな日本人を育成する
◎学校は道徳を教えることをためらわない
学校は、子どもの社会的自立を促す場であり、社会性の育成を重視し、自由と規律のバランスの回復を図ることが重要である。また、善悪をわきまえる感覚が、常に知育に優先して存在することを忘れてはならない。人間は先人から学びつつ、自らの多様な体験からも学ぶことが必要である。少子化、核家族時代における自我形成、社会性の育成のために、活動体験を通じた教育が必要である。
提言
(1)小学校に「道徳」、中学校に「人間科」、高校に「人生科」などの教科を設け、専門の教師や人生経験豊かな社会人が教えられるようにする。そこでは、死とは何か、生とは何かを含め、人間として生きていく上での基本の型を教え、自分の人生を切り拓く高い精神と志を持たせる。

〇その後、政府や文部科学省(以下、「文科省」)は、いじめ問題等への対応を前面に掲げ、世論の批判や不安をかわし・抑えながら道徳教育と愛国心教育を強化する法律や施策を重ねている。しかし、それらの実効性は上記の記事の通りであり、それはその教育が表層的で形骸化したものであった・あることによると断ぜざるをえない。その原因や背景についての実証的な検証・分析が十分におこなわれないまま、2015年3月に「学校教育法施行規則」と道徳に係る「学習指導要領」が一部改正・改訂された。そして、それに基づいて小学校では2018年4月から、中学校では2019年4月から「特別の教科 道徳」(道徳科)が全面実施されている。
〇注目すべきは、検定「教科書」の使用と新たな教育方法と評価の導入である。前者は、「日本の伝統や文化の尊重」「愛国心や郷土愛の態度」などをめぐって、一定の価値観や規範意識を国が上から押し付けることになる。それは、多様性や人権の尊重が声高に叫ばれる時代・社会にあって、極めて憂慮すべきことである。後者については、いわゆる「読み物道徳」「押し付け道徳」から「考え、議論する道徳教育」への質的転換である。しかしそれは、学習指導要領にあらかじめ提示された「道徳的価値」(「内容項目」)に限って「考え、議論する」にとどまる。従って、それはまた、一定の価値観の押し付けに他ならない。
〇道徳教育の評価については、「数値による評価ではなく、記述式とすること」「児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止めて認め、励ます個人内評価として行うこと」などとされている(道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議「『特別の教科 道徳』の指導方法・評価等について(報告)[概要]」2016年7月)。一人ひとりの児童生徒の道徳的心情や態度を評価することは、心情や態度であるがゆえに(悪しき日本文化の)本音と建前を使い分ける児童生徒を育成することになりかねない。そして何よりも、憲法が保障する「思想・信条の自由」を侵害する恐れなしとしない。学校現場においては、いまに始まったことではないが、道徳科「評価文例集」なるものがもてはやされ、評価文例が使いまわされるのが落ちである。
〇「教科」とは、「学校で教授される知識・技術などを内容の特質に応じて分類し、系統立てて組織化したものである」。「教科指導」は「系統的に組織化された文化内容を教授することにより、子どもを知的に『陶冶』することを主たる任務とする」。これに対し、「教科外活動」は「子どもの自主性を育て、民主的態度や行動力等を形成する『訓育』の課題を果たすことを主たる任務とする」(今野喜清・新井郁男・児島邦宏編『新版 学校教育辞典』教育出版、2003年2月、228ページ)。そうであれば、政府や文科省は、客観的な学問体系が存在しない道徳、別言すれば学問的な下支えのない道徳を教科化し、しかも評価基準のない評価までおこなうのは何故か。その本質や真のねらいをつかむためには、道徳教育の歴史に問うしかない。
〇その問いに応える必読書のひとつに、大森直樹著『道徳教育と愛国心―「道徳」の教科化にどう向き合うか』(岩波書店、2018年9月)がある。大森は、近現代日本の道徳教育の変遷を跡づけるなかで、戦前と戦後における道徳教育の継続性や戦前への回帰(「抜け道」)について論述する。とともに、安倍政権下における教育基本法の改正(改悪)や「道徳の教科化」の背景やねらい(政治権力の意向)などについても論究する。
〇大森にあっては、「道徳教育には2つの重要な領域がある」。「元来道徳は人々が生活と仕事のなかで自然に身につけるものであり、子どもにとっては学校が生活の場であることに対応した領域である」。すなわち、「無意図的な道徳教育」である。いまひとつは、「道徳事実についての学習」という領域である。すなわち、「歴史と社会のなかで人々はどのように道徳を形成してきたか、社会現象としての倫理や道徳について認識をふかめる」領域である。こうした学習は、「社会科をはじめとする教科学習や人権を主題とする総合学習でおこなうべき」である(320、321ページ)。
〇筆者なりに留意しておきたい、大森の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

戦後教育改革の「抜け道」
(1)国による教育目的の決定の継続(「抜け道」1)
文部省と国会(第92帝国議会、1946年12月~1947年3月)が、「教育勅語」(1890年10月発布)にかえて、「(旧)教育基本法」(1947年3月公布)によって教育目的をあらためて定めた。それによって、教育勅語(1948年6月廃止)は、教育目的および道徳基準についての最重要の文書としての位置を失った。しかし、それは同時に、戦後教育改革に「抜け道」や「火種」を用意して、その後の日本の教育現場に愛国心教育の復活を許していくものでもあった。教育勅語は君主の著作物として宣示され、(旧)教育基本法は立法を通じて施行されたものであったが、いずれにおいても、国による教育目的の決定の継続であった。(81、82ページ)
(2)国による教科目と教育課程構造の決定の継続(「抜け道」2)
文部省が、「国民学校令」(1941年3月公布)と「国民学校令施行規則」(1941年3月公布)にかえて、「学校教育法」(1947年3月公布)と「学校教育法施行規則」(1947年5月公布)によって小学校における教科目と教育課程構造をあらためて定めた。それによって、日本教育史における修身の廃止が法令措置として確定することになり、あわせて、教科と儀式の2領域による教育課程構造を終焉させることになった。しかし、それは同時に、文部省に教科目と教育課程構造の決定を継続させて、その後の日本の教育現場に独立教科による道徳教育の復活を許すことになった。(87ページ)
(3)国による教育課程の内容と授業時数の決定の継続(「抜け道」3)
文部省が、「国民学校令施行規則」にかえて、「学習指導要領 一般編(試案)」(1947年3月発行)によって教育課程の内容と授業時数のあり方をあらためて示した。学校教育法第20条では、「小学校の教科に関する事項は、第17条及び第18条の規定に従い、監督庁が、これを定める」と規定された。学校教育法施行規則第25条では、「小学校の教科課程、教科内容及びその取扱いについて学習指導要領の基準による」と規定された。すなわち、国による教育課程の内容と授業時数の決定の継続であった。(102、108、109ページ)

※学校教育法(昭和22年3月29日法律第26号)
第17条 小学校は、心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする。
第18条 小学校における教育については、前条の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
二 郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。
(一、三~八〔略〕)

(4)国による評価のあり方の決定の継続(「抜け道」4)
文部省が、「国民学校令施行規則」にかえて、「学校教育法施行規則」と学校教育局長通達「小学校学籍簿について」(1948年11月通達)によって小学校学籍簿の様式案を示した。それによって、学籍簿から修身の評定欄が消える。しかし、それは同時に、文部省に子どもの評価のあり方についての決定を実質的に継続させて、その後の指導要録に愛国心や道徳の評価の再開を許すことになった。(115ページ)

道徳教育のあり方についての類型
(1)子どもの生活の場としての学校において、子どもの道徳が自然に育まれていく、そうした意味での道徳教育(無意図的な道徳教育)。競争的な価値観が支配している学校では、子どもの道徳にどのような影響が生じるのか。ゆったりとした雰囲気の学校では、子どもの道徳にどのような影響が出てくるのか。
(2)道徳に関わる歴史や事実の学習という意味での道徳教育。道徳の形成を社会現象としてとらえて、歴史と社会の中で果たした役割について事実を学んでいく。こうした意味での道徳教育(道徳事実についての学習)は、1947年以降の教育課程では社会科教育の一部がそれに対応している。
(3)教員の意図的で計画的な取り組みによって、子どもの道徳を育もうとする、そうした意味での道徳教育(道徳形成のための教育)。1958年の「道徳の時間」と2018・2019年の「特別の教科である道徳」が額面通りおこなわれたときの姿がそれに近い。道徳形成のための教育については、可能な限りおこなうべきでない。
(4)従前の道徳教育にたいする「抜本的改善」の柱のひとつとして提起されている「考え、議論する道徳教育」だ。文科省は、「考え、議論する道徳教育」」について、「問題解決的な学習や体験的な学習などを取り入れ、指導方法を工夫」することと説明している。教育現場で取り組みが重ねられてきた教育方法を道徳教育に適用しようとするものだが、「考え、議論する道徳教育」という言葉が教育界で実際に果たす役割については見極めが必要だ。(ⅸ~ⅹページ)

グローバル人材養成と道徳教育
安倍政権下の教育改革の第1の柱は、財界のグローバル人材要求に直接的に応じた法と施策になっていることだ。この第1の柱が、道徳の教科化にも一定の意味合いを与えつつある。(297ページ)
グローバル人材養成(エリート教育)が教育の至上命題とされるなかで、そのことに道徳教育政策を対応させる試みもこの間におこなわれてきた。2014年10月、道徳の教科化に道をひらいた中央教育審議会答申にはつぎの文言がある。(304ページ)

今後グローバル化が進展する中で、様々な文化や価値観を背景とする人々と相互に尊重し合いながら生きることや、科学技術の発展や社会・経済の変化の中で、人間の幸福と社会の発展の調和的な実現を図ることが一層重要な課題となる。こうした課題に対応していくためには、社会を構成する主体である一人一人が、高い倫理観をもち、人としての生き方や社会の在り方について、多様な価値観の存在を認識しつつ、自ら感じ、考え、他者と対話し協働しながら、よりよい方向を目指す資質・能力を備えることがこれまで以上に重要であり、こうした資質・能力の育成に向け、道徳教育は、大きな役割を果たす必要がある。(中央教育審議会「道徳に係る教育課程の改善等について(答申)」2014年10月、2ページ)

ここでは、「グローバル化の進展による多様な価値観の尊重」「科学技術の発展による社会・経済変化」という課題に対応するため、「高い倫理観」「多様な価値観」「自ら感じ、考え」「他者と対話し協働」「よりよい方向」を鍵概念とする資質・能力を「一人一人」に形成することが要請されており、その手段として道徳教育を位置づけることがおこなわれている。
(305ページ)

ノンエリートへの愛国心教育
道徳の教科化という教育政策とよりストレートに結びついているのは、安倍政権下の教育改革の第2の柱である「ノンエリートへの愛国心教育」だった。一般の多数の子ども(ノンエリート)へも別の形での道徳教育が要請されていった。その中心に位置づけられるのが愛国心教育である。
安倍政権下では、小中学校の子どもを対象にして愛国心教育を強化する法と施策が重ねられてきた。第1次安倍政権(2006年9月~2007年8月)は、改正した教育基本法(2006年12月)に「我が国と郷土を愛する」の文言(愛国心教育規定)を盛り、一部改正「学校教育法」(2007年6月)に義務教育の目標を新設し、そこにも愛国心教育を規定した。(305ペーパ)
愛国心教育の拡充の背景には格差の拡大下における国民統合への要請があったことだ。ここであらためて参照しておきたいのは、文部科学省および中央教育審議会における教育基本法の改正理由が、公式的には「新しい時代に対応する必要」だったことだ。この点に着目をして、市川昭午はつぎのように述べている。「改正の必要が生じてきたと判断した背景にあるのは、1990年代を通じてのグローバル化の進展と格差の拡大であろう。経済のグローバル化に伴って世界に通用するパワフルな日本人の育成が不可欠であると考えられるようになった。それと同時に、社会格差の拡大が急速に進んだことから国民統合を強化する必要が意識されるようになった」(市川昭午『教育基本法改正論争史―改正で教育はどうなる』教育開発研究所、2009年4月、29ページ)。安倍政権は、格差の拡大がもたらす人々の不満が体制への批判に発展することに危機感を抱き、体制を維持するイデオロギーとして愛国心に期待を寄せ続けているのではないか。(307~308ページ)

軍事的要請と愛国心教育
愛国心教育の拡充の背景には軍事的要請もあったことだ。2004年2月25日、超党派の議員連盟・教育基本法改正促進委員会設立総会において、つぎの発言がおこなわれている(『朝日新聞』2004年2月26日)。

お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる(中略)お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり困民の軍隊が明確に意識とされなければならない。この中で国民教育が復活していく。

発言者は同委員会副委員長・西村眞悟(衆議院議員・民主党)だった。国民に戦争のために命を投げ出すことを迫る暴言だったが、この発言が自衛隊による戦争協力が本格化する(2004年1月、自衛隊のイラク派遣等)なかでおこなわれていたことのもつ意味が重大だった。(308ページ)
『毎日新聞』編集委員の伊藤智永はつぎのように述べている。「東西冷戦が終わって、新たな国際紛争時代に入り、国の教育改革は経済的要請に加えて軍事的要請の比重が高まった。安倍流教育政治がそれまでと異質なのは、そのためだ」(『サンデー毎日』2017年4月23日号)。(309ページ)

〇下の記事(リード文)は、筆者が住む地元新聞が報じた2019年10月10日付け朝刊の社会・総合面の記事である。学校における犯罪である。

子どもに「学級つぶせ」/神戸市の教諭いじめ 加害者が発言か
神戸市立東須磨小の教諭4人が同僚の教員4人をいじめていた問題で、仁王美貴校長が9日、記者会見し「(加害者が)『反抗しまくって学級つぶしたれ』と子どもに言っていた」と被害者が訴えていることを明らかにした。加害者側は発言を否定している。「自分が面白ければ良かった」と釈明した加害者もいた。

〇この教員間のいじめ問題は、氷山の一角にすぎないであろう。教員間のいじめは、教員自身による学校破壊であり、公正と正義を妄信する「改革者」の地位と権力をより一層強化するだけである。そしてその病理は、ブーメランのように学校・教員・児童生徒、保護者や地域・社会に跳ね返ってくる。

補遺
(1)「修身」という教科は、初等学校に即していうと、1872(明治5)年8月の学制に小学教科の一つとして登場している。同年9月に定められた文部省「小学教則」によれば、この教科は「修身口授」(ぎょうぎのさとし)とも呼ばれ、主として『童蒙教草』(福沢諭吉訳)など、欧米の翻訳修身書によるものとされた。その後、この教科は、1880年12月の改正教育令において、小学校における最重要の教科という意味で首位教科とされるに至る。そして西村茂樹編『小学修身訓』、文部省『小学修身書初等科之部』などの儒教主義修身書が用いられた。さらに1890年10月、教育勅語が発布されるに及んで、この教科は「教育二関スル勅語ノ旨趣』に基づくべきものとされた(以下、略)。(前掲『新版 学校教育辞典』383~384ページ)。
(2)「朕(ちん)惟(おも)フニ……」で始まる「教育勅語」(「教育ニ関スル勅語」)では、11(12)の徳目が説かれた。それは、9のキーワードに分類できる。「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」という「家族愛」をはじめ、「友情・信頼」「節度・節制」「親切・思いやり」「学業励行」「能力向上・人格向上」「勤労・公共精神」「規則尊重」そして「愛国心」がそれである。そのうちで最重要の徳目の内容とされたのは、「一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレハ(ば)義勇(ぎゆう)公(こう)ニ奉(ほう)シ(じ)以(もっ)テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スへ(べ)シ」という「愛国心」であった。現代語訳は、「いつ(っ)たん國(国)に事ある場合には、勇氣(勇気)をふるひ(い)おこして、命をささげ、君國(くんこく)のためにつくさなければなりません」(文部省『初等科修身 四』1943(昭和18)年1月、5ページ)である。

教育勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽

朕(ちん)惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそ こうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)德ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(しんをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實ニ(じつに)此ニ(ここに)存ス(ぞんす)爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ(ふぼに こうに)兄弟ニ友ニ(けいていに ゆうに)夫婦相和シ(ふうふ あいわし)朋友相信シ(ほうゆう あいしんじ)恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ博愛(はくあい)衆(しゅう)ニ及(およ)ホシ學(がく)ヲ修(おさ)メ業(しゅう)ヲ習(なら)ヒ以(もっ)テ智能(ちのう)ヲ啓發(けいはつ)シ德器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ進(すすん)テ公益(こうえき)ヲ廣(ひろ)メ世務(せむ/せいむ)ヲ開(ひら)キ 常(つね)ニ國憲(こっけん)ヲ重(じゅう)シ國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇公(ぎゆうこう)ニ奉(ほう)シ以(もっ)テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘシ是ノ如キハ(このごときは)獨リ(ひとり)朕(ちん)カ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラス又(また)以テ(もって)爾(なんじ)祖先(そせん)ノ遺風(いふう)ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン
斯ノ(この)道ハ實ニ(じつに)我カ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ子孫臣民ノ倶ニ(ともに)遵守スヘキ(じゅんしゅすべき)所(ところ)之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(もとらず)朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ(そのとくを)一ニセンコトヲ庶幾フ(こいねがう)
明治二十三年十月三十日
御名御璽(ぎょめい ぎょじ)

文部省『初等科修身 四』

(3)学校の教育活動全体(小学校の教育課程構造は、教科・道徳科・外国語活動・総合的な学習の時間・特別活動の5領域であり、中学校の教育課程構造は外国語活動を除いた4領域である)を通じておこなう道徳教育の要である小学校の道徳科の内容は、以下の通りである。

「小学校学習指導要領」(2017年3月告示)/第3章 特別の教科 道徳

水があう

ある夏の日 バングラデシュのダッカから 
二百キロメートル離れた 北にある村にいた
雨期で 村中が水没していた
起伏の少ない 平地の国土の多くは 
首都ダッカも 逃れられない水の中にあった

隣の家に行くには 一本の竹の橋を渡った
村から村への移動は 船だった
まるで孤島のようだった
水の下は みな畑だった
水が来る前に 刈り取ったジュートを 
男は 水に入って細かく割いていた
女は 幼児を抱きながら 水浴びしていた

ある冬の日 ダッカから
二百五十キロメートル離れた 北の村にいた
乾期だった
夏の景色は一転し 地面が露出していた
それが当たり前の 村の地相だった
昼 ため池の周りに 村人たちが集まり
村の社交場と化した 喧噪の中にいた
子どもは 大きな鍋を洗う
女は 長い黒髪を洗う
男は 沐浴する
ため池に流れてくる水流は 見えない
朝靄が立ちこめる中 散歩に出た
ガラガラ うがいの音がした
ため池のそばに ひとり女が立っていた

村で 出会った人たち
彼らには 選択肢が限られていた
厳しい自然環境の中で 貧しい暮らしの中で
ひたすら 生きることへの渇望を 強くした
その水に合わせるしか 生きる術はなかった
その水に合うよう 生きるしかなかった
でも 底抜けに明るい笑顔に 
生き抜くエネルギーを 感じた

井戸水を 手押しポンプで汲み上げる
ゲストは その水で顔と手を洗い
ペットボトルに入った 安全な水を飲んだ
出された料理はすべて 井戸水が使われた
現地での当たり前の暮らしに 身体は敏感に反応した 
水が 合わなかった
何度出向いても 水が合わなかった
生理的に 水が合わなかった

現代という 利己主義がはびこる社会の中で
精神的に 水が合わず
生きることを 強いられた 
心も身体も敏感に 拒絶反応を起こした
選択肢が多くなった分 悩みと後悔が 襲った
処理しきれずに 心を病んだ

豊かさの中で いまを生きる
処方箋は 症状を緩和する投薬と カウンセリング
手放すことの出来なくなった不幸を 一人ひとりが抱え込む
世の中の水が 合わなくなって ずいぶんとなる

〔2019年11月3日書き下ろし。二十数年前に出向いたバングラデシュ。今はもう村の風景は一変しているだろう。経済成長は、水に合わない様々な問題と人類の不幸を一方で創り出してきたのではないか。現代の悩みの淵は深い〕

顔

教師は 癇に障ると 生徒指導と称して
意地くそ悪い顔をして にらみつけた
少年には 悲しい顔に見えた
空威張りをしている 威嚇(いかく)の顔が
あまりにも 醜(みにく)かった
だから 哀れみが憤りを抑え 反骨心を鍛えた

こびへつらって 生きていくことの
大人の辛さが 醜い顔になっていた
少年には 腹立ち紛れの汚い言葉も
惨めぽくって 余計にしんどかった
教師もまた 学校という世間に 生きていた

物わかりのよい子が 一番の喜びだった
顔色をうかがいながら いい子を演じた
物わかりが悪い子は 一番の悩みだった
勉強もせず 適度に逆らい あしらった 
物わかりのいい子は 卒業した後 
仮面を外して いい子をやめた
物わかりの悪い子は 卒業した後 
思うとおりに生きたいと 歩き出した

中学校という世間を
世渡り上手に 立ち回ってきた子は
どんな生き方をするのかを 先送りした
世渡りベタの 鈍くさい子は
監視と罵倒から解放され 夢を追いかける 

〔2019年11月2日書き下ろし。中卒で頑張る子らへ。学力で優劣をつけ、無体な人間評価する学校よりも、生きた知力を社会でしっかりと学びながら夢を追いかけてください。社会は、その子が育つ力を是非貸してください〕

決心する

福祉系の科目で ゲストに呼ばれた
40人の学生を前に 車いすに座る
マイクを持つ手は 小刻みに震える
首に青筋を くっきり浮かべ
喉から息を 絞り出すように吐いて
必死の形相で 全身を振るわせ 声を出す 
言葉にならない 響く強い音

病により 1ヶ月間生死を彷徨(さまよ)い
目覚めたときには ベッドに横たわっていた
声も出ない 動かない自分に 愕然とした
阿鼻叫喚(あびきょうかん)の苦悶から脱して
こうして大学の教室で 学生たちと向き合う
スクリーンに表示された文字を読みあげながら 必死に語る
19歳 大学1年の夏に倒れ 未来を一瞬にして奪われてしまった
悲憤慷慨(ひふんこうがい)を抑えながら 16年後のいまを語る 

学生たちは 言葉にならない声を聴きながら 画面に見入る
教室に 緊張感が満ちていた
寝ている者は いない

後日 学生は手紙を託した
大学に入って 一番こころ踊る 熱い授業でした
こういうときは 長々と気持ちを述べたほうが 伝わるのかも知れません
しかし 私の文章力では 本当に伝えたいことが ズレてしまうと思います
なので 一言だけ言います
「私の人生は あなたのおかげで変わりました」とお伝えください
後は自分の生き方で証明します

※阿鼻叫喚(あびきょうかん):阿鼻という地獄で、大罪を犯した者が剣樹・刀山などの苦しみに堪えられないで泣き叫ぶこと。
※悲憤慷慨(ひふんこうがい):世の中の不義不正や自分の不当な運命などを悲しみいきどおること。

〔2019年11月1日書き下ろし。学生はどのように彼を受け止められていいのか戸惑いながら、話に惹きつけられ、覚醒していきました。気負わず相手をあるがままに受けとめていくことが出来るのは若者の素直さですね。大学の教育系福祉系の先生方へ。学生諸君に、あなたは意識変容させる何ものかをお持ちですか?〕