阪野 貢 のすべての投稿

悲恋

雪降ることを 祈りました
雪が降って
私を洗い清めてくださるように 思えたから
けれど
雪が 今降ろうとしている空をみると
雪の降ることを 祈るのは
私にとって 最高のわがままだと 気づいたのです
私の心の中に住みつく 黒い影を取り除くには
歩む道を まちがえてしまったと 気づいたのだから
まちがえた道を
私の道として 私のものとして 雪にめぐり逢いたい
雪の降ることで 私は幸せになりたい
《遺稿「雪降る」昭和44年初冬、18歳》

涙が流れます
封印してきた あなたの詩情
受けとめられなかった あなたの心の奥の声
まちがえた道を 私の道として歩むと決めて
天を仰いで 倖せを祈るあなたの姿
その青き苦悩に 寄り添うこともなく
その青き願望を 理解することもなく
いま 雪降る闇夜を仰ぎます

生まれてきたもの
一つの愛の物語
無数の愛の花開く 片恋の道 無数の道
その一つ一つが 少年の五体へ通じる 
意味のある旅人
好きになった少年の唇を そっとこの唇で触れたい
生まれてきたものへ 通じる恋の道
《「生まれてきたもの」昭和43年5月19日、17歳》

幼いとはいえない 恋心
叶わぬおもいを したためた
心残り 悔しさに
ただただ 涙が零れます
時に あなたは激情だった
だからこそ 生きていてほしかった

視界のきかない世界
それは 恋の地獄
もがきあえいで 
苦しみの果てに 花は散る
地獄の炎は 恋日記
全盲の壁を のりこえて 
叫び はいずり 狂い舞う
男は かかえる頭の重さを知らず
恋を捨てずに ノラ犬の如く這いまわる
女は 胸の痛みのとれぬままに 恋に捨てられ
ノラ犬の如く 男を探し求める
繰り返しの 恋日記
恋の地獄は さよなら地帯
もがき苦しみあえぎの果てに
青い焔が 一節詩う
さよなら地帯
《「さよなら地帯」昭和43年3月13日、17歳》

詩の中に 生身の女の子が 生きていた
それだけが 彼女の生の証
恋に身を焼く ヒロイン
求めてやまない恋情に
青の感性が 彩られていた
胸が 締め付けられています
いまも やるせないのです
どうしょうもなく やるせないのです

〔2019年11月17日書き下ろし。妹琴代との50年を超えての語らいです〕

夢詩(ゆめうた)

夢を見ました
あなたの夢です
手には届かない あなた
だから 夢で会うのです
あなたの笑う顔が 見たくって
私は いつも夢で会うのです
あなたのために 私は眠る
あなたに逢いたくて 私は眠るのです
私の夢は いつまで夢なのか
いつわりの愛に 目覚めたい
夢を抜け出して あなたの心に灯を ともしてみたいのです
あなたの夢を 今夜も見ましょう
そして 話しましょう 夢はいやだと
あなたの手の中に
あなたの心の片隅に
あなたの脳裏に私は住みたい
愛を知ったから
《「夢を抜けだして」昭和44年7月22日18歳》

白紙のままで 終わりたくない
このまま歩いてゆけば あなたとは平行線
交わることもなく 微笑むこともなく
差しのべてくれない 手の冷たさ
これが 恋なのか
恋は 私に苦しみを与えて 終わるのでしょうか
それは 恋とは呼べない
あなたに尽くし あなたに燃えて あなたの心の中で育つ
恋に恥じない 恋をしたい
白紙のままで 終わるなら
恋とは呼べない
恋とは呼べない
《「恋とは呼べない」昭和44年8月26日18歳》

叶えられることのない 恋ゆえに
この味を ただひとり噛みしめた
追いつくことも 追い抜くこともできない
《「片恋」昭和43年9月15日17歳》

妹よ
感傷的な世界に浸る あなたを知りました
片恋であり 失恋であり
告白前の夢恋を 知りました
憧れの恋を 知りました

妹よ
恋に 逃避した
恋に恋していたのは あなただった
それが 夢想の世界なのか 現実なのか
決して 答えてはくれない

妹よ
恋に苦しみながらも
青春を駆け抜けたという
その真実をさらけ出した 詩との出会いに
痛みを伴う 深い共感を抱いた
それは
あなたを理解する 唯一の手がかりとなった

妹よ
新しい旅立ちの日は 間近だ
だから 
あなたが残した 恋詩(こいうた)の一片を
あなたが残した 淡く切ない恋情のかけらを
いまこうして 書き残すことを
兄からのはなむけとして 受け取ってほしい
あなたのために なにもできなかった後悔と
あなたが 妹であったことへの 深い感謝を込めて

〔2019年11月16日書き下ろし。妹琴代の恋詩の紹介をさせていただいた。命日が近い〕

説明と言い訳

説明とは
「事柄の内容や意味を、よく分かるようにときあかす。記述が事実の確認にとどまるのに対し、事実が何故かくあるかの根拠を示すもの。科学的研究では因果法則によって把握すること」(以下「広辞苑」より引用)

言い訳とは
「物事の筋道を説明すること。転じて、過ちを謝するために事情・理由を説明すること。申しわけ。弁解。ことばの使いわけ」

さらに 類似する弁明とは
「説明して事理を明らかにすること。自分の立場や事情をはっきり述べること。弁解」

簡単です
要は 起こった事案について
ことの顛末を 包み隠さず説明し
自分の立場や事情を はっきりと述べる
それが求められる回答だったら 納得するだけのこと

では 納得とは
「承知すること。なるほどと認めること」
そこで 承知とは
「とがめずに見逃す。許す」
この意の場合は、打ち消しの意を伴います
「嘘をついたら承知しないぞ」

問題は ここにあるのです
いままで いいだけ嘘偽りを 聞かされてきたものですから
さもやんごとなく 記者会見での美しい弁明を拝聴して
簡単に 納得するわけにはいかないのです
丁寧な説明も いつもそうしないからこそ 余計に疑われるのです

あなたにふさわしい日本語を プレゼントします

「詭弁」
「道理に合わぬ弁論。理を非に言いまげる弁論。こじつけの議論。判断や推理に関する論理的反省に基づいて生じる、外見上はもっともらしい推論で、形式上や内容上の虚偽を含み、多くの場合相手をあざむいたり、こまらせることになる」

結論
「終局の議論。結局の議論。考えたり議論した末に下される判断や意見。推論において、既得または仮定された知識を前提として導き出した判断。断案。帰結」

結論を出すには まだ早いでしょうか
でも あなたの日本語を 信じられないのです
だから 咎めず見逃し許す なんて無理です

権力に群がる方たちは あおりを食らわぬように
すでにデータは 消去・焼却して 関係ないよう身繕う
でも 世の趨勢(すうせい)を読み違え
衰勢に身も心も委ね 衰世に加担してるのです
次は 酔醒したあなたが暴かれます
御身 お大事に

※衰勢(すいせい):おとろえた勢い。また勢いがおとろえている状態。
※衰世(すいせい):おとろえた世。道徳がすれた世。末世。
※酔醒(すいせい):酒に酔うこととさめること。

〔2019年11月17日書き下ろし。桜の花を愛でる会が、本心の探り合いという醜い様相を呈してきました。どこまで暴かれるのでしょうか〕

「住民主体」「行政参加」のまちづくりと「スマート自治体」「圏域連携」の自治体行政:「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」に関するメモ―寺谷篤志・他編著『創発的営み』を読む―

1996年6月に日本・ゼロ分のイチ村おこし運動の企画書と実施要領を策定し、京都の京阪ホテルで岡田憲夫先生と杉万俊夫先生の意見を聞いた。岡田先生は「これは議会が飛ぶ、夜明け前だ」、杉万先生は「ここまで強制しないと地域は動かないのか」と言われた。(寺谷篤志、2019年11月。「補遺(1)」参照)

(ゼロ分のイチ運動の「企画書」は)やや大げさに言えば、我が国の地域づくりにとって、記念碑的文書とも言える。(小田切徳美『農山村は消滅しない』岩波新書、2014年12月、60ページ)

(『創発的営み』は)智頭町という地域の「小さな記録」ではあるが、それを通じて日本社会の未来のあり方さえも展望する「大きな書」であることがわかる。(小田切徳美:下記『創発的営み』193ページ)

〇鳥取県智頭町(ちづちょう)は、鳥取県の東南に位置し、総面積の9割以上を山林が占め、人口6909人、高齢化率41.04%(2019年11月1日現在)のまちである。まちのキャッチコピーは、「みどりの風が吹く疎開のまち」である。「過疎のまち」でないことに注目したい。
〇智頭町では、一人の住民の発案によって、1988年5月に「智頭町活性化プロジェクト集団」(Chizu Creative Project Team、CCPT)が結成された。1996年8月に、住民主体・主導と行政参加・支援による「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」(早瀬集落。以下「ゼロイチ運動」)が始まった。その中心人物のひとりに、寺谷篤志(てらたに・あつし)がいた。その寺谷(敬称略)から先日、1冊の本のご恵贈を賜った。寺谷篤志・澤田廉路・平塚伸治編著、小田切徳美解題『地方創生へのしるべ―鳥取県智頭町発 創発的営み』(今井出版、2019年10月。以下[本書])がそれである。
〇筆者(阪野)の手もとにある智頭町のまちづくり運動に関する本は、6冊となった。

(1)寺谷篤志・澤田廉路・平塚伸治編著、小田切徳美解題『地方創生へのしるべ―鳥取県智頭町発 創発的営み』今井出版、2019年10月
(2)寺谷篤志著『定年後、京都で始めた第二の人生―小さな事起こしのすすめ―』岩波書店、2016年5月
(3)寺谷篤志・平塚伸治著、鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』仕事と暮らしの研究所、2015年3月
(4)熊谷京子・藤原由貴・長谷莱生写真、西村早栄子文章『鳥取県智頭町 森のようちえん まるたんぼう~空と大地と太陽と~』NPO法人 森のようちえん まるたんぼう、2014年8月
(5)渡邉格著『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」―タルマーリー発、新しい働き方と暮らし―』講談社、2013年9月、文庫版・2017年3月
(6)岡田憲夫・杉万俊夫・平塚伸治・河原利和著『地域からの挑戦―鳥取県・智頭町の「くに」おこし』(岩波ブックレットNo.520)岩波書店、2000年10月

〇本書は、智頭町におけるまち(地域)づくりを主動・先導してきた5人のキーパーソンに焦点を当て、ゼロイチ運動の前史から現在までにおける取り組み(「創発的営み」)の実践記録である。本書に添付された寺谷の書簡によると、「心血を注いだまちづくりは、一体どんな意味を持っていたのか」。「社会規範を意識して取り組んだまちづくりやゼロ分のイチ運動は、人々にどんな影響を与えているのか。そこにはエマージング(emerging、「創発」)現象が起こっているように思いました。その様子を編集しています」。
〇筆者はかつて、寺谷から貴重な資料の提供を受けて、本ブログの「ディスカッションルーム」に(61)地域経営実践者としての寺谷篤志の挑戦、その記録:鳥取県智頭町地域経営講座「杉下村塾」を中心に―資料紹介―/2016年6月28日投稿、(62)鳥取県智頭町「杉下村塾」10年の歩み:河原利和のレポート―資料紹介―/2016年7月3日投稿、をアップしている。
〇本稿では、それらに加えて、ゼロイチ運動について再確認・再認識するために、本書における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「創発的営み」
創発的営みは、ある一人の発意やつぶやき的アイデアが活発な議論を巻き起こし、具体的な事業アイデアに昇華する協働作業の実践である。創発的営みとは、智頭町の地域づくり全般から受け取った表現である。小さな動きの一歩こそ価値がある。(平塚:9ページ)

「体系的な挑戦」
ゼロイチ運動の計画づくりの要諦とした、「住民自治」と「地域経営」と「交流・情報」の3本柱が規範形成の必要条件となる。この3本柱は地域を元気にするための基本的な考え方のエッセンス(地域を元気にするための秘訣)である(図1参照)。
住民自治とは、住民が地域をよくするために事業計画を立て共働で事業を行い、自分たちで地域づくりを達成していく考え方である。そのために、住民独自による地域づくりの検討会等を組織して、予算を確保し、専門家や行政の知恵を引き出し、積極的に実行していく運動である。
地域経営とは、その地に住むすべての人々が、主体的に地域を治めることである。地域に内在する、人、モノ、こと、技術、文化、社会システムなど、あらゆる資源を総動員して、地域資源の価値を最大限に引出し、宝(財)や誇りとする。さらに、それらが地域内で持続的に循環して機能する考え方である。
交流・情報とは、地域から地域づくりのノウハウやアイデアなどを、積極的に他地域に情報を発信することである。それによって、初めて他者との関係が生まれ、交流も生まれてくる。地域には自立自営の意識が生まれてくる。交流は地域に新しい風を吹き込み、新たな価値を創造するエンジンとなっていく。つまり、地域は外に開かれていなければならない。(平塚:11~12ページ)

「夢追い人」
(ヒヤリングした5人のみなさんに共通点がある。)それはまず「行動力」である。合わせて「レスポンス(反応)の速さ」や立てた「計画に対する執念」は半端ではない。そのことが多くの障害を乗り越える原動力となって、プロジェクトを実現させている。煎じ詰めれば、強い信念のもと「第一歩を踏み出す勇気」と、「実行力」が結果となって現れている。つまり、ちょっとした思いつきを行動力と執念によって現実にさせている。ヒヤリングした方々は、時代の魁(さきがけ)としての思いが強く、言い換えれば、夢を実現する「夢追い人」の挑戦であった。
なぜ智頭町にこれらの人々が集まったのか。それは、おそらく熱いところには熱い人々が、執念のあるところには執念のある人々が、人財は人財の結合によって磁場を形成するのではなかろうか。これが自然の理のように思えた。(澤田:177~178ページ)

「奥深い特徴」
ゼロイチ運動は3つの奥深い特徴を持っている。
1つ目は、「内発性」の重視である。これは、以前の、工場誘致やリゾート開発などの外来型開発ではなく、地域自らが一歩踏み出すことを重視しており、その「一歩」に無限大(=1/0)の価値があると捉えている。いっけん、奇妙な「ゼロ分のイチ」というネーミングには、ブレのない思想性を感じることができる。
2つ目は、「総合性・多様性」の重視である。これは、以前の単品型・画一的な地域活性化から、福祉や環境等を含めた総合型、地域の実情を踏まえた多様性に富んだ取り組みへの転換を意識している。この運動が、誘導すべきモデルを作らず、地域からの手上げ方式をとったのは、先の内発性を重視すると同時に、この総合性を目指し、多様性を認めようとする企画者の意志を示している。
3つ目は、「革新性(イノベーション)」の重視である。これは、以前の「男社会」(参加者の多くが年長の男性戸主)を刷新する仕組みとして、ゼロイチ運動では、集落そのものではなく、同じ地理的範囲で「振興協議会」を設立することを前提としている。女性の積極的参画が当然である地域づくりにとって、必要な革新的なシステム・チェンジであろう。(小田切:183~184ページ)

「にぎやかな過疎」
最近の農山村では、①開かれた地域づくりに取り組む地域住民、②地域で自ら「しごと」を作ろうとする移住者、③何か地域に関われないかと動く関係人口、④これらの動きをサポートするNPOや大学、そして⑤SDGs(Sustainable Development Goals〈持続可能な開発目標〉)により地域貢献活動を再度活発化しはじめた企業(智頭町では今後の課題)などの多様・多彩なプレイヤーが緩やかなネットワークでつながり、なんとなくワイワイ・ガヤガヤとした雰囲気を作りだしている(「にぎやかな過疎」)。その結果、人口減少下でも、地域にいつも新しい動きがあり、人が人を呼ぶ、しごとがしごとを作るという現象が、ここに生まれている(「人口減少下での人材増」)。(小田切:186、187、189ページ)

〇ところで、総務省が、2017年10月、大臣主催の「自治体戦略2040構想研究会」(座長・清家篤。以下[研究会])を立ち上げている。そこでの検討内容は、(1)「2040年頃の自治体が抱える課題の整理」、(2)「住み働き、新たな価値を生み出す場である自治体の多様性を高める方策」、(3)「自治体の行政経営改革、圏域マネジメントのあり方」等(「運営要綱」)についてである。
〇研究会は、2018年4月、「第一次報告~人口減少下において満足度の高い人生と人間を尊重する社会をどう構築するか~」を公表した。そこではまず、「我が国は、少子化による急速な人口減少と高齢化という未曾有の危機に直面している」(2ページ)という。そして、自治体行政が2040年頃に抱える(1)「個別分野の課題」として、①子育て・教育、②医療・介護、③インフラ・公共施設,公共交通、④空間管理(空き家、空き地等)、治安・防災、⑤労働・産業・テクノロジー(ICT、ロボット、生命科学等)、(2)「自治体行政の課題」として①経営資源の変化、②圏域マネジメントと行政経営改革、等々について整理している。
〇そのうえで、報告書は、「2040年頃にかけて迫り来る我が国の内政上の危機とその対応」について、3つの柱に集約されるという。(1)「若者を吸収しながら老いていく東京圏と支え手を失う地方圏」、(2)「標準的な人生設計の消滅による雇用・教育の機能不全」、(3)「スポンジ化する都市と朽ち果てるインフラ」がそれである。そのなかで注目されるのは、「急速に人口減少が進み、特に小規模な自治体では人口の減少率が4~5割に迫る団体が数多く生じると見込まれる。そのような中では、個々の市町村が行政のフルセット主義を排し、圏域単位で、あるいは圏域を越えた都市・地方の自治体間で、有機的に連携することで都市機能等を維持確保する(中略)必要がある」。「都道府県・市町村の二層制を柔軟化し、それぞれの地域に応じた行政の共通基盤の構築を進めていくことも必要になる」(50ページ)という指摘である。なお、都市の「スポンジ化」とは、「都市の大きさは変わらずに、ランダムに小さな空き家、空き地が生じて都市全体が低密度化する状態」をいう。行政の「フルセット主義」とは、個々の市町村が全分野の施策・行政サービスを提供することをいう。
〇研究会は、2018年7月、「第二次報告」を公表した。そこでは、(1)「スマート自治体への転換」、(2)「公共私によるくらしの維持」、(3)「圏域マネジメントと二層制の柔軟化」、(4)「東京圏のプラットホーム」の4点をめぐって、「新たな自治体行政の基本的考え方」を提示する。そのうちの(3)については、「地方圏の9割以上の市町村では、今後、人口減少が見込まれている」なかで、①「圏域単位での行政のスタンダード化」、すなわち「個々の市町村が行政のフルセット主義と他の市町村との勝者なき競争から脱却し、圏域単位での行政をスタンダードにし、戦略的に圏域内の都市機能等を守り抜かなければならない」(35ページ)と指摘する。とともに、②「都道府県・市町村の二層制の柔軟化」、すなわち「都道府県・市町村の二層制を柔軟化し、それぞれの地域に応じ、都道府県と市町村の機能を結集した行政の共通基盤の構築を進めていくことが求められる」(36ページ)と指摘する。なお、「スマート自治体」とは、AIやロボットなどを活用し、自治体職員でなければできないより価値のある業務に注力する自治体のあり方をいう(「補遺(2)」参照)。
〇そして、報告書は、「圏域」について、「圏域単位で行政を進めることについて真正面から認める法律上の枠組みを設け、圏域の実体性を確立し、顕在化させ、中心都市のマネジメント力を高め、合意形成を容易にしていく方策が必要ではないか」(36ページ)という。「圏域の法制化」である。
〇以上を要するに、「2040年頃にかけて迫り来る我が国の内政上の危機」に対応するためには、隣接する自治体が連携・補完する「圏域」を法制化し、「圏域単位での行政のスタンダード化」を進めるための「地方行政体制」の見直しが必要となる、というのである。それは、国の地方自治への介入・統制の強化を進め、「地方自治の本旨」である「住民自治」と「団体自治」を破壊することにつながる恐れなしとしない。「自治の侵害と破壊」である。
〇別言すれば、「圏域」では、地方選挙(直接選挙)によって選ばれる首長と議員からなる「議会」をもたない。それゆえに、住民の具体的なニーズや意思が反映されず、責任が果たせず、国がその権限と財源によって政策遂行や行政事務を主導的・直接的におこなうことになる。それは、市町村の権限や財源を制限することにつながる。とりわけ「圏域」の中核都市以外の周辺市町村においては、その自治が弱体化・形骸化することになり、「住民主体・行政参加」のまちづくりは極めて困難になる。いつか見た光景であり、国家主義や全体主義への指向である。強く留意したい。
〇なお、ここで思い出すのは、日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が2014年5月におこなった「成長を続ける21世紀のために 「ストップ少子化・地方元気戦略」」(「増田レポート」)の提言である。そこでは、「2040年までに全国の市町村の半数が消滅する可能性がある」とされた。危機を過剰に煽って、「事を成す」というやり方(常套手段)である。2014年9月から推進されている「地方創生」施策を見ても分かるように、政府は、「迫り来る危機」を強調し、画一的な施策を「上から」地方に押し付けている。「圏域」構想においても然(しか)りである。「圏域」構想は、行財政の効率化をめざした「平成の大合併」(1999年7月~2010年3月)と似た要素や側面を持っており、地方(地域)の個性や独自性を奪い、その疲弊・衰退を深刻化させる可能性が高い。「隠れた合併」の促進である。
〇下の記事は、筆者が住む地元新聞が報じた2019年11月7日付け朝刊の1面準トップ記事である。「平成の大合併」についての実証的な検証・分析なくして、「圏域」構想はあり得ない。

〇なお、総務省が2018年9月に設置した「地方自治体における業務プロセス・システムの標準化及びAI・ロボティクスの活用に関する研究会(「スマート自治体研究会」)」(座長・國領二郎)が、2019年5月、「報告書~「Society 5.0時代の地方」を実現するスマート自治体への転換~」を公表した。総務省が2040年頃を見据えた「将来の地方自治体の姿」は、「スマート自治体」と「圏域連携」である。
〇「圏域連携」とは、複数の市町村で構成する行政組織「圏域」を新たな行政単位に位置づけるものである。そこでは、少子高齢化や労働力人口の減少、それによる地方財政のより一層の逼迫化を背景に、国が地方行政を主導的に管理・運営し、統制することになる。それは、それぞれの地域の生活実態に基づく基本的人権の保障や、参加型のボトムアップの(熟議)民主主義を危うくする。国や社会(財界)は、その地に住むすべての人々による、その地ならではの、泥臭いまちづくり(「創発的地域経営」)は「時代遅れ」、とでもいうのであろうか。「にぎやかな過疎」「人口減少下での人材増」の現実をどう見ているのか。問うてみたい。
〇「Society 5.0」とは、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く新たな社会を指す。サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会をいう(内閣府)。

補遺
(1)「集落版ゼロイチ運動」企画書(1996年6月)

(2)「圏域」構想―地方圏の圏域マネジメントと二層制の柔軟化―

捜しもの

札幌も ようやく雪景色に変わった
部屋から望む遠方の山々は 雪煙に霞む

捜す
昨日も お目当ての冬靴を 捜した
もう二年越しの捜索だ
生ゴム底の スノートレーニングシューズ
高かったから 余計に大事にしまいこんだのだろう
でも なかなか見つからない

すっきりしない雪の朝
心に小骨が刺さったままの 不快感
狭い納戸に その手がかりはなく
しまい込んだ 己の記憶の不確かさを 恥じ入るだけ
靴一足のことで 自責の念を深くする
捜し当てられなくて 悔しい
履けなくて 悔しい
忘却の淵にいる己が 情けない

探す
原稿書きの仕事中
関連する文章の一節は 確かあの本の中に
資料が無造作に積まれた机上を 物色する
めぼしき本を手にとって ページをめくる
見つからない
記憶違いか 次の本 いやいや違う
プリントされた資料の山に 手を伸ばす
見つからないから 苛立ち始めて
作業は 強制中断させられる
探し出せなくて 悔しい
無駄な時間を費やして 悔しい
書き進めず焦る己が 情けない

捜す そして 探す
だらしない暮らし方をしてきた しっぺ返し
懲りない己との いつもの葛藤
無能な頭が 手当たり次第に整理した体たらく
いつも己を苦しめ ざまあ見ろって笑ってる
でも その繰り返しの毎日も 決して悪くはない
見つかったときの あの感動 
ニタリと ひとり味わうことができるから
負け惜しみです

〔2019年11月16日書き下ろし。今日も題材を探し求めています。見つかるとニタリとしています〕

人生の棚卸し

鼻持ちならない人も いた
でも このマチの人は 違った
心底 このマチが 好きだった
ここで暮らす人が 好きだった
はなっから 断ることはできなかった

縁もゆかりもないマチに 居住まいして
心のままに 日を浴び 風を受け 雨に打たれた
そして 人情の機微に触れた

隣人は 体調を崩し 体力にも自信がなくなった
町内をまたいだ 心配事の御用聞きも できなくなった
老いゆく隣人は 車の運転免許を返上した

お願い 私の代わりに 民生委員引き受けていただけない
頼みは 唐突だった
それだけ 切羽詰まっていたのだろう
長い間 このマチの弱った人たちに添い 尽くしてきた人
その姿を 身近に見てきた
その苦労も よく知っている
だから 快く引き受けよう
そう思う心に 素直に従った

ありがとう
あたたかい手を握られた
この人のこころのぬくもりが 感じられた
この人のような 求められる人になれるだろうか
不安げな表情を 見逃さなかった
大丈夫 あなたが一人前になるまで きっちり面倒みるから
ホッとした
お世話になった恩返しの機会を いただいた
何もわからぬままに 明日からすぐできる仕事ではない
導いていただくことが なによりだった
たくさんの教えと 人に寄り添うことから
私もここで 地の人として成長しよう

私の人生の棚卸しは あなたがいて ここから始まる

〔2019年11月14日書き下ろし。12月民生委員児童委員の改選。新任の人たちが不安な気持ちで臨む。先日の研修会で新任を支える人が必要だと二期目の委員が訴えている〕

消しゴム

間違えた
消しゴムで消した
ノートが 真っ白になった
とても気持ちよかった

間違えた
いや 間違えてはいなかった
みんなが バレルとヤバいと いうもんだから
ホームページの「桜」の記事は 速攻消去
あったことも なかったことにできるんだ
後は 口先一つで なんとでもなる
この程度でうろたえるなんて まだまだ可愛い自己自讃

5千7百万円の公費を使って
1万8千人への 大盤振る舞い
正当性を主張しながら この体たらく 
降ってわいた批判を かわしきれずに
来年中止します 
これで決着 潔(いさぎよ)しと 得意顔

招待者の 基準の明確化
招待された プロセスの透明化
中止の理由 おかしくない
こうしなかったことを ただ認めただけ
だから いま問題になっているんでしょ
消しゴムで 消したと思ったら
その下から 隠しておきたかった事実が ゾロゾロ出てきてしまった
やったことの後ろめたさを 封印するのにやっきになって
結局 公費乱用認めたような お粗末な記者会見

でも お偉い人の推薦名簿 
消しゴム無用で 遅滞なく廃棄しました
いつものなかったことにする 
常套手段の証拠隠滅 手際よし
ここは 弁舌さわやか 美しい

権力者は奢(おご)ると 限りなく放漫になるのです
公金は 我が財布化して なんのおとがめもありません
せめて 自前で奢ってください
いやいやそれは 政治資金規正法でできません
だから あまたの大臣辞めたでしょ
規制を逃れるための「桜を見る会」
疑義の追求 ここですね

♬さくら さくら さくらの下に
サクラ(後援会会員)が たくさんいたのです
権力誇示する 「桜を見る会」
もうやめなよ 同じことの繰り返し
惨めなさまを 見せるだけ
ラグビーワールドカップの日本代表のエンブレム
あの桜こそ 誇りにします
子どもに 嘘偽りのない真剣勝負の清々しさを
心から伝えられます 伝わっています
生きていくって そういうことでしょ

桜に罪は ありません
桜は 散りどきこそ見頃です
栄華の夢です
せめて 見事に散ってみませんか

※栄華の夢(えいがのゆめ):世に時めき栄えることは、永続しないことを夢にたとえていう語。

〔2019年11月14日書き下ろし。「サクラ咲き おぞましき宴 得意顔」というところですか。子どもにいつも言い逃れの伝授ありがとうございます〕

付記
「桜を見る会」も早期幕引き 相次ぐ問題、打撃を回避
政府は13日、首相主催で毎年春に開いている「桜を見る会」について2020年の開催は中止すると発表した。安倍晋三首相の事務所名で地元の後援会関係者を招いたと野党が追及していた。安倍政権では最近、閣僚の相次ぐスピード辞任など、問題が起きては早期に幕引きする事例が続いている。「桜を見る会」も傷口の拡大を避けるため早期決着を図った。
この問題を最初に共産党の田村智子氏が追及したのは8日の参院予算委員会だった。首相はこのときに「私は主催者としてあいさつや招待者の接遇は行うが、招待者の取りまとめなどには関与していない」と答弁した。野党側はその後、首相の事務所名で地元の後援会関係者に参加申込書を送っていたとして、公費で行う桜を見る会の私物化と批判した。8日の首相の国会答弁との食い違いも追及し始めた。
菅義偉官房長官は13日、内閣官房が首相や副総理、官房長官、官房副長官、与党から事務的に招待客の推薦を受けていると認めた。そのうえで「内閣官房が取りまとめた」と指摘し、招待客の取りまとめに関与していないという首相答弁との整合性を強調した。
首相だけでなく、萩生田光一文部科学相や自民党の世耕弘成参院幹事長らも、自身の後援会関係者が参加していることを認めている。
それでも「桜を見る会」の中止を早々に決めた今回の対応について、自民党内では「早期に損切りしたということだろう」との声が出る。
安倍政権は10月に召集された今国会で、政権のダメージになりそうな問題の素早い決着を相次ぎ図っている。菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相はいずれも週刊誌で疑惑が報じられると当日か翌日には辞任した。大学入学共通テストへの英語民間試験の導入も批判が集まると20年度開始を見送った。(中略)安倍首相の党総裁任期もあと2年となる。長期政権の求心力維持は世論次第ともいえる。(2019年11月14日日本経済新聞電子版)

朝の挨拶

不審者対策で 子どもの挨拶を指導しました
見知らぬ人には 挨拶はしてはなりません
地域事情はお構いなしに お達しがきて指導する
問題が生じたときには 責任を追及されぬよう
管理職は汚点がつかぬよう お達しは常に優先される
異を唱える者は 誰もいない   

突然 挨拶の声が 地域から途絶えた
子どもは従順に 言われたまま行動する
何か起これば 地域の問題で 学校ではありません
何か起これば 子どもの問題で 学校ではありません
リスクマネジメントの基本は 最小に抑えること
徹することが 学校を守ること
子どもや地域は 二の次ですか?

別の地域の住民から 学校に要望がありました
最近子どもが 会っても挨拶しない
学校では どのように指導されているのですか
朝会で 校長は 地域での挨拶励行について指導を促す
担任は 挨拶をするよう学級指導する
地域の要望に 素早く対応 いいですね
この先生 地元には住まいしないで 車で通う
子どもが どのように生活しているのかは ほとんど知らず 
挨拶の実態もよくわからない
ただ上から言われるままに 子どもに伝え指導する
朝 登校する子どもたちは 
教師の走りゆく車の後ろに 立ち止まって頭を下げる
虚しい指導の実態 それすらもわかるはずはない

学校と地域と家庭の連携という常套句
寂れいくマチの ペンキのはげた立て看板
「あいさつ運動」の文字が 虚空に舞う 
するかしないか 学校次第
妙ちくりんな世の中を 子どもは生きるしかないのです

〔2019年11月12日書き下ろし。2つの地方のマチでの2つの対応。地域を見ずして一律指導。地域の子育てにブレーキかけて、これでいいのかな?〕

何ものだ

えらそうだな
正義感ぶって
さもさもらしく 世の中批判して
一席ぶってる お前って何ものなんだ

よくもそう言えるな
たかが ただのじいさんが
大したことのない人生語って いい気になるな
なんの功績もなかった お前って何ものなんだ

わかったふりすんなよ
浅い知識をひけらかす
三流大卒の学歴しかない その程度の身分で
さも見識ぶってる お前って何ものなんだ

他人(ひと)の生き方 くさすなよ
力ある者に こびへつらい へりくだる 
嘘くさいって よくも言えたものだよな
そうして生きてきた お前って何ものなんだ

俺って 何ものなんだ
書けば書くほど ジレンマに襲われる
己の過去の過失・失敗・失言も 全て引き受けながら
なおも書かねばならない 衝動にかられ
いまも葛藤しながら キーを打つ

俺って 何ものなんだ
他人や世の中を批判する 何ものも持たぬ
何ものでもない己に 
今をただ 恥じぬよう生きたいと欲した

俺って 何ものなんだ
静かに退場することも 一つであり
やかましく 吠えることも 一つである
市井に生き暮らす 民のひとりとして
批判を甘受しながら 
民に許しを請いながら
いまの時代の不条理を 言葉に書き綴る

それが いまの俺なのかもしれない 

〔2019年11月12日書き下ろし。120回綴ってきた。己の傲慢さをいさめることも肝要かと。己の立ち位置を見失わぬよう、ときどきふりかえってみたい〕

晴れ舞台

歌う
こころを 思いっきり 開放する
声を張り上げ 怒鳴るように 歌詞を放つ
音程も バラバラ
だから 面白いハーモニーが そこに生まれる
3歳児も 4歳児も 歌うことを全身で楽しむ

演じる
台詞を忘れないよう 早口で話してホッとする
でも忘れてしまった子は 隣の子が耳打ちして
自信なげに 目配せしながら 台詞を吐く
一人ひとりが 親には主役  
3歳児も 4歳児も 演じることを全身で愉しむ

ゼロ歳児のお披露目
名前を呼ばれて 反応する子に 大きな拍手
大勢の観客を前にしても ぐずりもせず泣きもせず 席に座っている
遠目で小さい仕草に一喜一憂する観客 ただそれだけのこと
手遊び唄が流れても 観客を見ている つぶらな瞳
誰かを探しているのだろうか

小柄な母は 背伸びを精一杯して ゼロ歳児に手を振る
乳飲み子は 気づくはずはない
それでも ここにいるよって 手を振りたい
母はいつでも そばにいたい
その成長を見ていたい
でも預けるしかなかった乳飲み子は
いま舞台の上で 保育士たちに見守られながら そこにいる
他人に預けた子が こうして舞台でおりこうさんに座っている
ちょっぴりの寂しさと ここまで育っている喜びが
複雑にシャッフルされた 感情のわき出るなかで
小柄な母は 背伸びしながら 無心に手を振る

手を振りながら 笑顔を見せながら
歌い踊る我が子に 
声援の手を振る 母さんたち
後ろには ビデオやスマホで撮る父さんらが立ち並ぶ
我が子が一番 お目当ては逃さぬよう 真剣だ
演目の終わりは お決まりの出演者総出の記念写真
舞台の上には 母親たちの手作りの可愛い衣裳で並ぶ子ら
拍手喝采 幕が閉まる

年に一度の晴れ舞台
子らにどんな演目を どう演出するのか 評価される保育士たちの心意気
日ごろの保育時間以外で 周到な準備をした保育士の心意気
そこにあるのは 日ごろの指導の成果の発表会
そのご苦労は きっと報われていた

子らの 1年の成長の早さに 圧倒されながら
子の成長の喜びと 保育士への感謝の 特別な時間が 終わった
保育所は 預けるところではない
親と保育士が 共に保育する場であることを
確かめ合う舞台となった   

〔2019年11月10日書き下ろし。2年ぶりに保育園でゼロ歳、3歳児、4歳児の生活発表会を観た。2歳児と年長さんは観られなかった。それでも幼児と保育士たちの奮闘ぶりに心は熱かった〕