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井岡勉「住民福祉教育の課題」(1977年3月)―資料紹介―

1954年5月9日に日本社会福祉学会が創立された。翌1955年5月5日、学会から独立分離して、日本社会事業学校連盟が結成された。
日本社会事業学校連盟は、1971年8月23、24日の両日、私立学校教職員組合愛知会館(名古屋市)で、「社会福祉教育の現状と問題点」をテーマに「(第1回)社会福祉教育セミナー」を開催した。会長・仲村優一は、「セミナー報告」(1972年11月1日)の挨拶文のなかで次のように述べている。ちなみに、そのセミナーでは、第1日目の午前、二葉学園・村岡末広が現場の立場、日本福祉大学・高島進が大学の立場からそれぞれ「問題提起」をし、午後は関西学院大学・岡村重夫が「社会福祉教育の現状と問題点」について、主として大学の社会福祉学科のカリキュラムを中心に「基調講演」を行っている。そのあとは、第2日目にかけて分科会と全体会がもたれている。

本連盟としては、以前に一度若林前会長の時にカリキュラム問題をとりあげて2日がかりのセミナーをしたことがあるので、今回のセミナーは第2回ということになると思う。
とにかく、加盟校から自由に参加していただいて、大学問題が厳しく問われている今日の状況下における社会福祉系大学が当面している問題を、ザックバランに出しあって討議してみようというのが、今回のセミナーのねらいであった。(以下、略)

その後、社会福祉教育セミナーは、毎年継続的に開催された。第6回のそれは、1976年11月21、22日の両日、湯河原厚生年金会館(神奈川県湯河原町)で「今日の社会状況に社会福祉教育はいかに応えるか」という主題のもとに開催された。そこでは、1976年11月8日に発表された中央社会福祉審議会の意見具申「社会福祉教育のあり方について」を検討するという課題も含められていたことから、各分科会では個別のテーマを設定せず、主題に基づいて討議された。そういうなかで、第2分科会では、井岡勉(同志社大学)によって、「住民福祉教育の課題」について「問題提起」された。以下に紹介するのは、井岡のそれ(以下、「井岡報告」という。)と、高森敬久(愛知県立大学)による「討議要約」である。なお、会長・松本武子は、「セミナー報告書」(1977年3月31日)の「はしがき」のなかで次のように述べている。

語り明かしたのち、あるいはわれわれは社会福祉教育のあり方に共通なものを見出し得ないかもしれない。それならばわれわれは何故共通であり得ないかを明確化し、互いに彼我の別を理解し協調し合おうではないか。まさに社会福祉教育セミナーの意義はここにあろうと思う。多様化し変動する今日社会にあっては、価値観の多様性への寛容さをもちながら、ゴールをともにすることに努力しようではないか。(以下、略)

第2分科会・問題提起/住民福祉教育の課題/井岡勉(同志社大学)

Ⅰ 今日の社会状況
1973年秋の石油ショックを契機として、日本経済が深刻なスタグフレーション状況に陥って以来、地域住民の労働と生活上には困難の度合いが強まっている。とりわけ貧困・低所得階層を中心とする社会的生活障害の担い手たちは、緊迫した生活危機・破綻の状況に追い込まれている。
こうしたなかで、雇用保障、賃金・労働条件の改善、社会保障、一般公共施策の拡充強化とならんで、社会福祉に対する社会的要求が増大して来ざるをえない。しかしこれに対して、減速経済、財政危機を理由とする「福祉見直し論」、「高福祉高負担論」が政府・財界筋から強く打ち出されている。それは、住民運動、世論、地方自治体によって前進を見せ始めた権利としての社会福祉を後退させ、実際には低福祉高負担をはかりながら、自助と相互扶助の社会福祉に転嫁しようとするものである。
最近とくに目立つ動きは、異常なまでの地域福祉ブームである。この地域福祉は、70年前後から官製コミュニティづくりが活発化するとともに、その枠組のなかに社会福祉が位置づけられ、両者の結合領域としてにわかに強調され始めた。地域福祉のなかでも、施設処遇否定のトーンにおいて在宅者福祉ないしコミュニティ・ケアが提唱され、地域組織化の目標とされるに至った。このことは、客観的には官製コミュニティづくりにみられる住民運動対策と地域再編成への政策的要請に地域福祉もまた一定の役割を担い、モダンな装いで安上がりの福祉を方向づけるものといわねばならない。かくて加えて昨今は、減速経済、財政危機下の「福祉見直し論」、「高福祉高負担論」の強調、自助と相互扶助の精神に依拠した「日本型福祉社会」を志向する「生涯設計計画」の提起という状況にあって、地域福祉が異常な期待のされ方をしている。
すなわち、福祉施策拡充の意義を事実上軽視する方向での精神主義の強調、「福祉のこころ論」の喧伝、相互扶助の助長、官製ボランティアの組織化等の傾向がそれである。
こうした上からの地域福祉を貫く支配と効率の論理を明らかにし、これに対応して生活と連帯の論理に立つ住民の側からの地域福祉を構築していくことが課題となっている。

Ⅱ 住民福祉教育の現状
地域福祉の強調とともに、近年地域住民に対する社会福祉教育、略して住民福祉教育が重視され、取組まれてきている。住民福祉教育の意義については後述するので、まず社協などの住民福祉教育の現状について、断片的であるが、みうけられる傾向、問題点を指摘しておきたい。
社協などの住民福祉教育は、一応社会福祉に対する住民の関心、理解を深めさせ、住民参加をよびおこす意図で試みられているようであるが、問題はそれが何を対象として、いかなる視点、方向づけと内容・方法でもって行なわれているのか、ということであろう。
社協の展開する住民福祉教育の状況に関して詳しいデータはないが、全社協の「昭和50年度市区町村社協基本調査」によれば、これに類する項目として「研修会・講座・大会等」があり、それらをともかく開催した社協は平均63.0%という状況である。それも法人化の有無や市・区・町・村各レベル別では大きな格差があり、最高は法人村社協で平均96.2%、最低は未法人村社協で平均42.9%に過ぎない。
住民福祉教育プログラムの対象、種類についても審かではないが、一般にみうけられるものを例示すれば、福祉教育普及校の指定、一般住民むけの社会福祉講座、ボランティア・スクール、民生委員研修、老人大学などが試みられているようである。
住民福祉教育の基調としてみうけられる特徴的な傾向は、精神主義(善意、福祉のこころ、たすけあい、物質より精神が大切などを強調)、あるいは機能・技術主義(ハウ・トウもの)、両者の結合が支配的であって、科学的社会認識と民主主義重視の方向づけ(社会問題対策としての社会福祉、権利保障、運動視点など)が欠落しがちなことである。こうした傾向は、狭義の住民福祉教育プラグラムにかぎらず、調査・広報活動、諸会合・行事その他社協活動の全過程を通じた教育的機能として現象している。
この傾向の反映でもあろうか、社協の住民福祉教育において従来から主要な対象となってきた民生委員の社会福祉意識は、一般住民と比べても落差があり、精神主義的傾斜から脱けきれていない(別表1参照)。
この傾向は、民生委員の生活保護観として、権利としてのとらえ方についての拒絶反応がおおむね過半数をこえていることと対応しているといえよう(別表2参照)。
日常的に社会福祉活動にかかわっている民生委員にしてこの程度であって(民生委員ゆえにというべきかもしれないが)、いかに近代的・民主的な住民福祉教育が徹底していないかを物語っているといえよう。一般住民に至ってはなおさら、昨今の「福祉」というコトバの氾濫にもかかわらず、社会福祉について正しい情報が知らされていないし、その学習権が十分保障されているとはいい難い。とりわけ、貧困・低所得者をはじめ社会福祉対象者への住民福祉教育の機会がほとんど欠落していることは大きな問題点である。

Ⅲ 今後の課題
住民福祉教育をめぐる今後の課題としては、まず第一にその近代的・民主的あり方としての基本的視点を確立することである。その内容としては、つぎの5点の確認が必要であろう。
①住民福祉教育の意義は、住民相互の自己教育活動として展開されるところにある。
②住民福祉教育の目的は、住民が地域・自治体の主権者として社会福祉施策を自らの意思と要求にもとづいてコントロールし、これを権利として享受することにより、人間としての最低限の生活を維持し、自己実現をはかっていくためのものであること。
③住民福祉教育の主体は住民自身であり、その対象もまた彼ら自身であること。
④行政は住民の福祉教育権を保障し、その条件整備を行なう責任を負っていること。
⑤社協など民間団体が住民福祉教育を行なう場合、とくに住民相互の自己教育活動としての性格を厳守すること。
第二には、戦後わが国社会福祉の歴史的課題であった筈の社会福祉の民主化を地域レベルから実現していくために、住民福祉教育における精神主義的傾斜や機能・技術主義を克服して遅れている社会福祉問題・政策についての科学的認識、権利保障の視点に立つ民主主義的社会福祉観に高めていくこと、そのための系統的な住民福祉教育プログラムを展開することが望まれる。
第三には、住民相互の自己教育といっても、そこに運動がなければ結局与える住民福祉教育に終ることから、域福祉要求の組織化・運動化の全過程と有機的に結びついた住民福祉教育の展開が重要である。そのなかには、①住民による調査活動(地域福祉課題の顕在化・明確化と相互確認)、②広報による問題提起、世論喚起(社会福祉問題・政策動向についての常時的情報提供を含む)、③社会福祉についての学習活動の組織化、④対策行動計画、行動の組織化、評価における実践的教育機能の導入・結合、などが含まれよう。
第四には、これまで欠落しがちであった対象者集団の住民福祉教育に力を入れることである。それは、従来の与えられた社会福祉から、対象者集団自らが相互自己教育を通じて、権利としての社会福祉を掌握し、その活用により自己実現を促進する運動過程と結びつけて展開される必要がある。そのためには、①社会福祉施設・サービスの周知徹底、②権利としての活用働きかけ、③活用しやすい条件づくり(活用の拒絶反応や地域の偏見除去)、④対象者集団の仲間づくりと結びついた権利行使、学習活動の場づくり、⑤対象者集団自らの問題対策行動の展開・対象者集団とボランティア・一般住民との相互連帯支援(障害者の住みよい街づくりなど)、等々の推進を要しよう。
第五には、社会教育との連携を強め、社会教育としての住民福祉教育を推進していくことである。
さいごに、住民福祉教育に対する(福祉系)大学の役割にふれておこう。大学においては、自由でアカデミックな研究教育を通じて、広い科学的視野と民主的センスを身につけた良識ある住民・専門家として、学生が自己実現していくための社会福祉教育が準備され、展開される必要がある。また国民に聞かれた(開かれた:阪野)大学として、住民福祉教育の基地的な役割を果たさねばならない。こうして今日、大学における社会福祉教育をめぐって、住民福祉教育の視点からあらためて問い直してみる必要があるのではないかと考えられる。

16時15分

第2分科会・討議要約/住民福祉教育は如何にあるべきか/高森敬久(愛知県立大学)

本分科会では社会福祉教育をめぐる諸問題の内で、とくに大学外における教育、すなわち住民を対象とした社会福祉教育をとりあげその内容や今後の在り方について検討した。
先づ(先ず:阪野)、現在各地で実施されている各種住民福祉教育の内容や方法からそれらの問題点が指摘された。ここでは地域的相互扶助主義、精神主義的福祉論の展開、即戦力的安直な技術主義、人間関係や家族関係の調整といった対症療法的な視点が強調され、社会問題に起因する諸問題の因果関係的把握が欠落していること。
さらにその結果として、権利保障運動意識の発展していこうとする住民の側の自主的な活動の芽をつみとってしまうおそれのあること、精神主義や技術主義は自己利益への関心をたかめることにはなっても、地域における施設受容に否定的に機能せざるを得ないこと、またこうした中での住民福祉教育では公的な責任を問うという問題意識は生まれないこと、住民の学習権を保障しようとする姿勢が一部の行政を除き、各自治体行政には殆んどみられないこと等の問題が指摘された。
こうした現状における住民福祉教育の新しい視点は、住民相互の自己教育としての福祉教育的運動の展開の必要性をふまえた学習と運動の結合による自主的福祉教育の展開をめざすべきこと、権利としての社会福祉を明確にするために社会科学的視点を住民福祉教育にとり入れること、与える福祉から権利として獲得する福祉の確立のために住民福祉教育は系統的な学習プログラムをもたなければならないこと、またこうした学習権の保障のために、制度、組織、資源などの条件整備、情報の提供、学習集団の組織化等の整備が求められていることである。
次に住民福祉教育の担い手の問題であるが、社協はその担い手の一つとして重要な部分を占めるものと考えられる。しかし現状の社協の場では権利としての社会福祉の確立は困難である。むしろ住民福祉教育にも公教育的視点が確立されなければならないとすれば、社会教育が住民福祉教育の担い手とならなければならないであろう。
以上の問題提起をうけて本部会での討論は先づ(先ず:阪野)社協の把握する市民層と社教の把握する市民層には大きなgapeがあるのではないか、したがってそのgapeを埋める方向を持たなければならない。即ちその具体的な方法として、一定所得以下のニードへの対応と、一定所得以上のニードへの対応を福祉教育の展開過程においても考慮する必要があることである。
次に住民福祉教育の担い手が学習者自身であるということは極めて妥当な方向性を持つものと思われるが、しかしたとえその教育主体、学習主体が住民であるとしても、学習の場をどのように確立するのかという論点が不明確ではなかろうか。とくに住民福祉教育においては「心の福祉論」や技術論的福祉教育には熱心であるだけに社会福祉行政に権利視点を明確にした教育を期待することは確かに困難である。さらにこうした限界は社会教育行政の側面にもみられるのである。また住民サイドにおいても住民自身の自己教育のための方法や資源をもち得ない状況があり、こうした中での住民の自己学習的住民福祉教育の確立はきわめてむつかしいのではないか。
さらに住民の自己教育論におけるこのような限界については、たとえば住民運動のどのような点が住民自身の社会認識の発展を促したかといった問題にもみられるように、一般に日本人には社会的認識の概念や意識が欠落しているので、我々はこれらを住民福祉教育の中でどう乗り越えてゆくかという問題もあろう。
また、この事と関連して“福祉の権利”という概念は日本人に非常になじみにくい。周知のように我国では西欧的な市民社会の経験は経ていないので“権利”ということばを正しく理解することが出来ない。権利という言葉をとくに使わなくても我国には昔から人間を大切にするという伝統はあったと思われる。社会福祉の教育では理解ではなく納得であり、得心させることが目標である。
この他、井岡報告においては必ずしも地域福祉の内容が具体的に示されなかったが厚生省的認識における地域福祉―在宅者の福祉対策を中心とした安上り福祉に対してはより明確な批判視点をもつべきであるといったことも強調された。
<出席者>(アイウエオ順)
井岡勉(同志社大学)、一柳豊勝(同朋大学)、上田千秋(仏教大学)、越智猛大(東北福祉大学)、菊地正治(西九州大学)、高森敬久(愛知県立大学)、土井洋一(大正大学)、原田克己(淑徳大学)、船曳宏保(福岡県社会保育短期大学)、本出祐之(関西学院大学)、待井和江(大阪社会事業短期大学)、松本武子(日本女子大学)、吉田卓司(四国学院大学)
(『昭和51年度・第6回社会福祉教育セミナー報告書―今日の社会状況に社会福祉教育はいかに応えるか―』日本社会事業学校連盟、1977年3月、53~58ページ)
 
周知の通り、2000年4月から施行された「地方分権一括法」等により、地方分権改革の推進が図られている。そこでは、中央と地方の関係が「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係へと改められ、市民主権・市民自治の実現に向けた行政運営や公私協働(「共働」)の取り組みが求められている。しかし、最近では、「地方創生」を掲げる国によって、地方の民意を無視して“上から目線”で、“粛々”とコトが進められ、地方自治を侵害しかねない政治状況が展開されている。それは、住民相互、住民と行政、地方と国などによる熟慮と討議の民主主義のあり方が厳しく問われていることを意味する。地方創生は、地元住民や地方自治体が自ら主導する“地域づくり”とその担い手を育成する“教育づくり”を進め、それを国が支えることから始まる。
そう考えるとき、本稿で紹介した40年近く前の「井岡報告」は、いま一度深く読み込む必要がある。また、井岡がいう住民福祉教育の視点や論点は、こんにちの「地方消滅の罠」(山下祐介)についての議論や平和・環境・福祉・教育などをめぐる危機的状況においてこそ、必要かつ重要なものである。さらに、井岡が指摘した住民福祉教育の「今後の課題」は、その多くが未だに「今後の課題」として残されている、といえよう。
こんにち、「国民の命と暮らしを守るため」という名目のもとに、「飽くなき市場原理主義の追求」とそれに基づく「地方の切り捨て」や「戦争のできる国づくり」が進んでいる。ここで、あえて“平和”について付言すれば、最近多用される「積極的平和主義」とは、本来は、軍事力を背景にした平和ではなく、人権や福祉が保障された状態を志向する立場をいう(「消極的平和」とは戦争や紛争のない状態をいう)。住民福祉教育は、そうした本来の意味での積極的平和主義に依拠した、住民による主体的・自律的な地域・社会づくりをめざすものである。それが真に豊かな国づくりにつながる。住民福祉教育(「市民福祉教育」)の探究を図るに際して常に、強く留意すべき点である。重ねて強調しておきたい。


(1) 日本社会福祉学会と日本社会事業学校連盟のあゆみについては、次の文献を参照されたい。
日本社会福祉学会編『社会福祉学研究の50年―日本社会福祉学会のあゆみ―』ミネルヴァ書房、2004年10月。
一番ヶ瀬康子/大友信勝 日本社会事業学校連盟編『戦後社会福祉教育の五十年』ミネルヴァ書房、1998年11月。
(2) 日本社会事業学校連盟は、2003年12月3日付けで、文部科学大臣より「社団法人日本社会福祉教育学校連盟」として設置認可された。それに先立つ同年9月21日に、新潟コンベンションセンター:朱鷺メッセ(新潟市)で「社団法人日本社会福祉教育学校連盟設立総会」が開催され、「設立趣意書」のなかで次のように述べられた。「任意団体日本社会事業学校連盟を発展解消し、新たな加盟校の責務と自律と自助努力をもって、まず小・中・高等学校における福祉教育や一般市民を対象とする生涯教育における社会福祉教育の啓蒙・普及への貢献が必要とされる」。それを受けて、2004年度以降、「社会福祉専門教育委員会」(委員長・米本秀仁)の「小委員会」として新たに設置された「小中高教育部会」(部会長・田村真広)を中心に、「学校教育・生涯教育等における社会福祉教育の啓発・普及活動」(「定款」第4条第1項第1号)が展開されることになる。

住民主体の内発的なまちづくりとコミュニティデザイン―持続可能な地域再生と住民の主体形成―

筆者(阪野)はこれまで、多くの地域で、いろいろな人たちとの「幸運な偶然」(山崎亮『まちの幸福論』119~122ページ。注(1))を手にすることができた。先月アップした拙稿「住民主導の『地域づくり』と『教育づくり』の可能性―資料紹介―」(2015年3月5日投稿)では、「地方消滅論」などをめぐって論述し、私事ながら実践的研究に求められる「善意と誠意」について“付記”した。後日、その一環として、山崎亮の本を読み返すことにした。以下がそれである。

(1) 山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年5月。(以下、「1」と略す。)
(2) 山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』NHK出版、2012年5月。(以下、「2」と略す。)
(3) 山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中央公論新社(中公新書)2012年9月。(以下、「3」と略す。)

周知の通り、山崎は、「日本でただひとりのコミュニティデザイナー」「地方再生の救世主」などと紹介されることもあるという、斯界の第一人者である。山崎によると、コミュニティデザイナーとは、「モノをつくらないデザイナー」「地域の課題を、地域の人たちが解決するための場をつくるデザイナー」(「2」9、16、122ページ)である。また、「コミュニティデザイナーは『救世主』ではない。この仕事は〝主〟になってはならない仕事だ。まちづくりの主体となるのは、その地域で暮らす住人である。(コミュニティデザイナー:筆者)がリーダーシップを発揮して、『みなさんでこういうまちをつくりましょう』と言ってしまったら、住民主体のまちづくりはできなくなる」(「2」122ページ)。要するに、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわち「コミュニティデザイン」を進めるために、人と人を結びつけ、その関係性を深める“しくみ”を「デザイン」(注(2))することが、コミュニティデザイナーの仕事である。その際、上記の前稿との関連でいえば、「地方消滅」をただ不安がり嘆(なげ)くのではなく、いわゆる「活動する市民」(注(3))を如何に確保・育成するかのプロセスをデザインすることが肝要となる。山崎は次のよういう。

社会の課題を解決するためのデザインについて考えるとき、2つのアプローチがあるような気がする。ひとつは直接課題にアプローチする方法。困っていることをモノのデザインで解決しようとする方法である。(中略)
一方、課題を解決するためにコミュニティの力を高めるようなデザインを提供するというアプローチもある。(中略)
コミュニティデザインに携わる場合、後者のアプローチを取ることが多い。コミュニティの力を高めるためのデザインはどうあるべきか。無理なく人々が協働する機会をどう生み出すべきか。地域の人間関係を観察し、地域資源を見つけ出し、課題の構成を読み取り、何をどう組み合わせれば地域に住む人たち自身が課題を乗り越えるような力を発揮するようになるのか、それをどう持続させていけばいいのかを考える。(「1」246~247ページ)

コミュニティデザイナーは、コミュニティデザインという方法によって、そのまちに暮らす住民自らがまちの現状を把握し、問題を理解し、課題を解決していくプロセスをデザインする、地域支援(まちづくり支援)の専門家である。その方法は、山崎によると、基本的には次の4段階によって進められる。

第1段階:ヒアリング
ヒアリングの内容は大きく分けて、「どんな活動をしているのか」「その活動で困っていることは何か」「ほかに興味深い活動をしている人がいたら紹介してくれないか」の3点である。
地域の情報を調べ、人の話を聴き、地域の人間関係を把握し、現地を歩いて回るうちに、その地域でどんなことをすればいいのかが少しずつ見えてくる。
第2段階:ワークショップ
地域の特徴や課題を整理、共有し、取り組んでみたいプロジェクトやその実現の方法などについて話し合う。
その手法は、ブレーンストーミング、KJ法、ワールドカフェ(カフェのようなリラックスした空間で次々とテーブル=カフェを移動しながら、違う人とミーティングを重ねる手法)など、話し合う内容や集まったメンバーによって決める。
第3段階:チームビルディング
アイデアが出そろった段階で、「誰がどのプロジェクトを担当するのか」を決めることになる。その際、自分が取り組みたいプロジェクトを選んでもらいつつ、メンバーの調整を行いながら、担当チームをつくる。
チームごとに構成員の役割を決めて、本人たちが協力してプロジェクトが進められる体制を構築する(チームビルディング)。
第4段階:活動支援
できあがったチームの活動(特に初動期の活動)を支援する。チームが活動を進めるために相談に乗ったり、情報提供を行ったり、必要なスキルを得る機会を設けたりなどする。
初動期のサポートは、チームの活動内容を見ながら徐々に減らしていく。自分たちだけで活動できるようになるのが最終目標なので、チームにできることが増えたらコミュニティデザイナーは手伝いを減らす。(「3」180~195ページから抜き書き)

まちづくりには、地域の特性や課題に応じたクリエイティブな思考やオリジナルなアイデア、斬新なセンスなどが求められる。そこから、コミュニティデザイナーには、それらを生み出す知識や情報(事例)、態度や行動、そしてアイデアを“かたち”にしブラッシュアップする(磨き上げる)技能(スキル)などが必要となる。また、個々の住民(個人的実践主体)の主体形成のみならず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上させるためのメソッド(手法、やりかた)を身につけることも肝要となる。
なお、山崎においては、アメリカの心理学者ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)の「社会的知性」(SQ:Social Intelligence Quotient)に関する所説を引用し、コミュニティデザイナーには次のような能力が求められることになる。(1) “読み取り能力”(「社会的意識」:ゴールマン)、すなわち「他人の感情を読み取る能力」「人の話をしっかり聴く能力」「相手の意図や思考を理解する能力」「社会のしくみを知る能力」の4つの能力と、(2) “そのうえでどう行動するか”という能力(「社会的才覚」:ゴールマン)、すなわち「相手と同調する能力」「自分の意図を効果的に説明する能力」「他者に影響を与える能力」「人々の関心に応じて行動する能力」の4つの能力がそれである(「3」219~220ページ。ダニエル・ゴールマン 土屋京子訳『SQ 生きかたの知能指数―ほんとうの「頭の良さ」とは何か』日本経済新聞出版社、2007年1月、130~158ページ)。
いずれにしろ、まちづくりには、「まちの人たちが主体となれる方法論で(地域の:筆者)課題を解決していける人材」、つまり「ファシリテーター」が必要となる(「2」154ページ)。周知の通り、全国には、2009年度から実施されている国(総務省)の「集落支援員」や「地域おこし協力隊」の事業などを活用し、地域の課題解決やまちづくりに取り組む人材を積極的に導入している地方自治体がある。2014年度における(専任)集落支援員は221団体(5府県216市町村)、858人(自治会長などとの兼務の(兼任)集落支援員は3,850人)、地域おこし協力隊員は444団体(7府県437市町村)、1,511人を数える。その数は増加傾向にあるが、決して多くはない。また、受け入れ態勢の不備や地域(地元)住民との意識のズレなどによって、その制度が十分に機能しているとはいえない。
まちづくりのソフト事業である人材育成は、何よりも地域が取り組むべき課題である。そこでは、まちづくりをファシリテート(支援、促進)する人材の確保・育成とともに、「活動する市民」や一般住民へのまちづくに関する意識啓発・教育が必要かつ重要となる。 2014年度に東北芸術工科大学(山形市)に日本で最初の「コミュニティデザイン学科」(学科長・山崎亮)が開設された。学科の合言葉は、「ふるさとを元気にするデザインを学ぼう!」であるという。コミュニティデザイン(まちづくり)の本格的な人材育成は始まったばかりである。

例によって唐突であるが、フランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の『21世紀の資本』(山形浩生・他訳、みすず書房、2014年12月)がベストセラーになっている。そこでの言説のひとつは、先進国では経済的格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因は保有する資産の多寡にある。資産家は投資によってさらに資産を増やし、その一方で低所得者は、賃金が上がらない限り資産形成を行うことができない、というものである。同じような言い回しをすれば、地域では生活環境の格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因のひとつは、住民主体のまちづくり(コミュニティデザイン)とその啓発・教育の事業・活動の実施度にある。住民主体のまちづくりが活発な地域は、その実態(実情)や特性を活かした新たなまちづくりを推し進める。その取り組みが低調な地域では、地域の課題を発見し、それを解決するための「人のつながり」(山崎)が広がらない。筆者が本稿でいいたいことのひとつはここにある。それは、市民福祉教育に通底するものでもある。

(1) 「幸運な偶然」について、山崎は次のように述べている。「『偶然』と『幸運』はイコールではない。偶然を一時的な出来事で終わらせてしまうか、それとも自分の人生を豊かにする幸運に変えられるかは、本人次第である。(中略)偶然を幸運に導いてくれるのが、(肯定から入る:筆者)〝Yes,and〟のコミュニケーションでもある。(中略)『幸運』は天から与えられるものではなく、人が自分の意志で見つけていくもの」である(「2」121~122ページ)。「まちづくりで最も重要なことはコミュニケーション能力である」(「1」91ページ)。留意しておきたい言説である。
(2) 山崎にあっては、「デザイン」とは「社会的な課題を解決するために振りかざす美的な力」である。すなわち、多くの人たちに関係している課題を見つけ、それをたくさんの人が共感するような“美しい方法”で解決しようとする行為をいう(「3」233ページ)。
(3) 「活動する市民」とは、まちづくりについて主体的・自律的・能動的な態度・行動を有する住民をいう。拙稿「ソーシャル・キャピタルと市民福祉教育」(2012年8月21日投稿)などを参照されたい。

補遺
山崎は、「コミュニティデザインとまちづくりは同じではない。(中略)横文字を組み合わせたコミュニティデザインよりはまちづくりのほうが理解してもらいやすい。(中略)まちづくりという言葉は馴染みがあるのだろう。それならそれでいい」(「3」213~214ページ)としながら、次のように述べている。

(地域のさまざまな:筆者)人の集まりが力を合わせて目の前の課題を乗り越え、さらに多くの仲間を増やしながら活動を展開することを支援するのが(中略)コミュニティデザインである。これは、コミュニティの力を増幅させるという意味で「コミュニティエンパワメント」や「コミュニティオーガニゼーション」と呼ばれる手法に近いのかもしれない。あるいは、社会福祉の分野でいわれる「コミュニティワーク」や、開発途上国支援の分野でいわれる「コミュニティディベロップメント」に近い方法なのかもしれない。いずれも「つくることを前提としないコミュニティづくり」であるから、今後はこうした分野の知見を活かしながら、コミュニティデザインの実践を続けたいと思う。(「3」123ページ)

前述の「コミュニティデザイン学科」の創設は、コミュニティデザインという学問領域の成立を前提にする。実践の単なる積み重ねによる実践知だけでなく、学問としての体系化を図るためには、先ずはコミュニティデザインの精緻な概念整理や「コミュニティの力」の構成要素の分析・考察、そしてコミュニティエンパワメント等との関連性の検討などが求められよう。
なお、筆者は、取り敢えず本稿ではまちづくりとコミュニティデザインをほぼ同義に捉え、記述している。

住民主導の「地域づくり」と「教育づくり」の可能性―資料紹介―

2015年3月、2013年7月からの検討・協議を踏まえて、「豊田市地域福祉計画・地域福祉活動計画」が策定・答申された。その計画策定は、地域福祉計画(行政計画)と地域福祉活動計画(民間計画)を一体的に策定したことや、社会福祉協議会による参加型の住民懇談会を福祉教育の視点から周到かつ丁寧に、累計で61回開催したことなどを特徴とする。計画内容に関しては、27中学校区で開催された懇談会での住民の意見や意向を、各地区ごとに見開き2ページに整理したことが特筆される。「地区の概況」、「地区の現状・課題(地区の自慢できるところ、地区の困りごと)」、「みんなでつくる将来のOO地区」(キャッチフレーズ)、「私たちにできること・していきたいこと」がその項目である。
策定委員会の末席を汚した筆者(阪野)は、住民参加のプログラムである住民懇談会に、福祉教育実践のひとつとして企画立案から実施まで積極的に関わった。とりわけ豊田市に編入合併した農山村地区での懇談会では、「地域づくり」に関する新たな気づきと深い学びを得ることができた。また、住民の地域(集落)に対する熱い思いや、農山村における「地域活性化」「地域再生」への力強さを痛感した。集落は「どっこい生きている」(後述の小田切)のである。
本稿は、住民懇談会への参加を機に併読した“農山村における地域づくり”に関する本(言説)の一部を紹介し、それに若干のコメントを付したものである。そのねらいは、農山村の現実を知り、地域づくりのあり方や可能性について考えることにある。

藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く―』KADOKAWA(角川oneテーマ21)、2013年7月
里山資本主義は、経済的な意味合いでも、「地域」が復権しようとする時代の象徴と言ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としての「地域」と決別し、地域内で完結できるものは完結させようという運動が、里山資本主義なのである。
ここで注意すべきなのは、自己完結型の経済だからといって、排他的になることではない点だ。むしろ、「開かれた地域主義」こそ、里山資本主義なのである。(102ページ)

「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予(あらかじ)め用意しておこうという実践だ。(121ページ)

里山資本主義は、マネー資本主義の評価指標、たとえばGDPや経済成長率を、必ずしも大きくするものではない。それどころかまじめに追求していくと、これらの指標を縮小させる可能性もある。しかしそれは、「(自然や人間関係などの:筆者)簿外資産の活用による金銭換算できない活動が、見えないところで盛んになって、お金に換算できない幸せを増やす。ついでに、お金で回る経済システム全体の安定性も見えないところで高まっている」という話にほかならない。(122ページ)

本書は、里山の環境資源を活かした地域循環型の経済を再生し、金銭換算できない価値や真の「豊かな暮らし」を生み出す里山資本主義の実践事例の紹介を通して、その意義について説いている。それは、マネー資本主義に対して、「ささやかな異議を唱える」(308ページ)ものである。
里山資本主義とは、「身近に眠る資源を活(い)かし、お金もなるべく地域の中でまわして、地域を豊かにしようとする」(181ページ)“地産地消”の実践である。そこでは、地域(里山)における雇用の安定と経済の正・好循環、そして生活の向上などが期待される。それはまた、マネー資本主義のリスクや歪みに対処できる、あるいは補完する「バックアップシステム」や「究極の保険」、「最大で最後の対抗手段」(282~284ページ)でもある。その点において、里山資本主義は、マネー資本主義の対極に位置し、今日のグローバル経済とは違うベクトルを示しており、衆目の関心を引く造語であり言説であるといえる。
農山村は、多かれ少なかれ保守的特質を有し、閉鎖性や排他性を残している。そうした地域で里山資本主義の普及や活用を図るためには、地域の自然や歴史、文化などとのつながりをもちつつ、その実践や運動に取り組む高い意欲と能力を備えた“人”をいかに確保・育成するかが問われることになる。また、藻谷らの主張や議論の根拠となる「成功事例」の汎化性(generalization)や持続可能性(sustainability)をいかに確保するかも大きな課題である、といえよう。

増田寛也編著『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減―』中央公論新社(中公新書)、2014年8月
推計によると、2010年から40年までの間に「20~39歳の女性人口」が5割以下に減少する市区町村数は、現在の推計に比べ大幅に増加し、896自治体、全体の49.8%にものぼる結果となった。実に自治体の約5割は、このままいくと将来急激な人口減少に遭遇するのである。本書では、これら896の自治体を「消滅可能性都市」とした。(29ページ)

東京圏をはじめとする大都市圏に日本全体の人口が吸い寄せられ、地方が消滅していくかのようである。その結果現れるのは、大都市圏という限られた地域に人々が凝集(ぎょうしゅう)し、高密度の中で生活している社会である。これを我々は「極点社会」と名づけた。(32ページ)

日本の人口減少には、人口の社会移動が大きく影響している。少子化対策の視点からも、地方から若者が大都市へ流出する「人の流れ」を変えることが必要なのである。
そのためには、地方において人口流出を食い止める「ダム機能」を構築し直さなければならない。同時に、いったん大都市に出た若者を地方に「呼び戻す、呼び込む」機能の強化も図る必要がある。地方の持続可能性は、「若者にとって魅力のある地域かどうか」にかかっているといえよう。すなわち、「若者に魅力のある地方中核都市」を軸とした「新たな集積構造」の構築が目指すべき基本方向となる。(47~48ページ)

地方における当面の人口減少は避けられない。この厳しい条件下で限られた地域資源の再配置や地域間の機能分担と連携を進めていくことが重要となる。このためには、「選択と集中」の考え方を徹底し、人口減少という現実に即して最も有効な対象に投資と施策を集中することが必要となる。(48ページ)

本書は、日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が2014年5月に発表した「成長を続ける21世紀のために『ストップ少子化・地方元気戦略』」と題する報告を基に、雑誌『中央公論』(中央公論新社)に掲載された論文を加筆・整理し、また「対話」を所収して再構成したものである。
周知のように、『中央公論』2013年12月号にはじまる一連の論文・報告(いわゆる「増田レポート」)で、「極点社会」や「消滅可能性都市」という衝撃的な言葉が使われた。それがマスコミ等によってセンセーショナルに報道されたことも加わって、消滅すると予測された地方自治体のみならず、地元住民の不安や危機感を煽り、怒りをかい、諦め感さえも募らせている。
その言葉以上に注目されるべきは、地方中核都市に人口や「投資と施策」を集中させるという、「選択と集中」の論理である。それは、国の人口政策や地域政策、その底流に流れる経済成長戦略の論理であり、農山村や過疎地域の切り捨てに帰結する。言い換えれば、「東京一極集中」の地方分散化(「ミニ東京化」)であり、地方創生すなわち「地方切り捨て」を手段とした持続可能な経済成長の達成である。そこには、真の「地方元気戦略」に求められる、地方自治体における「住民主権と住民自治」の論理がない、といわざるを得ない。ここに、「増田レポート」の本質的な限界や欠陥を見出すことになる。地域の維持・再生は、そこに生活する住民自身が行政や政治家、専門家などと“共働”しながら、問題を認識・理解し、課題解決に取り組むことから始まる。強く留意すべきところである。

山下祐介『地方消滅の罠―「増田レポート」と人口減少社会の正体―』筑摩書房(ちくま新書)、2014年12月
「選択と集中」は、地方・地域を巻き込んで、日本をもっと大きな変革へと待ち込もうというもののようだ。それは、カネのためなら、この国がもっと豊かになるためなら、地道な地域づくりの努力などどうなったってかまわない、グローバルな競争の中でこの国が優位に立つためなら、地域など消し飛んでも仕方がない、いや場合によってはそのほうが好都合だ――そういう意識を含んでいるように見える。(85~86ページ)

「選択と集中」に対し、私たちは「多様性の共生」を対抗理念として掲げることができる。「選択」には「画一性」への要請が潜むがゆえに「多様性」が対置され、また「集中」は「分散」と対比されるが、多様性は単なる分散ではなく、より積極的な「共生」を含意する。
加えてまた、「選択と集中」は国民の「依存」を孕み、これに対して「多様性の共生」は「自立」を基調とする。また「依存」する者をすべて包摂できない以上、「選択と集中」は「依存してよい者」と「依存させない者」との差別を生み、それゆえ「排除」をもたらす。これに対し、「多様性の共生」は「支え合い(相互依存)」を基調とすることで、多様なものの「包摂」を目指すものである。(156ページ)

人口減少・地方衰退の悪循環を断ち切り、地方が自立し、人口維持へと向かう正循環に流れを押し戻せるような具体的な方法をはっきりと示す必要がある。
こうした正循環への転換を現実に予兆するものとして、「人口回帰」現象が持ち出されることが多い。
増田レポートの人口ダム論には、回帰をとらえる視角がない。これは重大な論理的欠陥なのである。
正循環の実現を正確にとらえるためにも、回帰現象は検証されなければならない。(最近の:筆者)回帰論への注目と主張には、十分に傾聴すべきものがあると考えねばならない。(191、196~197ページから抜き書き)

本書は、上記の「増田レポート」を鋭く批判する書であるが、「単なる批判書」(24ページ)にとどまるものではない。例えば、「選択と集中」の論理に対しては、「自立と自治」を対抗軸として位置づけ、「多様性の共生」の論理を展開する。そこでは、「選択と集中」の論理や提言の欺瞞性や危険性を丁寧に解き明かし、地域を維持・再生するための道筋を提示している。
山下にあっては、人口の減少・偏在や地域消滅の問題を解決するためには、先ずは下からの住民参加と共同(協同・協働)、究極的には「自治」の実現が不可欠となる。とともに、上(国や地方自治体)からも歩み寄って、国民や住民と協同するための態勢づくり(「上下の協働」)を進めることが必要となる(162、168ページ)。
そして、山下は、具体的に、「問題解決型モデル事業」の展開を提案する。その事業展開のプロセスは、小地域の住民が抱える問題が集落から市町村→都道府県→国・政府へと上がり、かつまた逆に、その問題への対応が国・政府から都道府県→市町村→集落へとつながる。こうした「最初の問題提起が、その解決までしっかりとフィードバックできるような仕組み」(173ページ)をつくることが肝要となる、という。ただ、その実現可能性は現実的には高いとはいえないが、自立した地域づくりを進めるためには少なくとも集落(地域)と市町村、さらには都道府県の各レベルでの相互補完的な「上下の協働」が求められる。当面は、上下の総参加による課題解決へ向けた熟議の場(管見の限りでは、共働プラットホームとしての「市民活動センター」)の設置が問われよう。
なお、山下は、「ふるさと回帰」「田園回帰」や「地元志向」が注目されるなかで、地方再生のひとつのアイディアとして「二重住民登録制度」(住民票の二重登録)について提案・言及する。付記しておく。

小田切徳美『農山村は消滅しない』岩波書店(岩波新書)、2014年12月
農山村では、①人、②土地、③むら(集落)の3つの空洞化が進んでいる。①は、人口の流出・減少と高齢化である。②は、農業の担い手不足による農地の荒廃化、賃貸化、耕作放棄地化である。③は、社会的共同生活を維持する機能の低下・停滞化である。
農山村では、3つの空洞化が段階的に、そして折り重なるように進んでいる。
これらはいずれも現象面での空洞化であり、実はその深奥で本質的な空洞化、すなわち地域住民がそこに住み続ける意味や誇りを見失いつつある、「誇りの空洞化」が進んでいる。(16~23、41~42ページの要約)

地域づくりの本質的要素は、「内発性」「総合性・多様性」「革新性」の3つである。農山村における地域づくりには、この3つの要素に対応した支援策が求められる。
「内発性」については、地域住民が当事者意識を持つことを支援することである。
「総合性・多様性」については、経済面だけでなく福祉、環境、教育などにまで至る総合的支援と、地域の実情を踏まえた多様性に富んだ支援である。
「革新性」については、従来とは異なる新たな地域運営のシステムをつくる必要性が生じることから、長期(複数年)にわたる支援である。(52~55、136~138ページの要約)

都市部から農山村への移住者は着実に増加している。移住にはいくつものハードルがあり、特に大きなポイントは、「仕事」「住宅」「コミュニティ」である。近年は、この「問題」自体に変化が表れ始めている。
「仕事」については、それをめぐる問題の位相とその解決手段が、変化してきている。一見すれば、細切れでまとまった仕事にならないものを仕事の一部として捉えるような、「ナリワイ」(伊藤洋志)という働き方を支持する者もいる。
「住宅」については、特に空き家をめぐる問題が重要性を増している。
「コミュニティ」については、農山村の地域社会の閉鎖性に対する都市住民の違和感やそれによる参入障壁を、どう緩和していけるかが焦点となっている。(207~211ページから抜き書き)

本書は、上述の「増田レポート」に対するアンチテーゼを示したものである。農山村の「歩き屋」を自称する小田切は、足で集めた各地の事例を分析し、データを読み解き、農山村の“事実”を実証的かつ論理的に解明する。そして、政治的な「地方消滅(切り捨て)論」や「農村(地方)たたみ論」に対抗し、農山村における地域づくりは困難ななかでも進化・前進し確実に広がっているとして、その動きの支援策の必要性と重要性を説く。そこには、「都市・農村共生社会」の論理と展望がある。
また、小田切は、地域を動かすためには、「住民が単に当事者意識を持つだけではなく、さらに『誇りの再建』へ向けた意識を持つ必要がある」(72ページ)として、「地域づくりワークショップ」(地元学)と総称される活動に言及する。それは次のような手順で進められることが多い、という。すなわち、「①地域点検とその地図による「見える」化→②課題の整理と共有化→③地域の将来像の確立→④地域内での中間報告会の開催→⑤目標・プランの決定→⑥活動のスケジュールの決定→⑦実践」、という過程がそれである(74ページ)。首肯し得る重要な論点であり、言説である。
小田切は、「一部で集落の『限界化』は進んでいるものの、農山村集落は基本的に将来に向かって存在しようとする力が働いている」(31ページ)。農山村集落は「強くて、弱い」という矛盾的統合体であるが、基本的には強靭で、強い持続性をもっている(40~42ページ)、と言い切る。熱い思いをもって積極的に現場を歩き回り、実証的な農業・農村政策研究を続ける小田切の言辞は重い。

“まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり”。これは、もはや新味はないが、筆者が市民福祉教育に関して言い続けているフレーズである。まちづくりは、基本的には、国や自治体主導の上からのそれではなく、地域(地元)や住民主導の下からの主体的・自律的な実践であり運動でなければならない。そこでは、ガバナンス(governance、共治)や共働(coaction、コーアクション)についての考え方に留意しながら、地域(地元)でまちづくりの担い手をいかに確保・育成するか、住民の暮らしや生き方をめぐる価値観をいかに構築するか、などが問われる。それは、言い換えれば、人づくりすなわち教育づくりを問うものであり、教育づくりは持続可能な地域・社会を形成していくうえで最優先の事柄である、ということである。
とはいえ、まちづくりへの住民参加は必ずしも活発であるとはいえないのもひとつの現実である。それは、(1)労働を重視するあまり、社会貢献活動を軽視しがちな意識があること(例えば、「仕事が忙しく、地域活動やボランティア活動に参加する時間や暇がない」という意識があること)、(2)住民の自治意識が低く、行政依存体質が強いこと、(3)地縁・血縁によるタテ型の人間関係が残っていること(例えば、「昔からこの地域を取り仕切っているあの家の人に任せておけばいい」という姿勢があること)、(4)住民が討議に慣れていないため、合意形成が難しいこと、(5)まちづくりには制度や技法についての専門的な知識を必要とすること、(6)参加住民の思いや行動の正統性が保証されるとは限らないこと(例えば、「一部の住民が好きで、勝手にやっている」という評価やクレームがつくこと)、などによる。これらは、まちづくりすなわち教育づくりの課題でもある。
地域づくりを論考する上述の4冊では、山下が「総合学習等の導入で、地域に関わる教育を熱心に行った効果もある」(206ページ)、小田切が「公民館活動が地域づくりの母体となるケースが少なくない」(73ページ)と指摘するのみで、教育づくりについての言及は皆無に等しい。4冊が共通してもつ限界のひとつである。
教育は国家百年の大計であるといわれる。教育の重要性と長期的視点やビジョンの必要性を説いたものであろう。地域づくり、そのための教育づくりも、地域(地元)百年の大計である。地域・住民による、地域・住民のための教育づくりは、「時間の余裕は多くない」(小田切)なかで、果敢に取り組むべき喫緊の課題である。経済的格差の拡大や政治の右傾化などをはじめ日本社会が構造的に大きく変容する今日、この点の認識を欠いた地域づくりはその方向性や内容を危ういものにする。強調しておきたい。

本稿の最初に述べた「豊田市地域福祉計画・地域福祉活動計画」では、「重点取組」のひとつとして、地域課題を解決するための、住民や地域が主体となった「住民懇談会の開催」、地域福祉活動の担い手を育成する、子どもから大人までを対象にした「住民福祉教育の推進」、それに地域福祉推進のための専門的な人材である「地域福祉コーディネーター(仮称)の設置検討」(地域拠点への配置)が明記された。少なくともこの3つの事業が確実に実施され、相互補完・相乗効果を発揮し得るよう推進されることによって、「安心して自分らしく生きられる支え合いのまちづくり」(計画の基本理念)が実現することを期待したい。


(1) 次の文献も参照されたい。
山下祐介『限界集落の真実―過疎の村は消えるか?―』筑摩書房(ちくま新書)、2012年1月。
小田切徳美編『農山村再生に挑む―理論から実践まで―』岩波書店、2013年8月。
(2) 2015年2月17日、東京の全国都市会館において「小規模多機能自治推進ネットワーク会議」の設立総会が開催された。それは島根県雲南市、三重県伊賀市、名張市、兵庫県朝来市の4市が呼びかけたものであり、43都道府県の142自治体が参加した。今後は、全国各地における住民自治の取り組みについて情報交換や調査・研究を進め、諸課題の解決に寄与するとともに、政府主導の「地方創生」に対して地域自らが必要な政策提言などを行うことになる。注目していきたい。
なお、このネットワーク会議の会則(第2条)は、「小規模多機能自治」について次のように定義づけている。「自治会、町内会、区などの基礎的コミュニティの範囲より広範囲の概ね小学校区などの範域において、その区域内に住み、又は活動する個人、地縁型・属性型・目的型などのあらゆる団体等により構成された地域共同体が、地域実情及び地域課題に応じて住民の福祉を増進するための取組を行うことをいう」。

付記
筆者が地域福祉計画・地域福祉活動計画の策定に関わったのは、1988年7月、東京都狛江市社会福祉協議会が設置した「狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会」(委員長・大橋謙策)の末席を汚したことが最初である。爾来、福祉教育実践の視点・視座に留意しながら、各地の社会福祉協議会の事業・活動や計画づくりに参加してきた。それを通して気づき学んだことは実に多い。
筆者は、社会福祉協議会や地域と関わる場合、その要求や必要に真摯かつ丁寧に対応するよう心がけてきた(「善意」)。また、刺身の“つま”のような立ち位置は避け、現場の住民や専門家と継続的に「共働」することをめざしてきた。その際、実践仮説の検証と探索を行うとともに、社会福祉協議会や地域・住民が新たな地域課題に主体的・自律的に対応し得る仕組みづくりや力量向上をめざして、共に学び、共に考えてきた(「誠意」)。これらは、実践的研究に求められる「善意と誠意」の姿勢や態度であろうが、筆者のその取り組みの実際や成果については汗顔の至りである。

生きること・老いること・死ぬこと―デス・エデュケーションと市民福祉教育―

筆者(阪野)は、放送大学教養学部の学生(選科履修生)である。授業には放送授業と面接授業、それにインターネット配信によるオンライン授業の3通りがあるが、もっぱらオンライン授業を受講している。ただ、その態度は褒められたものではない。半日で5、6回分の授業を視聴したり、履修登録科目以外の人文系や自然系の科目や大学院授業科目も多く視聴している。その結果、気がつけば登録した2科目4単位が修得できず、2015年度継続入学の手続きを取ることになった。
先日、「死生学入門」の15回分を一気に聴取した。そのうち、8回目の井出訓(いで・さとし)先生による「老いと死」は、その目標にかなう授業であり、前期高齢者の筆者にとっては多少なりとも興味や関心を呼び起こすものであった。「老いとともに人は肉体的な衰えを自覚し、死に対する覚悟と準備を求められる。いっぽうで老いはエリクソンが指摘したとおり、発達の最終段階としての成熟と完成に至るプロセスであり、英知という肯定的な意味を獲得しうる段階でもある。こうした老年期を生きる人々が、目の前に迫る死とどのように向き合い、何を想い、いかなる最期を迎えているのか。超高齢社会を迎えた日本社会における老いの現状をふまえつつ、老いという生の成熟と、死という生の完成について考えてみたい」というのがシラバスに記された授業内容である。
講義は、深沢七郎の『楢山節考』の一節の紹介から始まった。辰平が年老いた母おりんを背板に乗せて真冬の楢山へ捨てに行く。その帰り道、雪が舞い始める。辰平は、おりんの運の良さを告げ、「『おっかあ、ふんとに雪が降ったなァ』と叫び終ると脱兎のように駆けて山を降(くだ)った」という場面である。こうした姥捨て(棄老)は、村という社会の権力構造によって高齢者が排除され、村という社会を維持するために「弱者」を犠牲にするという“排除と差別”にほかならない。
日本は、本格的な超少子高齢・人口減少・多死社会を迎える。そういうなかで、「2025年問題」が声高に叫ばれている。「老人漂流社会“老後破産”」が深刻な状況になっている。要介護者や認知症高齢者などへの対応も後手に回っている。これらは、筆者自身の老いにかかわる問題である。またこれらから、姥捨ては形を変えて社会的・制度的に進行しており、それは伝説や小説の世界だけの風習ではない、と思えてならない。経済の効率性や生産性の回復・向上を図り、社会の一員としての社会的責任や社会貢献を果たすことが強く求められる今日の日本社会において、である。ここで、労働力の態様という観点から、高齢者を「衰退した労働力」と規定した一番ヶ瀬康子(いちばんがせ・やすこ)先生の所説を思い起こす。
授業の後半部分では、井出先生の師でありメンター(指導者)であった、看護学を専門とする中島紀恵子(なかじま・きえこ)先生へのインタビューが紹介された。中島先生の、「高齢当事者」(後期高齢者)の目線から語られる「老いと死」から多くを学んだ。中島先生の、「老いについては、死の側から生きるプロセスをみる、死から生命(いのち)を照らすという感覚がつきまとう。」「高齢者には悲哀をともなって世話になる覚悟が必要であり、依存することも自立のうちである」等々の話は意味深い。
そして、井出先生の「老いと死」のまとめは、次のようであった。「自分らしく老い、自分らしく死ぬとはどのように生き抜くことであるのか。それは、今まで自分が生きてきたように生き、そして老い、死んでいくことでしかない。」「『死生学』という視点から老いと死とを考える時、死とは何かという問いよりも、いかに老いという最後の時間を生き抜くかという、生の在り方に対する問いに軸足が置かれているべき」である、というのがそれである。
授業内容の詳細についてはひとまず置くとして、井出先生の授業による筆者の気づきや学びはおおむね以上のようなものである。ここで、宗教学者の山折哲雄(やまおり・てつお)先生の一文を想起する。

「戦後の日本の教育の主軸は、まず第一に生きる力を養うことでした。死をネガティブなものとして正面から向き合うことをしなくなってしまった。それは教育界のみならず、経済界・産業界もそうですし、宗教界までもがそうでした。気がついてみれば、生きる力一本槍で、二言目には共生、共生と言って、死という問題を真っ向から取り上げなくなった。
生きる力イデオロギーと共生大合唱の二本立てによって、いつのまにか日本人は死と向かい合う態度を忘れてしまったと言えるでしょう。
しかし冷静に考えれば、死を知ることで生の意味が本当に理解できるのであって、生きることばかり強調しても、そもそもそのこと自体に説得力がない。生きる力を磨きたいのであれば、死ぬことの意味も知っておかなければならない。」(『「始末」ということ』角川学芸出版、2011年、78ページ)

「きちんと『死』について教えない限り本当の『生きる力』は身につかないと思います。(中略)『共に生きる』という口当たりのよい言葉だけ掲げて、『共に死ぬ』ということはほとんど言わない。死んでいくときは『ひとり』、ということもあいまいになっている。(中略)すべての人間がひとりで死ぬ運命の中に投げ出されている。だから『共に死ぬ』ということになります。『共に死ぬ』すなわち『共死』とはそういう意味なのです。共に生きる者たちは当然共に死ぬ者でもある。」(『わたしが死について語るなら』ポプラ社、2010年、53~54ページ)

要するに、子どもの生活や意識、学校教育などにおいて、抽象的・理念的に「生」が語られ、「死」が遠ざけられてきた。死を見つめることによってこそ生の意味を知ることができる、というのであろう。加筆すれば、死のとらえ方には、自分自身の死(「一人称の死」)と、自分自身と関係性をもつ人の死(「二人称の死」)、そして関係性をもたない人の死(「三人称の死」)の3つがあるといわれる。死すなわち生について議論する際には、客観的で冷静な三人称の死だけでなく、むしろ一人称や二人称の視点が必要かつ重要となる。それによって、より確かな死生観や人生観の育成を図ることができるのである。
ところで、学校における福祉教育ではこれまで、高齢の疑似体験や高齢者への思いやり、そして「共に生きる」ということが強調されてきた。その際、老いについての理解を十全に行ってきたか。死そのものに向き合い、また向かい合ってきたかというと、“否”と答えざるを得ないのではないか。場合によっては、意図的に避けてきたといえなくもない。
そこで、例によって唐突の感は免れないが、本稿で筆者がいいたいのは、「デス・エデュケーション」(death education)の一環としての市民福祉教育の推進を図る必要がある、ということである。しかも、それは、子どもに対する教育営為にとどまらず、一般成人を対象にした福祉教育としての展開がより一層求められる。さらに、上述の中島先生の様にとはいわない(いかない)までも、老いと死について自分の思いや考えなどをその人らしく、その人なりに具体的に言語化できる高齢者の主体形成を図ることが肝要となる、ということである。それは、福祉教育の客体としての高齢者を解放し、高齢者をその主体に位置づけることを意味する。そこに、自立性と自律性、そして個性をもつ高齢者の姿を見出すことになる。
市民福祉教育は、デス・エデュケーションと連携していく間口と奥行きをもっている。


(1)石丸昌彦編著『死生学入門』放送大学教育振興会、2014年。
(2)一番ヶ瀬康子『社会福祉事業概論』誠信書房、1964年。
(3)「デス・エデュケーションは単なる『死についての教育』にとどまるものではなく、『死の準備教育』あるいは『死を見すえて日常の生を生きるための教育』である」(竹田純郎・森秀樹編『<死生学>入門』ナカニシヤ出版、1997年、197ページ)。

付記
日本の政治はいま、「戦争のできる国」づくりを進め、翼賛体制の構築を促している。戦争は犯罪であり、生きることと老いることを許さない死そのものである。こんなことに思いを致しながら本稿を草したことを、敢えて付記しておきたい。

神田均先生とやっちゃんの詩

神田均(かんだ ひとし)先生からまた、ご高著『福祉の細い道~八十路を歩みながら~』(2015年1月1日刊)のご恵贈を賜った。先生は、2014年、7回目の年男(うま年・84歳)を迎えられたという。ご高著の「まえがき」に次のような一節がある。

私は、主に20世紀を生きて来た、まさに「昭和の男」である。しかし私自身が社会人となると同時に、「福祉の道」に入ってから今日まで、「日本の福祉の歩み」を地方の片隅から、眺め続けてきた65年間でもあった。
今、日本社会は内外共に大変に多くの課題を抱えている。併し、あの戦後の混乱期を生き抜いて来た人間としては、真正面からそれらの課題に向き合って、前に進んで行くしかないと思う。
私自身に残された時間は少ないが、これからも人生の最後までボランティア精神を忘れずに、歩み続けて行きたいと思う。

先生は現在も、福祉人材養成の専門学校に出講したり、ボランティア団体の運営に関係されている。東日本大震災に際しては、自らボランティアとして現地に赴いておられる。ただただ頭が下がるばかりである。
神田先生の「生涯、ソーシャルワーカー」の生きざまをご高著から学ぶとき、15歳のやっちゃんの「ごめんなさいね おかあさん」(1975年4月)という詩に出会う。先生の「いのちの尊厳」や「いのちのつながり」の思想と実践、先生の「福祉教育の原点」を読み解くことになる詩である。以下に、転載・紹介することにする。余計なコメントは無用である。

9時
9時10分

及ばずながら福祉教育を追究し、また教師の端くれとして生きてきた筆者(阪野)にとって、やっちゃんの同級生が詩に託す「さとみは さびしい/だから 先生/もっと さとみと話して/だから 先生/もっと さとみと遊んで/だから 先生/もっと さとみをよく見て/やっちゃんが してくれたように」という思いや願いは、心に刺さる。同様に、神田先生の「八十路を歩みながら」今なお「生涯、ソーシャルワーカー」の現役のみずみずしさは、肺腑を衝く。


(1) 神田均先生に関しては、次の文献を参照されたい。
神田均・種石進「『100の知識より1つの体験』を大切にする」(対談)
『ふくしと教育』通巻11号、大学図書出版、2011年9月、38~41ページ。
神田均・武居敏「福祉に関わった宿命 生涯ソーシャルワーカーとして」(対談)
『月刊福祉』2013年5月号、全国社会福祉協議会、2013年5月、52~57ページ。
(2) やっちゃんの詩に関しては、次の文献を参照されたい。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』サンケイ出版、1978年12月。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(必読名作シリーズ)旺文社、1988年3月。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(改訂版)産経新聞ニュースサービス/扶桑社、2002年6月。
(3) 「やっちゃんの同級生」の詩の「まんまんさん」は「神様、仏様の幼児語」である。

“あっ!” と直覚すること

筆者(阪野)の、暮れから正月にかけての過ごし方は、ここ数年来、布団の温もりに包まれて分厚い本や別ジャンルの本、あるいは事典などを読むというものである。今年はなんと無謀にも、西田幾多郎の『善の研究』(1911〈明治44〉年1月)などのいわゆる西田哲学を読み返すことにした。「唯一の日本発の哲学」と評される西田哲学の本を読み返すといっても、文体も内容も難解極まりないことは痛感している。今回は、数冊の入門書や解説書も併せて読んでみたが、通読はしたものの、またもや大きな力で跳ね返されてしまった。そもそも、布団の温もりに包まれて読むという姿勢そのものが、不遜である。
周知の通り、西田の思想の根底・起点に「純粋経験」という概念がある。西田は、『善の研究』の第1編「純粋経験」第1章「純粋経験」の最初の段落で次のように述べている。

純粋経験は、「例えば、色を見、音を聞く刹那(せつな:極めて短い時間)、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇(さいじゅん:最も純粋なこと)なるものである。」(西田幾多郎/小坂国継 全注訳『善の研究』講談社、2006年9月、30ページ。( )内は筆者。)

この一節について、上記の小坂国継は、次のように解説している。

「主観と客観とが分離する以前の、統一的な意識状態を指して純粋経験というのである。それだから、純粋経験は『直接経験』と同義である。われわれがある対象を見たり聞いたりするその瞬間、われわれは対象と一体になっており、われわれと対象との間に間隔はない。
例えば、野山を逍遥(しょうよう)していて、思いがけなく野辺に咲く花が目に止まり、『あっ!』と驚きの言葉を発したその瞬間の状態が純粋経験である。その瞬間においては、私と花とは一体となっていて、そこには見る私もなければ、見られる花もない。ただ一つの事実があるだけである。」(『前掲書』476ページ)

要するに、純粋経験とは、主体と客体、主観と客観が対立する以前の経験であり、「知・情・意」(知性と感情と意志)がひとつになった経験である。それは、野辺に咲く花を見て、「私は花を見ている」「その花は野菊である」「その野菊は美しい」といった判断が生ずる以前の、「あっ!」と息をのんで直覚的に感じ取る瞬間、というのであろう。合理的かつ分析的な推理や思考によらない、それ以前の経験である。「あっ!」と息をのむ瞬間は、何も特別のものではなく、日常的に経験することでもある。
ところで、西田の大学での講義について、ひとつの面白いエピソードがある。西田は講義の途中でしばらく黙って考え込んだ後、急に「わからん!」といって講義をやめ、講義室を出て行った。学生たちも「わからん」ということに感動して教室を出た、というのがそれである。西田にとって講義は真剣な思索の場であり、学生にとってその講義は極めて難解であった、ということである(藤田正勝『西田幾多郎―生きることと哲学』岩波書店、2007年3月、82~83ページ)。
西田のそれと比ぶべくもなく、僭越至極であるが、筆者は、授業の際に学生には「緊張と集中」を求め、「関心と感動」を呼び起こす授業になるよう努めてきた。しかし、汗顔の至りであるが、学生に対して「あっ!」という純粋経験やそれらしき状態を生み出すことはなかった。筆者はしばしば、「伝わっていますか?」という“問い”を学生に投げかけた。学生に伝わっていなければ、伝え方に問題がある以上に、自分が真に「わかっていない」のである。赤面の日々であった。
そこで、筆者は、大学での授業では常に、次のような「自己点検・評価票」への記入を学生に求めた。その主要なねらいは、シラバス(授業計画)や実際の授業内容・方法などについて評価・反省し、改善することにあった。

16時

はがき大のこの自己点検・評価票を丹念に読んでいたとき、「あっ!」と息をのんだことはしばしばであった。それが純粋経験やそれに近い状態であったといえるかどうかは別にして、教師冥利に尽きるものであったことは確かである。

付記
本稿を草することにしたきっかけは、大韓民国の慶北科学大学社会福祉科の尹貞淑教授によって阪野貢・木下康彦編著『福祉科教育法の構築と展開』(角川学芸出版、2007年9月)が2014年12月末に翻訳刊行されたことにある。尹先生とのやり取りのなかで、手元にある「福祉教育」に関するフォルダに「自己点検・評価票」がファイルされていることを思い出した。一片の紙に過ぎないが、何故か捨てがたい。
ところで、これまでの「福祉教育」研究は、一面では、全国各地で取り組まれている実践事例を掘り起し、それを咀嚼し、紹介することに汲々としてきた、といえばいい過ぎであろうか。紹介される事例のほとんどは、その基準を曖昧にしたままでの「先駆的」「モデル的」と評される実践である。事例の掘り起しや咀嚼の仕方が独善的な場合もある。しかも、その実践事例は、機が熟するのを待たずに流行おくれとなり、過去のものとなっていく。最近では、新しく紹介される実践事例の数も少なくなってきているように思える。自己点検・評価をベースにした、息の長い「事例研究」(「実践的研究」)を期待したい。

「まちの憲法」、制定までの迷走―資料紹介―

2014年 関市の10大ニュース
2位 自治基本条例制定(12月)
自分たちのことは自分たちで決めるための新しいルールが誕生!
関市のまちづくりに関する基本的な事項を定め、市民、議会、行政のそれぞれの役割や責務を明確にし協働することにより、市民自治としあわせなまちの実現を目指す本条例を制定しました。制定にあたっては市民団体の代表や公募の市民、学識経験者ら28人で構成する自治基本条例策定審議会を設置し、平成24年12月から13回に渡る協議を行い、市長への答申を経て議会に提案され可決されたもので、「まちの憲法」として施行されます。

これは、平成26年12月24日、関市役所公式ホームページにアップされた「2014年 関市の10大ニュース」に関する記事の一部である。10大ニュースは、「秘書広報課が選定した市内の主な出来事67件の中から、最高幹部会において市長以下各部長らが投票し、得点数の多かった順に上位から10件」を選定したものである。ちなみに、1位は「関シティターミナルオープン(3月) 新しい『関市の顔』が完成!」である。それは、いわゆるハコモノである。市幹部の、自治基本条例についての認識や「市民主権、市民自治」の意識の“程度”の反映であろうか。市長(平成23年9月22日就任)のマニフェスト(政権公約)の一丁目一番地が「市民主権、市民自治。自分たちのことは自分たちで決める社会に。」であり、その最優先事項が「まちの憲法~自治基本条例の制定」(「市長マニフェスト推進計画」)であることを改めて思い起こしたい。
ところで、市が「関市自治基本条例検討委員会」(以下、「検討委員会」)の委員(公募市民)を募集したのは、平成24年4月1日から4月16日の期間であった。委員募集の文書には、検討委員会の開催回数は「5回程度を予定(平日の夜間2時間程度)」、委員の任期は「平成24年5月1日から平成24年9月30日まで」と記されていた。しかし、検討委員会の開始時期は、6月、さらに10月にずれ込み、名称変更された「関市自治基本条例策定審議会」(以下、「策定審議会」)が設置されたのは同年12月18日であった。そこには市議会の一部の議員や政策会派の思惑が透けてみえる、というのは逸言であろうか。
そういうなかで、委員(市民)の熱意と努力によって、策定審議会は13回、1年3カ月にわたって開催され、平成26年2月4日に「関市自治基本条例に関する答申書(関市自治基本条例素案)」(以下、「素案」)が市長に提出された。なお、策定審議会を傍聴した市民は当初の1、2名を除いてほとんどいなかった。毎回のようにひとりの議員が熱心に傍聴していたが、他の議員と市職員のそれは皆無であった。敢えて付記しておきたい。
その後、平成26年5月8日に開会された「平成26年関市議会第1回臨時会議」に「自治基本条例に関する特別委員会の設置について」(市議第6号)が提出、可決された。同年6月5日、「平成26年関市議会第2回定例会議」(~6月25日)が開会され、「関市自治基本条例の制定について」(議案第38号)が市長から上程された。しかし、第2回定例会議と、続く同年9月2日に開会された第3回定例会議(~10月1日)ではともに「継続審議」の議決が行われた(6月25日、10月1日)。審議未了による廃案にならなかったのがせめてもの救いであったといえよう。
上記の特別委員会は、平成26年6月から同年12月にかけて、会議を7回開催している。その会議について誤解や批判を恐れずにいうと、一見積極的で精力的なようにみえるが、その実は姑息で浅慮なものであった。以下に紹介する「委員会における主な意見」がその証左である。いずれにしろ、“慎重な政策議論”を経て、12月11日に、市側が提出していた原案を可決するに至った。それを受けて、同年11月27日に開会された「平成26年関市議会第4回定例会議」(~12月19日)の最終日に「関市自治基本条例」(以下、「条例」)が可決・成立し、12月25日に公布・施行された。
以上が、検討委員会の委員募集から条例の制定・施行までの概要である。
ここで、敢えて、自治基本条例の制定主体と議会の会派に関して一言しておきたい。
先ず、自治基本条例の制定主体は市民である。自治基本条例が「自治体の憲法」であるといわれる点において、市長と議会はそれを遵守する立場にある。自治基本条例は市長と議会が制定し、その手続きは通常の手続きでよいとされる向きがある。しかし、自治基本条例の制定は「市民主権、市民自治」の政治制度を創出するためのものである以上、「市民主導」「市民熟議」が強く求められる。ちなみに、埼玉県越谷市では、自治基本条例を平成21年9月1日に施行するが、自治基本条例をテーマにした市民による自主的・主体的な勉強会が全8回開催されている。その報告書が市長に提出され、それを受けて公募による市民を中心とした審議会(委員30人)を設置する。審議会の会議は89回、審議会による懇談会・説明会が40回開催された。平成22年4月1日に自治基本条例推進会議(委員15人)が設置され、平成22年度5回、23年度9回、24年度6回、25年度8回、26年度5回(平成26年11月末現在)、それぞれ開催されている。市民参画と協働による自治基本条例の制定と運用・普及に関する一例である。参考にしたい。
次に、議会の会派は、議会内の役割配分(議長、副議長、常任委員長など)を獲得するための“集まり”である。議員は、実態的には、「利益と便宜」のために会派に所属しているといっても過言ではない。議員の本来の任務は提出議案について審議し、討論・採決を行うことである。それは、一人ひとりの議員が有する固有の権利であり責務である。その議員活動が会派の決定によって左右されてはならない。そもそも、議員内閣制である中央政治の政党分派を地方議会に持ち込むことに、大きな問題がある。地方自治体は、首長(市町村長)と議員を住民の直接選挙で選ぶ二元代表制を採っている。議会の役割のひとつは、執行機関(首長と教育委員会などの委員会や委員)に対峙して監視・評価し、執行機関の独走や逸脱行為をチェックすることにある。地方議会には、本来的には与党も野党も存在しない。
改めて認識しておきたい基礎的・基本的なことどもである(森啓「自治体議会の改革と自治基本条例」『開発論集』第87号、北海学園大学開発研究所、2011年3月、1~8ページ。森啓『新自治体学入門―市民力と職員力―』時事通信出版局、2008年3月、172~173ページ参照)。

平成26年12月26日付けで市長から、策定審議会の末席を汚した筆者(阪野)に「関市自治基本条例の制定について(お礼)」の文書が送付されてきた。ここで、その添付資料(「これまでの経過報告」)と、併せて素案と条例を筆者なりに比較表示したものを紹介する。

これまでの経過報告
■関市議会全員協議会
平成25年12月16日 協議状況の説明
平成26年2月20日 素案説明(パブリックコメント実施前)
5月20日 パブリックコメント結果報告
■関市自治基本条例に関する特別委員会
第1回:6月20日、第2回:7月22日、第3回:8月26日、第4回:9月17日、第5回:10月20日、第6回:11月20日、第7回:12月11日
(委員会における主な意見)
・理念条例に個々具体的な施策や制度を規定することに違和感がある。
・市長の政策を具体的な名称を用いて規定しているが、基本条例に含めることは良いのか。市長が交代したら改正するのか。
・市民、議会及び行政が対等な立場で連携するとあるが、実際に協働することは難しい。
・子ども、高齢者、障がい者を別に規定する必要があるのか。  
・議会と議員の使い分けが分からない。
・委員の公募は、特定の市民が独占する恐れがある。
・地域委員会、まちづくり市民会議など具体的な名称は、一般的な表現に変えるべきである。(市長のマニフェストに掲載された名称であるため)
・自治会の規定がないのがおかしい。自治会はコミュニティ形成を図るためには最も重要な組織である。
・必要性が感じられない。すでに制定した自治体に聞いてもまったく活用されていない。
■パブリックコメント
期間 平成26年3月1日~平成26年3月31日
意見提出者 8人
意見数 18件
■住民説明会
パブリックコメント実施にともなう住民説明
実施回数 6回
参加者数 250人
各種団体の総会等における条例の説明
実施回数 11回
参加者数 790人
市職員を対象にした説明会
実施回数 1回
参加者数 230人
合計 1,270人

関市自治基本条例(1)
その2
5その4
その6
その7

筆者の立場(策定審議会委員)や本稿の限界(資料紹介)上、条例の構成(要素)や条文そのものについての評価やコメントは差し控える必要があろう。その点に留意しながら、最後に、次の諸点を付記しておきたい。
(1)自治基本条例は自治体の最高規範であり、他の条例や規則、計画などはこの条例の考え方を最大限尊重することになる。それを担保する規範意識を市民や地域社会に醸成するための取り組みが必要かつ重要となる。
(2)自治基本条例を機能させるかどうかの前提は、市民の「主権意識」「自治意識」である。その意識の形成と強化を図ることが強く求められる。市民性形成や市民福祉教育などの推進が図られねばならない。
(3)条例は、素案に修正が加えられたものになっているが、答申後の取り扱いは最終的には市長や議会に委ねられることになる。ただ、文言の変更はさておき、抽象的・包括的な条項(条文)への修正が複数箇所にわたって行われていることが懸念される。
(4)自治基本条例は理念条例であるが、その理念を実現するための「仕組み」として、とりわけ「地域委員会」「市民活動センター」「まちづくり市民会議」は重要な意味をもつ。条例が画塀に帰すことのないよう、具体的な規定が必要となる。
(5)「地域委員会」「市民活動センター」「まちづくり市民会議」は、市民が主役のまちづくりを確かで豊かなものにするためにも、三位一体の機関・組織として位置づけられることが大切になる。そのうえで、それぞれの機能が重複発揮されることが求められる。

市民福祉教育研究所/2014年のブログ/年間レポート

市民福祉教育研究所/2014年のブログ/年間レポート 

統計情報
シドニーにあるオペラハウスのコンサートホールには2,700人が収容できます。2014年にこのブログは約20,000回表示されました。オペラハウスのコンサート7回分になります。
2014年には27件の新しい投稿が追加され、このブログのアーカイブの合計は95件になりました。230枚の写真がアップロードされました。合計12MB になります。 これは1週間あたり約4枚の写真の計算になります。
1年のうち一番人気のあった日は8月6日で、232回表示されました。その日最も人気があった記事は「阪野貢」です。
ちなみに、2012年6月25日にこのブログを開設して以来、2014年12月31日現在で54,331回表示されました。

注目記事
以下は、2014年に最もよく読まれた投稿です。
(1)福祉教育におけるアウトリーチ活動―福祉の(による)まちづくりの住民主体形成を推進するために―/2012年11月
(2)地域福祉推進の基本的視点―福祉教育実践の内容と方法を考えるために―/2013年6月
(3)問題解決学習と“はいまわる経験主義”―資料紹介―/2014年4月
(4)地域福祉懇談会と市民福祉教育―ニーズの把握と活動への動機づけをめざして―/2012年12月
(5)「極点社会」と地域アイデンティティ/2014年5月
(6)障害は個性ではない―障がい者差別の解消に向けて―/2013年11月
(7)ソーシャル・キャピタルと市民福祉教育/2012年8月
(8)介護等体験と福祉教育―介護等体験は“古くて狭い”福祉観や教育観を再生産する―/2012年10月
(9)今、改めて問われる「村を捨てる学力」と「村を育てる学力」―資料紹介―/2014年3月
(10) パターナリズムと市民福祉教育/2012年9月

読者の所在地
合計17ヶ国です。
人気の国は、日本、米国、大韓民国、台湾、ブルネイ・ダルサラーム国、オーストラリア、カナダ、香港、ドイツ、ハンガリーです。

「滅私奉公」と「活私開公」―資料紹介―

おはようございます。今日は、豊田市ボランティア連絡協議会主催の第3回「ボラ連 交流サロン」にお招きいただき、誠にありがとうございます。先ずもって、各地域でボランティア活動に取り組んでおられる皆様方に心より敬意を表します。とともに、ボランティアは「まちづくりにどのように関わったらよいのか?」というテーマで意見交換する貴重な機会を頂戴したことについて、厚くお礼申し上げます。また、大変光栄に思っております。
私の役割は、第2部の「参加者による意見交換会」の“前座”として、「まちづくり・ボランティア・市民福祉教育」に関して日頃考えておりますことなどを少しお話させていただくことかと認識しております。意見交換のための何らかの素材をお示しすることができれば幸いです。
過日、会長のOOさんからご丁重な依頼状を頂戴いたしました。また、副会長のOOさんからは具体的なプログラムをいただきました。そのプログラムのなかで、「意見交換会」の趣旨について次のように記されております。「地域福祉活動計画の基本的な理念は、一人ひとりが地域で役割を持ちながら、自分らしく生きることができるまちを、支え合いによってつくること。そのためには、私たちボランティアの役割は大変大きいと思います。横の連携を築くことは、さらに大きな力になると考えます。さあ、どのように関わっていきましょう? すでに関わっている方は、お話し下さい。」、というのがそれです。
「地域福祉活動計画」につきましては、ご案内のように、豊田市社会福祉協議会が中心になって昨年の7月から、住民主体・住民参加の理念のもとに、計画策定の作業が進められております。そのなかでも、27中学校区で、累計で約60回の「住民懇談会」が開催されたことは、特筆されるのではないでしょうか。その懇談会では、各地域の住民の皆様が抱える生活課題を明らかにして、その具体的な解決策と各地区が今後めざすべき「支え合いのまちづくり」の方向性などについて話し合われました。また、その際、住民の、住民による、住民のための情報交換や相互学習、今日のテーマに引き付けていえば「福祉教育」の一環として懇談が行われたことも評価できるのではないでしょうか。
いまひとつ計画策定に関して注目されるのは、行政と社協が連携を図りながら、行政の「地域福祉計画」と社協の「地域福祉活動計画」を一体的に策定しているということかと思います。豊田市の行政上のキワードに“ともばたらき”の「共働」というのがありますが、今回の計画策定はまさに、行政と社協、住民相互の「共働」に基づくものであるといっていいのではないかと思います。
ところで、今回、この講演の依頼を受けた機会に、何年振りかで『社会とどうかかわるか』という山脇直司(やまわき なおし)という先生が書かれた「公共哲学」(public philosophy)についての本を読み返してみました。2008年11月に、岩波ジュニア新書の一冊として刊行されておりますので、ご一読いただければと思います。
山脇先生は、その本で、「社会とのかかわり方」には3つのパターンがある。「社会とのゆがんだかかわり方」は「滅私奉公」(めっしほうこう)と「滅公奉私」(めっこうほうし)というライフスタイルや価値観である。「社会との理想的なかかわり方」として推奨したいのは「活私開公」(かっしかいこう)というライフスタイルや社会観である、といっています。
今回私がお伝えし、またお願いしたいことのひとつは、今日お集まりの皆様方はすでに、地域住民として、ボランティアとして、またまちづくりのためのいろいろな地域・社会活動を通して「活私開公」の考え方やライフスタイルをお持ちである。山脇先生がその実現を図るべきであるという、「社会との理想的なかかわり方」をされている。そうした考え方に基づいて、引き続き「自分らしく生きることができるまち」づくりのためのボランティア活動を進めていただきたい、ということです。
多少堅苦しくなりますが、「滅私奉公」と「滅公奉私」、そして「活私開公」についての山脇先生の文章を紹介させていただきます。

「滅私奉公」は、自分も他者も、国や会社、規律やイデオロギーのために犠牲となることを強いられるような、「社会とのかかわり方」でした。そこでの人間関係は、一人ひとりの「私」を活かすようなものではなく、国家の命令、会社組織、学校の規律、党のイデオロギーなどによって支配されていました。(148ページ)
「滅公奉私」は、他者とのつながりを切断するか、あるいは、他者とのつながりに興味を示したとしても自己利益の追求の延長でしかないような「社会とのかかわり方」でした。滅公奉私を生きる人にとって、身内や友だちやお仲間以外の他者は、赤の他人にすぎません。このような「社会とのかかわり方」では、公共世界の重要な要素である福祉などの公共善をつくっていくことについては、きわめて消極的な姿勢しか生まれないでしょう。(149ページ)
活私開公という「社会とのかかわり方」においては、「一人ひとりの個性を活かすような」仕方で他者とコミュニケーションをし、平和、人権、福祉など、共有しあえる公共善の実現を願います。また、戦争、人権弾圧、貧困、差別、環境破壊などの公共悪や、地震、津波などの災禍の現状をできるだけ的確に認識し、その除去や救援のためになんらかの努力をします。(149~150ページ)

要するに、「滅私奉公」は、自分を犠牲にして、国や地域・社会のために尽くす精神を意味します。この考えや行動は、全体主義につながります。この考えやライフスタイルは、1930年代以降戦時体制が進むなかでのものですが、それは戦後日本においても形を変えて生き残っているのではないでしょうか。「滅公奉私」は、社会全体に関することつまり「公共」(public)のことを無視して、自分と身内や仲間の利益だけを追求する精神を意味します。この考えや行動は、利己主義を蔓延させることになります。そこでは、「公平」(equity)や「公正」(fairness)が失われます。「活私開公」は、一人ひとりの個人の生き方を尊重し、「私」(個性)を活かしながら、共に分かち合い、共に手を携えて豊かに生きる地域・社会を創る(「開花させる」)精神を意味します。この考えや行動は、社会福祉の原理のひとつであるノーマライゼーションや社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)の思想につながります。それはまた、ボランティア活動の4原則ともいわれる(1)自発性・主体性、(2)社会性・連帯性、(3)無給性・無償性、(4)先駆性・開拓性に通じることにもなります。
いうまでもなく、「活私開公」という考え方やライフスタイルは、誰もが、自然に身につくものではありません。そこには教育や学習が必要になります。国や行政に対しては、一定の距離を保ち、ある種の緊張関係をもちながら、一人ひとりの住民が主体的・自律的・自治的に、いわば「下からの公共」「草の根からの公共」を創り上げて行くことが強く求められます。それこそが本当の、質の高い「公共」といえるのではないでしょうか。そこに求められるのは、「市民」(citizen)としての自覚と資質・能力を育てるための「市民性形成」、福祉に引き付けていえば今回の講演のひとつのテーマである「市民福祉教育」です。今回の「ボラ連 交流サロン」は「市民性教育」(citizenship education)や「市民福祉教育」の一環として開催されたのであろうと、私は思っているところです。
ボランティアは、市民「参加」やボランティア「派遣」という名の「動員」や、行政の「下請け」や「補完」を行うものではない。ボランティアは、主体的で自律的・自治的な、そして「草の根」(grass roots)の活動や運動である、ということに思いを致していただければ幸いです。
なお、蛇足ですが、「滅公奉私」という言葉は1980年に社会学者の日高六郎(ひだか ろくろう)が造った言葉であり、「活私開公」という言葉は山脇先生の友人である韓国人の金泰昌(キム テーチャン)という方の造語である、と山脇先生はおっしゃっています。
ご承知のように、まちづくりは国や行政の専売特許ではありません。まちづくりの担い手は、行政や社協をはじめ、自治会・町内会などの地域組織、NPOやボランティア団体、地域で営業活動を行う各種の事業者、そして何よりもそこで暮らしている一人ひとりの地域住民です。今日新たに持ってきました資料に、「活私開公」などについてのこれまでの話を含めて、「公共を支えるまちづくり主体の相関図」というのを載せています。次の「意見交換会」の参考にでもなれば幸いです。
取り急ぎ描いたこの図で注目してほしいことは、「公共」を「官」「公」「私」「民」の4つに分けて考えていること。その4つは相関関係、「共働」する関係にあること。そして、真に求められる「公共」は、行政主導・地方自治体優位の、「上から」の「公共」ではなく、主体的・自律的・自治的な住民による住民主導・住民優位の、「下から」の「公共」であること。そうした「公共」を創出し、その拡大・深化を図っていかなければならないということ、などです。今日お集まりの皆様方は、ボランティアとして、ボランティア活動を通して、その最前線で、そのための取り組みを自発的・主体的になされている、ということです。
それでは、これから本題に入ります。‥‥‥。

13日23時
参考文献
(1)山脇直司『公共哲学とは何か』筑摩書房、2004年5月。
(2)山脇直司『社会とどうかかわるか―公共哲学からのヒント―』岩波書店、2008年11月。
(3)山脇直司『公共哲学からの応答―3・11の衝撃の後で―』筑摩書房、2011年12月。
(4)塩野谷祐一・鈴村興太郎・後藤玲子編『福祉の公共哲学』東京大学出版会、2004年1月。


本稿は、2014年12月11日に開催された豊田市ボランティア連絡協議会の第3回「ボラ連 交流サロン」での講演(「まちづくり・ボランティア・市民福祉教育」)の最初の部分を纏めたものである。

付記
先日、初雪が降った。足元の悪いなか、私は夕方、愛犬の散歩に出かけた。その途中で、二人の子どもが庭先で雪だるまを作って遊んでいた。楽しげであった。もう一度その庭先を通ると、二人の子どもは、なにかわめきながら雪だるまの首をはねていた。思わず「かわいそうじゃない!」。子どもたちはきょとんとした。
その夜、私は夏目漱石の姦通小説『それから』を読み終えた。「ヘクター」という飼い犬の名前が懐かしかった。「仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄(ほのお)の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行(ゆ)こうと決心した。」最後の一節である。
12月10日午前零時、政府による恣意的な運用や国民の「知る権利」の侵害が懸念されている特定秘密保護法が施行された。「番犬」という言葉がふと、私の頭をよぎった。
そこには「歪み」と「怖さ」がある。そして「不安」と「怒り」を覚える。それは私だけではあるまい。

福祉教育、その彷徨と回顧―ある社協ワーカーとの会話から―

福祉教育にかかわっておよそOO年が過ぎ去りました。昨今の厳しい環境変化によるのでしょうか、元気がでません。進むべき方向も見失いがちで、ときには後ろに追いやられそうです。

福祉教育の指定校制度のもとでは、学校の求めに応じて車椅子を貸し出したり、疑似体験のお手伝いをしたりと、それなりに忙しくしていました。
地域を基盤とした福祉教育の時代を迎え、学校指定から地域指定になりましたが、一面では学校とのかかわりが希薄になったような気がします。

そういうなかで、学校の先生に加えて、地域の誰を福祉教育の主要な担い手として位置づけ、その育成・確保を図ればいいのか。課題山積です。
学校に丸投げしていた福祉教育を、今度は地区社協や地元の関係組織・団体などに丸投げする、という訳にはいきません。それは、社協自らが機能不全を起こし、存在そのものを否定することに繋がるからです。

振り返れば、
1970年代は、全社協などが中心になって「福祉教育の啓発・普及」が図られました。「学童・生徒のボランティア活動普及事業」が始まったのは1977年でした。
1980年代は、福祉教育実践の全国的な展開を背景に、全社協や各地で「福祉教育の理論的整理」が行われました。福祉教育のひとつの羅針盤を得ることができました。
1990年代は、学校を中心にした「福祉教育実践の具体的推進」が図られました。その後は、学校外にも広がっていきました。
2000年代は、地域福祉の主流化の進展やICFの視点の導入などにより、「福祉教育実践の新しい展開と質の問い直し」が行われました。
2010年代は、社会的包摂の理念の普及や東日本大震災を契機に、コミュニティへの関心が高まり、「コミュニティ再生と福祉教育」のあり方が問われています。

福祉教育のこうした変遷を大胆にいえば、
「教育と福祉」→「学校教育と福祉教育」→「学校外教育と福祉教育」→「地域福祉と福祉教育」→「まちづくりと福祉教育」、ということになるでしょうか。

「教育と福祉」の時代には、多くの分野の専門知識や経験などを持ち寄って、「ヒトを育て、まちを創る」という大きな夢と熱い思いを語り合ったものです。そこには、みんな違う“強い香り”がありました。
「地域福祉と福祉教育」の時代になると、崇高な理念や思想が強調されるあまり、何かがこぼれ落ち、何かに矮小化されているようです。そこには、みんな同じ“程よい香り”しかありません。
全社協が1996年に纏めた『地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』を読み返したいと思うところです。画期をなす実践から、いま改めて学ぶべきです。

福祉教育に、口当たりのいい言葉はいりません。必要なのは、厳しい現実と闘っている地域や住民の「ありのままの姿」です。
福祉教育に、ゲーム感覚で楽しんでいるだけの体験活動はいりません。必要なのは、実態をえぐり出し、問題の「本質に迫る学習」です。
福祉教育は、住民自らが、自分らしく・したたかに・しなやかに「生き抜く力」を育むための営みです。
福祉教育は、住民による、住民のための、快適な生活環境や豊かな福祉文化の「まちづくり」を志向するものです。

市民主権や市民自治の確立が求められるいま、改めて福祉教育の重要性と難しさを痛感しています。