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福祉教育の歴史研究と福祉教育実践の歴史性―第20回大会に参加して―

11月8日と9日に、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第20回大会が日本社会事業大学(東京都清瀬市)で開催されました。
筆者(阪野)は、8日午前中の「特別課題研究(とうきょう企画)」の③「福祉教育・ボランティア学習の原理を探る」という分科会で、「福祉教育の歴史研究」に関して三ツ石行宏先生(神戸親和女子大学)と “対談” する機会を得ました。50名近くの参加者とともに、多くの「気づき」と「学び」のある、有意義なひと時を過ごすことができました。
三ツ石先生は、福祉教育の歴史研究に精力的に取り組まれており、既に複数の論稿を発表されています。今回は、三ツ石先生の玉稿「福祉教育史研究の現状と課題」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』第22号、2013年11月、68~76ページ)と筆者の拙稿「地方改良運動にみる福祉教育実践―福祉教育の遡及的原点を求めて―」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』第13号、2008年11月、120~129ページ)をベースに、互いにその考えや思いを語るものでした。
三ツ石先生からの質問や参加者との議論のうちから、先生が最初に提示された次の質問に対する筆者の回答の概要を以下に記すことにします。「福祉教育史の研究上の課題はどこにあると思うか?」、というのがそれです。

〇福祉教育研究が科学的な研究を志向し、福祉教育の理論化と体系化を図るに際しては、福祉教育の歴史研究はその基本的部分に据えられなければならない。しかし、『学会年報』(第13号)に、「福祉教育研究は、これまで、福祉教育の歴史に無関心であった」(120ページ)と書いたが、その状況は今日においても変わっていない。それは何故か?
〇福祉教育は、その実践が先行してきたが故に、その理論的な整理や研究が “後追い” しがちであった。そういうなかで、福祉教育の歴史研究は、取り残されてきたのではないか。それは、研究者の問題意識が希薄だったのか。研究者が怠慢だったのか。あるいはまた、日本福祉教育・ボランティア学習学会における研究活動の姿勢に問題や限界があったのか、等々いろいろと考えられる。
〇福祉教育研究における歴史研究の課題については、先ずは福祉教育史研究についての問題意識を高め、研究の振興を図ることが強く求められる。その際に、 “歴史研究は理論研究を無視しては成立しない” ということに十分留意することが肝要となる。それは、「実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される。実践のない理論は空虚であり、理論のない実践は盲目である」(120ページ)という言葉をもちだすまでもない。
〇一般に、「歴史に関心が集まるのは歴史の転換期においてである」といわれる。福祉教育はこれまで、子ども・青年の発達の歪みや、高齢者や障がい者が抱える生活問題や偏見・差別の実態などに焦点をあてて実践を積み上げ、また理論化の作業を進めてきたといってもよい。
〇その子どもは、6人に1人が貧困であり、3200万人の65歳以上の高齢者は10人に1人が老後破産をしている、といわれる。障がい者に関しては、ICFの視点や社会的包摂の理念が語られてはいるが、その内実化や実現を図るにはまだ多くの時間と努力を要する。
〇高齢者や障がい者、子ども、外国籍住民など多くの人々の人権が侵害され、平和と民主主義が危機的な状況にある。政治の世界では右傾化が進み、教育の世界では例えば「道徳の教科化」が推し進められている。こうした今日的状況は、いままさに「歴史の危機的転換期」にあるといわざるを得ない。歴史が “逆方向” に進もうとしているいまこそ、歴史研究が重視されなければならない。
〇福祉教育史研究の研究方法論上の課題についていえば、福祉教育に関する歴史的事象をどういう視点や視座で捉え、分析するか。その際の枠組みをどのように設定するか。また分析の手続きや手順をどのように踏むか、等々についての議論がこれまで十分に行われてこなかった。これは福祉教育史研究の “遅れ” の何ものでもないが、喫緊の重要課題として認識することが強く求められる。
〇「福祉教育史研究の意義と課題」については、筆者は、『学会年報』(第13号)で次のように書いている。
「福祉教育研究における歴史研究は、福祉教育の歴史的事実を実証的に解明することからはじまる。すなわち、それは、たんに福祉教育の変遷を押さえるだけでなく、その変遷の意味を明らかにすることである。その際、その史実を社会的・経済的・政治的・文化的諸条件との相互関連のなかで捉えることが肝要となる。それを通じて科学的・客観的に今日の福祉教育の到達点を押さえ、それが抱える問題点や課題を発見し、その本質を把握する。そして、それを解決し克服するための適切な方向を見定め、具体的な解決策を見出す。
ここに、福祉教育史研究の意義と課題があり、研究の重要性を指摘することができる。要するに、現在を読み解き、未来を拓くための有効な方法の一つに歴史があり、歴史研究があるのである。」(120ページ)
〇福祉教育研究における歴史研究について、研究者の “問題意識の希薄” や “怠慢” などといったが、その点をめぐって実践者に関して一言付け加えておきたい。
〇社会的事象は、常にその歴史的背景や状況のもとで生じるものである。当然のことながら、福祉教育実践も、歴史性をもって存在し、展開されてきた。今後も、展開されなければならない。つまり、福祉教育実践に取り組む際には、実践者はその歴史性について常に、また強く認識することが求められる。そうでないと、確かで、豊かな福祉教育実践の展開を期待することはできない。実践者も福祉教育実践の歴史性を強く認識すべきである。

参考文献
20周年記念リーディングス編集委員会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸―学際性と変革性―』大学図書出版、2014年10月。

「大橋福祉教育論」再考の視座と枠組み―新たな思考軸の構築をめざして―

福祉教育とは、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(「学校外における福祉教育のあり方と推進」全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、15ページ)。

ここ10年ほどの福祉教育学界は、地域福祉の主流化が進むなかで、良しにつけ悪しきにつけ、その視座が「教育と福祉」から「地域福祉と福祉教育」に矮小化され、俯瞰的議論から遠ざかっているようである。また、実践を支える理論や思想・価値、歴史などへの関心は未だ低い。実践方法の原理・原則の探究が不十分であり、理論的枠組みも不明確な福祉教育実践論が展開されているようでもある。

1 福祉教育の概念規定
上記の福祉教育の概念規定は、30年以上も前に大橋謙策によってなされたものである。今日においてもしばしば引用される。この概念規定以外にも、「福祉教育とは何か」について論考したものは複数、捉え方によっては多数あるが、大橋のそれがよく援用される。それは、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因するといってよい。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのであろう。
周知のように、全社協・全国ボランティア活動振興センターが1980年9月、「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)を設置し、翌1981年11月に「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」について研究の中間成果を纏め、報告した。委員会の設置は、全国各地で福祉教育実践の進展が図られ、学校における福祉教育のあり方について一定の理論的整理が求められるようになってきたことへの対応であった。次いで、1982年9月に第2次の「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)が設置され、翌1983年9月に「学校外における福祉教育のあり方と推進」と題する中間報告が行われた。大橋の福祉教育の定義は、第1次ではなく、「第2次福祉教育研究委員会」報告のなかで述べられている。そこではまた、次のように述べられている。「社会教育行政における福祉教育の促進には二つの視点が『車の両輪』としてなければならない。第一は、国民が社会福祉問題を学習し、それへの関心と理解を促進させる福祉教育活動の促進であり、第二には、今日の社会福祉問題の中心的課題を担っている障害者、高齢者の社会教育(学習、文化、スポーツ活動)の促進である」(15ページ)というのがそれである。後者(「第二」)に関してはさらに、「今日の社会福祉サービスの主たる対象である障害者、高齢者の学習、文化、スポーツ活動を豊かに促進させることが、国民の障害者観、老人観を変え、ひいては社会福祉観を変えて、ともに生きていく街づくりをすすめる上で重要」(16ページ)であるとされた。
ところで、大橋のこの定義は、全社協の「第2次福祉教育研究委員会」報告以前の1982年3月、神奈川県の「ともしび運動促進研究会」(委員長・大橋謙策)が編集し、「ともしび運動をすすめる県民会議」が発行した『ともしび運動促進研究会中間報告』で述べられている(4ページ)。「ともしび運動」は、長洲一二県知事の提唱によって、1976年10月から展開された行政・県民協働の福祉コミュニティづくり(自立と連帯のまちづくり)運動である。具体的には、「障害者の自立促進を」「おとしよりに生きがいを」「連帯感にあふれた地域社会づくり」などをその目標とし、「『ともしび運動』によってすすめられるべき課題の第一は“福祉教育の促進”である」(4ページ)とされた。
以上を要するに、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて高齢者や障がい者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視座に注目しないと、その定義や所説を読み解くことはできないということである。

2 福祉教育と「社会福祉問題」
先に記した大橋の福祉教育の定義についてその構成要素を弁別すると、次のようになる。(1)憲法第13条、第25条等に基づく人権思想をベースにする。(2)歴史的・社会的存在としての社会福祉問題を素材とする。(3)社会福祉問題との切り結びを通して、社会福祉制度や活動への関心と理解を進める。(4)社会福祉問題を解決する実践力を身につけるために、実践に基づく体験学習を重視する。(5)「自立と連帯の社会・地域づくり」の主体形成を図る、などがそれである。
大橋の定義における鍵概念のひとつは「社会福祉問題」である。大橋は、1981年2月に刊行された吉田久一編『社会福祉の形成と課題』(川島書店)所収の論文「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」(231~249ページ)で、高度経済成長期以降、「社会福祉問題の国民化と地域化」(大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、3~11ページ)が進んでいるが、地域で福祉問題を解決するためには、それができる「住民の形成とネットワークづくり、とりわけそこにおける住民参加の問題」(238ページ)が重要であり、焦眉の課題であるとする。そのうえで、地域福祉の主体形成のための福祉教育の必要性と、福祉行政の「地方分権主義」への転換を図り、地方自治体が自律性をもって「地域社会福祉計画」を住民参加のもとに策定することの必要性を指摘している。
福祉教育が学習素材とする「社会福祉問題」、とりわけ高度経済成長期以降のそれは、大橋にあっては、「戦前の大河内一男の社会政策と社会事業という整理や戦後の孝橋正一の社会問題と社会的問題という整理でも、包含できない課題として創出されてきた」(231ページ)。公害・環境問題と外的な生活破戒、過疎問題と家庭破戒、過密問題と生活の共同的集団的再生産機能の弱まりと不安定化、合理化・機械化による生活リズムの破戒や老人福祉問題の深刻化などが、「従来の問題にくわえてあらわれてきた」ものである(232~234ページ)。
地域住民のこれらの具体的な生活破戒の“状況”については、簡潔明瞭にカテゴライズしても、他の領域や次元の“状況”で説明するだけではその本質に迫ることはできない。社会福祉問題の分析は、それを現代社会の仕組みと運動法則によって必然的に生み出される構造的な「社会問題」として、社会科学的に捉えることによってはじめて可能となる。そうした分析のうえで、その問題解決に向けて、批判的・論理的かつ創造的に思考・判断・実践する“力”の育成・向上をいかにして図るか。そのための福祉教育実践の具体的展開について検討することが求められる。
以下に、上記の論文中から、「福祉教育と地域福祉の主体形成」に関する叙述部分を記しておく。大橋の「福祉教育の理念と実践の構造」についての所説の基本的部分(特色)を概観・俯瞰することができる。

福祉教育は、国民が社会福祉を自らの課題として認識し、福祉問題の解決こそが社会・地域づくりの重要なバロメーターとして考え、共に生きるための福祉計画づくり、福祉活動への参加を促すことを目的に行なわれる教育活動である。したがって、福祉教育は少なくとも次の諸点を構成要件として意識的に行なわれてこそ意味がある。
第一は、差別、偏見を排除し、人間性に対する豊かな愛情と信頼をもち、人間をつねに“発達の視点”でとらえられる人間観の養成、第二に社会福祉のもつ劣等処遇観、スティグマ(恥辱)をなくすことが必要で、そのためには国民の文化観、生活観を豊かにすることに他ならないこと、第三に、人間は人々との豊かな交流の中で生きる以上、生活圏の狭い障害者等の社会福祉サービス受給者の生活がいかに非人間的であるかをコミュニケーションの手段も含めてとらえられること、第四に複雑な社会における歴史的、社会的存在としての福祉問題を分析できる社会科学的認識が必要なこと、第五に今日の福祉は、福祉行政の中でも細分化されているが、その解決には関連行政たる労働行政、教育行政、保健衛生行政などを含めて地域的課題を総体的にとらえる力が必要であること、の五つを基本に、情報の周知徹底、体験・交流などによって感覚として体得することなどが方法論的にも加味されて、はじめて福祉教育の実践といえる。
福祉教育は、住民の福祉意識を変え、福祉問題をトータルにとらえ、問題解決のための福祉計画づくり、具体的解決のための実践などを行なえる住民の形成であり、それこそ地域福祉の主体形成といえよう。(243ページ)

3 福祉教育と「地域福祉の主体形成」
大橋は、岡本栄一によって「住民の主体形成と参加志向の地域福祉論」と評されるように、「地域福祉の主体形成」を重視する。その点について、大橋は、前記の著書『地域福祉の展開と福祉教育』において、「地域福祉の主体形成のしかたと主体として形成されるべき力量には、次のような7つのことが考えられる」とした。(1)社会福祉に関する情報提供による関心と理解の深化、(2)地域福祉計画策定への参加と政策立案能力、(3)社会福祉行政のレイマンコントロール(政治や行政の一部を一般市民に委ねること:阪野)、(4)社会福祉施設運営への参加、(5)意図的、計画的な福祉教育の推進、(6)地域の社会福祉サービスへの参加(ボランティア活動)による体験化と感覚化、(7)社会福祉問題をかかえた当事者の組織化と当事者のピア(仲間、peer)としての援助、がそれである(46ページ)。その後、大橋は、この「地域福祉の主体形成」(「住民の主体形成」)の7つの「枠組み」を整理し、「『地域福祉の主体』形成には、4つの課題がある」として、4つの主体形成の枠組みを提示する。すなわち、(1)地域福祉計画策定主体の形成、(2)地域福祉実践主体の形成、(3)社会福祉サービス利用主体の形成、(4)社会保険制度契約主体の形成、である(大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月、75~82ページ)。それは同時に、福祉教育の課題でもある。
この大橋の4つの主体形成については、7つから4つに“綺麗”に整理・集約された故にか、4つの側面が並列的に理解されがちで、その内的・構造的な相互関連性の把握を困難なものにしている。主体としての「住民」は、基本的には労働主体と(労働以外の)生活主体の統一的存在であろうが、政治主体・経済主体・文化主体であり、また地域の自治主体や変革・創造主体でもある。「住民」はこれらの側面を重層構造的にもつ存在である。地域の自治主体や変革・創造主体に関していえば、住民主体の社会福祉問題の解決や「自立と連帯の社会・地域づくり」を推進するためには、個人的主体形成のみならず集合行為主体や運動主体の形成が必要かつ重要となる。こうしたことを踏まえたうえで、地域福祉(住民)の主体形成を促進する福祉教育実践の内容や方法について具体的に検討することが肝要となる。(運動主体の形成と福祉教育のあり方に関しては、拙稿「運動主体形成と市民福祉教育」阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、70~81ページを参照されたい。)

4 「大橋福祉教育論」に対する批判
以上が、「社会福祉問題」と「主体形成」の鍵概念を中心にみた「大橋福祉教育論」の概括である。こうした大橋の所説に対してこれまで、「地域福祉と福祉教育」を説く地域福祉研究者からの系統的な批判はあまりみられない。それは、大橋の所説が一定の理論体系を作り上げていることによるが、大橋のそれが「福祉教育原理論」として前提され、そのうえで立論されていることにもよるといってよい。そういうなかで、生涯学習やESD(持続可能な開発のための教育)の研究者である松岡廣路が、論文「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」(『持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習(日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要)』第14号、2009年11月、8~23ページ)において、大橋の所説に批判的考察を加えている。
松岡の大橋批判は、大橋の福祉教育の定義は「汎用的であるがゆえに、同時に、脆弱性を併せもっている」。「脆弱性を項目化すると、<未分化な学習者像>、<社会福祉活動の内実の曖昧さ>、<楽観的な社会形成ビジョン>、<教育概念の曖昧さ>と約言できる」(13ページ)、というものである。そして、松岡は、「脆弱性の高い『福祉教育』の定義に基づいてしまうと、時代の大きな物語に押し流され、重要と思われる要素が外延化され、体制的要素を内包とする対象化(理論化)と実践化が、当然のごとく進んでいく。福祉教育が、現実と理想の拮抗関係の中に位置することを意識し、従来の枠組みを等閑視しないという批判的な姿勢を保つことが、今まさに重要である」(16ページ)として、「批判的創造性」の観点の必要性と重要性を説いている。松岡の批判は必ずしも、「大橋福祉教育論」をその理論的体系化の過程も視野に入れて、総合的・体系的に行うものにはなっていない。とはいえ、「社会的・福祉的課題の解決に不可欠な『批判的創造性』が、実践における学びの目標・内容(いわゆる『学びのベクトル』)から排除されている」(16ページ)という指摘は、首肯されるところである。(この点に関しては、例えば、拙稿「“いつか来た道” を憂う―「戦時厚生事業」の再考を求めて―」2014年4月1日投稿、などを参照されたい。)

5 「大橋福祉教育論」再考のための枠組み
ある理論や所説を、内在的にしろ外在的にしろ批判的に考察するためには、その枠組みを構造的に捉え、それを主体的に再構成することが求められる。その点において、「大橋福祉教育論」を超える新たな福祉教育論の理論的枠組みを構築し、新たな実践方法を創造するためには、先ずはいま一度「大橋福祉教育論」の理論的枠組みの構築化の過程を時系列的に把握するとともに、その枠組みの構造を総合的に理解する必要がある。そこで、以下では、そのためのひとつの方法として、大橋が行った福祉教育についての2つの「講演」からそのレジュメの枠組みと項目をみることにする。日本福祉教育・ボランティア学習学会の第2回大会と第10回大会での講演である。

(1)福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題
(第2回大会・基調講演/1996年11月23日/日本社会事業大学)

地域づくりや地域福祉の主体「形成」は、福祉「教育」やボランティア活動(ボランティア「学習」)が推進されればそれで可能になるものではない。それは、子ども・青年や成人などの地域住民が、地域の社会福祉問題の本質を科学的に理解・分析し、変革的・創造的に問題解決を図ることのできる“力”を獲得し、しかもそれを具体的・現実的に行使することによって初めて可能となる。その主体形成ができなければ、福祉を学ぶことやボランティ活動は単なる「善行」にとどまり、無批判的で体制適応(順応)的な住民主体を形成することになる。福祉教育は「両刃の剣」になりかねない、といわれるところである。
そういう意味からも、上記の枠組みと項目のなかから、ここではとりわけ「形成と教育と学習」について留意しておきたい。それは、上述の松岡が、大橋の定義は「意図的な活動」と明記されていることからも「福祉教育が、ややもするとフォーマルな教育が中心であるとの理解(誤解)を許す脆弱性を有している」(15ページ)と指摘する点に関わることである。
大橋の指摘を俟つまでもなく、福祉教育を進めるにあたっては、その対象である子ども・青年あるいは成人などの「学習者」の発達特性や発達課題、学習者が置かれている状況などを理解すること(「学習者理解」)が重要となる。それは、「人格発達論」(「人間発達論」)にまで深められなければならない。そのうえで、子ども・青年や成人の、地域づくりや地域福祉の「形成」と「教育」と「学習」との関係を改めて考えてみる必要がある。
宮原誠一によると、「形成」は、人間の社会的生活における自然成長的な過程として捉えられる。それが豊かであることによってはじめて、組織的体系的な制度であり、目的意識的な過程としての「教育」が成り立つ。換言すれば、人間の「形成」の過程を、それぞれの時代の社会、政治、経済、文化の必要に基づいて「望ましい方向」に制御しようとする人間の努力が「教育」という営為である。宮原にあっては、広義の「教育」は「形成」と呼ばれるべきであり、学校教育や社会教育などの狭義の「教育」は「形成」を前提とする。すなわち、狭義の「教育」は、人間の「形成」のうちにあるひとつの営為であり、「形成」の過程に内包されるひとつの要因に過ぎない。
「形成」は、人間が社会的生活そのものによって“形づくられる”過程である。それは、第一次的には社会的・自然的環境によって行われる。とすれば、「形成」は「学習」なしには成り立たず、「学習」は「形成」に不可欠なものとして位置づけられる。そこから、「形成」と「教育」の関係は、「学習」と「教育」の関係になる。その関係について、勝田守一は、「学習のないところに教育はない」「教育は学習の指導である」という。勝田にあっては、「形成」にはその前提として「学習」があり、「形成」は自己の希望や意欲による目的意識的な営為である。従ってそれは、「自然成長的」(宮原)ではない(佐藤一子・ほか「宮原誠一教育論の現代的継承をめぐる諸問題」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第37巻、東京大学、1997年12月、311~331ページ。宮崎隆志「教育本質論における宮原誠一と勝田守一の差異について」『北海道大学大学院教育学研究科紀要』第83号、北海道大学、2001年6月、1~24ページ、等参照)。
いずれにしても、宮原と勝田の「形成」「教育」「学習」などをめぐる「教育」の概念や本質についての再検討は、福祉教育やボランティア学習の概念把握や本質理解に対してひとつの視座やアプローチの仕方を与えてくれるであろう。地域づくりを担う子ども・青年や成人などの多様な実践・運動主体の育成・確保が求められ、市民活動や教育活動のあり方が厳しく問われている今日、その再検討の意義は大きいと考えられる。それは、宮原と勝田は、「連帯」の概念を基底に地域を捉え、勝田は「自立と連帯」の場として地域を理解する。そのうえで、“地域づくりと教育実践(地域教育計画)”について言及するからでもある。

(2)学会の新たなる10年に向けて~福祉教育・ボランティア学習学会の今後の課題―学会創設10年の総括~
(第10回大会・総括講演/2004年11月28日/神奈川県立保健福祉大学)

学校は、「学習者」(生徒)と「指導者」(教師)、その両者を媒介する「教材」(教育内容)によって構成される。そこでの教育活動は、教科活動と教科外活動(道徳、特別活動、総合的な学習の時間)、学習指導と生活指導という2つの領域や機能に分けられる。また、教科活動と教科外活動、学習指導と生活指導はともに、学校や教育活動の理念や目的・目標を達成するうえで重要な機能を果たすものであり、学校教育において重要な意義をもつ。教育の理念や目的・目標の明確化なくして、学習者の主体的・創造的な学習活動や指導者の意欲的・積極的な学習・生活指導は促進されず、教育の成果を期待することはできない。そこから、教育の「理念・目的・目標」は、学校や学校教育の構造を成す重要な内部要素であるといえる。そして、「理念・目的・目標」「学習者」「指導者」「教材」は、相互に作用・影響し合い、相乗効果を生み出すものとして存在する。
こうした認識に立って、以上の枠組みと項目から、ここでは「福祉教育の構造」に関する研究・実践課題について一言する。
管見によれば、福祉教育は、(1)理念・目的・目標、(2)学習者、(3)指導者・支援者、(4)素材・教材、(5)教育内容・方法(評価を含む)などによって構造化される(「福祉教育の構造」)。それらの構成要素のうち、例えば(1)については、福祉教育(「市民福祉教育」)は、「自立(independence)と自律(autonomy)、共働(coaction)と共生(symbiosis)」という理念のもとで、「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図る」ことを目的とする。福祉教育は、そのために、地域の「社会福祉問題」を発見・理解・解決するための横断的・重層的な実践プログラムを開発・編成し、地域を基盤とした総合的・複合的な「地域をつくる学び合い」(東京都生涯学習審議会答申「地域における『新しい公共』を生み出す生涯学習の推進~担い手としての中高年世代への期待~」2002年12月)の支援を行う教育営為である、といえる。
そう考えたとき、(2)に関しては、「子ども・青年」のみならず、「成人」(中高年世代)の状況について分析・理解すること(「学習者理解」)。(3)に関しては、求められる資質・能力や知識・技能とは何かを探究し、その育成・向上を図ること(「指導者・支援者育成」)。(4)に関しては、学習者の問題意識や学習意欲を喚起し、教育(学習)目標を達成するために、身近な地域・生活「素材」(具体的事象)を掘り起し、「教材」化すること(「教材開発」)。(5)に関しては、地域(「地元」)や「まちづくり」に焦点をあてたカリキュラムやプログラムを開発・編成し、実施・展開、評価すること(「プログラム編成」)、などが求められる。これらは、福祉教育における普遍的な課題でもあるが、人権侵害や立憲主義・民主主義・平和主義の後退、福祉や教育の改悪・切り捨てなどが激しく進行するいまこそ、福祉教育を体制内的な教育営為にしないためにも、自律的・批判的・創造的に取り組むことが求められる重要な研究・実践課題であるといえよう。
周知の通り、教育の形態は大きく次の3つに分類される。(1)定型教育(formal education:制度化された学校において、構造化されたカリキュラムに基づいて教師と生徒の関係によって展開される教育。学校教育など。)、(2)不定型教育(non-formal education:学校の教育課程として行われる教育の外部において、一定の学習者に対して、ある学習目的を達成するために意図的・組織的に行われる教育。社会教育など。)、(3)非定型教育(informal education:日常的な生活経験(体験)や環境によって、知識や技能などを習得する無意図的・非組織的な教育。家庭教育など。)、がそれである。
福祉教育はこれまで、学校における福祉教育を中心にしながらも、学校外における福祉教育、成人を対象とした社会教育における福祉教育等の多様な分野で実践展開が図られてきた。具体的には、家庭や学校をはじめ、社協や公民館、福祉施設、民生委員・児童委員、NPO・ボランティア団体、自治会・町内会、企業、その他の関連施設・組織・団体などが、多様な“機会”や“場”を設けて福祉教育に取り組んできている。これまでの経過や現状・実態を踏まえると、福祉教育は、子ども・青年や成人などの地域住民を対象に、フォーマル、ノンフォーマル、インフォーマルの3つの形態の教育活動を相互に媒介し、関連づけ、学校や地域などで展開される多様な教育活動として構造化されることになる。「福祉教育の構造」について検討し、その再構築を図るに際して、上述の5つの構成要素とともに留意すべき点である。(「追記」のマトリックス図を参照されたい。)

むすびにかえて
大橋は、「教育と福祉」に関する初期の著作『地域福祉の展開と福祉教育』のなかで、「本書は、学術論文というよりも実践的研究書という方があたっているかもしれない。筆者の問題関心は、教育と福祉における“問題としての事実”に学びつつ、問題、課題をどう実践的に解決するのかという点にある」(「まえがき」)と述べている。この「実践的研究」の姿勢は、その一貫性を保ちながら「大橋福祉教育論」を深化・体系化させていく。
いわれるように、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別される。前者は仮説探索型の研究であり、後者は仮説検証型のそれである。この両者を循環的に組み合わせ、相互作用を引き起こすことによって、実践性と科学性を備えた、さらにはそれらを統合した研究と理論構築が可能となる。「大橋福祉教育論」を再考し、新たな福祉教育論を展開するに際して留意すべきひとつの視点・視座である。
改めていうまでもなく、上記の大橋「講演」の枠組みは壮大である。同時にそれは、幅広く奥深い「大橋福祉教育論」再考に向けた多様な視点・視座とアプローチの方向性を示すものでもある。「理論」(所説)は新たな時代や現実によって不断に凌駕され、更新されていく。「大橋福祉教育論」が「福祉教育原理論」としてその普遍性と不変性を今後も保持し続けるか否かの評価についてはひとまず置くとして、「大橋福祉教育論」をいかに継承し、新しく展開するかは福祉教育の実践者や研究者に課せられた大きな課題である。


大橋謙策先生の「教育と福祉」に関する実践と研究の経歴や業績等については、例えば(1)「大橋地域福祉論―その発展と継承(そのⅠ~そのⅥ)」『コミュニティソーシャルワーク』創刊号~第7号、日本地域福祉研究所、2008年5月~2011年6月。(2)『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月、が参考になる。

補遺
(1)大橋は、福祉教育とボランティア活動の関係性について、例えば次のように述べている。

ボランティア活動の契機・動機が(中略)自己満足的なもの、慈善的なものであったとしても、多くのボランティアはその活動を通して厳しいものの見方・考え方を修得していく。社会福祉一つとってみても単なる人のやさしさ、情熱だけでは解決できず、制度の確立と住民の協働がなければならない。ボランティアたちはそれらに関する意識を豊かにしはじめる。
社会福祉に関する意識は、知的理解のみではなかなか変容しない。社会福祉問題を抱えた人々との交流の中で、あるいはその問題解決の実践・体験の中で変容する。それだけにボランティア活動の推進は重要である。と同時に、福祉教育が求められる背景を解決するためにもボランティア活動を豊かなものにしなければならない。
(大橋謙策「福祉教育の構造と歴史的展開」一番ヶ瀬康子・小川利夫・木谷宜弘・大橋謙策編著『福祉教育の理論と展開』(シリーズ福祉教育1)光生館、1987年9月、74ページ。)

(2)福祉教育とその近似概念である「ボランティア学習」の関係性については、例えば長沼豊は次のように述べている。参考に供しておきたい。なお、長沼は、ボランティア学習は3つの構成要素から成るという。(1)ボランティア活動のための学習(目的としてのボランティア活動)、(2)ボランティア活動についての学習(対象としてのボランティア活動)、(3)ボランティア活動による学習(手段としてのボランティア活動)、がそれである。

福祉教育とボランティア学習は、ある実践では領域接近的に、ある実践では融合形として、ある実践は福祉教育の発展として(結果として)ボランティア学習がある、というように、重層的、輻輳(ふくそう)的に領域や方法が重なり合っているといえるだろう。(長沼豊『新しいボランティア学習の創造』ミネルヴァ書房、2008年12月、135ページ。)

(3)また、福祉教育とボランティア学習の「違い」と「関係」について、全社協の『新 福祉教育実践ハンドブック』では次のように述べられている。

福祉教育とボランティア学習は、(中略)双方とも人権尊重・異文化理解をベースに、共生文化・市民社会の創造を大目標に掲げる実践です。(中略)しかし概念的には、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがあるともいえます。(中略)
ボランティア学習の概念の中心に位置づけられる、「ボランティア活動に組み込まれている学び」という発想は、(中略)リアル空間での学びを強調するものです。(中略)安易な疑似体験や講話的な福祉教育への警鐘としてボランティア学習をとらえることこそが重要なのです。(中略)
現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されていますが、両者の特徴を総合することが求められています。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にあります。
(上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、32~33ページ。)

追記
「福祉教育の構造」をマトリックス図で示すと次のようになる。
11時30分

生きざまを語り、まちづくりに取り組む―木本光宣さんとの往復メール―

9月27日と28日、「第23回全国ボランティアフェスティバルぎふ」が岐阜市で開催されました。筆者(阪野)は、28日の午前中は「ふくしのこころで地域を変える~福祉教育のめざすもの~」というテーマの分科会に参加し、多くの気づきと豊かな学びを得ることができました。感謝です。分科会の開催趣旨等は次の通りです。

福祉教育を進めるには、社協、学校だけでなく、自分から地域課題の解決に取り組んでいく人、すなわち、「ふくしのこころ」を持ち、地域にかかわる「市民」を育成することが必要になります。また、推進者が福祉についてどのように考えているのか、どのような目的で福祉教育を行っているのかが重要となります。この分科会では、改めてそれぞれの考える「福祉」を再確認し、福祉教育の目的を明らかにすることで、福祉教育の先にある、安心して暮らせるまちづくりをみなさんと考えます。
講師・コーディネーター
阪野 貢さん(市民福祉教育研究所 主宰/岐阜県)
シンポジスト
野田 智さん(富山県社会福祉協議会地域福祉・ボランティア振興課 課長/富山県)
木本 光宣さん(NPO 法人 ユートピア若宮 理事長/愛知県)

28日の夜、筆者は、木本光宣さんに次のようなメールを送信しました(要約)。

この度は、格別のご高配とご懇篤なるご指導を賜り、誠にありがとうございました。
木本さんの「子育て」と「まちづくり」の神髄に迫る意味深いレクチャーは、 “こころ” 揺さぶられるものでした。会場の皆さんもそうであったと思います。おかげさまで本当に有意義な分科会となりました。ありがとうございました。
木本さんにあっては、「福祉教育実践に際して『工夫』されていることは何ですか?」というフロワーからの質問について、福祉教育やそれに基づくまちづくりの科学的方法論(方法原理)が問われることになるのではないでしょうか。言い換えれば、木本さんの福祉教育実践が「脳性マヒ者であるご自身やご家族の生きざまだけを語る」ことにとどまっているとすれば、遅かれ早かれ限界が生じる(壁にぶち当たる)のではないかと案じます。
まちづくりに取り組む福祉教育実践者(運動家)としての、ますますのご活躍を祈念いたします。ご自愛専一に。

早速、木本さんから次のような返信が届きました。紹介させていただきます(要約)。

いろいろお疲れ様でした。本当にお役にたったかどうか分かりませんが、分科会に参加された皆さんの表情を見ている限り、まあまあうまくできたのではないかと思っております。
阪野さんがおっしゃるように、私の手法では限界があるのは承知しております。むしろ、早く終わりにしたいところです。しかし、良し悪しは別にして、未だにそれなりの評価を受けるということは、福祉教育の停滞?、迷走?を表しているのではないでしょうか。
何故そうなるのか? その点を私たち障害者や教育関係者、社協をはじめとする福祉関係者などが本気で議論しないと、福祉教育の終焉論や不要論が唱えられ、取り組みそのものがなくなってしまうのではないでしょうか。場合によっては、偏狭な〇〇教育に取り込まれてしまうかもしれません。
私の手法に限界が来る前に、まちづくりのための新たな福祉教育の必要性や重要性を認識・理解し、豊かな実践や運動に取り組む若い世代を育てていきたいと思います。これまでとは違う、しっかりとした思想や理念、原理に裏付けられた福祉教育実践・運動に若者とともにチャレンジしていきたいと考えています。
とりあえずは、私の手法の限界を見届けることができれば、それは幸いなことだと思っています。ありがとうございました。

木本さんのレクチャーは、「関心と感動」「緊張と集中」を促すものでした。“感動とはいっときの気持ちの揺れ” ともいえますが、木本さんの話は、障がい者としてのライフ(Life:生命・生活・人生)に関する思いや実践・運動に裏打ちされたものであり、それゆえに深い感動を覚え、強い確信が持てるものでした。木本さんがかつて筆者にいった次の言葉が思い出されます。「自分がCP(Cerebral Palsy:脳性マヒ)であることを誇りに思っています」。
木本さんは、“地元” で、まちづくりの実践や運動を推進するために、福祉教育に関する現状把握と問題理解そして課題形成に努められています。課題解決に向けての新たな、自主的・自律的な取り組みが期待されるところです。

日本福祉教育・ボランティア学習学会へのひとつの思いと期待―資料紹介―

1995年は、阪神・淡路大震災が発生し、のちに「ボランティア元年」と呼ばれた年である。その年の10月29日、日本社会事業大学を会場に日本福祉教育・ボランティア学習学会(以下、「本学会」)の設立総会・第1回大会が開催された。あれから早や20年が経過した。
2011年3月、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故が発生した。この大震災によって、いま、持続可能な地域社会や共生社会を如何に再生し創造するかが厳しく問われている。その意味において2011年は、「コミュニティ再生元年」と呼ぶべきであるといわれる(牧里毎治)。また、福祉教育・ボランティア学習は、「次の段階」(ネクストステージ)を描く必要があるともいわれる(原田正樹)。
本学会は、2014年11月に開催される第20回大会を節目に新たな歴史を刻むことになる。しかし、それを俟つまでもなく、本学会の存在意義と使命を考えたとき、東日本大震災を機に新たな歩みが始まっていなければならない。そういうなかで、福祉教育・ボランティア学習の内容や方法等の改善・充実を図るために、本学会に期待される役割は以前にも増して大きくなっている。
そこで、本稿では、本学会の20年を振り返るために、一面的ではあるが、全20回の全国大会の開催要綱から「大会趣旨」(「目的」「開催主旨」等)について資料紹介することにする。それは、本学会の過去を筆者(阪野)なりに“記録”に留めるだけでなく、その記録を通して福祉教育・ボランティア学習の新しい未来を切り拓くことを願うためでもある。その願いを十全にかなえるためには、各大会の「基調報告」「記念講演」「課題別研究」「自由研究発表」「シンポジウム」等の内容とそこでの討議を総合的に検討・評価する必要があることはいうまでもない。
なお、以下の資料は、各大会の『報告要旨集』(『発表要旨集』)と、そこに掲載されている「開催要綱」を基本に整理したものである(第2回大会を除く)。また、「大会趣旨」の前段に、各大会の開催期日、会場、開催地、大会テーマをそれぞれ記した。
本学会は、1995年11月に『学会ニュース』を創刊するが、各大会の開催前後に開催案内と事後報告の記事を掲載している。学会活動等を知るうえでも貴重な資料である。付記しておきたい。

第1回大会 1995年10月29日 日本社会事業大学 清瀬市
福祉教育・ボランティア学習の研究と学会活動のあり方を探る
ごあいさつ
今日、福祉教育・ボランティア学習は、一連の福祉改革や教育改革が進むなかで、国民の福祉活動やボランティア活動への理解と参加を促すために、また社会の変化に対応して主体的・創造的に生きる心豊かな人間を育成するためのひとつの方策として、その推進を図ることが強く求められています。それは、21世紀の日本の福祉社会を決するといっても過言ではありません。
そういうなかで、私たちは、福祉教育・ボランティア学習に関する研究課題や研究方法などについて、社会福祉をはじめ学校教育や社会教育などの研究者や実践家が連携・交流しながら体系的・学際的に研究するとともに、家庭や学校、地域社会、社会福祉施設、それに企業などにおける福祉教育・ボランティア学習の実践や福祉活動・ボランティア活動の具体的な進め方などを探ることをめざして、日本福祉教育・ボランティア学習学会の設立について準備を進めてきました。
この度、多くの皆様のご理解とご支援のもとに、設立総会と第1回大会を開催する運びとなりました。広くお誘い合わせのうえご参加くださいますよう、ご案内とお願いを申しあげます。
設立準備委員会/代表・大橋謙策(日本社会事業大学)

第2回大会 1996年11月23日~24日 日本社会事業大学 清瀬市
福祉教育・ボランティアを通して何を学び、何を伝えるのか ~福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化をめざして~
大会実行委員長挨拶
「福祉教育・ボランティア学習を通して何を学び、何を伝えるのか」―福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化をめざして―をテーマに第2回大会を開催する運びとなりました。
昨年は多くの人々の熱い期待と熱意によって学会を立上げ、順調に滑り出した学会を何とか軌道にのせ、しっかりとした基礎を作り上げてゆくことが今回大会事務局をお預かりいたしました私ども実行委員会の責任だと自覚しています。
それにしても、この一年の間、福祉教育、ボランティア活動を取り巻く社会状況は大きく変化し始めております。
例えば、全国各地で活発に議論が展開したのはNPО市民活動支援に関する立法化の動きに対してでした。この事は様々な提案が出され、法制化の動きが見られます。又、ボランティア活動の総合化を廻って拠点のあり方についての検討も、先の市民活動の支援立法化とのからみもあり、各都道府県段階で検討会がもたれ始めています。
これらはボランティア活動の広まりと深まりを背景に、実践の体系化、理論化を促すものでもあると考えております。
時代的背景を認識しつつ、我々学会を構成する者達がこの変動する状況に左右されることなく、実践の体系化、理論化に向けて議論を多面的に深める場を設定してゆくことを目指して、シンポジウムを組み、課題別研究という討論の場を設定しております。大変勇気づけられておりますことは自由研究報告に厚みがついてきたことです。
最後に、本大会が成功裡に終了することができますよう、参加者の皆様のご協力をお願い申し上げます。
第2回大会実行委員会/実行委員長・山崎美貴子(明治学院大学)

第3回大会 1997年11月29日~30日 森ノ宮アピオ大阪及びピロティーホール 大阪市
人、いのち、地域 ―教育の危機に立ち向かう
本音で語りあえる学会に
第3回目の「学会」を大阪で開催することになりました。学会のテーマは「人、いのち、地域―教育の危機に立ち向かう」であります。
子どもが育つ器は、家庭であり、地域であり、学校であります。近年、子どもとその教育をめぐる事件や話題は尽きません。
福祉教育やボランティア活動の学習性が注目されつつある背景は何でしょうか。教育の硬直化や衰退といった危機に、はたして福祉教育は特効薬たりうるのでしょうか。
本学会はスタートしたばかりの若い学会です。さまざまな課題が突きつけられています。参加者がこれらの課題を本音で語り合うことなしには「危機」の解決はありません。
実効委員会では、シンポジウムや課題研究など2日間のプログラムを通して教育や福祉の実践課題と、本学会そのものの学問的な課題にいささかでも答えられたらという願いをもって準備してまいりました。
自由研究発表にも奮ってご参加下さい。たくさんの方々の参加をお待ちしております。
第3回大会実行委員会/実行委員長・岡本栄一(西南女学院大学)

第4回大会 1998年11月28日~29日 長崎大学教育学部・長崎大学医学部記念講堂 長崎市
こころ・学び・動き ―私が変わる、地域が変わる

豊かで実りある大会に
日本福祉教育・ボランティア学習学会が、長崎で開催されることとなりました。初の地方大会に相応しいように、課題研究や自由研究、公開シンポジウムに長崎の特色を生かすことに努力をしてみました。
第4回大会のテーマを、『こころ・学び・動き―私が変わる、地域が変わる―』といたしました。
人と人が支え合う行為が、「福祉」あるいは「ボランティア」と呼ばれるようになってきました。その背景には、競争原理の考え方やもの中心の現代社会のあり方が、子ども同士や子どもたちを取り巻く家庭・学校・地域の連帯感の脆弱化と家庭・地域等の教育力の低下をもたらし、自分をコントロール出来なくなった子どもたちが、安易に自殺やいじめ、また、不登校やナイフ所持に走る情況があります。
このような現状に歯止めをかけ、真に「福祉」や「ボランティア」による支え合う社会の実現をめざすには、子どもたちに生きる力を身につけさせると共に、地域における学び合いとその動きを通して、地域に住む人々が、人としてのやさしさや連帯感に満ちた支え合うこころを持つことが望まれます。人を変えること、それは私を変えることであり、それによって、子ども、学校、家庭、地域を変えようとするものです。そこで、今大会は『こころ・学び・動き―私が変わる、地域が変わる―』をテーマにして、参加者が真摯に「福祉教育・ボランティア学習」のあり方について研究協議を行い、私たちの願いや思いが達成されるようにしようとするものであります。
学会及び参加者の学問的課題解決のため、長崎あげて準備をいたしてまいりました。多数の方々の御参加をこころからお待ち申し上げております。
第4回大会実行委員会/実行委員長・室永芳三(長崎大学)

第5回大会 1999年11月27日~28日 淑徳大学千葉キャンパス 千葉市
21世紀へのカウントダウン ~新しい座標軸を求めて~ 個人・家庭・地域・社会そして教育・文化
1999年。わたしたちは、この90年代最後の年に生きる中で、何につけても90年代を振り返るとともに、迫りくる2000年、さらには21世紀を意識せざるを得ません。もちろん、福祉教育・ボランティア学習についても同様です。特に、近年我が国の激動する社会福祉の分野、教育の現場、また変動する家族や地域社会という今日的状況と照らし合わせると福祉教育やボランティア学習のあり方は、今後の私たちの社会において重要な新基軸になっていくと考えられます。
そこで、本大会では2000年および21世紀を目前にして、福祉教育・ボランティア学習のあり方を、これまでの過去の蓄積をふまえつつ、新たに模索していこうとの思いを込めて、大会テーマを「21世紀へのカウントダウン~新しい座標軸を求めて~」としました。
また、本大会の開催地である千葉は、さまざまな意味で新しい部分と旧い部分を合わせもった地域です。そのまさに大会テーマにマッチした千葉で、皆さま方と福祉教育・ボランティア学習の模索をすることができれば何よりです。実行委員一同、至らぬ点もあるかと存じますが、来世紀への第一歩となるような学会づくりを目指したいと思っています。
皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
第5回大会実行委員会/実行委員長・坂巻煕(淑徳大学)

第6回大会 2000年11月25日~26日 ホテルグランヴェール岐山・中部学院大学 岐阜市・関市
新時代の福祉教育・ボランティア学習を拓く ―総括と展望―

介護保険制度の施行や社会福祉法の成立、新学習指導要領の移行措置の実施など、福祉改革や教育改革の実践化が進むなかで、福祉教育・ボランティア学習への期待と関心が一段と高まっています。また、地域福祉を担う福祉マンパワーの育成や住民の主体形成のための福祉教育・ボランティア学習の取り組み、「総合的な学習の時間」や高校の教科「福祉」、完全学校週5日制等を視野に入れた学校内外における福祉教育・ボランティア学習の展開など、そのあり方が厳しく問われています。
21世紀を目前にした2000年という節目の年にあたり、日本のまん真ん中の岐阜において、「新時代の福祉教育・ボランティア学習を拓く」という大会テーマのもとに、これまで取り組まれてきた研究や実践を総括し、今後のあり方を展望します。
第6回大会実行委員会/実行委員長・渡邉栄(中部学院大学)

第7回大会 2001年11月24日~25日 とちぎ福祉プラザ 宇都宮市
―新世紀の福祉を創る― ~地域でのくらしを築く福祉教育・ボランティア学習~

新世紀をむかえて、わが国では政治、経済、社会のあらゆる場面で既成の価値観や枠組みを改革し、新しい価値観や枠組みを構築し始めようとしています。
教育の分野では、教育改革関連6法案が国会に提出され、「ボランティア活動等社会奉仕体験活動」等が位置付けられようとしている一方で、2002年からは「総合的な学習の時間」「完全週休2日制」が開始され、「開かれた学校づくり」への方向性を模索しています。
社会福祉分野では、社会福祉法の成立により、地域福祉への方向性が明確になり、地域での人々のくらしを支える新しい仕組みづくりがもとめられています。
このような福祉と教育の変革期において、それらと関係する福祉教育・ボランティア学習においては、学校と地域社会とが結びついた、学校での新しい福祉教育・ボランティア学習展開の課題、地域福祉を担う住民の主体形成や、市民のボランティア活動・NPО支援への課題、21世紀の福祉を担う人の福祉専門教育などについての課題があり、これらの課題に対して福祉教育・ボランティア学習の価値が改めて問われており、かつまた具体的な実践方法が喫緊に求められています。
そこで、栃木で開催される本大会のテーマ「新世紀の福祉を創る~地域でのくらしを築く福祉教育・ボランティア学習」とし、新世紀の福祉の目的となる、新しい地域でのくらしを築いていくひとつの方法として、福祉教育・ボランティア学習を捉え新世紀にふさわしい、価値や具体的な実践方法を模索します。
第7回大会実行委員会/実行委員長・石川渉(栃木県ソーシャルワーカー協会)

第8回大会(ひろしま大会) 2002年11月30日~12月1日 県立広島女子大学 広島市
―新しい公共の創造 ― 「市民参画型社会を拓く福祉教育・ボランティア学習」

大会趣旨
新世紀を迎えて、「まちづくり」「福祉」「教育」などへの市民の関心はかつてない高まりを見せており、市民参画型社会を具現化する取り組みが全国各地で展開されています。市民活動やNPО活動においては、その活動領域・分野・参加者はますます拡大し、市民社会、新しい公共の担い手として、主要な役割を担いつつあります。
このような状況の中で、社会福祉と教育は、<地方分権><住民参画>を指向する制度改革により、地域における相互関連性、結び付きをますます強めています。社会福祉の分野では、「地域福祉の推進」を基調に、福祉への計画段階からの住民参画の重要性と、これを可能とする福祉情報の提供、住民自身の福祉理解・学習の必要性と支援がこれまで以上に求められます。
教育の分野においても、2002年度より新学習指導要領に基づき「完全学校週5日制」「総合的な学習の時間」が施行され、児童生徒により豊かな地域での生活や、福祉などの幅広い体験学習場面を保障して行くことが関係者に求められています。
また、広島は人類最初の被爆地であり、“平和”を希求する市民による<平和学習><被爆者支援>が世代を超えて取り組まれてきました。
この広島大会では、<平和>と<福祉>について考えるとともに、福祉教育・ボランティア学習の実践・事例を相互に交流し、新しい市民社会を創造する理論と具体的実践方法について模索します。
第8回大会(ひろしま大会)実行委員会/実行委員長・吉富啓一郎(県立広島女子大学)

第9回とやま大会 2003年11月29日~30日 富山県総合福祉会館(サンシップとやま) 富山市
新しい「つながり」づくりと豊かな人間形成をめざして ~福祉教育・ボランティア学習を通して守るべきもの、変えるべきもの~
大会趣旨
グローバリズムとデフレ不況、急速な少子高齢化の下で、人々の生活は不安定さを増し、おとな社会における価値観の「ゆらぎ」は、児童・青少年の人格形成においても、かつてない深刻な状況をもたらしています。
教育の分野では、自ら生きる力の育成をめざして、総合的な学習など新しい実践が進められ、これまで以上に学校・家庭・地域の教育力の強化と相互の「つながり」が求められています。
福祉の分野でも、住民参画による公民協働のまちづくりをめざす地域福祉計画策定への取り組みが進められ、市町村合併の動きと並んで、新しい「つながり」が模索されています。
福祉教育・ボランティア学習には、新しい時代を生き、地域社会を支える住民が自らの主体形成をめざすとともに、21世紀の大半を担う児童・青少年の人間形成に寄与する使命が課せられています。
日本福祉教育・ボランティア学習学会第9回大会は、万葉の歌枕や立山・黒部などの美しく厳しい自然、真宗王国、越中売薬、忍耐・勤勉・進取の県民性、恵まれた居住環境、環日本海の交流拠点など旧き良きものと新しいものとが融合したここ富山の地で開催します。
本大会では、先人達や地域社会が築いてきた「つながり」を福祉教育・ボランティア学習の視点から見直し、今日の「ゆらぎ」を克服して新しい「つながり」を創り出していくための課題と方法について研究協議をします。
第9回とやま大会実行委員会/地元実行委員長・林溪子(富山短期大学)

第10回かながわ大会 2004年11月27日~28日 神奈川県立保健福祉大学 横須賀市
福祉教育・ボランティア学習の価値と展開 ―地域からの発信! 市民社会をいかに創造するか―

目 的
日本福祉教育・ボランティア学習学会は、1995年(平成7年)に福祉教育並びにボランティア学習の推進方策やその検証などに関し、学際的・実践的な研究と情報交換を目的に設立されました。その後の社会福祉改革や教育改革のなかで、福祉教育やボランティア学習は大変注目を集め、その実践は一層広がってきました。学習指導要領に位置づけされるとともに、学校だけでなく地域への広がり、また生涯学習の視点からの福祉の学びが重視されるようになってきました。そこでは福祉・環境・国際・人権など多様な領域でボランティアに関する実践と学習が積み上げられています。また地域福祉の推進の上でも、主体形成が大きな課題となっています。
しかし、一方で安易な福祉教育実践による形骸化が指摘されたり、より実践に即した教材開発や指導法、あるいは実践評価や推進システムの課題も浮かび上がっています。
また、国外では戦争とテロが繰り返され、国内でも自殺者が増えたり、虐待や暴力行為の増加など反福祉的な状況が進んでいます。こうしたなかで、あらためて福祉教育・ボランティア学習がもつ価値が問われています。
こうした中、今年で第10回の節目を迎えるにあたって、福祉教育・ボランティア学習の先駆的な取り組みをしてきた神奈川県での開催を企画しました。
この10年間の本学会の蓄積を総括し今後の展開を示すとともに、神奈川県内における実践の掘り起こしと研究の組織化をめざして開催いたします。
第10回かながわ大会実行委員会/学会長・山崎美貴子(神奈川県立保健福祉大学)、実行委員長・谷口政隆(神奈川県立保健福祉大学)

第11回こうべ大会~震災10年記念大会~ 2005年11月25日~27日 神戸大学 神戸市
ともに創ろう共生の社会 ―被災地からの学び―
目 的
「ボランティア元年」と呼ばれた1995年から10年の歳月がながれました。阪神・淡路大震災からの復興の過程は、企業・行政中心の現代社会に人間・市民の力(ボランタリズム)がいかに重要であるかを気づかせた過程といってもよいでしょう。ボランタリズムの高揚はこれからの社会にますます重要なものとなっています。
しかし、多くの犠牲のもとに得られたこの「気づき」は、今日、どのように社会に定着しているでしょうか? あらゆる人々が主人公となりえるような「福祉・共生」社会は、順調に形成されているといえるでしょうか? あらためて「一人ひとりの人間こそが社会を創造していくのである」という草の根民主主義の原則に立ち返り、<これからのありよう>を具体的に構築していくことが求められています。あらゆる人々が真に「福祉・共生」をキーワードとする社会形成の主人公になってゆく過程とはいかなるものか、また、その過程を支える仕組み・仕掛けとはいかにあるべきか、こうしたことに思いをはせなくてはならないでしょう。
本学会も設立して10年がたちました。わたしたちは、福祉教育・ボランティア学習を、<一人ひとりが「福祉・共生」社会の形成に十全に参加しえる環境を創ろうとする実践>と広く捉えています。当事者・子ども・市民のエンパワメントに資する福祉教育・ボランティア学習の輪郭を体系的に整理し、実践的・研究的課題を明らかにしてゆくことが本学会の使命です。
本大会は、「気づき」「思い」「学会の使命」を大切にしながら、<これまでの10年>をふまえて、研究的・実践的な新たな動きの基点をつくろうとするものです。
神戸での三日間、新しい出会いとつながり、または、これまでのつながりの再構築のなかで、ともに社会を創っていこうとする力強い息吹を発していきましょう。
第11回こうべ大会実行委員会/実行委員長・和田進(神戸大学)

第12回埼玉大会 2006年11月25日~26日 東京国際大学第一キャンパス 川越市
「人と人を結び きずなを紡ぐ 新しい社会観づくりをめざして」

目 的
21世紀という新たな時代を迎えた現代社会は、さまざまな変革を試みている。しかし、今日の社会問題からは、人間疎外の傾向が強まり、人間関係の希薄さが浮き彫りになってきている。
そして今日、人と人、人と社会、そして自然とのかかわりなど、「つながり」がさまざまな場面で注目され始め、新たな社会の価値を見出そうとしている。しかし、人間は、相互に結びあうとするとともに、異質な他者を排除し、抑圧することで対立することがある。特に、人々の生活基盤となる地域において、コンフリクトは生じやすい。
新たな社会の価値を考えていく上で、改めて自分と他者との問題を切り離して考えるのではなく、互いの違いを認め、相互に理解しあうことから、一人ひとりの”いのち”はかけがえのないものとして尊重できるよう、実践的に学ぶことが求められるのではないだろうか。
これからの福祉教育・ボランティア学習は、社会から疎外されかねない人々が孤立、排除されることなく、信頼と協働による新しい社会づくりをめざし、生活する身近な地域で支えあえる仕組みが創られるよう、ソーシャル・インクルージョンの具現化をめざす必要があると考える。
そのためには、生活する上で自他の福祉課題に気づき、互いに共有し、それらの解決に向けてともに行動する、人間としての学びを実践できる力を培い、地域社会資源を活用し、ネットワーキング社会を構築していくという、つまり「地域を紡ぐ」視点が大切にされよう。
そこで本大会ではテーマを「人と人を結び きずなを紡ぐ 新しい社会観づくりをめざして」として、地域を基盤とする福祉教育・ボランティア学習の展開について、実践と研究課題を明らかにすることから、新たな歩みの方向性を考える機会を創ろうとするものである。
第12回埼玉大会実行委員会/大会特別顧問・遠藤克弥(東京国際大学)、実行委員長・青木孝志(十文字学園女子大学)

第13回大会静岡大会 2007年11月24日~25日 静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」・静岡英和学院大学 静岡市
「福祉と教育のつながりを深め、豊かな市民社会を創る」
目 的
わが国は、急激な少子高齢社会に伴なう社会的活力の低下や格差拡大等への対応策が求められており、その一環として市民による参加型社会を形成することが大きな課題となっている。
今般の改正介護保険法や障害者自立支援法等の新たな施策は、利用者自身のその人らしい地域生活が維持できるよう地域に密着した諸事業が位置づけられており、こうした人びとを地域社会で支える福祉力の向上への取り組みが今まで以上に重要性を増している。
また、教育の分野においては改正教育基本法においては、「生涯学習」や「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」等が、新たに新設され多様な「学びの場」の必要性、さらに学校教育としての福祉教育・ボランティア学習のあり方が検討されており、今後の教育関連施策に反映されることになろう。
こうした状況の中、地域社会や学校、職域等で展開されている福祉教育・ボランティア学習は、人権の尊重を基調として社会福祉問題を素材にした教育実践を通して、市民の主体形成を図り、福祉文化の創造を目指している。
そのためには、地域社会の諸課題の発見・把握を通し、分野・領域を超え、世代間をつなぎ、一人ひとりの市民が参加型社会を構成する一員として、課題解決に取り組む「原動力」としての役割が求められており、福祉教育・ボランティア学習の理念をふまえた実践方法等の深まりが必要となっている。
静岡大会では、「福祉と教育のつながりを深め、豊かな市民社会を創る」をテーマに設定した。静岡県は、福祉教育・ボランティア学習が実践されて40年の節目の年であり、今までに取り組んできた学校と地域社会のつながりの現状と課題を学びあい、これからの参加型の市民社会を創る「福祉」と「教育」の連携のあり方を探ることを目的に開催する。
第13回大会静岡大会実行委員会/実行委員長・志田直正(静岡英和学院大学)

第14回徳島大会 2008年11月29日~30日 徳島県郷土文化会館・四国大学 徳島市
「福祉教育・ボランティア学習の昨日、今日、明日 市民社会の創造とその実現を目指して」
目 的
今、日本の福祉と教育は経済の激流に翻弄され、両者の分断と格差社会の拡大がますます進んでいる。その中で、人口減少と産業格差に喘ぎながらも、子供民生活動、心の里親運動、善意銀行(日本のボランティアセンターのルーツの一つ)活動、そして老人大学など福祉教育・ボランティア学習を全国に先駆けて開花せしめた徳島県の実践とその歴史がある。
そこで、本大会は福祉教育・ボランティア学習の徳島の実践と歴史から福祉教育・ボランティア学習の昨日・今日を提起すると共に、生涯学習の見地から福祉教育の明日を展望し、確固たる市民社会の創造とその実現を目指すことを目的とする。
第14回徳島大会実行委員会/実行委員長・木谷宜弘(ボランティア研究所)

第15回あいち・なごや大会 2009年11月28日~29日 名古屋市高年大学鯱城学園・日本福祉大学名古屋キャンパス 名古屋市
「福祉教育・ボランティア学習の近未来を展望する ―共生文化創造への途―」

開催主旨
今日、私たちを取り巻く社会状況の厳しさは、貧困問題や自殺、虐待、凶悪犯罪など反福祉・反人権的な問題が次々に顕在化していることに示されています。また戦争や内戦は絶えることなく続き、世界各地で多くの人びとが苦しみにあえいでいます。しかしどんなに厳しい状況のなかでも、新しい未来を切り拓こうと努力している人たちの活動のなかには、人間としての尊厳や優しさを見ることが出来ます。そしてそこにはいのちと向き合う豊かな学び合いがあります。
福祉教育・ボランティア学習の実践が、今ほど求められている時代はありません。しかし、これまでの福祉教育・ボランティア学習活動は、福祉の理念を広げ、互いに理解を深めあううえで少なからぬ成果をあげてきたとはいえ、今日の厳しい状況を乗り越えて新しい時代を切り拓く力となるためには、これまで以上に創意に満ちた活動を積極的に追求し、新たな高みを目指さねばなりません。持続可能な社会を創り上げていくために、市民社会のあり方を問いつつ、そのなかで福祉教育・ボランティア学習の近未来をどのように展望するのか、あいち・なごや大会では、過去の実践に学びながら、現在の到達点や問題点を検討し、福祉教育・ボランティア学習のあるべき姿を明らかにするために、多角的に研究協議していきたいと思います。
第15回あいち・なごや大会実行委員会/実行委員長・宮田和明(日本福祉大学)

第16回ぐんま大会 2010年11月27日~28日 前橋市総合福祉会館・前橋商工会議所会館 前橋市
福祉教育・ボランティア学習の新たな価値を探る ~ノーマライゼーションの発展に向けて~
大会趣旨
私たちは誰もが幸せな暮らしを願いながら、日々の生活を営んでいます。しかし、今日の急速な少子高齢化や経済環境の変化は、私たちの生活に深刻な影響を及ぼしています。貧困問題をはじめ、孤立や孤独死、自殺、虐待、差別・偏見、人権問題、消費者被害、情報疎外、災害被害など早期に解決の必要な課題が山積しています。これらは、特定の人々の問題ではなく、まさに私たち自身が当事者であり社会的支援や対応が求められるすべての国民の問題です。福祉サービスが充実し制度が整っても、私たちがこれらの問題を認識せず、お互いを認めなければ、手を携えて問題を解決することは不可能でしょう。
福祉教育・ボランティア学習は、私たちの身近な福祉問題を学習素材として、これらと向き合い、つながり、市民として問題の軽減を図ることを目的として、教育や福祉の現場で長く実践を積み重ねてきています。そこにはノーマライゼーション社会の実現という基調があり、すべての人々の尊厳を守る確かな学びあいがあります。しかし、一方で高齢者や障害(障がい)者など支援を必要とする人々は福祉教育・ボランティア学習の対象として客体化されていることもあり、対等・平等なノーマルな社会的状況や生活環境にあるのか、あらためて問い直すことも必要ではないでしょうか。
ぐんま大会では、これまでの実践に学びながらノーマライゼーションの原点を再確認するとともに、これを発展させるための福祉教育・ボランティア学習の新たな価値を探ります。これからの実践・研究につながるよう研究協議していきたいと思います。
第16回ぐんま大会実行委員会/大会会長・鈴木利定(群馬医療福祉大学)、実行委員長・足立勤一(群馬医療福祉大学)

第17回京都大会 2011年12月3日~4日 同志社大学新町キャンパス 京都市
ボランタリズムから問う福祉教育・ボランティア学習の原点 ~大震災の年に改めて考える実践・研究のあり方~

開催趣旨
第17回京都大会は「ボランタリズム」を主題とし、「震災」をめぐる課題を柱のひとつとして進めていきます。3月に震災が発生してすぐ、ある大学生が「岩手県に支援ボランティア活動に行ってきます」と言い、友人と共に2週間の活動に出向いて行きました。彼らが支援活動に参加した動機は「京都でじっとしていられない」との思いからでした。
それは被災地で不自由な生活を余儀なくされている人たちの失意や悲しみや憤りなど、想像をはるかに超える悲惨な状況を目の当たりにして湧きあがってきた思いだったと想像できます。いま被災地で活動をしている多くのボランティアの人たちも、おそらく彼らと同じような思いで参加したのではないでしょうか。
このような、ボランティアの思いの根底にあるのは、さまざまな人たちのことが「気になる」あるいは「放っておけない」という意識です。このように他者の苦しみや悲しさといった不条理を放置できない精神こそが、ボランタリズムです。ボランティア活動はこのボランタリズムを基底にして始まる活動で、近年注目されている被災地支援のみならず、福祉・教育・環境・国際など多様な分野で多彩な広がりをみせています。そこには言い知れぬ「参加による学び」や「相手から貰う感動」があったはずです。
こうした視点から今回の大会では、ボランタリズムから福祉教育やボランティア学習のあり方を概観してみることにしました。一つには、福祉教育やボランティア学習の理念やその意味についてボランタリズムの視点から振り返ること。二つには、今回の「震災支援」を含め、さまざまな現代的な諸課題の解決に向かうなかでのボランタリズムを考えていくこと。そして三つには、市民社会創造に関わる上でこれからの福祉教育やボランティア学習を推進する主体(社協、ボランティアセンター、学校、NPOなど)のあり方を考えてみようというものです。
晩秋の京都、それぞれの研究を交差させながら福祉教育やボランティア学習の歴史と今にたち、過去と未来を行き来しつつ、あらためてボランタリズムとの関係性を深く見つめる機会になればと考えています。
第17回京都大会実行委員会/名誉大会長・岡本榮一(ボランタリズム研究所)、実行委員長・名賀亨(華頂短期大学)

第18回いばらき大会 2012年11月24日~25日 常盤大学 水戸市
大震災から問い直す「福祉教育・ボランティア学習」のちから ~かたる・つなぐ・くらし~
開催主旨
昨年3月11日に起きた「東日本大震災」は、今大会の開催地である茨城県内に多くの被害をもたらしました。それは被災当事者同士の支えあいを呼び起こすとともに、東北各県への思いにつながり、被災地支援の活動や取り組みを生み出しました。震災後の原発事故に伴う危険の増大と不安の拡大は、問題状況について情報を共有し、たすけあう必然ともなりました。
このような経験をいかに生かすかという視点から今大会では、震災の体験と震災後の活動を「かたる」こと、被災者と支援者を「つなぐ」こと、そしてこのような取り組みを日常の「くらし」に生かすこと、これらをいかに実現するかを探ろうと、「福祉教育・ボランティア学習」の「ちから」を検討していきます。
第18回いばらき大会実行委員会/実行委員長・池田幸也(常盤大学)

第19回いしかわ大会 2013年11月16日~17日 金城大学 白山市
実践と学びのコミュニティを拓く ~まーぜて いーいよ、みっけよう~
開催趣旨
「東日本大震災」とその後の我が国の社会状況は、生活困難に陥る中で社会的に孤立し、地域から排除された人々に対する「社会的包摂」の必要性を認識させてくれました。そのような「社会的包摂」の在り方を考えるとき、地域住民の意識変革とそのための福祉教育の役割について、より考察を深めていかねばならないと思われます。
石川県は、「善隣思想」が生まれ実践されてきた地であり、また「能登半島地震」や「ロシアタンカー油流出事故」等の被災から、復興のまちづくりを進めてきた地でもあります。そのような思想や経験を土壌に、福祉、医療、教育、ボランティアに係る人々が、「善隣館」を地域住民の生活ニーズに対応するサロンとして育んできました。
しかし、石川県もやはり能登・加賀の地域を問わず、都市化・情報化・国際化・少子高齢化等の社会変化の中でコミュニティの衰退と「善隣館」の機能縮小に直面しており、新たな「実践と学び」のコミュニティを「いかに拓くか」を模索しています。
いしかわ大会では、大会テーマを「実践と学びのコミュニティを拓く~まーぜて いいよ、みっけよう」としました。「まーぜて」とは、地域の中で孤立している人々や、学校の中で孤立している児童・生徒の心の叫びを意味し「いいよ」と、「みっけよう」はそのような阻害された人々の言葉にならない苦悩を理解し、発見し、包摂していく地域住民の意識変革の過程を、金沢の方言で現わしています。
本大会においては、石川県のこれまでの福祉教育実践及び直面する課題を通して、「善隣思想」と「社会的包摂」について議論を交わし、これからのコミュニティ創生の方法や課題を探求していきます。
第19回いしかわ大会実行委員会/大会長・奈良勲(金城大学)、実行委員長・平野優(小松短期大学)

第20会とうきょう大会 2014年11月8日~9日 日本社会事業大学 清瀬市
福祉教育・ボランティア学習の新機軸 ~孤立をのりこえて希望のある社会へ~
大会主旨
人権意識の広がりと高齢化の進行にともなって、社会福祉は従来の救貧的な発想から脱却することが求められ、大きな改革が行われてきました。そこでは、地域で暮らすために、行政的に提供されるサービスと並んで、住民の参加による福祉社会の創造が求められています。一方、教育の世界では、競争原理にもとづく画一的な教育が席巻している状況に対して、「生きる力」を育む教育が提起され、その中で、人権にかかわる体験を通した学び方や社会的有用感を味わうことの重要性が訴えられました。福祉教育・ボランティア学習は、そのような状況の中で重要な位置を占めてきました。
しかし今日、グローバル経済が進行する中で、雇用が不安定になり、所得格差や貧困が多くの人の関心になってきています。そして、それは経済的なことだけではなく、社会関係や生きる意欲にも影を落とし、孤立や社会的排除という問題につながっています。さらに、これらのことが世代を超えて繰り返されるという状況が見られます。このような民主主義の危機的状況を突破するために、個別の生活課題やニーズに応えて、制度をのりこえるサービスが創造されるようになってきています。また、さまざまな困難を抱える人やそのことに共鳴する人によって、当事者性を基盤にした学びあいも見られるようになってきました。そこでは、時間と空間の共有を大切にし、学習と実践を往復させる<省察>を軸にした新しい学び方が注目されています。
そのような最中、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、多くの人命が失われるとともに、放射能被害で苦しむ人々が生まれました。これからの社会をどういうものにするのか。人が孤立させられ、生きづらい社会に向かうのか、それとも、希望を求めて人と人とがつながる社会に向かうのか、私たちは歴史の岐路に立っています。
福祉教育・ボランティア学習学会第20回大会は、以上のことを意識して、「福祉教育・ボランティア学習の新機軸 孤立をのりこえて希望のある社会へ 」をテーマとして掲げます。現代的な問題状況とそれに向き合う実践、そこでの学びの変革が先鋭化してあらわれる首都圏において、このことを深めたいと考えます。
第20回とうきょう大会実行委員会/大会長・大島巌(日本社会事業大学)、実行委員長・辻浩(日本社会事業大学)

以上を一瞥すると、各大会では、時局性や地域性などを考慮した企画や課題設定が行われているといえる。例えば、第3回大会では神戸連続児童殺傷事件に象徴される「教育の危機」、第5回・6回・7回大会では「21世紀の新時代」、第8回大会では「平和と福祉」、第11回大会では「阪神・淡路大震災から10年」、第17回・18回大会では「東日本大震災と支援活動」などをめぐるものがそれである。大会テーマに関していえば、第3回大会以降「地域」に焦点があてられ、また第8回大会では「新しい公共」「市民参画型社会」、第11回大会では「共生の社会」の文言が登場する。これらの背景には、ノーマライゼーションを踏まえたソーシャルインクルージョン思想の普及や、地方分権改革の推進に基づく地域福祉の進展という時代状況がある。また、「生きる力」や「地域力」「福祉力」の育成・向上を求める社会的認識がある。
いずれにしろ、本学会は、第1回大会で学会設立の趣旨が確認され、第2回大会以降「福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化」をめざしてきている。各大会では、その前回や前々回の大会の成果(到達点と残された課題)に留意しながら、また新たな課題を設定して研究・討議が重ねられている。その際、福祉や教育の制度改革をめぐるその時々の重要課題や、福祉教育・ボランティア学習の具体的実践における課題などが採りあげられている。しかし、そこでの研究・討議は必ずしもその本質や方法原理に迫るまでには至らず、歴史的・理論的な研究・討議も十分に行われているとはいえない。今日においても「安易な福祉教育実践による形骸化」(第10回大会)を指摘せざるを得ず、またICFの視点や「社会的包摂」の理念に基づく、「まちづくり」の主体形成(市民性形成)を図るための福祉教育・ボランティア学習についての実践と研究はいわれるほどには進んでいない。
社会的包摂に関しては、そこにおいて、あるいはその一方で、自立・自助の強制や自己責任の強要などによって一部・特定の人びとの排除や周辺化が生み出されている。2013年6月に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(障害者差別解消法、施行は2016年4月)や「子どもの貧困対策の推進に関する法律」(子どもの貧困対策推進法、施行は2014年1月)、同年12月に「生活困窮者自立支援法」(施行は2015年4月)が制定されたことは、その証左でもある。法律の制定の背景や課題について認識・理解する必要がある。また、包摂(あるいは「共生」)は、一面では、人間・社会・文化の画一化・均質化・平準化を促し、真の多様性や創造性の実現・向上を阻害している。留意しておきたい。
要するに、福祉教育・ボランティア学習やその実践の「理論化と体系化」は、未だ「道半ば」といったところである。
第20回大会では、「福祉教育・ボランティア学習の新機軸」が提起されよう。そこでは、時代の流れに飲み込まれない、ときにはそれに抗するための福祉教育・ボランティア学習の実践的・研究的課題が体系的に整理されることを期待したい。そして、本学会を構成する会員は、とりわけ平和と人権・民主主義の危機や政治の右傾化が進む今日的状況やその背景を認識しつつ、また理論(研究)と実践の往還を図りながら、実践の科学的分析や理論化・体系化、理論と実践の融合に向けての追究を多面的・多角的に、ねばり強く深めていく必要がある。

付記
本学会へのもうひとつの「思いと期待」については、拙稿「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」『ふくしと教育』通巻17号、大学図書出版、2014年8月、42~47ページを参照されたい。

若者 × まちづくり―資料紹介―

君の行く道は/希望へとつづく/空にまた/陽が昇るとき/若者はまた/歩きはじめる (「若者たち―空にまた陽が昇るとき―」)

2014年5月に「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」(座長・増田寛也)が『ストップ少子化・地方元気戦略』を発表した。そこでは、2040年の時点で、全国1800市区町村の49.8%に当たる896の市区町村が消滅する可能性があると推計され、地方に波紋を広げている。しかし、雑誌『中央公論』(中央公論新社)の2013年12月号にはじまる増田を代表とする一連の論稿(「増田レポート」)は、消滅の概念が曖昧であり、その推計の手法にも無理がある。それゆえにか、「消滅可能性」という衝撃的な言葉が先行し、その推計値が独り歩きしている。そして、それが、市町村のみならず、地元住民の不安や危機感を煽(あお)り、不信感やあきらめ感さえも募らせている。
そうしたなかで、人口減少や少子高齢化等の進行が著しい農山村地域において、都市との交流やU・J・Iターンの促進を図る事業、地域サポート人材を外部から導入する事業などの取り組み(「農山村再生」「地域創生」等)がなされている。そして、最近では、団塊の世代の「ふるさと回帰」とは異なり、若者の「田園回帰」の動きが注目されている。そのきっかけとなったものに、2009年度から国主導のもとで実施されている「地域おこし協力隊」の事業がある。
その制度の概要は次の通りである(総務省「地域おこし協力隊推進要綱の一部改正について(通知)」2013年3月29日)。

〇地域おこし協力隊事業は、地方自治体が都市住民を受け入れ、地域おこし協力隊員として委嘱し、おおむね1年以上3年以下の期間、地域で生活し、農林漁業の応援、水源保全・監視活動、住民の生活支援などの各種の地域協力活動に従事してもらいながら、当該地域への定住・定着を図る取り組みである。
〇地域協力活動とは、地域力の維持・強化に資する活動をいう。その一例として、地域おこしの支援(地域行事やイベントの応援等)、農林水産業従事(農作業支援等)、水源保全・監視活動(水源地の整備・清掃活動等)、環境保全活動(不法投棄パトロール等)、住民の生活支援(見守りサービス等)、その他(健康づくり支援等)が考えられる。
〇地方自治体は、設置要綱等を策定したうえで広報・募集等を行い、地域おこし協力隊員とする者を決定し、当該者を地域おこし協力隊員として委嘱し地域協力活動に従事させる。
〇地域おこし協力隊員は、生活の拠点を3大都市圏をはじめとする都市地域等から過疎、山村、離島、半島等の地域に移し、採用先の地方自治体に住民票を移動させた者である。
〇総務省は、地域おこし協力隊の推進に取り組む地方自治体に対して、必要な財政上の支援を行うほか、先進事例や優良事例の調査、これらの事例の地方自治体への情報提供等を行う。財政支援については、地方自治体に対して、地域おこし協力隊員の募集等に要する経費として上限200万円、活動に要する経費として1人当たり上限400万円(うち報償費等が上限200万円、活動費が上限200万円)の特別交付税措置を講じる。

地域おこし協力隊員の数は、2009年度の89人(実施自治体31:都道府県1、市町村30)から、2013年度の978人(実施自治体318:都道府県4、市町村314)へと増加し、取り組みに対する関心も高まっている。また、2014年2月に公表された「平成25年度地域おこし協力隊の定住状況等に係るアンケート結果」(総務省)によると、2013年6月末までに任期を終了した366人の隊員の状況は次の通りである。

〇年齢別では、20歳代が157人(42.9%)、30歳代が134人(36.6%)を数えている。
〇性別では、男性が239人(65.3%)、女性が127人(34.7%)を数えている。
〇任期終了後、活動地と同一市町村内に定住している者が174人(47.5%)、活動地の近隣市町村内に定住している者が30人(8.2%)、地域協力活動に従事している者が14人(3.8%)を数えている。
〇任期終了後、活動地と同一市町村内に定住している174人のうち、性別では男性が115人(66.1%)、女性が59人(33.9%)を数えている。また、起業が16人(9.2%:男性11人、女性5人)、就業が92人(52.9%:男性59人、女性33人)、就農が46人(26.4%:男性39人、女性7人)を数えている。

地域おこし協力隊事業は、都市住民のIターンの「促進」と地域サポート人材の「導入」などを図るための施策のひとつである。地域おこし協力隊員は、2009年度の事業開始以降、5年間で約10倍に増えている。その約8割が20歳代から30歳代の若者によって占められており、任期終了者の約6割が定住もしくは地域協力活動に従事している。また、任期終了者の約9割が起業・就業・就農している。都市から農山村への移住・定住(者)の新しい潮流として注目されよう。
ところで、まちづくりには「若者」「よそ者」「ばか者」が必要である、といわれる。バイタリティーのある人を含意する「若者」は、思考が柔軟であり、年長者に比して人間関係のしがらみ(繋がり)も薄いことから、地域に挑戦し、地域を革新することが期待される。他所から来た「よそ者」は、地域(地元)とのしがらみがなく、地域を冷静に客観的にみることができ、ときと場合によっては新しい “風” を起こすこともできる。地域に対して熱い思いをもつ「ばか者」は、“地” に根を張って、内発的な地域活動や住民運動に熱心に取り組む。いずれにしろ、まちづくり活動や運動の振興・活性化を図るには、「若者・よそ者・ばか者」が必要かつ重要となる。そして、その確保・養成とそのための啓発・教育、3者の参加と協働(共働)、などのあり方が問われることになる。
上述の地域おこし協力隊員の多くは、「若者」であり「よそ者」である。その潮流は、「若者」の生活や仕事(働き方)についての意識の変化や、地域・社会との関わり方の態度・行動の変容などに起因すると考えられる。また、農山村では「よそ者」を受け入れる住民の意識変化や、住民を巻き込んだ組織・体制の整備、すなわち「土(環境)をつくる」「村(地域)を開く」ことが進んでいることによるのであろう。地域おこし協力隊事業やその類似事業が今後どのように展開され推進されるかについては、未知数のところも多い。とはいえ、それらの事業は、とりわけ「若者」の「居場所と出番」(「要場所」)を創る、注視すべき取り組みのひとつであろう。

若者の「仕事」や「居住」に関する考え方と実践記録を纏めた興味深い本がある。伊藤洋志『ナリワイをつくる―人生を盗まれない働き方―』(東京書籍、2012年)、伊藤洋志・pha(ファ)『フルサトをつくる―帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方―』(東京書籍、2014年)がそれである。
前者の本では、「世間ではちょっと珍しい働き方」(238ページ)として、ひとつの仕事だけをやる「専業」ではなく、小さな仕事を組み合わせて生活を組み立てていく「複業」的生活の可能性について説き、次のように述べている。

「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を『ナリワイ』(生業)と呼ぶ。これからの時代は、一人がナリワイを3個以上持っていると面白い」(2ページ)。
「ナリワイで生きるということは、大掛かりな仕掛けを使わずに、生活の中から仕事を生み出し、仕事の中から生活を充実させる。そんな仕事をいくつもつくって組み合わせていく。いわば現代資本主義での平和なゲリラ作戦だ」(27ページ)。

後者の本では、都会か田舎かという二者択一の住み方・暮らし方ではなく、都市に住んでいた人が新たにつくるもうひとつの拠点である「フルサト」や、その生活の拠点を複数もつ「多拠点居住」について説き、次のように述べている。

「フルサトといっても必ずしも実家のこととは限らない。フルサトは一カ所に限らず拠点は複数あったほうがセーフティーネットとしてもいい。フルサトをつくる、ということは田舎への完全移住ではない。また、すぐには完成しないのだが、少しずつ育てていくためにもやっぱりそこに行くだけで楽しく生きていける場所がよい」(9、14ページ)。
「田舎に仕事なんてない、という意見もよく聞かれるが、実は雇用は少ないかもしれないが、自分で見つけ出し工夫してつくれば、むしろ仕事の素材には困らない。田舎こそナリワイの宝庫である」(20ページ)。

なお、伊藤は、過疎地では空き家が増えているが、貸し出されていないところが多いその原因について、次の6点を指摘している。(1) 古来日本では家は代々引き継ぐものであり、そもそも持ち主に貸し出す意欲がない。(2) とにかくよそ者は、怖い、危ないというイメージがあり、よそ者アレルギーがある。(3) 家は空き家だが、仏壇があると貸し出しにくい。(4) 壊れているところが多いから、持ち主が空き家を無価値だと思い込んでいる。(5) 「盆と正月」に子どもたちが帰ってくるので、そのときだけ使うから貸せない。(6) 他に貸したり売ったりするとお金に困っていると思われ、見栄あるいは世間体から貸したくない、がそれである(57~65ページ)。これらの原因を払拭することが「フルサトをつくる」、ひいては「まちづくり」に繋がることになる。注目しておきたい。

“三原色” の思考と “仲間時間” の実践―住民懇談会報告―

今日は、平日の10時から12時の時間帯にもかかわらず、自治区の区長さんや役員の方をはじめ、コミュニティ会議福祉健康部会の皆さん、民生委員やボランティアの皆さん、老人クラブの会長さん、障がい者福祉施設の施設長さん、中学校の校長先生、市議会議員の先生など、40名ほどの方々にお集まりいただきました。前回の住民懇談会にも増して、有意義な懇談会となりました。また、私自身も多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。
感想めいたことになりますが、少しお話をさせていただきますと‥‥‥。
先ず、今日のグループワークはいかがだったでしょうか。赤・黄・青の付箋紙をうまく活用されてカードワークを行い、夢や希望について話し合い、意見などを出し合い、活発な議論がなされていたと思います。そして、この地区がめざすべき福祉のまちの姿・かたちや中身(内容)を、皆さんでイメージ化することができたのではないでしょうか。
社協が準備しましたワークシートも良くできており、活用しやすかったのではないでしょうか。70分ほどの短い時間ではありましたが、皆さんの議論が弾んでいたと思います。「色(色材)の三原色」といわれる色は、赤・黄・青と記憶しておりますが、信号機の色ではありませんが、「赤」(「こんな地域になったらいいな」)のところでは、しっかりと立ち止まって夢を語る。「黄」(「自分ができること」)のところでは、周りのことなどを気に留めながらも、まちづくりのために一歩踏み出す。「青」(「地域として、皆で取り組んでいくべきこと」)のところでは、まちづくりのために皆で力強く歩みを進める。社協は、こんなことを念頭に置いて、あえて赤・黄・青の三原色を使ったワークシートと付箋紙を用意したのではないか。多少深読みの感無きにしも非ずですが、社協の方、いかがですか。
赤・黄・青の三原色の心理的な作用や効果については、色彩心理学などでどのような所説があるか知りませんが、この三原色をうまく使うことによって、皆さん方の思いや考えをお互いに、豊かに引き出し合うことができたのではないでしょうか。
それぞれのグルーブでは、「光の三原色」の赤・緑・青のうちの、「緑」(「理想とする福祉の“まち”」)のところで、キャッチフレーズを考えていただきました。第1グループは「世代が継がり住民が力を発揮できる住み続けたい結(ゆい)の町」、第2グループは「ふれあいを大切に明るい声がひびくまち」、第3グループは、キーワードですが、「老若男女 ふれあい つどい やさしい 美しい 犯罪のないまち」、第4グループは「声かけと思いやりのあふれるまち」というものです。それぞれのフレーズには皆さん方の夢が、またこの地区ならではの「理想とするまち像」が表現されているのではないかと思います。
この4つのフレーズを、社協の職員(コミュニティソーシャルワーカー)が「みんなの力とみんなの声を感じながらふれあい豊かに住み続けられるまち」と、うまく纏めてくれました。先ほどの説明を伺っていて、「みんな」「力」「声」そして「住み続けられる」という文言には、誰もが腑に落ちる「確かさ」と「強さ」があると感じました。
先日、ある地区にお邪魔したときに、このキャッチフレーズについて、「こんなことを考えて何の意味があるのか。地域の問題をひとつひとつ“潰していくこと”が必要であり、そのことを考えるべきであって、抽象的な言葉遊びは無駄である」というお叱りを受けました。「問題を潰す」という言葉は気になりますが、それはひとまず置くとしても、私はキャッチフレーズの作成は不必要だとは思っておりません。それは、福祉のまちについて夢を語り、福祉のまちづくりについて思いをひとつにし、「軸」がブレない取り組みを皆で進めていくためにも必要なことだと思います。
夢は語るものですが、追い求めるものでもあり、また育むものです。夢を語った以上は、その夢の実現をめざして、皆で汗を流すことが求められます。真摯に夢と向き合い、積極的に夢を追い求める住民が増えれば、地域にとって、それぞれの地区にとってプラスになるのではないでしょうか。
皆さん方には、夢を実現するために、地域のリーダーとして主導的な役割を果たすことが求められると思います。ただし、ヒーローやヒロインのような唯一の強いリーダーとしてではなく、メンバーシップやフォロワーシップを兼ね備えた一人のリーダー、地域住民として活動することが期待されます。「この地域には強いリーダーがいないからダメだ」という嘆きの言葉を聞くことがありますが、そうでしょうか。強力なリーダーがいない地域は「ダメ」な地域ではなく、強力なリーダーを必要とする地域が実は「不幸」な地域であるかも知れません。
この地区は、高齢化率が約13%と市内で一番低く、若い人が多いまちです。子どもや若者たちと一緒になって、子どもや若者の夢を育むための活動にも頑張っていただければと思います。また、今日はお見えになっておりませんが、子どもたちや障害のある方々、外国籍住民の皆さん、さらには福祉サービスを利用されている方々、できる限り多くの方々にお声かけいただき、お出かけ願えるような懇談会を、皆さんの手で今後も計画的・継続的に開催していくことが必要であり重要であると思います。
2点目ですが、いささか蛇足めいたことになりますが‥‥‥。
今回初めて気づいたのですが、男性の皆様はそのほとんどの方が腕時計をはめておられます。しかし、ほとんどの女性の方ははめておられません。どうしてでしょうか。男性の方は、退職された方が多いと思いますが、いまはこの地元で、約1万人の地区住民のために活動されている方々だと思います。男性の方は、会社勤めのときには腕時計の時間で、会社の時間で仕事中心の生活をされていたのではないでしょうか。「時計時間」の生活が長く続きますと、そういう生活から、腕時計の時間に拘束された生活から抜け出すことが難しいのではないでしょうか。生活習慣といえばそれまでのことですが。
それに対して、女性の方々は、この地元を中心に、隣り近所の方々をはじめいろんな方々との関わり合いのなかで暮らしておられると思います。多くの友達や仲間がこの地元にいらっしゃる。そういう方々とご一緒に、明確な時間の流れというよりは自由でゆったりとした、融通の利いた時間、「仲間時間」あるいは「地元時間」といいますか、そんな時間のなかで生活をし、趣味活動や地域活動などに取り組んでおられる。だから、わざわざ腕時計をする必要もないのではないか。そんなことを思った次第です。
そして、地域活動へのはじめの一歩は、趣味や特技、あるいは経験や知識を活かした身近な活動に、できるときに、できるところで、気心の知れた仲間と一緒に取り組む。そんなことが重要であるともいわれますが、いかがでしょうか。
今回の地域福祉活動計画に基づく福祉のまちづくりは、時計時間と仲間時間(地元時間)がうまく織りなされるなかで、この地区ならではの、「私発」の、そして1万人の「住民総参加」の活動や運動として進められていかなければならないのではないか。男性の方も女性の方も、会社人間であった方も、この地元地域・社会の住民として皆で、豊かな知識と長年の経験に基づく知恵、そして「力」を出し合って、福祉のまちづくりにこれまで以上に関わり合っていくことが必要ではないか。そんな感想をもち、またそんな思いがしました。
雑駁ですが、以上です。ありがとうございました。
10時

【注】
(1)T市社協が主催したH地区における第2回住民懇談会は、(1)第1回の振り返り(20分)、(2)意見交換/グループワーク(70分)、(3)全体会/グループ報告・地区のキャッチフレーズの決定・まとめ(30分)の内容と時間で開催されました。本稿は、筆者(阪野)の役割であった最後の「まとめ」を記憶に基づいて整理したものです。
(2)T市社協が作成したワークシートでは、「赤」(「理想とするべきまち像」)、「黄」(「自分としてできること」)、「青」(「地域としておこなっていくべきこと」)、「緑」(「理想とするまち像」)となっています。当初、2回目の懇談会のテーマは「(3)私が住んでいる “まち” が、こんな “まち” になったらいいな」「(4)(3)を実現するために、私ができること、私たちがしなければならないこと」とされていました。本文中と上記のワークシートの文言は、筆者なりに加筆・修正したものであることをお断りしておきます。

自然と時間―山里の時空を“生き抜く力”を育む―

6月のある日曜日の午後、T市社協のA支所が主催する住民懇談会(「参加型住民懇談会」)に参加するため、高速道路を降りた後、渓流沿いに車を走らせた。カーナビに表示される道案内の赤い線は、だんだんと細くなっていった。沿道の看板や建物をはじめ、自転車やバイクでツーリングをする人、鮎釣りやバーベキューをする人、背中を丸めて道路の端を歩く一人の老女。そのすべてが山と緑の「自然」につつまれ、溶け込んでいた。橋を渡ると、会場の「ぬくもりの里」の看板が目に入った。「時間」通りの到着であった。
「人間も自然の一部である」「人間は自然によって生かされる」などといわれる。これらの言葉の含意を空間軸と時間軸のなかで読みとると、人間は自然にいだかれ、自然とともに生きる存在である。自然のなかの一時(いっとき)を生き、担うことによって、自分の生きていること(「いのち」)が引き継がれていく、ということではないか。人間は、自然と社会における現実(現象)と、時間の継続性のなかに生き、生かされる存在なのであろう。「自然」と「時間」に関して、こんなことを考えながらのドライブであった。
A地区は、2005年4月にT市に編入合併した地区である。人口は約3,000人、高齢化率は42.0%と市内で一番高く、今後も高齢化と人口減少が続く。T市の人口は約42万人、高齢化率は19.6%である(2014年4月現在)。
7月に入って、農業協同組合新聞の電子版に掲載された、「ともに生きる社会 再創造を」と題する哲学者・内山節(うちやまたかし)の一文が目に留まった。多少長くなるが、以下に紹介したい。

東日本大震災以降の日本を見ると、そこにはふたつの動きが存在していることがわかる。ひとつは自分たちのコミュニティを再創造しながら、ともに生きる社会をつくりだしていこうとする動きであり、もうひとつは以前の社会に早く戻そうとする動きである。後者からは原発の再稼働やアベノミクスなどの動きがでてくる。このふたつの動きはこの大震災をきっかけにして、日本の社会を新しく再創造するのか、それとも元に戻すのかをめぐる対立である。そしてこのような対立が生まれる背景には、今日の日本の現実があった。
現在の日本が失っている最大の問題点は、ともに生きる社会の喪失であるといってもよい。ともに生きる社会をつくり直そうとする今日の動きは、この現実を直視する人々のなかから生まれたものである。そして東日本大震災が、この動きを加速させた。ともに生きる社会をつくろうとするとき、その基盤は地域である。今日の日本の課題は、市場原理を強化することではない。課題はともに生きる経済や社会をつくることにあり、その基盤としての地域を活力あるものにすることの方である。そのためには、都市と農村との、生産者と購入者との新しい連帯のかたちを模索することが必要なのである。いま大事なことは、アベノミクスに虚構性と危険性をみている人たちとともに、連帯感にあふれた社会を創造することである。それは都市の人々が農民や農村を守り、農民たちが都市の人々の食文化を守っていけるような社会である(一部中略)。

今日、日本の農民や農村は危機的状況にある。とりわけ、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加によって、モノだけでなくサービスや投資などの取引の自由化(市場原理の強化)が進み、日本経済の破綻を早め、「日本の社会の瓦解を促進する」ことが危惧されている。こうした現実を「直視」すると、今日の日本の課題は「ともに生きる経済や社会をつくることであり、その基盤としての地域を活力あるものにすること」である。これが内山の言説の要点である。
こうした経済の動向とともに、政治の世界では、右傾化とそれによる「上から」のナショナリズムの高まりが進み、憲法が提示する立憲主義と民主主義、そして平和主義が「危ない」状況にある。時間の流れ方が戦前のそれに戻っていく。内山がいう「以前の社会に戻そうとする動き」に関して、広く、深く認識することが求められるところである。なお、立憲主義とは、周知の通り、憲法は国家権力に縛りをかけるもの、国民の自由と権利を保障するために憲法によって政治権力の乱用を防止する、という考え方である。

内山といえば、「時間はどのようなものとして存在しているのか」を解こうとした、『時間についての十二章』(岩波書店、1993年)という著書を思い出す。内山は、「山里に暮らす人々は、縦軸の時間と横軸の時間という二つの時間のなかを生きている」(20ページ)という。

縦軸の時間は、過去、現在、未来が縦の線で結ばれている。それは西暦とか年号であらわすことができるような過ぎゆく時間であり、けっして戻ってくることのない不可逆的な時間である(20ページ)。
横軸の時間は、春が訪れたとき、村人は春が戻ってきたと感じながら、それを迎え入れる。春は円を描くように一度村人の前から姿を消して、一年の時間が過ぎ去ったのではなく、去年と同じ春が帰ってきた(くる:阪野)。時間は円環の回転運動をしている。このような時間存在をいう(22ページ、一部中略)。

要するに、「縦軸の時間」とは、誰にでも同じ速さで、過去→現在→未来と直線的で、客観的に流れる“時計の時間”をいう。「横軸の時間」とは、人間の営み=主体(自己)と自然や季節との関わりのなかで、回帰し、関係的に存在する時間をいう。この二つの時間のうち、商品経済が進展・浸透し、過疎化と高齢化が進んだ今日では、山村においても「縦軸の時間」が村人を強く支配している。これが、内山が説く「時間の存在論」のポイントのひとつである。また、内山は次のようにいう。

山里の世界でも、(中略)縦軸の時間と横軸の時間が矛盾しながらも全体で山里の時間を形成し、この二つの時間は使い分けられていた。自然と結びついた労働や暮らしのなかでは、あるいは自然との共時的な場を形成するなかでは、横軸の時間が支配的な時間軸になり、縦軸の時間が支配する社会との結びつきのなかでは縦軸の時間に依存していた。そして今日ではこの両者の矛盾が対立的なほどに高まったのである(32ページ)。

ところで、冒頭に記したA地区の住民懇談会では、「自然とともに存在する時間」(内山)の穏やかな流れのなかで、3回目の懇談会として議論が重ねられた。そして、それを踏まえて、住民福祉活動の理念や基本的な考え方に関するその地区ならではのキャッチフレーズが作成された。「笑顔と支え合いのまち、ぬくといA」がそれである。住民の思いは、「笑顔」は「健康」と「生きがい」、「支え合い」は「繋がり」と「集まり」を前提にし、住民相互の「支え合いなくしてこの地区は成り立たない」、というものである。都市部の他地区でのキャッチフレーズには、「豊かな自然」「自然が残る」などの文言が入る。その「自然」は二次的・人工的なものである。A地区には天然に近い自然が存在するが、「自然」という文言は住民からあまり出ない。「支え合い」への思いを強くもたざるを得ない山里(山間部)の厳しさである。それゆえに、そこには温かさ(「ぬくとい」)がある。
参加型住民懇談会は、住民にとって、この厳しさを再認識するとともに今後のまちづくりの方向性を展望し、この山里の時空を生き抜くための「共働」の場である。それはまた、“生き抜く力”を育む教育現場のひとつでもある。自主的・自律的で、計画的・継続的な開催が求められる。

平和主義と基本的人権が危ない―“ムラが子どもを育て、住民がまちを創る”を思う―

マスコミは連日のように、わが国の安全保障政策の大転換が図られようとするなかで、「集団的自衛権」について報じています。従来の憲法解釈で禁じられてきた集団的自衛権の行使に関し、その要件のひとつとして「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある場合」が挙げられています。福祉・教育関係者はいま、このことに最大の関心を払うべきではないでしょうか。「平和と福祉は表裏一体であり、福祉は平和のシンボルである」(阿部志郎)、「社会福祉を学ぶことは世界の平和を学ぶことに通じる」(伊藤隆二)という言葉が思い出されます。また、筆者(阪野)がいまかかわっている地域のなかには、「地域の存立が脅かされ、住民の生命、自由および幸福追求の権利」が侵害されている地域が現に存在していることを強く認識し、深く理解しないと事は進まない、と思っています。
ところで、2014年7月、生活保護法改正法が全面施行されます。厚生労働省の資料によると、今回の主要な改正点は、①就労による自立の促進、②健康・生活面等に着目した支援、③不正・不適正受給対策の強化等、④医療扶助の適正化、の4点に整理されます。そのうち、例えば①については、「安定した職業に就くことにより保護からの脱却を促すための給付金(就労自立給付金)を創設する」と説明されています。ここで筆者は、古川孝順先生の次の一文を思い出します。
1990年代以来のわが国の社会福祉基礎構造改革のひとの側面に、「ウェルフェア(支援福祉)からワークフェア(就労福祉)への移行」と呼ばれる改革がある。「社会福祉における就労の位置づけについていえば、一方の極には福祉と懲罰的な就労とを結びつける救貧法的な施策があり、‥‥‥(それは:筆者)自己責任主義的な施策である」(古川孝順『社会福祉の新たな展望』ドメス出版、2012年、148~149ページ)、というのがそれです。
今回の法改正は、2013年8月の保護基準の引き下げに加えた、保護申請の厳格化、不正受給の罰則の引き上げ、親族の扶養義務の強化などの「改悪」であることはいうまでもありません。「働かざる者食うべからず」といわんばかりです。イギリス救貧法の「就労の強制」(1601年法)や「劣等処遇の原則」(1834年法)、1874(明治7)年に制定されたわが国で最初の救貧法である恤救規則の前文の書き出し「済貧恤窮ハ人民相互ノ情誼ニ因テ其方法ヲ設ヘキ筈」なども思い出されます。
さて、筆者はいま、T市社協の地域福祉活動計画の策定作業の一環として計画的・継続的に開催されている「住民懇談会」に参加し、有意義な“学び”の時間を過ごしています。身体的な疲れは感じるものの、「福祉教育こそ、社協が展開していくべき地域福祉の原点であり、社協そのものの基礎・基盤です」「福祉教育の推進こそ、社協の本業であり、『社協不要論』を払拭する必要不可欠な手段です」「学校教育のみならず、生涯学習の一環としての、しかも福祉の(で)まちづくりの主体形成としての住民(市民)福祉教育の取り組みが必要かつ重要です」というT市社協職員(コミュニティソーシャルワーカー)の言葉と熱い想いに励まされています。
先日開催された、「限界集落」を抱えるあの地区の懇談会では、前回と同様に“地元”の中学生も「総合的な学習の時間」の一環として参加していましたが、将来に向けた建設的な意見やアイディアが出されました。その議論の多くは、参加者一人ひとりの地域に対する誇りや希望が伝わるものでした。個人的な思いや考えも含めて、その一部を紹介します。

〇この地域は観光立地の“まち”であるが、「思いやり」や「おもてなし」の心をもった住民一人ひとりも大切な観光資源(人財)である。その意識啓発や人材育成が求められる。また、滞在・交流型観光の促進を図る必要がある。
〇地域が元気になる新たな観光振興が求められる。とともに、一人ひとりの住民同士の繋がりや、地域住民と地域の歴史や伝統、文化、自然環境や社会資源などとの関係性を大切にした「関係立地」(ネットワーク形成によるまちづくり)の見直しや推進を図るべきである。
〇岐阜県高山市社協では、1月から3月の期間、冬季高齢者ファミリーホーム「のくとい館」(旧教員住宅)を活用した高齢者の共同生活を支援し、高齢者の安全・安心な暮らしの確保や生きがいの創出を図っている。冬季だけでなく夏季も含めて、参考になるのではないか(注1)。
〇山村留学は、元々は子どもの教育実践活動(教育問題)であり、受け入れ地域や学校にとってはその振興・活性化策(経済問題、学校問題等)としても注目されてきた。生涯学習社会における新たなまちづくりや「都市と山間の教育交流事業」(T市)の一環として、子どものみならず高齢者なども含めた山村・都市留学(遊学)の施策・事業化を図ってはどうか(注2)。
〇T市には「空き家登録バンク制度」がある。しかし、期待されるほどにその登録は進んでいない。そこには、先祖から受け継いだ土地や家屋、墓守や仏壇の世話などについての特別の思いがある。マスコミなどが最近、「墓じまい」について報じているが、時代や時勢だとはいえ、この地域の“地元”住民の思いを十分に踏まえたまちづくりを進めることが肝要である(注3)。
〇行政の施策・事業や資源(財源、人員等)の有効活用をはじめ、行政との連携・協働強化を図るべきである。また、住民のニーズや地域課題に対応した施策・事業の共同開発と実施展開を、地域内・外との連携と相互支援のもとに進めることも考えられる(注4)。
〇「きれいごと」をいっても、また理想論だけでは“まち”は変わらない。地域の実情や創意工夫に基づいた新たな就労の支援や雇用の創出に積極的に取り組んでいくべきである。また、ヒト、モノ、カネ、情報を呼び込み、地域経済の活性化を図る必要がある。

いずれにしても、筆者はいま、地域福祉活動計画の策定に当たっては、住民(市民)主権・住民(市民)自治の理念のもとに、“地元”の子どもから高齢者までできる限り多くの住民の皆さんとじっくり話し合い、学び合って、地域の実情を踏まえた夢と実現性のある計画を策定すべきであることを改めて強く認識しています。また、その際、「グローカル」(think globally, act locally)という造語と、ヒラリー・クリントンが引用して広まったという「ひとりの子どもを育てるには村中みんなの力が必要」(「子どもを育てるにはムラが必要」)というアフリカの諺(ことわざ)にも留意したいと思っています。この場合の「村」とは、郊外にある小さな“まち”ではなく、家族・近隣社会から国家や世界も含めた地球規模の“ムラ”(コミュニティ)やネットワークをさしています(ヒラリー・クリントン 繁多進・向田久美子訳『村中みんなで』あすなろ書房、1996年、12ページ)。さらに、誤解を恐れずにいえば、私自身の、「よそ者」としての発想や視点も大切にしたいものと念じています。


(1)「のくとい」とは、岐阜県飛騨地方の方言で「あったかい」という意味である。
「のくとい館」事業の「実績・効果」については、次の点が報告されている。①高齢者の安全・安心な暮らしの確保、②地域住民との積極的な交流(世代間交流の促進)、③雪下ろしボランティアを通じた都市住民との交流(地域間交流の促進)、④特産品づくり(高齢者の生きがいづくり)、がそれである(『「ぎふ雪国の豊かな暮らし研究会」報告書』岐阜県総合企画部地域振興課、2011年、8~9ページ)。
(2)山村留学は、1976年に長野県八坂村(現・大町市八坂)で始まった教育実践活動である。2004年に860人を超えた参加者数も、「自治体合併や里親の高齢化、地元児童生徒数の減少、学校統廃合、経済状況の悪化などの社会情勢により、受け入れ学校も減少に転じ」、2012年では510人となっている(『平成24年度版 全国の山村留学実態調査報告書』NPО法人全国山村留学協会、2013年、7ページ)。
(3)T市では、「過疎化の進行が著しい中山間地域の定住対策の一環として、空き家を地域資源として有効活用し、過疎地域における定住人口を増やし、地域活性化を図ること」を目的とした「空き家情報バンク制度」が2010年3月から運用されている。また、同年4月からは、その制度により賃貸借契約が成立した空き家に対して、改修に必要な経費の一部を補助している。
(4)T市には、地域自治システムとして、2005年度からスタートした、「『私たちの地域は、私たちの手で、もっと住みやすく、おもしろく』を合言葉に、地域資源(人、歴史、文化、自然等)を活用し、地域問題の解決や、地域の活性化に取り組む団体を支援する地域活動支援制度」である「わくわく事業」と、2009年度からスタートした、「地域と行政の共働と地域内での合意形成を前提に、地域課題の解消に向けた地域意見(事業計画書)を市の施策に的確に反映し、効果的に地域課題を解決するための仕組み」である「地域予算提案事業」の2つの施策がある。
T市には27中学校区に「地域会議」(地方自治法上の地域協議会)が設置されているが、わくわく事業では1地域会議当たり年間・総額500万円までの補助金が交付され、地域予算提案事業では1地域会議にT市に対して年間・総額2000万円までの予算案提案権(地域会議が支所長に予算案(事業計画書)を提案する権限)が認められている。

「生活綴方」と福祉教育実践―徳目主義や反知性主義を憂う―

教育の世界における徳目主義の傾向や反知性主義の台頭が気にかかります。

筆者(阪野)は、久しぶりに中内敏夫著『生活綴方成立史研究』(明治図書、1970年)を読み返しました。“読み返した”というのは、「精読」したということではなく、A5判、994頁という大著を「通読」したという意味においてです。この本は、質の面でも類書を凌駕する名高いものです。例えば、今野三郎は「この分野の史料収集上、個人が為し得る一つの限界を示している」(『教育学雑誌』第7号、日本大学教育学会、1973年、84ページ)、川合章は「『この本のおかげで生活綴方の研究にとりくむ者が減るのではないか。この本は、生活綴方史研究にマイナスの役割を果すのではないか』という冗談も、ただの冗談とは受けとれないほどの迫力をもつ、内容豊かな研究である」(『教育学研究』第39巻第1号、日本教育学会、1972年、74ページ)と評しています。
生活綴方は、周知のように、日本特有の教育方法として取り組まれてきたものですが、特定の徳目や価値観を押し付け、刷り込む徳目主義や権威主義的な教育実践ではありません。それは、子どもたちが日常の生活を書き「つづる」ことを通して、ものの見方や感じ方、考え方を育み、生活に根ざした生き方を作り出していくための指導・教育方法です。それは、広い意味では大正初めに提唱されたといわれていますが、この教育方法に「生活綴方」という呼称が使われるようになるのは1930年代に入ってからです。
この本は、生活綴方に関する一次史料をひとつひとつ丹念に掘り起こし、整理・分析した成果を纏めたものであり、第2部「綴方教師の誕生」第1章「雑誌『綴方生活』創刊の史的構造」(271~891ページ)を中心に編まれています。ただ、この本全体を通して生活綴方の教育実践の実態や子どもたちの姿が具体的に詳述され、十分な分析が加えられているかというと、必ずしもそうはいえません。とはいうものの、筆者はかねてよりこの本にある種のこだわりをもっています。それは、生活綴方の教育実践のなかに福祉教育実践の側面や要素を見出すことができ、そのヒントや仮説をこの本から得ることができるのではないかと考えているからです。
ところで、上記の今野は、その「書評」で、「従来、日本近代教育史研究者の中で『生活綴方』史研究にまともにとりくむ人はきわめて稀であったといってよい」理由のひとつについて、次のように述べています。

日本近代教育史における教育思想、教育方法研究の主流が、大部分は西欧にはっきりしたモデルをもっているものを中心として手がけられてきたということである。このことは、別の面からいえば、明確なモデルをもたない教育思想、教育方法を構造的に解明し、体系化することは、きわめて困難な作業であるという研究方法上の問題から敬遠されるという結果を招来するのである。本書は、その結果の評価はともあれ、これらの研究上の困難な問題に正面からとりくんだという点に画期的な意義をもっているといえよう。(今野、88ページ)

この言説は、福祉教育やその歴史に関する研究にも通じるのではないか。そうであれば、これまで以上に、その研究に果敢に取り組むことが求められるのではないか。「日本福祉教育・ボランティア学習学会」が設立20周年を迎えたいま、筆者はそんな思いや考えを新たにしています。

例によって唐突ですが、ここで、この本を読み終えようとしていた時にたまたま目にとまった新聞記事を紹介しておきます。田中優子先生(法政大学総長)のそれです(「大学の役割は何か」岐阜新聞「現論」2014年5月17日)。以上との関連で、また筆者にかかわるいろんな意味で深く受け止めたい一節です。

「反知性主義」という言葉がある。自ら知性へ敵意をもつことと、国家が国民から知性を奪うことを意味する。いま何も考えたくない人々は、自力で調べて知識を獲得することなく、感情を刺激する根拠のない情報に興奮し、それを自分の考えとしてツイッターで広め、時にはそれに従ってデモをし、暴言を吐き、それを映像的な「ネタ」にしてブログで公開し、自己顕示欲を満足させる。反知性的なその閉じたサイクルは、主張の内容(右翼か左翼か)にかかわらずさまざまなところで起こっている。
大学はこのことに向き合わねばならないだろう。大学とは、自ら事実の確認をする手順を学び、できるだけ正確な情報を得るリテラシーを培うところだ。また、一過性の感情を超えて論理的に語る経験を得て、議論して異なる考えと出合い、言語化して自らの無知を知ってさらに知性に磨きをかける場だ。

「反知性主義」という言葉は、最近になって目につくようになった言葉ですが、要するに「客観性や実証性を十分に問いただすことなく、自分に都合の良い思考様式や価値観の世界に閉じこもる姿勢や態度」といった意味でしょうか。また、文中の「大学」を「地域」という言葉に置き換えることによって、生涯学習やその一環としての福祉教育に関するいろいろな問題に思いを致すことができます。
福祉教育実践は、子どもや大人たちの地域における実生活から遊離した思いやりや親切、助け合い、そして郷土愛などの特定の徳目を重視したり、従って主観的・観念論的な「物語」の世界に留まったり閉じこもったりする危険性なしとしない。最近になって特にそう思うのは、筆者だけでしょうか。

「共働」と課題解決の流れ

筆者(阪野)は先日、ある社協の職員研修会(学習会)に招かれ、(1)「極点社会」と地域アイデンティティ、(2)ソーシャル・キャピタルと「活動する市民」、(3)社協と役職員の今後のあり方、等々をめぐって学ぶ機会に恵まれました。社協職員の熱意に圧倒されるばかりでしたが、それゆえに筆者にとっては有意義な時間となりました。
席上、筆者の拙文「協働と共働」(2013年9月16日投稿)について、いま少し分かりやすく説述すべきである旨の意見をいただきました。そこで、誤解を恐れずに、以下のような作図を行いました。
図1 の「共働」については、行政と市民が、問題把握から課題解決に向けた「ネットワーク」「場」(「プラットホーム」)を創設し、そこにそれぞれが参画(登壇、登場)し、対等・協力の関係のもとで事に当たること(共同、協同)、と理解しています。その際の鍵概念は「相互作用」「相互補完」「相乗効果」です(上記の拙文参照)。
図2 は、共働の「プラットホーム」における「課題解決の流れ」をまとめたものです。現状把握・分析を前提に、問題認識・理解の広さ・深さ(問題の領域・深刻さ)は異なります。さらにそれによって、課題形成・解決の内容や方法も、行政の政策や施策としての対応から、市民による個別具体的な実践活動としての対応に至るまで、多様かつ多元的になります。

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