阪野 貢 のすべての投稿

有言不実行

嘘を真のようにのたまう
耳障りのいい言葉を並べ重ねる
賢人ぶりを言動に匂わす
何度騙されても虚仮(こけ)にされても
そこから選ぶしかない 与党のリーダー

影で操る者たちのパワーゲームが始まった
駆け引き上手で老獪さを競うもう一つのゲーム
居並ぶ者の糸をいかに引くのか手腕が試される
何度も騙して裏切り自由なこの世界
いつも汚れていく与党のリーダー

中身のない誇大広告もどきの言葉が乱れる
やるかやれぬではないその場しのぎの言葉の羅列
やらなくてもやれなくても煙に巻く技だけ磨いている
矜持(きんじ)も沽券(こけん)もアクセサリーでしかない
有言不実行を実行する与党のリーダー

総裁になりたいだけの八方美人
鵜呑みにできない言葉が踊る表明ごっこ
アベに斟酌(しんしゃく)批判は封印さもしさ募る
綺麗事を並べて微笑むナルシスト
暗澹(あんたん)たる気分にさせる与党のリーダー

国会開けとこの期に及んで気勢を上げる
言葉に力のない者たちのもの悲しさが残される
批判に批判を重ねるだけで虚構に満ちた現実逃避
大同団結に乗じる大胆さの欠片も感じない
チャンスをみすみす逃す敵対するリーダーたち

有言不実行の世界は続く
だれも逆らうことなく諦める
だれも批判することなく甘受する
だれもが信ずることなく追従する

無言実行の世界は続く
だれも傍観するだけで言葉は要らぬ
だれも嘲笑するだけで言葉が弱る
だれもが沈黙するだけで言葉は消える

〔2021年9月17日書き下ろし。17日自民党総裁選候補者の所信発表に感じた言葉の軽さ〕

あずまし食堂オープン

黄色く色づけられたターメリックライスと
ルーを使わずスパイスだけで味付けられたチキンバターカレー
チキンは前日から煮込まれ柔らかく仕上がっているメインの一品
玉ねぎと人参のピクルス
カボチャチップスと野菜のサラダ
デザートにはカレーの辛さを和らげるヨーグルトムースのフルーツ添え

16日 空知管内月形町月形温泉ホテルのレストラン
あずまし食堂が家移りした記念の500円ランチメニュー
緊急事態宣言が30日まで延期されたので試食会はならなかった
ホテルの広い厨房で忙しく立ち働くボランティアに挨拶をした
出来上がったランチが運ばれ一人テーブルに座り試食した
カレーは汗をかくほどに心地良い辛さと旨味に舌鼓をうった
デザートを平らげると満腹感が襲った

正午過ぎパック詰めにされたランチを取りに三々五々やってきた
社協の役員・地域福祉実践計画あずまし推進会議の面々
久々に会う推進会議の方々と親しく挨拶を交わした
用意された50個の弁当は完売した
みんないい顔でオープンを祝い料金箱には千円札が貯まっていった
本来ならば町民こぞって祝いたい日であった
それでも関係者に社協の事業とボランティアの活躍の一端を
見てもらうには効果的な一日ともなった

食堂は社協のあずましプランの事業のひとつとして始まった
毎月第3木曜日 ボランティアが腕を振るった
味もボリュームも満点だった
コロナ禍でホテルの経営がままならずレストランを閉鎖した
再開するにはダメージが大き過ぎた
ホテルの宿泊客も素泊まりになった
併設する温泉は町民が利用しているが営業は苦しい
厨房の施設設備を腐らすのはもったいないと
町から社協にその使用が許可された
1年半眠っていた厨房をオープンにこぎ着けるまで
清掃や設備のメンテナンスはどれだけ大変だったろうか
プロ仕様のキッテンまわりと広さを見て納得した
ここを拠点に町民の集うしゃべり場づくりが目的となった

月形町社協の地域福祉実践計画あずましプランは第3期の策定に入った
町民主体の計画づくりのアドバイザーを任じられ今日のオープンに参加した
社協の本気度と町民のやる気を身近に感じた食堂オープンとなった
片付けが一段落してO事務局長は事務所に戻った
30分後局長と共に若い二人の担当者との打ち合わせが始まった
今日の仕事のメインは来月の計画策定のための推進会議の運営だった
2期目5年の実践の内容と評価を含め事業の検討を諮る準備をした
11月に開催する町民フォーラムのグループワークのテーマをランダムに挙げた
地域の共通課題を抽出して町民の意向を反映する協議の下ごしらえだ
一晩うるかして翌日改めて協議することにした

人のぬくもりが溢れた一日だった
温泉に身を沈めて疲れを癒やした
コンビニで買い求めた酒と肴で夕食を済ませた
まだひとつ仕事が残っていたが疲れと酔いがまわった
朝4時からパソコンの前で昨日の情景を思い出している
来月のあずまし食堂が町民の憩いの場となることを強く願った
そしてその場にいてそのぬくもりを共に感じたいと切に願った

〔2021年9月17日書き下ろし。社協の福祉実践計画を月形町では「あずましプラン」と呼ぶ。あずましいとは「ゆったりして落ち着く、心地よい、気持ちが良い」という東北や北海道の言葉である。あずましいコミュニティづくりをめざした計画は10年目を迎え、次の5年第3期の計画づくりに入ったが、対面での会議が開かれず、委員はみな10月の開催を持ち臨んでいる〕

青虫と大根の葉

初めて秋大根の種を蒔いた
おでんにしようと企んだ
芽が出てしばらくして間引きした

葉も大きくなってきた矢先
突然虫に食われ始めた
自然の摂理とわきまえてほったらかした

虫の侵攻は止まるところを知らず
葉脈を残すばかりとなった
骸骨みたいな無惨な姿をさらした

今朝何気なく間近で観察した
葉脈に沿って青虫が張り付いていた
全く気づかなかった

無農薬で枝豆もトマトもゴーヤーも育ってきた
多少虫に食われても分かち合いを楽しんだ
ここまでやられた以上はちょっと許せなかった

青虫を一匹ずつ指でつまみ退治した
さてさて無知なる失敗から回復するのか
これからの大根の観察が楽しみになった

いのちを喰(く)らうものとのせめぎ合い
小さな畑で起こった生存競争
そこに人間の欲が絡んで青虫は駆除される

権力を弄(もてあそ)ぶ大根役者のせめぎ合い
三人三様でも同根でしかないお粗末さ
そこに改革の芽があれば青虫に駆除される

〔2021年9月16日書き下ろし。どの世界にもいる青虫、監視は続けることにするか〕

おまえさんが嫌い

偉そうに語るばかりで
優柔不断で束ねられぬ
おまえさんが嫌い

言葉が軽くて
信用されず説得できぬ
そんなおまえさんが嫌い

誰かの顔色うかがい
なまずるい魂胆見える
だからおまえさんが嫌い

取り巻きも不機嫌そうな顔揃え
守るばかりか内輪でもめる
そんなおまえさんが嫌い

右も左も懐柔する懐もない
自愛な小心者に誰がつく
だからおまえさんが嫌い

一発で世の中なんて変わらない
そもそも覚醒させる度胸もない
そんなおまえさんが嫌い

チャンスに凡打を繰り返す
先も読めないビジョンも乏しい
なおさらおまえさんが大嫌い

居座り続けて檄飛ばす
心に響かず反感招く
いまさらやっぱり嫌いなおまえさん

〔2021年9月15日書き下ろし。嫌いなおまえさんって誰かって? 誰かな?〕

83歳が描く終活の里づくり

NPO法人理事長Y氏のビジョンに 強いインパクトを受けた
御年83歳は いまも矍鑠(かくしゃく)としてリーダーシップを発揮する
登別市内で 地域食堂「ゆめみーる」を仲間とともに運営する
いまはフードバンク事業を興し 母子食堂を構想企画する
食堂の2階は 子どもたちの学習室
隣の空き家を 子どもの遊び場に開放する
地域で子育てしようと 子どもを大事にしてきた法人だ
「実は500坪ほど隣に土地を買ったんですよ」

案内されて現場に立った
古い家屋も解体し 更地にしていた
「ここに老人の終の住処を建てようと思ってるんです」
「老人アポートのようなもの?」
「立派な家にいても、一人ぼっちになって寂しい思いをしている人がずいぶんいます。空き家にするところも目立ってきてます。いっそ元気なときに断捨離で財産整理をして、同じような境遇の人たちと肩寄せ合って暮らすのもいいかなと。墓じまいではなく家じまいですね。そんな人を対象に、終活の家を建てようかと考えてるんです」
「すごい! サ高住よりも自立性が高くていいですね」
「アパートでも戸建てでもいいんですが、人生の残された時間を穏やかに過ごす小さな家づくりです」
「食堂もあるから、自炊が難しくなったら食事のことは心配ないですね」

こんな暮らし方を求める人がいれば 近い将来実現するだろう
子どもらの声を身近に聞きながら 一緒に時を過ごす
独り身なのか 夫婦世帯なのかで 家の大きさも違ってくる
戸建てを 横につなぐ回廊をつけるのも楽しい
支援が必要になれば NPO法人の仕事づくりにもなる
隣の畑も活用できると Y氏のビジョンは広がる
木立に囲まれた更地に いつか終活の里が実現する
更地に立って 二人で空想を巡らした

「ただ私もそろそろ自分の終活を始めなければなりません」
このビジョンを引き継ぐ人たちが 新たな在宅福祉を創る担い手となる
83歳は 「ゆめみーる」現場のいまも福祉人だと痛感した
敬愛してやまない先駆者の生き様とビジョンを 強く心に刻んだ
久しぶりの里帰りは 突き動かされる熱いものに満たされていた

〔2021年9月14日書き下ろし。発想も行動も凄い! 圧倒されます〕

老爺心お節介情報/第30号(2021年9月6日)

「老爺心お節介情報」第30号

Ⅰ 「新型コロナウイルス感染症特例貸付に関する社協職員アンケート報告書」(2021年8月、関西社協コミュニティワーカー協会)の感想

〇以前から、兵庫県社会福祉協議会の広報紙に掲載されていた特例貸付に関する社会福祉協議会職員の取組の姿勢、考え方に共感しており、私の知っている関係者にもそれを情報共有させてもらってきていた。
〇また、同じような思いから、私が関わっている富山県や香川県等の関係者に、この特例給付事業を単なる“貸付”に終わらせることなく、この事案は社会福祉協議会にとって“宝の山”と考えて、これらの問題に対応できるように社会福祉協議会の活動、組織を見直すべきだと言い、特例給付関係の資料の整理の必要性を述べてきた。
〇この報告書の「自由記述欄」に書かれていることは、まさに社会福祉協議会の活動のあり方を考え直すヒントがたくさんある。新型コロナウイルスの件に伴う生活困窮の問題は、かつて1960年代に江口英一先生が指摘していた「不安定就業層」の問題であり、それがリーマンショックの時と同じように、顕著に表れたと考えている。この対策は、経済的支援の問題が最も重要ではあるが、それ以外に、今日の生活困窮者自立支援法で問題にしている課題や地域でのソーシャルサポートネットワークの脆弱性にも社会福祉関係者は目を向けるべきである。その点を社会福祉協議会関係者が最も関心を寄せるべき点であり、その上で、それらの課題にどう対応してきたのか、反省も含めて組織のあり方を考え直すべき課題であると思っている。その点で、P.128~9の自由記述の欄の内容とP.144の第1章のまとめ、P.150の第2章のまとめとの間にはやや齟齬があると思えた。経済的給付に関わる制度及びその対応体制の問題と“生活困窮を抱えている人へのソーシャルワークアプローチ”とは、意識して分けて考える必要がある。私は、後者の問題を重視し、そのソーシャルワークアプローチができないと、今後社会福祉協議会は生き残れないと考えている。それらの点について、大いに論議したいものだと思った。

Ⅱ 『生活クラブ千葉グループの挑戦――生協がなぜここまでやるのか』(2021年8月、中央法規、2000円)の感想

〇従来の消費者生協とはやや異なる発想で、住民の多様な生活課題に対応してきた「生活クラブ生協」の実践をまとめた本である。千葉県の生活クラブ生協の実践は、2000年代以降の千葉県における地域福祉に大きな影響をもたらした。時あたかも、労働者協同組合法が2020年12月に議員立法で成立し、2022年末までの施行となる。
〇韓国、ソウル市で実践している「ソンミソン」の実践も、一定地域に集積して、医療、芸術、コミュニティカフェ、学校などの多様な活動を重層的に、生協組織として展開している。ある意味、「コミューン」のイメージがあるとみてきましたが、それと同じような発想で生活クラブ生協は活動を展開しているのではないかと思った。

Ⅲ 『伴走型支援――新しい支援と社会のカタチ』(奥田知志・原田正樹共編著、有斐閣、2000円、2021年8月)の感想

〇生活困窮者支援法や地域共生社会政策作りに関わった研究者、実践家の“思い”が凝集された本である。社会福祉協議会関係者、地域福祉研究者は是非学んで欲しい。
その感想の一端を記しておきたい。

(1)生活困窮者、生活のしづらさを抱えている人を発見し、その人々との「つながり」を作り、信頼関係を構築して支援していく姿勢、哲学、関わり方の際の言葉遣いなどに込められた気持ちには学ぶことが多々ある。
(2)そのうえで、強いて述べるとすれば、ソーシャルワーク実践としての支援において、かつ地域福祉研究として深めなければならない点が幾つかある。

①生活のしづらさを生み出す社会的要因と個々の生活のしづらさを抱える人の問題とが、やや安易につなげて論じれている。同じ、社会的要因の中でも、その影響を“受けている”人は、どのような関り、個別要因が働いてそのような状況になったのかを丁寧に分析する必要がある。マス、マクロとしての社会的要因が、ある人には影響がさほどでなく、ある人には厳しく働いてしまう点へのアプローチ、分析を丁寧にする必要がある。そのことは、生活困窮者や生活のしづらさの“事象”を問題にするだけでなく、それらの問題を抱えている人の個人的要因とその人の置かれている社会的環境、要因との接点に関わるというソーシャルワーク実践の根幹の問題である。
②ソーシャルワーク実践には、生活のしづらさを抱えている人の生きる希望、生きる意欲、生きる見通しを引き出し支援する機能があり、戦前においてはそれを“積極的社会事業”として位置づけていた。このようなソーシャルワーク実践の歴史に触れることなく、“新しい支援”というのは、ソーシャルワーク研究をしてきたものにとっては悲しい。社会福祉の歴史も含めてソーシャルワークをきちんと学んで分析することが研究者としての務めである。
③「新しい支援」はどういうシステムで行われるべきなのか、その点での論述がない。「社会のカタチ」という言葉を使っているが、それはどのようなシステムを通して具現化されていくのか、地域福祉研究としては考えていかねばならない課題である。とりわけ、生活のしづらさを解決するために、厚生労働省も言っている参加支援、地域づくりをも考えた重層的支援では、地域におけるソーシャルサポートネットワークの構築に関わることが重要であると筆者は考えているが、それが「社会のカタチ」につながると思うのだが、論述がない。このことは、①の論点ともつながる。
④生活のしづらさの“事象”は、「ホームレス」(ハウスレスとは違う)やごみ屋敷といった“事象”に現れ、それを解決するために支援を展開することになるが、それらの“事象”を抱えている人の「生きづらさ」の実態、事象と「生きづらさの理解」(向谷地生良)はどれだけ深められて、かつ関係者の共有化が図られているのであろうか。その「生きづらさ」は、その人の生育過程にかなり関わる場合もあるし、その人の生活技術能力・家政管理能力との関りもある。また、それは、その人の人間関係、社会関係の持ち方にも関係があるのか、それとも自己表現能力との関りや自分の気持ちの言語化に問題があるのかといった要因が十分に分析(アセスメント)されず、“事象”の解決だけに目がむいてしまうことは、①の論点とも関わるが、ソーシャルワーク実践としては如何なものであろうか。
生活のしづらさを抱えている人々の特色的概況を社会福祉関係者が情報共有したうえで、個々の事案に“レッテル貼りで臨む”のではなく、その人の個人をよくアセスメントして対応することが肝要なのではないか。

(3)コミュニティソーシャルワークの特色は、生活のしづらさを抱えている人(経済的困窮者への経済的給付だけでは解決できない人、在宅福祉サービスなどの非貨幣的ニーズへのサービス提供(三浦文夫)だけでは解決できない“問題”を抱えている人)の“問題解決”(課題解決とは違う)において、制度化されたフォーマルケアサービスを最大限に活用しつつ、それと住民が有しているインフォーマルケアとを“有機的に結びつけて“支援を展開するところに特色がある。
したがって、コミュニティソーシャルワークは“個別支援と地域づくり”ではなく“個別支援を通して、その問題と切り結ぶことによる地域づくり、地域住民の意識変容を図る営み”である。そこがコミュニティワークとも違うところであるし、“地域を基盤としたソーシャルワーク”とも違うところである。
生活のしづらさを抱えた人への重層的支援の重要なポイントの一つは、この個別支援を通じて、その人の地域生活支援と社会活動支援を展開する上での地域のかかわり方、社会のかかわり方を変えていく営みである。

Ⅳ 雑感

〇このところ、司馬遼太郎の『峠』(新潮文庫、全3巻)や『山田方谷伝』(宇田川啓介著、上下、振学出版)、『山田方谷』(童門冬二著、学陽書房)を読んだ。幕末の混乱期に老中を勤めた藩の家老を勤めた山田方谷と河井継之助に関わる小説である。『峠』は越後長岡藩の河井継之助を取り扱ったもので、『山田方谷伝』、『山田方谷』は備中松山藩の山田方谷を取り扱っている。
〇これらの本を読んでいて、驚いたことは、幕末の歴史に登場している人間、例えば勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、大久保利通らは、相互に訪問して、交流をしている関係にあったということを改めて認識させられた。幕末の力学に関しての自分の無知ともいうべきことを痛感した。江戸時代という交通が不便な時代に、お互いが切磋琢磨して、意見を戦わし、情報を収集し、行動規範を求めていたことは本当の驚きであった。
〇と同時に、福沢諭吉の『西洋事情』が当時15万部ともいわれるほど刊行されており、 多くの識者が“西洋事情”を知りながら、“尊王攘夷”を掲げた意味等を改めて考えさせられた。と同時に、地域づくりの持つ意味も考えさせられた小説であった。

Ⅴ シルバー産業新聞連載第9回

『地域共生社会づくりに必要な
新しい地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワーク』

「地域共生社会政策」の理念である全世代対応型重層的・包括的支援を展開していくためには、新たな地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワーク機能が必要になる。
新しい地域包括ケアシステムの構築には、現在の介護保険法に位置づけられ、全国に約4500ある地域包括支援センターが改組・発展整備されることが最も可能性のある取組であると筆者は考えている。
既存の地域包括支援センターは、市町村を基盤としつつ、日常生活圏域毎に既に設置されており、重層的支援の一つのシステムとして構築されている。その名称が“高齢者包括支援センター”でなく、“地域包括支援センター”と命名されたのは、厚生労働省の担当者がいずれは高齢者のみならず、子ども・家庭支援、障害者支援をもできるように考えて命名したと仄聞している。
市町村圏域では、障害者分野の支援における障害者相談支援専門員制度があるし、母子保健分野では子育て世代包括支援センターの制度等があるが、これらは日常生活圏域毎の展開にはなっていない。福祉サービスを必要としている人や家族の困りごとが、縦割りの社会福祉行政でたらい回しにされず、かつ家族全体の抱える問題に対し日常生活圏域においてワンストップで対応するシステムとして既存の地域包括支援センターを改組することが最も近道であり、それにより住民の距離的、心理的福祉アケセシビリティは格段に飛躍する。
新たな「地域包括支援センター」システムの運営においては、現在属性分野ごとに、かつ制度ごとに、その担い手である職員の養成・研修を行っている仕組み自体を変え、新たな「地域包括支援センター」を担える職員(ソーシャルワーカー)を育てなければならない。
筆者は予てより、日本には社会福祉行政を含めて社会福祉実践を担う分野横断的な一元的職員論がないことが問題であると指摘してきた。その職員は、地域自立生活を支援するために、地域のあらゆる社会福祉問題に最低対応できるジェネリックソーシャルワークによる職員養成が必要であると指摘してきた。と同時に、そのソーシャルワークを展開できるシステムを市町村に構築する必要性も指摘してきた(註)。
市町村の日常生活圏域ごとに構築される新たな「地域包括支援センター」には、従来にない新たな機能であるソーシャルワーク機能、とりわけコミュニティソーシャルワーク機能を遂行するできるシステムを構築することが求められている。
それは、①相談を持っているだけではなく、アウトリーチによる問題発見ができるシステム、②サービス提供だけでなく、伴走的、継続的支援ができるシステム、③複合的問題に対応する専門多職種のコーディネート機能ができるシステム、④住民のインフォーマルケアの力を醸成し、福祉サービスを必要としている人の個別問題解決につなげるコーディネート機能などである。
ところで、地域共生社会の理念である福祉サービスを必要としている人を孤立させず、それらの人々が地域から蔑視、排除することなく、地域、社会においてそれなりの役割を担い、社会的に評価される重層的、包括的支援を展開することが今喫緊の課題として求められている。
それを実現していくメルクマールは、福祉サービスを必要としている人や家族のソーシャルサポートネットワーク(情緒的支援、手段的支援、情報的支援、評価的支援の4つの機能)を地域で個別課題毎にどれだけ構築できるかである。
しかも、地域で暮らす単身の高齢者や障害者が増大していく中で、従来家族に依存していたゴミの分別、各種契約書類や行政からの書類の管理・申請手続き、預貯金の管理、時には入退院等に際しての保証人の有無、更には看取りや葬儀、遺骨の取り扱い等の終末期ケアが日常生活圏域で社会的システムとして必要になってきており、新しい「地域包括支援センター」では、それらの課題にも対応することが求められている。
新しい「地域包括支援センター」に求められる機能を端的に述べるならば、「福祉サービスを必要としている人のナラティブを尊重した社会生活モデルに基づき、ICFの視点でケアマネジメントの手法を活用したコミュニティソーシャルワーク機能」であり、そこでは制度化されたフォーマルなサービスと近隣住民のインフォーマルケアとを有機化させる機能がシステムとして不可欠である。
筆者は、このような機能が求められる新しい「地域包括支援センター」ではコミュニティソーシャルワーク機能が必要であると考え、その養成・研修を全国各地で展開してきた。
これらのコミュニティソーシャルワーク機能の実践を展開していくためには、地域を基盤として成り立つ社会福祉法人としての市町村社会福祉協議会が大変重要なポジションにある。
全国の市町村社会福祉協議会が、これらの課題に堪えられるように、現状の“行政以上に官僚的な組織で、硬直した姿勢”と揶揄される状況からどう脱皮し、社会福祉協議会の組織としても、職員個々人の資質としてもコミュニティソーシャルワーク機能を具現化できる力量をどう高めて、新たな「地域包括支援センター」の一翼を担えるかが大きな課題である。
全国的には、「まるごと相談員」やコミュニティソーシャルワーカーを日常生活圏域に配置して、その取組を展開している市町村社会福祉協議会がみられるが、全体的には未だ十分とは言えない。福祉サービスを必要としている人を地域から排除せず、地域で包摂できるようにするためにも、ソーシャルサポートネットワークを身近な地域で構築できる可能性を秘めている市町村社会福祉協議会への期待は大きい。

(註)筆者は日本学術会議の第1部会員をしている2003年に、「ソーシャルワークを展開できる社会システムづくりへの提案」を日本学術会議の対外報告として取りまとめ、全国の市町村に配布をした。

(2021年9月6日記)

アベ化警戒発令中

民主主義崩壊前線が 日本列島を覆っています
北から南にかけて ただいまアベ化警戒発令中です
特に山あり田畑あり海ある地方は 警戒してください
ヒョウ(票)が降って 地場産にダメージを与えるでしょう
危機を感じたときには ためらわず非難してください
都市部は 無関心層が上空を覆ってバリアになっていますが
曖昧な一部では 忖度注意予報が出されています
一時金品が飛び交う場合には 大きめのバッグを準備してください
日時と氏名と物量を記載の上 音声と共に保管してください
警戒が解除になった場合に 潔白を証明するブツになるでしょう

バカバカしくて メインがない総菜前選です
派閥のドンの成り行き次第で 雲行きが危ぶまれます
アベ化を叫ぶ三つないし四つの低気圧が 発達します 
複雑に入り込んで前線を形成し 月末にかけてさらに発達するでしょう
終盤 温暖と寒暖が交差する首都圏は特に警戒が必要です
風向き次第で その後の日本の成り行きを左右するとの大方の予想です
他方でお祭り騒ぎもどきで収束するとの 楽観的な予想もあります
どちらにしろ ジタバタしても仕方のないことです
腹をくくって 台風の目が育つのをじっくり待ちましょう

〔2021年9月12日書き下ろし。いま雷と大雨と強風が一気に窓を打った。小粒でインパクトのない総裁選は、ゴマすりごっこを見せつけられて辟易する〕

涙は乾かない

9・11から20年
ミャンマーの軍政の容赦ない制圧
香港の市民活動家を弾圧する鉄槌
世界はコロナに紛れて 凄惨な人民闘争が始まる
独裁者たちに犠牲を強いられ 逃げ惑うのは女と子ども
涙は乾き間もなく 阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄を見る

アフガンは またも恐怖が支配する
銃を手に タリバンが市民を威嚇する
逆らう者を 情け容赦なく掃討する
アルカイダは ジハードの下に市民に紛れ自爆する
涙は拭う間もなく 世界に怒りと失望が広がる

米国は テロとの戦いを熱狂的に支持した
日本は 自衛隊を後方支援で出動させた
莫大な戦費と甚大な犠牲は 平和一つ残せなかった
戦地に流れた涙は 乾くことさえ許されなかった

平和ボケした日本は 社会の分断と経済格差を放置する
戦争の悲惨さを知らぬ者たちが 政治を蹂躙する
核の非道さを知ってもなお 政治家は嘯(うそぶ)く
恐怖や不安を煽る政治は 国防意識を防衛費に上乗せする 
不都合な事実を隠蔽する政治家は 不信を増殖させる
借金地獄の財政は 悪化するばかりで制御不能に陥る
弱き者たちの涙は 政治への小さな抵抗と知るよしもない

子らの明日を剥奪する政治は 暴走しはじめる
子らの流す涙は乾く間もなく 希望が遠ざかる
アフガンやミャンマー そして香港の子らのように

〔2021年9月12日書き下ろし。右翼の台頭を隠さぬ総裁選。それぞれの主張の中に見え隠れする「戦争できる国づくり」に加担してはならない。支配者は、銃は持たない〕

キッズボランティアのその後

9・11 20年前のこの日 
テロで犠牲になった多くの御霊に 哀悼の意を表します
テロリストを統(す)べる者を 厳しく糾弾します

9月 介護スタッフの求人を出した
市内の女子高校生が二人 早々に施設に来た
手には エントリーシートを持っていた

一人は 小学生の頃施設でボランティアしたという
キッズボランティアOGだった
いまは コロナ禍で子どもたちの活動はストップしてる
幼稚園児から小学生まで 200人近くが登録してる
放課後 いつでも好きなときにやってくる子どもたち
介護士の小さなお手伝いボランティア
1時間程度の活動が 子どもには楽しげだ
入所者も嬉しそうに 子どもの様子を見守る

施設長は オープンチャットで全職員におもいを伝えた
コロナのおかげで 瞬時に情報共有できるツールとなった
グッドニュースも みんなで分かち合えるのがいい

子どもの頃から福祉を体験してもらうことで
将来福祉を志す若者が増える
本当に素晴らしいことです

続けて 職員への感謝を忘れない 
大変な業務の中 子どもたちを受け入れてくださる
スタッフの皆さんに 感謝します

さらに活動支援へのモチベーションを高める
コロナ禍ではありますが
何かできることを考えましょう

福祉教育の担い手が 今日も現場で汗する
働く後ろ姿は 子どもに大事なメッセージを伝える
次世代へ 福祉の心と手をつなげる介護士たち
その社会的使命感を太くする エピソードが生まれた日
理事長はスマホを見せながら 素直に喜びを語った
エントリーしてきた子の 適性を願わずにはいられなかった

テロはいのちの冒涜であり こころと文化の破壊である
子どもはいのちの希望であり こころと文化の創造である
子どもの夢は明日の世界であり 新しい時代を開く力である

福祉の入口に立った高校生らへ 熱くエールを贈りたい

〔2021年9月11日書き下ろし。心配事が消えた朝。昨日聞いたいい話。やっぱり子どもらが福祉やボランティアに関心を持つのは嬉しい。それを支える現場があってのことかと〕

期待と信用

早期の緊急事態宣言解除
期待はしてない
期待はするなって 
誰もがそっとつぶやく

野党の政策協定
信じていない
信じるなって
外れたボスが嘲笑(あざわら)う

自民の総裁選ごっこ
期待はしてない
期待はするなって
猿山のボスらがほざく

人気に頼る総選挙
信じていない
信じるなって
当落は己の沽券でしかない

ダメ出しするリベラルたち
期待はしてない
期待はするなって
正論では誰も動かぬ

居残った老獪なボスたち
信じていない
信じるなって
落選の嘆き節が聞こえた

選挙後の自民の政治
期待はしてない
期待はするなって
新リーダーは手のひらを返す

〔2021年9月9日書き下ろし。猿山に群れるボス選びの遊びに、つきあわされるのは苦痛だ〕