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老爺心お節介情報/第23号(2021年3月25日)

「老爺心お節介情報」第23号

〇桜の季節なのに、気分は今一つすっきりしない閉塞感のある日々ですが、皆さまお変わりありませんか。
〇人事異動の季節で、ちらほら聞こえてきますが、もし変更があったら教えてください。
〇 例によって、「老爺心お節介情報」第23号を送ります。
〇くれぐれもご自愛の上ご活躍下さい。

Ⅰ 地域福祉実践現場で行われる講演・研修の「講師」の立ち位置と地域福祉研究者の「バッテリー型研究」を行う必要性

私は、1960年代、東京都三鷹市で中卒青年等を対象とした青年学級の講師を約10年間担当した。その際に、青年たちから投げかけられた言葉はいまでも忘れられないし、忘れてはいけないと“自虐”的と思えるほど意識して研究者生活をしてきた。
その言葉は“あなたたちが大学院に進み、研究できているのは我々の税金があるからではないのか。我々は、勉強したくても家が貧困で高校へも行けなかったし、大学へも行けなかった。だから、この青年学級で学んでいる。あなた方の奨学金も我々の税金で賄われているのではないのか。そいうことを考えてあなたは生活し、研究しているのかという”問い掛けであった。
当時は、東大紛争もあったりして、このような言葉がだされたのだと思うが、この言葉は自分にとって大変身に堪えた。そうでなくても、日本社会事業大学を進路として選択する際に、そのような考えを自分でしていたものの、直接、面と向かって、このような言葉を投げ掛けられると身に堪えた。それ以来、ディレッタンティズム(もの好き)で研究するのではなく、社会に貢献できる研究者になろうと誓った研究生活であった。
そんなこともあり、私は講演や研修を依頼されると、常に参加者にどのような“お土産”を持って帰ってもらうのか、参加してよかったと思える“成果”をどう提供できるのかを考えてきた。
また、講演や研修等の頂いた機会にその地域、その組織、その自治体から何を自分が学ぶかということを常に考えてきた。それは自分自身の学びであると同時に、参加者への“お土産”の素材を掴むことにもつながっていた。
その際の私の姿勢として、自分が学んだことや自分が知っている情報を“分かち与える”という、ややもすると“上から目線”になりがちな“教える”ということではなく、参加者がこれから考える糸口、課題を整理し、学びへの関心、興味を引き出せるような契機になればということを常に意識してきた。それは、言葉で優しく言うとか、言葉で励ますとかいうことではなく、参加者が主体的に考え、行動に移したいと思えるような問題の整理と課題の提起を志すことであった。
一方、私は1985年1月に『高齢化社会と教育』を室俊二先生と共編著で上梓した。それに収録された論文の中で、生涯教育、リカレント教育、有給教育制度等に触れながら、これからは高学歴社会と高度情報化社会が到来し、従来のような知識“分与”的、情報伝達的教育や研修は変わらざるをえないことを指摘した。
今、文部科学省はアクティブラーニングの必要性をしきりに強調しているが、それはかつて社会教育が青年団を中心に提唱してきた「問題発見・問題解決型協働学習」で言われてきたことと同じである。
このような状況のなかで、地域福祉研究者は、気軽に“地域づくり”、“地域共生社会”づくりというが、どのような立ち位置で研究し、どのような立ち位置で講演や研修に臨んでいるのであろうか。
他方、筆者は地域福祉実践をしている現場の方々と“バッテリーを組んで”、その地域、その自治体、その社会福祉協議会をフィールドにして研究を行ってきた。そして、その研究は一時的なものではなく、長期に亘り、継続的に関わることによって行われるべきものだと考えてきた。
地域に住んでいる住民は、移転、移住しようにも、先祖伝来の土地、「家」のしがらみの中で生きており、気軽に移動できない状況を十分理解しないままに、外部から入り、外部の目線で“気軽に”地域づくりを言い、短期で関わりを切ってしまう研究方法は、あたかも住民の方々を弄ぶかのように思えていたからである。
筆者は、1970年に現在の東京都稲城市に移住し、地域活動を始めたが、それ以降、よほどのことが無い限り、この稲城市を離れることをしまいと決意を固めた。“地域づくり”を言うということは、それだけの重みのある取組であるべきだし、そうでないと住民の方々は納得してくれないと思ったからである。現に、そのような指摘は各地で幾度も聞いたし、聞かされてきた。
そんなこともあり、“バッテリーを組めた地域”には、長い地域では40年間のお付き合いをさせて頂いている地域もある。
ところで、このような文章を書いたのは、まさに「老爺心お節介」の最たるものかもしれないが、最近目にする論文等を読んでいて、研究者自身の立ち位置を明確にしないままに、取り組まれている実践を評価、紹介しているものが多く、地域福祉研究者として“一種の研究倫理”に抵触しているのではないかと思う論文を散見するからである。全国のいい実践は、大いに紹介し、情報共有化がおこなわれてほしいが、その場合でも紹介なのか、評論なのか、自分の学説の論証に使うのか等その位置づけは明確にしてほしいものである。しかも、その実践のアイディアは誰が出したのか、参与観察をするならばどういう立ち位置で行うのかを明確にする必要がある。最近、政治学の分野で「オーラルヒストリー研究法」が活用されているが、ある政策、ある実践がどういう形で企画され、政策化されていくのかを、その過程の力学も踏まえて研究が進められている。地域福祉研究においても、同じような研究の枠組みを作る必要があるのではないかと考え、この拙稿を書いてみた。

Ⅱ 「シルバー産業新聞」連載3月号添付

Ⅲ コミュニティソーシャルワーク研修モデルプログラムと関係シート添付

# このプログラムの整理には、富山県地域福祉部魚住浩二さんにご尽力頂いた。

Ⅳ 市民福祉教育研究所を主宰している阪野貢先生(元中部学院大学教授)が開設しているブログに「大橋謙策の福祉教育論」のコーナーが開設されたそうです。興味のある方は検索してください。

添付資料
シルバー産業新聞連載記事第3回

「ナラティブ(人生の物語)を大切にする自立支援」

筆者は、1970年頃から、社会福祉学研究、社会福祉実践において労働経済学を理論的支柱にした経済的貧困に対する金銭給付と憲法第25条に基づく最低限度の生活保障の考え方では国民が抱える生活問題の解決ができず、新たな社会福祉の考え方が必要であると考え、提唱してきた。
筆者が考える社会福祉とは、その人が願うその人らしさの自立生活が何らかの事由によって阻害、停滞、不足、欠損している状況に対して関わり、その阻害、停滞、不足、欠損の要因を除去し、その人の幸福追求、自己実現を図れるように対人援助することだと考えた。
その場合の“自立生活”とは、古来から“人間とは何か?”と問われてきた課題を基に6つの要件(ⅰ)労働的・経済的自立、ⅱ)精神的・文化的自立、ⅲ)身体的・健康的自立、ⅳ)生活技術的・家政管理的自立、ⅴ)社会関係的・人間関係的自立、ⅵ)政治的・契約的自立)があると考えた。と同時に、それらの6つの「自立生活」の要件の根底ともいえる、その人の生きる意欲、生きる希望を尊重し、その人に寄り添いながら、その人が望むナラティブ(人生の物語)を一緒に紡ぐ支援だと考えてきた。
戦前の生活困窮者を支援する用語に「社会事業」という用語がある。この「社会事業」には、積極的側面と消極的側面とがあるといわれてき、その両者を統合的に提供することの重要性が指摘されていた。積極的側面とは、その人の生きる意欲、希望を引き出し支えることで、消極的側面は生活の困窮を軽減するための物質的援助のことを指していた。消極的側面は、気を付けないと“人間をスポイルする”危険性があることも懸念していた。
現在の民生委員制度の原型を1918年に大阪で創設した小河滋次郎は、“その人を救済する精神は、その人の精神を救済することである“として、「社会事業」における積極的側面を重視した。しかしながら、戦後の生活困窮者を支援する「社会福祉」は積極的側面を実質的に“忘却”してしまい、物質的援助をすれば問題解決ができると考えてきた。
憲法第25条の最低限度の生活保障では消極的側面の対応でよかったのかもしれないが、憲法第13条に基づく幸福追求の支援ということでは、高齢者のケアであれ、障害者のケアであれ、生活困窮者の支援であれ、その人が送りたい“人生”、その人が願う希望をいかに聞き出し、その人の生きる意欲、生きる希望を支え、伴走的に支援していくことが求められる。
従来の社会福祉学研究や社会福祉実践では、「療育」、「家族療法」、「機能回復訓練」などの用語が使われており、その人らしさの生活を尊重し、支援するということよりも、ややもすると専門職的立場からのパターナリズム的に“問題解決”を図るという目線に陥りがちであった。
また 従来の社会福祉学や社会福祉実践では、よくアブラハム・マズローの「欲求階梯説」が使われが、この考え方も気を付けないといけない。アブラハム・マズローがいう生理的欲求、安全の欲求、愛情と所属の欲求、自尊と承認の欲求、自己実現の欲求の6つの欲求の項目の意味は重要であるが、それらの項目において、下位の欲求が満たされたら上位の欲求が生じるという“欲求階梯説”はどうみてもおかしい。人間には、自ら身体的自立がままならず、他人のケアを必要としている人であっても、当然その人が願うナラティブ(人生の物語)があり、それを自己実現をしたいはずである。
その際、福祉サービスを必要としている人自らが自分の希望、欲求を表出できるとは限らない。福祉サービスを必要としている人の中には、さまざまなヴァルネラビリティ(社会生活上のさまざまな脆弱性)を抱えている人がおり、自らの願いや希望を表出できない人がいる。更には、障害を持って生まれてきたことで、多様な社会体験の機会に恵まれず、一種の“食わず嫌い”の状況で、何を望んだらいいのかも分からない人という生活上の“第2次障害”ともいえる状況に陥っている人もいる。このような人々の場合には、その人の“意思を形成する”ことに関わる支援も必要になってくる。
まして、福祉用具のような、新しい領域では、どの福祉用具を使用したら、自分の生活がどのように変容するのかのイマジネーション(想像性)をもてない人がいる。そのような人々に対し、イマジネーションがもてるようにし、新たな人生を作り出すクリエーション(創造性)機能も重要な支援となる。
従来の社会福祉実践は、福祉サービスを必要としている人の「できないことに着目し、それを補完する目的で、してあげるケア観」に陥りがちであった。幸福追求、自己実現を図るケア観に立つと、福祉サービスを必要とする人の「できることを発見し、それを励ますケア観」が重要になる。
社会福祉実践は、その人の生育歴におけるナラティブ(narrative:身の上話、経験などに関する物語)に着目し、その人が望む人生を創り上げるナラティブ(出来事などに関する物語、語ること)に寄り添い支援することが求められている。(2021年2月14日)

(2021年3月25日記)

 

真剣なまなざし~道民児連民生委員児童委員初任者研修レポート その1

90分の初任者研修が始まった
民生委員になって 1年前後の14名が参加した
道独自のコロナ感染対策の影響で
道内で実施予定の研修は すべて中止となった
規制解除のお陰で 1年ぶりに再開した

本来研修は グループワークを中心とした
130分のワークショップ形式で 実施してきたものである
感染予防が徹底されて ようやく実施にこぎ着けた
受け入れた市民児協関係者の熱意と誠意ある協力に感謝したい
また今回は 市内の地域単位の民児協の役員も参観してもらった
この研修プログラムが新任だけではなく 現任者にも活用できるのではないか
その可能性を見極めていただくために 10名の役員に足を運んでもらった
さらにこのプログラムを一般化して
単位民児協でも活用できる「研修マニュアル」を作成するために
登別市社協から二人の若手社協マンに協力を依頼し 参観してもらった
学びに対する若い感覚と 社会福祉士としての専門性をもって作成に挑む

人間関係を円滑にするために情緒性をいかに高めるのか
活動へのモチベーションをいかに高めるのか
個々が問題意識を確かめながら課題を明らかにする
テキストに自作の40編の詩が用意された
ただ 参加者同士の会話すらできなかった
学校形式に机が配置され 講義調にならざるを得なかったのだ

最初に〈8926〉という数字を板書した
毎日加算されてきたコロナで命を落とした人の累計である
数ではなく 一人ひとりの人生に心馳せてほしいと願った
犠牲者の冥福を祈りながら
詩「さよならも言えずに」の朗読から始める

次の詩「背負い込んだ重さ」は 自己葛藤から始まる
この研修に参加するまで
たくさんの不安と疑問を抱えて 活動してきたであろう
せめて その心の負担を少しでも軽くして
先の見通しが立つのならと 小さなおもいを抱きながら
民生委員を引き受けた時の心境から 迫ることにした
しくじりの詩でもある
自身の気の重さが 相手の重さになることへの気づき
冷めた言葉が 相手の弱くなった心を刺すこと
事務的な対応が 相手の警戒心を高めること
相手に添うという 難しさを引き受けながら
少なからず 負担はなくなることはない
しんどい関わりから 与えられる人としての〈学び〉は
迷いに始まり 人の道へと誘い
情に始まり 情感を豊かに耕し
出会いに始まり 人生をさりげなく彩る

参加者の表情が少しずつ真剣味を帯びてきた
ようやく 60頁に及ぶテキストに入ってゆく
「情緒は私を支配する。論理よりも強く」(伊藤整)
そのことを確かめるために
情緒感を揺さぶる本題へと向かっていった

※「さよならも言えずに」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年12月8日アップ
※「背負い込んだ重さ」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年12月6日アップ

〔2021年3月25日書き下ろし。4ヶ月前に刷り上がった研修テキストのお披露目は、会場や時間、方法の制約の中でようやく実施された。その様子をレポートしていきたい〕

バスに乗る

子どものようだった
修学旅行にでも行くような気分で
バッグに荷物を用意した

子どものようにふるまった
手慣れた旅の支度も新鮮な気分で
バッグの荷物を確かめた

子どものようにはなれなかった
仕事ができる高揚した気分で
二つ目のバッグに書類を入れる

子どもにはなれなかった
1年ぶりの待ち焦がれた気分は
二つ目のバックにおもいも入れた

子どもにはできないことだった
遠くで待つ学ぶ人の気分を
二つのバッグに期待と一緒に詰めこんだ

子どものように
素直に楽しく学び合う気分を
二つのバッグが運んでくれる

都市間バスの人となる

〔2021年3月22日書き下ろし。今冬仕事が全てキャンセルされた。道の移動制限が解除されて初めて23日2泊3日の旅に出る。会えてよかったと言って頂ける仕事にしたい〕

阪野 貢/「民俗としての福祉」×「福祉教育の目的」―岡村重夫の「1976年論文」―

〇春が戻ってきた(内山節の「横軸の時間」)。筆者(阪野)は、定年を契機に、年金で生計を維持しながら、80坪ほどの農地で自家用野菜を育てる(「定年百姓」「年金百姓」になれるわけがない)家庭菜園者でもある。それが、「老人」(※)である自分の新たな生きがいやレクリエーションになっている。いまは、毎晩のように食卓に上がる“つみ菜”の春の香りを楽しんでいる。昨日(3月5日)は、春ジャガイモの植え付けをおこなった。

※民俗学者の宮田登(みやた・のぼる、1936年~2000年)は、『老人と子供の民俗学』(白水社、1996年3月)で、〈おい〉には「盛りを過ぎた」という語感がある〈老い〉と、「追加する」というイメージがある〈追い〉の二つがある。落ち目になっていくというマイナスの〈おい・老い〉を意味する前に、プラスイメージの〈おい・追い〉があった、という(5~6ページ)
※農(百姓仕事)は季節による単純な繰り返しの作業ではなく、自然を相手にした繊細で創造的な仕事である。アメリカの精神科医で老年学者のジーン・コーエンは、『いくつになっても脳は若返る』(野田一夫監訳、ダイヤモンド社、2006年10月)で、「創造性」は年をとるとより一層深まり、豊かになり得る。ガーデニングは「小さな創造性」が発揮しやすい分野である、という(225、227ページ)。

〇筆者の手もとに、安室知(やすむろ・さとる)の『都市と農の民俗―農の文化資源化をめぐって―』(慶友社、2020年2月)という本がある。この本では、「現代日本における農の存在意義について、生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度から捉え直し」ている。その際の切り口は、都市や農村における「農の文化資源化」である。「文化資源化」とは、「人が遺伝的に獲得したもの以外のすべてを文化とし、それを何らかの目的をもって資源として利用すること、および利用可能な状態にすること」をいう。安室にあっては「現代民俗学においては、文化資源化は避けて通ることができない問題である。現代において民俗伝承とされるものは、程度の差こそあれ、商品化や観光化など何らかの形で資源化されているといってよい」(9ページ)ここで筆者は、都市における「市民農園」とともに、無農薬・有機栽培野菜の商品化やグリーン・ツーリズム(農山漁村地域における滞在型の交流・余暇活動)、棚田のオーナー制度や観光などを思い出す。
〇筆者が暮らす岐阜県S市は、700年以上の伝統をもつ“刃物のまち”として知られている。まちには何故か、喫茶店と寿司屋が多い(筆者にはそう思える)。住民には、労働に追われることから、また家事時間の削減を図るために喫茶店で「モーニング」の朝食をとり、夕食を外食ですませる習慣があるのであろうか。それは、S市の刃物産業は部品製造業者と工程加工業者による社会的分業体制が採られていることから、零細企業や家内工業が多いことによると思われる。また、喫茶店や寿司屋は、コミュケーションや接待・商談の場となっているのであろう。
〇喫茶店の「モーニング」といった“日常の実際の暮らし”“人間の生”を民俗学の視点で探り、それを「ヴァナキュラー(vernacular)」と称して、「現代民俗学」(「現代学」としての民俗学)の研究対象とする本がある。島村恭則(しまむら・たかのり)の『みんなの民俗学―ヴァナキュラーってなんだ?―』(平凡社、2020年11年)がそれである。この本で、島村は、「ヴァナキュラー(俗)」について次のように定義づけている。「民俗学とは、人間(人びと=〈民〉)について、〈俗〉の観点から研究する学問である」。その際の「〈俗〉とは、①支配的権力になじまないもの、②啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの、③「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの、④(支配的権力、啓蒙主義的合理性、普遍主義、主流・中心意識を成立基盤として構築される)公式的な制度からは距離があるもの、のいずれか、もしくはその組み合わせのことをさす」(16、31ページ)。
〇別言すれば、〈俗〉とは、「対覇権主義的、対啓蒙主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的、対公式的な観点を集約的に表現したもの」(30、107ページ)である。それらの観点を持ち、それらの世界を研究対象とするのが「民俗学」である。島村によると、こうした観点や志向は、「日本の民俗学の基底部に確実に存在している」(29ページ)。なお、「覇権」とは「強大な支配的権力」(20ページ)を意味し、「啓蒙」とは「非合理的な世界にいる無知蒙昧な人を、明るい世界に導いて賢くすること」(17ページ)、「普遍」とは遍(あまね)く通用すること、を意味する。
〇周知の通り、「日本民俗学の創始者」と言われる人に柳田國男(やなぎた・くにお、1875年~1962年)がいる。その柳田民俗学に対して批判的な論陣を張る民俗学者に赤松啓介(あかまつ・けいすけ、1909年~2000年)がいる。筆者の手もとに、赤松の『差別の民俗学』(筑摩書房、2005年7月)という本がある。赤松は例えば、次のように批判する。「柳田系民俗学の最大の欠陥は、差別や階層の存在を認めようとしないことだ。いつの時代であろうと差別や階層があるかぎり、差別される側と差別する側、貧しい者と富める者とが、同じ風俗習慣をもっているはずがない。差別する側、富める者は、どうすれば自分の優位を示せるかを、いつの場合でも最大の関心にしている」(165ページ)。
〇赤松にあっては、民俗学は、伝承(「口頭伝承」「民間伝承」)や民俗に内在する階級性や差別論理と切り結び、それを読み解くことに意味があり、避けがたい必然がある。そして、日本社会の重層的な差別構造を見据えて、「解放の民俗学」を標榜し、「実践の民俗学」に執着する。赤松はいう。「一般の民俗学と、私たちの民俗学はどこが違うのか。権力や行政の民衆支配に協力するための調査、学術的研究のためという学閥的、また立身出世型のタネ探し、そうしたものがこれまでの民俗学であったといえる。(中略)解放の民俗学は、立身出世や金儲け、憐憫(れんびん。情けをかけること)などとは無縁のものである。あらゆる底辺、底層からの民俗の堀り上げ、掘り起こし、その人間性的価値の発見と、新しい論理、思考認識の道を開くということであろう。しかし、それは今後においても、とうてい平坦な道ではありえないのである」(116~117ページ)。
〇例によって唐突であるが、ここで想起されるものに、岡村重夫(おかむら・しげお、1906年~2001年)の論稿「福祉と風土―民俗としての福祉こそ基底―」がある。日本生命済生会社会事業局発行の雑誌『地域福祉』1976年3号(通巻121号)、1976年7月、4~9ページに掲載されている。岡村がそこで指摘することは、「われわれの社会生活や個人意識は、強く日本の風土によって規定される事実、従ってまたその共同生活を基盤とする社会福祉も、日本特有の風土性をもつという事実」(6ページ上段)である。
〇岡村はその論稿で、「民俗としての福祉」について概念規定はしない。ただ、福祉を「生活の次元」で捉えれば、福祉は風土によって規定され伝承された共同生活上の「生活の知恵」「生活の工夫」であり、「風土の産物」である、とする。次の一節を引いておく。

福祉とは、すぐれた人々の日常生活上の困窮に対する地域住民の共同的な援助に由来するものであると考えるならば、それは、人々の日常生活のいとなまれる環境、すなわち歴史的であると同時に空間的、自然的な風土との関連を無視することはできないであろう。社会福祉は政府の政策である以前に、すでに生活者が共同生活を守るために工夫した、いわば「生活の知恵」であった。(4ページ下段~5ページ上段)

主として輸入文化に支えられた官製社会福祉や専門家の社会福祉論と、民俗としての社会福祉も、また二重構造的に考えられるけれども、重要なことは、民俗としての福祉こそが基底となって、その上に社会福祉政策や社会福祉文化が消長するということである。福祉の風土とは、まさしくこの基底部分であると考えられる。そしてこの基底部分が掘りくずされ、分解しないためには、外来の上部構造に対して、生活者の見解を対置させ、近視眼的な専門家や法律を鋭く批判しなければならない。(9ページ下段)

〇古くは一番ケ瀬康子(いちばんがせ・やすこ、1927年~2012年)の指摘(「社会事業諸技術の文化的基盤」『社会事業』1958年2月号、全国社会福協議会)を引用するまでもなく、欧米の社会福祉やソーシャルワークの理論や思想、価値や倫理については、直輸入的に摂取し定着を図るのではなく、日本の文化や風土、日本人の国民性、社会構造や生活環境の特質などを十分に踏まえた日本的展開が求められる。ここで思い起こしておきたい。安易な輸入理論や思想(なかでも周回遅れのそれ)への依存には、十分注意すべきである。
〇ところで、「1976年」と言えば、岡村重夫の「福祉教育の目的」と題する論稿を思い出す。それは、伊藤隆二・上田薫・和田重正編著『福祉の思想・入門講座 ③福祉の教育』(柏樹社、1976年4月)の13~36ページに収められている。そこで岡村は、「福祉教育」は社会福祉の専門的知識や技術をもった福祉事業従事者を養成する「福祉専門教育」ではなく、一般市民の地域社会における福祉問題や社会福祉に対する関心を高めるものである(「福祉一般教育」)として、次のように述べている。

福祉教育の目的は、単に現行の社会福祉制度の普及・周知や「不幸な人びと」に対する同情をもとめることではなくして、社会福祉の原理ともいうべき人間像ないしは人間生活の原点についての省察を深めることであり、この省察にもとづく新しい社会観と人類文明の批判をも含まなくてはならないであろう。さらに言うならば、このような新しい社会観や生活観にもとづく具体的な対策行動の動機づけによって、福祉教育の目的は完結するものである。(19~20ページ)

〇そして、岡村にあっては、「真の福祉教育の目的」は具体的に以下の3点に集約される。そのなかで岡村は、次のように厳しく指摘する。福祉教育において「外在的な社会制度の欠陥を指摘する場合に、自分の内面的な偏見や人間観を自己批判することなしに、(あるいは)ひとの内面的文化を問うことなしに、単なる同情心や恩恵をよりどころとした『外面的福祉』の世論を造成することは、(それが)実現すればするほど福祉サービスの対象者は『気の毒なひと』として一般社会から疎外される結果になり終わり、福祉教育の目的は自己矛盾に陥らざるをえない」(34ページ抜き書き)。いまだに観念的な「福祉の心」や「思いやりの心」を育成する福祉教育が叫ばれ、その表層的な実践が展開されているなかで、改めて強く認識すべき指摘である。

(1)福祉的人間観の理解と体得
社会福祉は、その根底において独自の人間観に支えられねばならない。社会福祉の人間観は、社会的=全体的=主体的=現実的存在としての人間像である。この人間像の基礎にある仮説は、すべての個人が生活者であり、生活はいかなる場合にも、自己自身を貫徹してやまないということである。社会福祉の人間観は、抽象的に、あるいは観念的に「人格の尊厳」を主張するのではなく、具体的な生活者としての個人の重み、生活の重みを主張するものである。(31~32ページ抜き書き)
(2)現行社会制度の批判的評価
現在の社会制度によって福祉的人間性を無視せられ、そのような人間像による自己実現を妨げられている個人の生活実態を明らかにしなくてはならない。福祉教育の目的は、現行の社会制度から疎外され、「社会的・全体的・主体的・現実的な人間像」実現の機会を奪われている人が、どこに、またどれだけいるかを認識させることでなくてはならない。このことによって、福祉教育は、単なる人間観の教育よりすすんで具体的な教育目標をもつことができる。(33ページ)
(3)新しい社会福祉的援助方式の発見
福祉は本質的に社会福祉である。その「社会」とは、対等平等の個人によって形成される共同社会(コミュニティ)であり、社会福祉は、「慈善」や「施し」ではなくて、対等平等の個人が相互に援助し合う相互援助を本質とする。対等平等の個人が、全体的な自己実現の機会を提供されるように組織化された地域共同社会において、人びとはサービスの客体であると同時に主体にもなりうるような相互援助体系こそ、福祉的人間観から発展する新しい社会福祉体系である。その体系のなかで社会の果たすべき責任と個人の果たすべき責任とを明確にすることが福祉教育の第三の目的である。(35ページ抜き書き)

〇「民俗としての福祉」は、岡村の着想を手がかりに、今後洗練されるべき「形成途中の概念」(岡田哲郎)であると評される(福山清蔵・尾崎新編著『生のリアリティと福祉教育』誠信書房、2009年3月、180ページ)。また、「生活主体者の論理」を強調する岡村理論には、地域福祉の主体形成や福祉教育についての論究がほとんどみられないと言われる。そんななかで、「生活の知恵」「生活の工夫」としての「民俗としての福祉」という概念の明確化を図る。個人の社会生活の実態を生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度や位相から捉え直す。そして、それを基底として地域住民の「相互援助の地域共同社会」に対する理解やそれに基づく行動のあり方を問う。それがいま、「福祉教育」実践や研究に改めて求められるひとつの歴史的・社会的視点や認識であろう。岡村の「民俗としての福祉」と「福祉教育の目的」の「1976年論文」は、その点においても注目すべき論稿(論考)である。「民俗としての福祉」と「(市民)福祉教育」の親和性・関連性に留意したい。
〇「人間(「民」)が遺伝的に獲得したもの以外はすべて文化」であり、「俗」である。それゆえに、民俗学はすべての学問の基底に位置づく。民俗学は非普遍や非主流、非中心などの民俗事象を研究対象とする。それゆえに、民俗学は「グラスルーツ(草の根)の学問」とも呼ばれる。また民俗学は、普遍や主流、中心などとされる側の基準によって形成された知識体系を相対化し、それを乗り越える知見を生み出そうとする学問である(島村恭規、30、256ページ)。「民俗としての福祉」の延長線上に「福祉民俗学」が構想されるとすれば、それは一面においてこうした民俗学に通底するものであろう。そしてそこに、生活主体者としての一般市民に対する福祉教育の新たな論理が見出される、あるいは見出すべきであろう。
〇なお、「福祉民俗学」を提唱するひとりに柴田周二(しばた・しゅうじ)がいる。柴田にあっては、「『福祉民俗学』を提唱する主たる理由は、福祉文化の基礎としての自立と協同の人間関係の根底に存在する、福祉をうけることを権利とする個人の協同を支える小集団をいかに形成するか、あるいはそれが形成されるための課題は何かを探究することである」(『福祉文化研究』Vol.24、日本福祉文化学会、2015年3月、63ページ)。別言すれば柴田は、「福祉社会を支える福祉文化の基礎を個人の自立と協同の人間関係とそれを支える小集団の形成に求め、福祉文化のあり方を、制度面だけでなく、人々の生活態度の面から考察する学問を『福祉民俗学』として位置付け、その方法と課題について」考察する(『人間福祉学研究』第10巻第1号、京都光華女子大学、2017年12月、8ページ)。
〇また、六車由実(むぐるま・ゆみ)は、「介護現場は民俗学にとってどのような意味をもつのか?」、「民俗学は介護の現場で何ができるのか?」という二つの方向性から問題提起をしようとして「介護民俗学」を掲げる。その際の問題意識のひとつは、「民俗研究者が地域で行っている聞き書きや調査が、地域の高齢者の介護予防につながる地域資源になりうるのではないか」ということにある(『驚きの介護民俗学』医学書院、2012年3月、6、227ページ)。本稿の最後に、六車の次の一節を引いておくことにしたい。

これまで民俗学は、地域の民俗の保存とそれを使った地域活性化という点で、地域づくり、まちづくりには積極的に関わってきた。高齢化がますます進み、在宅介護が地域における切実な問題となる今後は、このように高齢者が地域で暮らしていくことを支える介護予防事業に関わっていくことが、実践的な学問である民俗学に対して求められていくのではないだろうか。/だが、一方で私は、「介護予防」という言葉に少なからぬ違和感を覚えている。/介護予防という言葉には、介護は予防されるべきもの、という考え方が露骨に反映されている。/要介護状態になることは人間にとっては誰しもが迎える普遍的なことであり、(中略)介護を問題化するのではなく、介護を引き受けていく社会へと日本社会を成熟させていく(ことが必要である。)/そこで私は、「介護準備」という言葉を使ってみたい。(227~228ページ)

謝辞
本稿を草するに際しては、日本福祉大学の副学長・原田正樹先生と付属図書館にご高配を賜った。記して感謝申し上げます。

感染リバウンドの兆し

菅首相は 再び緊急事態宣言を出さぬよう
しっかりと対策を行うのが 責務だという
責務を果たせず 感染を抑えられなかった 
懲りずに経済の立て直しと 一途に五輪を目指す

5つの対策を掲げるが 効果は期待薄か

1 飲食を通じた感染防止
春の陽気に誘われて 一旦緩むと戻せない
飲食店だけ規制をかけるが 不満と不安がやるせない
娯楽施設やスポーツイベント 緩い規制で五輪開催の環境づくりか

2 変異株の監視体制の強化
監視しているのか 見えない体制
保健所も行政も 検査と対応で手一杯
内地から来た変異株 これから道内席巻する
監視の先にある防疫体制の強化は あるやなしや

3 感染拡大の予兆をつかむための戦略的な検査の実施
戦略は 感染拡大を抑えるためにさまざまな視点から
総合的に技術や科学を動員することに尽きる
ならば問う
いままでの戦略は一体何だったのか
科学をご都合主義的に利用してきたツケが回っていく

4 安全・迅速なワクチン接種
欧州は変異株でリバウンドしている
ワクチンの輸入供給にも影響は必至
楽観的な情報を流して やってる感を演出する
開始の目処さえ曖昧で 確実性は先送り
いつまでに必要な接種が終わるのか
その目処さえも付けられぬ
迅速でがなく遅速を旨とすべきか
  
5 次の感染拡大に備えた医療提供体制の強化
日本医師会が その政治力を発揮する 
医師会は 会員に対し医療体制強化に強制力はない
いままでも散々やってきたはずなのに
なぜ体制が整備されないのか 
その要因は すでにお偉い方々には承知のはず
リバウンドに堪えきれぬいま 具体的にどうするのか
ベッド数より 医療者の離職対策にこそ注力しよう

5つの対策の なんと薄っぺらなことか
いままでの対策の 上書き程度で茶を濁す
宮城県を例に 地方からリバウンドが起きている
道内も長期対策期間が解除されて
内地から持ち込まれた変異株や
施設 病院 そして学生たちに広まるクラスター
解除前より数値は上昇して 下げ止まりを呈する

リバウンドの足音が
春の陽気とともに 大きく響いてきた

〔2021年3月22日書き下ろし。実行再生産数(一人が何人に移すのかの指数)が下がらぬままに、緊急事態を解除した。5つの対策で抑制できずにきたなかで、リバウンドは当然起こる。学習能力の低い者たちが、解散選挙に足早に備える〕

付記
緊急事態、2カ月半ぶり全面解除「まん延防止」視野に
政府は22日、新型コロナウイルス感染拡大に対応するための緊急事態宣言を約2カ月半ぶりに全面解除した。首都圏は飲食店への営業時間の短縮要請を1時間緩和し、午後9時までとする。新年度に向けて人出の増加が予想され、感染力が強いとされる変異株の広がりが懸念される。政府は宣言の前段階で集中的な対策を取る「まん延防止等重点措置」の発令を早くも視野に入れている。
飲食店に対する時短要請は宣言解除により、命令や罰則などの強制力を伴わないものになる。国や自治体は飲食店に引き続き感染対策強化を求めるが、実効性が課題になりそうだ。
(北海道新聞2021年3月22日)

『硯滴』に学ぶ―不肖の弟子の戯言と思い―


※硯滴:ケンテキ。硯(すずり)にたらす水。硯に水を注ぎ入れる水さし。

出典:大橋謙策「『硯滴』に学ぶ―不肖の弟子の戯言と思い―」『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月、71~81ページ。

先の景色を見る

ただただ辛かった
逃げ出しかった
投げ出したら どんなにか楽になるだろうか
捨ててしまったら どんなにか救われるだろうか

ただただ悔しかった
堪えられなかった
諦めたら どんなにか気が晴れるだろうか
見限ったら どんなにか気が済むだろうか

前に行のも 後ろに引くのも
もう無理だった
やめるにやめることもできず
腹をくくるしかなかった

男との関係が 強いストレスだった
上司にへつらい部下を見下す男は 有頂天だった
人格も感覚も価値観も 許し難かった
利己的で狡(こす)い男と 仕事するのは限界だった

男の卑劣なパワハラは 高圧的で攻撃的だった
脅され 中傷され 疎(うと)んじられた
人格は否定され 苦役以外なにものでもなかった
同僚は 累が及ばぬよう無関心を装った

男に退職を強要されながらも
見返してやろうと 意固地になった
反骨心だけが 唯一の支えだった
孤立無援の闘いが 続いた

胃はキリキリ痛み出し
食欲は減退し
寝ることも阻(はば)まれた
心の病を発症する寸前だった

嫌われたには 理由がある
仕事のできない男への反論が 発端だった
世渡りに長けた男の力量は スカスカだった
男は無能さを指摘され プライドが汚された

もう潮時かも知れない
男の思惑で辞めるのは 癪(しゃく)だった
負け犬のように追い払われるのは 癇に障った
だから自らを鼓舞し酷使して 最後の仕上げをする
それがいま 自らを奮い立たせるモチベーションだ
それこそが 自らを堅持するアイデンティティーだ

始末をつけて 男の鼻を明かした
ポジティブに生きるために 
辞表を叩きつけた

その先に見る景色は 
辛苦が歓喜に変わり 次の仕事へと挑む姿だ
呪縛は解かれ 自由を求める姿だ
抑圧から逃れ なりたい自分になる姿だ
 
〔2021年3月20日書き下ろし。不本意に辞職された人に、悔しさをバネに新しい世界に挑む人もいるだろう。辞職願を出したひとりとしてその心中を察する〕

一筆啓上

マスク着用の件につきましては
決めたのはそちらさんです
もろにピント外れの感覚に
呆れかえっています

もう議員をお辞めになり
豪邸に隠棲する潮時です
誰にも害は及びません
そうなれば諸手を挙げて感謝いたします

〔2021年3月20日書き下ろし。麻生さんの発言への一国民の率直な回答です〕

付記
麻生太郎財務相全発言
「(緊急事態宣言を)これくらい長くやっていると、なんとなく…いわゆる…。なんだろうね。どれくらいやってるかね。マスクなんて暑くなって、口の周りがかゆくなって最近えらい皮膚科がはやっているそうだけど。(マスクは)いつまでやるんだね?真面目に聞いてるんだよ、俺が。あんたら新聞記者だから、それくらい知ってんだろ。いつまでやるの?これ。マスクはいつまでやることになってるの?」(2021年3月19日閣議後の記者会見)

正しく怒ろう

心優しい人だった
人を疑うことなど ほとんどなかった
善意あふれる人だった
人の過ちを咎めることなど したことはなかった
信望の厚い人だった
人の悪意をなじることなど 一度もなかった

相手の不誠実な態度と公務怠慢に 憤りを感じながらも
心優しい人は 自責の念にかられた
自分の人格的な未熟さが 事態を招いたのではないか
自分の軽率な言動が 反発を招いたのではないか
相手を責めることなく 自らを叱責した
自己否定の感情が 心を支配してゆく

心優しい人は 自壊寸前だった
自分の立ち位置が だんだん見えなくなった
急速に思考力も判断力も萎えて 不安が心を満たした
負のスパイラルから なかなか抜け出せなかった

心優しい人は 苦しみながらも問題の本質を理解した
相手の人間性とその公務意識に そもそもの問題があった
憤りが沸々と湧いてきたが 怒ったことの経験がなかった
その憤りに どう向き合うのかわからなかった
その憤りを どう処理するのかわからなかった

相手は人の良さを当て込んで 優しさにつけ込む
相手は反撃のないのを見込んで 甘く見てつけ入る
相手はしたたかに立ち回って 責任逃れの詭弁を準備する 

相手に怒りをぶつける
どう怒りをぶつけていいのか 戸惑うばかりだ
相手を責める
どう責めたらいいのか 皆目見当もつかない
相手が改心する
どう改心させるのか 不穏な気持ちが先立った 

私憤ではない 公憤である
私憤としての怒りは 時に自身の人格を傷つける
公憤としての怒りは 正当性が担保されなければ誹謗となる
仲間の支持を取り付け 正しく怒ろう
身勝手を許してはならない
仲間の支持をバックに 正しく怒ろう
公務怠慢を放置してはならない
仲間とともに ブレることなく正しく怒ろう
曖昧な妥協は 根治には決してならない

心優しい人たちの公憤とは
感情論ではなく 不始末への正当な改善要求そのもの
建前論ではなく 本音で迫る人材配置への改革要求そのもの
理想論ではなく 市民参画の道を拓く協働要求そのもの

〔2021年3月19日書き下ろし。人の良さにつけ込む言動が、有能な人材を失望させ市民活動を後退させる。市民は行政への正しい怒り方を身につけたい。要検証〕

民生委員信条に生きる

憤りに 小さく震える肩
悔しさに きつく噛む唇
やるせなさに 萎えてゆくおもい
傷心に のしかかる重責

不本意な諍(いさか)と抗(あらが)い
踏みねじられる誠意
許しがたい仕打ち
放置できぬ対応
避けられない対立

無能な者が 我が物顔で職責を汚す
そうでなければ まだ交渉の余地はある
無能な者は 人事考課の結果が示す
そうでなければ 異動まで我慢はできる
無能な者ほど 自己顕示欲を誇示する
そうでなければ やるべきことをわきまえる

市民とつなぐ 民生委員担当の無能さが際だった
なぜここに配置されたのかも 不思議だった
定年間近でも変わり者でも 市民は受け入れる
無能と評価されても 市民が支えてくれる
我慢してもらえるなら御の字 とでも考えたのか

開き直ったその言動は
利己的な気質と 職務へ軽視をさらした
心ある民生委員の意欲は 低下してゆく
心ならずも離叛し 寛容を捨てるしかなかった
活動が滞ることへの ジレンマに苦しみもがく

市民と協働して 積み上げねばならぬ福祉
市民が寄り添うことで 支えなければならぬ福祉
ますます重要な福祉の担い手を 支えきれなければ
まちの福祉施策は頓挫する
綿々と積み上げてきた実績を 評価しなければ
まちの福祉施策は信頼を失う
他人事に時間を費やすボランタリーな人を 尊重しなければ
まちの福祉施策は人材を手放す

まちの人も予算も収縮してゆく時代に
市民が担うべき福祉の現場とその人なりを 育て支えることこそ
行政が為さねばならぬことと わきまえたい
安直に福祉に思いなきものを配置する愚弄は 不信を増長させる
福祉と市民をつなぐ心ある人材は いまこそ求められている
コーディネーションする福祉の資質は 市民が育てることを心したい

行政と市民との板挟みになりながら
時に逃げ出したくなる事態に 心を折りながらも
プレッシャーに 押しつぶされそうになっても
焦燥感にかられ 立ち止まってしまっても
気力をふり絞り 福祉と向き合う民生委員がいる
決してひとりぼっちにしてはいけない
民生委員信条に生きる 気高き市民と協働してこそ
福祉の施策は 血の通った温情となる
民生委員は 行政の僕(しもべ)では決してない

※民生委員児童委員信条
わたくしたちは、隣人愛をもって、社会福祉の増進に努めます。
わたくしたちは、常に地域社会の実情を把握することに努めます。
わたくしたちは、誠意をもって、あらゆる生活上の相談に応じ、自立の援助に努めます。
わたくしたちは、すべての人々と協力し、明朗で健全な地域社会づくりに努めます。
わたくしたちは、常に公正を旨とし、人格と識見の向上に努めます。

〔2021年3月18日書き下ろし。自治体の人事異動の時期である。福祉行政の上で不適切な人材の処遇を本当に配慮しているのか、疑問である。市民力を見下してはならない〕