阪野 貢 のすべての投稿

後払い

とばっちりを喰らいました
あの〈ぽんつく〉のお陰です
そこで後始末の作法です

数年後の後払い
まずは不足分払ってチャラにして
強い口調で言い切ります
絶対接待は受けてません
いつも割り勘です
ならば手土産まで用意して
出かける神経わかりません

数年後の後払い
ツケきくだけでもお見それしました
世間の常識覆す鈍感力
強気で開き直る虚勢力
ほおかむりの上手な人ほど
絶対と言い切る言葉は信用おけぬ

数年後の後払い
官僚は後塵拝し意気消沈
政治家は後腐れ残して意気揚々
絶対無いと断言するのはそちらの勝手
後味悪いこの始末
判断するのはあなたじゃない

見え透いた 弁解 詭弁 言い繕い
後出しジャンケン 見飽きた聞き飽きた 
関係者の皆さん
「後払い、まだ残金残っています」

〔2021年3月16日書き下ろし。2月2日『封印された絶対』参照。政治家の絶対は、絶対にありえない〕

老爺心お節介情報/第18号(2020年12月24日)

「老爺心お節介情報」第18号

「CSW研修のプログラム・方法の構造化と体系化」

日本でのCSW(コミュニティソーシャルワーク)機能の必要性と重要性は、1990年の「生活支援地域福祉事業(仮称)の基本的考え方について(中間報告)」(座長大橋謙策)において指摘された。
それは、従来のCW(コミュニティワーク)、CO(コミュニティオーガニゼーシン)をより地域福祉の理念、考え方に引き付けて発展させたものであった。これ以降、CSWは用語としても、考え方としても、かつ社会実験的にも実証され、定着してきた。
日本社会事業大学の教員による共同研究を基にまとめた『コミュニティソーシャルワークと自己実現サービス』が2000年8月に上梓されたが、その本でほぼコミュニティソーシャルワークの考え方、機能は整理されたといえる。
しかも、コミュニティソーシャルワークを展開できるシステムとしては、東京都目黒区、東京都の子ども家庭支援センター等の先駆的試みを経て、2000年4月から開始された長野県茅野市の保健福祉サービスセンターのシステム(『福祉21ビーナスプランの挑戦』参照)において、その必要性と可能性も確認された。
これらの機能、考え方、システムの在り方は、現在厚生労働省により「地域共生社会政策」として推進されている。
しかしながら、これらコミュニティソーシャルワークのシステムや機能を具現化させる職員の養成、研修の在り方は必ずしも体系化、構造化されていなかった。
筆者は、ここ数年、大学業務に束縛されることが無くなり、時間的余裕もできたので、コミュニティソーシャルワークの研修を依頼された機会を活用して、コミュニティソーシャルワーク研修のプログラム・方法の構造化と体系化に心がけてきた。それは、まさに、現場の研修を担当している職員との「バッテリー型研修」であり、「コンサルタント的研修」を行うなかで、ほぼ“完成”に近い、納得できるCSW研修のプログラム・方法の構造化と体系化ができたと思っている。
この“社会的実装”に参加してくれた社会福祉協議会は、富山県社協、香川県社協、佐賀県社協、大阪府社協、千葉県社協、岩手県社協、東京都世田谷区社協(人口92万人)等である。この紙面を借りて、改めて関係者にお礼と敬意を表したい。
このコミュニティソーシャルワーク研修を全国に広め、定着させると同時に、社会福祉系大学の教育、演習の在り方を変えてもらうためにも、全国の関係者と共有し、次年度からの研修に活かしてほしいとの思いで「老爺心お節介情報」第18号を送信する。関係者は相互に連絡を取り合って、情報交換をし、各自が関わるところで研修を見直して頂きたい。
なお、研修プログラムの作成に当たっては、以下の点を考慮、配慮してほしい。

(1)研修には、予算、期間の制約があり、この通りにはならないが、研修に盛り込むべき内容は同じである。
今回添付ファイルしたものは、富山県社協の地域福祉部(部長古野智也)と富山県福祉カレッジ(学長大橋謙策)とが共催で取り組んだ取組で、プログラムや参加者に課した課題の整理、あるいは演習で使用するシートを作成してくれたのは富山県社協の魚住浩二さんである。富山県社協の研修時間は残念ながら、現時点では約3時間足らない。期間としてはAM、9時30分~PM5時までの全日4日間はほしい。
なお、従来、「多問題家族のアセスメントシート」を使ってきたが、より「社会生活」をきちんとアセスメントするのがソーシャルワークであると考え、タイトルを「社会生活モデルに基づくアセスメントの視点と枠組シート」にタイトルを変えた。このシートのレイアウト作成には、世田谷区社協の山本学さんに協力を頂いた。

(2)研修参加者の主体性を高めるために、アクテブラーニングの考え方を取り入れ、小グループ編成によるワークショップだけでなく、演習の課題に即し、参加者各個人にレポートを課し、県社会福祉協議会職員と研修講師である筆者とがコメントし、さらに加筆修正をしてもらって提出するというサイクルを試みた。
最も、典型的に取り組んでくれた県社協は佐賀県社協の小松美佳さんである。その1例が多久市の北島暁さんの「問題解決プログラム企画立案書」である。これは、1月に行われる佐賀県市町村社協役職員研修で発表されるものなので、1月末までは取り扱いに注意してほしい。

(3)岩手県のCSW研修では、アウトリーチ型のロールプレイをビデオに収録し、その後それを再現して、検証した。これからは、ビデオ活用も考える必要がある。

(4)富山県では、小グループごとにパソコンとプロジェクターを用意し、グループ討議の内容をあらかじめ入力してあったシートに打ち込み、映し出して論議するという方法を取った。これからは、ICTを活用した研修を考える必要がある。

(5)今までの研修では、県内や市町村の社会福祉に関わるデータを無視して、一般的に論議し、研修をしていたが、研修を通じて県内、市町村ごとのデータを踏まえた論議と問題解決のプログラムを創る必要があるとの認識から、富山県、千葉県では県内の社会福祉に関するデータ、政策に関わる資料を収集し、ファイル化して使えるようにした。今では、上記に挙げた県社協はすべて資料集を作っている。
ただし、この資料集を十分に使った研修ができてない。時間の制約がどうしてもある。市町村社協職員は、行政に説明する場合なども考えて、この資料集を活用して“数字にも強い職員”にならないといけない。

(6)各県のCSW研修は、初学者、初任者でなく、国家資格や一定の経験を有している人を対象にしているので、座学はあまり時間はいらないと思っていたが、それなりに時間が必要である。
各県の研修では『コミュニティソーシャルワークの理論と方法』、『コミュニティソーシャルワークの新たな展開』を使っていただいているが、CSW研修用に、この2冊から必要な部分を選択し、アレンジして新たな教材を作る必要がある。それを座学で行うか、e―ラーニングで行うかは今後考える必要がある。

(7)事例検討の仕方は、最初に事例全体の報告をしてから行うのではなく、最初は事例の概要を報告してもらい、その報告された概要に基づき、どのようなアセスメント、聞き取りをしないと援助方針が立てられないかということを認識させる必要性から、報告された概要に基づき、確かめるべきアセスメント項目、聞き出すべきアセスメント項目を、まず参加者個人がポストイットに書いて書き出す。それを基にグループごとに類型化する。この作業を通じて、個々人のアセスメントの視点と枠組が偏っていることを認識させる。その際に、「社会生活モデルに基づくアセスメントの視点と枠組みシート」を使う。
その後、事例は具体的にどう展開したのかを報告してもらい、それでよかったのか、望ましい支援方針はどういうことが考えられるのか“夢のある支援方針”を立案してもらう。岩手県では、この部分に時間を割いたが、あまりにも参加者が制度の枠組みや固定観念に囚われて支援方針を考えていたので、“夢”を語ってほしいと述べた。
事例は、参加者が抱えている困難事例か、県内にある実際の困難事例を使う。できれば、事例報告者には事例に基づく演習が終わるまで参加してもらう。
具体的事例を扱うので、改めてプライバシー保護を徹底化させる。必要なら、事例は回収する。

(8)ソーシャルサポートネットワークづくりに関する演習の成果物で、これはというものは今のところ把握できていない。大阪府の社会福祉法人の地域貢献とコミュニティソーシャルワークの研修の中から、素晴らしいものがでてくる予感がしている。
今後深めないと意見兄分野で、住民の差別、偏見をなくす福祉教育なども視野に入れて取り組みたい。この部分こそが、「地域共生社会政策」の具現化の“象徴”である。

(9)本来、ここに情報提供しているプログラムや演習シートなどは、商標登録や著作権の対象となるものであるが、我々社会福祉関係者はお互いの資質、能力、力量が向上し、福祉サービスを必要としている人々の生活が改善されることを願って仕事をしているのであるから、そのような制約はかけない。その分、多くの関係者が努力していることに“思い”を馳せてほしい。

(10)演習の進め方については、演習の課題に即して、まず個人作業をすることが大切。個人作業を通じて、その課題に関する自らの認識、力量を自己覚知することが重要で、最初からグループ討議をしてしまうとその自己覚知の部分が確認できない。
その後、小グループごとに討議をするが、その過程で自分の作業と他の人の作業とを比較する中で、自分を見つめ直す機会とする。
小グループで演習課題に関する課題を完成させ、全体会で発表し、研修講師が座学で学んだことを事例、達成課題に引き付けてコメントする。

(2020年12月24日記)

老爺心お節介情報/第17号(2020年12月19日)

「老爺心お節介情報」第17号

Ⅰ 日本医事新報社が電子コンテンツで、日本社会事業大学専門職大学院の鶴岡浩樹教授の編集により、2018年度から「福祉発。拝啓、お医者さま。」を連載してきました。
私も執筆を求められ、最終回に「地域共生社会をめざす社会福祉―ケアリングコミュニティの形成」と題する拙稿をアップしました。その原稿です。
この連載には、日本社会事業大学の菱沼幹夫先生や日本社会事業大学専門職大学院の木戸宣子先生も執筆しています。
日本医事新報社が電子コンテンツは、下記のURLから会員登録をしますと、無料で閲覧できます。連載されたものも見れます。
https://www.jmedj.co.jp/premium/welfdoc/
是非、社会福祉関係者が医療関係者に何を発信したのか読んで下さい。

おわりに:地域共生社会をめざす社会福祉―ケアリングコミュニティの形成

登録日:2020-12-11最終更新日:2020-12-11
(公財)テクノエイド協会理事長
NPO法人日本地域福祉研究所 理事長
日本社会事業大学名誉教授
大橋謙策

厚生労働省は,2015年9月に「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現―新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン―」を公表し,2016年7月に厚生労働大臣を本部長とする「地域共生社会実現本部」を立ち上げ,「地域共生社会政策」を推進している。厚生労働省によれば,この「地域共生社会政策」は1961年の「国民皆年金皆保険」,2000年の「介護保険制度」に匹敵する「戦後第3の節目」と位置付けられている。
その「地域共生社会政策」は,子ども,障害,高齢という従来の属性分野ごとの縦割り社会福祉行政を是正し,全世代交流・支援型のサービス提供システムによる地域での自立生活支援の促進である。ややもすると潜在化しがちな福祉サービスを必要としている人々をアウトリーチし,ニーズキャッチを行い,必要なら新たなサービスの開発や個別支援のソーシャルサポートネットワークをつくり,それらの人々の地域自立生活を支援する「重層的支援体制」を構築することをめざしている。と同時に,地域から孤立しがちな,時には蔑視,差別されがちな福祉サービスを必要としている人,家族の社会参加を促進し,地域で包摂できるように,コミュニティソーシャルワークの展開によるケアリングコミュニティの形成を目的としている。
戦後の社会福祉行政は,社会的生存権と位置付けられる憲法第25条に基づく「健康で文化的な最低限度の生活の保障」を標榜してきた。その規定の歴史的意味,位置付けは大変重要であるが,それは1995年の社会保障制度審議会勧告でも述べているように,戦後の社会福祉行政をややもすると救貧的な“最低生活の保障”にしがちであった。
筆者は,1960年代末から,社会福祉は国民のセーフィティネットとしての機能を明確化した憲法第25条とともに,憲法第13条に基づき,福祉サービスを必要としている人も含めた“生きとし生ける者”の自己実現を図る幸福追求権をも法源として位置付け,社会福祉のあり方を考えるべきであると指摘してきた。1995年の社会保障制度審議会の勧告「社会保障の再構築」は,まさにその点を謳ったものであった。
また,1970年頃から従来の労働経済学を軸とした古典的,経済的貧困への金銭的給付による支援のみでは解決できない「新しい貧困」問題が登場してくる。「新しい貧困」と呼ばれる生活問題を抱えている人,つまり何らかの事由により地域での自立生活が脅かされ,地域で孤立し,多様な生活のしづらさを抱えている人々を支援する方法は,国の生活保護制度等に代表されるような所得保障だけでは生活問題を解決できず,地方自治体レベルでの対人援助としての社会福祉(ソーシャルワーク機能)を展開できる地域福祉の具現化が必要であると考えられるようになってきた。1970年頃に,“地域福祉は社会福祉の新しい考え方”といわれたが,今,まさにその新しい考え方が「地域共生社会政策」として政策化され,具現化されようとしている。
イギリスが1970年に「地方自治体社会サービス法」を制定し,パーソナルサービス(対人援助)を地方自治体において全世代対応的に,属性分野を超えて総合的に展開したように,日本でも1960年代末から「新しい貧困」に対応する地方自治体レベルでの在宅福祉サービスの整備や地域福祉の展開が求められるようになった。
生活のしづらさを抱えている人々の地域での自立生活支援をしていく場合,それらの人々は単身者ばかりでなく,複合的な多問題を抱えている世帯も多い。とすれば,その支援のあり方は,病院や入所型施設での単身者への,いわば「医学モデル」と言われるアセスメントとは異なり,地域における社会生活を支援するという「社会生活モデル」に基づくアセスメントが必要になる。
しかも,従来の社会福祉は,これら生活のしづらさ等を抱えている人を“社会病理的”にとらえ,「医学モデル」により“治療”しようとする考え方が強くあった。そこには社会福祉の分野において労働経済学に影響を受けた“経済的自立と働くための身体的自立論”が底流にあった。それらに加えて,1981年に提唱されたICIDH(International Classification of Impairments, Disabilities and Handicaps;国際障害分類)に大きな影響を受けて心身機能の障害を診断し,それを起点に支援を考えるというとらえ方が強く,本人の自己実現,幸福追求を図る地域での自立生活支援という「社会生活モデル」に基づく支援の視点,方法は十分でなかった。
憲法第13条に基づく支援のあり方を考えれば,地域生活支援には生活技術的・家政管理的自立支援や精神的・文化的自立支援としての学習,文化,レクリエーションの重要性などに当然気が付かなければならない。また,社会関係的・人間関係的自立がうまくできていない生活のしづらさ,障害のある人を地域がどれだけ“許容”し,排除することなく,それらの人々を日常的に地域で支えてくれる家族や親類以外のソーシャルサポートネットワークがなければ地域で生きていくことが困難である。
ようやく,世界保健機関(World Health Organization;WHO)により2001年にICF(International Classification of Functioning, Disability and Health;国際生活機能分類)の考え方が提唱されたことにより,環境因子の重要性は指摘された。しかしながら,いまだ社会福祉実践においては福祉サービスを必要としている人本人の意思を尊重し,意思を確認しつつ,時にはそれらの人びとの意思形成支援も含めてその人の生活環境を改善し,福祉機器の利活用を進め,社会参加,自己実現を図るという実践は必ずしも十分展開されているとは言い難い。
ところで,様々な生活のしづらさを抱えている人,家族を地域で支えていくためには,①従来の縦割り社会福祉行政では対応しにくい。子ども・障害・高齢者問題という全世代に対応できるワンストップの総合相談窓口が,身近なところに設置されているというシステムの問題(「福祉アクセシビリティ」),②あるいは福祉サービスを必要としている人,家族の“求め”と,専門職の視点から,専門職が地域自立生活に“必要である”と判断し,活用できる制度的サービスを組み合わせてつくられたケアプラン,その両者を突き合わせて福祉サービスを必要としている人と専門職との合意に基づき,総合的,統合的にサービスを提供するケアマネジメント機能(専門多職種連携によるチームアプローチ),③さらには,福祉サービスを必要としている人の生きる意欲,生きる希望,生きる力を支え,励まし,その人の生活者としての主体性を確立するための“伴走的”支援の展開,④それらの人々を地域から排除することなく,かつ孤立させず,それらの人々を支えるソーシャルサポートネットワークを,福祉サービスを必要としている人ごとに構築することが求められている。⑤地域自立生活支援においては,“点と点”をつなげるサービス提供だけでは,社会的孤立を産み出しかねず,孤立させないためには,地域住民によるインフォーマルなソーシャルサポートネットワークづくりとフォーマルな制度的サービスと有機的に結び付けて,統合的に提供できるコミュニティソーシャルワークを展開できるシステムを日常生活圏域ごとにつくることが重要になる。
ところで,日本は,現在人口減少社会に入ってきており,かつ全国に約1750ある市町村は“限界集落”,“消滅市町村”の危機に陥っている。
このような中,地域の医療,介護,福祉は従来の重厚長大的産業構造の時代には考えられないほどその位置の比重が増している。産業別従事者数においても,厚生年金や障害者基礎年金等の受給額,あるいは医療保険による給付額においても,医療,介護,福祉の分野は市町村において,大きな比重を占めている。
全国にある約10万カ所の社会福祉施設(介護保険施設も含む)で使用する食材を,学校給食における“地産地消”率と同じように考え,地元の農業,漁業,林業関係者を組織し,契約栽培し,その食材を活用すれば,地域経済は活性化する。
また,高齢化した農業従事者と就労の機会を得たい障害者との“ニーズ・シーズのマッチング”をすれば,新たな労働力の確保になり,「農福連携」が街づくりにつながる。
筆者は1990年から「福祉のまちづくり」ではなく,これらの比重を増した医療,介護,福祉を活かした「福祉でまちづくり」を標榜してきたが,まさに今それが求められている。医療,介護,福祉を基軸としたソーシャルイノベーション,ソーシャルビジネスこそが持続可能な社会目標(Sustainable Development Goals;SDGs)を達成できる。
このような地域自立生活支援のシステムづくりや「福祉でまちづくり」に取り組むことによって,従来「福祉国家」体制以降つくられてきた地域住民の社会福祉観を変え,社会福祉関係者や住民の行政依存的社会福祉体質を改め,住民と行政の協働による地域共生社会づくりが実現する。それこそが,市町村を基盤とした住民参加による,自律と博愛と連帯による社会システムとしての「ケアリングコミュニティ」の実現である。
そのためには,福祉サービスの適切な利用ができる主体形成,地域福祉を支えるボランティア活動を行う主体形成,市町村の地域福祉計画策定と進行管理に参画できる主体形成,そして対人援助としての社会福祉を介護保険や医療保険等の社会保険制度の面から支える社会保険契約主体の形成といった4つの地域福祉の主体形成を図ることが重要になる。そのためにも,自分の住む地域を愛し,地域を良くするために能動的に活動できる“選択的土着民”を増やすことが今喫緊の課題である。

(2020年12月19日記)

老爺心お節介情報/第16号(2020年12月9日)

「老爺心お節介情報」第16号

Ⅰ 先日、日本の公的扶助研究の杉村宏先生から、ご高著【生きるということー私家版・生きる意味を公的扶助ケースワーク論に問うー】(萌文社刊行)をご恵贈賜りました。
この本は、杉村宏先生の60年近くに及ぶ公的扶助実践と研究、まさにこの分野の“生き字引”である先生の論稿で、とても勉強になりました。杉村宏先生は、北海道大学名誉教授であり、法政大学名誉教授でもあります。また、日本社会福祉学会の名誉会員でもあります。
本書は、杉村先生が公的扶助研究会の機関誌「公的扶助研究」に連載されたものに加筆修正されてまとめられたものです。
生活困窮者支援に関わる人や生活福祉資金に関わる人にはぜひ読んでもらいたい本です。ぜひ購読して読んで下さい。
杉村先生は、日本社会事業大学での先輩であり、私の学部学生時代からいろいろな点で教えを頂いた先生ですが、ご恵贈賜ったものの礼儀として、読んで感想を述べることが必要かと思い、いくつか書かせていただきました。
その感想を皆さんと共有して、いろいろ考えていただければと思い、「老爺心お節介情報」として送信します。

①今日の生活困窮者支援や生活福祉資金の「特例給付」をみていて、改めて「貧困」とは何かを考えていますし、江口英一先生が指摘した“不安定就業層”の問題の重要性を認識しています。その際、P89のラウントリーの「生理的生存」と「生理的な能率」の問題やP91~95の消費自体を住民が“選択”できなくなっている「生活の社会化」の持つ意味を改めて考えなければ今日の貧困問題は分析できないと思っていましたので、意を強くすると同時に、その解決の難しさに思いが至ります。

②P117の人間観の転換と生存権保障のところでは、資本主義的、あるいは労働経済学的な視点での社会政策だけでなく、近代市民社会成立時に、フランスがなぜ「博愛」を取り入れたのか、社会思想史的研究の側面が必要かと思いました。
私自身、労働経済学的社会政策からだけでは分析が無理と考えて、1960年代にフランスの社会思想に“解”を求めたのですが、研究が深まっていません。廣澤孝之さんの【フランス「福祉国家」体制の形成】等が参考になるのかなと考えてきました。

③P142の4つの「貧困観」、「権利観」、「人間観」、「自立観」は全く同感で、これをどう醸成するかで私は日本福祉教育・ボランティア学習学会を創設し、その普及に取り組んできましたが、相模原事件といい、新型コロナウイルスの感染者への蔑視、排除を目の当たりにして“無力感”さえ覚えるこの頃でした。

④ソシャルケアサービス従事者研究協議会を2000年に立ち上げ、“ソーシャルワークの楽しさ・怖さ・醍醐味”を訴えてきましたが、P143の“生活保護制度によって生活困窮者を支援しようとする公的扶助CWと当事者の間には対立する関係など存在しないが、生活困窮者が直面する貧困と生活保護制度の間には乖離や対立が存在する。それは本来対立関係にないはずのケースワーカーと当事者の間に、往々にして対立を持ち込むことになることがある。”という指摘は、ソーシャルワーク機能を考える上で重要ですね。

⑤公的扶助ケースワーカーなので、“クライエント”という用語を使用するのは、あるいは妥当なのかも知れませんが、私は潜在化している福祉サービスを必要としている人(クライエントになりきれていない人)へのアウトリーチ的アプローチをするのがソーシャルワークだと考えていますので、“クライエント”、“ワーカビリティ”、“インテーク”という用語については疑義を呈しています。

Ⅱ 「聴覚障害者等の電話の利用の円滑化に関する法律」2020年6月12日公布。
手話通訳者が通訳オペレーターとなって手話又は文字と音声を通訳することにより、聴覚障碍者等とその他の者の意思疎通を仲介する仕組みー電話リレーサービス。
(「新ノーマリゼーション」2020年11月号参照・(公財)日本障害者リハビリテーション協会)

Ⅲ 法政大学の宮城孝先生から情報提供を頂きました。私はまだ読んでいませんが、皆さんと情報を共有したいと思います。
『仮説住宅 その10年』 宮城孝他編著、御茶の水書房、6500円

(2020年12月9日記)

老爺心お節介情報/第15号(2020年12月5日)

「老爺心お節介情報」第15号

新型コロナウイルスの「第3波」が来ていますが、皆さんにはお変わりありませんか。
私は、今年の6月より、月1回石巻市に通っています。それは、日本医療社会福祉協会が石巻市からの委託を受けて、東日本大震災の被災者支援をしており、その支援者のケースが約1000件あることから、その分析をするというのでアドバイザーとして参加しているのです。
そんな“縁”もあり、来年1月に石巻市包括ケア推進室の招へいで研修に招かれたことを契機に、石巻市の関連計画書を送って頂き、石巻市の地域福祉・地域包括ケアシステムを考える基礎資料として整理したものです。あくまで基礎的な数字ですが、これを踏まえて私なりに石巻市の地域福祉・地域包括ケアシステムの在り方を考えてみたいと思っています。
今、地域福祉計画は“上位計画”として位置づけれるようになりましたが、各地の自治体の“上位計画”としての地域福祉計画策定に当たってはこのような基礎的データを把握し、関係者の情報として共有化することが重要になります。

「石巻市地域福祉・地域包括ケア関連資料」(2020年12月3日現在)

(2020年12月5日記)

老爺心お節介情報/第14号(2020年11月18日)

「老爺心お節介情報」第14号

Ⅰ 地域福祉計画における障害者の地域自立支援と障害者の地域移行問題

2005年の障害者自立支援法及びそれにより策定が義務付けられた障害者福祉計画で政策化された障害者の地域移行問題は、これからの“上位計画”としての地域福祉計画において重要な位置を占めている。しかしながら、地方自治体では一人暮らし障害者の実数さえ把握できていないのが実情である。
『月刊福祉』12月号の曽根論文「これからの社会福祉の展望――障害者の地域移行をどう推進するか」は、地域移行問題を理解するうえでとてもいい論文である。障害者のグループホームのあり方や日中活動の支援をグループホーム内で行う事が可能な「日中サービス支援型」の創設を始め、障害者の生活支援を総合的に、統合的に支援できるシステムづくりがこれからの地域福祉計画では重要な課題である。

Ⅱ 地域福祉の推進の要である地域包括ケアのシステムづくり

私は、地域福祉は社会福祉の新た恣意考え方であり、それを具現化でするためにはシステムを創ることが重要であるとかねがね述べてきた。そのために、市町村の自治体のアドバイザーとして、あるいは地域福祉計画の策定において、地域の実情を踏まえた様々なシステムやプログラムの提案をし、実現してきた。今求められている地域共生社会政策でも、このシステムづくり抜きにして具現化は出来ない。
旧聞ではあるが、雑誌『コミュニティソーシャルワーク』第25号(日本地域福祉研究所発行、中央法規発売)に掲載されている高田麗さんの論文「高齢者の諸課題に立ち向かう高齢者地域包括支援センターの挑戦――地域における包括的な支援の展開―」は、人口24万人の神奈川県茅ケ崎市において、包括的支援がどういうシステムで展開できているかがよくわかる論文である。ただ、私なりに言えば、このシステムが展開できる地域の力の一つに、茅ケ崎市が全国にも誇れる小学校区毎に設置されている公民館活動が住民主体で運営されてきていた歴史との関わりの分析、記述がないのが少し残念ではある。

Ⅲ 前号「「老爺心お節介情報」第13号の修正

前号の「国民生活基礎調査の概況」の中で、世帯数の単位を記載するのを忘れました。世帯数は全て「千世帯単位」です。お詫び申し上げます。以下に修正したものを再掲します。

65歳以上の高齢者のいる世帯
2019年 25584世帯(単位千世帯)――高齢者単独世帯7369世帯(単位千世帯)(28・8%)
高齢者世帯 14878世帯(単位千世帯・100%)――単独世帯7369世帯(単位千世帯、49・5%)
男性世帯 2577世帯(単位千世帯、17・3%)、
女性世帯4793世帯(単位千世帯、32・2%)

(2020年11月18日記)

老爺心お節介情報/第13号(2020年10月15日)

「老爺心お節介情報」第13号

社会福祉関係者、とりわけ社会福祉協議会職員の統計資料、行政資料を読む力、作成する力の無さに驚くことが多い(かくいう私も数字には決して強くはない)。
社会福祉実践、研究は自然科学とは異なり、数値化はなかなか難しい所があるが、しかしながら、市町村において既存の統計資料を繙き、数字の上でもどのような実態があるのか、どのような傾向があるのかを把握、理解する能力を高めないといけないと思っている。特に、行政との予算折衝や新たな企画提案をする際には欠かせない課題である。
私は、千葉県、富山県、香川県、佐賀県、大阪府等の府県社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーク研修では、府県社会福祉協議会独自に県内状況の資料集を作って貰い、日常の実践において、その資料集を“座右の書”として活用することを推奨している。
自然科学分野では、evidence based という場合、数字を根拠とするが、evidenceとは証拠、根拠という意味であるから、社会福祉分野ではすべてを必ずしも数値化出来ないが、きちんとしたアセスメントに基づく説明ができれば、それはそれで根拠の一つになりえる。社会福祉分野では、ナラティブ(生い立ち、思い、希望等)を大切にしつつ、活用できる数字や数値化できるものは数値化して実践、研究に活かす努力をしなければならない。

Ⅰ 2019年 国民生活基礎調査の概況(抜粋)―『厚生の指標』2020年10月号より―

#1 市町村毎に、一人暮らし障害者(障害種別別)の数字が殆ど把握されていない。「地域共生社会政策」を具現化する上で把握しておきたい数字である。
#2 要介護認定率は65歳以上全体では把握されているが、5歳年齢区分毎の要介護認定率を把握しておかないと介護保険事業計画や地域福祉計画において政策提言や対策が出来ない。できれば、日常生活圏域ごとに、その数字を出せれば、対策を立てやすい。

Ⅱ 「老爺心お節介情報」第12号に関し、山形県鶴岡市社会福祉協議会佐藤幸美さんから連絡頂きました。ありがとうございました。「農福連携」、施設の地産地消の現況です。

鶴岡市社会福祉協議会が経営している「高齢者福祉センターおおやま」では、米、大豆製品(豆腐・厚揚げ・がんもどき等)、卵、しょうゆ、味噌は全て100%の地産地消とのことです。
野菜、果物は季節により変動があるそうですが、50~60%が地産地消です。
その地産地消の食材納入を大山商工会が担ってくれていますが、その割合は12~18%、18社が参加してくれていて、地元の商店街の活性化に役立っています。
その他、いなほ作業所、自立相談支援センターの就労準備事業「したくホーム」の利用者等も「農福連携」で頑張っています。

Ⅲ 「月刊福祉」11月号の以下の論稿を読んで下さい。 

「生活福祉資金制度における支援の現状と課題」杉田健治論文(兵庫県社会福祉協議会事務局次長)
「コロナ禍で課題を抱える人への相談支援の実態――一人ひとりの相談に向き合う中で見えてきたことー」林星一論文(神奈川県座間市生活援護課長)

(2020年10月15日記)

 

老爺心お節介情報/第12号(2020年10月11日)

「老爺心お節介情報」第12号

Ⅰ 「福祉でまちづくり」の実践と“農福連携”

私は、1990年、岩手県遠野市の「地域福祉計画(老人保健福祉編)」策定のアドバイザーを担当した際、従来の“福祉の街づくり”ではなく、「福祉で街づくり」を提唱した。当時、遠野市は財政力が弱く(0,21)、公共土木事業に依存している状況のなかで、社会福祉の充実にお金を回せないという機運が行政や議会にあるなかで、「福祉で街づくり」を提唱した。
社会福祉を充実させることにより、視察者が多くなること(実際に、視察者は2000人を超え、視察者のために「遠野ハートフルプラン」という行政計画書が増刷されて5000部、1冊1500円で売っていた)、市内の産業別従事者数は医療・介護・福祉従事者が多くいること、「遠野ハートフルプラン」に盛り込まれたプログラムを実施することで「定住人口」ではない「滞在・交流型人口」を増やし、経済を活性化させること、社会福祉の地産地消を考えることなどを提唱した。
その後、1990年代初め、農協共済研究所のプロジェクトに参加し、農協が有している資源を活用してのプログラム開発を行い、農村地域の活性化を考え、実践してきた。それは、市町村内にある社会福祉施設が使用する食材を“地産地消”で行うとすれば地域経済が循環すること(山形県鶴岡市の特養「おおやま」や鳥取県南部町の特養「ゆうらく」等)や、高齢化している農業従事者と障害のある人とを結び付ける「農福連携」(鶴岡市のいなほ作業所では、1980年代から「農福連携」のはしりを行っていた)等のことであった。
咋今、「限界集落」、「消滅市町村」と言われているが、私は、施設経営の社会福祉法人が、地域に目を向け、街づくりを考えれば、逆にUタ-ン、Iターンも増やし、地域経済の活性化に繋がると「福祉でまちづくり」を提案してきた。
下記の本を是非読んで欲しい。
(1)『ソーシャルイノベーションー社会福祉法人佛子園が「ごちゃまぜ」で臨む地方創生』雄谷良成監修、ダイヤモンド社、2018年――石川県の実践
(2)『里山人間主義の出番ですー福祉施設がポンプ約のまちづくり』指田志恵子著、あけび書房、2015年‥‥広島県三次・庄原地域での優輝福祉会の実践

#農福連携の事例――静岡県浜松市「京丸園株式会社」
従業員100名――障害者25名(知的8名、身体6名、精神7名、発達4名)
年間売り上げ額 約4億円、田畑1、3ha、栽培施設1、3ha
出典『新ノーマライゼーション』2020年9月号

Ⅱ 『日本社会福祉士会NEWS No197』を読んで、疑問に思うこと

今回のニューズレターは地域共生社会政策を踏まえて国の2021年度予算等への要望と提案を特集している。このニューズレターに出てくる用語に疑問と違和感を感じたので話題提供したい。

➀国への要望事項で使われている用語の中に、「生活保護ケースワーカー」「、スーパーバイザー」、「ソーシャルアクション」が使用されているが、その用語の意味を省庁の関係者は理解できるであろうか。また、社会福祉学界で“慣用句”的に、何気なく使っている用語ではあるが、それを“吟味”しないで、使っていていいものだろうか。
②同じく、ニューズレターの「倫理綱領」の欄に出てくる「クライエント」という語句の使用もこのままでいいのであろうか、

私は「ソーシャルワーク機能」という用語を1990年前後から意識して使ってき
た。1990年以前に“ソーシャルワーク機能”という用語を使用していた研究者
を私は寡聞にして知らない(知っている方がいたら教えて頂きたい)。
なぜ、私が「ソーシャルワーク機能」という用語を意識して使用するようになった
かは、そのころまで、社会福祉研究者、とりわけ社会福祉方法論を研究している方々が、ソーシャルワーカー==社会福祉士ととらえて論文を書いたり、話をしているのに違和感を感じたからである。社会福祉士は“相談援助”という位置づけであり、必ずしもソーシャルワーク機能を具現化出来る立ち位置にない上に、かつ、その当時、中央集権的機関委任事務体制であった時代(1990年に変るが)でもあり、社会福祉実践現場は福祉サービスを必要としている人が既存の社会福祉制度に該当するかどうかを判断する業務が中心で、とてもソーシャルワークとはいえず、私は日本には1990年までソーシャルワークはなかったと考えていたし、そういろいろな会合で述べてきた。
日本の社会福祉界にソーシャルワークを定着させるためには、かつ社会福祉士をソーシャルワークに関する専門職として社会的承認を得るためには、そもそもソーシャルワーク機能とはなにかを明らかにし、その機能は教師も弁護士も、保健師もソーシャルワーク機能の一部を有しているが、その機能全般を統合的に具現化出来るようにしないと社会福祉士の地位は確立しないという立場から、ソーシャルワーク機能という用語を使ってきた。そのソーシャルワーク機能といういい方が、今日ではほぼ定着したことは嬉しい限りである。

#「生活保護ケースワーカー」は「生活保担当現業員」では苗いけないのか。“ソーシャルワーク機能”が定着してきている時に、“ケースワーク”という用語を使うのであろうか。更には、「生活保護担当現業員」は“ケースワーク”だけで業務が遂行できるのであろうか。

しかしながら、それ以外では、相変わらずWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)文化の中で確立してきた、かつアメリカの社会構造の中で確立してきたソーシャルワークに関わる用語を無自覚的に、当たり前のように使用することに正直驚いていると同時に、それが本当の日本の専門職なのかと疑義を感じざるを得ない。
私は、玉木千賀子さんの著書『ヴァルネラビリティへの支援――ソーシャルワークを問い直すー』(相川書房)の推薦の辞で、そのこと書いた(是非読んで欲しい)。「クライエント」、「インテーク」、「ワーカビリティ」をごく当たり前に使って、痛痒を感じないソーシャルワークに関する専門職というのは、果たして専門職なのであろうか。言葉だけが“飛んでいる”のではないだろうかと思わざるを得ない。“福祉サービスを必要としながら、社会福祉の制度、サービス、相談窓口につながっていない人”をも、「クライエント」と呼ぶのであろうか。社会福祉学界では、ニーズ論、ディマンド論が大きな問題であって、今や厚生労働省も「地域共生社会政策」の流れの中で、“待ちの姿勢ではなく、アウオトリーチして問題を発見して欲しい”と言っている時代でも「クライエント」なのであろうか。
同じことは、「ソーシャルアクション」という用語もそうである。一般的にソーシャルアクションを起こすという言い方(その用語は使い易いので、私も一般的な使い方として使っていることがある)とソーシャルワーク機能を展開する上で使う「ソーシャルアクション」は同じなのか、違うのかである。
かつて、東京学芸大学の高良麻子先生が書かれた『日本におけるソーシャルアクションの実践モデルーー「制度から排除」への対処』について、高良先生に同じような感想を述べさせて頂いた。一般的に使われている用語を、社会福祉分野である意味を持たせて使う場合には自ずと説明をしないといけないのではないかと思っている。専門職だけに通用する意味で使うとすれば、それはある意味、専門職の“思い上がり”であり、“上から目線”になりかねない。意識して、専門職はそれらのことについて自戒すべきなのではないだろうか。
「ソーシャルアクション」は住民の立場から言えば、陳情なのか、告発なのか、制度改善運動なのかということであろう。専門職が使う「ソーシャルアクション」にはそれらが含まれているというなら、住民が一般的に使用している用語を使えばいいのではないか。それらと違ったソーシャルワーク分野における独特の“ソーシャルアクション”という“専門職の機能を発揮する独自領域”があるというのなら、それをきちんと説明した上で使って欲しい。
更には、「スーパーバイザー」という用語の使い方も同じである。“スーパーバイザー”とは、“施設、機関、病院などにおいて、スーパービジョンを行う熟練したソーシャルワークの指導担当者を指す”(『現代社会福祉事典』1982年、全社協、秋山智久執筆)と説明され、かつ、その“スーパービジョン”とは、“かつて指導監督と訳したことがあるが、現在では正確な意味を伝えるため原語をそのまま使用する。つまり、具体的なケースに関し、ソーシャルワーカーが援助内容を報告し、スーパーバイザーはそれを受けてクライエントや家族、状況の理解を深めさせ、面接など援助方法について示唆を与えたり、考えさせたりする教育・訓練の方法である”(前掲同署、黒川昭登執筆)と解説している。
この説明で言えば、その役割を担うのは、上司の場合もあれば、チームアプローチをしている場合には他の専門職かも知れないし、あるいは所属している学会や専門職団体の同僚かも知れない分けで、「スーパーバイザー」と言って、それがどのような職種で、どこに所属してその業務を行うのか、指導を受けるソーシャルワーカーとの関係やその指導の妥当性を担保する機能があるのかどうかもわからないのに、「スーパーバイザー」を配置しろという使い方には違和感を感じざるを得ない。
組織のなかで、援助方針に関し、問題を発見し、論議し、改善のための企画提案をするという営みは組織的にとても重要なことであり、かつそれでも十分でないとすれば顧問弁護士制度や顧問会計士制度と同じように外部監査制度、外部評価制度をシステムとしてどう位置付けるかを考えて欲しい。私自身はいくつかの自治体で顧問やアドバイザーとして職務を担ったことがあるが、“スーパーバイザー”という意識はなかった。

(2020年10月11日記)

 

夢を狩る

夢を狩れ
オオカミとなって 荒野に駈けよう
自然とひとつになって 心に響く音を狩れ
自然と戯(たわむ)れて 心に迫る言葉を狩れ

夢を狩れ
オオカミとなって 果敢に挑もう
自然といのちの調和に共鳴する 旋律を狩れ
青春の光と影に揺れ動く おのれ自身を狩れ 

夢を狩れ
オオカミとなって 貪欲に青き炎を燃やそう
授かりし感性を磨き 詩を旋律に踊らせよ 
狩りの獲物をさらし 批判を恐れず評されよ

夢の狩人となった
十九歳の誕生日を祝う

〔2021年3月15日書き下ろし。孫が夢の狩人になったことが素直に嬉しい。青春を駆け抜けていく青い炎が眩しい〕

老爺心お節介情報/第11号(2020年9月5日)

「老爺心お節介情報」第11号

Ⅰ 社会福祉政策研究におけるオーラルヒストリー研究法

政治学の研究法として確立してきたオーラルヒストリー研究法を社会保障・社会福祉学分野に援用して、オーラルヒストリー研究を行っている立教大学の菅沼隆先生グループが、多くの厚生労働官僚へのインタビューを通して社会保障-・社会福祉政策がどのような政治力学で企画・立案・実施されたのかの研究をしている。
私は、その一環として行われた元厚生労働省老健局長、社会・援護局長を歴任し、内閣官房社会保障改革担当室長をされた中村秀一氏のオーラルヒストリーを読ませて頂いた。それは後に、『平成の社会保障』(中村秀一著、社会保険出版社)として上梓されている。この本を読んで、厚生労働省の組織的行動力学や社会保障・社会政策がどう立案かされるのか、そのプロセスが良く分かり、大学研究者としての“研究の浅さ”を反省したものであった。
今回、日本社会事業大学の卒業生で、立命館大学で博士の学位を取得した、現在北海道の名寄市立大学の教員をしている高阪悌雄氏の『障害者基礎年金と当事者運動――新たな障害者所得保障の確立と政治力学』(明石書店、5400円)を一読した。
高阪悌雄氏のこの本も、障害者基礎年金の成立過程に関わる関係者へのオーラルヒストリー的手法を活用して、文献研究、資料研究だけでは見えてこなかった点を躍動的に明らかにした労作である。
この本に出てくる板山賢治氏は、障害基礎年金制度創設の立役者である。板山賢治氏は、1982年の国際障害者年前後における国の障害者政策を牽引した人の一人で、厚生省社会局更生課長を歴任された。
その板山賢治氏は、常々、物事が成るのには“天の時、地の利、人の和”が必要であると言っていた。
私が、“天の時、地の利、人の和”について、この本に即して高阪悌雄氏に宛てた感想の一端を転載させて頂く。

(1)“天の時”について、本書では、あまり「国際障害者年」の持つ意味に触れられていませんが、それが大きかったのではないでしょうか。
P122等で、“国際障害者年が日本、日本の厚生行政、日本の障害者運動に与えた影響”等の記述がもっとあると良かったですね。「国際障害者年」の影響は大きく、板山氏はこの担当課長であったということも大きいですよね。板山氏が更生課長であったということが“地の利”になるのでしょうか。
P232に、“障害者への予算配分に関しては、浅野氏が述べたことと併せて、国際障害者年による国を挙げての啓発活動も功を奏したと考えられる”という記述をもっと豊かに展開して欲しかったですね。この頃、大蔵省の主計官として厚生省を担当していた小村武(のちの財務事務次官)と板山氏との関係もあります。
(2)“人の和”ということでは、CP研究会のメンバーには仲村優一先生の教え子の大沢隆氏、三和治氏が入っており、いずれも日本社会事業大学で板山氏とは公的扶助の関係で友好関係があった方々ですね。
また、「東京青い芝の会」で、新しく副会長になった若林克彦氏は日本社会事業大学の卒業生で、仲村優一先生は大学時代、若林氏の学習保障、就職保障に大変尽力されていて、脳性マヒの方々の生活に心を砕いていました。それに輪を掛けての“人の和”が厚生省における山口新一郎氏等の人脈です。

実践科学である社会福祉学、とりわけ地域福祉は、どのような“天の時、地の利、人の和”によって動いているかを明らかにしないといけない。どこの自治体で、どういう実践が行われているということを紹介するだけでは研究とは言えない。
私は、常々地域福祉研究における「バッテリー型研究」と言ってきたのは、まさに“天の時、地の利、人の和”がなければ、いくら研究者がいい提言をしてもそれは具現化しないからである。
また、私が地域福祉計画において、タスクゴールとプロセスゴールに加えてリレーシンシップゴールを掲げているのも、その計画の実現・進行管理において“天の時、地の利、人の和”の持つ意味を考えたからである。
社会福祉学、とりわけ地域福祉研究において、もっと関係者のオーラルヒストリー研究が深めれないといけないのではないか。

(2020年9月5日記)
(2020年9月7日一部修正)