阪野 貢 のすべての投稿

上級国民の3つの心得

上級国民は 政治家や役人そのOB・OGで形成される
富裕層やその家族などが 含まれることもあるという
  
特権階級意識を持ち 一般国民とは隔絶した世界観を持つ
社会的ステータスをバックに 名誉や名声を誇る

一般国民を見下し 相手にすることを憚(はばか)る
常に同レベルの者たちと 慣れ親しむ特別な世界に生きる

建前は平等を唱えながらも 決して蔑視意識を変えず
批判されようとも 内心は頑なに譲ることはない

優遇されても当然のことと受けとめ 鼻で笑う
虐げられる者には目もくれず 関心すら抱かない

上級国民の3つの心得
常に 権力とカネと名誉 その欲望を満たせよ
常に 上級意識を強め その自尊心と名声を高めよ
常に 一般国民に没落せぬよう その傲慢なふるまいを堅持せよ

吉報! 
旭川から一人 上級国民の資格を取得されました

※上級国民:金持ち・政治家・権力者など漠然とした範囲に対する批判と皮肉を込めたネットスラングとして、2019年4月元通商産業省技官飯塚幸三氏が起こした東池袋母子殺傷事件により幅広く知れ渡ることとなった。

〔2021年1月31日書き下ろし。国会議員さんで銀座に通う人も入院する人も上級国民だそうです。偉い人たちなので、ただただ一般国民は平伏すだけです〕

付記
「旭川医大が病院長を解任 学長発言「漏えい」、本人は否定」
旭川医科大学(吉田晃敏学長)が25日、同大病院の古川博之病院長を解任したことが、関係者への取材で分かった。吉田学長が昨年11月、新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した市内の病院について「コロナを完全になくすためには、あの病院が完全になくなるしかない」と発言した学内会議を、古川病院長が録音し外部に漏えいしたなどとして、大学法人の理事らで構成する同大役員会が「職務上の義務違反」に当たると判断したという。古川病院長は北海道新聞の取材に対し、録音と漏えいを否定している。
旭医大を巡っては、古川病院長が昨年11月、新型コロナの患者受け入れを吉田学長に求めた際に「受け入れるならおまえが辞めろ」と言われたと同12月に証言。文部科学省が「事実であればパワーハラスメントにあたる」として事実関係を調査している。(北海道新聞2021年1月26日)

桑原直子「や~らしかやろー」

ぐずー ぐずーいうて 泣くとやろうか
泣き面(つら)のうっかんげて 泣きじゃーた そん時
つらば よんごひんぐになゃーて こぼらかす涙のつらは
や~らしかやろー

こまーか めんこんたんと にらめっこ
ジーとつらば 見よっぎんた 泣くかにゃーと思うた そん時
ニコって ほほえみばかえすこんなんてん
や~らしかやろー

きんしゃい きんしゃいばすっぎ ちゃーがつかごとして
ゆっくらーと両手ばのばゃーて ごちゃあば なんかけた その時
やわらかか においのしてくっつら
や~らしかやろー

スプーンば自分で持っぎんた 強かふいして
くちんまわりい どっさい散らきゃーて そん時
どうじゃって ニタッてすっつら
や~らしかやろー

ことばにならん 声ばじゃーて
指ばさすとこば 見んしゃいて
こいかにゃーて思うごたっおもちゃば さい出す そん時
いんにゃ いんにゃ かんぶいかんぶいすっ ぶっちょうずら
や~らしかやろー

すっぱだきゃーで ふろんなかで
お湯とぞうぐいして いたずらばすっ そん時
つら中笑うたごとなって まっきゃきゃのつら
や~らしかやろー。

や~らしゅうして や~らしゅうして
ほんなごて や~らしゅうして
ひっこまるっごと いのちのぬっかった
や~らしゅうして や~らしゅうして
ほんなごってー ありがとうない!
だっこだっこすっ ふちゃあのふかーか やさしさ
いのちのあっかぎい いっしょに歩こうない!

〔2021年1月29日。友人佐賀市社協桑原直子さんが、佐賀弁で演劇をしている方に依頼し書いていただいた「めんこいしょ」です。佐賀弁の微妙なニュアンスの違いを学んだといいます。いままでの作品も音のないのが残念です。まずはご鑑賞ください〕

威厳を羽織る

後継者指名の日を迎えた

腹を決めるまで どれだけ苦悩の年月を数えただろうか
その器に足るだけの人材を 育てなければならなかった
営々と半世紀 紡いできたおもいと事業を継承し 
新たな展望を切り拓く若い力が いまこそ必要とされた
変革は 若き者たちに託される

後継者ともくされる者の 真価が問われる時がきた
積み上げてきた信望と実績を 
統括者の力量として いかに付加するのか
多くの職員が納得し 信頼できる指導者でなければ 
ポストコロナ時代を 乗り切ることは難しい
中長期的な展望を視野に入れた 
経営理念とビジョンを 標榜しなければならない
負わされる課題は重く大きい
このプレッシャーに打ち勝つ 精神力も求められる

老いは 確実に下り坂を心身に強いていく
それゆえに 退路を断ち決断した
威風堂々と 退場の舞台をつくる
後継者を公表する日を 静粛な気持ちで迎えた

厳粛な面持ちで 後継者を指名した 
1年余の育成期間が 了承された
精魂が込められた 改革と展望 
精気に満ちた ポジティブなおもい
精誠(まごころ)に溢れた メッセージ
感情が抑制された語りゆえに 
その姿は 威厳を羽織る

〔2021年1月30日書き下ろし。発表の日まで体調の維持管理を徹底し、当日を迎えた。その心境はいかばかりであったのか。一人の人生の決断には、受け渡される若い世代もまた大きな覚悟を強いられる〕

須々田秀美「めごいなぁ」

えへで 泣ぐんたな
泣き顔(つら)くぁして 泣ぎ声(ごえ)ば出すこのいっとぎ
顔(つら)こひしゃげで 流す涙顔(つら)こ
めごいなぁ

ちっちぇーまなごど にらめあい
じへっど顔(つら)こ見でれば 泣ぐべがど思(おも)たこのいっとぎ
にまらっと わいはのほほえみけし
めごいなぁ

こちゃこいってへば どすべがど
ゆったど両手ば伸ばし 抱(だが)さってきたこのいっとぎ
やっこして 香(かま)りっこえー顔(つら)っこ
めごいなぁ

さじば自分(ふとり)で持づど ごんぼほって
口(くぢ)のまわりば のったど散(ち)らがすこのいっとぎ
どだばど にったどして
めごいなぁ

何(なだ)がさわがね 声っこ出して
指(ゆび)っこさす方(ほ)さ 目っこ向かせ
こいだなっておもちゃば 取(と)てやたこのいっとぎ
んでねんでねって 頭(あだま)っこふるふぐれっ顔(つら)っこ
めごいなぁ

裸(はだが)っこで 湯(ゆ)こさ入って
湯(ゆ)こかまして 悪(わる)さばするこのいっとぎ
にまにまど笑う 赤(あげ)ぇ顔(つら)っこ
めごいなぁ

めごくて めごくて
たんだたんだ めごくて
包(つづ)みこまれる 命このぬぐだまり
めごくて めごくて
たんだたんだ ありがてなぁ
包(つづ)みこむ 二人(ふだり)の深(ふけ)ぇ慈しみ
命こあるうじ 一緒(いしょ)じに行くべ

〔2021年1月29日。白神山地ブナ林再生事業に取り組む日本山岳会青森支部の須々田秀美氏は、97年春日本ユニセフ協会の事業で共にベトナム北部を旅した20年来の友人である。青森県平川市に在し、弘前弁で「めんこいしょ」を表現する。津軽弁でも太宰の故郷とはまた違う風情が醸し出されている。ご鑑賞ください〕

いずれにしても

「私は、常々、世の中には国民の感覚から大きくかけ離れた数多くの当たり前でないことが残っていると考えてきた。それらを見逃さず、現場の声に耳を傾けて、何が当たり前なのか、そこをしっかりと見極めた上で、大胆に実行する。これが私の信念です」

いずれにしても 当たり前が国民の感覚とズレていただけのことです
どっちみち 現場を見極めきれずに不発に終わるのは自明の理です
いずれにしろ 大胆な実行は意固地な老害を呼び込んだだけです
いずれにせよ 信念もただの世迷い言に過ぎません
 
「国民から信頼される政府を目指していきたいと思います」

いずれにしても 政府の前にあなたです
安倍さんと代わったところで 不信の二文字変わらない
いずれにしろ みんな同じ穴の狢のようです
周りのよいしょも変わりばえしない そのまんま
どっちみち 自助できなければ生活保護と ことばが尖って心を刺す

「行政の縦割り、既得権益、そしてあしき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進める」

どっちみち あなたの言い分 言葉の飾りってことでいいですね
いすれにせよ 規制改革って いまさらの話だよね
いずれにしろ 既得権で潤ってきたのは誰のか 自分が一番よく知ってるでしょ

「国民のためになる、ために働く内閣をつくります」

いずれにしろ あなたが大将 檄飛ばすだけ
みんなへいこらして 言うこときくしかありません
いずれにしても あなたの言うこと きこうがききまいが
導く力あるフリ バレただけです
いずれにせよ 緊急事態宣言どうするの
やっぱり延長かけるしかないですね
どっちみち このコロナ禍では何をやっても無駄みたい
おさまるまで 家で布団かぶって寝るしかないか

耳障りな〈いずれにしても〉が多用され
いずれにしても 結論ありきで終始する
どっちみち 長く続く人ではないと見切りをつけて
いずれにしろ 政局を招いて次の人に代わります
いずれにせよ 離れた民心は元に戻らず…ですね

〔2021年1月29日書き下ろし。菅義偉首相の昨年9月16日、首相就任会見での発言を振り返ってみた。予算委員会の質疑応答を聞きながら、閣僚の耳障りな言葉が心をざわつかせる。いろんな考え方があるけど、私の言ってることが正しいという開き直りか〕

散らかった頭

机上はカオス
散らかしたまま 整理のつかない状況そのもの
本と雑誌と資料が積み上げられている
小説から評論 歴史書からエッセイ
福祉や教育の専門書や新書や文庫本 
1週間分の新聞は 連載をまとめて切り抜く
ネットで必要な情報を 毎日2時間かけて検索し読む
データ化して印字された 1年間分のファイル五冊
コロナや政治と社会情勢 国内外の世界情勢 関心のある論文などなど
日付毎にラベルが貼られ 50センチに積み上げられている

過去の自分のレポートは
机をはみ出し 脇机とプリンターの上と 
足下の収納ボックスに放り置かれる
書き始めてる原稿の断片の幾つかが
添削の赤字にまみれて 訂正を待つ
情報の山は 散らかった頭の中のように
何の脈路もなく 机上とその付近に雑然と置かれてる

恩師と新たに取り組む本の執筆が 始まったばかりだ
一年という長丁場で じっくり腰を据えて取り組む
資料のつまみ食いをしながら 原稿の肉付けとなる
周辺情報も 読んでおかないと落ち着かない
いまの構想は仮り住まいのようなもの いつもガラリと変わる
頭のゴチャゴチャを 思うがままに楽しむ

誰にも縛られず 好きなことに時間を費やす
いまはそのことを 楽しむ余裕があるのが嬉しい
ただそれだけのことが 意味もなく面白い
散らかった頭のままで もう少し時間稼ぎをしよう
そうこうしていくうちに 構想が固まりだして
散らかっていた頭で 交通整理がきっと始まる
試行錯誤の連続で 失敗を糧に出来ない性分からか
またやらかすだろうと 内心諦めながら
資料の山の中を 散らかった頭でかき分け始める
そのときを告げるまで あがいている自分がいい

〔2021年1月27日書き下ろし。今日も恩師と原稿チェック。机上の煩雑さにあきれながら、いまを楽しむ自分を映す〕

野間晴美「かいらしおすやろ?」

ぐずぐずゆうて 泣かはりまっせ
顔がはじけて 泣き声ではる とおもたとたん
顔を崩して こぼれる涙
かいらしおすやろ

つぶらなお目めと にらめっこ
じーっと顔見て 泣くやろか とおもたとたん
ニコッと まさかのほほえみ返し
かいらしぃなあ

おいないすると ちょっとためろうて
ゆっくり両のてえのばして からだをあずけはった とおもたとたん
やらかい におい立つお顔
かいらしおすやろ

スプーンをもつんやて ごんたゆうて
口のまわりに ぎょうさん散らかさはるわ とおもたとたん
ほれやったったと にたり顔
かいらしぃなあ

ことばにならへん 声だして
指さす方に 目を向かせ
おぼしきおもちゃを さしだそう とおもたとたん
ちゃうちゃうと かぶりをふって ふくれっつら
かいらしおすやろ

素っ裸 湯船で
お湯とほたえて てんごしゃはるとおもたとたん
満面の笑みをうかべる 赤ら顔
かいらしぃなあ

かいらしぃて かいらしぃて
ただただ かいらしぃて
包み込まれる いのちのぬくもり
かいらしぃて かいらしぃて
ただただ おおきにどす
包み込む 二人の深い慈しみ

いのちの限り 共に歩まん

(2021年1月27日。共同研究者の京都華頂短期大学名賀亨先生のご紹介で、華頂短期大学附属幼稚園
教頭野間晴美先生から、ほっこりとする京都弁で『めんこいしょ』の翻訳が届きました。ご鑑賞ください〕

まずは1ヶ月の様子見

緊急事態宣言
全国一斉は無理でしょ
ヤバいところから始めます
さては1ヶ月様子見します

医療現場の清掃業務すらも厳しい最中
その実態すら把握できずに 体制強化を装う
まずはGOTO再開の目処を立てます
1兆円出します しないと誰かさんに叱られる
もう二週間切りました

これだけ手を尽くしたのに
セーブできなかった責任は あんたらでしょ
しっかり守らなきゃ 罰則つくって厳しくします
特権階級は夜の銀座も病院も治外法権 いい気なものです
心優しき民は コロナ疲れの限界超えて
ともかく二週間堪えるしかない

後手後手って 言われ放しの国会論争 
生煮え対策 どうにでもなる
与党は よいしょに専念
支持率下がろうが 老いの一徹 
野党の追撃 かわすだけのこと
いつもの展開 二週間はすぐ過ぎる

感染拡大 収まりつかない
医療体制も逼迫 移動制限も限界
誰もが予想できないこの事態
もとは事前の対策怠った つけ払いだけのこと
2週間では ステージ2に下がる気配全くなし
1ヶ月 先延ばしするしか打つ手なし

ワクチン接種の時期も心許ない
行政改革相河野太郎と官房副長官坂井学でバトルする
世界でも供給遅滞が続く中 契約通りに届く確証薄し
結果は1ヶ月延ばした先に見えてくる

そもそも緊急事態宣言の期間設定に無理がある
不確定要素がありすぎて 様子見しながら
規制強化の法案通し 強権発動準備する
そうでもしないと オリンピックに間に合わない
コロナ対策とオリンピック開催を 天秤にかけて迷走する

この政権の様子見は 
見切りをつける 
潮時は間近か

〔2021年1月26日書き下ろし。国会答弁聞いていて、この国難を乗り切る指導力に不安を強める。総理!総理です!〕

付記
2月末までの「宣言」延長論強まる
政府内で、緊急事態宣言の“延長論”がさらに強まっています。
政府内では、東京などの首都圏に関してオリンピック・パラリンピックを実施するため感染者数が宣言解除の目安よりもさらに減少する必要がある、などの声が一部で出ています。
さらに、26日の新規感染者数が東京など各自治体で軒並み前日を大幅に上回ったことから、菅総理周辺も「このままでは解除は難しい」などとして延長する可能性を示唆しています。政府は、今週いっぱい感染者数や医療提供体制のひっ迫度合いなどの推移を見極めたうえで、来週早々にも判断する見通しですが、延長した場合の幅については少なくとも2月末まで、との見方が有力視されています。(TBS系(JNN)2021年1月27日)

尾身氏、情報共有に不満 コロナ対応で課題3点提示
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は26日の衆院予算委員会に参考人として出席し、これまでのコロナ対応に関し不満を示した。政府と地方自治体の間で感染状況に関する迅速な情報共有ができず「最もフラストレーションを感じた」と表明。国民への情報発信、責任と権限の一元化と合わせた3点が改善すべき課題だと訴えた。
緊急事態宣言再発令中を理由に「過去を振り返る余裕はない」と断った上で発言。情報発信については、「コロナ疲れ」で国民の理解が得られにくくなったと指摘。感染が落ち着いた昨夏の段階で「医療提供体制や保健所機能の強化をしておけばよかった」と述べた。
(共同通信2021年1月26日)

阪野 貢/「人新世」における「変革への途」について考えるために―斎藤幸平著『人新世の「資本論」』のワンポイントメモ―

〇あまりにも難解で、いまだに積読(つんどく)を続けている本にカール・マルクスの『資本論』がある。筆者(阪野)がそれを読もうと思ったきっかけは、当時、社会福祉(社会事業)を学ぶ学生の必読書であった孝橋正一の『全訂・社会事業の基本問題』(ミネルヴァ書房、1962年5月)に挑戦していたときであったと記憶している。孝橋の「社会事業とは、資本主義制度の構造的必然の所産である社会的問題」を対象にする、という一節である。(その後、筆者は、マルクス経済学者宇野弘蔵の「原理論」「段階論」「現状分析」のいわゆる三段階論にハマった時期があった。今は昔である。)
〇「資本論」という言葉が本のタイトルにあるだけで積読になっていた本がいま、筆者の手もとにある。斎藤幸平(さいとう・こうへい)の『人新世の「資本論」』(講談社新書、2020年9月。以下[本書])がそれである。今回は、「資本論」という言葉に対するアレルギー反応が起きる前に、一気に通読することができた。それは、現代に生きる者(ヒト)として、地球を破壊するほどに進んでいる「気候変動」やその影響に関心をもたざるを得ないことによる。とともに、「気候危機」とも言われるその原因の資本主義を丁寧に解き明かし、鋭く批判し、それゆえに刺激的である斎藤の議論・主張による。とりわけ、『資本論』第1巻の刊行後に「マルクスが取り組んでいたのはエコロジー研究と共同体研究」(179ページ)であった。晩年のマルクスは、「資本主義がもたらす近代化が、最終的には人類の解放をもたらす」という「進歩史観」(史的唯物論)と決別した(152ページ)。マルクスがめざした「コミュニズムとは、平等で持続可能な脱成長型経済(定常型経済)」(195ページ)であったという、斎藤による、マルクスの再解釈・再発見(「マルクスの復権」「マルクス理解の理論的大転換」)によるところが大きい。
〇本書のタイトルの「人新世」(ひとしんせい)とは、斎藤によると、「人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを『人新世』(Anthropocene)と名付けた。人間たちの活動の痕跡(こんせき)が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である」(4ページ)。現在の地球の環境危機は、人(ヒト)の経済活動すなわち資本主義それ自体がもたらしたものであり、地球は新たな地質時代に突入した、というのである。
〇斎藤は本書で、環境危機を乗り越えようとする多様な主義・主張や運動に言及し、その問題点や限界を抉(えぐ)り出す。自然エネルギーや気候変動対策への公共投資によって、新たな雇用や経済成長を生み出そうとする「グリーン・ニューディール」(気候ケインズ主義)や、ロボットや人口知能(AI)の技術革新を加速させれば、持続可能な経済成長が可能になると主張する「加速主義」などについてである。それとともに、斎藤は、「マルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を<コモン>として持続可能に管理することであった」(190ページ)という。そして、気候変動問題の解決策として「脱成長コミュニズム」を提唱する。それは、資本主義の転換を迫る、資本主義でも社会主義でもない平等で持続可能な「社会像」である(コミュニズムは一般的には共産主義と訳される)。

〇本書から、<コモン>(共有資源)や「脱成長コミュニズム」に関する斎藤の言説について、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

いま求められる脱成長型のポスト資本主義
資本主義は、利潤を増やすための経済成長をけっして止めることはない。/資本は、(経済成長のための)手段を選ばない。気候変動などの環境危機が深刻化することさえも、資本主義にとっては利潤獲得のチャンスになる。山火事が増えれば、火災保険が売れる。バッタが増えれば、農薬が売れる。ネガティブ・エミッション・テクノロジー(大気中の二酸化炭素を回収・除去する技術)は、その副作用が地球を蝕(むしば)むとしても、資本にとっての商機となる。いわゆる惨事便乗型資本主義だ。/このように危機が悪化して苦しむ人々が増えても、資本主義は、最後の最後まで、あわゆる状況に適応する強靭(きょうじん)性を発揮しながら、利潤獲得の機会を見出していくだろう。環境危機を前にしても、資本主義は自ら止まりはしない。/だから、このままいけば、資本主義が地球の表面を徹底的に変えてしまい、人類が生きられない環境になってしまう。それが、「人新世」という時代の終着点である。/それゆえ、無限の経済成長をめざす資本主義に、今、ここで本気で対峙しなくてはならない。私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる。(117~118ページ)
環境危機に立ち向かい、経済成長を抑制する唯一の方法は、私たちの手で資本主義を止めて、脱成長型のポスト資本主義(「脱成長コミュニズム」)に向けて大転換することである。(119ページ)

「脱成長コミュニズム」を実現する道としての<コモン>
マルクスは、人々が生産手段を<コモン>(common)として共同で管理・運営するだけでなく、地球をも<コモン>として管理する社会を、コミュニズム(communism)として構想していた。(142~143ページ)
<コモン>とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき冨のことを指す。(中略)/<コモン>は、アメリカ型新自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する「第3の道」を切り拓く鍵だといっていい。つまり、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化をめざすのでもない。第3の道としての<コモン>は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することをめざす。(141ページ)
(すなわち、マルクスがそう考えたように)<コモン>の思想は、貨幣や私有財産を増やすことをめざす個人主義的な生産から、将来社会においては「協同的富」を共同で管理する生産に代わることをめざすのである。(201ページ)

「脱成長コミュニズム」を実現するための具体的方策
「脱成長コミュニズム」をどのように実現させるのか、そのためになすべきことは大きく5点にまとめられる。
(1)使用価値経済への転換/生産の目的を商品としての「価値」(儲け)の増大すなわち利潤の獲得ではなく、「使用価値」(有用性。商品やサービスの質)に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する。別言すれば、生産を社会的な計画のもとに置き、人々の基本的ニーズを満たすことを重視する。
(2)労働時間の短縮/労働時間を削減して、生活の質を向上させる。社会の再生産にとって本当に必要な生産に労働力を意識的に配分し、金儲けのためだけの、意味のない仕事を大幅に減らす。「使用価値」の経済に向けた転換には、労働時間の短縮が根本条件である。
(3)画一的な分業の廃止/画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる。資本主義の分業体制のもとでは、労働は画一的で、単調な作業が多い。労働をより創造的な、自己実現の活動に変えていくためには、多種多様な労働に従事できる生産現場の設計が好ましい。
(4)生産過程の民主化/生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる。「使用価値」に重きを置きつつ、労働時間を短縮するために、開放的技術を導入していく。そのためには、一部の経営陣の意向に基づいて非民主的な決定が行われるのではなく、労働者たちが生産における意思決定権を握る必要がある。
(5)エッセンシャル・ワークの重視/使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワーク(生活維持に不可欠な仕事)を重視する。ロボットやAIでは対応しきれない、ケアやコミュニケーションを必要とする介護や看護、保育や教育などの労働がしっかりと評価される必要がある。(300~314ページ)

<コモン>と「社会的共通資本」(宇沢弘文)の違い
(<コモン>に関して、より一般的に馴染みがある概念として、宇沢弘文の「社会的共通資本」がある。)宇沢は、人々が「豊かな社会」で暮らし、繁栄するためには、一定の条件が満たされなくてはならない。そうした条件が、水や土壌のような自然環境、電力や交通機関といった社会的インフラ、教育や医療といった社会制度である。これらを、社会全体にとって共通の財産として、国家のルールや市場的基準に任せずに、社会的に管理・運営していこうと考えたのである。<コモン>の発想も同じだ。/ただし、「社会的共通資本」と比較すると、<コモン>は専門家任せではなく、市民が民主的・水平的に共同管理に参加することを重視する。そして、最終的には、この<コモン>の領域をどんどん拡張していくことで、資本主義の超克(ちょうこく。困難を乗り越えること)をめざすという決定的な違いがある。(141~142ページ)

〇経済成長は確かに、私たちの生活や社会を物質的に豊かにした。それは、資本主義のグローバル化が進むなかで、グローバル・ノース(北の先進国)によるグローバル・サウス(南の発展途上国)からの労働力の搾取や自然資源の収奪のうえに成り立っている。グローバル・ノースの「過剰発展」や大量生産・大量消費のライフスタイル(「帝国的生活様式」)は、グローバル・サウスの人々の劣悪な生活条件に依存している。そしてまた、グローバル・サウスはそのグローバル・ノースに依存せざるを得ない。ここに資本主義の「矛盾」と「悲劇」がある(27~30ページ)。いずれにしろ、資本主義社会は、絶えず「外部性」を作り出し、そこに負担や犠牲を強いる・転嫁することによって発展してきたのである。
〇現代の資本主義は、「不平等を一層拡大させながら、グローバルな環境危機を悪化させてしまう」。資本主義は、豊かさを生み出すシステムではなく、「私たちの生活に欠乏をもたらしている」。「持続可能で公正な社会」を実現するためには、資本主義によって解体させられた、人々が生産手段を自律的・水平的に「自治管理」「共同管理」する<コモン>を再建する必要がある。そのための唯一の選択肢が、マルクスにみる「脱成長コミュニズム」である(258、290、360ページ)。斎藤の、ラディカルな主張である。
〇それを換言すれば、生産手段を<コモン>として社会的に所有し、民主的に管理することによって、経済活動は減退するが、現代の環境危機を乗り越えることはできる。このコミュニズムの萌芽は、「21世紀の環境革命として花開く可能性を秘めている」(323ページ)、となる。ここに本書の核心があり、思考や概念の斬新さをみる。
〇そして、斎藤は、「資本の専制から、この地球という唯一の故郷を守る」ためには、「3.5%」(ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究による)の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がることであるという(362、364ページ)。この点は非現実的な楽観論と評されるおそれなしとしないが、社会に大きなインパクトを与えた多くの抗議活動や社会運動は、最初は少人数で始まっている。本稿のタイトルにいう「変革への途」が含意するところでもある。

付記
〇論拠は不明であるが、斎藤の挑発的で小気味よい指摘やフレーズに次のようなものがある。あえて付記しておくことにする。

2015年9月に国連で開かれたサミットによって採択され、各国政府も大企業も推進する「SDGs」(エス・ディー・ジーズ、Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)は、「アリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背(そむ)けさせる効果しかない。(中略)SDGsまさに現代版『大衆のアヘン』である」(4ページ)。

「高度経済成長の恩恵を受けてあとは逃げ切るだけの団塊世代の人々が、脱成長という『綺麗事(きれいごと)』を吹聴している。(中略)若いころに経済成長の果実を享受しておきながら、一線を退いたそのときから『このままゆっくり日本経済は衰退していけばいい』と言い始めたというわけである(120ページ)。(ちなみに、「平等に、緩(ゆる)やかに貧しくなっていけばいい」という上野千鶴子(うえの・ちずこ)は1948年生まれであり、「本当に豊かな生き方は『ローカル』と『定常経済』にある」という内田樹(うちだ・たつる)は1950年生まれである)。

(「定常型社会」論を展開する広井良典(ひろい・よしのり)や社会経済学者の佐伯啓思(さえき・けいし)によれば)「資本主義的市場経済を維持したまま、資本の成長を止めることができるという」(128~129ページ)。「利潤獲得に駆り立てられた経済成長という資本主義の本質的な特徴をなくそうとしながら、資本主義を維持したいと願うのは、丸い三角を描くようなものである。まさに、真の『空想主義』である。これが旧世代の脱成長論の限界なのだ」(133ページ)。

理念なき教師

相模原市緑区の障がい者施設「津久井やまゆり園」
16年7月26日 入所者ら45人が殺傷された
「税金を障がい者に使うのは無駄。重度障がい者は殺した方が良い。俺は殺せる」
20年3月16日 植松聖被告に 横浜地裁は死刑判決を言い渡した

障がい者差別による凄惨な事件 
判決は 現場の教師にどんな問題と影響を与えたのであろうか
3月コロナで全学休校措置の取られたタイミングで
休校の対応と学年末の多忙さに追いまくられて
猟奇な殺人事件として 瞬時に流されていったのか
我関せず 心動かされることもなかったのか
被告への同意の感情を 押し隠したのか

学校教育は 崇高な仕事を担う資質を要して 
尊敬に足る者としては存在しない
特別な人間 選ばれし人間が 教鞭を取るわけではない
ごく普通の平凡な人間が その役割を託されているだけだ
なかには 勘違いして偉ぶる者もいることはいる
熱心に仕事に励む者も ずぼらな者も当然いる
そつなく仕事をこなし フリータイムを謳歌する者もいる
能力に乏しくとも 子どもに好かれている者もいる
千差万別 一概に教師に資質と人間性は語りきれない
だた 理念に燃え努力する者が救われてほしいとは願う 

理念なき教師の三失態
決してやってはいけないことを
やってしまうのは 罪が深いという
いつも依怙贔屓(えこひいき)して
いたぶるのは 犯罪もどきという
存在を平気で否定することが
わからないのは 教師失格という

教師失格の三態
差別と蔑視感を変えずに齢を重ね 
教壇に立っていることを 欺瞞という  
さもさもらしく非難するポーズをとって
教壇で教えることを 偽善という
人権問題を考えることなくスルーして
教壇で稼ぐことを 強欲という

〔2021年1月24日書き下ろし。教育が関わる社会的な事件から真摯に学べないことは学校と教師の質を劣化させる。校長の指導力も強く問われる〕

付記
「障害者や犯罪者が子供でいたら…」 教員が差別的ツイート 特別支援学校
群馬県西部の特別支援学校に勤務する再任用の60代女性教員が、ツイッターに障害者を差別する内容の投稿をしていたことが明らかになった。
県教育委員会によると、女性教員は昨年10月中旬にアカウントを開設し、「障害者や犯罪者が子供でいたらいない方がまし」「労災にならないように気をつけます。いきなり強くつかんだり殴ったりする障害のある人」などと投稿。複数回ツイートし、学校の取り組みや上司や同僚の実名を出して、批判するなどしたという。学校名が書かれていたことで発覚し、今月中旬、学校が県教委に報告した。女性教員は調査に対し、「日記のような個人記録として書いた。フォロワーがゼロで、誰でも読めるという認識が薄かった」などと認めているという。投稿は県教委の指導で削除した。県教委は「指導する立場の教員が差別的な内容を投稿することは不適切で、あってはならない」とし、今後、女性教員の処分を含めて検討するという。(毎日新聞 2021年1月23日)