阪野 貢 のすべての投稿

棟方梢「めごいべぇ」

ぐずって 泣ぐべが
泣ぎそうなつらっこがら 泣ぎ声ででくるこの一瞬
つらっこくずいでまって 涙っここぼれでくる涙顔
めごいべぇ

でったらなまなぐど にらめっこ
じたっとつらばみでで 泣くべがど思ったこの一瞬
ニコッと まさがのほほえみ返し
めごいべぇ

おいでってへば どんだべがって
ゆったらど両手ば伸ばして 抱がさってきた この一瞬
やわらけぇ かまりっこするつらっこ
めごいべぇ

しゃんじばじぶんでもずって じょっぱりはって
つらっこのまわりさ いっぺつけでまるこの一瞬
すげえべぇって にたっとしたつらっこ 
めごいべぇ

こどばさなねばって 声さだして
あじだって むがへで
こいだべがって思うおもちゃば とってやるこの一瞬
ちがうって あだまばふって不満だつらっこ
めごいべぇ

裸さなって 風呂っこで
湯っこで遊んで いだずらするこの一瞬
にたらっと笑っう あげえつらっこ
めごいべぇ

めごくて めごくて
たんだたんだ めごくて
包み込まいる いのちのあったかさ
めごくて めごくて
たんだたんだ ありがでな
包み込まいる 二人の深ゖ慈しみ

命の限り 一緒に行くべし

(2021年1月7日。共同研究者の青森明の星短期大学棟方梢先生から、出身地の津軽弁で『めんこいしょ』の翻訳が届きました。ちなみに、先生の出身地は青森県五所川原金木町、太宰治の故郷です〕

逃げろ!

関わりたくないあいつ
絡みたくて寄ってくる

処世術
絡まれても 相手にしない
言われても 無視する
SNSは 決して見ない
親に包み隠さず 具体的に話す
いじめてきたら 無言で臑(すね)を蹴り上げる
しつこくきたら 逃げる
でもそうできないから 
ひどく苦しみ ひとりで抱え込んで悩む

どうして 平気で嫌がせをするのか
甘えん坊で 見栄っ張りで格好つけ?
ほんとは ひとりぼっちが嫌なだけ?
構ってもらいたくて あがいているだけ?
なんか嘘っぽい
底意地悪くて 心根が腐ってるだけのこと
理由はどうあれ 弱い者いじめは許せない!
あいつにへつらう子らが いい気にさせて思い上がらせる
知らぬ存ぜぬ 事なかれ主義の教師らも 結果加担する
 
逃げろ! 
助けてって 声を上げて!
迷わず 逃げろ!
思いっきり嫌だって 声上げて!
必死に 逃げろ!
無理して 学校に行かなくてもいい!
無能な教師や悪しき級友たちから 逃げろ!
大切なこころといのちを守るために 逃げろ!

〔2021年1月6日書き下ろし。3学期が始まる。困った子がまた陰で困ったことをしでかす。いじめによる自死と報告された学校では子どものSOSが何度も教師に黙殺される。いつも不思議に思うのは、自分は大丈夫と裏付けのない自信過剰の教師の存在である〕

付記
いじめSOSを教員が何度も黙殺 加古川・中2自殺、非公開報告書の全容判明
兵庫県の加古川市立中2年の女子生徒が2016年にいじめを苦に自殺した問題で、生徒のSOSやいじめの兆候を学校の教員が何度も黙殺し、対応を怠っていた実態が明らかになった。共同通信が4日までに入手した、非公開部分を含む第三者委員会の報告書全文に記載されていた。
17年12月作成の報告書の非公開部分によると、いじめの始まりは小学5年。女子生徒が嫌がるあだ名が付けられ、無視が始まった。15年に入学した中学でもあだ名は浸透。クラスのムードメーカーが無視や悪口を率先し、他の生徒も逆らえなかった。3学期にはあからさまに無視され、「ミジンコ以下」と書かれた紙を渡された。
部活動でも陰口や仲間外れが並行。生徒は同11月、母親に「部活をやめたい」と訴えた。いじめを把握したはずの顧問らは部員同士のトラブルとして片付けた。16年4月、2年生になりクラスが替わっても、いじめは続いた。生徒は孤立を深め、夏休み明けの9月、命を絶った。担任に提出するノートに1年の3学期ごろから「しんどい」「だるい」との記述を繰り返したが、1、2年時の担任はいずれも「部活や勉強についてだと思った」といじめとの認識を否定した。16年6月のアンケートで生徒は「陰口を言われている」「無視される」などの質問に「あてはまる」と回答した。「のびのびと生きている」「生活が楽しい」には「あてはまらない」と答え、判定結果は「要支援領域」だった。最も注意を要するとの警告を担任は保護者に明かさず、三者面談では提出物の遅れを指摘しただけだった。
報告書は「いじめは明白だったにもかかわらず、見過ごされた」と認定。市教育委員会は「関係者への配慮」を理由にいじめの内容や経過を非公開とし、「学校が対応すれば自殺は防げた」など指摘の一部を公開するにとどまっていた。学校の対応を巡っては、生徒の部活動で顧問らがいじめの存在を示すメモをシュレッダーにかけ、第三者委に破棄したことを明かさなかった問題も判明。遺族は昨年9月、損害賠償を求め市を提訴している。
遺族の代理人弁護士によると、遺族は当時の担任や顧問らに聞き取りを重ねてきた。その上で、市教委がいじめの事実に向き合っていないという不信感があり、第三者委の調査で分かっていない部分が明らかになることも求めて、やむなく提訴に踏み切ったという。(2021年1月4日神戸新聞NEXT)

大地の子

きみは 愛くるしい魂の塊だった
生まれ出ずる時 人はみな歓喜に涙した
宇宙の閃(ひらめ)きの一瞬に生きる
奇跡のいのちが 大地に生まれた

地球は緑を失い 赤茶けた荒野が広がっていた
多くの人は 飢餓と戦火に苦しんでいた
生まれても 声もなく絶えていった
人の心は荒(すさ)み 略奪と殺戮の修羅場と化していた

きみは 強い意思を持って大地に立った
特別な力を備えているわけではない
奇跡を起こすわけでもなかった
ただ人の心に 何かが沁み渡っていくのだった

きみが生まれたときの歓喜は
誕生を待ち望んだ人たちからの贈り物
きみを愛しいと思う人が 集まっていた
みんな絶望の中にいたけれど 
きみの誕生で 何かを感じ心が動いていった
きみは 大地の子に育てられていった

きみが命じることはなかった
武器をツルハシとスコップに替え 乾いた地に水路を掘った 
流れ出た水が荒野に放たれ その地に木を植えた
乾いた地に再び緑が甦り 収穫を手にした時
怒涛のように響き渡る歓声を上げた
きみは ただ微笑んで見ているだけだった

大地の子は 希望そのものだった
地上のどこにでもいる子だった
誰だって子どもは 大地の子だった
飢餓や貧困や差別や暴力や犯罪や略奪や弾圧や環境汚染や病魔や内戦やテロや戦争
どんなに悲惨な時代でも どんなに圧政にもがき苦しんでも
どこかで大地の子が微笑み 勇気と希望の兆しをもたらす

大地の子が生まれる限り 人はきっと立ち直ることができる
大地の子が微笑む限り 人はいつでもしたたかに生きることができる
大地の子を抱きしめる限り 人はこれからもしなやかに生きることができる

大地の子の奇跡は それを信じる人にしか起こすことはできない
大地の子の存在は 奇跡のいのちを生きるわたしそのものである

〔2021年1月5日書き下ろし。大地の子。奇跡のいのちを生きる一人ひとりの名称。存在そのものが希望にならなくてはいけない。中村哲氏を追悼する〕

お利口さん

雪だるまさんみたいに なっちゃたわね
でもお外は寒いから これでよし
マスク 可愛いお鼻さんが出ています
そうそう それでよし

保育園でも お利口さんできるかな
「うん」
もう少しで お姉ちゃんになるんだもんね
「いってきま~す」 
「いってらっしゃ~い」

「ただいま~」
「おかえり~」
今日も元気でお友だちと遊んだ?
誰もお休みしてなかったの
良かったね
明日もまた 元気にお友だちと遊ぼうね
手洗いとうがい もうしゃちゃった
お利口さん

今夜はハンバーグで~す
小さなお手てを合わせて「いただきます」
おいしい? 
そう たくさん食べて大きくなって
「ママよりも ずっとずうっ~と こ~んなに大きくなるの」
ペロリと食べちゃったわね お利口さん
口のまわりをソーズで飾って「ごちそうさまでした」

テレワークなど 夢の夢
エッセンシャルワーカーのパパは 今夜も残業です
こんなにステキな時間は 持てないのです
二人でお風呂に入るのも 当分叶いません

さあ 歯磨きしましょ
自分ことするの 上手になってきたわね
仕上げはママよ
奥歯から 上も下もシュシュシュ
今度は反対 シュシュシュ
可愛い前歯を シュシュシュ
ブクブクうがいで お~しまい!

今日も元気でお利口さんだったわね
明日も元気にお利口さんになってね
おやすみなさい
「おやすみ」
夜中に髭面のほっぺをつけて
パパが「おやすみ」をしていきました
お利口さんに疲れて 
夢を見ることもなかったようです

〔2021年1月5日書き下ろし。毎日お利口さんたちが保育所に通います。家族も保育士たちも命と健康を護ります。お利口さんの元気と明るい挨拶が励みになります〕

大橋謙策/「日本社会福祉士会NEWS No197(2020年9月)」を読んで、疑問に思うこと(「老爺心お節介情報」第12号、2020年10月11日)

今回のニューズレターは地域共生社会政策を踏まえて国の2021年度予算等への要望と提案を特集している。このニューズレターに出てくる用語に疑問と違和感を感じたので話題提供したい。

➀ 国への要望事項で使われている用語の中に、「生活保護ケースワーカー」「、スーパーバイザー」、「ソーシャルアクション」が使用されているが、その用語の意味を省庁の関係者は理解できるであろうか。また、社会福祉学界で“慣用句”的に、何気なく使っている用語ではあるが、それを“吟味”しないで、使っていていいものだろうか。
② 同じく、ニューズレターの「倫理綱領」の欄に出てくる「クライエント」という語句の使用もこのままでいいのであろうか、

私は「ソーシャルワーク機能」という用語を1990年前後から意識して使ってきた。
1990年以前に“ソーシャルワーク機能”という用語を使用していた研究者を私は寡聞にして知らない(知っている方がいたら教えて頂きたい)。
なぜ、私が「ソーシャルワーク機能」という用語を意識して使用するようになったかは、そのころまで、社会福祉研究者、とりわけ社会福祉方法論を研究している方々が、ソーシャルワーカー=社会福祉士ととらえて論文を書いたり、話をしているのに違和感を感じたからである。社会福祉士は“相談援助”という位置づけであり、必ずしもソーシャルワーク機能を具現化出来る立ち位置にない上に、かつ、その当時、中央集権的機関委任事務体制であった時代(1990年に変るが)でもあり、社会福祉実践現場は福祉サービスを必要としている人が既存の社会福祉制度に該当するかどうかを判断する業務が中心で、とてもソーシャルワークとはいえず、私は日本には1990年までソーシャルワークはなかったと考えていたし、そういろいろな会合で述べてきた。
日本の社会福祉界にソーシャルワークを定着させるためには、かつ社会福祉士をソーシャルワークに関する専門職として社会的承認を得るためには、そもそもソーシャルワーク機能とはなにかを明らかにし、その機能は教師も弁護士も、保健師もソーシャルワーク機能の一部を有しているが、その機能全般を統合的に具現化出来るようにしないと社会福祉士の地位は確立しないという立場から、ソーシャルワーク機能という用語を使ってきた。そのソーシャルワーク機能といういい方が、今日ではほぼ定着したことは嬉しい限りである。

#「生活保護ケースワーカー」は「生活保担当現業員」では苗いけないのか。“ソーシャルワーク機能”が定着してきている時に、“ケースワーク”という用語を使うのであろうか。更には、「生活保護担当現業員」は“ケースワーク”だけで業務が遂行できるのであろうか。

しかしながら、それ以外では、相変わらずWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)文化の中で確立してきた、かつアメリカの社会構造の中で確立してきたソーシャルワークに関わる用語を無自覚的に、当たり前のように使用することに正直驚いていると同時に、それが本当の日本の専門職なのかと疑義を感じざるを得ない。
私は、玉木千賀子さんの著書『ヴァルネラビリティへの支援――ソーシャルワークを問い直すー』(相川書房)の推薦の辞で、そのことを書いた(是非読んで欲しい)。「クライエント」、「インテーク」、「ワーカビリティ」をごく当たり前に使って、痛痒を感じないソーシャルワークに関する専門職というのは、果たして専門職なのであろうか。言葉だけが“飛んでいる”のではないだろうかと思わざるを得ない。“福祉サービスを必要としながら、社会福祉の制度、サービス、相談窓口につながっていない人”をも、「クライエント」と呼ぶのであろうか。社会福祉学界では、ニーズ論、ディマンド論が大きな問題であって、今や厚生労働省も「地域共生社会政策」の流れの中で、“待ちの姿勢ではなく、アウオトリーチして問題を発見して欲しい”と言っている時代でも「クライエント」なのであろうか。
同じことは、「ソーシャルアクション」という用語もそうである。一般的にソーシャルアクションを起こすという言い方(その用語は使い易いので、私も一般的な使い方として使っていることがある)とソーシャルワーク機能を展開する上で使う「ソーシャルアクション」は同じなのか、違うのかである。
かつて、東京学芸大学の高良麻子先生が書かれた『日本におけるソーシャルアクションの実践モデルーー「制度から排除」への対処』について、高良先生に同じような感想を述べさせて頂いた。一般的に使われている用語を、社会福祉分野である意味を持たせて使う場合には自ずと説明をしないといけないのではないかと思っている。専門職だけに通用する意味で使うとすれば、それはある意味、専門職の“思い上がり”であり、“上から目線”になりかねない。意識して、専門職はそれらのことについて自戒すべきなのではないだろうか。
「ソーシャルアクション」は住民の立場から言えば、陳情なのか、告発なのか、制度改善運動なのかということであろう。専門職が使う「ソーシャルアクション」にはそれらが含まれているというなら、住民が一般的に使用している用語を使えばいいのではないか。それらと違ったソーシャルワーク分野における独特の“ソーシャルアクション”という“専門職の機能を発揮する独自領域”があるというのなら、それをきちんと説明した上で使って欲しい。
更には、「スーパーバイザー」という用語の使い方も同じである。“スーパーバイザー”とは、“施設、機関、病院などにおいて、スーパービジョンを行う熟練したソーシャルワークの指導担当者を指す”(『現代社会福祉事典』1982年、全社協、秋山智久執筆)と説明され、かつ、その“スーパービジョン”とは、“かつて指導監督と訳したことがあるが、現在では正確な意味を伝えるため原語をそのまま使用する。つまり、具体的なケースに関し、ソーシャルワーカーが援助内容を報告し、スーパーバイザーはそれを受けてクライエントや家族、状況の理解を深めさせ、面接など援助方法について示唆を与えたり、考えさせたりする教育・訓練の方法である”(前掲同書、黒川昭登執筆)と解説している。
この説明で言えば、その役割を担うのは、上司の場合もあれば、チームアプローチをしている場合には他の専門職かも知れないし、あるいは所属している学会や専門職団体の同僚かも知れない分けで、「スーパーバイザー」と言って、それがどのような職種で、どこに所属してその業務を行うのか、指導を受けるソーシャルワーカーとの関係やその指導の妥当性を担保する機能があるのかどうかもわからないのに、「スーパーバイザー」を配置しろという使い方には違和感を感じざるを得ない。
組織のなかで、援助方針に関し、問題を発見し、論議し、改善のための企画提案をするという営みは組織的にとても重要なことであり、かつそれでも十分でないとすれば顧問弁護士制度や顧問会計士制度と同じように外部監査制度、外部評価制度をシステムとしてどう位置付けるかを考えて欲しい。私自身はいくつかの自治体で顧問やアドバイザーとして職務を担ったことがあるが、“スーパーバイザー”という意識はなかった。

逆なでする

神経にさわる あいつの態度
人を人とも思わない 横柄なあいつ
人を顎で使う 不遜なあいつ

神経にさわる あいつのことば
人の意を介さない 侮蔑するあいつ
人を嘲笑うように 軽蔑するあいつ

神経にさわる あいつの生き方
唯我独尊気取りの 自惚(うぬぼ)れたあいつ
常識も無視する 恥知らずのあいつ  

神経にさわる あいつの嘘
事実を曲げて 虚言を吐くあいつ
扇動し歓喜する 得意顔のあいつ

逆なでされたこころは 癒やされず
ひたすら堪えることを 求められる

〔2021年1月3日書き下ろし。平気で逆なでする権力者は救いようがない。それに同調する者たちが一番怖い〕

蠹賊たち

蠹賊(とぞく)たち
それは誰か

反逆者の賊軍は 悪なのか
為政者や体制に反旗を翻(ひるがえ)し 罪なき者を無差別に殺戮するのがテロ
独裁専制主義の転覆を謀(はか)り 武力闘争するのがレジスタンス
果たして レジスタンスとテロは 勝利者が正義を主張する

為政者や取り巻きに不都合な者は 賊将と逆賊なる
1年前 ゲーム感覚でミサイルのスイッチを押した
見事命中 暗殺を正当化し 米国は世界にその死を告げる
国を取り戻そうとする敵将は 賊将の汚名に甘んじる 
大国を後ろ盾に弾圧を繰り返す者は 強欲にまみれながら正義を偽る

賊臣は反逆者
治政者は常に震え 疑わしき者を殺戮する
法外な統制権を正当化し 恐怖政治を断行する
生殺しの手法を駆使し 法を改定して法制国家を気取る
忠信たちは賊臣にならぬよう 民主主義の芽を潰す 
香港の若者たちのあえぎが いまもなお聞こえる
北朝鮮の民衆は 貧困とコロナと災害にいまも堪(こら)える

国賊は 誰か
歴史は 天下人が正当化され 業績が書き残される
体制におもねる者たちに 正しい記述を拒まれる
敗戦後 戦争責任への不完全な処分が国賊を救った
官僚制度は 解体や批判から逃れ 根強く生き延び取り仕切る
高級官僚は 権力者におもねる失政の責任を取ることもなく
誰が権力者になろうとも 官僚体制は強固であり揺るぎない
官僚トップの遺伝子は確実に受け継がれ つけいる隙を与えない
その地位を保持し 異見を排除する国賊の芽は 
すでに国難を招く下ごしらえを終えて 次の指示を待つ

乱臣賊子はすでに廃(すた)れ 国を憂(うれ)うこともなく 
いまの定めをよしとして 従順に受け入れる
蠹賊には これほど生きやすい環境はない
それすら気づかせぬよう 民心を蹂躙してゆく
警鐘を鳴らす者には 静かに社会的な排斥を企てる
蠹賊には このくらい容易に統制できる環境はない
事の本質をずらして 大衆を誘導してゆく
非協力の者には 確実に社会的な抹殺を企てる  

蠹賊の生きやすい体制が 亡国そのもの
気づいたときには 民は隷属するしかない

※蠹賊(とぞく):物事をそこない害すること。またその者。
※賊:①そこなう。害する。傷つける。②ぬすびと。わるもの。③国・社会を乱す者。

〔2021年1月2日書き下ろし。内部にあって物事を害するものを蠹という。トランプ大統領の如し。対岸の火事とはいえぬ日本の現状もまた然りか〕

大橋謙策/地域共生社会政策時代における地域福祉・地域包括ケア推進の10のポイント(「老爺心お節介情報」第6号、2020年8月2日)

2015年より厚生労働省で政策化が進められている地域共生社会政策は、我々日本地域福祉研究所が従来唱え、各地の市町村と協働して、開発、実践してきた「地域福祉」「地域包括ケア」の考え方及びシステムの具現化である。

(1)「地域福祉」とは、住民の自立生活(6つの自立要件――労働的・経済的自立、精神的・文化的自立、生活技術的・家政管理的自立、身体的・健康的自立、社会関係的・人間関係的自立、政治的・契約的自立――とその前提としての住宅保障)を基礎自治体である市町村を基盤に保障していく社会福祉の新しい考え方である。
(2)「自立生活」の保障の目的、内容は憲法第25条に基づく、“最低生活”の保障という“救貧”的考え方ではなく、憲法第13条に基づく、全ての国民が幸福追求、自己実現を図れるように支援するものである。それは1995年、国の社会保障審議会の勧告でも提唱された考え方である。
(3)「地域福祉」を推進するためには、住民と行政との「協働」が欠かせない。したがって、住民参加による市町村の地域福祉計画づくりが不可欠である。地域福祉計画は、従来の高齢者分野、子育て分野、障害者分野を統合的に地域福祉の視点を踏まえて策定すると同時に、健康増進計画や自殺予防、再犯防止、成年後見推進、農福連携等の従来の社会福祉行政の枠を超えて地域住民の健康と暮らしを守り、生きがいのある、差別・偏見のない、住んでいて良かったと思える市町村をつくる計画である。できれば、策定された地域福祉計画の進行管理も含めて、日常的に市町村の社会福祉行政について討議できる、条例設置による「地域保健福祉審議会」(仮称)の設置が求められる。
(4)住民の自立生活を保障していくためには、戦後の社会福祉行政が行ってきた属性分野毎の縦割り福祉行政(高齢者福祉課、障害福祉課、子育て支援課等)を再編成して、住民の出来るだけ身近なところ、アクセスしやすいところで相談をたらい回しさせることなく、かつ子ども、障害者、高齢者、生活困窮者等区別なく、福祉サービスを必要としているすべての人及びその家族、「世帯全体」への支援を一か所(ワンストップ)で行える総合相談体制システムの構築及びその拠点整備が必要である。
(5)住民の自立生活を保障していくためには「地域トータルケアシステム」(地域包括ケア)という医療、介護、福祉の連携が欠かせず、医療機能の構造化と地域化(中核病院と開業医(かかりつけ医)との病診連携、開業医(かかりつけ医)と介護支援専門員、訪問看護、保健師、障害相談支援員等との連携)を日常生活圏域の地域包括支援センター単位で展開できるシステムの構築が必要である。
(6)住民の自立生活を保障していくためには、制度化されているサービスと近隣住民などによるインフォーマルサービスとが有機化される必要がある。わけてもサービスを必要としている人を地域から排除せず、孤立させず、その人を支えるソーシャルサポートネットワーク(情緒的支援、手段的支援、情報的支援、人として認め、その人なりができる役割を遂行できるように支援)づくりが重要な機能となる。これらの機能、活動を展開するシステムとして、先に述べた総合相談体制とリンクする形で、コミュニティソーシャルワークを展開できるシステムの構築が必要である。
(7)コミュニティソーシャルワークを展開できるシステムには、別紙に書いてあるコミュニティソーシャルワーク研修の要件を体得した職員の配置が必要である。それは、地域という面を基盤にして従来業務を展開してきた社会福祉協議会の職員がこれらの研修要件を身に付けて配属されることが望ましい。そのためには、地域のニーズキャッチ(課題把握)機能、潜在化しがちな福祉サービスを必要としている人を発見し、つながる機能、自立生活支援に関わる生活福祉資金、成年後見制度、日常自立生活支援等の業務を担当地域ごとに総合的に対応できるようにするための社会福祉協議会の事務組織の改編が望まれる。
(8)「地域福祉」の推進には、相談の窓口、災害時の福祉避難所等において、社会福祉施設が大きな役割を果たせる。施設を経営している社会福祉法人は社会福祉法により、地域貢献をすることが義務付けられているので、地域包括ケアセンター圏域ごとに施設連絡協議会を設置し、民生委員、児童委員や地区社会福祉協議会と協働して問題解決を図るシステムの構築が必要である。
(9)「地域福祉」は、街づくりにも貢献できる。空家を活用しての居場所づくり、障害者が農業分野で働く「農福連携」、社会福祉施設が日々使用するお米や野菜を地元農家と契約して使用する地産地消の活動等「福祉でまちづくり」という考え方が重要である。そのために、商工会、JA等との連携が求められる。
(10)単身高齢者、単身障害者が増大し、家族、親族に頼ることができなくなってきている状況を踏まえ、「最期まで、地域で暮らし、地域に見守られ、地域で看取られる地域生活総合支援サービス」の構築が必要である。

つくられていく虚像

国民的人気が高い
マスコミは 枕詞に必ずつける

TV受けする男らへの形容詞
「イケメン」
容姿だけで人気を煽る ただそれだけのこと
誰でも彼でも テロップにそうつけ流す
ファンは ミーハーもどきで 声をあげて手を振る

知見も能力も低いと露見した男に
いまもなおマスコミは 枕詞をつけて
低レベルのミーハー政治へと誘導する

政治ジャーナリストもどきは 否定する事もなく
政治もパフォーマンスしかできない男を
次期総理候補の演出に 盛んに名前をひけらかす

TVやマスコミに タレントなみに振る舞う
気取った態度に 実力なき者たちは付き従う
この程度の者を担ぐ愚弄を 冒すに足る政治家集団
そこに おのが命と国運を預けるわけには無理がある

世論調査の次期総理候補者の名前のあげ方
世論調査の設問に お粗末な政治家をタレント化して 
意図的に操作し低俗な人気投票にしてしまう怖さ
批判力を失った社会の 未熟な民主主義の終焉

マスコミで作り上げた虚像
「叩き上げの田舎者」「凄腕の官房長官」
治政能力のない指導者たちの悲哀を 
いま味わっていることを 肝に銘じたい
これ以上の人材を求めることすら すでに道は塞がれた
残るのはマスコミ受けのいい パフォーマーだけか

それを 意のままに動かし傀儡に祭り上げる
重鎮たちには 引退を勧告したい
同時に 薄っぺらなパフォーマーはきっと淘汰される
それが 政治変革の道を拓く時流になるかもしれない

〔2021年1月2日書き下ろし。「国民的人気」が実力に裏付けされている意味で使われているのなら納得出来きる。マスコミに誘導される怖さを感じている〕

大橋謙策/他人の土俵に乗って、相手の領域の問題で相撲を取る(「老爺心お節介情報」第4号、2020年7月14日)

救貧的な社会福祉制度に基づく支援を行っている際には、左程他の分野の動向に関心を寄せることなく、社会福祉制度に関わる政策をウオッチングしていれば、実践も研究も事足りた。この歴史が長かったので、今でも社会福祉学研究者、実践者の中には、社会福祉政策との関係だけで物事を考えている人が多い。
1980年代半ば、私は社会福祉研究者・実践家、社会教育研究者・実践家は“出されてきた政策には敏感であるが、政策が出されてくる背景には鈍感である”という指摘をしてきた。私は“出されてきた政策に敏感になるのは当然であるが、それ以上に出されてきた政策の背景に敏感でなければならない”と考えてきた。
しかし、いまや社会福祉は地域での自立生活支援を目的とするソーシャルワーク機能を展開する時代である。かつ、社会福祉政策も「地域共生社会」を創造するという社会哲学、社会システム、地域創生に関わる政策になってきている。
このような状況の中では、社会福祉学研究者・実践家はよほど関心と交流のウイングを広げないと時代に対応していくことができない。
私の恩師の小川利夫先生は、私に対し、視野狭窄、タコ壺論者と良く叱り、“他人の土俵に乗って相撲を取れるようにならなければ一人前とは言えない”といい、自分の土俵に相手を連れてくるのではなく、他人の土俵に乗って話ができるように、意識して広い他分野へ関心を持つ事を奨励した。私は、当時、自分の分野さえもカバーできないのに、他分野まではとてもと思いつつ、他人の話題に付いていこうと背伸びをしていた時期があった。
今の「地域共生社会」政策時代にあっては、地方自治論、地域経済論、都市計画論、社会システム論等の知見や研究動向も踏まえなければならない時代になってきている。
そのような中、“地域福祉”関係者は、必ずしも社会福祉施設関係者と連携、協働ができていたとは言えなかった。ここにきて、社会福祉法人の地域貢献の急速な展開の中で、社会福祉施設関係者と連携、協働が求められているが、“地域福祉”関係者はどれだけ社会福祉施設、施設を経営する社会福祉法人の状況を理解しているのであろうか。
社会福祉法人の地域貢献を声高に言うのではなく、施設法人が現在どのような課題に直面し、苦労しているのかを真摯に、謙虚に学びながら施設法人と社会福祉協議会、民生委員とが協働することが「地域共生社会」政策の具現化に繋がることになる。