阪野 貢 のすべての投稿

2・13地震通告

東日本大震災から丸十年
復興の証を掲げて 東京オリンピックをぶち上げた
世界に赤っ恥をさらして すったもんだしている最中
2月13日23時8分頃
福島県沖の深さ55キロを震源とする
推定マグニチュード7・3の地震が起きた

震度6強の地震が発生
福島・宮城を中心に 東北6県は大きな揺れを感じた
関東一帯にも 強い揺れを引き起こした
それどころか 四国と九州を除く日本列島が
震度の大小があるにしろ この揺れを感知したのだ
津波の心配はないとの報道に 少し安堵した

停電も 一部地域で起こっている
厳寒期に 暖房がストップすることが懸念される
被害の全貌は まだ見えてこない
ただ 福島の東海第2原発施設には
23時55分現在 放射能の異常反応はないという
夜が明ける頃には 被害の状況が明らかにされるだろう
余震も続いている
いまは ただ無事を祈るしかない 

去年7月 九州付近に停滞した梅雨前線に線状降水帯が形成されて
九州各地を襲った豪雨以来の災害となった 
災害は いつでもどこでも起こりうる
日本列島の現実を 見せつけられた
コロナ禍で 自然災害が起こることが最も憂慮された
待望のワクチン接種も 来週から始まるタイミングで
出鼻を挫(くじ)くように 地震が起こった

強靱な国土づくりを いくら掲げても 
自然のなせる災いには 逆らいようも逃げようもない
オリンピック騒ぎを嘲笑うかのような 地震の警告
コロナとのダブルパンチを かわせるだけの減災対策
果たして いまの政権では心許ない
オリンピックの最中に 台風も地震もありませんとは
誰も保障など できるはずはない

今回の被害が 甚大にならぬよう祈りながら
復興オリンピックとは名ばかりの 人災を招く世の中に 
決して災害を忘れてはならぬとの 自然の警告
東日本大震災の教訓こそ いま思い出さねばならない
社会の弱者こそ 救われなければならない国づくり
その原点回帰のおもいを 心に刻まねばならない

〔2021年2月14日0時45分書き下ろし。自然の脅威にただただ驚愕するしかない。いまは被害が甚大でないことをひたすら祈る〕

付記
福島・宮城で震度6強、50人以上負傷
13日午後11時7分、宮城県南部、福島県中通りと浜通りで震度6強の地震があった。気象庁によると、震源地は福島県沖で震源の深さは約55キロメートル、地震の規模を示すマグニチュード(M)は7.3。津波の心配はない。各地の消防などによると、宮城県や福島県で50人以上の負傷者が確認された。
集合住宅での火災や落石、電線の断線といった情報も相次ぎ、東北地方から関東地方を中心に大規模な停電が一時発生した。東日本高速道路などによると、東北自動車道、常磐自動車道などが通行止めになった。常磐自動車道では路面の隆起や土砂崩れが起きた。
気象庁によると、今回の地震は2011年3月の東日本大震災の余震とみられる。今後1週間は震度6強程度の地震に注意が必要としている。同庁ホームページによると、東北沖を震源とする最大震度6強の地震は11年4月7日以来、約10年ぶり
13日午後11時半ごろ、福島県相馬市大野の常磐自動車道で土砂崩れがあったとの通報があった。車が巻き込まれたとの情報もあり、地元消防が詳細を確認している。東日本高速道路によると、同自動車道は現在通行止めとなっており、状況を確認中という。
東京電力パワーグリッドによると、地震による影響で14日午前0時34分現在、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨、静岡の1都8県で約80万9千軒が停電。東北電力によると、14日午前0時現在、福島、岩手、宮城、新潟の4県で計約9万1千軒が停電している。
加藤勝信官房長官は14日未明、首相官邸で記者会見し、地震による津波の可能性について「若干の海面変動がある可能性があるが、被害の心配はない」と述べた。人的・建物被害は「現在確認中だ」と語った。
政府は13日午後11時9分に首相官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置し、被害状況の把握を急いだ。菅義偉首相からは①早急な被害状況の把握②被災者の救命・救助③国民への的確な情報提供――の3点の指示があったと表明した。
加藤氏は東京電力福島第2原子力発電所や東北電力女川原発について「異常なしと報告を受けている」と説明した。東電福島第1原発については、記者会見後に政府が「異常がないことを確認した」と発表した。
宮城県や地元消防によると、火災が仙台市内で1件、塩釜市内で1件発生した。福島市の地元消防署によると、JR福島駅近くの集合住宅でも火災が発生したとの情報があり、状況を確認している。
JR東日本によると、東北、上越、北陸の各新幹線が一部区間で停電し運休。上越、北陸の各新幹線は約1時間後に運転を再開した。
各地の震度は次のとおり。震度6強=宮城県蔵王町、福島県相馬市、国見町、新地町▽震度6弱=宮城県石巻市、福島市、福島県郡山市▽震度5強=仙台市青葉区、宮城県名取市、東松島市、福島県いわき市、田村市、栃木県那須町▽震度5弱=仙台市宮城野区、宮城県栗原市、岩手県一関市、茨城県日立市、埼玉県加須市▽震度4=宮城県気仙沼市、福島県会津若松市、秋田市、盛岡市、水戸市、前橋市、千葉市中央区、さいたま市大宮区、東京都千代田区、横浜市中区、川崎市川崎区など。(日経2021年2月14日 1:01更新 4:27更新)

高校生とカーリング日本選手権

20キロの石が 氷上を曲がりながら滑る
曲がる(curl)ことから カーリングと命名された
円上のハウスと呼ぶ盤上での 陣取り合戦
円の中心から より寄り近いところに
石を置いた方が ポイントを得る
敵の石と味方の石の位置関係で 勝負は決まる
ハウスに敵の石が5個入ろうが
味方の石が敵の石よりも中心により近ければ勝つ
シンプルなカウントの仕方だが 複雑な戦略や戦術がうごめく 
1エンド敵味方四人ずつ交互に2投して 計16投の攻防戦だ
点数を取ると次のエンドは先攻になり 最後に石を投げる後攻が有利になる
先攻後攻を戦略的に替えながら 10エンドまで戦い決着をつける 

今週 北の最果て稚内(わっかない)市で
「カーリング日本選手権2021」が開催されている
今夜 男子の決勝トーナメントをテレビ観戦した
ナイスプレーに一喜一憂しながら 心から拍手を贈った
なにせ対戦が 予選1位の高校生チーム「常呂ジュニア」と
全日本選手権2連覇中の「北海道コンサドーレ札幌」
10エンドで決着がつかず延長戦に入る
最後はベテランに押し切られてしまったが 
まだ次の戦いが残されている
ワンサイドゲームにはならない布石が 午前中にあった
予選で 高校生がベテランチームに勝っていたのだ
それだけに 最後まで予断を許さぬ戦いだった
善戦した実力は フロックでは決してなかった

石を滑らせるときに 軸足を蹴る力加減でスピードを調整する
投げ方は 石を時計回りにするか反時計回りにするかで
回転の仕方が変わり 目標の位置によってコースを変える
目標のところまで石を誘導するには
ブラシを使って氷上をこすり 氷を溶かすスイーピングで
ハイドロプレーニング現象を起こす
これで5メートル近くも距離を伸ばすことができるのだ

思い描いたように 石が曲がりながらターゲットに向かってくる
相手の石の進路を邪魔するために ガードの石を置いたり
ガードの裏に回り込んで ハウスに入れてきたり
敵の石のそばに 置いてみたり
相手の石を 豪快にハウスからたたき出したり
置かれた石をギリギリにかわして 有利なところに石を動かす
一投毎に めまぐるしく局面が変化する

その都度 素早く戦術を決めて対処する
ミスショットが出ると すかさず突いてくるしたたかさ
ラッキーショットで逆転して 想定外の展開に身を乗り出す
アイスコンディションも 時間の経過と共に変化する
ストップウォッチを片手に 石のスピードを測りながら瞬時に判断する
氷を読み切る力が勝敗を分けるだけに 科学的に分析もするのだ

久しぶりに「ガラス越しのスキップ」をエンジョイした
ゲームの進行に合わせて 攻防の局面が変わるたびに
どんな戦略を持って 次はどこに投げるかという戦術を
言い当てるのが 観ていて面白いのがカーリングだ
その戦略や戦術を短時間に読み取り
まるで作戦を指示する者(スキップ)のように振る舞うことから
「ガラス越しのスキップ」と言われる

経験やセオリーだけでは読み切れない
ゲームの醍醐味が カーリングの魅力だ
それにもまして 若い高校生が堂々と日本選手権をかけて戦う姿は
他のスポーツとは全く違う「対等に大胆に挑む」素晴らしさを見せつけた
2時間テレビ観戦しながら ただただ感動と感謝しかなかった

※カーリング(curling):ストーンと呼ばれる円盤状の重さ20㎏の石を氷の上に滑らせるように投げ、約40メートル先のハウスと呼ばれる円の中心に近づけて得点を争う競技。進路をブラシで掃き、スピードや方向を調節する。四人一組の二チームで対戦。スコットランドで始まる。

※ハイドロプレーニング現象: 雨に濡れた道路や水たまりなどをクルマで走行するときに、タイヤと路面の間に水が入り込んでクルマが水の上を滑り、ハンドルやブレーキが利かなくなる現象。

〔2021年2月12日書き下ろし。35年前札幌真駒内アイスアリーナでの日本選手権を思い出しながら、その後のルールの大きな改正と戦略戦術の変革についていけないにもかかわらず、こうして2時間も高校生の戦いに夢中になれただけでも有難かった〕

いっときの凪

心がざわついて 落ち着かなかった
波打つように 怒りが襲ってきた
身もだえするように 苦しみが覆ってきた

いのちの危険は 何もなかった
暮らしにも 何も問題なかった
ただ心がざらついて 行き場を失っていた

身に降りかかったことではなかった
家族に降りかかったことでもなかった
社会の苛立ちが ストレートに心に刺さった

他人の考え方には 干渉できない
公人の間違えは 世間の批判に晒される
世の中を牛耳るとなれば なおさら厳しい

嫌なものを見せつけられて 心が疲弊した
手出しできないものを見せつけられて 心が縺(もつ)れた
許しがたきものを見せつけられて 心が軋(きし)んだ

社会的な排除を求めたということ
目の前からその存在が消えるということ
余計な混乱を招かないとわかったということ
権力への社会的な浄化作用は グローバル化し
古習の感溺は 廃(すた)れていく

権力者には 心穏やかなことではない
信頼と求心力を失うことで その地位を奪わる
虚言と尊大な言動が 世の不幸を生じさせてきた

心の凪は 自由と尊厳の意思から生まれる
心の凪は 公平と平等の行動から生まれる
心の凪は 科学と叡智への信頼から生まれる
心の凪は 人と政治との正義から生まれる

心の凪は 次の嵐を予感してざわつき始めた
権力構造は崩壊せず 陰で操る見え見えの隠謀
またまた 見たくもない茶番劇を見せつけられる
心の凪は 一時にしか過ぎなかったのかと
ひとり 臍(ほぞ)をかむ

※古習の感溺(こしゅうのかんでき):福沢諭吉の言葉。古くからの習わしを古いというだけの理由で当然視し、それに溺れて正しい判断に戸惑うこと。(辞書を引いても正確な読みがない)

〔2021年2月11日書き下ろし。米の権力闘争は泥沼化状態。日本でも心の凪を求めるムーブメントが世界中で起こり、容認されない日本人の思想性が暴かれるが、その権力構造は盤石であることを後で知ることになる〕

この期に及んで

弱虫でもいい
泣き虫でもいい
みんなそうだから

でもさ
脅されてビクビクするのは
どうかな?
怖がってオドオドするのは
どうかな?

黙っているのがいい
逆らわないのがいい
みんなそうだから
いまのまんまがいい
何も考えなくてもいい
みんなそうだから

でもさ
立ち止まったままでいいの
何もしなくてもいいの
みんなそうだからって
誤魔化していない?

ほんとは嫌だって叫んでない
どうだろう?
ほんとは違うって叫びたいでしょ
どうだろう?
みんなもきっとそう思ってるよ

どうして分かるかって?
それはね
そんな考え方や生き方が
間違っているって
ほんとは みんな知ってるんだ
自分らしく正しく生きたいって
ほんとは みんな悩んでるんだ
だからね
自分の嘘に気づいてるから
苦しんだり悔やんだりするんだよ
情けなさに腹を立てているんだよ

大事なときに
この期に及んで
臆病風を吹かして 逃げ出します
この期に及んで
正義も勇気も 捨て去ります
この期に及んで
友愛も信念も 放り出します

でもね
本心じゃないと分かっているから
いつかきっと
これじゃいけないって気がついて
きっと
正しいと信じる道を歩む人に… 

ただね 
みんなという言葉に 決して惑わされないでね
君が君でいるためには 自分で決めてほしい
みんなという中毒には 決して罹らないでね
君が君でいるためには 違いを大事にしてほしい   
みんなという空気に 決して染まらないでね
君が君でいるためには 一人になる勇気をもってほしい

〔2021年2月10日書き下ろし。子どもへのメッセージではありません。心当たりのある方々へのアイロニーです〕

阪野 貢/追記 /「脱成長」:人間の生き方の転換と生活基盤の再ローカル化を図る思想―セルジュ・ラトゥーシュの「脱成長」論のワンポイントメモ―

〇本稿は、先の拙稿――<雑感>(132)「『人新世』における『変革への途』について考えるために―斎藤幸平著『人新世の「資本論」』のワンポイントメモ―」(2021年1月27日投稿)の「追記」「補遺」である。内容的には、フランスの経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ(Serge Latouche)の「脱成長」論の抜き書きである。そのひとつのねらいは、それによって斎藤の「脱成長コミュニズム」論についての理解や思考が促され、真に豊かな地域社会を再生・創造する視点や方向性、そのための枠組みなどを見出すことができれば、というところにある。
〇いま筆者の手もとにあるラトゥーシュの本は、次の4冊である。(1)中野佳裕訳『脱成長』(白水社、2020年11月。以下[1])、(2)同訳『経済成長なき社会発展は可能か? ―<脱成長>と<ポスト開発>の経済学―』(作品社、2010年7月。以下[2])、(3)同訳『<脱成長>は、世界を変えられるか? ―贈与・幸福・自律の新たな社会へ―』(作品社、2013年5月。以下[3])、(4)ディディエ・アルパジェス(Didier Harpagès)との共著、佐藤直樹・佐藤薫訳『脱成長(ダウンシフト)のとき―人間らしい時間をとりもどすために―』(未来社、2014年6月。以下[4])、がそれである。
〇[1]は、21世紀に入りフランスから世界へと普及した脱成長運動の歴史的背景や理論研究を整理・分析し、「簡素な生活と節度ある豊かな社会」を構築するための方策などについて解説する。ラトゥーシュの資本主義批判と脱成長論の集大成である。[2]は、「ポスト開発」の経済思想について論述する単著と、脱成長運動の骨子を整理する単著の2冊が収録されている。ラトゥーシュ思想の決定版である。[3]は、20世紀後半から世界で展開されている産業文明批判の思想を脱成長論の視点から議論し、経済成長なき社会発展の方法と実践を整理する。「脱成長の道」を描く思想書である。[4]は、生産至上主義による資本主義経済・社会の発展によって人間は、「時計」時間に隷属するようになったと、人間と時間との関係性について論じ、人間らしい時間の再征服(reconquête、レコンキスタ)を説く。若者向けの啓蒙書である。
〇ここでは[1][2][3]から、ラトゥーシュの「脱成長」(仏:décroissance、デクロワサンス。英:degrowth、デグロース)の言説について、その一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。例によって、我田引水の誹(そし)りは免れないであろうことを承知のうえで、である。

「脱成長」という言葉と「脱成長社会」
脱成長という語は、概念ではない。また、経済成長の対義語でもない。脱成長は何よりも論争的な政治スローガンである。その目的は、我々に省察を促して限度の感覚を再発見させることにある。特に留意すべきは、脱成長は景気後退やマイナス成長を意図していないという点だ。したがって、この語は文字通りの意味で受け取ってはならない。(中略)「脱成長派」(脱成長運動の賛同者)は、生活の質、空気や水の質、そして経済成長のための経済成長が破壊してきた多くの物の質を向上させることを望んでいる。(中略)脱成長という語を「経済成長を崇拝しない態度(acroissance)」を指す語として使用しなければならないだろう。まさしく、進歩・発展という信仰や宗教を捨て去ることなのだ。([1]8~9ページ)

脱成長は、別の形の経済成長を企図するものでも、(持続可能な開発、社会開発、連帯的な開発など)別の形の開発を企図するものでもない。それは、これまでとは異なる社会(「節度ある豊かな社会」「ポスト成長社会」「経済成長なき繁栄」)を構築する企てである。言い換えると、脱成長は経済学的な企てでも別の経済を構築する企てでもなく、現実としての経済および帝国主義的言説としての経済から抜け出すことを意味する社会的企てである。([1]12ページ)

<脱成長>というスローガンは、成長を際限なく追求することを徹底的に放棄することを至上命題とする。つまり、資本移動を規制緩和しながら利潤を追求し、自然環境と人類に壊滅的な結果をもたらすその目的を破棄することである。/<脱成長>はマイナス成長ではない。(中略)ただ単に成長の速度を緩めるだけでは社会が混乱に陥ることは周知の事実である。失業は増加し、必要不可欠な最低限の生活の質を保障するところの社会、保健、教育、文化、環境の各分野におけるプログラムを破綻させることになる。(中略)雇用のない労働社会ほど最悪なものはないことと同じように、成長を約束できない成長社会ほど危険な社会はない。(中略)<脱成長>は「<脱成長>社会」においてのみ、つまり〔成長想念(思想)とは〕別の論理に基づいた体制においてのみ思考可能であるといえる。/厳密に言うならば、理論レベルでは、(中略)成長の減少・緩慢化・衰退(dé-croissance)よりも「無成長」(a-croissance)について語るべきである。何よりも重要なことは、経済・進歩および発展といった信仰ないし宗教を破棄することである。([2]140ページ)

<脱成長>は、蓄積、資本主義、搾取、略奪の縮小のほかにはない。/<脱成長>は断固として反資本主義の立場をとる。/多かれ少なかれ自由主義的な資本主義と生産主義的な社会主義は、成長社会という同一のプロジェクトの2つの類型である。/(<脱成長>における)発展、経済、成長からの脱出は、経済と関わっている社会制度のすべてを放棄するのではなく、むしろそれら諸制度を別の論理に組み込むことを意味する。<脱成長>はおそらく「エコロジカル(生態学的)な社会主義」と見なすことができるだろう。([2]245、246、248ページ)

われわれが構想し求めなければならないのは、経済的価値を中心的な価値(あるいは唯一の価値)とはしない社会、つまり経済を増大させることを前提とするようなこの狂気じみたシナリオを放棄しなければならない。このことは、地球環境の決定的な破壊を回避するためだけではなく、現代に生きる人間の心理的かつ道徳的な貧困から脱出するためにも必要である。([2]123ページ)

愛他主義はエゴイズムよりも重視されるべきである。同様に、際限なき競争よりも協力が、労働への執着よりも余暇の快楽と遊びの精神(エトス)が、制約のない消費よりも社会生活の大切さが、グローバルなものよりローカルなものが、他律性よりも自律性が、生産主義的な効率性よりも素晴らしい手作りの作品を好むことが、科学的合理性(le rationnel)よりも思慮深さ〔実践倫理〕(le raisonnable)が、そして物質的なものよりも人間関係が重視されるべきである。真実への配慮、正義の感覚、責任、民主主義の尊重、差異の称賛、連帯の形成、既知に富んだ生活。これこそが何物に代えてもわれわれが取り戻さねばならない価値である。([2]172ページ)

〇以上のようにラトゥーシュは、開発・発展による地球環境の破壊や、資本による人間の支配・搾取などをもたらす資本主義から脱出し、そのためのオルタナティブな(それに代わるもうひとつの新しい)価値体系に基づく人間の生き方や社会像について議論し構想する。その際、脱成長を「『経済成長社会から抜け出す』」という否定の側面からだけでなく、『節度ある豊かさ(abondance frugale)』という創造すべきプランの価値の側面からも」([1]153ページ)説いている。留意すべき視点・視座である。

「脱成長社会」へ移行するための具体的なプログラム
経済成長社会との断絶、すなわち脱生産力至上主義社会の構想は、簡素な生活の「好循環」の形をとる。以下の8つの目標(「8つの再生プログラム」)は、生産力至上主義および消費主義の論理と対照を成す重要な点に触れており、相互に依存している。8つの目標は、穏やかで、自立共生的で、持続可能な簡素さから成る「自律社会」(脱成長社会)へ向かう推進力となる。([1]61~68ページ。[2]170~185ページ)
(1)再評価する(réévaluer)
経済成長社会におけるそれとは異なる価値観を再評価することである。例えば、エゴイズムよりも愛他主義が、競争よりも協力が、労働への執着よりも余暇の快楽と遊びの精神が、制約のない消費よりも社会生活の大切さが、グローバルなものよりもローカルなものが、物質的なものよりも人間関係が重視されるべきである。また、自然に対しては侵略者のような態度を改め、庭師(にわし)のような態度をとり、自然と人間との調和を図らなければならない。
(2)概念を再構築する(reconceputualiser)
諸価値を問い直すこと(価値観の変革)は、われわれの世界と実在を理解する諸概念を問い直すことにつながる。特に考慮しなければならないのは、豊かさはお金だけに還元されないということである。本当の豊かさは、何よりもまず、よく機能する社会関係の組織のなかから生まれる。豊かさを問い直すことは、貧しさについて考え直すことも意味する。貧しさもまた、経済的次元や物質的な極貧状態の次元にのみ還元されてはならない。
(3)社会構造を組立て直す〔再構造化〕(restructurer)
変革された価値観に応じて、生産の仕方が変わる。つまり、われわれが生産するものや生産関係(生産に関わる法的・制度的・慣習的な構造)が変わり、社会関係の調整が行われる。ここで重要なことは、<脱成長>社会へ向かうことである。こうすることで、資本主義から脱出するための具体的な問題提起が行われる。
(4)再分配を行う(redistribuer)
生産関係や社会関係の構造が変われば、再分配の仕組みも必然的に変わる。再分配は、階級間、世代間、諸個人の間といった各社会の内部にとどまらず、北側諸国と南側諸国との間における富および自然資産へのアクセス(利用する権利)の分配も含む。再分配は、直接的には「グローバルな消費階級」の権力と手段を削減する。間接的には、誇大妄想的な消費への勧誘を消滅する。
(5)再ローカリゼーションを行う(relocaliser)
地域のニーズ充足のために地域レベルでなされるあらゆる生産活動は、地元企業を通じて、地域単位で実現されなければならない。商品と資本の移動は必要不可欠な範囲に制限されなければならない。地域レベルで実行可能なあらゆる経済的、政治的、文化的な決断が、地域規模でなされなければならない。
(6)削減する(réduire)
われわれの生産様式と消費様式が生物圏に与える影響を縮小しなければならない。われわれの生活習慣となっている過剰消費を制限することをはじめ、ゴミの廃棄や保健衛生上のリスク、ツーリズム(観光旅行)などを削減する必要がある。とりわけ、仕事をしたいと望むすべての人々が雇用されるようにワークシェアリング(仕事の分かち合い)を実施したり、余暇、芸術・製作活動、遊び、会話、生の喜びなどのために、労働時間の削減は肝要である。「仕事」中毒を解毒することである。
(7)再利用する(réutiliser)/(8)リサイクルを行う(recycler)
抑制の効かない美食を制限し、設備の周期的な廃棄を止め、直接には再利用不可能なゴミをリサイクルすることが必要である。物や機械を廃棄せず再利用することは、資源浪費を削減するために必要なだけでなく、物の本当の価値を学び直し、寛大な自然が与える贈与に愛着をもつためにも必要である。最後に、再利用できないものはリサイクルするように努めるべきである。

「8つの再生プログラム」と「贈与」の精神
贈与の精神は脱成長社会構築の要石(かなめいし)である。贈与の精神は、自律社会(脱成長社会)という具体的なユートピアの建設のために提案された好循環を形成する8つの再生プログラム(8つの「R」)のそれぞれの中に顕在している。わけても最初の再生プログラムである「再評価」が特徴的だ。なぜなら市場社会の諸価値―悪化する経済競争、我利我利(がりがり。自分の利益だけを営むこと)の精神、富の際限なき蓄積―と自然に対する略奪的思考に代わり、利他主義、互酬性、コンヴィヴィアリテ(convivialité、楽しい生活を創造し分かち合う倫理)、自然環境の尊重などの諸価値を導入することが大切である。(中略)つましさの中でも分かち合いを行えば万人が満足し、さらには生きる楽しみも生まれるが、我利我利の精神と結びついて豊かさは不幸を生む。そこで2番目の再生プログラム「概念の再構築」は豊かさと貧しさを再考する必要性を重視す。「本当の」豊かさは人間関係からなる様々な財によってつくられる。例えば相互扶助、分かち合い、知識、愛情、友情に基づく財のことである。反対に不幸は何をおいても心理的なものであり、近代社会が連帯的共同体の代わりにもたらした「孤独な群衆」の中の孤独感からもたらされる。([3]88~89ページ)

〇ラトゥーシュにあっては、以上の「8つの再生プログラム」はどれも、ある種のユートピア(希望と夢の源泉)である。そして、その実現は、地域社会という具体的な場所において生起し、地域社会の基本的なニーズの充足をめざすことに収斂される。その点で、「再ローカリゼーション」は、「具体的なユートピアにおいて中心的な位置を占める」([2]186ページ)ものであり、「脱成長」の要諦(ようてい)である。
〇ラトゥーシュは、日本社会について、次のように評している。「日本は新興工業国が台頭する以前に西洋型経済成長を遂げた最後の偉大な社会である」([1]24ページ)。「日本は独自の<脱成長>社会を創造するに相応しい位置にいるように思われる。なぜなら日本には、古(いにしえ)から続く東洋の文化が凶暴な西洋化によって完全に根絶されることなく残っており、そのような伝統文化が現在の経済危機を契機に復活する可能性があるからである」([2]17ページ)。
〇自然環境の破壊や資源の枯渇が進行し、人間(人類)社会は存続の脅威にさらされている。貧困や格差・分断が深刻化し、民主主義が機能不全に陥り、しかもコロナ禍で社会全体が未曽有の危機的状況にある。そんななかで日本社会はいまだ、「経済成長」信仰の呪縛(じゅばく)から逃れられないでいる。オルタナティブな「脱成長」社会の創造は、人間と自然との関係性の再構築とともに、地域社会の政治・経済の自立性や歴史・文化の独自性を模索し再発見・再生することから始まる。それは、グローバルな経済成長や物質的な充足に価値をおく社会とは異なる論理の構築と展開を必要とし、住民自身の主体的・自律的で、連帯的・共働的な地道な実践(「生活基盤の再ローカル化」)に基づく。しかもその活動や運動は、日本の経済や社会に回収されてしまうのではなく、「節度ある豊かな地域社会」の創造に集約されなければならない。
〇本稿で取り上げたラトゥーシュの3冊の本の訳者である中野佳裕は、次のように述べている。「訳者として最も望むことは、ラトゥーシュ思想を通じてわれわれが戦後日本の社会発展の歴史を国際的な文脈で再検討し、その結果として、日本の(玉野井芳郎らの)地域主義や(宮本憲一らの)地方自治論等のオルタナティブな日本を求める思想潮流がより統合された形で急進化され、地域社会の自律自治を再生する実践が活性化されることである」([2]332ページ)。付記しておきたい。

暇つぶし

退屈しのぎに 何かしようかと
思った矢先に 声がかかりました
あんたしかおらん 引き受けて欲しい
暇つぶしに 顔を出しました

退屈しのぎが 面白くなりました
腹にためずに すぐ態度にでます
会議でリップサービス 調子に乗りました
誰も反論することなく 笑っていました
失言は すぐに上手にみんなかばってくれます
暇つぶしで なくなりました

退屈してる場合じゃ ありません
世界中で反感買って やり合います
尊敬と平等に 文句がおありの様子
ちゃんと撤回して謝罪しました
IOCの太鼓判もいただきました
タイバーシティ(多様性)と調和をめざします
暇のない中 五輪憲章もちゃんと読みました

退屈まぎれの鬱憤晴らしに 騒いでいます
五輪委員会は トップのリザーブなし
適材適所の優れた人材 ここまで来て交代できぬ
五輪誘致と運営は 権威・権力のなせる結果です 
言いたい放題 やりたい放題 災いし 
暇どころでない 騒ぎになりました

退屈させず 政界やスポーツ界も忙しくなりました
スポーツ界の体罰 ハラスメント ジェンダー問題
棚上げされたガバナンスの問題が くっきりハッキリ見えました
親分子分の 人間相関図も見えてきました
与党の議員は 面従腹背(めんじゅうふくはい)しか道はありません
五輪ボランティアへの失言も 特別深い意味はないと平気で言い訳します
若いのは逆らいきれず ずっと同調圧力に屈しています
暇つぶしには 格好の話題となりました

退屈の虫は コロナごもりで静かでした
女性蔑視の失言騒ぎで 緊急事態が起こりました
国益を損するとまで言われても 慰留するのです
メダリストからも協賛企業からも レッドカードが出ています
国会には 東京五輪のあだ花の蕾が膨らんできました
暇つぶしには もってこいの観賞機会になっています

〔2021年2月8日書き下ろし。五輪の目的や価値を今一度学び直すいい機会となった。世界の社会規範や人権運動と乖離したことも露わになった。暇つぶしにしては重たい課題を、当の本人や取り巻きたちは自覚しているのか。IOCに牛耳られた金権五輪の片鱗を見た〕

夢のくず

青春は 儚(はかな)さ
夢が壊れて くずとなる

青春は カオス
夢は幻となり くずになる

青春は 純朴
夢は叶わず くずとなる

青春は 挫折
夢を奪われ くずになる

青春は 恋
夢は散り くずとなる

夢のくずで描いた心象風景 
夢の断片は くずにあらず
青春のあらがいの 心の葛藤

夢のくずが教えるジグソーパズル
夢のピースは くずにあらず
青春のあやまちの 心の痕跡

夢のくずを集めたタペストリー
夢の織り糸は くずにあらず
青春のときめきの 心の模様

〔2021年2月7日書き下ろし。青春の夢と挫折。蹉跌を踏みながら心を強く育てる〕

北海道の集中対策期間の延長

集中対策期間の2度目の延長は 避けられそうにない
去年の2月末全国に先駆けて 政治的判断だと大見得切って
若い知事が 全道の学校を休校にした
大したもんだと評価を受けて 人気はうなぎ登り
去年の11月から 感染もうなぎ登り
後手に回って 札幌と道内の移動を止めて
ススキノや飲食店での 営業規制を強化した

10月に 首都圏からの観光客や帰省客が往来し
感染広げたGOTOと それで緩んだ道民意識
11月 それでもGOTOは強行された
年末年始の稼ぎ時 期待した成果は上がらなかった
1月15日までには数値下がらず 経済活動瀕死の状態
集中対策期間の宣言を 余儀なくされて
2月15日まで延長かけた
さらに2度目の延長を 判断する日が迫ってきた
 
札幌を含めて 道内各地でクラスターのオンパレード
病院 福祉施設 学校 なかなか歯止めはかからない
学校は いまさら全学休校できず 卒業までは引っ張るしかない
子どもらは 自粛の限界超えて 緩む場所はどこにでもある
学校の管理規制の方法は 頓挫しているかもしれない
高校生には納得できる対策を 彼らと共に考える
そこに感染症拡大を ストップさせる鍵がある

札幌市議会と道議会のお偉い議員さん 姿カタチは全く見えず
リーダだけが パフォーマンスを繰り返す
国の動きが鈍い分だけ 地方自治が大きく問われる
ならば 苦しい暮らしを強いられる家庭や事業者に
どんな支援ができるのか 地方の目線で明確に示すしかない
その認識と覚悟なくしては ただの木偶の坊に過ぎぬ

いま問われているのは 
地方自治のあり方と 自治体の危機管理対策そのもの
法を笠に罰則事項を掲げただけでは 政治不信は拭えない
柔軟に対処できる方策を 住民サイドと協働して創意工夫する
それが 地方行政を担う者たちの 公僕としての責務であろう
先に弁解を用意して臨む愚策は やめていただこうか
国からの地方創生臨時交付金の有効活用が問われている

〔2021年2月6日書き下ろし。道内江別市では福祉施設の職員等への唾液検体PCR検査を、市が9割負担し約3600人を対象に実施する計画という。市内の福祉施設でクラスターが発生したことも要因するが、高齢者福祉施設が昨年6月「ネットワーク」を結成して感染施設への職員の派遣や市と共に感染予防に取り組んできた成果でもある〕

付記
1月だけで7校…”学校でのクラスター”に警戒感 知事 集中対策期間「判断慎重に」
集中対策期間の判断は来週1週間にかかっていると言えそうです。2月15日までの集中対策期間について、鈴木直道北海道知事は5日、道内の感染状況の推移を慎重に見極めて判断するとしました。
一方で若年層を中心に広がる集団感染については、対策を強化する方針を示しました。
5日の会見で鈴木知事は北海道内の感染状況について、1日の感染者数が依然として高い水準で、引き続き予断を許さないとし、15日までの集中対策期間延長の可否を慎重に判断するとしました。その感染者数を押し上げている要因について「1月の集団感染のうち、学校での感染も7件と多くなっている。学校が始まって友人と交流が増えることも要因ではないか」(UHB北海道文化放送2021年2月5日)

平穏でありたい

誰しも望むこと
いまだからこそ
心穏やかに暮らしたい

誰しも願うこと
いまだからこそ
家族ともども無事でありますように

誰しも為すべき事
いまだからこそ
エチケットを守るしかない

誰しも考えること
いまだからこそ
これ以上悪い事が起こらぬように

誰しも思うこと
いまだからこそ
ひとのつながりを大事にしたい

誰しも憤ること
いまのいまをわきまえない
やらかす者たちは 許しがたし

〔2021年2月6日書き下ろし。謝罪すれば許されるのですか? 思想信条は隠しようがない。「#Don’t be Silent」「#Gender Equality」「#Mori Resign」、世界中で間違えを正す。当人と取り巻きたちは、東京五輪を汚した事実にどう向き合うのか。代え難い人材って他には恥さらしはいないのなら代えてください〕

手をつなぐ

つれない素振り したけれど
なかよしになりたいくせに 意地張った
いつも天の邪鬼(あまのじゃく)が 邪魔をする
だから涙目を 袖で拭(ぬぐ)うしかないのです
手をつなぎたくても 素直になれないへそ曲がりです

離れたくないのに 邪険な態度が邪魔になります
なぜか分からず 背を向けてしまうのです
さすってくれた手のひらの ぬくもりが嬉しいのです
ずっと一人ぼっちでいたことで
握ることさえ無理だった手に 感じていたのです

あきらめていた いろんなことも
泣くまいと こらえてきたことも
ただ手をつなぐだけで 心がとけていきます
戸惑いもためらいも 静かに消えていきます

いつか 手をつなげるといいな
きっと いつもどこかで願っていたのです 
ただ 手をつないでもらうだけのことでした 
いま この手を離さぬよう強く握りしめました

〔2021年2月4日書き下ろし。手をつなぐだけで、困難を抱えている子に安心をもたらす。その子の痛みを引き受けて、その手をいつも握ってあげられる教師であってほしいと〕