〇筆者(阪野)にとって3月は、ここ数年来、地域活動に関する無力感や挫折感、息切れや息苦しさを感じる時期である。「地元」では余計な口を挟(はさ)まず、ルーティンを淡々とこなすことに終始する。さもないと、「出る杭(くい)は打たれる」のではなく「抜かれる」、という自虐的な思いでもある。そんななかで、遅ればせながら、「どうせ」「しかたない」という「諦めの壁」を超える方法論を提示し、「地域づくり」の“風”や“土”を感じさせる、ホッとする本に出合った。竹端寛(たけばた・ひろし)の『枠組み外しの旅―「個性化」が変える福祉社会―』(単著、青灯社、2012年10月。以下[1])と『「無理しない」地域づくりの学校―「私」からはじまるコミュニティワーク―』(編著、ミネルヴァ書房、2017年12月。以下[2])がそれである。勇気が湧いてくる。
〇僭越の極みであるが、腹蔵なく言えば、[1]と[2]の言説には、刺激的かつ魅力的な言葉(「魂の脱植民地化」「箱の外に出る」「エクリチュール〈仕事や肩書きとの同一化〉など)で新味を演出するものの、内容的にはさほど目新しさはない。必ずしもそれを否定するものではないが、「まちづくり」に関する既存の言説の仕立て直し(焼き直し)が散見される。とはいえ、なぜかホッとする。それは、確かで豊かな現場実践に基づいて紡ぎ出された言葉(言葉づかい)であり、言説であるからである。また、「市民福祉教育とまちづくり」の実践や研究に関わってきた筆者にとって、私事的なことどもが回顧されるのは、[1]と[2]には、その細部にわたる支持・不支持についてはひとまず措(お)くとして、再認識や再確認したい(すべき)いくつかの論点や言説が見出されることによるのであろう。
〇「我が事・丸ごと」の地域づくりが“上から”丸投げされ、「まちづくりと福祉教育」の定型化・標準化が推進されている。そういうなかで、本音の「私」発の、「手づくり」の「地域づくりの学校(学び)」という思想(考え方)にはとりわけ留意したい。ただ、[2]の「『無理しない』地域づくりの学校」(岡山県社協)の実践の体系化や理論化を図るためには、いま少し実践の蓄積と実践知の集約が必要とされよう。
〇本稿のタイトルに関して、誤解を恐れずに一言(いちごん)すれば、思考の「枠組み外し(「ときほぐす」)とは「概念くだき」(国分一太郎)のことでもある。「学びの渦」の創発とは、好循環を生み出す思考であり、弁証法的・螺旋的な発展(思考)を意味する。「無理しない」地域づくりは、地域に生きる「私」の内発的動機からはじまる。そのためにはまず、自分と向き合い、自己覚知することが肝要となる。そして、「自分事」として地域にかかわり、地域の課題に取り組むことが求められる。
〇[1]からは、次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「枠組み外し」と「個性化」と「社会変革」
「枠組み外し」とは、私達が「当たり前の前提」としている、「変えられない」と思い込んでいる「常識」「暗黙の前提」そのものを疑うことである。「どうせ」「しかたない」とわかった振りをせず、なぜ「しかたない」とされるのか、本当に変容可能性はないのか、どうすれば変える事が可能なのか、を徹底的に考え続けることである。これは、極めて個人的な、時として「反社会的」な営みである。だが、その枠組み外しをし続ける中で、絶対に変わらないと思っていた強固な常識の固い岩盤が崩落し、その下に、別の新たな可能性を見つけ出す瞬間が訪れる。この別の可能性との出会いのことを、ユングは「個性化」と名づけた。この「個性化」を果たす中で、実はあなたや僕自身が、より大きな社会の中で開かれていき、そこから社会が少しずつ変わり始める。つまり、あなたや僕自身の「個性化」を通じて、あなたや僕という一主体が、社会を変える渦の発生源となることも可能なのだ。(17ページ)
「諦め」と「学びの渦」の創発
「学びの渦」とは、そこに関わる人びとが、世界への認識の枠組みを遷移させる学習過程に身を置き続けることを通じて、新たな何かが「創発」されること、である。(60ページ)
ある人が何かに出会い、その出会いを通じて、自らが「知らない」世界があることに気づく。そして、「どうせ」「しかたない」「無理だ」という「諦め」の壁を越え、その「知らない」世界に賭け、身を投じる。その世界固有の文脈や声に耳を傾け続ける中で、自らのこれまでの知のあり様や生き方そのものを、根本的に問い直す。その問い直しの中で、自らが囚われている枠組みの限界に気づき、それをも乗り越えて、かかわりの視点を持ちながら、関係的主体として、出会いを活かして、自らの与えられた使命に気づき、それを実現する努力としての個性化のプロセスを突き進む。その個性化が果たされた結果として、「どうせ」「しかたない」「無理だ」という「諦め」の呪縛の向こう側にある、新たな何かが、気づいたら創発されている。自らが「諦め」から解き放たれる中で渦が創発し、その渦に自分も世界も巻き込み、巻き込まれて、渦が大きく自生していくうちに、結果的に何かが変わっている。
「学びの渦」とは、このような「諦め」や宿命論から解放され、渦が創発し拡大していく「渦的プロセス」である。(213ページ)
「成解」と「正解」の好循環
「成解」とは、ローカルな文脈という「空間限定的」で、かつあるタイミングでのみ適合するという「時間限定的」な制約を持つ概念である。そして、「当面成立可能で受容可能」で、その現場を変えうる力を持つ「解」としての「成解」こそが、福祉現場にも求められる知そのものである。教科書的知識や専門職の偏見・先入観を外在的に押し付けた「正解」(=専門家主導)では、現場が大混乱する可能性は高いが、そのメガネですっきり課題が解決する可能性は、まずない。特定の現場で、当事者の声に基づき、ローカルな文脈に寄り添うという意味で、福祉政策の課題は時間的・空間的文脈に依存的である。(154ページ)
ローカルな「成解」の積み重ねは、他地域での共感を呼び、一定の普遍性を担保するようになると、ボトムアップ的な「正解」になりうる。(156ページ)
局所的な「成解」のユニバーサルな「正解」への昇華プロセスの特徴的な点は、モデルや理念先行型のトップダウン型ではなく、あくまでも当事者の声に基づく(=当事者主体の)仕組みづくりというボトムアップ性である。対人直接支援という福祉政策の領域では、何らかのブレークスルー(現状の打開、突破)は、常に局所的現場の実践解という「成解」の中に、そのヒントが隠されている。そして、それを帰納的に普遍化し、新たな制度やシステムとして「正解」として形作り、現場に演繹的に投げ返す。この「成解」と「正解」の互いのフィードバックと好循環の形成や、「成解」から「正解」を問い直すシステムの構築が問われている。(156~157、158ページ)
〇[2]からは、次の一節(「精神障害者のノーマライゼーションを模索するPSWの5つのステップ」)をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それを「まちづくり」に引き付けて言えば、「本人」「当事者」を「地域住民」、「支援者」を「コミュニティワーカー」「まちづくりファシリテーター」あるいは「コミュニティデザイナー」(山崎亮)などと置き換える(読み替える)こともできる。
支援者と当事者の相互変容過程の「5つのステップ」
ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける <当事者とじっくり向き合い、本音を聞く>
ステップ2:その想いや願いを「〇〇だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走し始める(支援者自身が変わる) <当事者の想いや願いを実現するために、模索を始める → PSW自身が変わってゆく>
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める <一人では無理と気づき、問題を共有する仲間を作る → まわりの人々も変わりはじめる>
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく <仲間の連携がやがて組織や地域を動かし、居住環境や就労、所得などの側面が変わる → 地域の資源が変わっていく>
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる) <自信・誇り・役割意識などが当事者の中に芽生えはじめる → 当事者が変わる>(19~20ページ。<>内は[1]63~64ページ)
〇[2]のねらいのひとつは、自分と向き合い(「自己分析」)、まちづくりの「マイプラン」を作成するプロセスや手法について説述することにある(その点において[2]は[1]の実践編であると言える)。[1]と[2]における言説を、若干の管見を加えて、概念図化しておくことにする(図1)。併せて、[2]に紹介されている「シート」(注①)を転載する(資料1~6)。
〇なお、一般論として、「自己分析」の強調や偏向は、「心」や「思い」が重視されることにもなり、自己の思考が内面化し、その相対化や歴史的認識を難しく(危うく)する。まちづくりには、地域・住民の多様で多層な「要求と必要と合意」に関する認識と実践が肝要となる。また、柔軟性を欠いた「(ワーク)シート」は、形骸化や空洞化をもたらし、主体性や自律性を尊重すると言いながら、ひとつの思考や実践のみを推進することにもなる。あえて付記しておきたい。
〇最後に、例によって唐突ながら、[2]から次の2つのフレーズをメモっておくことにする。ひとつは、「福祉の人が『福祉だけ』している時代でも、『福祉の人だけ』が福祉のことをしている時代でもない。福祉を考えるにはまちづくりが、まちづくりを考えるには福祉が欠かせない」(51ページ)、である。「福祉のまちづくり」(1970年代以降)から「福祉でまちづくり」(1990年代以降)、そして2010年代は「福祉はまちづくり」といわれる時代へと移行した、という大橋謙策の考え方にも通底する(山崎亮『縮充する日本』PHP研究所、2016年11月、331、335ページ)。
〇いまひとつは、「福祉現場で働いている人が、新しい空気を取り込むために、職場以外の人たちとつながりを作るならば近くの異業種、遠くの同業種」(121ページ)、である。それは、(近くの)「異質性の協働」×(遠くの)「同質性の協同」=(緊張や葛藤の緩和・軽減による)「共働のまちづくり」の促進、ともいえる。求められるのは、外発的動機による「なれ合い」のまちづくりではなく、内発的動機を重視する「ガチンコ」(真剣勝負)のまちづくりである。それが「私」(「自己変容」)による「無理しない」地域づくりの本質であり、そのための「学び」(人づくり)の厳しさが問われるところでもある。
注
①「シートは50種類を超える。その中で常用しているのが15種類くらいであろうか。ただ、1か所の講座でその15種類のシートを全て配付するのではなく、講座の難易度や進行度合い、受講生の理解度に合わせて選別することになる」(尾野寛明[2]91ページ)。
補遺
福祉教育プログラムの企画ワークシートを3種類紹介しておくことにする(資料7、8、9)。本稿のねらいのひとつはここにもある。