阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」の研究:目次―その思想的系譜と変革の実践原理―

 


 

目 次

 


 

はじめに

本書の背景
〇私は、1980(昭和55)年前後から「福祉教育」を主要な研究領域と定め、微力ながら一貫してその理論と実践の体系化に尽力してきました。今あらためて振り返ると、長年取り組んできた自負はありつつも、いまだ道半ばであることを痛感し、当時の、そしてこれまでの自身の未熟さを顧みると、今さらながら恥ずかしさに身が縮む思いがします。
〇そんななかで唯一誇れるのは、希代の師に巡り合い、格別のご指導をいただいたこと。そして類まれな機会と場に恵まれたことです。この出会いと環境こそが、浅学菲才な私にとっては何よりの幸せであったと確信しています。
■伊藤・大橋先生は「産みの親と育ての親」
〇当時は福祉教育について研究し、発表する場は日本社会福祉学会しかありませんでした。でもそこで発表したことによって、いろいろな先生方に声をかけていただくことになりました。研究テーマを設定する苦しみを味わっていた頃に、神戸大学にいた伊藤隆二先生や「誕生日ありがとう運動」の創始者である藤本隆先生、それに佛教大学の村上尚三郎先生たちに出会いました。伊藤先生は、『「福祉教育」の研究』(柏樹社)の出版にあたって、私の拙稿を参考資料として掲載してくださいました。そのことが私にとって、その後の福祉教育研究の大きなきっかけになりました。その意味で伊藤先生は、私の福祉教育研究の“産みの親”であると思っています。
〇私が本格的に福祉教育について考え始めたきっかけは、全社協の福祉教育研究委員の末席に加えていただいたことでした。1982(昭和57)年から1985(昭和60)年にかけての第2次福祉教育研究委員会では、大橋謙策先生や木谷宜弘先生といった諸先生方とご一緒させていただき、多くの研鑽を積む機会を得ました。
〇私は大橋先生の門下生ではありませんが、後輩だということもあり、これまで長年に渡ってご指導をいただいてきました。大橋先生は私にとって福祉教育研究と実践の「育ての親」だと思っています。年齢的には「親」ではなく、「兄」という関係性でしょうが。
〇1982(昭和57)年から始まった全社協の福祉教育セミナーでは、大橋先生の講演をテープにとって、それを繰り返し聞いて学びました。懐かしく、いろいろなことが思い出されます。
■狛江市社協で実践のフィールドへ
〇福祉教育の実践や実践的研究として、本格的にフィールドとして関わったのは、大橋先生からお声掛けをいただいた狛江市社協です。狛江市社協では1990(平成2)年から「あいとぴあ推進計画」(地域福祉活動計画)にもとづいて、「あいとぴあカレッジ」を立ち上げ、その常任講師を務めさせていただきました。市民を対象にした体系的な福祉教育の場でした。市民が自分たちのまちの福祉について学ぶという連続講座で、原田正樹先生には学習支援者としてのチューターを務めていただきました。原田先生とはそれ以来、今日に至るまでご厚誼をいただいております。
〇狛江市社協ではまた、就学前の子どもたち向けに福祉絵本(「幼児のあいとぴあ」)の実践も行いました。市内の保育園、幼稚園に協力してもらい、絵本の発刊、読み聞かせ、保育・教育関係者に対する研修などをしてきました。
〇1997(平成9)年から、NHK社会福祉セミナーのなかで、「福祉教育」や「福祉のまちづくり」、「ボランティア」などのテーマが設けられ、その講義も担当させていただきました。市民にどう福祉を伝えるかをいろいろと考えさせられた実践であり、研究のヒントをもらったと感謝しています。
■「市民福祉教育」「ふくし」という考え方
〇1990(平成2)年ごろ、狛江市のあいとぴあカレッジの講義などでは、「市民的教養」という言い方をしていました。それが「市民福祉教育」へと発展したのです。
〇当時、福祉教育や高校福祉科教育との関連で、「国民的福祉教養」や「国民的教養としての福祉」という言い方や考え方がありました。それに対して私は、福祉教育は国や行政が上から社会福祉に関する考え方をすり込む、知識を注入するというのではなく、一人ひとりの住民や市民が下から、日常の暮らしのなかから切り拓き、創り上げていくものであるという思いで、「市民的教養」という言い方をしていました。たしか2003(平成15)年のNHKの社会福祉セミナーでは、「市民福祉教育」という言葉を使っていたと思います。
〇また私は、1990年代中頃から、あえてひらがなの「ふくし」という言葉を使ってきました。「ふくし」は「“ふだんの くらしの しあわせ”について、みんなで考え、みんなで汗をながすことである」という言い方です。福祉に関心のない、あるいは関係がないと思っている方々にも、その本質がスッと届くよう、日々の暮らしに寄り添う言葉選びを大切にしてきました。
〇地域へ足を運び、住民の皆さんの声を聞き、一緒に考え、一緒に行動することを通して市民福祉教育という発想になってきたといえると思います。私は岐阜県の関市に引っ越してきてから、関市社協や関市の地域福祉(活動)計画を策定する際、またその後も市内のすべての「地域ふくし懇談会」に出席さてもらっています。そういう場で住民の皆さんの話を聞いていると、われわれが福祉をいかに狭くとらえているかがわかります。
〇例えば、防災マップを一緒に作っていると、一人暮らし高齢者や障がい者などの要援護者のことだけでなく、あそこには外国籍の方がいるとか、あの家は最近空き家になったとか、通学路のあそこには子どものための見守りが必要だとか、あの地区は買い物難民が多くなったとか、まさに地域の生活マップなんです。住民の目線に立てば、福祉は生活そのものだと考えることができるのです。
〇こうした地域の人たちが、いかに主体的で能動的、自律的な「市民」に成熟していくか、それが地域福祉には大事だと思います。
■福祉教育はもっと学際的に研究を!
〇まちづくりに焦点化した福祉教育についての考え方は、これまで大きくはぶれていないと思っています。「まちづくりと市民福祉教育」は、まさにその集大成です。
〇大橋先生からは地域福祉全体から福祉教育を考えないと狭くなると指摘されてきましたが、福祉教育を軸にして地域福祉を考えるのもあっていいのではないかと思ってきました。〇ただ、私自身の研究の弱さとして、福祉の世界から教育を語っている、私が教育学を修めていないという弱さ、もろさは痛感しています。福祉教育が学校の先生や保護者に十分に伝わらない、根付いていかないのは、福祉と教育の真の融合が果たせていない、そのせいなのだろうかと反省することもありました。
〇もう少し厳しく言えば、われわれは「対策」としての福祉教育を言ってきたのではないか。つまり、高齢化社会の担い手を育成するための福祉教育、あるいは非行対策、児童健全育成策としての福祉教育という側面です。問題解決に向けた「対策」と人間形成を図る「教育」は異なります。この混同を整理しないまま、とりわけ学校福祉教育の推進を図ってきたのではないでしょうか。
〇福祉教育は学際的に研究が進められていくことはとても重要なことですから、ぜひ教育学や教育関係者と共同研究ができるようにしていってほしいと思います。
■理論研究には歴史研究が不可欠
〇福祉教育学という学問が成り立つかどうかわかりませんが、いずれにしてもそれをめざすには歴史研究は必要不可欠だと思っています。
〇今後の理論研究をより確かなものにするためには、明治期の地方改良運動にみられる福祉教育的実践をはじめ、敗戦後、平岡国市が創案した徳島県の子供民生委員制度や、神奈川県の社会福祉研究普及校制度、それに木谷宜弘先生の福祉教育実践や研究、こうした取り組みを整理する歴史研究が大事だと思うのです。
〇いささか僭越ですが、日本福祉教育・ボランティア学習学会はこの理論研究、とりわけ歴史研究に今少し力を注ぐ必要があるのではないかと思います。実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される。実践は歴史と理論によって支えられる、などといわれます。歴史研究というのは、文献や史料に当たるだけではなく、私は歴史研究にも現地主義というか、フィールドワークを大切にしてきました。昭和20年代の福祉教育の草創期の取り組み、その一つである徳島県三好郡の西岡小学校(子供民生委員)や、鳥取県八頭郡の八東(部)中学校(社会福祉事業普及校)などにも実際に足を運びました。現地に行って関係者に話を聞くことで、史料だけではわからなかったこともたくさん知ることができました。やはり現地に足を運ぶことが歴史研究には重要だと思っています。
〇もう一つ学会の研究に期待したいのは、実践研究です。この学会は全社協の福祉教育セミナーで実践の検討を積み重ねるなかで、理論化が必要だということで創設に至ったという系譜もあると思っています。現場の人が、日常の具体的な福祉教育実践をどう理論化し、一般化していくかが大事なことで、そのことを学会としてどう支援していくか、連携・協働するか、それに尽きると思います。つまりこの学会は実践とつながることに意味があると思います。
〇この点に関して私は、大橋先生の1986(昭和61)年の『地域福祉の展開と福祉教育』(全社協)のなかで記されている、「実践的研究書」という言葉に導かれてきたと思っています。
■まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり
〇「まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり」という言葉も大切にしてきました。「ふくし」は市民が切り拓き、創り上げていくものですから、学校の福祉教育だけではだめなわけです。学校福祉教育と住民・市民による地域福祉教育が融合する形で、それを「市民福祉教育」として構築し、推進することが求められます。市民社会の創造やガバナンスの実現、新しい公共や市民主権などが叫ばれています。そのことは今後ますます、市民福祉教育の実践と研究が必要かつ重要になるということではないでしょうか。
■ウェブサイトで若者との議論を望む
〇福祉教育の実践者、研究者として、私には3つの大きな夢がありました。1つは福祉教育の入門書を刊行すること。2つめは大学の、福祉教育に関する学科や専攻・コースの創設に関わりをもてればということ。3つめは福祉教育学会の創設に関わりをもたせてもらうことでした。
〇福祉教育は、その実践が広がってこそ意味があります。そのために私は福祉教育の入門書が必要だと思っていました。村上先生、原田先生とご一緒に編集をさせていただいた北大路書房の『福祉教育論』は、1998(平成10)年に、福祉教育の最初の入門書として上梓することができました。伊藤先生と大橋先生には玉稿を寄稿していただいています。2つめの夢は、中部学院大学の開設時に「福祉教育コース」が設けられ、そこで私が主担当になることでかなえられました。実はその時にも、大橋先生には格別のお世話になりました。いま、「福祉教育」(「福祉教育論Ⅰ・Ⅱ」「福祉教育方法論Ⅰ・Ⅱ」、各2単位)を学んだ多くの学生たちが、各地でその実践を大切にしてくれています。
〇そして3つめの夢であった福祉教育学会の設立にも携わることができました。結果的には、到底かないそうになかった3つの夢をすべて実現できたことは、私にとってこの上ない幸せです。これもひとえに支えてくださった皆様のおかげであり、心より感謝しています。
〇来年2013(平成25)年3月の定年後は、今年6月に立ち上げたウェブサイト(「市民福祉教育研究所」)を通じて、可能ならば市民福祉教育に関する拙い考えなどを発信し、また若い方々とも議論できればと念じています。(取材日:2012年10月1日)

本研究の背景と目的
〇筆者は1980(昭和55)年前後より、「福祉教育」を主要な研究領域と定め、半世紀近くにわたりその理論と実践の体系化に努めてきた。この間、全国社会福祉協議会をはじめ東京都・埼玉県・静岡県・富山県・岐阜県・三重県等の社会福祉協議会における福祉教育研究委員会等での研鑽や、東京都狛江市や岐阜県関市をはじめとする各地のフィールドにおける住民との共働を通じ、一貫して「福祉教育とは何か」「福祉教育はいかにあるべきか」を問い続けてきた。
〇本研究の目的は、これまで断片的にしか語られることのなかった福祉教育の歴史的実践を、明治期の地方改良運動から戦間期の生活綴方教育運動、戦後初期の子供民生委員制度、神奈川県の社会福祉研究普及校制度に至るまで遡及的に掘り起こし、その思想的源流を明らかにすることにある。そのうえで、筆者が提唱してきた「まちづくりと市民福祉教育」の概念を、単なる知識の伝達ではなく、地域社会を住民自らの手で創り替えていく「社会変革モデル」として論理的に再構築することをめざすものである。

福祉教育研究における今日的課題―「対策」から「教育」への転換―
〇現代の福祉教育におけるひとつの大きな課題は、それが多分に「対策」としての側面に終始してきた点にある。すなわち、少子高齢社会の担い手の育成や、非行防止、児童健全育成といった社会福祉問題を解決するための「手段」として福祉教育が位置づけられてきたことである。しかも、この「対策」と「教育」の混同を整理しないまま、道徳的な「思いやり教育」に傾斜してきたことにある。いま、求められるのは、従来の「思いやり教育」がいかに現代社会の構造的課題(生産性、自己責任論)を補完・温存してきたかを批判的に検討し、これに代わる「権利と構造変革の教育」(一人ひとりの尊厳を守り、そのために社会を編み直す教育)としての可能性を提示することである。これが本研究が取り組むべき核心的な課題である。

本書の構成と研究方法―歴史的検証と実践分析の統合―
〇本書では、理論研究の基盤には歴史研究が不可欠であるとの立場から、歴史的検証と実践分析を統合したアプローチを採用する。歴史的検証では、文献史料の分析に留まらず、検証作業を通して現代の「まちづくりと市民福祉教育」への示唆を考察する。実践分析については、筆者が強く関わった狛江市社会福祉協議会の「あいとぴあカレッジ」の事例を対象に、「市民福祉教育」がいかに「まちづくり」の基盤として機能したかを分析する。
〇本書は3部8章で構成され、福祉教育の歴史的検証(第1部、第2部)から現代における理論的再構築、そして実践的なまちづくりへの展開までを論じる(第3部)。

第1章:明治後期の地方改良運動にみる「自治民育」の実践
〇「福祉教育」を地方自治や地域振興の視点から捉え直し、その原点を1910年前後以降、内務省主導で展開された「地方改良運動」に見出す。当時の諸史料を紐解き、官製運動がいかにその後の思想の素地となったかを検証する。

第2章:昭和初期の郷土教育運動における「社会奉仕」の位相
〇昭和初期の「郷土教育運動」における「社会奉仕」概念を分析する。地域に根ざした住民参加の重要性を評価しつつ、一方で情緒的な郷土愛が体制補完的な役割に陥る危うさを指摘し、現代の「市民福祉教育」への示唆を考察する。

第3章:戦間期における生活綴方教育運動にみる「社会事業的」教育実践
〇1930年代の「生活綴方教育運動」に福祉教育の思想的源流を探る。指導者・国分一太郎が1936年に発表した2論文を翻刻・解題し、彼が提唱した「社会事業的教師」の現代的意義を考究する。また、その精神が戦後の無着成恭の『山びこ学校』等へ伏流として継承された可能性を指摘し、戦前・戦後の歴史的連続性を提示する。

第4章:徳島県・平岡国市による「子供民生委員」制度にみる「民生村造り」
〇1946年に平岡国市によって創案された徳島県の「子供民生委員制度」を取り上げる。平岡の生涯と制度の変遷を明らかにすることで、子どもによる民生委員活動(福祉活動)の本質を考察し、現代の実践・研究における課題を明確化する。

第5章:神奈川県における「社会福祉研究普及校」制度にみる福祉教育実践
〇1950年度より神奈川県が実施した「社会福祉研究普及校(社会事業教育実施校)」制度を検証する。各学校の実践内容とその成果を追究し、戦後初期における福祉教育の歴史的な特質と限界を浮き彫りにする。

第6章:福祉教育論の再考と現代的展望
〇形骸化・定型化が進む現代の福祉教育の実践・研究について、大橋謙策の「福祉教育原理論」を基軸に据えて再考する。大橋の「価値変革」、原田正樹の「関係変革」、そして筆者が主張する「市民自治による社会変革」を高次元に止揚(アウフヘーベン)し、「まちづくりと市民福祉教育」を真の「社会変革モデル」として再定義する。

第7章:「まちづくりと市民福祉教育」が拓く新たな地平
〇従来の「思いやり教育」を批判的に検討し、社会構造そのものに働きかける「権利と構造変革の教育」への転換を提唱する。小松理虔の「共事者」、奥田知志の「不可解性の受容」といった思想を援用し、自立を「依存先を増やすこと」と捉える「依存の権利化」に基づく理論的再定位を試みる。

第8章:「まちづくりと市民福祉教育」の計画化と実践的展開
〇1990年代初頭の東京都狛江市社協の「あいとぴあカレッジ」を事例に、教育がいかにまちづくりの基盤として構造化されたかを分析する。一過性のイベントに終わらせないための「See-Plan-Do-See」サイクルの提示とともに、それを支える「ヒト・モノ・カネ・シゴト」の4要素を体系化し、現代における展望を論じる。

【初出】
「本書の背景」は、阪野貢・原田正樹「この人に聞く⑬ 『市民福祉教育』として構築し、推進することが求められている」『ふくしと教育』通巻14号、大学図書出版、2013年2月、38~41頁の記事に加筆・修正を行ったものである。