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本書は、『過疎化SDGs・社会システム(仕組み)の力/本編―地域経営組織をつくる 杉しかない町から誇りある智頭町へ―』2023年3月12日/( ⇨ 全編)の加筆修正版です。
本書についてのご意見、ご質問等のお問い合わせは、このページ(フロントページ)上段画像下のナビゲーションメニューの「プラットホーム」からお願いいたします。寺谷篤志から直接、所見を述べさせていただきます。
はじめに―社会システム(仕組み)が奇跡を起こした―
〇2022年4月24日㈰の午後8時からZOOMで、秋田読書クラブ (主宰者、長尾眞文氏) の例会が行われた。題本は、『多様性の科学』(著者:マシュ―・サイド)で第6章の「平均値の落とし穴」(pp.268-312)を、関西大学社会学部教授草郷孝好先生が解説された。社会システム(仕組み)の重要性を再認識した。草郷先生とは初対面である。
〇次回は7月24日、拙著『ギブ&ギブ、おせっかいのすすめ(以下『ギブ&ギブ』)』(今井出版、2022年)第3章(pp.141-165)を、私が紹介する約束をした。このご縁を活かし、草郷先生から是非とも講評をお伺いしたいと思った。そこで、『ギブ&ギブ』の出版直後、既刊の『地方創生へのしるべ―鳥取県智頭町発 創発的営み(以下『創発的営み』)』(今井出版、2019年)と、『ゼロイチ運動と「かやの理論」』(今井出版、2021年)の智頭町づくり三部作をお贈りした。
〇7月24日(日)に読書会が開催されて、草郷先生から最後の1分間にコメントをいただいた。
《実は三冊の本を送っていただいていたのです。(略)ちょっと考え方を変えてあげる、物の見方をちょっと変えてみることで空気が変わる。空気を変えることを見事にされている。それを仕組みに変えて社会システムとしたところが最高に凄いところで、それは見事です。》
〇それから間髪を入れず、27日には草郷先生のご著書の新刊『ウェルビーイングな社会をつくる』(明石書店、2022年7月)が届いた。感激した。ご著書から、私たちは予想を越え未知への挑戦を行っていたことがわかった。つまり、地域づくりで「誇りの創造」をテーマに、社会システム(仕組み)の「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動(以下「ゼロイチ運動」)」に挑戦した。それらは何のためにやったのか、私たちはウェルビーイング(至高善)を手繰り寄せていた。2010年に腎臓癌を発症した。命を救ってもらい必死の思いで三部作を編集したことによって、地域づくりの核心を掴むことができた。
〇そして、応援していただいた方々の顔が浮かんだ。この納得感をあの世に持って行くわけにはいかない、兎に角まとめなければいけない。ところが2022年の酷暑は凄まじかった。7月末からフラフラしながら毎日パソコンに向かった、本書の構成は踏み込んで、また踏み込んで見えた。社会システム(仕組み)をキーワードに編集したところ、智頭町の集落で奇跡が起こっていた。
〇9月に入って草郷先生に荒書きを送った。「草郷です。修正資料を拝読させていただきました。セットで学生への貴重な資料になります。それから、差し支えなければ、関心のある知り合いに共有させていただきます」と。また、北京外国語大学北京日本学研究中心教授宋金文先生からは、「ゼロ分のイチ運動を社会システムの視点で整理して、いろいろ考えさせられることがあって、腑に落ちるものがあります。私も社会システム論の応用による境界突破という視点と、「制度創生と越境―過疎地域づくりの事例を通して」のテーマで、社会システムの立場から、この事例の意味を総括しているところです」。お二人のコメントに使命感を覚えた。地域づくりに社会科学の視点を取り入れ、理論を翻訳し実践して、身近な仕組みを少し変えた。本書は、住民の覚醒化によって地域規範が変化した二つのコミュニティ(鳥取県智頭町と京都市のマンション自治会)の軌跡を編集した。
2024(令和6)年10月
[プログラムガイド]“ ゼロ(無)からイチ(有) ” の小さな大戦略
〇1983年ごろ、智頭町の住民は観光資源がない、温泉がない、傑出した人物がいない、杉しかないと言っていた。しかし、地域社会で無いモノを幾ら嘆いても、地域は変わらない。私たちは智頭杉にこだわった。1984年に「杉板はがき」を発案し、翌年に「智頭杉名刺」を製作した。杉材の板切れや端切れでなにが地域活性化かと嘲笑された。
〇1988年に「智頭町活性化プロジェクト集団」(Chizu Creative Project Team:略 CCPT)を組織し、“地域の国際化”をテーマに青少年社会人海外研修支援事業をスタートして可能性が広がった。そして、1989年にスイス山岳地調査で住民自治の種を見つけ、新しい社会システムの実現に向けて挑戦した。世界に目を向ければヒントがあった。ところが30年前には、選挙違反が二度起こり、町会議員が大量に逮捕され、我が町はこんな町かと屈辱感を持った。どこにでもある普通の町(中山間地)がどうして革新できたのか、それはたまたま起こったことではない。
〇地域づくりに意図的に新機軸の①小集団活動を取り入れ、②社会科学の学びの場づくり、③社会システム(仕組み)を創造し、住民自治の舞台を創った。1995年にCCPTと智頭町役場職員7人で「智頭町グランドデザイン策定プロジェクト」のチームを発足させ、叡知を結集し、1997年に「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」がスタートした。15集落の住民が、「住民自治」「地域経営」「交流情報」の3本の柱によって活性化計画を立て実行する社会システムである。そして、2008年に地区振興協議会(旧小学校区単位)を設置し、併せて、行政施策で住民と役場が協働する百人委員会が起動した。その委員会に参加した西村早栄子氏(移住者)が「森のようちえん」を提案した。地区振興協議会の活動と百人委員会が実行され、智頭町に誇りを創造した。
〇そして、私は2011年秋に京都市に移住した。そこでマンション自治会の立ち上げを目指した。気づけば周りの町内会で毎年地蔵盆が催されていた。地蔵盆は豊臣秀吉の街づくり政策と言われている。マンションの理事会に地蔵盆を実施しようと提案した。ところがお地蔵さんが無い。考えた。お地蔵さんは大地を蔵に見立ててすべての生命が芽吹くところと解釈した。2014年2月、マンション管理組合の臨時総会が開催され、住民の総意を持って自治会が発足した。京都市のマンション自治会で日常防災をテーマに、子どもさん30人のふるさとづくりが始まった。
〇私たちの地域づくりの特色は、CI(Community Identity)戦略による。住民への対話は不可欠である。一つひとつ施策を企図し、社会科学を学び、講義等の文字起こしを行って共有することが、創発的規範の核心(萌芽)となった。諦めたら地域実現はない。それはなぜか。生きる。地域に生き抜くぞという信念が語彙となり、言葉となり、文章となり、会話となって、創発的規範の核となった。本書は地域創生に挑戦したステップを紹介する。
第1章 一歩を起こし、助走から「かや(蚊帳)の理論へ
〇1986年に鳥取県イメージアップ懇話会の委員の委嘱を知事から受け、審議の中から地域づくりを学び、いずれ智頭町に「地域戦略のソフト機関」を創りたいと思った。答申した「とっとりingsマン(積極人間)」の実践を決意した。鳥取県内の多様な人財と出会い、多くの知見を得た。そして、1989年8月末に「地域経営」をテーマに第1回杉下村塾(さんかそんじゅく)を開講し、参加者へ《これら「奇人」をいかに認めるかが、その地の将来を左右する。そして、地域の人々から出た「起人」が、「企人」に生まれ変わる》と、檄文を発信した。社会科学の学びから、住民と地方大学研究者との連携によって地域創生が実現した。
第2章 ゼロイチ運動と社会システム(仕組み)の創造
〇1993年に杉の木村で杉万俊夫先生(現:京都大学名誉教授)から「かや(蚊帳)」の理論 (『ゼロイチ運動と「かやの理」』講義-1、pp.206-228)(後記、参考資料3.参照)の講義を受け、CCPTと役場の連携を構想した。まず郵便局と役場職員は、高齢者サービスの「ひまわりシステム」を発案し、次に1995年にグランドデザイン策定プロジェクトチームを編成した。その時点に、杉万先生から「ゼロイチ運動と『かやの理論』―智頭町の活性化運動10年―」(論文-1、pp.4-27)が届いた。《「杉の木村」で行われている総事は、あくまで、「新しい」総事である。その総事は、CCPTという能動的な経営感覚の持ち主によって創出された総事であり、また、年間1万人を越える外来者を相手にした総事でもある》論考によって、次の段階の“集落のCCPT化”を実現するため、ゼロイチ運動を企画しスタートした。住民と研究者の叡知を結集し社会システムを創造した。地域に舞台を創れば人財は生まれる。
第3章 コミュニティの価値、創発的規範の連鎖
〇智頭町で実行した「かや(蚊帳)」の理論と社会システム思考を応用し、2014年にマンション自治会を設立した。学区町内会と連携しながら、地蔵盆とクリスマス会を開催し、子供さん30人のふるさとづくりを行っている。第13期 (2023.11.25) 第2回理事会で「居住者名簿」の作成が決議され、地縁による安心システムが起動した。
〇そして、杉しかない過疎の智頭町は、誇りの創造から起業戦略(小さな商い)へと展開している。それら実態を横浜市立大学教授吉永崇史先生ゼミ、関西学院大学非常勤講師畑井克彦先生ゼミ、京都大学教授永田素彦先生ゼミ、北海学園大学教授大貝健二先生ゼミは、智頭町をフィールド調査し、創発的規範の連鎖を検証された。1992年第4回杉下村塾に参されていた京都大学教授永田素彦先生から、「成長を続ける/成長を促す智頭」(第3章11(10))をご寄稿いただいた。地域づくりのプロセスが物語科学によって検証された。学生から感動の声が上がった。
第4章 智頭町の秘訣~地域の国際化、「誇りの創造」
〇1988年にCCPTの結成時、活動テーマを“地域の国際化”とした。杉万先生から《豊かな意味を汲みとれる心をもつには、豊かな「かや」に包まれることをおいて他にない》と提案された。本書を三冊目の翻訳図書として中国に提案したい。令和の遣唐使(書籍・ヒト交流)プロジェクトを企画中。北京外国語大学教授宋金文先生は、《寺谷さんたちの取り組みをじっと見ていくと、それは、方法はあるのだということに気が付きました。いま分かるようになったのは地域おこしがけっしてたやすいものではない、成果を上げるまでには、地元の資源、ひと、知恵などを凝縮して、住民主体に活動し、リーダーの粘り強い誘導などをとおしてシステム的に個人や組織、社会を動かすしかないということです。それは、長い道のりですが、やればできるということです》と、国を超える大学間連携から、住民と大学の襷掛け交流を展開している。
第5章 身近に人生師あり、独立自尊
〇21 歳の初冬の夜、地元小学校の宿直室に故小林義男先生を訪ねた。先生から手渡された一冊の本『ピーターの法則―創造的無能のすすめ―』(著者:ローレンス・J・ピーター)に、《階層社会では、全ての人は昇進を重ね、おのおの無能レベルに到達する》とあった。書籍は山峡の地に時代の先端を指し、学びの原点である。
〇子供の頃、母方の高祖父の逸話を聞いた。旧社村(鳥取市内)の村会議員をしていた。現職中、反対を押し切って溜池や発電所の建設を進めたという。おそらく地域を長い目で見ていたのだろう。施設は三世代にわたって活き続けている。つまり、「地域経営」の概念は高祖父の逸話に影響を受けた。そして、帰郷した時点から見ると雲外蒼天、想定外も想定外、予想を超えた地域づくりが実現した。社会科学の学びの場づくりが突破口となった。
おわりに―奇跡のサスティナブル(永続的)ラン、至高善(しこうぜん)へ !―
〇私の至(志)点は拙著を智頭町立図書館に献本することである。多くの方々と出会い、出会った人の数だけ知恵をいただいた。ここに万感を持って筆を擱く、と書いたところへ明治大学教授小田切徳美先生から、内容的にも「ラストラン」ではなく「サスティナブル(永続的)ラン」と、慧眼のコメントをいただいた。そして、《智頭町のこの30年間の取り組みと成果は、それに抗する大きな力になると思います。このような偉業に感謝しております》(2024.02.06)と、メールをいただいた。地域創生の事実をつくった。
追記―おわりにを書き終えて、極論・農山村は消滅しない―
〇幼い頃、あの山を越えて外の世界を見たいと思った。奇遇にも現在、平安京の大極殿の陰陽師寮址に住んでいる。1,200年前にはこの地で安倍晴明が天変地異を占った。地縁を感じる。願いは、地域づくりを編集し国内の過疎地域に事例紹介したい。交流先の北京外国語大学北京日本学研究センターに届けたい。命を救ってもらい、多くの人々との出会いが励みとなった。2年半かけてようやく一文字一文字を綴り、本書を書き終えた。地域は人々にとって身体の一部である。例え自治体が消滅しても地域は消滅しない。
書評―智頭町の地域づくり~解析「地域の社会的生態系(エコシステム)」の創造
〇九州大学大学院教授嶋田暁文先生に書評をお願いした。そして、ご教示いただいた「計画された偶発性理論」により、自身の行動パターンを理解することができた。書評では、《まず、寺谷さんの取り組みは、「社会システム」の変革には間違いないですが、用語として、「地域の社会的生態系(エコシステム)」というような概念を用いた方がすっきりしますね。生態系(エコシステム)こそが、しっくりきます》《「いずれにせよ、寺谷さんの最大のご貢献は、生態系を作り直したこと、プロセスを通じて、フォロワーだった人々の主体性を引き出し、彼(女)らが新たな生態系の下で主体的に活躍していくようになる基盤を構築されたことだろうと思います。その営みの全貌と背景(おじいさまのことなども含め)を知ることができ、大変勉強になりました》、地域の「エコシステム」の変革と解析をいただいた。
参考資料
① 1979年「ハエ(鮠・はや)」の理論
② 1991年「水平型エディターシップ」の理論
③ 1993~94年「かや(蚊帳)」「心の形成4点セット」の理論
④ 1997~98年「贈与と略奪」「現前トトロと伝説トトロ」の理論
⑤ 2023~24年「計画された偶発性理論」
〇私は理論を段階的に学習し一歩を起こし、実践論の核心を掴んだ。1983年に帰郷後、即座に行動したのは、自主勉強会で出会ったリーダーシップ論(著)松本順の「ハエ(鮠・はや)」の理論により行動原理を学んでいたからだ。智頭町の小磁極は「杉」である。そのことを共通の価値観としてチームを組織した。振り返ってみると周りから何と言われようと決然とした態度で実行した。
〇1997年に第9回杉下村塾の講義で、杉万先生からCCPTの活動13年のキーワードは「贈与と略奪」と解析いただいた。そして2023年に嶋田暁文先生からご教示をいただいた「計画された偶発性理論」は、①好奇心②粘り強さ③柔軟性④楽観性⑤勇気にある。特に①好奇心と⑤勇気と直観力が、夢を実現する法則と言える。
[プログラムガイド]まとめ
〇おそらく最後の執筆となる、とうとう19万字を超えた。そこで何が起こったか、執筆作業が心の免疫力を高めた。気力が充実し、病気には特効薬であった。それと創発的規範の伝播によってきっとインターローカリティ(3章7に解説)が起こるものと期待し、その執念で書いた。地域づくりを実践し40年、社会科学を学び、翻訳し、気づき、実践し、事実をつくり、記録し、創発的規範の連鎖を確かめ編集した。書いたことを公開したことによって、大学ゼミの学生さんは本書を読み、智頭町フィールド調査を行い、地域づくりが検証された。地域社会にとっても自分自身にとっても評価書である。
〇「森のようちえん」を視察した畑井ゼミの女子学生の「あとがき」(第3章11(12))~命を見つめなおす~山下奈々美さんは、《現代の女性が子どもを産み育てることから離れてしまった原因は何なのか。本当の意味で子どもを育てるということはどういうことなのか。目の前の当たり前に疑問を持ち、「本当のこと」とは何なのか。考えていく必要がある》、子育ての本質を問う共育機会となった。
〇地域づくりになぜ挑戦したのか、1つは、社会の本質と真理が知りたかった。2つは、住民自治と地域経営を実現したかった。3つは、人権を認める社会を創りたかった。つまり、地域づくりの延長線上に一生と老後がある。地域の新たな創造に手応えを感じながら取り組んだ。それは自己満足か、いえ違う。地域づくりは利他主義の実践(贈与と略奪)であった。地域づくりの秘訣は、創発的規範のゼロ(無)からイチ(有)の小さな大戦略にあった。
目次―社会システム(仕組み)の力―
社会システム(仕組み)の力
―鳥取県智頭町と京都市のマンション自治会―
発 行:2024年12月16日
著 者:寺谷篤志
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所