「エッセイ」カテゴリーアーカイブ

田村禎章/スープの冷めない距離感でー田村禎章の「ふくし文化論」(4)―

先日、愛知県豊田市にある「SOUP TOWN」を訪ねました。

この市民福祉教育研究所のブログでもたびたび登場する、コミュニティデザイナーの山崎亮さんが関わった福祉の拠点(総合福祉施設)です。

今回、私が顧問・アドバイザーを務める社会福祉協議会の地域住民が企画した視察研修に同行して訪問しました。

ここで印象に残ったのは、「高齢者」「障害者」「子ども」といった福祉の縦割りや、既存のサービスの枠から出発していないことでした。地域に暮らす人たちの声を聞き、住民とともに、この場所をつくり続けています。

そこの代表のお話を伺うと、最初から現在のような形が完成していたわけではないそうです。

職員が困っていれば、その困りごとに寄り添う。地域の人から声があがれば、その声に寄り添う。一つひとつ向き合っていくなかで、少しずつ今のSOUP TOWNが形づくられてきたといいます。

スタッフの方がおっしゃった「私たちは、ご利用者の5分の1の期間の家族になろう!」という言葉も心に残りました。家族そのものになるのではない。でも、単に支援するだけの人でもない。

私はそこに、「スープの冷めない距離感」という言葉の意味を感じました。

人は誰でも、「こんなまちに暮らしたい」「こんなことをやってみたい」という思いを持っています。しかし、それを声にしたり、自ら地域づくりのプレイヤーになったりすることは、そう簡単ではありません。

だからこそ、人と人とが出会い、互いに触発され、時には刺激を受けながら、「ちょっとやってみよう」と思える場所が必要なのではないでしょうか。

今回の訪問で、あらためて感じたことがあります。

まちづくりは、人づくり。

そして人づくりとは、誰かが誰かを一方的に「育てる」ことではなく、人が出会い、関わり、学び合いながら、それぞれが動き出せる環境をつくることなのだと思います。

それはまさに、市民福祉教育が大切にしてきたことでもあります。

近すぎず、遠すぎず。 でも、困ったときにはスープが冷めないうちに届く。

そんな人と人との距離感が、地域の「ふくし文化」を育てていくのかもしれません。

【参考情報】

SOUP TOWN(スープタウン)公式ホームページ
https://souptown.studio.site/

愛知県豊田市にある複合福祉施設。高齢者福祉・障がい福祉・児童福祉など、多様な福祉の取り組みを展開している。

田村禎章/「ともに在る」ことから始まる:学生の介護実習から学んだこと―田村禎章の「ふくし文化論」(3)―

この夏、私が指導する大学2年生の介護実習が行われました。

二十歳前後の学生たちが、4か所の介護施設や在宅介護サービス事業所を経験します。ほとんどの学生にとって、本格的に介護や福祉の現場に触れるのは初めてです。認知症のある方と出会い、学校や教科書だけでは知ることのできなかった福祉の仕事やサービスを、自分の目で見て、身体で感じていきます。

私は担当教員として、週に一度のカンファレンスで、一人ひとりの学生から実習で感じたことを聞いてきました。

今年、多くの学生が口にしたのが「コミュニケーションの難しさ」でした。

「何を話したらいいのか分からない」 「声をかけても会話が続かない」

学生たちは、「うまく話さなければ」と思うほど、もどかしさを感じていたようです。

そんな学生に、ある実習指導者が伝えてくださった言葉が心に残りました。

「その人と、ともに在ることが大切なんだよ・・・・・・」

コミュニケーションというと、私たちはつい「話すこと」「伝えること」を考えます。しかし、言葉を交わすことだけがコミュニケーションなのでしょうか。同じ場所で同じ時間を過ごす。相手の表情を見る。沈黙をともにする。その人を知ろうとする。そこから始まる関係もあるはずです。

私はここから、「共存」と「共生」について考えました。

ただ同じ場所にいる(共存)だけではなく、互いに関われば、時には考え方の違いや摩擦も生まれます。それでも相手を知ろうとし、自分も相手から影響を受け、少しずつ変わっていく。その営みこそが「ともに生きる(共生)」ということなのかもしれません。

これは、私が研究している「主体形成」にもつながります。人は一人だけで育つのではなく、誰かと関わり、自分が相手に影響を与え、また相手から影響を受けながら変わっていくのではないでしょうか。

学生たちがぶつかった「コミュニケーションがうまくいかない」という壁。

実はその壁の向こう側に、「ともに生きる」とは何かを考える、とても大切な学びがありました。
共生社会は、立派な言葉を掲げるだけでは生まれません。 まず目の前にいる人と、ともにいること。

そこから始まるのだと思います。

田村禎章/健康は、「楽しい」ことから :ミナレク運動がめざすもの―田村禎章の「ふくし文化論」(2)―

「健康になりましょう」と言われると、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。

運動をする。食生活に気をつける。健康診断を受ける。もちろん、どれも大切です。でも私は、健康にはもう一つ、「楽しい」「笑顔になる」「誰かと一緒に過ごす」という入口があってもよいのではないかと思っています。

岐阜県では「ミナレク運動」という取り組みが進められています。2016年に開催された「第70回全国レクリエーション大会in岐阜」を契機に広がってきたもので、子どもから高齢者まで、障がいのある方もない方も、レクリエーションを通して「体」「心」「頭」の健康を育み、みんなが明るく健康で笑顔になれる岐阜県をめざす県民運動です。

そのために、レクリエーション指導者の派遣、地域活性化を目指したレクリエーション活動、推進団体の認定など、さまざまな取り組みが行われています。

最近では、岐阜県の「モーニング文化」にも注目した「ぎふモーニングプロジェクト」が進められています。喫茶店でモーニングを楽しみ、人と会い、話し、外へ出かける。そんな岐阜の日常にある文化を「健康」につなげようという発想です。

私は、ここに「市民福祉教育」の大切なヒントがあるように思います。

人は、「健康になりなさい」「地域に参加しなさい」と言われただけでは、なかなか動きません。でも、「楽しそうだから行ってみよう」「あの人に会えるから出かけよう」と思えば、自然に一歩を踏み出すことがあります。

楽しむこと、笑うこと、人と出会うこと。そして、気づけば少し元気になっている。

こうした日常の小さな仕掛けや場を地域のなかにつくっていくことも、市民福祉教育であり、地域の「ふくし文化」を育てることではないでしょうか。

ミナレク運動も10年を迎え、新たな歩みが始まっています。

私もこの運動に携わってきた一人として、「みんなが健康になる」とはどういうことなのかを、県民の皆さんと一緒に考えながら、これからもミナレク運動を育てていきたいと思います。