あの頃の福祉教育、その記憶と記録(1):山本寿子「島根県における福祉教育について」等―資料紹介―

〇政治や官僚の世界では、「記憶の限りでは‥‥‥」「記録は廃棄した」がまかり通っている。その世界は、「一点の曇りもない」ところに「膿」(うみ)がたまる奇病・重病におかされている。奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)、摩訶不思議(まかふしぎ)である。また、政治屋の「上から目線」の物言いは不快の極みであり、怒りを覚える。政治主導→ヒラメ官僚→「忖度と自己保身」という構図も、あまりにも悲しく哀れである。そこには、政治家や(と)官僚機構の権力闘争が見え隠れする。
〇筆者は「現在」(いま)、自分の「記憶」と「記録」をたどって「あの頃の福祉教育」のことを「思い出す」必要性を痛感している。記憶は主観的で個人的なものであるが、記録は客観的で明示的なものであろう。そのとき、あるコトを記録する際には、「未来」(あす)のために何を記録に残すべきかという取捨選択の「意志」(こころざし)が働いている。その意志は、そのときの自分の関心事や価値観、判断基準などに基づくものである。
〇ここでいうあの頃の福祉教育とは、「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(通称「社会福祉協力校」事業)が始まる1977年前後以降、1980年代のそれである。そのとき福祉教育は、学校を中心に、熱い「意思」(考え・思い)のもとで力強く動き始めていた。記憶と記録から、その時代(「過去」)の人々の意思や意志を読み取る・読み解くための資料紹介をしたい、というのが本稿である。その真のねらいは、形骸化・停滞化しているともいえる「いまの福祉教育」の活性化を図り、あの頃の福祉教育の“輝き”を取り戻したいということにある。
〇言い換えれば、いま、確かな記憶と残された記録に基づいてあの頃を「思い出す」ことによって、いまを変え、新しい「動き」を「下から」起こすべきであるというのが筆者の意思であり、意志である。経済界の要請に沿った「時の政府」が主導する、「上から」の福祉・教育改革に翻弄される「福祉教育」は、まっぴらご免こうむりたい。
〇周知の通り、1977年4月、全社協は、それまでの中央ボランティア・センターを改組・強化して、全国ボランティア活動振興センターを設置した。それ以後、福祉教育の普及と各地の実践経験をふまえた理論的体系化の作業、それにその推進方策についての研究協議が全国ボランティア活動振興センターを中心に行われることになる。
〇全社協・全国ボランティア活動振興センターは、1980年9月、福祉教育の理論的整理を行うために、「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)を発足させた。そして、そこでの研究成果は、翌1981年11月、「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」として中間報告された。中間報告では、学校における児童・生徒の社会福祉への関心と参加の促進を図るための基本的な考え方やひとつのモデルが示された。次いで、1982年9月、新たに「(第2次)福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)が設けられ、翌1983年9月、「学校外における福祉教育のあり方と推進」と題する中間報告がなされた。その際、同時に、岩手県(小学校)、島根県(中学校)、それに山口県(高等学校)の学校現場教師によって構成された「地元研究委員会」を中心に、主として学校の全教科・全領域における福祉教育指導案づくりがなされ、「学校における福祉教育の推進体制と指導案」が中間報告された。1984年11月、全社協から『福祉教育ハンドブック』が上梓された。それは、以上の福祉教育研究委員会による3つの中間報告をまとめたものであった。それによって、福祉教育は、一定の理論的整理が行われるとともに、具体的実践のための「水先案内」を得ることになる。
〇こうした理論研究とあわせて、全社協・全国ボランティア活動振興センターでは、1982年3月、『ボランティア・福祉教育研究』と題する研究誌を創刊した。その「刊行にあたって」には、「本誌はボランティアと福祉教育の両分野にわたる調査・研究・実践報告を丹念に収集し広く全国に伝え、研究と実践との橋渡しの役割を果したい」とあった。しかし、この分野での調査研究の機会がまだ十分に熟していなかったのか、翌1983年9月発行の第2号をもって廃刊となっている。雑誌の創刊にかかわった木谷宜弘先生らの意思や意志は、時代の10年先を行っていたのであろう。日本福祉教育・ボランティア学習学会(初代会長・大橋謙策)が設立されたのは1995年10月であり(注①)、『年報』が創刊されたのは1996年7月である(注②)。
〇全社協・全国ボランティア活動振興センターは、1983年3月、上述の第2次福祉教育研究委員会の研究日程の一環として「福祉教育セミナー」を開催した。セミナーは、それ以降、「東・西日本福祉教育研究協議会」(1983年度~1984年度)→「全国福祉教育研究セミナー」(1985年度~1989年度)などと名称を変えながら、福祉教育の具体的な取り組みや推進方策についての研究協議を継続的に行なっていく。そこでの研究協議は、①福祉教育の必要性や理念についての協議から具体的な推進方策についての検討、そして実践プログラムの開発へ、②学校や学校外における福祉教育実践から生涯学習としての福祉教育実践、そして地域における福祉教育実践へ、と拡大・深化していった。
〇以上は、1980年代の福祉教育の主要な動きである(阪野貢・ほか『福祉教育論―「共に生きる力」を育む教育実践の創造―』北大路書房、1998年4月、8~9ページ)。あの頃、全国のあちこちに福祉教育の推進を図っていた地方自治体や地域の住民・組織・団体などがあった。とりわけ熱心だったのは島根県である。
〇島根県の福祉教育といえば筆者は、「町ぐるみ福祉教育活動」を推進した瑞穂町(現・邑南町)社協の日高政恵さんとともに(注③)、松江市の山本寿子先生を思う。山本先生は、松徳女学院中学校高等学校(現・松徳学院中学校高等学校)教諭や松江市社協・松江市ボランティアセンター所長などの職を辞された現在もなお、一貫して福祉教育やボランティア活動の推進役を果たされている。山本先生とは、上述の「(第2次)福祉教育委員会」以来のお付き合いである。実はそれ以前に、東京の新宿で初めてお目にかかり、福祉教育についてご指導をいただいたことを思い出す。35年以上も前のことである。
〇先生はあの頃、日本私学教育研究所の研究員や島根県福祉教育研究会委員を務められ、『日本私学教育研究所紀要(教育経営編)』(第17号、第18号、日本私学教育研究所、1981年12月、1982年12月)や上述の『ボランティア・福祉教育研究』(創刊号)などに玉稿を寄せられている。また、「地元」(地方)で最初に開催された全社協・島根県社協主催の「西日本福祉教育研究協議会」の中心的なメンバーのひとりとして尽力されている。さらには、本務校での福祉教育実践を『福祉教育活動の歩み―教育課程における実践から―』(松徳女学院高等学校、1985年11月)に纏められている。
〇山本先生の玉稿を含めて、以下に、島根県における福祉教育に関する資料のいくつかを紹介することにする。それらの資料から、未来(あす)の、新しい福祉教育のあり方を読み解き、あの頃からの歴史を継承しつつ、新たな“輝き”を生み出したいと念じている。

(1)山本寿子「島根県における福祉教育について」全社協・全国ボランティア活動振興センター『ボランティア・福祉教育研究』創刊号、1982年3月、88~100ページ(全文)

(2)山本寿子『福祉教育活動の歩み』松徳女学院中学校・高等学校、1985年11月、1~11、22~27ページ(抜粋)

(3)島根県社協・島根県福祉教育推進協議会「島根県におけるこれまでの福祉教育の取り組み」「島根県社会福祉協議会における福祉教育推進の経過」『平成28年度~平成31年度 しまね流ふくし教育推進指針〈福祉教育推進のための手引書〉』2016年3月、「目次」、1~3、12~13ページ(抜粋)

(4)島根県社協・島根県福祉教育推進協議会「中学校における教科別・領域別福祉教育実践のあり方とその内容に関する研究」全社協・全国ボランティア活動振興センター『学校における福祉教育の推進体制と指導案―岩手県・島根県・山口県福祉教育研究委員会報告―』1983年9月、「はじめに」、69~82ページ(抜粋)



(5)全社協・島根県社協「昭和58年度 西日本福祉教育研究協議会」『昭和58年度 西日本福祉教育研究協議会資料』1983年9月、2~6、16~18ページ(抜粋)

(6)島根県社協・島根県福祉教育運営協議会『心のかよいあう地域づくりをめざす 福祉教育推進計画』1990年2月、「はじめに」「本書の活用に際して」「目次」、1~4、101~107ページ(抜粋)

(7)島根県社協・島根県福祉教育推進協議会『島根県福祉教育推進プラン21~地域を基盤とした質の高い福祉教育実践に向けた提案~』2002年3月(全文)

(8)島根県知事・島根県教育委員会「福祉教育の推進に関する基本的な指針」島根県社協・島根県ボランティア活動振興センター『ボランティアしまね』号外、1997年11月、4~8ページ(全文)

(9)松江市『松江市福祉教育推進基本計画』1997年3月(全文)

〇島根県社協では、「福祉教育運営(推進)協議会」の設置(1987年4月~)や「福祉教育推進計画」の策定(1990年11月~)などを通して、組織的、計画的かつ継続的に福祉教育に取り組んでいる。特筆されるところである。また松江市では、すべての地区公民館に地区社協が設置され、学習活動と福祉活動の一体的な取り組みがなされている。いわゆる「松江市方式」である。一言付記しておきたい。


①以下は、「日本福祉教育・ボランティア学習学会第1回大会」における木谷宜弘先生の「基調報告」のレジュメである(『日本福祉教育・ボランティア学習学会設立総会・第1回大会資料』27~28ページ)。

②1996年7月に創刊された『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』は、1998年10月に『福祉教育・ボランティア学習研究年報』として新訂版が発刊されている。

③大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月。

追記
ブログ読書のリクエストにより、本文の資料(1)と重複するが、「島根県福祉教育研究会」(代表・山本寿子)の『調査結果報告』(抜粋)と『提言』(全文)を紹介する。(2018年5月30日)