あの頃の福祉教育、その記憶と記録(8):日本社会事業大学大橋研究室「社会教育行政における福祉教育の現状」等―資料紹介―

梅雨空に 「九条守れ」の 女性デモ (さいたま市「三橋公民館だより」/2015年6月提訴)
学習権は、人間の生存にとって不可欠な手段である。 (ユネスコ「学習権宣言」/1985年3月採択)

〇全社協(「福祉教育推進検討委員会」)によると、社協が積極的・意識的に取り組むべき「地域福祉を推進するための福祉教育とは、平和と人権を基盤にした市民社会の担い手として、社会福祉について協同で学びあい、地域における共生の文化を創造する総合的な活動である」。福祉教育の本質は、「住民参加と住民自治(市民自治)」、すなわち「平和と人権を基盤にした市民社会の担い手」(『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全社協・全国ボランティア活動振興センター、2005年11月、5ページ)を育成することにある。 
〇全社協(「福祉教育実践研究会」)はまた、「住民主体による地域福祉推進のための『大人の学び』」について論究する。すなわち、社協は、「今こそ福祉教育における『大人の学び』について、積極的かつ戦略的に取り組むことを通じ、『地域の福祉力』を高める使命を果たしていくこと」が求められている。「大人の学び」の意義は、「人生をより豊かにするために、自発的に今までの経験や、知識を活かして福祉を学びあい、共生の文化を創造するための実践をすること」にある。社協には、そのような機会を積極的に提供することが求められている(『住民主体による地域福祉推進のための「大人の学び」』全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター、2010年11月、6、7ページ)、という。
〇日本社会はいま、政治と行政の劣化と退廃、右傾化・全体主義化と民主主義の破壊が進んでいる。そうしたなかで、今日、社会教育行政や社会教育施設において「公正中立」という観点や名目で「大人の学習権」を侵害したり、「学習の自由」や「表現の自由」あるいは「公的施設の利用」を規制する動きがある。
〇「梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ」。この俳句は、さいたま市立三橋(みはし)公民館の「公民館だより」(2014年7月号)への掲載が拒否された、74歳の女性が詠んだもの(「九条俳句」)である。彼女は、2015年6月、さいたま市に対し損害賠償と俳句の掲載を求めて訴訟を提起(提訴)した。「九条俳句不掲載損害賠償等請求事件」である。
〇この「九条俳句」訴訟について、原告「補佐人」を務めた佐藤一子先生はいう。本件訴訟の意義は、第1に「国民の学習権を公教育理念として明確化する初めての裁判」であること。第2に「『学習の自由・表現の自由』を保障する『公の施設』としての公民館の公平・中立性のあり方を問う裁判」であることにある。併せて、佐藤先生によると、公民館(社会教育施設)における「政治的課題の学習や政治的な意見表明の自由」は保障されなければならない。すなわち、「社会的問題、現代的な課題の学習」は「奨励」されなければならない。それによって、「積極的シティズンシップの促進(投票行動、民主的な社会の担い手、自覚的に社会に働きかける力、自治能力)」が図られることになる。「公民館だより」は、「地域住民の学習を奨励し学習成果を共有する(中略)欠くことのできない媒体」(第9回口頭弁論、補佐人・佐藤一子「意見陳述書」2017年1月)、すなわち「公民館活動の推進に資する媒体」である。こうした言説から要するに、“法律の素人”である筆者(阪野)にあっても、「公民館だより」への不掲載は「検閲」や「統制」以外の何物でもない。日本の教育(公民館活動等)は危機的状況にある、と思わざるを得ない。
〇周知の通り、「公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もつて住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする」(社会教育法第20条)施設である。すなわち、公民館は、住民参加と住民自治による“まちづくり”の主体者意識や力量形成を図るための中核的な学習・文化施設であることが求められる。
〇そうだとすれば、大橋謙策先生が「(2010年代以降は)福祉はまちづくり」(山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所、2016年11月、335ページ)であると説くことからも、福祉教育はこれまで以上に公民館(社会教育)に無関心や無関係ではいられない。福祉教育は学校教育のみならず、社会教育(公民館)との連携・共働が厳しく問われることになる。しかしこれまで、福祉教育関係者は社協に過剰な期待(理想)や要求を押し付け、一部の実践や研究を除いて、社会教育との「共働」関係を等閑視してきたのではないか。福祉教育は、社協や地域福祉の専売特許ではないことを強く認識すべきである。言い過ぎであろうか。
〇これもまた周知のことであるが、1985年3月にフランスのパリで開催されたユネスコの第4回「国際成人教育会議」で、「学習権宣言」(The Right to Learn)が採択されている。その宣言では、学習権とは「読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、個人的・集団的力量を発達させる権利である」とした。そして、「学習権は、人間の生存にとって不可欠な手段である」と指摘している。
〇また、ユネスコの「21世紀教育国際委員会」は1996年4月、『学習:秘められた宝』(Learning:The Treasure within 、ドロール・レポート)を発表した。そこでは、生涯学習の視点から、人類発展のための教育のあり方として次の4つの柱を提示した。①「知ることを学ぶ」(Learning to know)、②「為すことを学ぶ」(Learning to do)、③「共に生きることを学ぶ」(Learning to live together)、④「人間として生きることを学ぶ」(Learning to be)、がそれである。
〇①「知ることを学ぶ」については、「十分に幅の広い一般教養をもちながら、特定の課題については深く学習する機会を得ながら『知ることを学ぶ』べきである」。②「為すことを学ぶ」については、「単に職業上の技能や資格を取得するだけではなく、もっと広く、多様な状況に対処し、他者と共に働く能力を涵養するために『為すことを学ぶ』のである」。③「共に生きることを学ぶ」については、「1つの目的のために共に働き、人間関係の反目をいかに解決するかを学びながら、多様性の価値と相互理解と平和の精神に基づいて、他者を理解し、相互依存を評価することである」。④「人間として生きることを学ぶ」については、「個人の人格を一層発展させ、自律心、判断力、責任感をもってことに当たることができるよう、『人間としていかに生きるかを学ぶ』のである」(社会教育推進全国協議会編『社会教育・生涯学習ハンドブック(第9版)』エイデル研究所、2017年10月、202ページ)、と説いている。こうした考え方については、地域と国と世界のレベルでグローバル化と文化の多様性をめぐる諸問題が複雑化・深刻化するなかで、「学習権」や「まちづくり」、あるいは「シティズンシップ(市民的資質・能力)と市民協働(共働)」などをめぐって自覚的でなければならない。
〇続いて、ユネスコは1997年7月、ドイツのハンブルグで開催した第5回「国際成人教育会議」で、「ハンブルグ宣言」(The Hamburg Declaration on Adult Education)を採択した。それは、「学習権宣言」を修正・発展させたものである。そこでは、「成人教育は1つの権利以上のものになる。つまり成人教育は21世紀への鍵となる。成人教育は行動的な市民性が生み出したものであり、また社会における完全な参加のための条件でもある」ことが強調された。そしてそれを実現するための「未来のアジェンダ(行動目標)」が作成された(『同上書』203~207ページ)。
〇筆者はいま、以上のような認識や理解のもとで、「大人の学習権」や「学習の自由」「表現の自由」などに関していくつかの問題意識と課題意識を持っている。そうしたなかで、筆者が「記憶」をたどって思い出すのは、(1)日本社会事業大学大橋研究室が発行した『社会教育行政における福祉教育の現状』(1977年8月)である。その後、(2)宮城県(1980年度)や秋田県(1981年度)、長野県(1983年度)などが取り組んだ、「福祉学習」を普及するための公民館指定事業である。(1)は、社会教育分野における福祉教育の実態を初めて明らかにしたものであり、「社会教育と福祉教育」のひとつの原典である。(2)については、福祉教育関係者は忘れがちであるが、全社協がいう「大人の学び」の推進を図るためにはいま、再検証と再評価を行うことが必要かつ重要となる。
〇そこで本稿では、まず(1)の報告書と、その理解を深め広げるために、同じ時期に『月刊福祉』(1977年10月号)に掲載された大橋先生の論考「地域福祉の主体形成と社会教育」を紹介する。(2)については、宮城県社協の「福祉学習普及公民館指定事業」に関する資料と、秋田県社協と長野県社協の「要綱」を紹介することにする。そのねらいは、改めて今後の「地域を基盤とした福祉教育」(学校福祉教育と地域福祉教育、すなわち「市民福祉教育」)のあり方について総合的に探究することにある。そして、その背景には、「平和と人権」「学習権と生涯学習」「シティズンシップと共働」等についてのグローカル(Think globally, act locally)な問題意識と課題意識がある。

(1)『社会教育行政における福祉教育の現状』日本社会事業大学大橋研究室、1977年8月、「はじめに」「もくじ」、1~30ページ(抜粋)

(2)大橋謙策「地域福祉の主体形成と社会教育」『月刊福祉』第60巻第10号(60巻記念号)、全社協、1977年10月、106~112ページ(全文)

(3)『昭和56・57・58年度指定 福祉学習と実践 豊かな人間性をめざして』宮城県社協、1984年3月、「はじめに」「目次」5~14、57~61ページ(抜粋)

(4)秋田県社協「秋田県福祉教育推進事業実施要綱」(1981年度~)、長野県社協「福祉学習モデル公民館設置要綱」(1983年度~)
① 秋田県社協「秋田県福祉教育推進事業実施要綱(県社協補助)」等

② 長野県社協「福祉学習モデル公民館設置要綱」等

付記(1)
「九条俳句」訴訟について、さいたま地裁(2017年10月13日判決)と東京高裁(2018年5月18日判決)は、「憲法に保障された住民の思想の自由・表現の自由は最大限に尊重されるべき」として、「公民館だより」への不掲載は「違法」であると断じ、慰謝料の支払いを命じた。しかし、掲載請求は、原告に「掲載請求権」はないとして棄却した。原告とさいたま市は、2018年5月31日、最高裁に上告した。以下に、原告の意見陳述書とさいたま地裁の判決文の一節を紹介しておくことにする。ともに刮目(かつもく)に値(あたい)するそれである(見出しは筆者)。(「九条俳句」市民応援団ホームページ参照)

原告の意見陳述書(2015年9月25日)―豊かな生涯学習―
俳句をはじめてから、興味、関心が広がり、物事をしっかり見るようになってきました。月一回の句会は、多くの事を学べる楽しい場となっています。/昨年6月初旬、銀座で集団的自衛権行使容認に反対する女性だけのデモに出会いました。雨の中、若い人から老人まで、子どもをおんぶしたり、ベビーカーを押している若い母親たちもいて、みんな「平和を守れ」「九条守れ」と声をあげながら行進している姿に自分の思いが重なりとても感動しました。/その時詠んだものが先の俳句です。

さいたま地裁の判決文(2017年10月13日)―教員の呪縛―
Aが、教育現場において、国旗(日の丸)や国歌(君が代)に関する議論など、憲法に関連する意見の対立を目の当たりにしてきたように、B及びCも、上記のような意見の対立を目の当たりにして、これに辟易(へきえき)しており、一種の「憲法アレルギー」のような状態に陥っていたのではないかと推認される。/Cら桜木公民館の職員らも、「九条守れ」という憲法に関連する文言が含まれた本件俳句に抵抗感を示し、(中略)十分な検討を行わないまま、本件俳句を本件たよりに掲載しないこととしたものと推認するのが相当である。

付記(2)
「生涯学習社会」や「知識基盤社会」「21世紀型市民」という言葉だけが躍(おど)っている。内閣府の「生涯学習に関する世論調査」によると、「この1年間に生涯学習をしたことがない」と答えた人は、1992年2月・51.8%、1999年12月・54.7%、2005年5月・51.5%、2008年5月・51.4%、2012年7月・42.5%、2015年12月・52.3%を数えている。これが日本の生涯学習の実態のひとつである。