あの頃の福祉教育:その記憶と記録(9):栃木県社会福祉教育センターによる「社会福祉教育」―資料紹介―

〇1970年代後半以降、「社会福祉教育」に積極的・政策的に取り組んだ地方自治体のひとつは栃木県である。
〇その経緯を概観すると、栃木県は、1976年11月、民生部長の臨時の私的諮問機関として、栃木県における福祉教育のあり方について検討する「栃木県福祉教育懇談会」(座長・仲村優一)を設置した。懇談会は、1976年11月と翌年2月の2回開催され、民生部が既にまとめていた「福祉教育機関設置にかかる中間報告」(民生部の内部資料)について検討・協議した。その結果を、1977年2月に、「栃木県福祉教育機関設置構想にかかる栃木県福祉教育懇談会の意見の提出について」(意見書)と題して意見具申した。それを受けて、1977年4月、栃木県知事が栃木県社会福祉審議会に対して、「新長期総合計画」(1975年6月策定)に基づく「栃木県社会福祉教育機関設置にかかわる総合基本構想について」諮問した。栃木県社会福祉審議会は、「総会」(2回)、「分科会」(5回)、「実態調査」(1回)、「起草委員会」(2回)を開催して、審議を進めた。その結果を、1978年1月に、「栃木県社会福祉教育機関設置にかかわる総合基本構想について」と題して答申を行った。それに基づいて、1978年4月、「栃木県社会福祉教育センター」(民生部厚生課福祉教育班の名称変更)を発足させた。
〇栃木県における「社会福祉教育」の取り組みは、教育行政(県教育委員会)ではなく一般行政(県民生部)によるものであったこと、地域福祉を推進する重要な方策のひとつとして「社会福祉教育」を位置づけたこと、社会福祉教育の専門機関として「栃木県社会福祉教育センター」を設置したこと、同センターでは「福祉教育」「社会福祉専門教育」「研究調査」「福祉情報」(1979年4月から新たに「老人福祉大学校」の運営が加えられた)を包含した総合的な事業・活動の展開が図られたこと、などを特色とした。
〇本稿では、筆者(阪野)の手もとにある「栃木県社会福祉教育センター」と「社会福祉教育」に関する資料のうちから、その一部を紹介することにする。① 栃木県社会福祉審議会『栃木県社会福祉教育設置にかかわる総合基本構想について』(答申)1978年1月、② 栃木県社会福祉教育センター『昭和53年度 業務概要』1978年4月、③栃木県社会福祉教育センター『昭和54年度 業務概要』1979年4月、④牧恒男「行政職員・教職員の研修における福祉教育の取り組み―栃木県の取り組みから―」1983年9月、⑤栃木県教育委員会高校教育課『「福祉に関する教育」の手引』(教育課程研究資料第41集)1982年2月、⑥栃木県教育委員会高校教育課『昭和58年度 県立学校における指導の指針』1983年1月、⑦栃木県教育委員会・栃木県社会福祉教育センター『小・中学校 福祉教育の手引』(福祉教育シリーズ第10集)1984年3月、がそれである。なお、⑥については、1980年度の『県立学校における指導の指針』から、その1項目に「福祉に関する教育」が付け加えられている(大橋謙策・他『福祉教育の理論と展開』(シリーズ福祉教育1)光生館、1987年9月、92ページ)。
〇以上の資料のほか、筆者の手もとには広報紙の「ミニ福祉ニュース」(月刊)と「福祉のひろば」(季刊)、福祉教育副読本の『福祉を考える(福祉教育シリーズ)』(年刊)がある。それらは、栃木県社会福祉教育センターの初代所長の三村和男さんや福祉教育担当の牧恒男さんなどからご恵贈賜ったものである。懐かしく思い出される。

(1)栃木県社会福祉審議会『栃木県社会福祉教育機関設置にかかわる総合基本構想について』(答申)1978年1月、「答申書(かがみ)」「目次」、1~36ページ(抜粋)

(2)栃木県社会福祉教育センター『昭和53年度 業務概要』1978年4月、全文

(3)栃木県社会福祉教育センター『昭和54年度 業務概要』1979年4月、「はじめに」「目次」、1~17ページ(抜粋)

(4)牧恒男「Ⅲ 行政職員・教職員の研修における福祉教育の取り組み―第1章 栃木県の取り組みから―」『学校外における福祉教育のあり方と推進』(福祉教育研究委員会中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、「目次」、75~92ページ(全文)

(5)栃木県教育委員会高校教育課『「福祉に関する教育」の手引』(教育課程研究資料第41集)1982年2月、「まえがき」「本書の利用に当たって」「目次」、1~6ページ(抜粋)

(6)栃木県教育委員会高校教育課『昭和58年度 県立学校における指導の指針』1983年1月、「まえがき」「目次」、34ページ(抜粋)

(7)栃木県教育委員会・栃木県社会福祉教育センター『小・中学校 福祉教育の手引』(福祉教育シリーズ第10集)1984年3月、「序にかえて」「豊かな人間的交流の体験を」「本書の利用にあたって」「目次」、6~12ページ(抜粋)


〇「栃木県社会福祉教育センター」は、「民生部」内の「厚生課」と「障害福祉課」「老人福祉課」「児童家庭課」の組織と業務の一部を分野横断的に統合化し、「社会福祉教育」の一元化・強化を狙ったものであり、厚生課を主管課とする出先機関であった。しかし、それは、民生(福祉)行政と教育行政が連携・協働(共働)し、縦割り行政の弊害を打破するには不十分なものであったと言わざるをえない。すなわち、「社会福祉教育」は福祉行政から提唱されたものであり、「福祉教育」が学習指導要領に明記されていないことなどにより、教育行政にあっては主体的・積極的ではなかったのである。
〇そうしたなかで、厚生省は、1977年2月、社会局長・児童家庭局長名で文部省初等中等局長に宛てて「福祉教育のあり方について(要望)」を提出した。以下はその全文である。周知の通り、1977年4月から、厚生省と全社協による国庫補助事業としての「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(通称「社会福祉協力校」事業)が始まる。

付記
〇当時、筆者は、地域の福祉教育実践現場における「ネットワーク組織としての福祉教育推進協議会」について拙い考えをめぐらしていた。蛇足ながら、その拙稿の一部を付記しておくことにする。汗顔の至りであるが、筆者の「あの頃の福祉教育」である(阪野貢『福祉のまちづくりと福祉教育』文化書房博文社、1995年5月、167~170ページ)。

〇「速く」「強く」「遠く」「広く」そして「手際よく」、ひたすら成長をめざしてきたグローバリゼーションの時代は終焉しつつある、と言われる。「成長から定常へ」「グローバリズムからローカリズムへ」である。その足もと(筆者が属するひとつの世界)では、社会福祉や教育をめぐる政治と行政の退廃や劣化、コミュニティサービス(地域貢献活動)をはじめサービスラーニングやアクティブ・ラーニング(教育手法)などの「カタカナ」言葉への無批判的な模倣や盲従、などが進んでいる。こうした動きのなかで、福祉教育の「有用性」や「固有性」「自律性」とは何かが改めて問われるほどに(問うべきほどに)、今日の「福祉教育」を取り巻く環境は極めて厳しくなっており、危機意識を感じている。筆者の「いまの福祉教育」についての認識である。福祉教育が輝いていたのは「今は昔(むかし)」のことであろうか。