1997年7月 香川県綾歌郡内の中学校にいた
ボランティアについて 全校生に講話した
その後 当日公用で留守だった校長より 礼状をいただいた
その中に 一人の子どものエピソードが紹介されていた
7月16日の夕方 突然の豪雨に見舞われた
部活動を終えて 帰宅する途中のF君が
田んぼに車を脱輪して 困っている人を見かけた
濡れ鼠(ねれねずみ)になりながら 30分もの間手伝い
車は ようやく 脱出できた
その善行を 地域の人が学校に知らせてきたという
なぜこのような行動を取ったのかを 校長は尋ねた
少年は答えた
この日は いきなり雨が降ってきた
靴の中にも水が入ってきて さっさと家に帰ろうと思った
脱輪している車を見ても 最初は無視して行くつもりだった
けど 女の人が3人しか乗っていなかった
ここは 重要なポイント
校長は 終業式で“騎士道”と 紹介したという
一度は 自転車から降りたけれど
どうせ僕には関係がないと思って 家に帰ろうとしたその時
バイクに乗った男の人が バイクから降りて手伝い始めた
だから やるしかないと 田んぼに入った
それから
最近 北海道から来られた鳥居先生が
ボランティア講演会の中で 次のような話をしたからだ
「車いすを利用している人が 困っていたら
どうしましたか? と聞くだけで ボランティアなのです」
校長は そこに 彼が最も大きくこころを動かされた
ボランティアへと誘(いざな)う“ことばの力”を 見出し惹かれた
「どうしましたか?」
相手と自ら関わる事を決めた“ことばの深さ”に である
教師が 熱心に声を張り上げ 指導してみても
なかなか 子どもの心を動かすことは 出来ない
たった一度の指導でも 子どものこころに響けば
いったん躊躇(ちゅうちょ)したとしても
指示されることなく 自ら行動を起こす
そのことばの持つ力に 驚くとともに
教育専門家として もっともっと 自己を磨かなければならない
校長は そう自省したと 認(したた)めた
教師力を 磨くには
大人の建前と本音を見極める 子どもの力を侮(あなど)ってはならない
「どうしたの?」
子どもの悩みに添う ことばがけが
真剣であるか否かが いつも問われていることに
こころしたい
子どもと 共感同行の道を歩む 共育者となるために
〔2019年9月20日書き下ろし。ボランティアの講話をして全国を回っていた時代、四国の中学生のエピソードが心に刻まれた。学校が置かれている厳しい現実を見聞きしながらもなお、校長先生の「自省」は、教育専門家として生きるために常に求められているのではないか〕