人間ではない

新任で赴任したのは
洞爺湖畔の 壮瞥町仲洞爺小学校だった
秋 町内の先生方数人と 函館まで視察研修に参加した
学校視察を終えて 夕食は市内の居酒屋で呑んだ
新米はカウンターの隅に座り 先輩諸氏の話を聞いていた
酒の酔いもまわらぬうちに 初対面だった隣の教員が突然
「お前は教師でもない 人間でもない」
と 猛烈に非難し始めた
そばにいた 他校の校長も教員も
その暴言を止めることなく なすがままに放置した
さらに 追い打ちをかける 
「校長になりたいのか お前がなれるわけはない」

大学闘争も経験してきた 血気盛んな新米は 
卑劣な口撃に はらわたが煮えくり返り 怒り心頭に発した
しかし じっと我慢した
義憤を感じたこの瞬間 これからの我が道を 悟った
教員人生を 決定づけた場となった
だから 感謝しよう

朝 酔いが覚めた当の教員は 悪びれる様子はない 
謝罪する気はさらさらなく 平然としていた
酔ったが先の無礼講と 怒りをぶつけたことは明確だ
弁解無用 酩酊などしてはいなかった

なぜ そこまで罵倒されたのか
昭和40年代後半 待遇改善をスローガンに
北海道教職員組合は 全道で公然とストライキを打った
壮瞥町のスト参加率は 100%
一般教員のすべてが 参加していた
新卒ひとりが 組合に加入しなかったために
スト参加率は 落ちた
非組合員の存在そのものが 許せなかった
組合運動への 否定的な存在は 排除以外何ものでもなかった
北海道教職員組合の運動は 全国的にも過激だった
「3年で立派な組合員を育てる」
と豪語する先輩諸氏
「管理職は組合推薦がなければなれない」
圧倒的に非組合員が少ない時代 組合への誘い文句だった 
だから 加入しなかった

組織は 個人を統括する
教条主義的な運動論も 全体主義的な思想統制も
決して受け入れることは できなかった
学生運動で唯一学んだことは 個人の自己決定を尊重する生き方だった
集団の色に染められることへの 拒絶と回避
同質の考え方や団体行動を強要されることへの 徹底抗戦
仲間内の仲良しごっこ的不気味さからの 完全逃避
実力もなく寄らば大樹の陰的な生き方の 全面否定
空気を読み世渡りする卑屈さは 断固拒否

闘いは 峻烈だった
黙らせるには 実践を積み上げるしかなかった
1年目の成果は 結実する
翌年3月末 胆振教育局が 新規採用した教員へのレセプションに
一年先輩として挨拶するよう 招聘した
「子どもに好かれたいという 受け身の教師ではなく 
子どもを 積極的に愛する教師に なってほしい」
いまもそのおもいは 変わらない

「お前は教師でもない 人間でもない」
ここが 教師のスタートラインだった
いつの日か 敵愾心は自戒心へと 上書きされていった

〔2019年10月6日書き下ろし。この日は父の19回忌。一介の肉体労働者だった父の一途さは、DNAとして確かに引き継がれていた。それが素直に嬉しい〕