道徳の時間に 教科書が できた
先生方は その教科書で 教える
それまでは 文科省が定めた指導要領にそって
道徳の価値項目を 教えなければならなかった
どんな教材を選び どのように教えるかは
学校や担任の 裁量の範囲だった
だから なぜその教材を選んだかを つねに自問自答した
でも 道徳の授業を真剣に考えていた ほんの一握りに過ぎなかった
多くは おざなりの授業で ごまかした
教師の 道徳性や倫理観を問われることを よしとはしなかったのだ
学生に よく道徳の授業の記憶を尋ねた
多くは 印象に残ってはいなかった
ただ道徳の時間 別なことに時間を潰したと
それが 黙認されてきた
そこに 道徳の時間への 小さな反抗心が ないこともなかった
もうひとつ 教科書がないので 教えることが出来なかった
だから 文科省は 道徳教育の強化を図った
検定をパスした 国公認の教科書ができた
教師自身の 道徳性や倫理観を 問われることがなくなった
ようやく長年のストレスから 開放されホッとした
教科書通りに教えることで
上からも 保護者からも 誰にも文句は言われない
批判も干渉も受けることなく 教科書通り教える
余計なことを考えずに 指導できる
指導書のマニュアルどおり 津々浦々で教えられていく
教科書は 免罪符となった
道徳教育の 機会均等の原則とその質は
教科書によって 保障された
教師は どんな価値項目も 抵抗なくこなすことができた
誰が教えても 同様の教育効果が期待できた
それが 教科書の教科書たるゆえんだった
常に教科書は 正しいことを教えることを旨とし
国民は 学校教育の中で 正しいことを教えられてきたのだ
正当な価値を持った教科書に だれも異論は唱えない
ぶれない公教育政策の 勝利である
だから 逸脱することなしに 丁寧に教え始める
小学校6年間 中学校3年間 計9年間
繰り返し 道徳的価値が 色々な教師によって教えられていく
この子らの 道徳的な資質が どのように育っていったのかは
これから10年後 20年後に きっと効果が可視化されるだろう
教師が 教科書を教えるという 当たり前の仕事
日本の公教育を担う教育公務員として その責務を果たしているだけ
道徳教育への思惑を感じつつも 無関心を装い批判せず 授業する
その態度こそ 自覚されない 愛国者なのかもしれない
自省することなく 愛国心を育てることに 加担する
子どもたちは 正しいこととして 心に刻み続け
期待通りに 情感的な愛国心を 自然と育んでいく
究極は 「国にその命を殉ずる人となれ」と
露骨に牙をむいて のしてくる時がくるまで 続く
いまは そうなることを 前提にしてはいない
だから 不安は ない
教科書にそって ただ教えていただけ
教える教師には 責任は何もない
一人で教えてきたわけでは 決してない
みんな義務教育でつながって 仕事としてやっていること
批判される覚えは 全くない
批判するお前こそ 何様なのだと激昂し 飲み込むことば
「非国民!」
戦前の教師たちも 同様だった
お国のために 敵を殺せと
戦地に 子どもを送った
それが 真の愛国者のあるべき姿だと
果たして 戦前に回帰しないと
誰が 断定できようか
轍を決して踏まぬよう
子どもたちに
世界中の人と 平和を築く
まことの人間愛を
教えてください
あなたの 人生に禍根を残さぬよう
人間教師として 良心の中に生きてください
〔2019年10月10日書き下ろし。道徳を教える教師の無防備さそのものが愛国者ではないかと。教科書をバイブル化することの恐怖心がわき上がる〕