民主主義の何なのかも知らずして 横柄な態度で指導する担任教師
その言動を正しいものと 正直に受けとめる素直な子どもたち
民主主義とボランティアを教えるには 最適な教材だった
だから 全国の多くの中学校で 授業した
参観した教員の中には 苦々しい顔を露骨に見せた者もいた
授業の後始末を しなければならない
真実に抗(あらが)う面倒な言い訳を 考えていたのかもしれない
授業は 子どもよりも教員への 問いに他ならなかった
授業は 現状の学校教育への挑戦である
批判を承知で 子どもの前に立つ
なぜ担任は 三人の子が 別の子に投票したってわかったの?
子どもたちは 考えた
しかし 思いつかない
子どもたちの 行き詰まった頃合いを見計らって
みんなそう わからないということが 普通なんだ
それだけみんな 当たり前だと 思い込んでしまっているんだ
選挙って 自由投票だよね
誰に投票したかわかるって そもそもおかしくない?
このクラスで 三人投票しなかったってわかったのは
クラスごとに 開票したからでしょ
なんだ そんなことか
あまりに簡単なトリックに 引っかかったとばかりに
半ば あきれた顔の子どもたち
このとき 事の重大さに気づかせて
子どもたちの心に 真実を刻んでいくのが
この授業の 醍醐味です
選挙の投票は 個々の自由意志よる自己決定にある
誰に投票したのか 誰にも知られないという原則があってはじめて
選挙権は 権利として保障される
そこが 全く分かっていない 教師と子どもたちだった
民主主義を 形骸化させていることすら 気づくはずはない
生徒会役員選挙という機会を 見事にはき違え 集団統制にすり替えて
集団決定に 従わない子を糾弾・排除する システムであることに
なんの疑問も感ぜず さも正しいことと正当化し
学級の多数決の決定こそ遵守せよと 正義をぶって 平気で強要する
民主主義の基本すら身についていない 無能な教師たちが
大上段にかぶって 子どもを断罪するのだ
この欺瞞(ぎまん)に満ちた言動こそ 断罪されなければならない
民主主義の精神は 自由意志を お互いに尊重しあうことから 育つのです
選挙は 民主主義を学ぶ 具体的な制度です
悪用されることで その精神は愚陋(ぐろう)され 制度は朽ちていきます
処世術 事なかれ主義に徹すること
根回しかけて みんなで決めれば 文句も出ないし 責められない
会議は 論争するのではなく 適当に空気を読んで 妥協点を見つけること
そう割り切れば 世間は生きやすい
ラインやSNSで 仲間はずれや陰口を 叩かれることもない
みんな 世間を生きている
事実は 小説よりも奇なり
世間の 一番醜いところを 見事に教わり
そこで 疑問も待たずに 平気で仲間を
担任と一丸になって 意地悪し シカトするクラスメート
クラスの合意を乱した奴への 集団制裁は正義です
主犯とされた子は 卒業までの2年半
ずっと いじめられ続けた
毎朝「なんでお前 席に座っているんだ」とまで言われ続けた
クラスの決定に逆らった子への 執拗(しつよう)な かつ非情なバッシング
征服欲 支配欲 自己顕示欲 粘着性に暴力性 プラス出世欲に満ちた
半端ない傲慢(ごうまん)な反面教師も いまは校長先生しています
自惚鏡(うぬぼれかがみ)に映る自分に いまも酔いしれていることでしょう
いじめられた子 心に深い傷を負いながらも 逆境にひるまず
強く優しい思いやりあふれる大人に 成長したよ
授業のまとめです
ボランティアは 決して人を傷つけることはしません
ボランティアは 一人ひとりの意思を尊重にします
ボランティアは 自分で決めて生きることを優先にします
ボランティアは ことの善悪をわきまえた行動を本意とします
そこで 対等な関係をつくるということが《ボランティアする》ということです
そこに 人として この世に生きる価値が生まれてくるのです
※自惚鏡(うぬぼれかがみ):容貌を実際よりもよく見せる鏡。またうぬぼれて絶えず見る鏡。
〔2019年10月18日書き下ろし。スクハラは教師として断罪すべき最低の行為。そのことに気づけない者たちが闊歩する。ボランティア学習は大事な問題提起です〕