津久井やまゆり園死刑判決を考える

相模原市の障がい施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件
16日 横浜地裁は 元職員の植松聖(さとし)被告に 死刑を言い渡す
翌朝の4社の社説 日経は「不正入試」を取り上げた

[朝日新聞]
「子どもの存在は、私を含め周囲の人を人間的に成長させてくれる」
誰にもかけがえのない生があり、家族との幸せがある。
頭で理解していても、障がい者を差別し、過酷な境遇に置いてきた歴史が厳として存在し、その延長線上に事件が位置づけられると感じた人は少なくないはずだ
障がい者と健常者とを隔てる線をなくし、誰もが個人として尊重される社会をどうつくるか。ボールは、いまに生きる一人ひとりの手の内にある。

学校教育では 頭の理解しか求めなかった
歴然と障がい児を区別することで 暗黙の内に差別を助長してきた
センセーショナルな事件だから 世間の関心を呼んだ
手の中のボールは 一瞬留まり そしてポトリと落ちた
きっと コロナウイルス対策の陰で 忘れ去れていくだけのことか

[毎日新聞]
「意思疎通の取れない人は社会の迷惑」と繰り返した。
しかし、これほどの凶行に至り、人の命に格差があると言い続ける原因や背景は何だったのか、裁判で解明されたとは言い難い。
何の非もないのに名前を明らかにすることを避ける被害者や家族がほとんどだった。
その事実自体が偏見の根深さを示している
事件が起きた意味を社会で考え続けていく必要がある。

社会で考ようと いつもまとめられる一般論 
社会とは 虚実に満ちた 何と使い勝手のいい便利な言葉なのだろうか
殺意を抱いて実行するのは 偏見だけなのか
弱き者への優越感から生まれる
蔑視と差別 そして社会的排除 
いじめの本質と変わらぬ 冷酷性と残酷性
事件の原因や背景が解明されず 闇に葬られ
死刑という社会的制裁に加担して ジエンドとする人間の冷淡さ
繰り返される凶行に 社会は何をもって防御できるのだろうか

[北海道新聞]
「障がい者は生きている意味がない」
差別的言動の背景に何があったのか。障がい者への差別や偏見が社会に根深くあることの表れなのか。それを解き明かさなければ事件は終わらない。
匿名を望んだ家族には、障がい者への差別や偏見に対する懸念があったようだ。
事件を、被告一人の特異さによるものと片付けてはならない。
多様な存在を認め合う共生社会を担う私たち一人一人が、社会に潜む差別意識をいかに取り除くかが問われている。

生きる意味を 自分のスケールで計ることは
決して許されることではない
その傲慢さが殺意を生み 自己正当化を果たす
非情で凄惨な口撃を繰り返す 歪んだ心の匿名者たちは絶えぬ
しかし 殺意を抱いても 実行することは躊躇(ためら)うだろう
その境界線は 一体どこに引かれているのかわからない
その狂気は 社会が生んだと納得して
多くの人間は 平然と暮らし続ける

[東京新聞]
「意思疎通のできない障がい者は不幸を生む」「重度障がい者を育てるのは間違い」「事件は社会に役立つ」「人権で守られるべきではない」
今も社会にはびこる差別や偏見とどう関係するのか。
障がい者も人間であり、その権利を尊重するのは、社会の共通した価値観ではなかったか。
あるいは格差が進む日本社会では「人間は平等」「人権」という価値観も揺らぐのか。
事件はいまだ不可解である。

障がい者も人間である
この表現すら 受け止めがたい
そう押しつけてきた教育に 重大な誤りはなかったのか
北欧でノーマライゼーション運動が起こった 凄惨な福祉の現場
それすら 学ぶことなく 学ぶ機会さえなく 無知のままに暮らす
薬害エイズやハンセン病問題は 国の犯した甚大な人権問題である
それすら 一時のニュース報道でわかったふりをして 忘れる
優性保護法による 障がい者の断種や堕胎の人権問題も ようやくの日の目を見た
しかし 医学は妊娠初期の出生前診断を可能とし 障がい児の出生の是非が 
生きにくい社会の問題として提起されることと 裏腹の関係にあるのだ 
授かりし子に 母が父が語りかけることから 共育をスタートさせたい
関心を持ち続けることが 関心を呼び起こすことが
一人ひとりにできる 小さな一歩である

聖被告の父も母も きっとそう育ててきたに違いない
狂気に走った子を持つ親として いまも社会的制裁を受け続ける
ごくありふれた家庭で育てられた子どもであったことを 覚えておこう
社会規範を逸脱し その狂気を暴走させた生き様は
ごくありふれた子どもでも起こりうることを 覚えておこう 
刑務所に収監され 刑が執行されるまで
きっと生きることに 執着することだろう
そこで初めて生きるという意味を 見出すかも知れない
懺悔よりも 自己愛として生きることの無意味さを 噛みしめるかもしれない
人を殺めたことの罪と罰を 噛みしめてほしい

 
この判決の意味は 社会啓発として
まさに 市民福祉教育のなすべき課題として提起された
大人は 福祉課題と真摯に向き合い 暮らしの中で解決する力を
教える者は いのちと福祉の授業を構築する力を 
共生共育の実現に向けて 社会に満たし培っていかなければならない
そこに 障がい児者への差別や偏見を
社会的に撤廃する芽があるのではないか
 
犠牲になった人や家族の 生きることへの渇望が
心ある者たちに 強く刻まれていくことを信じてやまない
その実践こそが 尊い犠牲者への哀悼にしなければならない
人間として 一人ひとりに課せられている社会的責務そのもの
津久井やまゆり園事件を 決して風化させてはならない

〔2020年3月19日書き下ろし。市民福祉教育の為すべき課題が鮮明に浮かび上がっている。この判決を教材にして、授業に組み込む人はいるのだろうか? いてほしい〕