半世紀近い昔のことだった
新卒の初めての学芸会
僻地の小学校で担任したのは6人の子ども
図書室にあった学芸会劇脚本集を見た
普通学級を想定したシナリオばかりで
読んでもつまらなかった
これをアレンジしても仕方ないと諦めた
この程度のシナリオが目にとまり
どこかで演じられているとしたら…
なんともおぞましかった
偉そうにそう直感した
だいたい6人の劇なんてそもそもあり得ない
初めて書いた
これがオリジナルシナリオの始まりだった
「実りある明日」
壮瞥町仲洞爺の開拓を取り上げた
四国から入植して ようやく稲を植え収穫にこぎ着けた
その実りの秋の喜びを 30分の劇に仕立てた
当日部落の人たちも 大いに楽しんでくれた
子どもたちの上気した顔が いまも目に浮かぶ
4年間毎年 世界でたった1回だけ上演する劇を 子どもたちと創った
閉校となり 白老町の小学校に異動した
学年で学芸会の演目が決まっていた
偶数学年は劇だった
担当した6年生は80名近かった
スタッフとキャストに半分ずつ分けた
それでも44名が出演する大所帯のシナリオを書いた
核戦争後の未来をテーマに描いた
「仮面の国からの招待~失われた顔」
上演時間1時間
子どもたちはみな躍動していた
2年生を担任したときには
みんな可愛い小鳥さんにして
嵐の中で助け合い思い合う世界を描いた
子ども劇の醍醐味を味わった
その後早来小学校に異動して ここでも4本のシナリオを上演した
生涯で10本のシナリオしか書かなかった
2本のシナリオは 書き直して再演した
子どもと離れたときから 書けなくなった
子どもと一緒にいて その声を聞きその顔を見ていたから
台詞回し一つでも その子に見合ったものを大事にした
自閉症の子も知的な障がいのある子も 一緒に演じた
シナリオは 子どもたちとの共同作品になった
子どもたちと劇を創る喜びは 一体化され感動を共有した
子どもたちがそこにいるから 子どものおもいをことばにのせた
子どもたちはいまを生きるから 子どもと生まれた意味を問い続けた
子どもたちは未来に生きるから 子どもに生きる意味を問い続けた
子どもと世界で一つの劇を上演した遠い昔
その始まりは 書くしかなかった
子どもとふれあうことのない世界に生き長らえて
いまは 散文詩を書くことしかない
夢は子どもと創る演劇の世界
叶わず夢のまた夢か
〔2020年10月17日書き下ろし。学芸会の季節、いまは学習発表会。多忙な教師たちはシナリオを探して、ほどよく手直しして演じさせる。自分ならきっと熱情が失せてゆくであろう〕