福祉教育の研修会で、重度の身体障害のある女性の講演を聞くことになりました。彼女は、普段あまり見かけない車椅子に乗って、颯爽(さっそう)と登壇し、美しい声で話し始めました。舞台の脇には、マネージャーと思われる人がそれらしい姿で立っていました。講演の終盤に差しかかると、彼女は色紙にサインをし、最後には花束を抱えて、満面の笑みを浮かべながら退場していかれました。まるでアーティストの全国ツアーのひとコマのようでした。講演は、自身の著作に記されている過去の “出来事” についての話に終始していました。その内容は、「ありがとう」「笑顔」「支え合い」「絆」をキーワードに、自分の “生い立ち” とこれまでの “頑張り” を説く、その場限りの「人生の応援歌」でした。
学校における福祉教育実践の場で、脳性マヒ者の男性の講話を聴く機会に恵まれました。彼は、地域・地元で偏見や差別と闘っている普段の、普通の暮らしについて話し始めました。生徒たちは、彼の吃りながらの、重みのある一言一言に何かを見出 し、何かを掴みとろうと、真剣に耳を傾けていました。講話の内容は、障がい者は特別の存在ではなく、健常者と障がい者が共に「活きる」ためには、互いを知りあうことが大切である。とりわけ障がい者は、地域社会の一員として、地域のみんなに自分の意思を伝えることが大事である。それが、明日につながる、福祉のまちづくりのための障害者運動である、というものでした。講話が終わると、彼は、一杯のお茶をストローで啜(すす)り、車椅子に乗ってひとりで帰っていかれました。
筆者(阪野)は、彼女と彼の生き方については、とやかく言えないし、言うつもりもありません。このことを断ったうえで、あえて言えば、彼女の基調講演と彼の講話が、ともに社会福祉協議会の催 しによるものであることが気にかかります。両者の違いについて考えるなかで、関係者の「福祉教育観」を厳しく問い直す必要があるのではないか。そして、これまでの福祉教育実践は、障害や障がい者に対する「偏見」を助長し、「逆差別」を生み出 してきたのではないか。また、障がい者間の偏見や差別の問題を見過ごしてきた、いやあえて避けてきたのではないか。そんなことを考えてしまいます。また、それ故にか、彼の、福祉のまちづくりをめざして 「 共に『活きる』 」、 という言葉の重みが心に響きます。それは筆者だけでしょうか。