「老爺心お節介情報」第12号
Ⅰ 「福祉でまちづくり」の実践と“農福連携”
私は、1990年、岩手県遠野市の「地域福祉計画(老人保健福祉編)」策定のアドバイザーを担当した際、従来の“福祉の街づくり”ではなく、「福祉で街づくり」を提唱した。当時、遠野市は財政力が弱く(0,21)、公共土木事業に依存している状況のなかで、社会福祉の充実にお金を回せないという機運が行政や議会にあるなかで、「福祉で街づくり」を提唱した。
社会福祉を充実させることにより、視察者が多くなること(実際に、視察者は2000人を超え、視察者のために「遠野ハートフルプラン」という行政計画書が増刷されて5000部、1冊1500円で売っていた)、市内の産業別従事者数は医療・介護・福祉従事者が多くいること、「遠野ハートフルプラン」に盛り込まれたプログラムを実施することで「定住人口」ではない「滞在・交流型人口」を増やし、経済を活性化させること、社会福祉の地産地消を考えることなどを提唱した。
その後、1990年代初め、農協共済研究所のプロジェクトに参加し、農協が有している資源を活用してのプログラム開発を行い、農村地域の活性化を考え、実践してきた。それは、市町村内にある社会福祉施設が使用する食材を“地産地消”で行うとすれば地域経済が循環すること(山形県鶴岡市の特養「おおやま」や鳥取県南部町の特養「ゆうらく」等)や、高齢化している農業従事者と障害のある人とを結び付ける「農福連携」(鶴岡市のいなほ作業所では、1980年代から「農福連携」のはしりを行っていた)等のことであった。
咋今、「限界集落」、「消滅市町村」と言われているが、私は、施設経営の社会福祉法人が、地域に目を向け、街づくりを考えれば、逆にUタ-ン、Iターンも増やし、地域経済の活性化に繋がると「福祉でまちづくり」を提案してきた。
下記の本を是非読んで欲しい。
(1)『ソーシャルイノベーションー社会福祉法人佛子園が「ごちゃまぜ」で臨む地方創生』雄谷良成監修、ダイヤモンド社、2018年――石川県の実践
(2)『里山人間主義の出番ですー福祉施設がポンプ約のまちづくり』指田志恵子著、あけび書房、2015年‥‥広島県三次・庄原地域での優輝福祉会の実践
#農福連携の事例――静岡県浜松市「京丸園株式会社」
従業員100名――障害者25名(知的8名、身体6名、精神7名、発達4名)
年間売り上げ額 約4億円、田畑1、3ha、栽培施設1、3ha
出典『新ノーマライゼーション』2020年9月号
Ⅱ 『日本社会福祉士会NEWS No197』を読んで、疑問に思うこと
今回のニューズレターは地域共生社会政策を踏まえて国の2021年度予算等への要望と提案を特集している。このニューズレターに出てくる用語に疑問と違和感を感じたので話題提供したい。
➀国への要望事項で使われている用語の中に、「生活保護ケースワーカー」「、スーパーバイザー」、「ソーシャルアクション」が使用されているが、その用語の意味を省庁の関係者は理解できるであろうか。また、社会福祉学界で“慣用句”的に、何気なく使っている用語ではあるが、それを“吟味”しないで、使っていていいものだろうか。
②同じく、ニューズレターの「倫理綱領」の欄に出てくる「クライエント」という語句の使用もこのままでいいのであろうか、
私は「ソーシャルワーク機能」という用語を1990年前後から意識して使ってき
た。1990年以前に“ソーシャルワーク機能”という用語を使用していた研究者
を私は寡聞にして知らない(知っている方がいたら教えて頂きたい)。
なぜ、私が「ソーシャルワーク機能」という用語を意識して使用するようになった
かは、そのころまで、社会福祉研究者、とりわけ社会福祉方法論を研究している方々が、ソーシャルワーカー==社会福祉士ととらえて論文を書いたり、話をしているのに違和感を感じたからである。社会福祉士は“相談援助”という位置づけであり、必ずしもソーシャルワーク機能を具現化出来る立ち位置にない上に、かつ、その当時、中央集権的機関委任事務体制であった時代(1990年に変るが)でもあり、社会福祉実践現場は福祉サービスを必要としている人が既存の社会福祉制度に該当するかどうかを判断する業務が中心で、とてもソーシャルワークとはいえず、私は日本には1990年までソーシャルワークはなかったと考えていたし、そういろいろな会合で述べてきた。
日本の社会福祉界にソーシャルワークを定着させるためには、かつ社会福祉士をソーシャルワークに関する専門職として社会的承認を得るためには、そもそもソーシャルワーク機能とはなにかを明らかにし、その機能は教師も弁護士も、保健師もソーシャルワーク機能の一部を有しているが、その機能全般を統合的に具現化出来るようにしないと社会福祉士の地位は確立しないという立場から、ソーシャルワーク機能という用語を使ってきた。そのソーシャルワーク機能といういい方が、今日ではほぼ定着したことは嬉しい限りである。
#「生活保護ケースワーカー」は「生活保担当現業員」では苗いけないのか。“ソーシャルワーク機能”が定着してきている時に、“ケースワーク”という用語を使うのであろうか。更には、「生活保護担当現業員」は“ケースワーク”だけで業務が遂行できるのであろうか。
しかしながら、それ以外では、相変わらずWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)文化の中で確立してきた、かつアメリカの社会構造の中で確立してきたソーシャルワークに関わる用語を無自覚的に、当たり前のように使用することに正直驚いていると同時に、それが本当の日本の専門職なのかと疑義を感じざるを得ない。
私は、玉木千賀子さんの著書『ヴァルネラビリティへの支援――ソーシャルワークを問い直すー』(相川書房)の推薦の辞で、そのこと書いた(是非読んで欲しい)。「クライエント」、「インテーク」、「ワーカビリティ」をごく当たり前に使って、痛痒を感じないソーシャルワークに関する専門職というのは、果たして専門職なのであろうか。言葉だけが“飛んでいる”のではないだろうかと思わざるを得ない。“福祉サービスを必要としながら、社会福祉の制度、サービス、相談窓口につながっていない人”をも、「クライエント」と呼ぶのであろうか。社会福祉学界では、ニーズ論、ディマンド論が大きな問題であって、今や厚生労働省も「地域共生社会政策」の流れの中で、“待ちの姿勢ではなく、アウオトリーチして問題を発見して欲しい”と言っている時代でも「クライエント」なのであろうか。
同じことは、「ソーシャルアクション」という用語もそうである。一般的にソーシャルアクションを起こすという言い方(その用語は使い易いので、私も一般的な使い方として使っていることがある)とソーシャルワーク機能を展開する上で使う「ソーシャルアクション」は同じなのか、違うのかである。
かつて、東京学芸大学の高良麻子先生が書かれた『日本におけるソーシャルアクションの実践モデルーー「制度から排除」への対処』について、高良先生に同じような感想を述べさせて頂いた。一般的に使われている用語を、社会福祉分野である意味を持たせて使う場合には自ずと説明をしないといけないのではないかと思っている。専門職だけに通用する意味で使うとすれば、それはある意味、専門職の“思い上がり”であり、“上から目線”になりかねない。意識して、専門職はそれらのことについて自戒すべきなのではないだろうか。
「ソーシャルアクション」は住民の立場から言えば、陳情なのか、告発なのか、制度改善運動なのかということであろう。専門職が使う「ソーシャルアクション」にはそれらが含まれているというなら、住民が一般的に使用している用語を使えばいいのではないか。それらと違ったソーシャルワーク分野における独特の“ソーシャルアクション”という“専門職の機能を発揮する独自領域”があるというのなら、それをきちんと説明した上で使って欲しい。
更には、「スーパーバイザー」という用語の使い方も同じである。“スーパーバイザー”とは、“施設、機関、病院などにおいて、スーパービジョンを行う熟練したソーシャルワークの指導担当者を指す”(『現代社会福祉事典』1982年、全社協、秋山智久執筆)と説明され、かつ、その“スーパービジョン”とは、“かつて指導監督と訳したことがあるが、現在では正確な意味を伝えるため原語をそのまま使用する。つまり、具体的なケースに関し、ソーシャルワーカーが援助内容を報告し、スーパーバイザーはそれを受けてクライエントや家族、状況の理解を深めさせ、面接など援助方法について示唆を与えたり、考えさせたりする教育・訓練の方法である”(前掲同署、黒川昭登執筆)と解説している。
この説明で言えば、その役割を担うのは、上司の場合もあれば、チームアプローチをしている場合には他の専門職かも知れないし、あるいは所属している学会や専門職団体の同僚かも知れない分けで、「スーパーバイザー」と言って、それがどのような職種で、どこに所属してその業務を行うのか、指導を受けるソーシャルワーカーとの関係やその指導の妥当性を担保する機能があるのかどうかもわからないのに、「スーパーバイザー」を配置しろという使い方には違和感を感じざるを得ない。
組織のなかで、援助方針に関し、問題を発見し、論議し、改善のための企画提案をするという営みは組織的にとても重要なことであり、かつそれでも十分でないとすれば顧問弁護士制度や顧問会計士制度と同じように外部監査制度、外部評価制度をシステムとしてどう位置付けるかを考えて欲しい。私自身はいくつかの自治体で顧問やアドバイザーとして職務を担ったことがあるが、“スーパーバイザー”という意識はなかった。
(2020年10月11日記)