神田均(かんだ ひとし)先生からまた、ご高著『福祉の細い道~八十路を歩みながら~』(2015年1月1日刊)のご恵贈を賜った。先生は、2014年、7回目の年男(うま年・84歳)を迎えられたという。ご高著の「まえがき」に次のような一節がある。
私は、主に20世紀を生きて来た、まさに「昭和の男」である。しかし私自身が社会人となると同時に、「福祉の道」に入ってから今日まで、「日本の福祉の歩み」を地方の片隅から、眺め続けてきた65年間でもあった。
今、日本社会は内外共に大変に多くの課題を抱えている。併し、あの戦後の混乱期を生き抜いて来た人間としては、真正面からそれらの課題に向き合って、前に進んで行くしかないと思う。
私自身に残された時間は少ないが、これからも人生の最後までボランティア精神を忘れずに、歩み続けて行きたいと思う。
先生は現在も、福祉人材養成の専門学校に出講したり、ボランティア団体の運営に関係されている。東日本大震災に際しては、自らボランティアとして現地に赴いておられる。ただただ頭が下がるばかりである。
神田先生の「生涯、ソーシャルワーカー」の生きざまをご高著から学ぶとき、15歳のやっちゃんの「ごめんなさいね おかあさん」(1975年4月)という詩に出会う。先生の「いのちの尊厳」や「いのちのつながり」の思想と実践、先生の「福祉教育の原点」を読み解くことになる詩である。以下に、転載・紹介することにする。余計なコメントは無用である。
及ばずながら福祉教育を追究し、また教師の端くれとして生きてきた筆者(阪野)にとって、やっちゃんの同級生が詩に託す「さとみは さびしい/だから 先生/もっと さとみと話して/だから 先生/もっと さとみと遊んで/だから 先生/もっと さとみをよく見て/やっちゃんが してくれたように」という思いや願いは、心に刺さる。同様に、神田先生の「八十路を歩みながら」今なお「生涯、ソーシャルワーカー」の現役のみずみずしさは、肺腑を衝く。
注
(1) 神田均先生に関しては、次の文献を参照されたい。
神田均・種石進「『100の知識より1つの体験』を大切にする」(対談)
『ふくしと教育』通巻11号、大学図書出版、2011年9月、38~41ページ。
神田均・武居敏「福祉に関わった宿命 生涯ソーシャルワーカーとして」(対談)
『月刊福祉』2013年5月号、全国社会福祉協議会、2013年5月、52~57ページ。
(2) やっちゃんの詩に関しては、次の文献を参照されたい。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』サンケイ出版、1978年12月。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(必読名作シリーズ)旺文社、1988年3月。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(改訂版)産経新聞ニュースサービス/扶桑社、2002年6月。
(3) 「やっちゃんの同級生」の詩の「まんまんさん」は「神様、仏様の幼児語」である。