周知のように、1998(平成10)年12月に特定非営利活動促進法(NPО法)が施行された。2009(平成21)年9月には政権交代が実現し、民主党政権によって「新しい公共」政策の推進が図られた。これらを契機に、地方自治を取り巻く大きな潮流として「ガバメント(統治)からガバナンス(共治)へ」の転換が図られ、市民運動も「抵抗・告発型から参加・自治型へ」と変質する。それは、市民は統治客体意識から脱却し、政治や行政に主体的かつ自律的に参加することが要請されるようになったことを意味する。言い換えれば、市民は、市民自治によるまちづくりを実現するために、政治や行政と前向きな議論や納得できる調整を重ねて真の合意形成を図り、また相応の責任を引き受けることが求められることになる。
以上の点に関して、湯浅誠(社会活動家)がその論考「社会運動の立ち位置―議会制民主主義の危機において―」『世界』第828号、岩波書店、2012年3月、41~51ページで、次のように述べている。参考に供しておきたい。
「こっち側」(社会運動:阪野)の役割は課題を投込むまで、そこから先は「あっち側」(政治、行政:阪野)の仕事という役割区分を過度に固定化する思考は、自分は言いたいことを言うだけ、調整と妥協という汚れ仕事のコストは回避するという形で、「あっち側」への調整コストの押しつけ・丸投げに帰結する。当然ながら満足のいく結論は出てこず、それが結論への批判と「あっち側」への責任追及をもたらし、同度に「あっち側」の世界には関わらないほうがマシという調整の忌避に至る。(47ページ)
「主体的市民による社会運動」(中略)の内実および議会制民主主義との建設的緊張関係の中身については、永遠の課題として、これまでの研究および実践の蓄積に、これからも学び続けるしかない。少なくともそれは、「こっち側」と「あっち側」の役割区分を固定的に捉えるのではなく、政治的・社会的力関係の総体を視野に入れながら、社会的領域および政治的領域における調整過程に積極的に介入し、主権者として結果に対する責任を自覚し、何かを全否定したくなる衝動を抑えながら、地道に調整を積み重ねて相反する利害関係者との合意形成を図る市民だろう。(51ページ)
次の図は、「市民自治とまちづくり」の流れをまとめたものである。そこから、市民による「現状把握・分析」から政策・制度(「あっち側」)や実践・運動(「こっち側」)による「合意形成」、「課題解決」、そして「評価・見直し」に至る過程に積極的に介入し、市民自治によるまちづくりに主体的かつ自律的に取り組む市民をいかに育成・確保するかが当面の大きな課題となるといえよう。市民自治の実践は、それへの参加そのものが教育・訓練・啓発の要素や側面をもつのである。
以上のうち、「合意形成」(consensus building)とは、それぞれの“立場”や“利害”を超えて、多様な意見や考え方をまとめ、「納得」することをいう。そのためには、(1)信頼に基づく良好な人間関係を築く。(2)異質で多様な価値観の存在を認める。(3)公正で透明性の高い情報開示(共有)を行う。(4)社会科学的・批判的な思考力や論理的・合理的な判断力を養う。(5)適正な手続き(プロセス)を踏まえた協調的な「交渉」(negotiation)を重視する、ことなどが求められよう。また、対話や交渉を支援する方法としてファシリテーション(facilitation)やメディエーション(mediation:調停)の導入も必要となる。
いまひとつ、「責任の引き受け」(take responsibility)に関していえば、政治や行政において、選挙や議会に基づく権威主義的傾向や前例主義による保守的傾向があることは否定できない。それは、市民の、政治や行政への「依存」(無関心、無理解、非協力)を反映したものでもある。「まかせておけばいい」という依存は、「責任」を伴う対等・協働(共働)の関係ではない。市民自治の主体である市民には、そうであるがゆえに政治や行政に対して積極的かつ自律的に関わり、場合によって責任を追及することが求められる。併せて市民は、当然のことながら、相応の責任を引き受けることになる。「ガバナンス」のひとつの姿である。
付記しておきたい。
注
熱心なブログ読者から、「最近の政治状況に抗する“能力や覚悟”は十分に持ち合わせていないが、確かな市民自治と平和で安心なまちづくりを推進するためには、その主体である市民一人ひとりがコツコツと実践や運動を積み重ねていくことしかないのではないか」というメールをいただいた。本稿はそのご意見に対するものでもある。