老爺心お節介情報/第41号(2023年3月19日)

「老爺心お節介情報」第41号

お変わりありませんか。
大分春めいてきました。いい季節になりました。
「老爺心お節介情報」第41号を送ります。

2023年3月19日   大橋 謙策

Ⅰ 都道府県社会福祉協議会主催の「社協職員実践研究発表大会」の必要性

〇本年1月から2月に掛けて、香川県、富山県、佐賀県で社会福祉協議会職員の実践研究発表大会が開催され、コンサルテーションを行ってきた。
〇筆者が、佐賀県社会福祉協議会と継続的に関わり、コンサルテーション的アドバイスをするようになったのは2012年度からである。
〇佐賀県では、2015年11月に「市町社協理事・監事・評議員・職員―地域福祉推進・小地域福祉活動実践セミナー」を「社会福祉協議会は生き残れるか」をテーマで行った。また、2017年度からは市町社協職員パワーアップゼミを行ってきた。それらを踏まえて、2018年度から社協役員研修と県内社協職員のパワーアップ研修の成果を基にした社協職員実践研究発表との連動性を意識化した合同研修会を「市町社協役職員合同研修会」として社協職員実践研究発表大会を行うようになり、2022年度が第5回目の実践研究発表会であった。
〇去る2月15日に行われた社協実践研究発表大会では、発表者6名中、パワーアップゼミの修了者が3人であったが、そのいずれの人もパワーアップゼミで取り組んできた「問題解決プログラム」に基づく実践を発表され、とても高い評価を得た。
〇与えられた業務分掌に基づき、漫然と決められた事業を遂行し、その報告をするのが従来は多かったが、今回は地域生活課題をアンケート調査等で明らかにしたり、民生児童委員の協力を得て、アウトリーチ型の問題発見を行い、そこで明らかになった生活課題を解決するために、新しいサービス開発を行って提供するという、いわば自らの「問題解決プログラム」を作成し、その実践仮説をもって、意識的に取り組んだ実践報告は非常に素晴らしいものであった。しかも、その財源についてもファンドレイジングを活用して確保するという、一連のコミュニティソーシャルワーク機能が意識された素晴らしい実践であった。
〇香川県では、2014(平成26)年に香川県内社会福祉協議会連絡協議会と香川県社会福祉協議会とが、「ニーズ対応型社協活動方針」を決定し、住民と行政の信託に応える活動を展開することになった。香川県内市町社会福祉協議会は、住民の多様な相談のたらいましをしない全世代対応型の相談活動ができるように、社会福祉協議会に「地区担当制」を導入する活動が活発になっていく。と同時に、市町社協を担う中堅職員への「次世代育成研修」を展開してきた。このような背景をもって、香川県社会福祉協議会も県内社協の実践研究発表会を2014年度(2015年1月)に開催するようになった。
〇富山県でも、佐賀県や香川県の取り組みに触発されて、2017年度(2018年1月)から社会福祉協議会職員の実践発表会が開催されている。
〇これらの県に共通しているのは、当初、市町村の社会福祉協議会の活動報告の域を出なかったものが、コミュニティソーシャルワーク研修を受ける過程において、自らの問題意識、問題把握に基づいて、それらの問題の解決を図る企画を立て(仮説の設定)、それに基づき、実践をし、その成果を発表するというスタイルに変わってきていることである。
〇筆者は、1987年に和田敏明先生(当時全社協地域福祉部長、現ルーテル大学名誉教授)と語らい、岡村重夫先生、永田幹夫先生、三浦文夫先生等の賛同を得て日本地域福祉学会を設立した。その目的は、まさに上記のように、地域問題を把握し、その解決策を立案し、実践したものを日本地域福祉学会で発表することにより、全国の市町村社会福祉協議会職員の資質向上を図り、市町村社会福祉協議会が展開する地域福祉の推進を図りたいと考えての学会設立であった。
〇しかしながら、それから約35年経たが、日本地域福祉学会における社会福祉協議会職員の占める比率は下がり、かつ実践研究報告も増加していない。
〇他方、平成の合併により、全国3750程度あった市町村が今や1700程になっている。それに伴い、各都道府県社会福祉協議会が展開していた市町村社会福祉協議会職員向けの研修も減少しているのではないだろうか。我々の認識の中に、未だ“重厚長大”をよしとする発想があるせいだろうか、県内市町村社会福祉協議会の数がへってきたことで、研修をしても参加者が集まらない、人数が少ないと元気が出ないという状況に陥っていないであろうか。筆者の“感覚”では、市町村社会福祉協議会の職員が一堂に会して、談論風発の討議、研修がなくなってきているように思われてならない。それは、行政の職員の研修スタイルが変わり、社会福祉協議会もその影響を受けているということなのかも知れない。
〇しかしながら、行政のように、法律、制度、予算に囚われている職種ならいざ知らず、社会福祉協議会職員の実践は、住民のニーズを発見し、その問題解決を図るという優れて自らの実践仮説に基づく実践を行うことが求められている状況では、かつての“知識供与型の承り研修”では駄目で、“住民のニーズ対応・問題解決型の研修”を繰り返し行うしかない。それは決して、研修参加人員が多い方がいいということではない。また、かつての社会福祉協議会は調査・研究を大事にし、住民のニーズを明らかにし、それをソーシャルアクションとして実現してきた歴史を有しているが、最近ではほとんどそのような実践を聞かない。
〇改めて、各都道府県社会福祉協議会は研修のあり方を見直し、コミュニティソーシャルワーク機能に関わる研修を軸に、“住民のニーズ対応・問題解決型の研修”を行い、その実践成果を社会福祉協議会職員実践研究発表会として開催する必要があるのではないか。
〇香川県丸亀市や東京都世田谷区等では、区市町村レベルで、社会福祉協議会が行ってきた実践を住民に報告する会を行うようになってきている。これからは、都道府県レベルだけでなく、市町村レベルでの社会福祉協議会職員の実践研究発表会が求められる時代になってきていると認識しなければ、社会福祉協議会は生き残ることができなくなるであろう。

Ⅱ 健康診断とがん告知 その ➁ ――神奈川県立がんセンター重粒子線治療の巻

①ホルモン療法は3か月に1回の割合での注射と毎日朝食後1回の飲み薬との併用である。
〇ホルモン療法の注射は、下腹部に打つのであるが、女性ホルモンということもあるのか、下腹部がポコッと膨らんでくる。女性ホルモンの療法を行うと、男性性器が勃起しなくなると聞かされていたが、それは性交ができないという意味だと私は理解していたので、それは自分には関係ないと思っていたが、どうもそうではないことが分かってきた。
〇ホルモン療法の結果、男性性器が男の子の性器のように小さくなり、かつ包茎状態になってしまうので、おしっこをする際に、きちんと包茎状態を直し、尿の出る方向を定めて放尿しないととんでもないことになる。また、勢いよくでないので、便器に近づき、“一歩前”に出ないと小便器の手前に放尿することになる。今まで、男性便所の小便器の周りがいつも尿で汚れているのが気になっていたが、それはたぶん私と同じような前立腺ガンや前立腺肥大の人が、意識して放尿していないのではないかと思えるようになってきた。私はここでも意識化する取り組みが増えた。
〇歳を取ってくる中で、部屋の電気の消し忘れ、水道の蛇口を最後まで締め切らずにちょろちょろと水を出しっぱなしにするような状況が夫婦の中で日常的多くなってきて以降、夫婦で、日常生活のあらゆる場面での意識化ということを合言葉にしてきたが、放尿の際にも意識化が必要になってきた。多分、放尿を意識化していない人が、男性便所の小便器周りに尿を“結果として”ふりまいているのであろう。
〇歳を取るということは、惰性で、無意識的に生活をしていると様々な問題が生ずる。そうならないよう、日常生活のあらゆる部分での意識化が重要になる。意識して歩く、意識して口腔体操をする、意識して整理する等意識化の重要性が見えてくる。
〇鉄道員等が“指差し喚呼”というものをしているが、まさにこの動作を意識化して“指差し喚呼”が重要になる。教育実践でも、「外化」という営みがある。自分の“内なるもの”を意識して外に出す{外化}を行うことで教育効果が上がるという考え方と同じである。
〇老化に伴う問題行動を少なくしていくためには、あらゆる場面での意識化が重要である。

②重粒子線治療では、腸内にガスが溜まっていたり、便が詰まっていると照射がうまく行かないからという理由から、1月30日から4種類の薬が処方され、朝、昼、晩の3回飲むことになった。胃腸管内のガスを取り除くシメチコン、消化を助けるエクセラーゼ、腸の働きを整えるビオフェルミン、胃酸を中和し、便を出しやすくする酸化マグネシュウムの4種類である。酸化マグネシュウムには筋力低下をもたらす恐れがあるという。
〇また、胃腸管内にガスが溜まることを促進しかねない炭酸飲料と麺類の摂取が禁止された。ビールはだめというので、日本酒はいいのですかと聞くといいという。2月13日からビールが飲めなくなる。
〇服薬しはじめて、2週間後ぐらいに、どうも歩く足が遅くなり、足に力が入らなくなる。3月1日の重粒子線治療開始後の最初の診察で、酸化マグネシュウムの影響ですかと尋ねると、酸化マグネシュウムというより、女性ホルモンの効果が出てきたのではないかという回答。酸化マグネシュウムは、便秘を防ぎ、便通をよくするので飲んで欲しいとのこと。

③2月28日から重粒子線治療が始まる。そのための体を固定する固定具の作成というものが2月13日にあった。重粒子線治療は、イオンを高速化させて、病巣にピンポイントで照射をするので、照射の際に体が動かないようにプラスチックでできている「シェル」というもので体の固定具を作るという。
〇細いベッドに横たわり、温められた「シェル」を体の上に乗せ、それを急速に冷却して固まらせるというものである。検査ガウン1枚の体に「シェル」をのせて行うのであるが、最初は少し暖かく感じるが、そのあとは扇風機を用いて冷やしていく。寒い。と同時に「シェル」が固まっていくと重くなり、身動き取れなくなる。体の型どりをし、それを体の上にのせて、いわば重しとして、体が動くことを制御するということらしい。
〇放射線は放射線が体内に入るところでエネルギーが爆発し、かつ放射線は体を通り抜けるので、他の部位にも放射線が当たり、ダメージを作るの対し、重粒子線は、病巣まで届いたところでエネルギーを爆発させるのでがん治療には効果的であるが、精密に照射をしないと他の部位へのダメージが強いので、体を固定するという。
〇この作業自体は、どうということもないが、その作業の1時間前にトイレに行き、排尿・排便した上で、250~300mlの水を飲み、その水がお小水として膀胱に溜まったところで、この作業を行う。この間、放尿を我慢できるかどうかが問題である。そのために事前の訓練も課された。しかしながら、体調はいつも同じでないので、放尿を我慢できるかどうか不安になる。私の場合、膀胱に尿が溜まるのが遅いとかで、固定具を作成する際に、体を動かさないままに普通の人よりも20分長く、ベッドに横たわる羽目になった。

④2月28日、最初の重粒子線治療が行われた。前日の27日からお酒を飲まず、指示通りに10時30分に治療前最後の排便・排尿を行う。その後300mlの水を飲む。11時に検査用ガウンとネットパンツに着替え、11時20分に治療室に入る。以前作成した固定具を付け、身動きせずに、照射の照準合わせを待つ。照準が定まり、照射が始まる。右足下腿部脇の機械からゴービシュッという音が聞こえる。その音がどれだけ続いたか、数を45数えるぐらいで終了。拍子抜けするほど短時間、かつあっけない。
〇その後、CTを取り、第一日目が終わる。明日は左側の下腿部から照射するという。交互に照射するとのことであった。

⑤重粒子線治療は医療保険適用になったので、安くなったとはいうものの、12回分で25万円強の清算であった。神奈川県立ガンセンターには、重粒子線を照射する治療室が3つあり、1日各部屋14~5人の治療を行うということであった。放射線技師の言うのには、この装置は高いから、かつ敷地を広くとらないといけないので、全国で多分5~6箇所しかないのではないかという。重粒子線治療を受ける患者の大方60%が前立腺がん患者であるという。他の部位のガンについては、放射線がいい場合もあるということで、がんの部位によって効用が違うのだという。

⑥3月3日で重粒子線治療の第1クールが終わる。4日目の金曜日の夜から、重粒子線治療の後遺症か、排尿時が痛く、尿の出も悪く、頻尿になる。夜も1時間程度で尿意が来る。土曜日も同じような症状が続き、いよいよ男性用尿取りパットを購入しないと尿漏れを起こしかねないと思い、ドラッグストアに行き、男性用尿取りパットを購入してきた。ところが、土曜日の夜からは放尿時の痛みもなくなり、かつ尿の出方も以前と変わりなく状況が戻ってきた。第2クールになったときにどうなるのか見守るしかない。
〇神奈川県立ガンセンターから渡された「治療カレンダー」に放尿時の痛みとか放尿がしにくいという項目に〇×をつける欄があった意味が分かる。

⑦3月8日、第2クールの診察日、鎌田医師に放尿時になぜ痛くなるのかを聞いた。重粒子線を照射することによって、前立腺と同時に、その中を通っている尿道にも重粒子線が当たり、“一種のやけど”が起きており、それは陽に当たって皮膚が赤くなり、痛くなるのと同じで、時間が経てば治るとのこと。あまり痛ければ薬を出すが、どうするというので我慢できないほどでもないので、お断りする。
〇ついでに、放射線と重粒子線の違いを聞くと、放射線は体を通り抜けていき、他部位の臓器等を痛める。重粒子線は、焦点化された部位で重粒子が“爆発”して、そこで終わるように、高速の重粒子をコントロール(スピード、距離)している。それだけ、照射はち密で、難しい技術がいるという。現時点では、前立腺の中を通っている尿道も一緒に照射せざるを得ないが、「次世代の重粒子線治療」は尿道にダメージを与えないで照射できるように、現在研究中だとのこと。
〇だから、固定具を作成したり、膀胱を膨らませて他の臓器に影響がでないようするとか、固定具を作成したときの体重を変えないようにとかの指示の意味が非常によく分かった。

⑧3月9日、第7回目の照射の日。前日は、膀胱に尿が溜まっておらず、照射台の上で約10分間、尿が溜まるのを待ってから照射が行われた。そのこともあったので、放射線技師になぜ膀胱に尿を溜めるのかを聞いたら、膀胱を膨張させ腸との間を空ける必要があるからだという。膀胱が膨張していないと隙間がないため、重粒子線が腸にも照射され、ダメージを与える可能性があるからだという。
〇重粒子線治療が始まる前に、固定具を作成し、そのあとCTを取ったが、そのCTの画像とずれないようにすることが重要で、0.5ミリの誤差も出さないようにしているとのこと。毎回の照射の際に、“焦点が合いました。これから照射を始めます”というアナウンスがあってから照射がはじまっていたので、この解説は納得した。
〇3月9日の照射の日に、更衣室で一緒になった患者さんも前立腺がんとのことであるが、今まで昭和大学藤が丘病院で診察を受けていたが、そこでは放射線治療を38回行うというので、神奈川県立がんセンターの重粒子線治療は12回の照射なので、こちらを選択して、今日が第2回目の照射だと言っていた。

⑨3月10日、8回目の照射を行い、第2クールが終わる。その夜は、頻尿が凄く、夜中に7回もトイレに行った。寝た気がしない。

⑩第2クールの終わりごろから頻尿がひどく、代替1時間に1回の放尿になる。時には30分で尿意を催す。しかも、尿意を催してから排泄まで我慢することが殆どできなくなる。これが辛い。トイレがある場所を移動しているときは、それなりに注意できるが、ある日、トイレに行ってから散歩にでたにも関わらず、30分もしないうちに尿意を催し、住宅地のところだったので、“雉うち”するわけにもいかず、走って自宅に帰ろうとしたが、残念ながら間に合わず、“お漏らし”をすることになった。それ以降、危なそうな時には男性用尿取りパットをつけて、散歩に出るが、そのあとも間に合わず、尿取りパッドのお世話になったことが1度ある。この頻尿と放尿時の痛さは、照射が終了して2週間ぐらいでもとに戻るということなので、当分の間お世話になるようである。

⑪神奈川がんセンターでは、時々“付添人は一人までにしてください”とアナウンスをしているが、実際には2人も付き添ってきている。中には、付添人自体が認知症が始まっているのではないかと思われる夫婦がいる。看護師の説明がよく理解できない夫に付き添っているのはいいのだけれど、付き添っている妻はといえば、両足のソックスが色違いで、ちぐはぐな状況をみていると付き添っている妻も認知が進んでいるのだろうかと心配になる。

⑫第3クールに入って、3回目の診断の際に、医師に頻尿と放尿時の痛さを訴えたが薬を出しましょうかという言い方なので、その時は頑張ってみますと答えた。しかしながら、その後も頻尿と放尿時の痛さが続くので、第4クールに入った4回目の医師の診断の際に、同じ訴えをした。前回と同じく「薬出しましょうか」という言い方で、「出しましょう」とは言わない。そこで、その薬はどういう性質のもので、副作用があるのかどうか、飲むとすればどれだけの期間飲むのかを聞くと、「皆さん飲むと放尿が良くなり、痛みも感じない」という。副作用は「立ち眩みする人がいるので、車を運転する際には注意が必要」だという。飲む期間は照射後2週間程度すれば、照射に伴う“一種の火傷”は治るので、それまでの期間だというので薬を処方してもらった。薬を飲むかどうかの選択を患者にしろというばかりの応接には参った。
〇早速、3月15日夜から服薬したが、医師の言う通り、尿の出は良く、“ほとばしる”ような出であった。また、放尿時の痛みもなく、これならば医師はもっと積極的に勧めるべきではないのだろうかと思った。

⑬3月17日、12回目の照射も終わり、重粒子線治療が終了した。放射線技師や看護師、事務職に丁寧に挨拶して帰る。看護師から、今日から胃腸を整える薬は飲まなくていいです、麺類を食べることも解禁です、お酒は5月31日で解禁です、温泉には5月末まで入らないでくださいとの説明を受ける。次回の診察は5月29日で、今後3か月ごとにチェックを受けることになる。

⑭早速、お昼に、病院近くの中華飯店で、牛肉ピーマン細きりそばを頂く。美味しかった。

Ⅲ 『関外余男随想集』を読んで

〇兵庫県社会福祉協議会の事務局長、常務理事を歴任された塚口伍喜夫先生から『関外余男随想集』をご恵贈賜った。
〇関外余男さんは、兵庫県社会福祉協議会の常務理事、会長を歴任された方で、その方の随想を塚口伍喜夫先生たち兵庫県社会福祉協議会のメンバーが中心になって、編集され、この度刊行された。目を通した。
〇塚口伍喜夫先生に宛てた礼状の一部を転記しておく。

この度は、貴重な『関外余男随想集』をご恵贈賜りありがとうございました。全て読めていませんが、関外余男先生は、戦前社会教育と社会事業が未だ未分化、密接不可分の時代に、内務省の管轄であった「社会課長」をされているのですね。とても興味深く読ませて頂きました。戦後の兵庫県社会福祉協議会の常務理事、会長をされるのはある意味自然の流れですね。
本書に出てくる小田直蔵さん(P534)という社会事業主事はどういう経歴を経たのでしょうか。私は、社会福祉の歴史の中で、戦前の社会事業主事に関する研究が不十分だと思っています。一部は私が中心になって、日本社会事業大学の社会事業研究所でまとめましたが、各都道府県別にまではできていません。
戦後の社会福祉研究も教育研究も、いわば“ポツダム研究”になっていて、戦前は全て悪く、戦後はすべていいという単純な図式に陥っています。私は、戦前と戦後の“連続・継承”に関する研究が大事だと考えつつも未だ整理しきれていません。この視点に基づいて改めて「関外余男研究」を中核とした兵庫県社会福祉の歴史研究をする必要があるのでしょうね。
同封しました「老爺心お節介情報」第37号で取り上げました見坊和雄元全社協常務理事のところでも書きましたが、全国の都道府県社会福祉協議会の初代の会長、初代の事務局長がどういう方か一度研究してみる必要があると思っています。兵庫県社会福祉協議会の初代会長、初代事務局長はどういう方なのでしょうか。その方々は戦前何をされていたのでしょうか。塚口先生がお分かりでしたら教えていただければと思います。「関外余男研究」もそのような流れの一環に位置づけて考えてみたら面白いと思うのです。どなたか若い人で、そのような研究を志す人はいませんでしょうか。

〇この礼状にも書いた通り、戦前と戦後を簡単に“断絶”させてしまった“ポツダム研究”が戦後において“横行”した。
〇戦前で反省すべきものは大いにあるし、戦後が全ていいものでもない。戦前、戦後の「連続」、「継承」、「反省」、「断絶」を十分に意識した各都道府県の地域福祉史研究、とりわけ都道府県社会福祉協議会の歴史研究が重要ではないか。そのポイントは、戦前の各都道府県の社会事業主事は誰で、どういうことをしていたのか、戦後の各都道府県社会福祉協議会の初代の事務局長は誰で、どういう経歴の人なのかを明らかにするとことから研究を始める必要があるようだ。
〇このことに興味、関心のある方は是非取り組んで欲しい。私も1980年代末に、阪野貢先生等とこの研究の一端を行ったが、それ以降継続しきれていない。是非、興味、関心のある方は取り組んで欲しい。

Ⅳ 小田直藏著『社会事業夜話』を読んで

〇先のⅢで述べた手紙を読んだ塚口伍喜夫先生から、改めて本が送られてきた。小田直藏著『社会事業夜話』と『地域福祉の歩みーー兵庫県社会福祉協議会30年史』の二冊である。
〇先の手紙に書いた戦前,兵庫県の社会事業主事をされた小田直藏氏に関わる文献である。小田直藏氏は、戦後初代の兵庫県社会福祉協議会の事務局長でもあった。
〇小田直蔵氏は」新潟県村上市出身で、熊本の旧制5高に学び、その後旧制東京大学に進学し、大学院では「賑恤救救済事業」を研究し、卒業後内務省吏員(留岡幸助、生江孝之、高田慎吾らと親交)となり、大正6年4月に兵庫県社会事業主事として赴任する。賀川豊彦らとも親交があり、スラム街新川地区や被差別部落の生活改善に取り組んでいる。
〇『社会事業夜話』を読んで驚いたのは、兵庫県では岡山県の済世顧問制度、大阪府の方面委員制度と同じように昭和2年7月から方面委員制度が実施されるが、それに先立ち、大正8年に「救護視察員」という兵庫県独自の有給の地区担当の吏員制度を創設したことである。神戸、姫路、尼崎、明石等の都市に駐在し、担当区域内の生活状況を視察調査し、要保護者に対し必要な保護を加えるという制度であった。しかも、その制度の提唱者が知事本人で、かつその制度の必要性の趣旨を知事が巻紙に毛筆で書いて小田直蔵さんに指示されたということは驚きである。
〇また、兵庫県では、昭和3年に市町村に児童相談所を設置する奨励規定を作り、県下10数か所に設置されたという。知能テストや歯科診療を行ったという。さらには、兵庫県立児童研究所を昭和7年に開設し、医師や心理学専攻の職員、日本女子大家政学科(社会福祉学科の前進)卒業生を採用し、運営されたという。その児童研究所には児童一時保護所も併設されていた。
〇このように、戦前に社会事業主事として様々な制度を作る活動をしてきた小田直蔵氏は、戦後昭和26年3月の兵庫県社会福祉協議会設立総会において、兵庫県社会福祉協議会の初代事務局長に、兵庫県立児童研究所所長のまま選任される。
〇兵庫県社会福祉協議会が常に地域福祉実践において、全国のリーダーの一翼を担い、住民のニーズに対応する実践を行ってきた精神的、理念的淵源が小田直蔵氏や関外余男氏らの戦前からの「社会行政」に基づく実践に裏打ちされていたということが非常に良くわかり、嬉しくなってきた。これこそ、“研究者冥利”でもある。
〇改めて、全国の各都道府県で、社会福祉協議会設立時の初代会長、初代事務局長がだれであり、戦前との連続・継承、反省・断絶の歴史を事実に基づいて明らかにする必要性を実感した。塚口伍喜夫先生からの資料提供に心より感謝したい。
〇それにしても、この本を読んで、改めて自分の勉強不足を痛感させられた。と同時に、大学において、社会福祉教育を担当する教員は、このような事実があったことをどれだけ理解しているのであろうか。現在の社会福祉教育が社会福祉士養成の“テキスト”に頼り、“テキスト”を教えている底の浅さを嘆くしかない。このままで、社会福祉士は社会的評価を高められる実践を展開できるのであろうか。

(2023年3月18日記)