「老爺心お節介情報」第51号
地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様
お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」を送ります。
佳いお年をお迎えください。
2023年12月18日 大橋 謙策
〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。月日の経つのは早いもので、もう年の瀬になってしまいました。
〇私にとってのこの一年は、前立腺がんの重粒子線治療に始まり、白内障の手術等80歳代に向けての体のメインテナンスをする年でした。これを乗り越えれば、後5年は生きられるかなという思いです。65の稽古かな”という格言があるそうですが、私も5年先を考えて「5年期間人生サイクル」を意識した生活を考えてきました。突発的なことがなければ、今年の体のメインテナンス効果で、あと5年は生きながらえることができるだろうと思っています。
〇今年は、10月28日に行った「大橋ゼミホームカミングデー」で、教育者としても一つの区切りが出来ました(「大橋ゼミホームカミングデーの件は、「老爺心お節介情報」第50号に記載)。後は、富山県福祉カレッジの学長、(公財)テクノエイド協会の理事長をいつの時点で後継者に委ねることができるのかが問題です。
〇今年は、長野県木曽郡や長野市中条地区という「限界集落」、「消滅市町村」と呼ばれる地域の危機的状況に直面している地域、市町村の“地域福祉”の維持可能性を考える機会が与えられました。とても難しい課題ですが、「地域共生社会政策」や「地域福祉実践」において看過できない課題です。来年も体力、知力の続く限り、このような“草の根の地域福祉実践”を励ます全国行脚をしたいと、日々体力をつけるべく1万歩をめざして歩いています。
〇今号の「老爺心お節介情報」には、今年の8月に、日本社会事業大学同窓会の北海道支部の機関紙に寄稿した文章を転載しました。続きは、この正月休みにでも書こうかなと思っています。大事なテーマなので、転載することにしました。
(2023年年12月18日記)
(註)
「アガペ」とは、日本社会事業大学のシンボルともいえる彫刻です。原宿にあった日本社会事業大学は、戦前の海軍館の建物を使用していましたが、その敷地内には清水多嘉示作成の「海の荒鷲」と題する彫刻が設置されていました。その海軍館が、戦後全社協等の事務所に生まれ変わる際に、渡辺義知作の「アゲペ像」(ウブゴエカラ灰トナテマデと刻まれた母子像)が、「海の荒鷲」の台座の上に設置されました。台座は戦前のままで、上に設置された彫刻は「海の荒鷲」から「アゲペ像」に代わりました。戦前の軍国国家から戦後の「平和国家」への転換を意味するものとして日本社会事業大学の学生に愛されてきた彫刻です(詳しくは、池田拓著「アガペの台座が見つめたもの」(日本社会事業大学社会福祉学会機関誌『社会事業研究』第62号、2023年1月刊)に収録してあるので参照願いたい)。
特別寄稿…その1
社会福祉従事者の人間観、社会福祉観、生活観と虐待問題
日社大元学長(学部第7期) 大橋 謙策 氏
はじめに
〇日本社会事業大学同窓会北海道支部より、「北海道において保育所、高齢者福祉施設、障害者福祉施設等で虐待問題が起きている。ついては、同窓会支部の機関紙である『アガペ』において、『社会福祉と人権』というテーマで特集を組み、取り組みたい」ので、私にも「社会福祉と人権―社会福祉の今後ー」と題して寄稿してほしい、との要請があった。
〇とても大事な課題であり、私なりに思うところを書かせて頂きたいと思った。しかしながら、大学教員退任後、社会福祉に関わる事象、事案、研究を網羅的に、かつ継続的にウオッチングしていないので、十分ご期待に沿えるかわからないが、本稿を書かせていただいている。そういう意味では、学術論文というより、エッセイ風な論考と捉えて頂きたい。
〇社会福祉実践現場などにおける虐待の問題は、法的には、①身体的虐待、②性的虐待、 ③経済的虐待、④ネグレクト、⑤心理的虐待に分類される。その虐待は現象的には職員一人一人の資質の問題として捉えられる。しかしながら、その背景にある社会構造としては、ケアの考え方、日本人の人権感覚、社会福祉従事者の人権感覚、社会福祉法人の経営・運営の在り方等、その背景と構造の分析は単純ではない。
〇筆者としては、それらの背景も含めて、以下のように論稿を構成したいと思っている。1回の寄稿では終わらないので、その旨ご了承頂きたい。
① 日本国民の文化と福祉文化――私が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題
② 憲法第25条に基づくケア観と憲法第13条及び第25条に基づくケア観の相違③ 福祉サービスを必要としている人々の「社会生活モデル」に基づくアセスメントと医学モデルに基づくアセスメント
④ 福祉サービスを必要としている人のナラティブ(物語)を基底とした「求めと必要と合意」に基づく支援方針の作成(ICFの視点と福祉機器の利活用)
⑤ 入所型施設の運営・経営理念、方針と提供されるサービス
⑥ 勤務先の“劣悪な労働環境”とキャリアパス等の職員資質向上の取り組み
Ⅰ 日本国民の文化と福祉文化――筆者が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題
〇筆者は、高校時代に島木健作の『生活の探求』を読んで、日本社会事業大学への進学を決めた。高校の教師や親類縁者からは、なぜ日本社会事業大学のようなところを選択するのかと“奇人・変人”扱いであった。
〇そのような環境の下での日本社会事業大での学習であったが、授業内容は必ずしも筆者が望んでいたこととは違っていた。その大きな要因が、アメリカからの“直輸入”的社会福祉方法論を“金科玉条”のごとく位置づけることと、「福祉六法」に基づくサービスの提供であった。
〇その当時の社会福祉方法論は、アメリカで1930年代に確立した考え方であり、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底として成立してきた考え方、方法論であり、精神医学、心理学にかなり影響された考え方であった。
〇そのような中、筆者は日本の文化、風土に即した社会福祉の考え方、方法論があるのではないかと考え呻吟する。
〇当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用していくつか論文を書いており、自分の研究の方向もその方向ではないかと考え、“文化論”について研究したが、奥が深く、かつ掴まえ所がなく、その研究を中断した。
註1:一番ケ瀬康子先生は、1990年代に入り「福祉文化学会」を創立している。
註2:筆者は、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』31巻第1号)を書き、中根千枝の「タテ社会論」、阿部謹也の「世間体文化論」等を援用して、日本のソーシャルワークの理論化を論証した。
〇この日本文化は根が深く、簡単に因果関係を証明できないので、研究は中断したが、常に頭にこびりついて離れない。
〇日本では、子育てする際の文化として、“禁止と命令”によって、枠にはめようとする文化がある。常に、集団的価値観が尊重され、同調志向が強く、“逸脱”したものを排除、蔑視する傾向が強い。これは、学校教育における画一的教育方法であるベル・ランカスター方式の影響でもある。是非、『6か国転校生―ナージャの発見』(集英社)を読んでほしい。
〇そのような中、筆者は、戦前の社会事業理論における精神性と物質性に関する研究を行い、そのあり方を問うことが日本の社会福祉実践、研究を変えることになると確信していく。
〇結果として、筆者は地域福祉と社会教育の連携、学際教育に関心を寄せるようになり、その実践のフィールドを公民館や社会福祉協議会に求めていくことになる。
〇ところで、筆者は自分自身としては社会福祉の研究者であり、それを岡村重夫が提唱した “社会福祉の新しい考え方としての地域福祉“(岡村重夫説・1970年)という考え方に依拠して展開しようと考えていたが、そのような筆者の研究姿勢は、多くの社会福祉学研究者には理解されず、日本社会事業大学の教員からも、”大橋謙策は社会福祉研究のプロパーではない“という批判、評価を受けた。また、日本社会事業大学の清瀬移転に際し、大学院創設の文部省への申請書を審査した某有名大学の某教授も”あなたの論文は社会福祉の論文ではない“という評価を下した。
〇そのような中、筆者は、従来の社会福祉通説とは異なる新しい社会福祉実践、社会福祉学研究を求めて、社会福祉学界への抵抗の地域福祉研究50年を送ることになる。
〇その既存の社会福祉通説への批判と新たな社会福祉実践、社会福祉研究の論題は以下の通りであった。
(1) 大河内一男の労働経済学(「我が国における社会事業の現状と将来について」昭和13年論文)を基盤とする社会福祉研究への批判
(2) 社会権的生存権保障としての憲法第25条の「ウエルフェアー」から、憲法第13条に基づく幸福追求、自己実現支援の「ウエルビーイング」への転換(1973年論文)――障害者の学習・文化・スポーツの保障、「快・不快」を基底としたケア観
(3) 属性分野で細分化された福祉サービス、福祉行政の再編成と地域自立生活支援
(4) 社会福祉施設中心主義と施設の社会化、地域化論(「施設の社会化と福祉実践」(日本社会福祉学会紀要『社会福祉学』第19号所収、1978年論文)
(5) 社会福祉の国家責任論オンリーではなく、社会保険の国家責任論と対人福祉サービスの市町村責任論との分離
(6) 社会福祉の行政責任論ではなく、経済的給付、システムづくりにおける行政責任と地域自立生活支援における住民との協働による対人援助――べヴァリッジの第3レポートの位置、1601年「Statute Charitable Uses」研究、憲法第89条の桎梏からの脱却、2008年「地域における「新たな支えあい」を求めて」(厚労省研究会報告書、2016年地域共生社会政策の前史)
(7) 社会事業における精神性と物質性――戦後の社会福祉は物質的対応で解決できると考えてきたことの誤謬ーー「救済の精神は精神の救済」(小河滋次郎、戦前方面委員の理念)
〇筆者は、1984年に書いた論文で、社会福祉研究者、社会教育研究者は“出されてきた政策には敏感であるが、政策を出さざるを得ない背景には鈍感である“と述べ、住民のニーズに即応したサービスの提供、地域づくりの必要性を説いている。
〇それは、対人援助として社会福祉を提供する際に、かつ地域づくりを展開する際における住民参加と住民のニーズを基点に考えるということである。
〇従来の社会福祉行政には、住民参加の規定もなければ、住民の相談、ニーズを「社会福祉六法体制」の基準に該当するかどうかを判定することや、措置行政の枠組みの中でサービスを提供すれば良いという考え方に対する批判でもあった。
〇そのような中、1970年代に、なぜ市町村社会福祉行政は計画行政でないのか、また、地方自治体の社会福祉施設整備計画がないのかを問い、市町村ごとに社会福祉計画を立案する必要性を説いた。
〇1980年には「ボランティア活動の構造」という図を示し、一般的隣近所の紐帯を強める地域づくり活動、地域にいる福祉サービス利用者を支える地域づくり、それらを社会福祉計画策定により解決していくという「自立と連帯に基づく社会・地域づくりのボランティア活動の構造」という図を作成した。
〇児童福祉法には市町村に児童福祉審議会を設置することが「できる」規定があり、かつ、民生委員法第24条に規定される意見具申権という規定、考え方を基に、当時、いくつかの自治体において、住民参加を保証する「社会福祉審議会」、「地域福祉審議会」の設置を求める提案をしている。
註3:東京都狛江市は、住民参加を規定した「市民福祉委員会」を条例で1994年に設置している。同じ頃、東京都目黒区でも「地域保健福祉審議会」が設置された。筆者の地元の稲城市では1980年代初めに「社会福祉委員会」を設置するが行政による要綱設置であった。東京都豊島区でも要綱設置であった。
〇このような住民参加による、住民のニーズに対応したサービスの提供という考え方が、多くの社会福祉行政、社会福祉従事者に共有されていれば、少なくとも“虐待”が起きる社会的背景、構造は違ってくる。
〇しかしながら、現実は、そのような住民のニーズにこたえて、住民参加で社会福祉施設が作られたわけでなく、かつ、その社会福祉施設は措置行政によって、長らくサービス利用者を“収容保護する”という構造のなかで、“閉ざされた空間”に置いて福祉サービスが提供されるという構造の中で“虐待”事案として発生する。
〇社会福祉施設が、1978年に書いた論文のように、地域に開かれ、地域住民の共同利用施設として位置づけられ、運営、経営されているならば、“虐待”という事案は少しは防げるのではないだろうか。
(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。