地方消滅×東京消滅×地方移住:若者を吸い込み、高齢者を吐き出す“都市”―相川俊英著『奇跡の村』の読後メモ―

896の自治体(全体の49.8%)が消滅しかねない‥‥‥。「地方消滅」という言葉を見聞きするようになって久しい(増田寛也編著『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減―』中央公論新社、2014年8月)。次いで、「東京消滅」である。東京圏では75歳以上の高齢者が約175万人増加し、介護施設を奪いあう事態になりかねない‥‥‥(増田寛也編著『東京消滅―介護破綻と地方移住―』中央公論新社、2015年12月)。これらの言説は、“上から”目線のそれであり、地域・住民の社会・生活不安を煽(あお)り立てている。そこに登場するのが、これまた“上から”の「地方創生」である。その目玉策のひとつが「地方移住」、そのとどのつまりは“カネ”(交付金・補助金等)である。
いま、全国各地の自治体で、移住の促進策や移住者への優遇策が推進・展開されている。かつて地方から若者を吸い込んだ都市が、国策や補助金行政によって、高齢者になった彼らを地方に吐き出すのである(都市に住む80歳代の作家の、またぞろ人間性が疑われる発言「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」を思い出す)。

過日、ぶらっと立ち寄った本屋で、ジャーナリストの相川俊英が書いた『奇跡の村―地方は「人」で再生する―』(集英社、2015年10月。以下、「本書」)が目に留まり、購入した。本のサブタイトルに首肯するからである。その本は、地方の小さな書店ゆえにか、「平積み」でも「面陳列」でもなく、「棚差し」であった。ひとつの現実である。
本書では、地域特性を生かした独創的な、しかも住民主体による地域活性化策の事例が紹介されている。(1)「国内指折りの高出生率を記録した」長野県下條(しもじょう)村、(2)「消滅可能性都市」ランキングワースト1位と名指しされた群馬県南牧(なんもく)村、そして(3)「アートの棲(す)むまち」と称された神奈川県の旧・藤野町(ふじのまち/現・相模原市緑区の一部)の3地域の取り組みがそれである。
(1)の最大の功労者は、「カリスマ村長」の伊藤喜平である。伊藤は、役場職員と住民の意識改革を図り、行政と住民との役割分担による協働を推し進め、「奇跡の村」をつくりあげた。(2)で奮闘するメンバーは、村の実情を熟知し、その将来に不安を抱いていた30代、40代の若手自営業者である。彼らは、地域活性化活動に特化した組織をつくり、行政と連携・協力して、移住者誘致や交流拡大などの事業・活動に取り組んだ。(3)で特筆されるのは、住民派女性議員の草分け的存在であった三宅節子と異色の役場職員であった中村賢一である。旧・藤野町は、文化芸術による地域活性化を図るが、三宅や中村のような「人と人をつなぐ人」「人と人をつなぐ人たちをさらに結び付ける人物」(217ページ)の存在が大きかった。
3地域の活性化策の具体的な内容は本書に譲るとして、ここでは、唐突ながら「天地人」と「ヒト」の重要性に留意しておきたい。「天の時」を知り、「地の利」を活かし、「人の和」を作れる「ヒト」の存在である。本書で相川が主張する(結論づける)のは次の一節である。

「地方創生」の主役は国ではなく地方である。それも地方自治体ではなく、一人一人の住民である。地域住民が動き出すことで初めて、真の地方創生が実現できると考える。いや、地域住民が動き出さない限り真の地方創生などあり得ない。地方創生を導くキーワードは「ひと」「地域」「つながり」「環境」「自給」「共存」「多様性」「楽しむ」といったところではないか。疲弊した地方の再生に今、最も必要なものは、大きな何ものかに安易に依存せず、できるだけ地域(自分たち)で自立を図ろうという意欲と覚悟、そして実際の行動である。(220ページ)

「奇跡の村」は、一人の卓越した政治家や行政職員によってつくりあげられた(られる)ものではない(本書では特定の「ヒト」に焦点をあてた叙述がなされている)。「奇跡」や「卓越」という言葉には、危うさがつきまとう。いま問われるのは、「奇跡」の村がどこにでもある「当たり前」の村になり、その村(地域・社会)を支える多様な住民をいかに育成・確保しネットワーク化を図るか、である。その取り組み(住民主体形成)は、内発的で自律的、計画的で継続的なものでなければならない。筆者(阪野)が本稿で言いたいのはこのことである。