〇筆者(阪野)は、本ブログの「雑感」(36)に「1%から始まる住民主導の内発的まちづくり―主体者意識に基づく『話し合い』と『学び合い』、そして『地域経営』―/2016年5月18日」をアップした。そこでは、「地域経営」の視点からまちづくりに取り組む鳥取県八頭郡智頭町(ちづちょう)の実践例の概要を紹介した。
〇智頭町には、地域経営の理念を創り上げ、それを実現するための仕組みを構築し、とりわけ「学ぶ場」づくりを重視しながら自律的・能動的にまちづくりに取り組む住民がいた。その一人が寺谷篤志(敬称略、以下同)である。寺谷は、「地域経営実践の猛者(モサ)である。パイオニアでもある」と評される(岡田憲夫「本書の中の本書の書評」寺谷篤志・平塚伸治/鹿野和彦『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』仕事と暮らしの研究所、2015年3月、8ページ)。
〇筆者は、先の拙稿で、寺谷を「稀有(けう)な挑戦的実践者」と評した。いま、幸運にも、寺谷から“学び”の機会を得ている。そして、寺谷については、「稀有」「挑戦」という言葉以上のものを次のような私信メールから痛感している。「智頭では誰もやらなかったこと、何にもならんことをするな、と言われ続けた。京都も一緒ですが、私にとっては地域社会が最高の投資先であり、そこでの希少価値を模索しての人生でした」。「CCPT提言書は、地域社会で住民が葛藤し格闘した記録です。まさに闘争の記録です」。「知識は価値です。地域での価値づくり、学びは、まちづくりにとって極めて重要なものです。ささやかな『杉下村塾』ひとつとっても、地域経営であったと思います」。「私にとって学ぶことはイコール実現することです。創造的な挑戦は誇りを創ります」。寺谷はまさに「モサ」である。飽くなき「探究者」である。
〇寺谷の智頭町におけるまちづくりは、1984年7月の「杉板はがき発案」から始まる。そのまちづくりが力強く前進したのは「智頭町活性化プロジェクト集団」(CCPT:Chizu Creative Project Team)の結成(1988年5月)であり、より確かなものになったのは「杉下村(さんかそん)塾」の開講(1989年8月~1998年8月、全10回)であろう。それらを基盤に、1997年度から「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」がスタートしている。それは、「住民主導による地域活性化運動」「住民主導による徹底したボトムアップの運動」「『物言わぬ住民』を『物言う住民』に転換する運動」などと言われる。こうした取り組みには、前橋登志行(CCPT代表)や岡田憲夫(京都大学名誉教授)らとの「共鳴」があり、「共働」があった。
〇さて、本稿のねらいは三つある。(1)寺谷が本ブログのためにわざわざ書き下ろしてくれたコメントを発信することである。(2)寺谷から拝受した貴重で膨大な資料の一部(『CCPT活動実践提言書』の各巻のタイトルと目次)を紹介し、原典に繋ぐことである。そして、(3)「学ぶ場」としての「杉下村塾」(第1回:1989年8月25日~27日)についての資料紹介である。
▼寺谷篤志「鳥取県智頭町の30年にわたる『地域共育』ドキュメント」2016年6月23日
〇内発的発展論/智頭ドラマ(1)
市民福祉教育研究所の阪野貢氏がそのブログで、2015年3月に発行した拙著『「地方創生」から「地域経営」へ』(共著)を、地域の教育学(まちづくりと福祉教育)の視点・観点から分析、「介錯」して下さった。そのお返しではないが、智頭町における1989年から1998年の「地域づくり」実践を文字で紡いだ『CCPT(智頭町活性化プロジェクト集団)活動実践提言書』をお送りした。多くの方々に住民(市民)自治と地域経営について考えていただこう、という思いからである。
私は、1983年に帰郷したころを起点に、地域づくりを展開してきた。明治大学の小田切徳美教授は、1990年ごろからの智頭町の活動を題材にして、地域づくりについて言及されている。そして、先生は、「『内発性』『総合性・多様性』『革新性』という装いを持ち、地域の新しい価値の上乗せを目標としながら、『主体』『場』『条件』の三つの柱を地域条件に応じて巧みに組み合わせる体系こそが、今日求められている『地域づくり』である(小田切徳美『農山村は消滅しない』岩波書店、2014年12月、71ページ)、と解析される。
各地で展開されている地域づくりは、人口移動の指標的施策が脚光を浴たり、「ふるさと納税」による特産品をいかに売るかといったものが注目されている。しかし、それらは、地域を本質的に活性化させるものではない。その地に住む住人が自負心を持ち、その地の文化を基盤に、「地域経営」の主宰者として主体的・創造的に地域づくりに取り組むことが肝要である。中央主導、官主導の「地方創生」には大きな死角があり、限界がある。その地域ならではのオリジナルでオンリーワンの取り組みと地域内循環を構築することが、地方の地域が生きる「道」である。そこに「誇り」が生まれ、真の「豊かさ」が実現する。
智頭町で私たちが展開してきた30年の活動は、内発的発展事例として、「黎明内発期」:住民による突破型プロジェクト方式(1983年~2004年、20年間)、「イベント展開期」:ゼロイチを基盤に町長主導による行政施策のイベント方式(2000年~2009年、10年間)、「起業発展期」:住民自治に啐啄同時(そったくどうじ、またとない好機:阪野)、移住人による起業方式(2010年~、6年間)、に時期区分することができる。しかしそれは、あくまでも事業や活動による表層的な区分であり、必ずしも地域づくりの本質を捉えたものではない。
それぞれの時期に、誰が、主体的に地域の規範を形成していったか。「黎明内発期」は、CCPTを中心とした学習活動をリードした私自身である。「イベント展開期」は、住民のアイディア等を積極的に登用し施策化した智頭町長・寺谷誠一郎氏である。「起業発展期」を代表するのは、「森のようちえん/まるたんぼう」の西村早栄子氏、菌本位制を謳う(自家製天然酵母を使った)田舎のパン屋さん「タルマーリー」の渡邊格氏である。実に多士済々の住人たちが、智頭町の地域づくりを牽引してきた(いる)のである。地域づくりは人なり、である。
地域づくりでは、一般的に過去の施策を分析して論ずることがあるが、リーダーとなった個々人の思考や思想に踏み込み、そこから次代の地域づくりのヒントを見出し、それを練り上げていくことが重要である。その一助となることを願って、智頭町における30年の地域づくりの記録の一部を公開することにした。市民福祉教育研究所のブログを通して、お蔵入りさせていた記録に光が当たり、広く社会に届けられることを期待したい。
追記
『定年後、京都で始めた第二の人生―小さな事起こしのすすめ―』(岩波書店、2016年5月)を上梓した。『「地方創生」から「地域経営」へ』の合わせ鏡として読んでいただくと、地域づくりの「事起こし」や「交流・情報」の必要性、「住民自治と地域経営」の重要性などについての理解がより深まるものと思う。
〇内発的発展論/智頭ドラマ(2)
【黎明内発期】
住民による突破型プロジェクト方式(1983年~2004年、20年間)
・杉板葉書/杉名刺の発案~杉をテーマにマネジメントし、智頭木創舎など起業する。
・杉下村塾/耕読会の開講~地域リーダー、住民、行政マン、科学者の学習の場をつくる。
・青少年の海外派遣の開始~住民一人1,000円の寄付で青少年を海外に派遣する。
・ひまわりシステムの実施~高齢者の見回りを役場、郵便局、社協と連携し展開する。
・千代川流域圏会議の発足~産官学民の組織を創り、流域の活性化を図る。
・ゼロ分のイチ運動のスタート~住民自らが集落・地区の活性化計画を策定し実行する。
【イベント展開期】
ゼロイチを基盤として町長主導によるイベント方式(2000年~2009年、10年間)
・石谷邸を核とした観光事業の開始~旧家の提供によって観光の核をつくり展開する。
・森林セラピーの基地の整備~森林をホスピタリーの観点から捉え住民運動にする。
・百人委員会の展開~住民有志100人が政策提案しその実現に取り組む。
・杉小判/民泊の開始~住民個々の資源(杉材・民家)を価値化する。
【起業発展期】
住民自治啐啄同時、移住人による起業方式(2010年~、6年間)
・森の幼稚園の開園~幼児を毎日森に連れて行き保育する。
・麻の栽培特区の認定~大麻の栽培特区を指定し、麻の実・炭を生産する。
・廃校を使った女性の起業~おむすびころりん・農家レストランを開業する。
・田舎のパン屋タルマーリーの開業~菌本位制によりパン・ビールを製造する。
▼『CCPT活動実践提言書』(1989年度~1998年度)智頭町活性化プロジェクト集団、1990年8月~1999年10月
〇一 覧
(1)『ちづ杉(サン)フォレストピア=1989 CCPT活動実践提言書=』1990年8月、167、56ページ。
(2)『新社会活動を求めて=平成2年度 CCPT活動実践提言書=』1991年8月、174、57ページ。
(3)『新ライフスタイル“憩住”への提言=平成3年度 CCPT活動実践提言書=』1992年8月、184ページ。
(4)『新・地域リーダー考「エディター」の提案=平成4年度 CCPT活動実践提言書=』1993年10月、219ページ。
(5)『ゴールは近づきゴールは遠のく―新しい助走にむけて―=平成5年度 CCPT活動実践提言書=』1994年10月、217ページ。
(6)『新しい波 農山村発―偉大なる疎・密“たすきがけ”のパートナーシップをめざして―=平成6年度 CCPT活動実践提言書=』1995年10月、215ページ。
(7)『社会システム創造の時代―小さく生んで大きく育む―=平成7年度CCPT活動実践提言書=』1996年10月、231ページ。
(8)『ゆうふくシステム智頭発21世紀へ―共有主義(コモンイズム)に向けて―=平成8年度CCPT活動実践提言書=』1997年10月、189ページ。
(9)『22世紀へのメッセージ―時間・空間・人間のスパイラル―=平成9年度CCPT活動実践提言書=』1998年10月、203ページ。
(10)『居合わせた者よ いきさつの語り部となれ―心・規範・社会システム―=平成10年度CCPT活動実践提言書=』1999年10月、255ページ。
〇目 次
(1)1989(平成元)年度
(2)1990(平成2)年度
(3)1991(平成3)年度
(4)1992(平成4)年度
(5)1993(平成5)年度
(6)1994(平成6)年度
(7)1995(平成7)年度
(8)1996(平成8)年度
(9)1997(平成9)年度
(10)1998(平成10)年度
〇備 考
『CCPT活動実践提言書』(巻数:全10巻、冊数:全10冊、総ページ数:2,167ページ、大きさ:30㎝)は、国立国会図書館、京都大学図書館、鳥取県立図書館、智頭町立智頭図書館に所蔵されている。国立国会図書館サーチでは、キーワード「CCPT活動実践提言書」で検索することができる。
▼「地域経営講座『杉下村塾』」『1989 CCPT活動実践提言書』1990年8月、7~17ページ
〇「まち」は、多様な個性を持つ地域・住民の創造性に基づいて内発的に発展し、持続可能な地域・社会への変革を実現する。「まちづくり」は、子どもも大人も、高齢者も、障害のある人もない人も、全ての住民(市民)が参加する「共働」(coaction)を基本理念とする。「まちづくり」には、“think globally, act locally”(グローバルに考え、ローカルに行動する)の視点や姿勢が必要である。要するに、「まち」の風土と歴史と暮らしは、新しい風を内から巻き起こし、外から呼び込むことによって、「豊かさ」へと変わるのである。
〇ここでは、「杉下村塾」についての記録のうち、次の一節を銘記しておきたい。「身の丈に応じて、つつましく、しかものびやかに」(岡田憲夫、12ページ)。「創造性は異質の組み合わせで生れる。創造性を養う方法として『複数の分野の経験』『外部との交流』『秀れた師との出会い』などが効果的である」。「地域は既に国際社会であり、地域の個性を主張することが即国際化である」(神田淳、13、14ページ)。いまからおよそ30年も前の1989年8月、鳥取県の山間の地「智頭町の最奥部の八河谷にある『杉の木村』の一個の裸電球の下に集まった」わずか22人の「ヒト」たちが議論した言説である。その後、彼らは各地で、「地域経営」の「起人」(17ページ)に育っていったのであろう。その「出会い・ふれあい・学びあい」の過程こそが、寺谷が言う「地域共育」である。
付記
(1)「日本海新聞」(鳥取市、1998年10月19日)に「最終回迎える智頭・杉下村塾/地域の「人」「科学する目」重視/柔軟に活性化策探る」という記事が掲載されている。
吉田松陰の「松下村塾」に倣って年一回開講されている「杉(さん)下村塾」が、今年も二十三日から三日間、智頭町八河谷の杉の木村で開かれる。主催は、智頭町活性化プロジェクト集団(前橋登志行議長)。発足時から十年の期限をつけており、今年が最終回だ。集団は「人」に焦点を当てた地域活性化を進めてきたが、「杉下村塾」の終わりとともに一つの区切りを迎えることになった。集団のこれまでを振り返ってみる。(西部本社・富長一郎)
平成元年スタート
集団は昭和六十三年に結成された。智頭杉を使った日本家屋の設計コンテストやログハウス群を築く「杉の木材イベント」、若者の海外派遣事業など多くのイベントを手がけた。近年は、郵便事業の新たな可能性を引き出した「ひまわりシステム」の創設に携わった。
「杉下村塾」が始まったのは、平成元年だ。当時、地域活性化は「一村一品運動」などの特産品開発や市町村の総合計画などで語られることが多かったが、集団は「人」で地域活性化を語ろうとした。インフラなどの「モノ」が地域を活性化するのではなく、人が活性化すれば地域もにぎわうとの考え方だ。
同時に「地域を科学する」取り組みを大学教授らの参加により、推し進めた。難しい問題を外部のシンクタンクなどに丸投げにするのではなく、自らで解決していった。丸投げにすれば、地域にノウハウが残らないからだ。この点が集団が異彩を放つところだ。
こうした考えに基づく「杉下村塾」だけに、ねらいは人の活性化だ。遺伝子を一つ組み換えるとまったく異なった性格となるように、地域の人が一人目覚めれば、そして「地域を科学する」目を養えば、その地域が大きく変化するのではないか。そんな思いが込められている。
2つの大きな特徴
集団には二つの大きな特徴がある。一つは、最近になって注目されているNGO(非政府組織)のような柔軟な手法を、早くから採用していた点だ。
NGOのような柔軟さとは、今夏に米子市で開催された「北東アジア経済フォーラム」がいい例だ。国交がない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の第一線の官僚も参加し、経済交流について話し合った。
国交がない国同士の話し合いは、国レベルという公式ルートでは困難だ。しかし、NGOの旗のもとであれば、各国一流の研究者、官僚らが自由に集まり、具体策を立案することができる。そして、それぞれの国に戻って立案した策の具現化を図る。
「杉下村塾」はまさに、そのフォーラム的な存在だ。各地域の行政マンや有志が集まり、地域の活性化策を自由に論じ合い、さらに「科学する目」を養い、自らを高めていく。そしておのおのの地域に戻り、地域を変えていく。硬直した行政、古くからの習わしなどとは異なるシステムや手法で、閉塞した地域の状況を変えていこうとしたのが、集団の持つ「NGO的な柔軟性」である。
もう一つの特徴は、地域の人々、または地域の持つ力を引き出すことで活性化を図ろうとした点だ。
従来、過疎にはインフラを「たし算」することで、脱却を図ろうとしてきた。しかし、それは際限のないたし算競争をもたらした。田舎がたし算しても、都会がたし算すれば相対的には変わらない。
集団は人々の心に焦点を据えた活動を繰り広げることで、人々と地域の持つ力を引き出そうとした。地域の欠点をインフラで補うのではなく、普段見逃している地域の美点を改めて見つめ、魅力を引き出そうとした。「脱たし算競争」を実現しようとした。
融合し新たな力
「杉下村塾」は回を重ねるうちに、変化している。当初はスクーリング形式だった。手弁当で駆けつけた大学教授らが活性化に必要な方策を「教える」スタイルだった。これが五回目ごろから先生、生徒の区別なく、テーマを互いに論じ合う形式になっていった。
先生と生徒の立場がくるくる入れ替わる。集団いわく「先生徒」というスタイルだ。近年は「共有主義」を標ぼうしている。参加した「先生徒」たちが、ある概念を共有して「融合」し、新たな力を生み出す。「教える」「先生徒」「共有主義」と参加者も進化していっている。
集団の事務局長を務める寺谷篤さん(五〇)は「人々が融合したことで、新たな化学反応がこれから起きる。どんな反応が起きるかわからないが、地下のマグマが噴き出るような爆発があるのではないか」と話す。
どんな爆発になるのか。それがポスト「杉下村塾」であり、二十一世紀の地域活性化の端緒の一つになるかもしれない。そんな「爆発」を論じる最終回の杉下村塾のテーマは、「題名のない杉下村塾」だ。(『平成10年度CCPT活動実践提言書』1999年10月、255ページ)
(2) 寺谷の言説(「学習重視志向の地域経営実践論」)の基盤には、鶴見和子の内発的発展論がある。鶴見は「内発的発展論は教育学」であると言う。
内発的発展論というのはどこに行きつくかわからない。到達点がない(中略)。もうひとつは、これは教育学なんですよ。分野としては、社会学よりも教育学なんです。社会学でいえば、社会化の理論。というのは、その人間のひとりひとりの可能性を実現、顕在化していく、伸ばしていく。それが教育です。(赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学―』藤原書店、2015年7月、97~98ページ)
(3) 智頭町は面積の約93%が山林であり、「杉のまち」としても知られている。町の標語(キャッチフレーズ)は「みどりの風が吹く疎開のまち」である。1990年10月現在の人口は10,670人、高齢化率は20.0%、2016年6月現在のそれは7,466人、37.8%を数えている。なお、前後するが、2015年10月現在における全国の高齢化率は26.7%、鳥取県は29.8%である。
備考
「CCPT活動実践提言書」のPDFファイルの入手を希望される方は、「市民福祉教育研究所」のブログの「プラットホーム」からお問い合わせ下さい。ご要望があれば「宅ふぁいる便」等で送信させていただきます。