はじめに
〇超少子高齢・人口減少・多死社会と評される現代社会は、少子高齢化の進展をはじめ、貧困や社会格差の拡大、SNSトラブルの多発、環境破壊や災害の激甚化、グローバル化の進行、ダイバーシティ(多様性)の推進などによる複雑・多様な社会福祉問題に直面している。このような状況において、個々人がそれらの問題に主体的・自律的に関与し、共生社会を築き上げていくための教育、すなわち「福祉教育」の役割は一層その重要性を増している。この文脈において、「当事者性」と「相互主体性」という2つの概念は、福祉教育の理念と実践を深く規定する核心的な要素として位置づけられる。当事者性は、ある問題に直面する個人の経験や視点を尊重し、その問題への意識的な関与を促すものである。相互主体性は、他者との関係性のなかで自己と社会を認識し、共に課題解決を図る姿勢を育む基盤となる。
〇本稿では、福祉教育におけるこれら2つの概念の重要性を踏まえ、「当事者性」を説く松岡広路、「当事者性」や「他者性」に言及する阪野貢、そして「関係発達論」を提唱する鯨岡峻の3氏の言説を検討する。すなわち、それぞれの概念に対する3氏の独自のアプローチを明らかにし、それを通して福祉教育における当事者性と相互主体性の多角的な理解を深め、今後の実践と研究に資する知見を得ることをめざす。
Ⅰ 福祉教育における「当事者性」の概念と意義
1) 当事者性の概念規定と歴史的背景
〇「当事者」という言葉は、一般的には、ある問題に直面している人々を指すものとして理解される。「当事者性」という言葉は、単に問題に直面しているという事実だけでなく、その問題への関わり方や意識のあり方を質的に表現する概念である。例えば、障がい者の問題について言えば、障害のある人やその家族は第一義的な当事者として認識される。しかし、障害の社会モデルの視点から見れば、障害は個人の特性に起因するものではなく、社会の構造や環境が作り出す問題であるため、社会全体がその問題の当事者であると捉えることができる 。
〇中西正司・上野千鶴子は、その著書『当事者主権』(岩波新書、2003年10月)において、当事者を「ニーズを自覚している人たち」と規定した。この規定は、本人のニーズを専門家などの他者が本人に代わって規定することを許さないという立場から、重要な意味を持つ。しかし、この規定には、社会的な問題を特定の人に固有の問題として囲い込む「当事者/非当事者」という二項対立を生む危険性や、自覚していない当事者の存在を軽視あるいは無視してしまう可能性が指摘されよう。
〇福祉教育における当事者性は、単に問題に直面している事実だけでなく、その問題に対する当事者意識を持ち、課題解決に向けて自覚的に行動していく過程として捉えられる。この認識は、社会的格差と不平等、社会的分断と排除などが拡大・深刻化する現代社会の危機的状況を背景とする。そのような状況下で、社会の矛盾を的確に把握し、変革への道筋をつけることができるのは、先ずは不利益を意識化している人たち、すなわち自分たちの生命や生活が脅かされている人たちである。そして、彼らの主張に耳を傾け、共感し、連帯・協働(共働)することは社会の正義であり責務であるという認識が、当事者性の重要性を一層高めることになる。
2) 松岡広路の当事者性論:相対的尺度としての理解
〇松岡広路は、当事者性を固定的な実体概念としてではなく、より動的かつ関係的な視点から捉える。松岡によれば、当事者性とは「個人や集団の当事者としての特性を示す実体概念というよりも、『当事者』またはその問題的事象と学習者との距離感を示す相対的な尺度」、「『当事者』またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合い」と規定される(松岡広路「福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性・エンパワメント―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』Vol.11、万葉舎、2006年11月)。
〇松岡の研究テーマは、ジェンダー、子育て支援、インクルージョン、地域福祉、共生など多岐にわたり、松岡の当事者性論はこれらの広範な領域における関係性の深化を志向するものである。また、当事者性を相対的な尺度として捉える松岡の視点は、福祉教育において極めて重要な意味を持つ。この視点は、当事者性を固定的な属性としてではなく、学習者の問題、あるいは当事者との関係性の深まりとして認識することを促す。これは、学習者が非当事者から当事者へと一方向的に変化するのではなく、多様なレベルでの関与や理解の深化を許容する柔軟な枠組みを提供する。この相対的な理解は、学習者が自身の問題への関わり方を内省し、他者の経験を多角的に理解する余地を生み出すのである。
〇また、松岡の言説は、従来の当事者/非当事者という二項対立的な思考が持つ硬直性を緩和し、グラデーションのある関わり方を促進する効果が期待される。これにより、学習者が「自分は当事者ではないから」という理由で社会福祉問題から距離を置くことを防ぎ、誰もが何らかの形で問題に関わる可能性を提示する。こうした当事者性の相対的理解は、学習者の心理的・物理的距離感の意識化を促し、多様な関わり方の模索と受容へと繋がる。そして、結果として社会福祉問題への関与・参加の障壁の低減に貢献する。すなわち、インクルーシブな社会を形成するうえで、個々の住民・市民が自身の立ち位置を自覚しつつ、他者の当事者性を尊重し、共に行動するための基盤となる。そして、福祉教育において、学習者が当事者の経験を追体験するだけでなく、自身の生活のなかでの当事者性を発見するきっかけを提供し、エンパワメントへと繋がる可能性を秘めているのである。
3) 阪野貢の当事者性・他者性論:二項対立を超えて
〇阪野貢は、福祉教育における「共感」と「当事者性」、そして「他者性」という3つの概念に留意し、その相互関係を考察する。そのなかで阪野は、福祉教育における情動的な共感の強要に警鐘を鳴らす。すなわち、アメリカのポール・ブルーム(Paul Bloom)の言説から「共感には善玉と悪玉がある」「共感は道徳的指針としては不適切である」ことを指摘し、情動的共感が時に限定的・排他的なものとなり、他者の固有性を無視した一方的な思いやりにつながる危険性があることを強調する(<雑感>(185)阪野貢/「共感」再考:共感のメリットとデメリット ―山竹伸二著『共感の正体』のワンポイントメモ―/2023年8月23日/本文 )。
〇また、阪野は、当事者/非当事者という二項対立的な思考が議論を硬直化させ、思考停止を生む危険性があると批判する 。そのうえで、当事者が抱える問題は当事者だけで引き受けるべき問題ではなく、現代社会の問題であり、社会全体で引き受けるべきものであるとし、「すべての人が当事者」であるという視点の重要性を強調する。そして、例えば学校福祉教育における障がい者などとの訪問・交流活動の場においては、子どもも障がい者も、教師も施設職員も、それぞれの立場として当事者であり当事者性を持つと同時に、互いに異なる視点・視座を持つ他者であるとする。そして、この訪問・交流の場で問われるのは、子どもと障がい者の「知識と経験」、教師と施設職員の「専門性と経験」の「相互補完性」であると強調する。ここでいう「経験」は、「体験」が行為そのものを指すのに対し、それを通して得られた気づきや学び、知識や技能・技術などの総体を指す(<雑感>(223)阪野貢/再掲/福祉教育における「共感」と「当事者性」 ―ワンポイントメモ―/2025年2月10日/本文)。
〇こうして、阪野の、すべての人が当事者であるという主張は、当事者性の概念を個別の問題から社会全体の問題へと拡張するものである。これは、社会福祉問題が一部の「困っている人」の問題ではなく、社会構造全体の問題であるという社会モデルの視点を強く反映している。とともに、他者性の認識を強調することで、画一的な共感の押し付けを避け、異なる視点を持つ他者との対等な関係性のなかで相互理解を深めることの重要性を示唆している。阪野の議論は、当事者性を問題への関与の度合いとして相対化する松岡の視点をさらに発展させ、社会全体を当事者として捉えることによって、福祉教育の対象と責任範囲を広げるものである(「包括的福祉教育」とでも言えようか)。また、情動的共感の限界を指摘し、他者性を尊重する姿勢は、相互主体性の基盤となる「対等な関係性」の構築に不可欠なものである、と言えよう。
〇別言すれば、阪野の言説では、当事者/非当事者という二項対立の批判から、すべての人が当事者であるという認識の深化、そして他者性の尊重と相互補完性の重視へと繋がることで、より包括的で対等な福祉教育実践の実現が期待される。この思想は、福祉教育が単に弱者支援の知識を教えるだけでなく、社会全体の問題として福祉を捉え、多様な人々がそれぞれの立場から社会変革の主体となることを促す、より主体的・自律的で包括的な福祉教育へと進化すべきであるという強いメッセージを含んでいる。阪野が基本的・継続的に追究する「まちづくりと市民福祉教育」のねらいや意義はここにある。また阪野は、特に「対話」や「共働」、「リフレクション」などを通じて知識や技能・技術を習得・共有することの重要性を強調しており、これは相互主体性の実践的側面を明示するものでもある。
〇以上を要するに、松岡と阪野の当事者性論を対比すると、こうである。松岡は学習者の視点から見た当事者との距離感という相対性に焦点を当てる。阪野は社会全体が当事者であるという視点と他者性の重要性を強調する。両者の言説は一見異なるが、共通して当事者/非当事者という固定的な二項対立を乗り越えようとする志向がみられる。松岡は学習者の内的な関係性の深化を、阪野は社会的な関係性における相互補完性を重視しており、これは当事者性理解の多層性を示唆する。そして、このような異なる視点・視座の提示は、概念の多義性を認識させるとともに、福祉教育実践における多様なアプローチの可能性を示唆するものでもある。この対比は、福祉教育が単に、当事者が抱える日常的な生活問題や苦悩などを理解するに留まらず、学習者自身の立ち位置を問い直し、社会全体で問題解決にコミットする当事者意識を育むための多様な道筋があることを示している。また、情動的共感に依存しない、より客観的で相互関係性に基づいた当事者性へのアプローチの必要性を浮き彫りにしている、といえよう。
Ⅱ 福祉教育における「相互主体性」の概念と意義
1) 相互主体性の概念規定と関係性への視点
〇「相互主体性」は、複数の主体(人間)が互いを単なる対象(客体)としてではなく、主体性を持ったそれぞれの存在として認識し、互いに影響し合うなかで形成される関係性や、その関係性のなかでの自己認識のあり方を指す概念である 。福祉教育において相互主体性の議論が重視されるべき根拠は、次のようなところにある。①福祉教育は、障害の有無や背景に関わらず、すべての人が地域社会の一員として尊重され、多様なつながりを再生・創造する共生社会の実現をめざす。②福祉教育は、地域住民が社会福祉問題を「自分ごと」として捉え、その課題解決に主体的・自律的に取り組むことを促す。③福祉教育では、すべての地域住民がその年齢や立場を超えて相互に学び合う関係性が重視され、多様な主体が関わるなかで新たな価値が創出され、地域社会の変革(「まちづくり」)へとつながる実践が意図される、などがそれである。すなわち、福祉教育における相互主体性の追求は、従来の、主体が客体に一方的に働きかける対立的なモデルから脱却し、主体と主体の関係性が重視される、すなわち誰もが主体性を持ち、互いを尊重し、共に学び、共に生きる社会を築いていくための重要なアプローチである。
2) 鯨岡峻の関係発達論と相互主体性:人間理解の深化
〇鯨岡峻は、従来の発達観である個体能力主義に対し、「育てる者―育てられる者」の相互的なやり取りのなかで両者が生涯に亘り変容していく過程として人の育ちを捉える「関係発達論」を提唱する。そこでの重要な概念のひとつが「相互主体性」(intersubjectivity)である。鯨岡にあっては、相互主体性は、多面多肢的な概念であるが、「間主観性」「共同主観性」「相互主体性」の3つの意味がある。「間主観性」(間主観性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」のそれぞれ独立した主観が、互いに異なることを認めつつ、両者の主観(「私」は「あなた」の主観、「あなた」は「私」の主観)が部分的に共有され理解される状態をいう。すなわち、「私」と「あなた」の「共感」の基盤となるものである。「共同主観性」(共同主観性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」がある目標や体験を共有するなかで、あたかもひとつの主体であるかのように振る舞い協働することをいう。すなわち、「私」と「あなた」の共通の目標設定や価値観の共有、さらには集団としての合意形成に繋がるものである。「相互主体性」(相互主体性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」が主体としての存在そのものを深く認め合い、影響し合い、共に変容していく、より能動的で発展的な関係性をいう。すなわち、その過程を通して、「私」と「あなた」が共に新たな主体性を形成し、「私は私」という閉塞的な主体から「私は私たち」という開放的な関係性へと開かれることになる。要するに、間主観性は最も根源的な心の通い合い(共感)を、共同主観性は共通理解と協働の基盤を、そして相互主体性は自己と他者の境界を超えた関係性のなかでの変容と成長を示唆するのである(鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ―間主観性と相互主体性―』ミネルヴァ書房、2006年7月)。
〇鯨岡が相互主体性に与える3つの意味は、単なる共感や理解を超えた、より動的で生成的・共働的な人間関係のあり方を示している。特に、相互主体性が「私は私」から「私は私たち」への変容を促すという点は、福祉教育がめざす共生の深い意味合いを提示する。これは、個人の自立だけでなく、他者との関係性のなかで自己を再構築し、共に生きる力を育むという福祉教育の目標に直接的に貢献するものである。鯨岡の理論は、発達を固定的な能力獲得ではなく、関係性のなかでの絶え間ない変容と捉える。この視点は、福祉教育において、子どもや障がい者などを「未完成な」あるいは「不完全な」存在と見なすのではなく、共に学び、共に成長する「相互理解」と「相互変容」のプロセスとして捉えることを促す。これは、阪野が説く相互補完性に通底するものである。
Ⅲ 松岡・阪野・鯨岡の言説にみる当事者性と相互主体性の統合的考察
1) 各言説の共通点と相違点:概念の多層的理解
〇松岡・阪野・鯨岡の各言説を統合的に考察すると、福祉教育における当事者性と相互主体性に関する多層的な理解が浮かび上がる。
〇共通点としてまず、3氏ともに、当事者/非当事者といった固定的な二項対立的な思考や、一方的な支援関係からの脱却をめざしている点が挙げられる。松岡は当事者性を相対的尺度として捉え、阪野はすべての人が当事者であるという視点と他者性の尊重を強調し、鯨岡は「私は私」という閉塞的な主体観から「私は私たち」への主体変容を説くことで、いずれも従来の枠組みを超えようとしている。次に、福祉教育に関連づけて言えば、個人の内面だけでなく、他者との関係性のなかで主体性や人間理解が深まることを重視している点も共通する。松岡の「距離感の深まり」、阪野の「相互補完性」、鯨岡の「関係発達論」は、いずれも関係性が教育的営みの核心にあることを示唆する。さらに、3氏の議論は、単なる概念論に留まらず、実際の福祉教育やフィールドワーク実践からの示唆や、実践への応用可能性を意識している点も共通している、といえよう。
〇相違点としては、当事者性の捉え方に違いが見られる。松岡が学習者と当事者との心理的・物理的距離感に焦点を当てるのに対し、阪野は社会全体が当事者であるという視点から、より広範な社会的責任と他者性の認識を強調する。鯨岡は関係発達論という発達心理学的な視点から、人間関係における深い心の交流と相互変容のプロセスを多層的に分析する。一方、阪野は、福祉教育実践論のなかで、対話や共働を通じた相互補完性やエンパワメントの実現を相互主体性の実践的側面として位置づける。松岡の言説は、共生やインクルージョンについての論究から、相互主体的な関係性の構築を前提としていると解釈される。
〇3氏の議論を重ね合わせると、当事者性は個人の内面的な意識や関与の度合いを指し、それが相互主体性という他者との関係性のなかで深化し、変容していく動的なプロセスとして捉えられる。つまり、当事者意識が芽生えることで他者との関わりが始まり、その相互作用を通じてより深い相互主体的な関係が築かれ、それがさらに個人の当事者性を再構築するという循環的な関係が見出される。松岡の相対的な当事者性、阪野のすべての人が当事者であるという視点と他者性、そして鯨岡の「私は私たち」への変容は、それぞれ異なる角度からこの動態的な関係性を捉えるものである。松岡は「入り口」としての当事者性の相対的な深まりを、阪野は「広がり」としての社会全体への当事者性の拡張と他者との対等な関係性を、鯨岡は「深化」としての相互変容のプロセスを描いている、と言えようか。
〇以上のように、松岡の当事者性の意識化から、阪野の他者性(他者との関係性における自己と他者の認識)、そして鯨岡の相互主体性(相互作用を通じた主体変容)へと繋がることで、より包括的な当事者意識の醸成と共生社会の実現が期待される。それはすなわち、「当事者性」と「他者性」と「相互主体性」の各概念は、それぞれが独立して存在するのではなく、互いに影響し合い、補完し合う関係にあるといえる。そして、こうした統合的な理解は、現代の社会福祉問題が複雑化・多様化さらには多層化するなかで、福祉教育は個人の単なる意識変革に留まるものではない。個人の内面的な変容(当事者性の深化)と他者との関係性における質的向上(相互主体性の構築)、そして社会構造への働きかけ(社会変革の促進)を同時にめざすべきである、という複合的な目標を明確にするものである。従ってそれは、単一ではなく、多角的な理論的・実践的アプローチが求められることになる。
2) 福祉教育実践への示唆と今後の研究課題
〇松岡・阪野・鯨岡の各言説を統合的に考察することで、福祉教育の実践と今後の研究における重要な方向性が導き出される。
〇まず、福祉教育実践への示唆として、当事者性の多層的理解の促進が挙げられる。学習者が自身の生活のなかで当事者性を発見し、他者の当事者性を相対的に理解する機会を提供することが重要となる。単なる社会的弱者としての当事者理解に留まらず、すべての人が当事者であるという視点から、社会全体の問題として社会福祉問題を捉える教育が必要とされる。
〇次に、情動的共感から理性的な他者理解への移行が求められる。安易な情動的共感を強要するのではなく、他者の他者性を尊重し、異なる視点や経験を理性的に理解し、相互補完性を図る教育実践が重要となる(ここで、イギリスのアルフレッド・マーシャル(Alfread Marshaii)が提唱した「冷たい頭と熱い心」(cool head and warm heart )という言葉を思い起こしたい)。さらに、鯨岡が提唱する相互主体性の概念に基づき、相互変容を促す関係性の構築を重視した教育プログラムの開発が不可欠となる。子どもや教師、障がい者や高齢者、保護者や地域住民などが「育てる者―育てられる者」として相互に変容し、共に成長する関係性を重視する視点を取り入れることで、より深遠な学びが期待される 。
〇さらに、阪野が強調する対話、共働、リフレクションなどを教育プロセスに積極的に取り入れ、それを通じた主体形成を促進することが重要となる。当事者や多様なステークホルダーが共に知識や技能・技術を獲得・共有し、それを利活用する場を創出することは、地域福祉における住民主体とその育成の推進にも繋がる 。
〇これらの点は、現代の福祉教育が単に知識の伝達や技能・技術の取得に留まらず、学習者の内面的な変容、他者との関係性の質的向上、そして社会全体のシステム変革を同時にめざすという、より包括的な役割を担っていることを示している。松岡・阪野・鯨岡の言説は、この複雑な役割を果たすための多面的な視点を提供している、といえよう。
〇今後の研究課題としてはまず、当事者性と相互主体性の動態的関係性の実証的研究が挙げられる。松岡・阪野・鯨岡の言説が示唆する当事者性と相互主体性の循環的・動態的関係性を、実際の福祉教育実践においてどのように測定し、実証していくかという課題である。特に、例えば外国籍の子どもや地域住民との多文化共生や、多様なニーズを持つ子どもたちとの交流活動における当事者性と相互主体性の関係を深掘りする研究が期待される。
〇次に、阪野が規定する「経験」(体験を通して得られた気づきや学び)の質をどのように評価し、それが当事者性や相互主体性の深化にどのように寄与するのかを、人々が語る物語(ナラティブ)の分析や質的調査などを通じて明らかにする必要がある 。
〇さらに、AIやオンラインコミュニケーションが普及するなかで、当事者性や相互主体性の概念がどのように変化し得るのか、新たなテクノロジーが福祉教育における関係性構築に与える影響等についての考察も必要となる。
〇またさらに、これはすでに自明のことであるが、地域福祉やまちづくりにおける住民主体を掲げながらも、地域住民の多くが無関心であったり、差別や偏見を抱く現実に対して、当事者性と相互主体性の視点からどのようにアプローチし、より多くの人々を福祉教育(阪野が言う「まちづくりと市民福祉教育」)に巻き込むことができるのか、実践的な研究が求められる。
〇以上の諸点は、福祉教育実践・研究を 単なる机上の空論ではなく、複雑化・多様化さらには多層化する現代社会において、福祉課題の解決に貢献し、未来の福祉教育の方向性を指し示すものとなろう。特に、情動的共感に依存しない理性的な他者理解、相互変容を促す関係性の構築、そして対話と共働を通じた主体形成を重視した福祉教育実践を展開していく必要がある。そして、「当事者性」と「相互主体性」という概念は、個人のエンパワメントから社会全体の共生文化の醸成に至るまで、幅広い実践領域において不可欠な要素である。この点を改めて強調しておきたい。